「……朝か」
聞き慣れたアラームの音で目を覚ます。今日は休みだし、もう少し寝ていられるが、それはあんまり体に良くない
不調の体を動かし、ベッドから起き上がる。着替え……は後回し。先に朝ごはんを食べよう。どうせもうできてるだろうし
部屋の扉を開けてリビングに入り、ここ数日で何度も見た光景が視界に入る
「おはようございます。朝食は既に出来ていますよ」
「いつもありがとう、トキ」
「言ったでしょう。今度は私が報いる番だと。コーヒーです、砂糖多めでしたよね」
こちらを振り向いてコーヒーを渡してきたトキに、笑みを浮かべてそれを受け取る。病室を出たあの日以来、こうして俺の家に住み込みで手伝いをしてくれている。本当によくできた子である
「いただきます」
「はい、召し上がってください」
手を合わせてから箸を取り、味噌汁を口に含む。美味しい。毎日食べても飽きない味である。俺も料理は上手い自信があったが、こうもあっさり抜かされるとは思わなかった。店を開いてもハルナに爆破されずに済むだろう
「んー、美味し」
「そうであれば嬉しいです」
「ほんとほんと、きっといいお嫁さんに……って、ごめん。今の無し」
「………そうですか」
危ない危ない。俺とトキの関係は変わった。生徒と生徒ではなく、生徒と先生になったのだ。迂闊な発言は控えねばならない
「今日はなんか予定あるっけ」
「一日何もありませんよ。何かしたい事はありますか?」
「……特に無いなぁ」
「であれば、して欲しい事などは?」
「んー……こうやって手伝ってくれるだけで充分かな…」
「そう、ですか……」
「……ま、それなら二人でゆっくりしよっか」
話しているうちに朝食を食べ終え、空の食器を持っていこうとするのを止められる。毎日これだ。座っていろと言われ、ちょっとでも反論しようとすると圧が飛んでくる。実際怪我人なので大人しく従っておく
「いやー、いつも悪いね」
「お気になさらず。少なくとも怪我が治るまでは私を好きに使っていただいて構いませんので。普段も好きにしていただいても構わないのですが……」
「学生はもっと友達と遊びな」
「……遊ぶ、ですか」
遊ぶ、という単語に反応したトキは、何か考え込むような素振りを見せた
「イフ様にも、そういう時期はあったのでしょうか」
「そりゃああるとも。ご飯食べに行ったり、ゲームしたり………水族館行ったりとか、ね」
当然、大人を目指して奔走していた時間の方が多かったが、どれもかけがえのないいい思い出だ
……特に、水族館は
「だから……げほっ、トキもそういう事しなきゃ駄目だよ」
「……イフ様、咳が」
「あー…?大丈夫大丈夫、まだセーフ…げほっ、げほっ──ごほっ」
手で口を抑え、伝わる生暖かい感触から察する。手元を見てみると──真っ赤に染まっていた
……またか
「後処理をします。こちらへ」
「……ごめんね、本当に」
「お気になさらず」
そう、これが初めてでは無い。完治していない体内の傷のせいか、あれから何度も吐血するようになった。最初は驚いたものだが、今ではすっかり慣れてしまった
「少し失礼します」
「……ん」
慣れたとはいえ、やはり気持ちの良いものでもない。それに、トキに迷惑をかけてしまっているのは事実なのだ。どうにかして早く治さねば……
「……イフ様」
「何?どうかした?」
「……いえ、何でもありません」
トキの手を借りて移動している間、彼女はやけに俺の左手を気にしているように見えた
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「いやーごめんごめん。早いとこ治さなきゃね……」
「焦ることはありませんよ。私がついています」
「……ありがと」
トキに背中をさすられながら、深呼吸をする。少し落ち着いたところで、トキがタオルで俺の口を拭った
……冷静になれ、俺は一年生の生徒に何をさせている?
「いや本当……ごめん」
「謝らないでください。私は好きでやっていますし……あの時と比べれば遥かにマシです」
「あの時は酷かったもんね……ごほ、げふっ──」
「……今日はお休みになってください。無理をして悪化されても困りますので」
「うん……そうするよ」
トキと並んで座り、彼女にもたれかかる。小さな……といっても身長は同じぐらいだが、年下の少女に寄り添う事で安心を得ている自分がいる。大人としては情け無い話だ
思えば、彼女には助けられてばかりだ。ミカの裏切りが発覚した直後、首にナイフを突き刺すのを止めてもらった時、アリウスから脱出する時、そして今
かなり迷惑をかけているというのに、文句ひとつ言わずに俺を看病してくれている。この恩をどうやって返せばいいのか、見当もつかない
「……そういえば」
こうなる前は、事あるごとにトキに撫でる事を要求されたものだ。それが今は全く無くなった。調印式の日から、一度も求められていない
……喜んでくれるだろうか
「トキ」
「どうしまし───」
反応される前に、左手を彼女の頭に乗せた
「─────ぁ」
掠れたような声が、耳に響いた。それに違和感を感じてトキの顔を見つめる
「ひ、ひだり、て、ちぎれ、て」
呼吸は大きく乱れ、瞳孔を激しく揺らし、普段あまり動かない表情をこれでもかと歪ませている
まずい、と考えて急いで手を離そうとすると、それよりも前に左手を掴まれた
「トキ!?」
「い、いや、です。イフ様、イフさまぁ…!」
瞳から涙を零しながら、掴んだ腕を引き寄せて抱きしめて来る。突然の出来事に困惑しつつも、俺もまた彼女を優しく抱き返した
「いか、ないで。どこにも、いかないで……!ひとりに、しないで……!」
「大丈夫、ここに居るよ。大丈夫だから」
「もう、もういやです。あんな……あんな───!」
背中をさすりつつ、落ち着くまでずっとそうしていた。泣き止む頃には、俺の服はびしょ濡れになっていた
「……申し訳ありません、取り乱しました。メイド失格ですね」
「そんなことないよ。原因は俺だから。ごめんね、本当に」
俺にもたれかかり、左手をずっと握って俯いている。何があったかは知らないが、あのトキがここまで取り乱すとなると、一体何があったのか
「………調印式のあの日、私はイフ様の左腕を見つけました」
「……」
調印式のあの日、皆を守るべくミサイルに突っ込んだ俺は、文字通りバラバラになったらしい。その辺の記憶は全く無いのだが、恐らくその時だろう
「……トラウマ、というやつでしょうか。私も今、初めて知りましたが」
「……そっか、ごめんね」
「謝るのは無しにしましょう。誰が悪い訳でもありません」
俺の手を握る力が強くなる。まだ顔色は優れない。相当堪えたようだ
「……少しだけ、こうしていてもらってもいいですか」
「もちろん」
俺の胸に顔を埋め、手を強く握りしめてくる。こんな時に不謹慎かもしれないが、少し可愛いと思ってしまった
「……あぁ、でも」
「どうかした?」
「いえ、不謹慎かもしれませんが……この関係は、いいものだな、と」
「関係?」
「はい。最早、ただ先生と生徒で表せる関係ではありません。イフ様の吐血を知っているのは私だけ。私のトラウマを知っているのはイフ様だけ。お互いの弱みを共有し、支え合う存在……まるで…」
「まるで?」
「……いえ、やめておきましょう」
重要な所をはぐらかされてモヤッとしたが、まあ本人が言いたくないなら別に構わないか、と思考を放棄する。とりあえず、もう二度と左手でトキの頭には触らないようにしよう
「……イフ様」
「どうしたの?」
「きっと、爪痕が消える事はないのでしょう。イフ様の傷、私のトラウマ、爪痕は私達が思ったよりも遥かに深く、大きい」
「……そうだね」
「それでも、私は貴方の傷を知る者、貴方は私の傷を知る者。であれば、何があろうとイフ様の側を離れはしません」
「ありがとう。頼りにしてるよ」
俺達の関係は、生徒と教師では無い。傷を共有し、弱さを見せられる相手だ。そして、それはこれからも変わらない
「……本当、トキがいてくれてよかった」
「私もです」
癒えない爪痕をそのままに、俺たちには明日が待っている