「イフ、イフ」
「はいはい何でしょう」
「呼んだだけ」
「アツコ……」
仕事中、アツコに声をかけられたので返事をしたらこれである。何だろう、似たようなやり取りをした覚えが……
「イフ、手を動かして」
「おおっと、すまんなミサキ」
「……別に、これが終わったら一旦休憩にしよう」
手伝ってくれている皆のおかげで、この体でも充分に仕事を回せている。ありがたいことだ
「……よし、終わり。サオリー!一旦休憩ー!ヒヨリもねー!」
「わかった」
「はい!」
机を立ち、ソファへ向かおうとすると、ミサキに手を握られる
「一人で歩くのはまだちょっと危ないと思う」
「おっとと、ありがとね。助かる」
手を引かれて、そのまま二人でソファに腰掛ける。対面にはサオリとヒヨリ。俺の両隣はミサキとアツコ。いつもの定位置だ
「……仕事って大変だね。皆、無理に手伝ってくれなくてもいいんだよ?」
「好きでやってるから遠慮しないで。皆もそうでしょ?」
「……当然」
「わ、私も…です」
「イフの役に立てているなら、それでいい」
「ありがとう。本当に嬉しいよ」
俺の感謝の言葉を聞いて、彼女は満足げな表情を浮かべた。冷蔵庫からジュース。棚からお菓子を引っ張り出し、各々好きなものを手に取る
まずは喉が渇いたからジュースを口に含み───
「ところで、この前は何してたの?」
「んっ!?」
吹き出しそうになった。どうにか堪えたが、むせて咳き込む。そんな俺の背中を、ミサキが優しくさすってくれた
「大丈夫?」
「けほっ……だ、だいじょぶ……うん……それで、何のこと?」
「……首のアレ」
「へっ──!?」
何故バレている!?首元は完璧に隠した筈だし、スクワッドの誰にも見られていない筈だ。そもそもアレの事はミカと俺と先生以外知らない筈だし、先生に関しては痕の正体を知らない筈だ
「姫、イフがどうかしたのか?」
「……どうする?黙ってて欲しい?」
小声で聞いてくる彼女に対して、俺は首を縦に振った。バレたくはない。本当に洒落にならないからだ
「いや?何にも無いよ?」
「そうか。ならいい」
上手く誤魔化してくれたアツコを横目に、右手だけを使って菓子を食べる。左手は辛うじて動かしたり、物を持てるようになるまで回復したが、未だ本調子ではない
「……イフ、左手の具合は?」
「もうちょっとで治るんじゃないかな?リハビリすれば動くようになるらしいし」
「……怪我、か。元はと言えば私達が…」
「あー、いいって。そういうの無し」
「……イフ兄さんは、恨んだりとかしてないですか?」
「しないよ。あり得ないから安心しなって」
全ては俺の選択の結果だ。たとえ傷ついたとしても、あの選択の数々があったからこそ今が有るわけで、後悔だけはしていない。ただ、少し不便なだけだ
「……一生治らない怪我もあると聞いた」
「だからいいって。気にしてない」
「私達がお前を傷つけた事は事実だ。だから──」
「私が一生掛けてお前を守ろう」
「は?」
「ん?」
両脇の圧が明らかに強くなったのを感じた
「……サオリ」
「どうした?」
「今度、言葉の授業しよっか」
──────────────────
あの後、サオリとヒヨリは外に行った先生についていき、シャーレに残ったのは俺とミサキとアツコの三人だけになった
首の痕についても何か言われる事はなく、俺は無事に仕事を………
「……ミサキさん?どうしたの服掴んで」
「……ムカつく。バレてないとでも思った?」
首元を引っ張られ、痕が露出する。一切見せてないどころか存在すら知らない筈なのに何故……
「誰?」
「……何もしないと信頼して言うけど、多分ミカ」
「……あのゴリラ女」
「ゴリラに謝れよ」
パワーは間違いなくミカの方が上だ。ゴリラには俺の頭を潰す事はできない
「……とにかく、そういうのは困る」
「何で?」
「イフが誰かとそういう関係になったら、私と死ぬ約束が果たせなくなるでしょ」
「……あぁ、そういう事」
「イフ、何話してるの?」
「何でもないよ。ちょっと昔の話」
「……首元見せながら?」
「そうそう、首元見せながら──!?」
瞬間、ちょうどあの痕の位置に感じた痛み。視線を向ければ、そこにはミサキの顔が至近距離にあって───噛まれた!?
「ミサキ!?」
「──ぷはっ。こうしとけば誰も近寄らないでしょ」
「……イフ」
アツコが怖い。目が笑ってない
「ミサキも何やってるの?」
「姫には関係ない」
「俺を挟んでバチバチするのやめない?」
「「それは嫌」」
「仲良いなお前達」
まあいい。この程度で二人が引き下がるとは思えないし、俺も別に二人を嫌いじゃない。むしろ好きだ。だが、それとこれとは話が別だ
「もう無視して仕事しちゃお」
「無視するんだ」
「仕事沢山だからさ。急がないと」
「……なら、一つだけお願い」
「何?」
「口開けて?」
……まぁ、それで仕事の手伝いに集中してくれるならいいか、と結論を出した俺は、言われた通りに口を開けた
「っ───!?」
「ほら、ちゃんと噛んで」
結果、頭を掴まれてアツコの首元に押し付けられて、そのまま噛み付くように命令された。そして、アツコは俺が離れないようにしっかり抱き締めてくる。つまり逃げられない
「んっ……んぐっ……」
「っ──!んっ……んぅっ──!」
舌に触れる彼女の肌の感触。汗の味。歯に当たる柔らかい肉の感覚。息遣い。その全てが鮮明に伝わってきて───
「……何してるの」
「おっと」
「はぁ…はぁ……た、助かった…」
ミサキが無理矢理引き剥がしてくれた。正直本当に助かった。もうちょっとで痕つけるぐらい噛んでたかもしれない
「……イフ、結構強く噛んだね」
「え?」
その言葉に困惑してアツコを見る。首元はもう隠されて、痕の確認はできない。まさか、そんなに強く……?
「……痕、ついた?」
「ふふっ、どうだろうね?」
微笑んではぐらかされ、約束通り仕事の手伝いを始めた
「くそっ、勝てねぇ……大人って大変だな…」
「……微妙にズレてる気もするけど、大変だね」
……まぁ、楽しいからいいか
──────────────────
おまけ
助けに来るのが遅れてたら?
白洲アズサの情報提供に、私がキヴォトス全域にかけた『尾噛イフが危ない』という連絡の甲斐あり、キヴォトス中の様々な組織がアリウス自治区の前に集まっていた
時間の猶予は殆どない。自治区に突入する許可が出るまで、そう時間はかからなかった
「皆ー!イフを見つけたら保護して回収地点まで移動して!そこからは救急医学部と救護騎士団の出番だよー!!」
突入前の最終確認を済ませ、今まさに突入しようとしたその時───
「……あれ」
誰かが、そう言って自治区の入り口を指差した
「イフ!」
そこにいたのは、傷だらけのミカとアリウススクワッドを連れてきた、無傷の尾噛イフだった。彼が無事だと知り、安堵のため息を吐きながら、私は彼に駆け寄る
少し考えてみれば、わかる事だったのに
「───え?」
イフの体に、砂嵐が浮かぶ
「──ご、ほっ」
瞬間、イフの体に無数の致命傷ができ、血を吐いてその場に倒れ込んだ
「イフ君!」
「イフ!早く治療を!」
叫び声が重なり、すぐに後ろに指示を送る。絶対に大丈夫だ。必ず助かる筈だ
「……ぁ、皆…もう、大丈夫か」
ミカとスクワッドを一瞥しながら、掠れた声でそう呟いた
「喋っちゃ駄目!絶対助かるから、だから───」
「……もう、無理だよ」
そこでやっと気づく。イフのヘイローはとっくにヒビだらけで、今にも砕け散ってしまいそうだ
ヘイローが割れれば、その人は死ぬ
「……先、生。俺……やっと、大人に───」
イフが伸ばした手を、必死に掴んだ瞬間───イフのヘイローは砕け散った
「───ぁ」
私の手に握られていたのは、黒焦げた一枚の大人のカードだった
「──私の、せいで」
尾噛イフは、死んだ
それは何故か?
───私が、尾噛イフをアリウスに送り込んだからに他ならない
「──私の!私のせいで!!」
いくら後悔しようと──もう、失われたものが戻る事はない
はい、助けに来るのが遅れると皆の前でヘイローパリンします