「イフ、セイアが目を覚ましたんだって」
「……セイアが、ですか?」
百合園セイア。アズサによって長い間意識不明の重体にされていた彼女。今はもう回復しているらしい
「お見舞い、行ってみる?」
「……いえ、いいです」
きっと、もうあそこへは戻れない。化け物である事が露見した以上、俺はあそこに居るだけで邪魔になる。ナギサ達は庇うだろうが、それも彼女達の地位を悪くするだけだ
……本当に退学してやろうかな
「……ただ、ちょっと心配ですね。セイアの奴、ちょっと言葉足らずな所があるので。それでミ──よく、揉める事があったので」
「よく見てるんだね」
「……まぁ、真似事、というか」
大人の真似事だ。俺は大人になりたかった。先生のように、誰かを救えるような強い人間に
もう、それはどうでもいいんだけど
「私、お見舞いに行ってこようかな」
「駄目です」
向かう先がアビドスでも、ミレニアムでも、ゲヘナでも、例えキヴォトスの外であろうとどこでもいい。俺はそれについていくまでだ
でも、トリニティだけは駄目だ。俺がついて行ったら先生の立場まで危うくなる可能性がある為、俺はそこに行けない。ヘイローを持たない先生が一人でキヴォトスを歩くのは危険、誰かの護衛が必要だ
頼めるのはアズサか、正義実現委員会あたり。でもその間、俺は先生から離れる事になる。それは絶対に嫌だ
「危ないですよ、トリニティは。俺もついて行けませんし。そもそも出歩く事すら危ないんですから」
「そっか……」
しゅんとした表情で俯く先生。少しだけ罪悪感を覚える
「ナギサに頼んでセイアをここに呼びましょうか?」
「病み上がりでしょ?わざわざ来てもらうのも悪いよ」
「……先生、俺も病み上がりなんです」
「ふふ、はいはい」
頭を撫でられる。それが心地良くて、ずっとこうしていられたらと願ってしまう
「……ところで先生。そのテープ、以前切らしていた筈ですよね?」
「え?あー、うん」
「誰が補充したんですか?」
無くなったものを買いに行く。当然の行為だ。だが、先生の身の回りのものとなると話は別だ。先生に何かあれば一大事。毒は無いか、爆弾が仕込まれていないか、徹底的に調べる必要があった
「……その、自分で」
「……先生」
苛立ちを含んだ声が漏れる。先生が怯えたように肩を震わせた。本当に、この人は自分の価値を理解してなさすぎる
「何度も言った筈です、そういう事は俺に頼んでください。先生に何かあったらどうするつもりなんですか」
「いや、すぐそこだったし……」
「そういう問題ではないんですよ」
「いや、でも……」
言い訳を繰り返す先生に、苛立ちが募っていくのを感じる。理解して欲しいのは単純な事。自分は弱くて、外は危ないから俺を頼ってくれと、それだけなのに
「俺じゃ頼りになりませんか?」
「そんなこと──」
「なら、どうして?」
「……」
黙り込んでしまった。やはり、まだ信用されていないのか。それとも、単に面倒な生徒だと嫌われてしまったか
……当たり前か。俺が初対面の時に先生にしたことを考えれば、好かれる要素なんて無いだろうし
そもそも、こうして俺が側にいる状況自体、先生にとっては怖いのかもしれない
「イフを都合良く使うような真似はしたくないんだ」
「……俺の事なんてどうでもいいでしょう。自分の事を一番に考えてください」
「生徒の事が一番だよ」
「……先生」
椅子に座っている先生の肩を掴み──そのまま床に叩きつけるような勢いで押し倒す。両手首を掴んで頭の上で押さえつけた
「逃げられませんよね?そうです、貴方じゃどうやったってキヴォトスの生徒には勝てない。敵意を向けられた時点で誰かが側に居なきゃ終わりなんですよ」
「っ……!」
「自分の事を一番に考えて、あらゆる危険を排除してください。俺には、もう貴方しかいないんです」
先生の瞳が揺れている。恐怖か、不安か。何にせよ、これを見たのは多分俺一人だけだろう
……いい、気分だ
「俺、強さには自信あるんですよ。何が相手でも、絶対に先生を守れるくらいには」
「…………」
「だから、安心して下さい」
拘束を解く。ゆっくりと起き上がった先生は、いつもの優しい笑顔を浮かべていた
「……わかった。ごめんね、イフ」
「……いえ、こちらこそ失礼しました。突然あんな…怖かったですよね」
「ううん、大丈夫。ちょっとびっくりしたけど」
「すみません」
「いいんだよ。それよりさっきの話だけど……やっぱりセイアのお見舞い、行ってきていいかな?」
「……仕方ないですね、俺も行きます。顔は隠しますから、先生の立場が悪くなる事はないと思いますよ」
「ありがとう」
……びっくりしたのは、俺も同じだ
あんなに簡単に、先生を抑え込めるとは思わなかった。あんなに強くて、憧れの先生が──あんなに弱いとは
事実としては分かっていた。現実としてそれを理解した。またああやって抑え込めば、先生に何でもできる。先生に、何でも
強くて、美しい、大好きなあの人を、無理矢理にでも犯す事だってできる。俺は、あの人を──
「……違うだろ、それは」
俺は、ただあの人を守りたいだけだ
──────────────────
「部屋の前で待ってますから、何かあれば俺を呼んでください」
「うん、分かった」
先生が病室に入っていく。それを見送った後、俺は壁に寄りかかって目を閉じた
「……」
眠気はすぐに訪れた。最近寝不足だったせいもあるのだろう。このまま眠りについてしまいたかったが、それはできない。先生を守らなければ
「貴方は?」
「ぁ…?ナギサか、俺だよ、尾噛イフ」
通りがかったナギサに鉢合わせる。顔を隠している為か、少し怪しまれたようだったが、すぐに納得してくれたようだ
「何をしているんですか?」
「見ての通りだ。先生を待ってる」
「セイアさんの病室……イフさんは行かなくてもよろしいのですか?」
「……いいの。ちょっと今は会いたくない」
セイアの予知夢。そこに何が映るのか、正直俺もよく知らない。でも、もしそれに──俺の邪な感情が映っていて、俺の前でそれを先生に伝えたなら
俺は何をするか、わからない
「イフさん、その…」
「ん?」
「大丈夫、ですか?」
「……大丈夫に見えるか?」
「……いえ」
「なら、それでいいよ」
会話が途切れる。気まずい沈黙の中、先に口を開いたのはナギサの方だった
「……私達は、どうすればいいんでしょう」
「どうするもこうするもないだろ。調印式の襲撃は終わったんだし、後はなるようになれだ。先生が全部どうにかしてくれる」
「……イフさんは、それで良いのですか?」
「何が言いたい?」
「貴方は、まだ諦めていない筈です。大人になる事を」
「……はぁ?」
先生がいる以上、俺がそうある必要は無くなった。だから、もうそんな夢を追うのは辞めるべきだ
事実、俺はすっぱり諦めてる
「俺が大人である必要はもう無いんだよ。先生が居るからな」
「本当に、そうでしょうか」
「どういう意味だよ」
「私は信じています。貴方は、まだ諦めていない」
「買い被りすぎだ。俺なんか、所詮は──」
「そんなことありません。貴方は強い。少なくとも、私達の中では一番」
「そりゃあお前らと比べたらそうだろ。でも俺と先生じゃレベルが違う。先生は俺よりずっと──」
「違いません。確かに、今のイフさんは子供のまま──いや、もしかするとそれすら……」
訳がわからない。何でこの状況で俺に構う?ナギサだって忙しい筈、俺みたいなのに使ってる時間なんか一秒だってないのに
「イフさん、どうか自分を見失わないで下さい。貴方は、絶対に諦めてない」
「……うるさい」
「っ……!」
「お前に何が分かる。俺の何を知ってるんだ。知ったような口を利くな」
「……」
「……悪い、八つ当たりだな」
病室の扉が開く。出てきた先生は心配そうな顔でこちらを見ていた
「先生、お帰りなさい」
「……イフ」
「どうかされましたか?」
「…その、ごめん」
「……?」
分からない、何の謝罪だろうか。謝られるような事はされていないはずだけど
「先生、そろそろ戻りましょう。あまり遅くなるのはまずいかと」
「あ、うん…そうだね。セイアとは会わなくても大丈夫?」
「いいです。早く行きましょう。ナギサもまたね」
「はい、また」
先生の手を引いて歩く。後ろから聞こえる足音は、何故か先程よりも重く感じた
「セイアと何を話したんですか?」
「えっと……その、色々かな」
「……そうですか」
言えない内容なのか。まぁ、大方予想通りだ。あの場に居なくて正解だったかもしれない
まぁ、何を話していようとどうでもいい。先生はきっと俺を見捨てないし、この関係が壊れないなら何があろうと構わない
「先生の手、小さいですね」
「そう……かな?」
「ええ───」
「力を込めたら、折れちゃいそうなくらい」
──────────────────
「簡潔に言おう、先生。今のイフに関わるのはやめた方がいい」
セイアに会って、開口一番に言われた言葉はそれだった。尾噛イフにもう関わるな。そういう忠告だ
「それはどうして?」
「気付いていない訳じゃないだろう、先生。イフが先生に向けている感情の正体に」
「……うん」
「イフのそれは恋心なんて生易しいものじゃない。あれは、もっと別の──」
「でも、それでも私は……」
「先生」
セイアが真っ直ぐ私を見る。真剣な表情。でも、それはどこか悲しそうにも見えた
「イフは、目的がはっきりした時に無類の強さを発揮する。小鳥遊ホシノや天童アリスを救い出した時がまさにそれだ。もっとも、目的が無くともイフは強いが」
「うん」
「ミサイルの負傷さえ無ければ、キヴォトス中が束になってもイフには敵わないだろう」
「……そんなに?」
確かに、イフは強い。初めて会ったあの日から分かっていた事だ。でも、まさかそこまでとは思わなかった
「ミサイルによる負傷を経て尚、その力は健在だ。もしイフが先生に何かした時、止めるのは至難の業だ」
「……」
「先生にも、欲しい物があるだろう?イフにとってのそれは先生だ。今はまだ大丈夫かもしれないが、このまま放っておけば、イフは先生を自分の物にしようと動く」
心当たりはある。今朝、押し倒されたあの時の目。いつもの優しい彼とは違う、ギラついた獣のような瞳を思い出す
「先生、不可能な事はあるんだ。言ってしまえばイフは──大人を目指したその時から、詰んでしまっているんだ」
「……」
「大人と呼ぶにはあまりに子供で、子供と呼ぶには大人過ぎる。中途半端な存在だ。イフという人間は」
「……」
「だから、先生。イフから離れてくれ。私やナギサ達で対処しよう。元通りとはいかないだろうが、悪いようにはならないよう努力する」
大人と呼ぶにはあまりに子供で、子供と呼ぶには大人過ぎる。それが尾噛イフという人間
激情をぶつける所も、それを飲み込んで、理性的に接する所も見た。皆と同じ生徒だと、ずっと思っていた。大人の夢も、強迫観念のような物だと、そう思っていた
その願いに耳を傾けて、私は───
「……私は、イフの事を信じるよ」
病室を出て、イフに手を握られて歩く。私の手を握る彼の手が震えているのは何故だろうか
「先生の手、小さいですね」
「そう……かな?」
「ええ──」
「力を込めたら、折れちゃいそうなくらい」
ゾクリ、と背筋に悪寒が走る。子供が出せる雰囲気じゃない。触れて、話して、ようやく現実として理解した
とっくに、ただ子供と呼べるような存在ではない事に
……なら、それ相応の接し方をしなければならない
大人同士の、それを
──────────────────
「──イフ、話したい事があるんだ」
「どうされました?」
シャーレに戻り、仕事を片付けてはや深夜。互いに無言で作業をする中、先生が唐突に口を開いた
何を言われるのだろう、と内心緊張しながら彼女の言葉を待った
「アリウスの皆、放っておいていいの?」
「……は?」
一瞬、自分の耳を疑った。それはもう諦めた事で、俺には無理だと、俺自信が理解した筈だ
「……勘弁してくださいよ。ちょっと疲れてます?」
「ううん、疲れてないよ。私はアリウスにいた事がないからわからないけど、イフにはわかるでしょ?きっと大変な事が起きてる」
「……何が言いたいんですか?」
「助けに行かなくていいの?」
「ッ───!」
発砲音が響く。気付けば俺の手にはハンドガンが握られていて、銃口からは硝煙が立ち上っていた
「次は当てます」
「アリウスの皆を助けたくて、イフは大人を目指したんじゃないの?」
「……うるさい」
「はっきり言うよ。それを諦めたら、イフには何が残るの?」
「黙れ!」
一瞬で距離を詰め、朝よりも強い勢いで床に叩きつける。痛みに顔を歪める先生に馬乗りになり、その顔に手を添えた
「……何が残る、ですか。先生が残ります。こうやって無理矢理抑えれば、先生はもう抵抗できない。敵意を向けられた時点で誰も側にいない今、貴方は終わりです。俺だけの、先生に───」
「ならないよ。何をしても無駄」
「……っ、何ですかその目は」
訳がわからない。圧倒的に有利な体勢で、生殺与奪を俺が握っているこの状況で、どうしてこんな──何かを期待するような目をする?
「……状況、わかってるんですか?俺は今、先生をどうにでもできる。その首を折ることも、眉間を撃ち抜く事も、文字通り滅茶苦茶にしてやる事も」
「うん、分かってる」
「だったらどうして───」
「私はイフを信じてる」
真っ直ぐな瞳。そこには恐怖なんて微塵もなく、ただ真っ直ぐに俺を見つめていた
「イフはまだ、諦めてないんでしょ?」
「……諦めましたよ。貴方が居るから、もう俺は必要ない」
「じゃあ、何でミサイルから皆を庇ったの?あんなに弱りきった状態のイフが、何であんなに動けたの?」
「知りませんよ。あの辺の記憶は曖昧なんですから」
「記憶が無くても、事実は消えないよ。イフはまだ大人を諦めてない。それだけは何があっても変わらない」
「……諦めたって、言ってるでしょう」
真っ直ぐな瞳。強い意志を感じる言葉。その全てが、本当に煩わしく感じてしまう
「…………本当に、訳の分からない」
「いつまでそうやって逃げるつもり?もう、自分でも分かってるんじゃないの?」
「もう辛いから諦めたって何度も何度も言ったでしょう!?……貴方は、生徒に辛い事を強要するんですか?」
「……別に、逃げる事は悪い事じゃないと思うよ」
「だったら──」
「でもね、イフは別。イフは逃げちゃダメなんだよ」
「っ、このっ───!」
先生のシャツの胸元を掴み、ボタンを引きちぎる。胸元がはだけ、大きな膨らみと下着が顔を覗かせた
「滅茶苦茶にしてやる。生徒の為なら何でもするんでしょう?俺の為に、ちょっと大人しくしててくださいよ」
「……子供のやった事の責任は、大人が負うべき。私はそう思ってるけど──」
「イフのやった事の責任は取らないよ」
「────」
頭を殴られたかのような衝撃。心臓はこれまでにない程強く脈打ち、過呼吸のラインを軽く飛び越える程呼吸が荒くなる
視界が滲んで、先生の顔が上手く見れない
「なん、で、そんなこというんですか?」
「イフの事、ずっと子供だと思ってたけど、違った。イフはもう、自分のやった事の責任は自分で取れる筈だよ」
「無理、無理ですよそんなの。俺、まだ子供です。俺──俺、ただ先生と一緒に居たかっただけで……あ、いや、酷い事、いっぱいして、それでも一緒にいたくて……」
「うん」
「でも、結局迷惑かけて、傷つけて、だから、離れないと、先生から離れないといけないのに、なのに───」
ボロボロと涙が流れ落ちる。子供みたいに泣き喚く自分が情けなくて、先生に嫌われたく無くて
こんな自分が、大人になんてなれる訳ない
「っ……イフ」
「なん、ですか?」
「……落ち着いて、聞いてね」
意を決したような、葛藤するような、願うような、複雑な表情を浮かべて、先生は言った
「───イフは、もう私の生徒じゃない」
確実に、俺の中で何かが壊れる音がした
その言葉に、その目に嘘は無い。紛れもない本心だ
「────ぁ」
後ずさるように、先生の上を退く。先生は立ちあがって俺を見つめる。その目が、耐えられなくなって──
「─────!」
声にならない叫びを上げた後、シャーレから逃げ出した
──────────────────
真夜中の街を、おぼつかない足取りで歩く
目的は単純、死ぬ為だ
「ガソリンは…この量で充分」
ウロボロスと触手の相乗効果で、俺についた傷はすぐに塞がる。では何故、ミサイルの負傷が今も尚響いているのか
単純に、損傷過多だからだ
腕と足を欠損、頭は抉れて千切れ、ミサイルの爆炎で体内はボロボロ。以前ミ……頭を潰された時はすぐに治ったが、このレベルの負傷をしている今、回復にはかなり時間がかかる
ヘイローを壊す技術で俺は死なない。肉体の欠損は大きく力を消耗する。服の中に持てるような僅かな量のガソリンの爆発でも、まともに喰らえば今の俺は充分死ねる筈だ
「───」
空には星が瞬き、月明かりが照らす中、ライターで火をつける。これで俺は終わる。ようやく楽になれる
「─────イフッ!!」
「っ!?」
背後からの声に振り向き──驚愕した
「……サオリ?」
アリウススクワッドの一員、錠前サオリ。彼女がそこに立っていた。息を荒げ、俺を見つめている
「……アツコが、連れ去られた」
たった一言の、その言葉
俺の心に響くには、充分な威力だった
ちなみにここで突き放さないと第三BADエンド
サオリ以外に会うと共依存ルート
誰とも会わないとイフ君自殺エンドです