『ヒナ、いつもありがとう』
三年前からよく聞くようになったその言葉に、私はどれだけ救われただろう
あの日、あの時、私の全てが始まった。イフが私を見つけてくれた。だから今の私が居る。イフがいたから、今こうして私はここにいる
ゲヘナにやって来たトリニティ生。ゲヘナとトリニティは犬猿の仲だ、風紀委員として対処しない訳にはいかなかった
『ちょ、やめ、仲良くしたいだけなんだって!お願い!』
銃弾が一発も当たらない事に疑念を抱きつつも、そうやって来る度に私は彼を追い返した。でも、彼は毎日やってきた。何度追い返しても、次の日にはまた来る。しつこい人だと思ったけど、同時に不思議でもあった
毎日、当たらないとはいえ銃弾を浴びせられて、それでも尚やってくる。一体どんな精神構造をしているのだろうと
そして、ある時庇われた
『危ない!』
私を狙った不良生徒の銃撃。イフはそれを庇った。私より脆いイフの体で、何度も傷つきながらも、それでもイフはその身を挺して私を守った
私は、何もできなかった。イフが撃たれて、血まみれになりながら不良生徒を倒していく姿をただ見ている事しか出来なかった
『怪我はない?』
傷だらけなのに、そう言って笑うイフを見て、私はわからなくなった。ゲヘナ生とトリニティ生。あまつさえ私は彼を撃った
それなのに、イフは私を助けた。その理由が知りたくて、もっと彼の事が知りたくて──医療部に運ばれた彼に会って、話をした
まともに話したのはそれが初めてだったけど、何故か彼とはすぐに打ち解けられた
『ヒナは何で風紀委員やってるの?』
決まっている。やらなければいけない事だと、そう思っているからだ
『──ヒナは凄いね』
何で、と聞いたのを覚えている。すると、彼はこう答えた
『やらなきゃいけない事をやるって、凄い事だよ。だって、めんどくさそうにしてるのにちゃんとしてるじゃん。偉いなぁって思うよ』
褒められるのは慣れていなかった。そんな事、初めてだったから
それから、少しづつ会う時間が増えていった。私が風紀委員長になって、イフがティーパーティーになっても、それは変わらなかった
『いつも頑張ってくれてありがとう、ヒナ』
その言葉に支えられて、私はやりたくもない風紀委員長を続けた。めんどくさいけど、イフに褒めて貰えるならそれでいいと思って、頑張った
でも──心の奥で、ずっと消えてくれなかった想いがあった。恐怖だ。初めてまともに話したあの日、傷だらけのイフの姿が今でも脳裏に焼き付いている
イフと会って話す度、その姿を思い出して怖くなった。イフが居なくなったら──私はきっと生きていけない
でも、怖いけど──イフは強いから、私にできる事は殆どなかった。ただ、会う度に話してイフの事を知っていくだけ
『夢?大人になる事だよ』
意味も、動機もよくわからなかった。大人になって皆を救う、それがイフの夢。でもきっと、イフが追っている夢なら素晴らしいものだ。そう思った。イフは素敵だから、素敵な大人になれる。その時は、本気でそう思っていた
『初めて会った時のあれも、その一環?』
『あー……一環ではあるのかもしれないけど、何というか…仲良くしたいのは本当というか…憎み合って欲しくないというか』
何だか、疲れているように見えた
無くならない問題に、変わらない現実に、彼は悩んでいるようだった。何だかそれが、たまらなく嫌になった
このままじゃ、潰れてしまうんじゃないか──そんな事を思いつつも、私はイフに頼る事をやめられなかった。麻薬のようなものだったのだ。眩しい、大人のようなイフに甘えていたかった
『…………もう、嫌だ』
報いを受けたんだ、と思った。潰れてしまいそうな彼に、そんな筈がないと目を背けて甘え続けた罰が当たったんだ
それでも──この期に及んでも、私の頭にあったのは、また褒めてもらえるのだろうか、何て欲望に満ちた考えだけだった
助けなきゃいけない。イフが私にそうしたように
───また、褒めてもらえるように
『私と一緒に、どこか遠くに行かない?』
だから、あんな事を言った
全てを投げ出してどこかへいけば、イフは楽になる。そう思って、私はイフの手を取ろうとした。あの時のように、傷だらけのイフの手を
初めて話した時と、今。イフは二回も傷ついた。もう二度と、傷つけさせない。例えどんな手段を取ろうとも、イフを救わなければ
だから、私がイフを守る。絶対に、守ってみせる そう、誓ったのに───
『──待って!』
走り去っていくイフの手を、握る事ができなかった
──────────────────
「──何が…?」
まず目の前に広がったのは、瓦礫の山と化した調印式の会場だった。襲撃を受けた。間違いなくエデン条約の締結を阻止しようとする勢力の襲撃。相手のターゲットは──恐らく、先生?
「ッ、イフ!」
イフの体は脆いのに、この爆発と瓦礫に巻き込まれでもしたら──!
必死で辺りを探し回る。名前を叫びながら、当てもなく彷徨った
「イフ!」
やがて、見つけた。瓦礫の下敷きになっているイフの姿を
「イフ!大丈夫!?」
出血が酷いが、まだ体が温かい。必ず助かる。だから今は急いでここから逃げなければ
「っ───!」
イフの頭を掴んで、思い切り引っ張って───
───ぶちっ、という、気の抜けた音が響いた
「─────え?」
呆然と、自分の手を見る。そこには、血まみれのイフの頭部が乗っていた
「……あ、れ……?」
こうして見てみて、やっと気づいた。顔の左半分が、口元だけを残して無くなっている。残った右目には、光がなかった
これは、誰だろう。イフのはずなのに、どうして、こんなにも血まみれで、動かないの? 違う。これ、イフじゃない
だって、ほら。首から下が無い。そんなのおかしい。褒めてもくれないし、イフの体が脆いとはいえ、引っ張って取れる訳がない。そうだ。だって、だって──────さっきまで、動いてたのに
頭が、真っ白になった。何かを考える事すらできない。まるで脳が考える事を拒否しているかのように、思考が完全停止した。なのに涙だけは止まらない
悲しくて、辛くて、苦しくて、胸の中がぐちゃぐちゃになって──何も、できなくなった
「─────」
少女が一人、想い人の頭を抱えて座り込んでいただけだった
ふぅ……(愉悦)