タキオンさん助けて、俺ウオスカの間に挟まれちまう 作:フルゥチヱ
無敗で三冠を達成するかもしれない。
そんな超強い馬がいると、幼い頃に騒がれていたのを覚えている。
当時の世の中の熱狂は凄まじく、競馬に興味のなかった俺でも、その馬の名前が"ディープ"であるということくらいは知っていた。
「しかしまさか、自分がその"ディープ"に転生することになるとは……」
ぼーっと虚空を見つめながら、そんなことを呟く。
目が醒めたら俺は、とある寮の一室にいた。
──トレセン学園の栗東寮。
知らないはずの知識が、ぱっと脳裏に浮かぶ。
──ウマ娘。
どうやら俺は、そのディープのウマ娘に転生してしまったらしい。
「とりあえず落ち着こう。素数を数えて落ち着くんだ俺」
鏡に映った己の顔をマジマジと凝視する。
そこに映っているのは、淡い
「この子が"ディープ"かあ」
他人事のように自分の頭上の耳をペタペタと触りながら呟く。
そんなことをしていると、おもむろに洗面所の扉が開いた。
「おはよ~……」
トレセン学園の寮は一室を二人のウマ娘でシェアしているらしく、当然俺の住むことになるこの部屋も例外ではない。
艶のある鹿毛をボサボサに跳ねさせたそのウマ娘は、ふらふらとした足取りのまま俺の背中へと抱きついてきた。
「もうちょっと一緒に寝ようよ~」
ぎゅっと、背中になにやら柔らかい感触が当たる。
ふう。落ち着け、落ち着くんだ俺。
落ち着いて──一緒に寝るしかない。
「えへへ~。同室の子が素直な後輩ちゃんで嬉しいなあ」
恥ずかしながら、素直なのは性欲に対してだった。
そしてもう一眠りする。
目を覚ませばこの夢は終わり、いつも通りの天井が目の前に広がって──
「むにゃむにゃ……目指せ天皇賞春秋制覇ぁ~……」
「……知らない天井だ」
いなかった。
相変わらずここは栗東寮の一室で、目の前にはルームメイトの美少女の顔がある。
そして、俺の顔も美少女になっているのだろう。
色々考えなければならないことはあるのだろうけれど、まずはとにかく。
「ふへへ……すぴぃ~」
抱きまくらのように俺を扱うこの先輩の手から抜け出さなければならない。
しかし体格自体はほとんど同じのはずなのに、何故だろう、離れられる気がしない。
なんとかいうか、抱きしめられているだけで凄い安心感なのだ。まるでキングサイズのベッドに寝そべっているかのような包容力である。
神様、俺を転生させてくれてありがとう……ッ。
◯
神様、俺を転生させたあなたを恨みます。
「君、良い末脚だったね! それに濡れたバ場をものともしない瞬発力! ぜひウチのチームに入らないか!?」
トレセン学園での生活初日。
色々な手続きを終えて、なんとなく走りたくなり参加した模擬レースの後、俺は全身をゲーミングカラーに発光させた不審者に絡まれていた。
な、なんだこの人? まさかトレーナーなのか……? 絶対に関わりたくない……!
「あ、あの、そういう怪しい勧誘はちょっと」
「誤解なんだ! ぼ、僕はどこにでもいる普通のトレーナーで……!」
どこにでもいる普通のトレーナーは蛍光色じゃないと思う。
軽く会釈してそそくさと立ち去ろうとする俺の前に虹色の男は立ち塞がる。いざとなったら警察を呼ぼうとこっそりスマホを操作していると──
「……なにをやってるんだい、トレーナー君」
そんな呆れ混じりの声が、俺達の背後から聞こえてきた。
「あっ、タキオン! 君からも説明してくれよ! 僕が怪しい者じゃないって!」
「安心したまえ。これは薬物投与による細胞の活性化によってエネルギーが光となって放出されているだけであって──」
「説明してほしいのは光ってる理由じゃないよ!? ていうか、発光してるのはタキオンの薬が原因だからね!?」
「ハハハ、研究の発展に失敗は付き物さ」
制服の上に羽織った白衣の長い袖を口元に添えてケタケタと笑う栗毛のウマ娘。口ぶりから察するに、このトレーナーの担当ウマ娘なのだろう。
ふと、その彼女と目が合う。
瞬間、吸い込まれてしまうかと思った。ゾッとしてしまうほど深く暗い、混沌をかき混ぜたような真紅の双眸。
目が逸らせない。一体どんな経験をすれば、こんな目に──
思わず固まっていると、彼女は「ふぅン」と一言呟いて、俺の方へと歩み寄ってきた。
「やあやあ、はじめまして。ウチのトレーナー君が迷惑をかけたね。私はアグネスタキオン。こっちの彼はれっきとした私の担当トレーナーさ」
「タキオン……さん」
差し出された手をほとんど無意識で握り返す。
サイズはほとんど変わらないはずなのに、彼女の手はやけに大きく感じられた。
「不思議だねぇ。君とは初対面の気がしないよ」
同感だった。
バクバクと心臓の鼓動が加速する。
緊張? それとも恐怖?
いやこれは、もっと根源的な──
(一緒に走ってみたい!!)
走りたいという本能に身震いしてしまう。
尻尾そのものが生き物のようにブンブンと揺れているのを自分自身でも実感している。
だってウマ娘は、走るために生まれてきたのだから。
「チームの件に関してはすぐ決めることでもないだろう。私の研究室を見学してからでも遅くはないからねぇ。気持ちが先走りすぎだよ、トレーナー君」
「あはは、ごめん……。でも、この子の走りには本気で惹かれたんだ」
「ふぅン? それは私以上にかい? 全く妬けちゃうね」
「い、いや、そういうわけじゃ……!」
「まあ、君にそこまで言わせる彼女の走りには、私も興味があるがねぇ」
タキオンさんがちらりと俺の両足を一瞥する。
俺の走り。
まだレースのいろはを何も知らない、無知蒙昧な走法。
でも、何か光るものがあって、それがこのトレーナーの目に留まったのなら。
「あのっ!」
「ああ、そうそう。肝心なことを聞いていなかったね。君の名前を教えてくれたまえよ」
そう言われて、自分が名乗り忘れていたことを思い出す。
しまった、なんて失礼なことを。
「申し遅れました、俺の名前は……」
もし、生まれ変わったことに何か意味があるのなら。
この出会いが運命だったというのなら。
タキオンさんと一緒に──
ふと見上げれば、突き抜けるような深い大空が広がっている。
まさにこの名前にピッタリな天気だ。
「ディープスカイです!」
拝啓、生まれ変わる前の俺へ。
俺、"ディープ"のウマ娘になっちゃったよ。
◇ディープくん
ちょっとおバカなせいで色々勘違いしている。
◇アグネスタキオン
親切な優しい先輩。トレーナーが発光している。
◇同室のウマ娘
包容力の塊。器とか胸とかとにかく色々大きい。
◇ディープさん
皆さんご存知の間違いなく翔んだあのお方。