「……さて」
トリニティ校舎の一室に集まった、四人の女性
蒼森ミネ、歌住サクラコ、桐藤ナギサ、先生。アリウスによるエデン条約調印式襲撃事件についての話し合いをしていた
「話さなければなりません。……尾噛イフについて」
「あの傷は致命傷です。いくらヘイローがあろうと、生きてはいられない筈。ましてや体の脆い彼ならば尚更……」
「……傷口から黒い触手を伸ばしたイフさんを見た、という報告が相次いでいます。真っ当な人間かどうか怪しい以上、退学させるべきという声も大きくなってきています」
「待って下さい!イフさんは……!」
「ナギサ、落ち着いて」
ミネも、サクラコも表面上冷静だ。だが、二人共内心穏やかではない。イフは顔が広い。故に、尾噛イフが意識不明のこの状況は、キヴォトス中に影響を与えている
「……ですから、ナギサ様に尋ねたいのです。イフ様の事について、この中で一番詳しい貴女に」
「あの黒い触手については、私も知りません。ウイさんに頼んでも、そのような物の情報は見つかりませんでした」
「……イフさんが起きても、彼をこの場所に呼ばないでください」
「それは──何故ですか?」
「……もう、充分だからです」
声を少しだけ震わせて、言う。
「彼はもう、充分すぎる程に苦しんだ。こんな泥試合は、私達だけで終わらせなくてはいけません」
ナギサと先生の脳裏に浮かんだのは、同じ瞬間の事
『は、ははっ……』
全てを諦めたような表情で、頭にハンドガンを突きつけたイフの姿
「……退学になんてさせません。救護騎士団も、シスターフッドも、正義実現委員会も、イフさんに助けられてきた筈です。例えイフさんが人間じゃなくても、私は───!」
その時、扉が開いた
「イフ様が──目を覚ましました!」
──────────────────
「っ………!」
首元に突き立てられたナイフは──間一髪、トキによって止められた。重傷のせいか、あまり力は出ていないように感じる
「はぁっ──!」
なんとかナイフを奪い取り、距離を取った。トキの息は荒い。ナイフを奪ったから、じゃない
「………」
尾噛イフの目が、見た事もない程ドス黒く染まっていたから
「イフ、今何しようとしたの」
「流石に、見過ごせないよ」
「………」
言葉を発する事はない。ドス黒い目で三人を見つめている
「……ナイフ返して」
「っ…できません」
「返して」
「嫌です!」
「……寄越せ」
一度も聞いた事のなかった、冷たい声色。 思わず身じろぎしてしまう程の威圧感を纏った声
「イフ、様……わ、私は…」
「トキちゃん、駄目!」
イフの元に歩き出したトキを、ホシノが必死に制す。困惑だけが、三人を支配する
目の前にいるのは──本当に、尾噛イフなのか?
「イフさん!」
「イフ!」
扉が開き、ナギサと先生が駆け込んでくる。イフが二人を見た瞬間、張り詰めていた空気は離散した
「……それ、ヘイローを壊すナイフなんだ」
「え……」
「危ないから、返して。机に置くから」
「……私が置きます」
イフの手が届かない机の上に、ナイフが置かれる。イフはそれを一瞥した後、小さく溜息を吐いた
「……色々、話す事があるよな」
「やっぱりアリウスの仕業だったんだ。ま、普通に考えたらそうだよね」
皆から聞いた襲撃事件の顛末。調印式を狙ったアリウスの犯行だと判明した
色々とあったみたいだが、結果的に負傷者多数、重傷者一人で済んだらしい。不幸中の幸いと言うべきか
「……正直記憶がちょっと曖昧でさ、ミサイルに突っ込んだ所までは覚えてるんだけど、そっからの記憶が無いんだよ。何でそんな事したのかも覚えてないし」
「……それで、その。あれは何なの?」
「あれ?あぁ……」
ここまで体が損傷していれば、触手が体外へ出ている筈だ
……見られた、か
「……昔、アリウスにいた時にちょっと体をいじられてさ、人間じゃないんだよ、俺」
「───え」
「あ、そうだ。やけに強い四人組いなかった?アリウススクワッドって言うんだけど、あいつらを鍛えたの俺なんだよ」
「アリウススクワッド…?錠前サオリの事も知っているのですか?」
「知ってるも何も───」
「家族みたいなものだよ」
その言葉を発した瞬間、彼女達の内三人……メイド服の少女、角の生えた少女、桃色の髪の少女が目を見開いた
驚愕の一色に染まった表情のまま、俺を見る
「……どうしたの?」
「……わたし、は」
「私達は、アリウススクワッドを殺そうとした」
桃色の髪の少女が放った一言に、俺の思考は一瞬止まった
「……イフがバラバラにされて、憎くて──それで」
「出てってくれ」
言いたいのは、そんな言葉じゃない筈だ。情報共有の面でも、三人とは話す事がまだある
分かっていても、俺は今、まともに三人を見れる気がしなかった
「……行こう」
「うん」
「はい」
「……わかりました」
「先生は残ってくれ、話したい事がまだある」
先生を残して、四人は部屋を後にする。残ったのは、先生と俺だけだ
「……先生。俺の怪我なんだけど、どうなってたんだ?」
「私が見たのは……左腕と右足が千切れて、首も千切れて、頭は半分抉れて無くなってた」
「そっか。ありがとね、先生。こんな事あいつらには聞けないからさ」
「容体はどう?」
「左手がうまく動かないし、左目もよく見えない。それはいいからさ、伝言役を頼まれてくれる?俺について、言わなきゃいけない事が沢山あるから」
「……わかった」
まず伝えたのは、俺の特性──触手とウロボロスについて
恐らく、ユスティナを停止させたのはウロボロスが持つ破壊と創造の力だろう。意識的にはできないが、そういう事もできるらしい
「あんな事言っちゃったけど、嫌いになったわけじゃないからさ」
「……イフは、これからどうするの?」
「……はぁ?」
「───今、何て言った?」
上手く動かない体を動かして、先生の胸ぐらを掴む。体が痛むが、そんな事はどうだって良い
「俺に、これ以上何しろってんだよ。大事な人を殺し合わせて、守りたいもの傷つけて!大人すらあんたに奪われて!俺にこれ以上何しろってんだよ、なぁ!?」
「イフ、落ち着い──」
「うるさい奴だな本当に!もういいからほっといてくれよ俺みたいなどうしようもない奴の事なんて!」
「……ごめん」
「───ぁ」
先生から手を離す。今、何をした?
……頭がおかしくなってる。冷静じゃない。何やってんだ、俺は
「ごめ、んなさい……」
「大丈夫だから」
頭を撫でられる。優しく、何度も
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「大丈夫だよ」
泣きながら謝罪の言葉を繰り返す
先生は俺が目指した大人の完成系で、憧れていて、でもそれが苦しくて
先生には、嫌われたくない
「嫌わないで…ごめんなさい」
「嫌わないよ」
涙でぐしゃぐしゃの顔を、なんとか上げて先生の目を見る。先生はいつも通りの優しい目で、俺を見ていた
理不尽に激情を向けられて、怒りの一つでも見せていい筈なのに
「やだ、いやだよ……」
「大丈夫。イフの事を嫌ったりしないよ」
「駄目……優しくしないで……お願いします……」
嗚咽混じりの声が、喉から絞り出される。嫌うどころか、受け入れようとしてくれているのに
「駄目なんです……俺、先生に酷いこと……いっぱい、しました……それなのに……なんで……どうして……?」
取り繕った仮面が、剥がれて落ちる。醜悪な素顔が、晒される
「俺みたいなのが、先生に優しくしてもらう資格なんか無い……!」
「……」
「……っ」
先生が、抱き締めてくれた。強く、強く
「……違う、こんな事言いたいんじゃなくて、もう大人なんてどうでもいいから、何でもするから、俺を嫌わないで下さい……」
「イフ……」
背中に回された腕の力が、少しだけ強くなる。俺はそれに甘えて、先生の胸に顔を埋めた
泣き疲れて眠るまで、ずっとそうしていた
──────────────────
「イフさんは……」
「今は寝てるよ」
あの後、病室を出てすぐにナギサに会った。イフに激情を向けられるのはこれで二回目だけど、その後の反応を含め、今回は前回より遥かに酷かったように感じる
「様子はどうでしたか?」
「……あんまり良くないと思う。大人の夢も…私が壊しちゃったし」
あれで、良かったのだろうか
私には、イフを壊した責任がある。例え意図的じゃない、相性が悪かっただけだとしても、私は私を許す事ができない
「……壊しちゃった、ですか」
「……?」
私の言葉を反覆した声は、何かを期待するような響きがあった。思わず彼女の方を見ると、ナギサはその表情に微笑みを浮かべていた
「先生、私の推測ですが、イフさんはまだ折れてはいません」
「え?」
まだ、折れていない?
病室で見たあれは、間違いなく心が折れ、全てを諦めた姿だった
「言い方が悪かったですね。イフさんはきっと──どうなっても、諦められないんです。そうじゃなきゃ、ミサイルを止めた理由の説明がつきません」
「諦め、られない…?」
「きっと、呪いのようなものなんです。大人……それこそが彼だったから、表面上どう見えても、心の奥底では諦められない──諦めちゃ駄目なんです」
もし──そうだとしたら
「ですから、イフさんは必ず戻ってきます」
「……そうだね。ありがとう、ナギサ」
きっと、さっきのとはまた違った方法で、イフに接する必要がある
尾噛イフに必要なのは──本当に優しさなのか?
考えなければならない。イフが、もう一度立ち上がれるように
この男、情緒不安定すぎる