電脳異世界パルスに感電している   作:スコラ

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針先に踊る天使を数える

「ピーター・ヴァン・インワーゲンは『世界がどうして無ではなくむしろ実在するのか』と言う問題に対し一つの解答を行った」

 

 教壇に立つスーツをバシッと決めたキャリアウーマン然とした金髪の女が銀縁メガネの位置を正しながら言う。

 

 彼女の背中からはコウモリにあるような皮膜翼がちょこんと生えていて、タイトスカートの股下からは、先端がハートに型どられた細い尻尾がゆらゆら動いている。

 

 その教官はサキュバスであった。更により細かく分類するとリーズナブル・サキュバス。理性的な淫魔であった。含意には「サせ子ちゃん」というのも当然にある。

 

 七億人の子供を産んだらしく、「私一人で少子化は解決した」と豪語する女である。しかし、七億人も子供を産むほどヤってしまえば、いかにサキュバスといえども悟りの境地に至ったらしく、こうして禁欲的な教官として働くことになったと言う経緯をもつ。

 

「その前提となるのが、ライプニッツによって提唱された不可識別者の同一性原理であり、存在の多様性と虚無の<唯一無二性›をその論拠とする」

 

 教室は眩しくて嫌になる程明るかった。蛍光灯的な無機質で一辺倒な白い光の中に七色に輝くプリズム光子が幾何学的な図形を取って無数に漂っている。それらは流動的に四角や三角や針状に変化して周囲の空間を旋回している。空間情報を凝固させないためのスペースセーバーである。

 

 教室の一面は窓ガラスとなっており、暗い空に極彩色のネオンが彩る街並みが見える。退屈そうに授業を聞き流す女子生徒の横顔がガラスにうっすらと映っている。

 

 黒いブレザーの制服を多少着崩し、頬杖をつきながら入学から一回目の授業を聞き流していた。ちなみに何一つ理解はしていない。長い黒髪は独特の光沢に輝き、毛先に行くほど赤みの強いマジョーラカラーのような虹色の輝きを伴っている。瞳の色は赤や青や黄とが複雑なグラデーションをなしている。

 

 頭には花びらを模した情報系光学デバイス《ナイチンゲール》がぴこぴこ駆動光を走らせている。

 

「簡単にいえば、無は区別できないと言うことだ。虚無同士は区別できない、なぜなら、区別するためには差異が必要だが、その差異が無にはまさに<無い>からだ。存在は区別できる。仮に、全く同じ情報構築を持つ双子がいたとしても、存在するだけで占拠する空間座標は異なってしまうから、私たちの認識論的な見分けは別にしても、存在論的な区別は可能だ」

 

 女子学生はナイチンゲールを指先でトントンと叩くと、視界の端に複雑なバイタルフロー情報が流れ出す。この情報ウィンドウは認知領野に信号を送ることで見せられる構造化された幻覚であり、他人には見えない。

 

 ナイチンゲールの役割の一つは認識拡張である。形而上(けいじじょう)力学の発展に伴い、本来人間には認識し得ないものを認識するために作られたデバイスだ。個人のステータス情報を俯瞰的にメタ的に見ることができる。

 

 開いたらステータスの上部には《黒黒黒(みつぐろ)イロハ》と名前が表示されている。

 

「存在は無限にあるが、無は一つだ。存在する世界はそれぞれA、B、C…と無限に区別され存在するが、完全なる虚無世界は原則一つしか存在しない。さて、確率の問題だ。分母が無限のうち、たった一つだけある<当たり>を引く確率はいくつだ? 答えはゼロだ。確率的に世界は必然的に存在する! と言うのがインワーゲンの説だ」

 

 イロハはニュースを開いた。『美しすぎるエルフアナウンサーの素顔に迫る』『死体を労働力に ネクロアルカディア商会の躍進』『サルベージャー協会がオムニヌル第六層への到達を発表』『アラトクレティエ世界区未だ浄化復旧進まず ディープスカーレットの負の遺産』など記事の見出しが流れ出す。

 

 すぐさま閉じた。退屈であった。

 

「君たちがこの説明にどれほど納得するのかは分からない。しかし、ここで注目に値するのはこの『無』という性質である。厄介なことに、ここでの『無』は絶対的に何も無い空白虚無を必ずしも表すものではない。無差異性と、それゆえの唯一への収束性。この二つの性質がこの『無』の本質だ」

 

 教室を見渡すと、茶髪をポニーテールにした快活そうな娘と目があった。その女子生徒はニコニコとイロハを見返してくる。すぐさま目をそらす。

 

「無差異性と収束性という二つの性質は、別の論脈で見ることができる。皮肉的だが、神の存在証明でだ。アンセルムスは神の存在を証明する際に、神を『もっとも大きいもの』とした。大きいというのは、物理的な空間占位ではなく、性質の数のようなもので、全なる神は全てを含むというわけだ。存在を含まないものと存在を含むものどちらがより<大きい>のかというと、存在する方だ。ゆえに神は存在する」

 

 教室は人型の生命がほとんどだった。耳が長かったり、背が小さかったり、羽が生えていたりと形態に違いはあるものの、基本的に腕二本足二本と人間的な形をなしている。

 

 窓の外に広がる街並みをゆく存在は人外のものも多かった。粘液だけで構成されているスライムに、足が六本ある狼、巨大な翼をもつワイバーンが空を駆けていった。それを追跡するように赤のテールランプを回し、サイレンを鳴らしながら円盤型飛行物体がくるくる飛んでいく。

 

「アンセルムスは明言こそしなかったが、彼のキリスト教神学者という立場から、ここに無差異性と収束性が絡んでくる。全てと全てを比較したときそこに差異は無い。差異が無いのなら収束する。だから、神は必ず存在する、それも唯一神としてでしか不可能というわけだ」

 

 街にはよくわからない存在がそこらじゅうを闊歩している。いつから世界はそんな様子になったのか、歴史学者でも無いイロハは知らない。あらゆる世界がある時全て同じ世界としてこの世界に収束したらしいと聞くのみ。

 

 全ての始まりは、かつてまだ可能であった「異世界転生」なる現象では無いかと言われている。

 

「インワーゲンとアンセルムスとで無差異の一者に関して正反対のことを結論づけている。かたやそれは不可能でかたやそれは必然だ。ここら辺を究明するのは思想家にとって多少手慰みになる課題かもしれないが、君たちにとってはどうでもいいことだろう」

 

 異世界転生によって各々の世界は他の世界について知識を得た。世界は情報的に縮まった。一つの世界が持つには不相応な情報量が各世界に蓄積され続けた。

 

 イロハから見える窓の外。猥雑とした都市の更に向こう側に、巨大な深淵のドームがあった。莫大な情報量を持つ特異点オムニヌル。

 

 全ての世界が他の世界の情報を獲得し続けるにつれ、世界の情報量は過密という形で全て均一化へと向かった。オムニヌルはそれら世界をその情報重力で引き寄せた。結果あらゆる世界はこの世界に統一され、異世界は存在しなくなった。

 

「さしあたって君たちにとって重要でそして日頃から体感していることといえば、絶対の虚無と究極の存在は同質だということだ」

 

 オムニヌルはいまだに世界を呑み込み続けようとしている。しかし、誰もそれがどういうことなのか理解できないでいる。

 

 それは世界の破滅を意味するのか、それとも完成を意味するのか。巻き込まれる人をはじめとする生命は死ぬことになるのか、それとも永遠の安寧を得ることになるのか。

 

 あらゆる世界に善悪の概念はあったが、誰も判断を明確に下せないでいる。状況は完全に善悪の彼岸にあり、かつては明確に別れていた生や死の境界さえ暗闇に呑まれる前人未到の時代であった。

 

 世界で生命が一般的な意味で生存できる場所は僅かだ。

 

 世界の中心には巨大な穴が空いている。過剰な情報存在量を持ち、周囲の世界を時空間ごと歪曲させ、無形有形を問わず吸い込んでいく黒い穴。

 

 世界はオムニヌルを中心に歪められている。

 

 人類は最後の砦を求めた。それがアビスの周縁部に造られた巨大都市である。

 

 土地をなんとか有効活用しようと超ハイパービルディングが乱立されていて、その上層部はオムニヌルによる空間歪曲のせいで都市の中心部へと全て傾いているように見える。

 

 ただでさえ空を覆う超高層ビルが直立できずドーム屋根状になっているため、空は非常に狭い。

 

 そして、空もまたオムニヌルの情報重力により時間経過で色は変わらず不変であった。東が朝、南が昼、西が夕暮れ、北は夜。空の色が変わるのは空間の移動によってである。

 

 日照時間に差がある。特に南と北では温度差が余りに激しくなるため、都市は熱伝導性の液体金属パイプが幾重にも張り巡らされており、都市全体の温度を管理している。

 

 そのパイプの駆動騒音が酷いため街中に強い音で構成されたサイバーでサイケデリックな音楽が常に鳴り響いていて、それにあわせて、ビルは極彩色の壁面電光を瞬かせている。

 

 精神工学(ニューロメカニクス)的なデザインを基に設計されており、そこには人が絶望しないよう精神の昂揚効果が含まれている。

 

 この世界を上層視点からみることができるならば、光すら逃さない深淵の穴を持つ極彩色に煌めく指輪のように見えるだろう。

 

 都市の名は《アビスリング》。最後に残されたパンドラの指輪。太陽も月もなく、そして異世界もないこの世界最後の希望だ。世界そのものだ。

 

§

 

 授業が終わると、イロハの所に授業中に目があった茶髪をポニーテールに結んだ少女がやってきた。

 

「確か黒黒黒(みつぐろ)イロハさんだよね! 自己紹介のとき名前が印象的だったから覚えてるよ!」

 

 入学してから初めての授業であった。まだクラス内の人間関係は定まっておらず、こうして初対面の人にも積極的に話しかけるのは心理的なハードルが低い時であった。

 

「ええと、あなたは」

 

「ピノリアだよ! 種族はレバリーウェイプ! ファネル世界区出身だよ! よろしくね!」

 

 黄色い瞳をキラキラさせながら自己紹介を行うピノリアは犬のような印象を周囲に与える。実際髪色に隠れて見えづらいが犬耳が垂れ下がっている。レバリーウェイプは人懐っこい種族だと聞いたことがある。

 

「悪いけれど、友達作りなら私以外とやってくれ」

 

「ええ!? ちょっとクールすぎない黒黒黒さん!?」

 

「友達を作る気はない」

 

「ええー」

 

「……あの人なんてどうだ?」

 

 イロハは適当に教室内にいる人をさした。

 

 黄色やピンクやゴールドが入り混じったような色の髪をハイツインテールにして華やかにまとめ上げ、制服を大きく着崩してシャツから胸の谷間が大きく露出している女子学生だった。

 

 派手なピアスやネックレスをつけて全体的にラグジュアリーな印象があり、ツリ目の大きな黄金の瞳はひし形になっており幾何学的な紋様がその内に流動的に煌めく。

 

 頭には王冠を模したようなナイチンゲールの髪飾りが大きく目立っていた。女王のような風格があり、教室内で圧倒的な存在感を醸している。すでに数人のクラスメートに囲まれて談笑をしていた。

 

「あの人、地獄坂さんじゃん!?」

 

 ピノリアが大声をあげる。教室に妙に声が響いてしまい、その当の本人がその独特な瞳をイロハ達に向ける。

 

 その視線に晒されただけでピノリアは萎縮してしまう。地獄坂と呼ばれた女子学生はそんなピノリアから興味なさそうに視線を外し、イロハを見た。少し驚いたような表情をするとイロハをじっと見つめた後に視線をフイと外す。そのまま談笑に戻った。

 

「ふいー。怖かったよー」

 

 ピノリアが安堵してそう言う。

 

「有名な人?」

 

「当たり前じゃないですか!? ……っ。知らないんですか転生者(トレイサー)ですよしかも七次!」

 

 また大声を出しそうになったのに気づき後半は内緒話のように声を潜め、イロハの耳元へ口先を当てる。

 

「七次……」

 

 異世界は特異点オムニヌルによって消滅したが、転生システムは残っており、この世界で死んだものはこの世界に転生者として再帰する可能性があることは知られている。

 

「すごいよね! 七度も前世を引き継ぐともなると能力も桁違いになってくるから、あまり睨まれたくない存在だよ!」

 

「私さっきその怖い地獄坂さんに睨まれたんだけど」

 

「ひえー何したの!?」

 

「何もしてない」

 

 そして大して気にもしていない。

 

「あ、ちなみに私も一次とはいえ転生者なのです! 聖騎士メリアルの加護と剣技を受け継いでるよ! 地獄坂さんほどではないけど、私にも存在の格みたいなの感じない?」

 

 ピノリアはイロハに対して自慢してくる。転生者は<魂>の比重が重い。一度転生すれば単純計算して魂の情報量は二倍になる。情報量が多くなるほど能力も強力になり、高次の転生者となれば一目見るだけでそれとわかるほどの迫力がある。

 

 イロハはもう一度地獄坂の方を見ると、確かに高次転生者特有の圧のようなものを感じることができた。そして、目の前のピノリアにもかなり注意してみれば、似たような圧があるのも理解できるような気もする。

 

「……あんま存在値なくない?」

 

「ひどい!? 結構前世では有名だったと思うんだけどな、アーメルアイン教会区の聖騎士メルアル……」

 

「知らないものは知らない」

 

 たといその世界で伝説的な存在だったとしても、世界そのものが際限なく増えてしまった今となっては、伝説も希釈され、ニュースページの広告欄より小さく記録されるのみである。

 

「まあ、いいや一緒に帰ろう!」

 

「意味がない」

 

 このレクストリア尖鋭学園は全寮制である。教室から出て五分もあれば自室につく。

 

「ええー! やだぁー! 一緒に帰る!」

 

「めちゃダダこねるじゃん」

 

「そうだよ。一緒に帰ってあげようよ!」

 

「誰だよお前は」

 

 ピノリアとの会話を割って入ってくる女学生がいた。さきほど地獄坂を囲っていたその他大勢の一人だった。

 

「私は旻(あきぞら)うつり。よろしくね!」

 

「よろしくしない。はよ取り巻きのモブに戻れ。ついでにそこの犬っこも連れていけ」

 

「そんなきっぱり拒絶されるとは思わなかったかなーって」

 

「いろは、ずっとこんな感じ!」

 

 ウツリとピノリアが顔を合わせる。

 

 イロハはこの学園で余り密に人間関係をつくる気はなかった。

 

 なぜなら、レクストリア尖鋭学園は能力者専門の学舎であり、そして能力者はほぼ人格破綻者であるとイロハは考えているからだ。

 

 そしてイロハは人格破綻者ではない。つまり、能力者ではない。無力な一般人なのである。

 

 わざわざトラブルの種を自分で撒くことはしないのだ。

 

 しかし、「あなた達能力者は人格破綻者ですよね? だから仲良くする気はないの」なんてこの学園で言ってしまえばそれこそトラブルになるのは分かりきっていた。

 

 だから、こう言う。

 

「甘えを捨てて己を高めるためだ」

 

「イロハかっこいい!」

 

「私と友達になりたかったら、格を上げてここまで上ってこいよ」

 

「ピノリアがんばる!」

 

「無駄だ。世界最強は私だ」

 

「世界裁許王!」

 

 ――ちなみに黒黒黒イロハはコミュニケーションがさほど得意ではない。そして、ちょっぴり調子乗りであった。

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