敦と鏡花が最初から一緒の話   作:あ、百円落とした

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虎と少女

 

 

 

 

 

 

 

夕闇が迫る川辺に、敦は空を見上げて立っていた。

どこまでも広がる空。

何て事も無い。何処かの観光地でもあるまいに、他にこうやって惘乎(ぼんやり)と立っているものは無い。

「腹、減ったなあ……」

――ぐうううぅ

敦はただ遠い目で、空を見ているのみ。

その時、正面の川から何やら音がした。敦が釣られて目を下へ降ろすと、ズボンを穿いた両の足が流れに沿って揺れている。

 

ごしごしと、目を擦った。

 

もう一度見る。

 

今度は鴉が止まり木にして、嘴で突いている。

 

足の主は苦しそうにばたつかせて、水面に浮き上がろうとしているのだろうか?しかし、全く顔は出せていない。

「ええい!」

敦はバシャバシャとなる方へ、とうとう川に飛び込んで向かった。

 

 

********

 

 

「――助かったか。…………ちぇっ」

男を引き上げ、敦が荒い息を整えていると、起き出した本人は舌打ちをしていた。

「君かい?私の入水を邪魔したのは」

「邪魔なんて、僕はただ助けようと――入水?」

邪魔という言い草に、とっさに言い返そうとして思わぬ言葉を拾う。

入水?

「知らんかね、入水。つまり自殺だよ」

目の前の男は懇切丁寧に入水の意味を教えて呉れる。いや、別に意味を知らないわけではないのだが。

「私は自殺しようとしていたのだ。それを君が余計なことを――」

何故か、理不尽に怒られている。

 

その後、男の同僚だという者が現れ、敦に飯を奢って呉れるという流れになった。これ幸いと着いていく前に敦は太宰――入水を試みた男は太宰治と名乗った――に尋ねる。

「実は僕、連れが居て。その子の分もお願いしてもいいですか?」

駄目だと言われたら、自分の分を二人で分けようと思いながら敦は尋ねた。

「連れ?ああ、もちろんだとも。しかし、その連れは何処にいるんだい?」

同僚の財布であるにもかかわらず気軽に了承する太宰。連れらしき人物は近くに見えないので、敦に尋ねた。

その時、土手の上に小さな人影が現れた。

敦はその人物を見上げ、顔を綻ばせて迎え入れた。

「あ、“鏡花ちゃん”!」

長い黒髪。端正な顔立ち。レェスが幾重にも重なった高価そうなワンピース。浮かぶ表情は乏しいが、なかなかお目に掛かれない美少女がそこにいた。

 

 

********

 

重なる茶碗の山。

隣の少女の前には鍋の山が出来ている。

敦は茶漬けを。鏡花は湯豆腐をたらふく食らっていた。

その様子を正面から見ている国木田という男は、苛立たし気に隣の太宰を睨みつける。

「仕事中に突然『いい川だね』とか云いながら川に飛び込む奴がいるか。おかげで見ろ、予定が大幅に遅れてしまった」

「国木田君は予定表がすきだねえ」

「これは予定表ではない!!理想だ!!我が人生の道標だ。そしてこれには『仕事の相方が自殺嗜癖』とは書いていない」

声を荒げる国木田に、敦は疑問を投げかけた。

「ぬんむいえおむんぐむぐ?」

口に入ったままだったので、人間の言葉が出てこなかった。

「五月蠅い。出費計画の頁にも『俺の金で小僧と小娘が茶漬けと湯豆腐をしこたま食う』とは書いていない」

何故か通じた。

「んぐむぬ?」

「だから仕事だ!!俺と太宰は軍警察の依頼で猛獣退治を――」

 

「君達なんで会話できてるの?」

「敦、御行儀悪い」

 

 

 

――ごくん

「いや、ほんっとーに助かりました!恥ずかしながら、横浜に出てきてから食べるものも寝るところもなく……あわや斃死かと」

「なんの見通しもなく来たのか?」

国木田が怪訝な目で問うた。その言葉に敦は頭を掻きながら苦く笑う。

見通しもなく、というのは半分誤りで半分は正解だ。

目的はある。隣に静かに座る少女を横目に見ながら、敦は沈黙を選んだ。

「お二人は……何の仕事を?」

わざとらしく話を逸らしたが、目の前の青年は行きずりの少年少女の素性に深く踏み入るつもりはないのだろう。

国木田は片眉を少し上げただけで何も言わなかった。

「なァに……探偵さ」

「探偵と云っても猫探しや不貞調査ではない。斬った張ったの荒事が領分だ。異能力集団『武装探偵社』を知らんか?」

武装探偵社。

その名前を聞いて、敦は背筋を正して復唱した。

「ぶそう、探偵……社?」

「は?おい真逆、武装探偵社を知らんのか!?」

あまりにたどたどしい敦の言葉に国木田が目を見開いて驚愕した。

「私は聞いたことがある。軍や警察に頼れないような危険な依頼を専門にする探偵集団。昼の世界と夜の世界。その間を取り仕切る薄暮の武装集団。『武装探偵社』の社員は多くが異能の力を持つ『能力者』と聞いている」

「へ、へぇ~」

鏡花の説明に素直に感心する敦。そんな二人の様子に毒気を抜かれたか、国木田はため息をついて太宰を振り返る。

「太宰、いい加減仕事に戻るぞ。軍警から至急の依頼だ」

「あの鴨居頑丈そうだね……。たとえるなら人間一人の体重に耐えられそうな位」

「人の話を聞け、この唐変木。立ち寄った茶屋で首吊りの算段をするな」

同僚の声掛けに耳も貸さず、天井付近を見上げて言う太宰。普段から迷惑をかけられている国木田は青筋を立てて言葉を詰めた。

「違うよ、首吊り健康法だよ。知らない?」

「何、あれ健康にいいのか?」

何故か信じた国木田。そんな二人の様子に、敦と鏡花は本当にあんな御大層な探偵社なのかと疑問をかすかに抱くが、食事を奢ってくれた国木田がものすごい勢いで騙されているので助け船のつもりで口を開いた。

「そ、それで、探偵のお二人の今日のお仕事は」

 

 

「虎探し、だ」

 

 

「……虎探し?」

予想もしなかった言葉に、敦は一瞬耳が聞こえなくなった。隣の鏡花が代わって続きを聞き出す。

「近頃、街を荒らしている『人食い虎』だよ。建物や道を破壊したり、人間を襲う噂もある。最近この近くで目撃されたらしいのだけど――」

続く太宰の言葉に、敦は息を吞んだ。見かねた鏡花がしっかりしろとばかりに肘打つが、呼吸は極端に浅く、目は動揺を表すように見てわかるほど揺れている。

そんな少年の異変に気付かぬ二人ではない。

確実に何か知っている反応に、逃がさないと言わんばかりの刺すような鋭い目線を向ける。

「貴様、『人食い虎』を知っているのか?」

「しっ知りませんっ!行こう、鏡花ちゃんっ。すみません、ごちそうさまでし――」

弾かれたように立ち上がり、連れに声を掛けて去ろうとする敦だったが、言い終わる前にいつの間にか動き出していた国木田によって利き腕をとられる。

しかし、そのまま床に叩きつけようとした国木田は、敦を掴んだ腕に予想外の力が掛ったことで逆に動きを止められた。

――掴んだはずの腕が、強い力で掴み返されていた。

その瞬間、ただの行き倒れの少年が並みの腕前ではないことに気付く。油断があったとはいえ、振り向いてもいない相手にこうも動きを止められるなど。おまけに、このやせっぽちの少年が今込めている力はまるで筋骨隆々の大男かと紛うほどだ。

敦はゆっくりと後ろを振り返る。徐々に現れるその瞳が金色に変わりかけていると理解する前に、後方からもう一人の少女の声が差し込められた。

「止めて!」

ハッとして、敦は国木田の手を放す。

他から見れば、敦を捕らえようとした国木田に対するものかと思えるが、これは反射的に反撃に移ろうとした敦を止めるための制止だ。

国木田が敦を只者ではないと気付いたのと同じく、敦もまた国木田が武道の玄人であると感じていた。敦は無意識のうちに、望まず染みついた習性により強者と認識した国木田を斃そうとしてしまっていたのだ。

証拠に、国木田の腕には敦が掴んだ手の跡がくっきりと残ってしまっている。

「す、すみませっ」

「貴様……何者だ」

警戒。

国木田は明らかに身構え、敦が如何な動きをしようと対応できるようにしている。その眼差しには、先ほどの緊張感のなさから懸け離れた鋭い光が宿っている。

「まあまあ、落ち着き給え、二人共」

一触即発の空間に、不自然な程穏やかな声がかかる。それは、今この時さえも一人席から立つこともしていない太宰の声だった。

 

 

 

「私から話す」

太宰に促され、再び敦たちは椅子に座った。しかし、虎に聞かれても、敦はどういえばいいのか、俯き口が重い。

戸惑っているうちに、鏡花が口を開いた。

「私と彼は、虎から逃げている――。その虎の異能力者から」

鏡花から出た言葉に、敦は目を見開いた。幸い、敦は俯いていたし探偵二人は鏡花の発言に注意を向けているので気が付いていない。

「異能力者だと!?」

「そいつは虎に変化する異能力を持っていて、私を家に連れ戻すために金で雇われたならず者」

「……連れ戻す、とは?」

「駆け落ちをしたから。あの人は、私を連れ戻したいの」

真面目な顔で問う太宰に、鏡花は抑揚のない口調ですらすらと生い立ちを述べた。

幼いころ、子供のいない金持ちの家に誘拐同然に遠縁から養子にされたこと。

大好きな両親から引き離され、一度も会わせてもらえなかったこと。

縁談が決まり、嘆く鏡花を使用人だった敦が連れて逃げて呉れたこと。

駆け落ちの言葉に、二人はやや予想がついていたのだろう。そもそも、やけに身なりの良い鏡花と、反対に襤褸同然の衣服の敦である。

そんな二人が食うものも行く宛もない。おまけに年若い男女とくれば、選択肢は自ずと限られてくる。

「では、虎の破壊活動や人を襲う噂は、君たちを追っているときに」

「……俺たちは補導員ではない。故にお前たちの無謀さを諫める立場にないが、他に方法はなかったのか。現に、お前たちは行き倒れ寸前だったのだろう」

国木田の諭すような言葉に、敦は忸怩たる思いに駆られた。

本当なら年長者として、逃走の教唆犯として、鏡花に不自由ない生活を与えなければならなかったのだ。それを敦が不甲斐ないばかりにこのような悲惨な思いをさせている。

俯く敦に、しかし、鏡花は迷いない口調で言った。

「無い」

強い、強い言葉だった。一切の後悔も感じさせない、気高さがあった。鏡花の言葉に励まされ、敦は膝に置いた拳にグッと力を込めると顔を上げた。

「僕らは捕まるわけにはいきません。鏡花ちゃん、彼女を両親のもとへ帰すまで、決して捕まるわけにはいかないんです」

二人の真剣な様子に、太宰と国木田は顔を見合わせる。しばし、考えていたようだったが、やがて国木田がため息を溢し、呆れを隠さぬ声音で言った。

「俺たちに貴様らを指図する権限はない。だが、その虎の異能力者に関しては軍警からの依頼である以上放っておくことは出来ん」

「そうだねぇ。むしろ、金で雇われたならず者の異能力者だというなら、ただの猛獣以上に危険だ」

話の流れが思いもしない方向に向かっている。太宰はまるで俳優のようにキマったウィンクをしてみせて、敦と鏡花に一つ提案した。

「君たちが『人食い虎』に狙われているなら好都合だ。我々は君たちを護衛しよう。君たちだって、追手が消えれば助かるはずだ」

敦は太宰の提案に一瞬呆然とするが、慌てて声を上げた。

「いやいやいや!そんな、お二人を巻き込むわけにはってか、それってつまり『餌』じゃないですか!僕一人なら兎も角、鏡花ちゃんに危険が……!」

「私はそれで構わない」

「って、鏡花ちゃん!?」

断ろうとする敦を遮り、鏡花が承諾の返事を返す。

これには敦は今まで以上に慌てた。なぜなら、太宰達に話した内容はほとんど偽りであったからだ。このまま共にいれば、その嘘もばれてしまいかねない。

「まずは、情報の裏をとる。対象が異能力者だというのなら、場合によっては増員の要請も――」

「ああ、国木田君は社に戻ってこの紙を社長に」

「は?おい、三人で捕まえる気か?」

「いいから」

そういって、なにやら書かれたメモ用紙を国木田に託す太宰。一瞬不可思議な空気が流れるが、敦はこれから行動を共にする太宰の存在に気が気ではなかった。

 

 

 

十五番街の西倉庫。敦たちは太宰の案内の元、そこにやってきていた。

完全自殺読本なる如何わしい本を読む太宰から距離を置き、敦は鏡花を問いただした。

「きょ、鏡花ちゃん。なんであんなことを……」

「あのままだったら、『奴ら』だけではなく武装探偵社にまで追われることになっていた。厄介な追手が増えるのは困る」

「だ、だけどぉ……」

「大丈夫。『異能力者じゃない』私じゃ、戦いの役には立たないけど、これならあなたを守ることが出来るから」

「鏡花ちゃん……」

真剣な瞳に、敦はそれ以上の反論の術がない。頭の回転は元より、冷静さも判断能力も度胸においても鏡花に劣る敦である。

鏡花がそこまで言うのならと、敦は大人しく従う姿勢を見せた。

「それに、『奴ら』は昨日来たばかりだし、今まで二日連続で襲撃があったことはない。今日はとりあえず付き合って、明日以降隙を見て横浜から出ればいい」

「そ、そっか。なら安心――」

 

「ところで敦君、鏡花ちゃん」

 

太宰がおもむろに声を掛ける。

いつの間にか悪趣味な本は閉じられていて、倉庫内には静寂と太宰の声が響き渡っていた。

「は、はい。何ですか?」

「実は君たちの話に引っかかることがいくつかあってね。虎が来るまでの暇つぶしと思って、ちょっと付き合ってくれ給え」

「ひ、ひっかかること。ですか」

 

「まず、鏡花ちゃんが養子になったことについて。養子として籍を入れるには、未成年である彼女の場合両親の許可が必要だ。だが、誘拐同然に連れ去られた場合、ご両親は養子の話に頷くだろうか?それに、養子になってから一度も会っていないというのも、真っ当な手段を使えば、会う方法はいくらでもあるはずなんだ。

――本当は、『誘拐同然』ではなく、『誘拐』そのものだったんじゃないかい」

 

「それに、敦君の立ち回りで隠れていたが、鏡花ちゃんのその身のこなしは一般人のそれではない。足音も動作も音を立てない立ち振る舞いが染みついている。まるで暗殺者のようなね。これは一朝一夕で身につくものではないし、かなり厳しい訓練と生まれ持った才能がなければ持ちえないものだ」

 

「敦君だって、どう考えてもただの金持ちの家の使用人の動きじゃない。あれは実戦を重ねたプロの動きだった。敦君のような戦闘に長けた人間がいて、誘拐した子供に暗殺の訓練を施すようなのがカタギの家なわけがない。――なんらかの非合法組織から逃げ出してきたと考えるのが妥当だ。恐らくだが、鏡花ちゃんは未だ人を殺したことはないんじゃないかい?命じられたのは縁談ではなく殺しの仕事。君たちが無謀ともいえる逃亡生活を選んだのは殺しに手を染める前になんとしても逃げなければならなかった」

 

「そして、最後に虎の件だが――」

 

 

――ガシャーンッ!!!

 

 

「それは後でゆっくり聞かせてもらったほうがいいみたいだ」

 

 

何者かが窓を割り、倉庫内へ侵入する。

硝子が月の光を反射して降り注ぎ、きらきらと輝きを振りまいた。

割れた窓から、月が見える。まあるい、まあるい、白銀の光が。

 

 

その光に中てられて敦の身に異変が起こる。

骨と皮ばかりの薄い体格は何倍にも膨れ上がり、白と黒の毛皮を纏う。瞳は金に変わり、瞳孔は縦に切れた。

 

 

中島敦――能力名『月下獣』。

現身に飢獣を降ろす月下の能力者。敦こそが、巷を騒がす人食い虎の正体だったのだ。

すっかり虎に姿を変えた敦は、現れた侵入者に向かって唸り声をあげた。

「観念しろ!これ以上は逃れられんぞ」

「女のほうは主席だ。生きたまま拘束しろ。虎は主席の目の前で八つ裂きにして殺せと『魔女』の命令だ!」

「おや、熱烈だねぇ」

侵入者は八名。全員が銃を構え武装している。しかし、太宰はまるで明日の天気の話をするように危機感もかけらもない様子で笑った。

太宰の存在に気付いた一人が、後方を振り返り指示を仰ぐ。

「リーダー、この男は」

「女さえ生きていれば構わん。あの獣もろとも殺せ」

「はっ」

ガチャリと、一斉に銃口が敦たちを捉える。

敦が変身した白虎は、空気をびりびり震わす咆哮を上げ飛び上がった。

これだけ大きな的だ。銃弾の多くが命中し、白い毛皮は血に染まる。

しかし、虎は己の負傷を気にも留めず、侵入者たちを蹴散らす。

或る者は巨体に潰され、或る者は突進によって壁へ激突せしめられる様子はまさに圧巻。片手にも満たない時間で、侵入者たちはすべて斃された。

太宰は面白そうな顔を隠さず、賞賛の拍手を送る。

「なるほど、銃さえ効かぬ巨体にとその俊敏性。国木田君を止めたのは、人の姿のまま虎の膂力だけを引き出したのか」

感心して言う太宰。後方にいた鏡花が血相を変えて叫ぶ。

「だめ!敦、止まって!」

敵を全て斃した虎は、けれども止まることなく、太宰の立てた音と声に注意を引かれ標的にした。唸り威嚇する虎は、少女以外の全てを斃すまで止まらないというわけか。

しかし、太宰は余裕の表情を崩さない。

高く飛び上がり、虎は巨大な前脚を太宰めがけて振り下ろす。太宰はそれを回避して虎の後ろへ行き距離をとった。

だが、虎にとってそれは大した距離ではない。一足飛びに太宰のもとへ。太宰はそれも避けるが、彼がいた場所のコンクリは割られ、もし真面に食らったのならただでは済まないことを示していた。

「やめて!もう、もう奴らは斃したから!敦、敦ぃ!」

「危ないから下がってい給え。彼が君を襲わないとはいえ、飛んでくる残骸に当たれば怪我をするよ」

ひらりひらりとトレンチコートを翻す太宰は、そう鏡花に声を掛けて攻撃を避け続ける。

荷箱はいくつもが虎によって砕かれ、その木片が宙を舞っている。確かに、鏡花の小さな体に当たれば一溜りもないだろう。

それでも、正体のない敦を元に戻そうと、鏡花は虎のもとへ走り出す。

横目で確認した太宰は仕方がないと笑い、煉瓦造りの壁を背に虎を迎え討つべく向き直った。

「獣に喰い殺される最後というのも中々悪くはないが、――君では私を殺せない」

襲い掛かる虎に、太宰の左手が触れる。

「私の能力は――あらゆる他の能力を触れただけで無効化する」

その瞬間、虎の変身が解け、元の青白い顔の少年の姿に戻った。

倒れこむ敦を一瞬抱き留めるが、気を失っている敦を欠片も慮ることなく、太宰は床へ抛り捨てた。

「男と抱き合う趣味はない」

「敦っ」

虎の異能力をあっさりと無効化した太宰に驚いていた鏡花は、投げ捨てられた敦のもとへ慌てて駆け寄る。

触れてみると、虎化した時の傷から滲んだ血が、敦の襤褸服を汚している。しかし、呼吸も脈伯も正常で、今はどうやら気を失っているだけのようだ。

安堵の息を吐いていると、倉庫の入り口から太宰を呼ぶ声がかかり、鏡花は弾かれたように振り向いた。

「ああ、遅かったね。虎は捕まえたし、襲撃犯は彼が自分でやっつけたよ」

「彼……?その小僧、じゃあそいつが」

駆け寄る国木田に鏡花が敦を庇うようにその頭を抱き寄せた。

「うん、虎の異能力者だ。……実は、聞き込み中に周辺の子供からとある目撃証言があってね。『虎はお姫様を悪者から守っていた』っていうんだよ。だから、虎が追う側ではなく、追われる側だというのは知っていたのさ」

「なっ、貴様最初から……!全く――次から事前に説明しろ。肝が冷えたぞ」

そう言って、国木田は事前に太宰に渡されたメモを翳す。そこには『十五番街の西倉庫に虎が出る。逃げられぬよう周囲を固めろ』と、詳細が一切書かれていない簡潔な文面が書かれていた。

「おかげで非番の奴らまで駆り出す始末だ。皆に酒でも奢れ」

「大目に見て呉れ給えよ、国木田君。なんせ裏の組織から掛けられたプロの戦闘員の襲撃だ。人手が必要だったのだよ」

その言葉に呼応するように、更に三人の人間が倉庫に足を踏み入れた。

「怪我人を見せな、治してやるよ」

与謝野晶子――能力名『君死給勿』。

「中々できるようになったじゃないか、太宰。まあ、僕には及ばないけど!……にしても、んー」

江戸川乱歩――能力名『超推理』。

「でもそのヒトどうするんです?街の破壊は襲撃されたせいであって、悪気はなかったわけでしょ?」

宮沢賢治――能力名『雨ニモマケズ』。

「どうする太宰。一応区の災害指定猛獣だぞ」

国木田独歩――能力名『独歩吟客』。

 

 

「うふふ。……実はもう決めてある」

太宰治――能力名『人間失格』。

 

 

 

「うちの社員にする」

 

 

 

驚いて声を上げる国木田に、太宰は平然と笑う。

その時突然の大声に怯えたのか、表情の少ない寡黙な少女は虎の少年にしがみついたまま肩を揺らした。

幼い子供を怯えさせるのも本意ではなく、国木田はため息をついて心を落ち着かせた。

 

実をいうと、襲撃犯の突入があるまでの話の内容は国木田も把握していた。太宰が携帯電話を通話状態にしていたので、倉庫の周りを固めていた国木田もそれを聞かされていたのだ。

少年たちは太宰の推論に異を唱えなかった。ならば、つまりそういうことだろう。

茶屋で他に方法はなかったのかと問うた己に対して、少女が強い意志をもって否定した姿を思い出す。

殺し技術を教え込まれながら、それを使うを良しとせず危険な逃亡の道を選んだ少女。その身の上に、憐れむなという方が難しい。

それでも、これから調べること、遣るべきことは山のようにある。理想を掲げる国木田はその背を伸ばし、気を引き締めた。

「……この小僧たちの元居た組織について調べるのが先だ。たとえ小娘の方に前科がなくとも、小僧もそうだとは限らん。ただでさえ、軍警から手配されている『人食い虎』なのだ。処遇については社長と相談し、社員云々はその次だ」

国木田の言葉を聞いた太宰は口に笑みを浮かべたまま肩をすくめて見せた。何も言わないところをみると、元より予想していたのだろう。反論もないようだ。

 

鼻を突き合わせて見通しを立てる国木田たちを余所に、医者である与謝野はヒールとスカァトを捌いて血の跡が痛々しい敦のもとへ参じた。

「妾は医者だよ。怪我人を見せな」

「……必要ない」

鏡花の言葉に、与謝野は怪訝そうな顔で少女を見た。

「妾たちが信用できないかい?確かに、悪いようにはしないとは言えないが、それでも治療は……」

「違うよ与謝野さん。彼、もう治っているんだろう」

少年を抱えて離さない少女を説得しようとした与謝野を後ろから乱歩が止めに入る。後半の言葉は少女に向けられたものらしく、話を向けられた鏡花は小さく頷いた。

「虎には再生能力がある。敦はどんなにひどい傷を負っても、即死でない限り白虎の異能力の影響で治癒する」

その言葉を聞きながら、乱歩が敦の服の裾をまくり上げる。体には血や汚れがあるが、銃で撃たれたはずの怪我そのものはない。

しかし、捲り上げた服の下を見た与謝野と賢治は思わず顔を顰めた。その瘦せっぽちの体には夥しい数の古傷が大小問わず刻まれていたのだ。

一瞬重い空気が流れた中、一人変わらぬ顔をしていた乱歩が感心の声を上げた。

「なるほど、再生能力を頼りに『隷属の印』を周りの肉ごと抉り取ったのか。そうしないと逃げる事すら出来ないとはいえ無茶をするねぇ。除こうとするだけで気を失うくらいの激痛が走るはずなのに」

乱歩が脇腹の大きな傷を見ながら言った言葉に、鏡花は驚いて相手を凝視した。聞いていた与謝野たちも聞き慣れぬ言葉に疑問符を浮かべる。

「……どうして、それを――?」

「『隷属の印』ってのはなんだい?乱歩さん」

「乱歩?」

与謝野が呼んだその名前に、鏡花は更に驚愕し目が零れんばかりに見開かれた。

「江戸川、乱歩?貴方が……?」

「乱歩さんを知っているのか?」

離れたところで話を聞いていた国木田が口を挟むが、鏡花の目は乱歩からじっと動かない。

「ああ、そうとも。僕こそが、世界最高峰の名探偵。江戸川乱歩だとも」

乱歩がそういつもの調子で応える。その言葉に、鏡花は何も言わず、ただ突然涙を落した。

無口無表情を保っていた少女の異変に、周りの大人たちはぎょっと竦む。いったい何がと問う前に、少女涙を拭うこともなく口を開く。

「私の名は鏡花。幼いころ拐され、『魔女』のもと暗殺者として教育を受けた。魔女の弟子」

そう言って、鏡花が取り出したのは一冊の手書きの筆記帳であった。

汚い子供の鉛筆書きに探偵社の者たちが一様に驚きの声を上げた。そこには、『脱出計画書』なる文言と、ここにいる江戸川乱歩の名前が確かに書かれていたのだ。

「あなたが屋敷に残して呉れたこの計画書の策略のおかげで、私たちは逃げ出すことが出来た。これがなければ、私も敦も……。なんと礼を言ったらいいかわからない」

感動に打ち震える少女は、そのまま三つ指をついて乱歩へ頭を下げる。

一体どういうことなのか、訳が分からない探偵社の面々を置いて、乱歩は笑みを崩さなかった。

 

 

 

 

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