イフ君の状態は保証できないけど
白い無機質な扉を開けると、見るのは二回目のシャーレオフィスが視界に広がる。以前と違う事があるとすれば、机に突っ伏して寝ている女がいる事だ
「起きろよ先生」
「わっ!?い、イフ!?」
先生の椅子を軽く蹴る。その衝撃で目を覚ましたようで、慌てて辺りを見渡している
やがて落ち着いたようで、何かを見定めるように俺の顔を見つめた
「残念だったな、今日の当番は俺だ。せいぜい殺されないように取り繕えよ?」
「……イフ」
「……なんだよ」
「最近寝てないでしょ」
……正直に言ってしまえば、図星だ。日数は数えてないが、補習授業部が今の合宿所で寝泊まりするようになってからは一睡もしてない
そんな事よりも、何故バレた?隈はわからないようにした筈だし、態度にも出していなかったはずだ。なのに、どうして……
「……寝てるに決まってるだろ、訳の分からない事を言うな」
「嘘が下手だなぁ。何してるの?」
「だから寝てるって……」
「………」
その、全てを見透かすような目を見て、悟ってしまった。俺の誤魔化しは効かないと
「……そうだよ、一睡もしてない。あんたが持ってる補習授業部を夜通し監視してるからだ。夜中に襲撃でもあったら大変だからな」
「そっか……ありがとう、私の生徒を守ってくれて。でも寝なきゃダメだよ?」
「いつ寝るんだよ、条約が落ち着くまでは無理だ。物理的に不可能だからな。今この瞬間もあいつらの身に何かあるかもしれない」
「じゃあ、私が見とくよ。イフは寝てて」
「はぁ?」
信用していない相手の前で無防備な姿を晒すほど俺は馬鹿じゃ無い。先生だってそれくらいわかっているだろう。……だが、先生の目を見る限り、冗談や嘘ではないらしい
「寝ない。あんたがとんでもない馬鹿で、後先考えずに俺を殺す可能性が一欠片でも残ってるからな。……てか、寝てないのはあんたも同じだろ、机の上で寝るなよ」
「心配してくれてありがとう」
「誰が」
「うーん…でも困ったなぁ。イフには寝て欲しいけど、私がいると寝られない……」
「無理だよ、方法なんて───」
「あ、そうだ!」
「あるのかよ」
先生は何かを思いついたらしい。どこかに電話をかけている
「あ、もしもしヒナ?イフが──」
「はぁ!?この、寄越せ!」
「何日も寝てないから助けに来てー!」
『すぐ行く。イフ、そこから動かないで』
電話越しに聞こえる声は間違いなくヒナのもの。……165センチの身長が恨めしい
「あ、ホシノ?イフが一睡もしてなくて……」
『すぐ行く』
「お前も来るのかよ!」
「おぉ……人気だね」
「……チッ。補習授業部に何かあればあんたのせいだぞ」
「大丈夫だよ、皆強い。それに、私は信じてるから」
「……そうかよ」
──────────────────
「そっち抑えててね、風紀委員長ちゃん」
「イフ、抵抗は無駄」
「離せよ何なんだよこの組み合わせ!」
程なくしてやってきたホシノとヒナに押し倒され、ヒナは俺の腕を、ホシノは俺の胴体を掴んで身動きが取れなくなる
力が弱い訳ではないが、二人がかりで抑えられると流石に動けなかった
「ッ、ホシノ!……お前もあれを信用するのか」
「うーん……悪い人ではないと思うよ?」
「忘れたのか?大人のせいでアビドスは──!」
「それでも、だよ。信じてみようかなって。イフのおかげだよ?」
「っ……何で、どいつもこいつも」
「イフ、早く休んで。このままだと倒れちゃう」
「うるさい!」
力任せに暴れるが、二人の拘束は外れる事はない
「チナツから貰っておいて正解だった」
「待て待て何だそれ」
ヒナが取り出したのは一本の注射器。中には得体の知れない液体が入っている
「眠くなる薬。即効性があるって」
「おいやめろ俺は寝たくない」
「大丈夫、後遺症は無い」
「そういう問題じゃないんだよ!」
必死の抵抗虚しく、首筋に針を突き立てられる。ちくりとした痛みと共に、全身の感覚が無くなっていくのを感じた
「手荒な真似してごめんね。こうでもしないとイフは寝てくれないだろうからさ」
「おやすみ、イフ」
「お前ら……」
言いたいことは山程あった。しかし、口を開く前に意識は闇へと沈んだ
──────────────────
「イフ兄さん、ちょっとお願いが……」
「ヒヨリ、イフに迷惑を──」
「気にしないで、サオリ。ミサキ、こっち。アツコもアズサも早く行くよ」
「……わかった」
……今でも、時々思う
俺は───何で大人になりたかったんだろうって
皆を救う。その願い……俺の夢に、起源があるとすれば、それは間違いなく───
──────────────────
……なんだか、とても、暖かい───
「……皆」
「起きた、大丈夫?」
「……先、生──!?」
起きた時、目の前には先生の顔が映っていた。……そして、この体勢はまさか
「膝枕!?」
「わ、起きた。嫌だった?」
「当たり前だろ俺が寝てる間に何してんだあんた!」
「いや……うなされてたから」
「……俺が?」
夢の内容を思い出せない。何か、とても大切な───
「ねぇイフ、どんな夢を見てたの?」
「……わからない。ただ…」
「うん?」
「……凄く、懐かしかったような……」
「そっか。なら、きっといい夢だよ」
「……そうかもな。じゃなくて!補習授業部は──」
「私が見てるよ。イフはどうする?まだ寝足りないなら私の膝貸すけど……」
「ヒナとホシノは?」
「もう帰ったよ」
「……そうか」
時計を見ると、既に夜中の三時過ぎ。……寝過ぎたな
「……寝てないのはあんたもだろ、先生。もう夜中の三時だ、良い子は寝る時間だぞ」
「もうちょっと仕事が残ってるから、それだけやって寝るよ。もう遅いし、泊まっていって」
「…………聞いて欲しい事がある。ミカから色々聞いてる前提で話すが、いいな?」
「勿論」
先生はオフィスの机に戻った。俺はソファに寝転がったまま話し始める
「……ナギサの理想は、エデン条約を結ぶ事。その為に、あんな風に滅茶苦茶な事をやった。ミカの理想は、アリウスもゲヘナもトリニティも手を取り合って、誰もが幸せになれるハッピーエンドを実現させる事」
「うん」
「で、立ち位置をミスった俺は二つの理想で板挟みって訳だ。笑えるだろ?」
「笑わないよ。イフは辛い立場にいるかもしれないけど、諦めずに最善の方法を模索してる。誰にも笑わせないよ」
「……そうかよ」
「照れてる?」
「一々一言多いんだよ」
誤魔化すように明後日の方向を向いた
……思えば、こんな風に褒められたのは初めてかもしれない
「……なぁ、先生」
「どうしたの?」
「俺さ、大人になりたいんだ」
先生は、不思議だ。大人は信用しない。そう決めていた筈なのに、言うつもりのなかった言葉が勝手に溢れ出してくる
「……それは、どうして?」
「ガキの頃、嫌と言うほど思い知った。……大人には、力がある。子供が何をやっても敵わないくらいの力が」
「だから、自分が大人になれば、皆を守れると思ったんだね」
「……あぁ。だから、反吐が出る程嫌いな大人の世界に、俺は必死で踏み込もうとしてた。……実際、上手くやってるつもりだったよ。ホシノの事も、アリスの事も、悪くない結果にはできた。だから今回も大丈夫だって。でも───」
……冷静になれ、俺は何を喋っているんだ?
「……喋りすぎた。怖いな先生。あんたの前ではあまり口は開かないようにするよ」
「えー!?」
「うるさい。深夜だって事忘れてるのか」
きっと、目を背けてた
俺が、先生を嫌う理由。大人だから、じゃない
だって、本当に先生がいい大人なら───
────俺は、必要ないじゃないか