タキオンさん助けて、俺ウオスカの間に挟まれちまう   作:フルゥチヱ

21 / 34
第21話 とあるウマ娘の追憶

 幼い頃から、悪路を進むのが好きだった。

 豪雨の後の深い水たまり、雑草が生え放題の雑木林、ぬかるんだ泥だらけの畦道──そんなものを見つけるたびに無邪気に突っ込んでしまうものだから、両親には随分と心配を掛けてしまった。

 でも、それ以外は本当に特徴のない、普通のウマ娘だったと思う。

 明るくもなければ暗くもない。活発でもなければ内気でもない。きっと主役にはなれないような地味な存在。

 そんな私もウマ娘なので、当然、走ることは大好きだった。

 一歩踏み出すたびに変わっていく景色に心を踊らせ、頬を撫でる風の速度に高揚を噛みしめる、どこにでもいるようなウマ娘。

 そんな何者でもなかった私には──意外にも、才能というやつがあったらしい。

 

 

メイショウサムソン抜け出した! 堂々たる走り! 皐月賞に続き横綱相撲! メイショウサムソン、正攻法の先行策で二冠達成!』

 

 

 日本ダービー。

 どんなに速いウマ娘でも、どんなに強いウマ娘でも、一生に一度しか出走が叶わない、もっとも格式高い栄光のレース。

 それ故に、最も運のあるウマ娘が勝つ。そんな風にも語られるこの府中の舞台で、私は皐月賞に続けて勝利を収めた。

 

 

「私が、ダービーウマ娘……」

 

 

 観客席から響き渡る歓声すら遠くに聞こえる。

 それだけ集中していたのか、あるいは全てを出し切ったからこその疲弊なのか。

 長い長い東京の直線──皐月賞の三倍くらい長く感じたそのターフで、私は放心していた。

 デビュー戦で負けて、未勝利戦でも負けて、重賞も二度負けて。

 それでも、私は二冠ウマ娘になれたんだ。

 

 

「サムソンさん、二冠だなんて凄すぎですぅ……! わ、私、感動しましたぁ~……!」

 

 

 そんな声にハッとなって意識を取り戻す。

 いつの間にか私の側には、同じチームに所属するメイショウドトウさんがいた。

 とても心優しいウマ娘で、私にとって憧れの存在である。

 

 

「私は三冠レースを走れなかったので~……サムソンさんが勝ってくれて、自分のことのように嬉しいですぅ……!」

「ありがとうございます。ドトウさんがいつもトレーニングに付き合ってくれたおかげですよ」

「いえいえ、私なんかいつも足手まといで……! サムソンさんのお力になれたかどうか~……」

 

 

 謙遜するドトウさん。

 しかし、彼女とのトレーニングは間違いなく私の血肉になっていた。

 特に、絶対に逃さないという執念。

 数多のレースでかの世紀末覇王に食らいつき続けたドトウさんの強さは、最も影響を受けた哲学の一つだ。

 

 

「わ、私、はちみつレモンを作ってきたんですぅ……! レース後の糖分とビタミン補給に良いと聞いたのでぇ……! ど、どうぞっ!」

「嬉しいです! いただきます」

 

 

 パクっ、と輪切りにされた果実を頬張る。

 瞬間、口内に広がるはちみつと果汁の甘み。

 ……ん? 甘み? レモンは酸っぱいものでは?

 

 

「ドトウさん、これはちみつレモンじゃなくてはちみつオレンジですね」

 

 

 すんごい甘い。酸味はほぼ皆無だ。

 

 

「ひゃあああ……!? 果物を間違えてしまいました~!? すみませんすみませぇん! 役立たずですみませぇん!」

「これはこれで美味しいですよ」

 

 

 はちみつオレンジをパクパクしていると、トレーナーさんが苦笑しながら私たちの方へと歩いてきていた。

 

 

「やったなサムソン。まさかこの歳でダービートレーナーになれるだなんて思っていなかったよ」

「トレーナーさんとチームの皆さんのおかげです。それに、ダービートレーナーで終わりじゃありませんよ」

「……次の夢を見せてくれるのか?」

「はい。必ずトレーナーさんを、三冠トレーナーにしてみせます」

「ああ、期待してるさ。神戸新聞杯で弾みをつけてから、菊花賞に挑もう」

 

 

 皐月賞、日本ダービー、そして次は菊花賞。

 三冠ウマ娘まで、あと一歩のところまで来た。

 あの人のように、無敗の三冠ウマ娘ではないけれど。

 それでも私は、自分の強さを信じて疑わなかった。

 

 

 ──ああ、私はなんて愚かなウマ娘だったのだろう。

 

 

   ◯

 

 

 菊花賞。

 クラシック三冠レースの最終戦にして、唯一の長距離レース。

 3000メートルという単純な長さに加えて鬼門となるのが、高低差のあるコーナー、通称"淀の坂"。

 クラシック三冠において最もスタミナが要求されるこのレースは、それ故に最も強いウマ娘が勝つと言われている。

 でも、スタミナを増やすためのトレーニングは嫌になるくらいやった。

 神戸新聞杯はクビ差の2着だったけど、私は今までもそうだった。

 重賞では負けても、G1では負けるものか。

 

 

「……?」

 

 

 ブルル、と無意識に身震いしてしまった。

 それが肌寒さを感じたからなのか、それとも高揚感によるものなのかは分からない──が、きっと武者震いというやつだろう。

 私は今日ここで、三冠ウマ娘になるんだ。

 

 

『──アドマイヤメイン飛ばす飛ばす! 凄い大逃げだ! リードは5バ身、6バ身、7バ身! 1番人気の二冠ウマ娘メイショウサムソンは4番手!』

 

 

 ダービー2着のアドマイヤメインちゃんは菊花賞でも相変わらずの逃げ戦法。トレーナーさんが予想していた通りの展開だ。

 だが、最も警戒すべきは彼女ではない。

 私の後ろでじっとマークしている──ドリームパスポートちゃん。

 きさらぎ賞、スプリングステークス、皐月賞、ダービー、神戸新聞杯、そして今回の菊花賞。

 6戦連続で戦っている彼女こそ、最も警戒すべき相手!

 マークしたいならすればいい! 私はいつも通り、王道の先行策で勝ち切ってやる!

 

 

『メイショウサムソン2番手に上がってきた! ミスターシービー、シンボリルドルフ以来の2年連続三冠ウマ娘誕生の瞬間は見られるのか!?』

 

 

 アドマイヤメインちゃんとの距離はざっと6バ身から7バ身といったところか。

 確かに凄い大逃げだ。彼女もダービーに負けてからとてつもない研鑽を積んだのだろう。

 だけど、私だって……っ!

 

 

『おっと!? 大外から一人突っ込んでくる! これは──』

 

 

 瞬間、私の視界の端を、青鹿毛が疾風のように走り去っていった。

 

 

「えっ……?」

『──ソングオブウインドだ! ソングオブウインド物凄い末脚!』

 

 

 皐月賞とダービーにはいなかった、神戸新聞杯では私に次ぐ3着だったそのウマ娘。

 ソングオブウインドちゃんとドリームパスポートちゃんは、私を差し切ってなお1着を奪うために前進する。

 

 

「ま、待って……っ!」

 

 

 無意識に発してしまったそんな情けない言葉は、18人の足音に掻き消されて誰の耳にも届くことはない。

 私は二冠ウマ娘なのに。

 私はこの世代で1番強いはずなのに。

 トレーナーさんを三冠トレーナーにするって約束したのに。

 それなのに、前を行く3人に届く気がしなかった。

 

 

『ソングオブウインド! そしてドリームパスポート! メイショウサムソンは4番手! 三冠の夢破れる! ソングオブウインド先頭でゴールイン!』

 

 

 今まで何度も味わってきたはずの敗北。

 負けることには慣れている。

 

 

『菊花賞のレコードを更新! セイウンスカイのレコードタイムを破りました!』

 

 

 そのはずなのに、どうしようもないくらいの絶望という現実が、私の前に横たわっている気がした。

 私は最も速くて、最も運があったけど──最も強いウマ娘ではなかった。

 

 

   ◯

 

 

「いや~、負けたねぇお互い」

「うん……」

 

 

 菊花賞の敗北からしばらくが経ち。

 私はルームメイトのアドマイヤムーンちゃんと、電気も点けずに話をしていた。

 

 

「ムーンちゃんは凄いよ……シニア級の先輩たちと戦って3着なんだもん」

「まあ、上がり最速だったからね。だけど、それでも届かなかった」

 

 

 彼女は菊花賞ではなく、その一週間後に行われた天皇賞秋に出走して、3着という好成績を残していた。

 しかし敗北という現実に、彼女はギリッと歯噛みする。

 

 

「ダイワメジャー先輩……あの人はヤバいよ。闘病生活から復活してあの走りだなんて、ちょっと信じられない」

 

 

 ダイワメジャーさん。私にとっては皐月賞ウマ娘の先輩。

 いつか、私も戦うことになるのだろうか。

 

 

「でも、私以外に負けるサムちゃんは見たくなかったな。君を負かすのはこの私だって思っていたのに」

「……ごめんね」

「……こっちこそごめん」

 

 

 カチ、カチ──という秒針の音だけが室内に響き渡る。

 多分、お互いに泣いていた。

 私たちは弱かった。

 

 

「サムちゃんはさ、次はジャパンカップに出るの?」

「うん。ムーンちゃんは?」

「私は……ちょっと悩んでる」

 

 

 悩む?

 いつもは「月の引力でランチはA定食に決めた☆」とか言ってる彼女らしくない。

 

 

「ジャパンカップはさ──多分、あの人が出るから」

 

 

 あの人

 今、国内最強は誰かと聞かれたら、100人中100人が彼女の名前を上げるであろうウマ娘。

 

 

「でも、もちろん私はサムちゃんのこと応援するよ。お月様に毎日お祈りするから、サムちゃんが勝てますようにって!」

「あはは、ありがとう」

「フクキタルさんとリッキーさんにもお願いしとくね!」

「う、うん……」

 

 

 ちょっとオカルトに傾倒してるけど、ムーンちゃんはとても良い友達だ。

 彼女はふわふわした物が好きみたいで、ベッドの周りには大量のぬいぐるみやコンパクトソファーが鎮座している。

 それだけならいいんだけど、この前は誰に影響されたのか布団乾燥機を複数注文しようとしていて、悪いけどそれは全力で阻止した。

 

 

「ねえ、サムちゃん」

「なぁに、ムーンちゃん」

 

 

 窓から差し込む月光に目を細めながら、彼女はこんなことを言った。

 

 

「私たち、離れていても友達だよね?」

「えっ……う、うん、当たり前だよ」

「そっか。うん、そうだよね。ありがとっ☆」

 

 

 結論から言ってしまうと。

 私たちはやがて別の道を歩むことになる。

 そして、再び巡り合うのだ。

 それはまるで、星々が引力に導かれるみたいに。

 

 

「いつかまた戦う時が来たら、今度こそ負けない」

「うん。私だって」

 

 

 私は最も強いウマ娘ではなかった。

 そして、知らなかったんだ。

 絶望というものには、底なんてないということを。

 

 

   ◯

 

 

 ジャパンカップ。

 東京芝2400というダービーと同条件で開催されるG1レース。

 そして、日本で初めて創設された国際G1であるため、海外から参戦するウマ娘も何人かいる。

 そんな舞台に、私は立っていた。シニア級の先輩たちとの初対決である。

 11人立てという少人数ではあるが、緊張感は今まで戦ってきたレースの比ではないかもしれない。

 ある一人のウマ娘の存在感に、誰もが息を飲んでいたからだ。

 

 

「……」

 

 

 無敗の三冠ウマ娘──ディープインパクトさん。

 彼女が一つ息をするだけで、ピリピリとした空気が肌を刺すような気さえした。

 G1ウマ娘が他にも複数いるというのに、圧倒的1番人気。

 それも納得なほどの、絶対的な強者のオーラ。

 さっきから鳥肌が止まらない。

 

 

「……あなたがメイショウサムソンさん?」

 

 

 まさか話しかけられるとは思ってもいなかったので、思わず尻尾がピーンとなってしまう。

 生ディープさんは、想像していたよりもずっと小柄で可愛らしい方だった。

 

 

「は、はじめまして! 後輩のダービーウマ娘です!」

「うん、知ってる。皐月賞もダービーも映像で見た。凄いね。あんな先行策、私にはできない」

「あ、ありがとうございます!」

 

 

 あのディープさんに褒められちゃった……!

 一生自慢できる……!

 

 

「──でも、私の方が速い」

 

 

 舞い上がっていた私の心は、そんな彼女の言葉で急速に冷えていった。

 

 

「……どうですかね? 確かにダービーのタイムはあなたに負けてますけど、バ場が同条件ではありませんよ」

「うん。だからこそ、ここであなたと直接戦ってみたかった。東京2400という舞台で」

「望むところですよ」

 

 

 ディープインパクトさんは確かに凄いウマ娘だ。

 でも、私にもダービーウマ娘としての、そして二冠ウマ娘としてのプライドがある。

 なにより菊花賞で負けたからこそ、もっと強くなりたいと思って努力してきた。

 相手が誰であろうと、私は私のレースを貫くだけだ。

 

 

「楽しいレースをしよう」

「……楽しいのは勝者だけでしょう」

 

 

 いつの間にか小雨は止んでいた。

 絶対に勝ってやる。

 

 

『──さあディープインパクトはまずまずのスタート。逃げウマ娘不在のこのレース、先頭に立ったのは海外G1を制したコスモバルク。昨年の有記念でディープインパクトを下したハーツクライも前からのレース運びです』

 

 

 ディープさんは予想通り最後方の位置取り。対して私は中央でじっくりと追走する。

 ディープインパクトさんの持ち味と言えばなんといってもあの抜群の切れ味だ。末脚勝負に持ち込まれた時点で、私に勝ち目はないだろう。

 ならば、中盤から位置取りを上げて粘り勝負に持ち込むしかない。競り合いでの粘り強さが、私の持ち味だ。

 

 

『第4コーナーのカーブ! ディープインパクト上がってきた! 一人、また一人と料理していく!』

 

 

 感じる。

 振り向かなくても分かる、圧倒的な存在感。

 背後に怪物がいる。

 

 

(抜かせるか……っ!)

 

 

 いや、もういない。

 彼女は──既に、私の右隣にいた。

 

 

「は……?」

 

 

 大外をとてつもなくロスして回ってきたはずの彼女は、しかし瞬く間に直線を抜け出していた。

 

 

『完全に抜け出している! 先頭ディープインパクト!!』

 

 

 レベルが……違う……。

 こんなの、何回コンティニューできたとしても勝てる気がしない……。

 

 

『なんという強さ! 有記念も楽しみです!』

 

 

 自分の着順を気にしている余裕すらなかった。

 ただ、私は完敗したのだという事実だけが、重くのしかかっていた。

 

 

   ◯

 

 

「む、ムーンちゃん……? 何をやってるの……?」

 

 

 ジャパンカップは初めて掲示板すら外すという散々な結果に終わり、トレセン学園に戻る。

 すると、ルームメイトのアドマイヤムーンちゃんが、自室で荷物の整理を行っていた。

 彼女が我が子のように愛しているぬいぐるみやコンパクトソファーは全てダンボールの中に片付けられ、机の上からも私物が全てなくなっている。

 まるで、この部屋から立ち退いてしまうかのように──

 

 

「サムちゃん。私、やっと決心が付いたの」

「決心って……何が?」

「私ね、海外に挑戦する」

「……え?」

 

 

 海外……?

 

 

「い、いやいやいや! 海外挑戦するだけなら、こんなに片付ける必要ないよね! まさかふわふわを全部持っていくつもりなのっ?」

「うん、持ってく」

「もしかして私に気を遣ってくれてるの? 別に私はムーンちゃんの私物があっても気にしないよ!」

「違うよ。私はもうここには戻らないの。海外校に留学するから」

「留、学……?」

「他校の生徒が荷物をそのままってのはダメだよ」

 

 

 何を言っているのかが分からなかった。

 留学……? 海外校……? 他校の生徒……?

 

 

「知ってるよね。私、皐月賞では1番人気だったんだよ。クラシック三冠を期待されてた……でも、応えられなかった」

「だ、だけどシニア混合の札幌記念を勝って、天皇賞は3着でしょ! 立派な戦績だよ! なのに急に海外だなんて──」

「でも勝てなかったじゃんっ!!」

 

 

 普段の彼女からは想像できないような絶叫にも似た言葉に、思わず絶句してしまう。

 

 

「……大声出してゴメン。でも、私は今のままじゃダメなの。中途半端な自分から変わらなくちゃいけない。どんな手を使ってでも」

「それが、海外留学なの?」

「うん。まずは香港カップに出てみようと思うんだ」

 

 

 香港カップ。

 確か、アグネスデジタルさんが勝利したレースだ。

 

 

「それに、国内のレースも全く出ないわけじゃないよ。宝塚は走りたいし、あと天秋のリベンジもしたいし」

 

 

 どこか吹っ切れたような表情で笑うムーンちゃん。

 きっと、彼女なりに悩んで悩んで悩み抜いて決めたことなのだろう。

 だったら、私に止める権利なんてあるわけないよね……。

 

 

「あとさ! 香港名物の菠蘿包(ポーローパーウ)っていうふわふわサクサクのパンがあってね! 一度現地の本物を食べてみたかったんだよね~」

 

 

 えっ、もしかしてそれが主な目的なんじゃ……?

 

 

「ふっふっふっ、アヤベさんに自慢しちゃお☆」

「……海外でも頑張ってね、応援してるから」

 

 

 自分でもちょっと驚くくらい、心の込もっていない淡々とした声が出てしまう。

 でもムーンちゃんは海外に思いを馳せるのに夢中で、気づいていないようだった。

 

 

   ◯

 

 

「1ヶ月ぶりだね、メイショウサムソンさん」

「そうですね、ディープインパクトさん」

 

 

 ムーンちゃんが海外に旅立ってからしばらく。

 私は年末の大一番──有記念に出走していた。

 そこで、ディープインパクトさんと二度目の対峙を果たす。

 

 

「また一緒に走れて嬉しい。先代のダービーウマ娘とは走れなかったから」

「良いんですかそんな呑気なこと言って。あなたを負かすのは私かもしれないのに」

「うん。潰すつもりで来てほしい。私も全力で頑張る」

 

 

 ギュッと両手を胸の前で握りしめるディープインパクトさん。

 レースの時の姿を知らなければ、ただただ可愛いなこの人。

 でもあの末脚を知ってしまったら、とてもじゃないが可愛いだなんて思えない。

 

 

「日本ではきっと、これが最後のレースになるから」

「……? どういう意味ですか?」

「私はこのレースの後、海外に再挑戦する。もう一度ゼロから自分を見つめ直すために」

 

 

 海外。最近よく聞くワードである。

 皆、海外海外って──

 

 

「……そんなにこの国のレースは退屈ですか」

「? 何か言った?」

「別に……」

 

 

 実際、国内ではもはや無敵の彼女にとって、この国でやり残したことはないのだろう。

 海外の名高いG1レースに興味が向くのも当然だ。

 理解はできる。理解はできるけど……。

 

 

「ディープインパクトさんは、楽しいレースがしたいんですよね」

「うん。レースはいつでも楽しい」

「……じゃあ、私が楽しませてあげますよ」

「あなたって、優しそうな顔して結構強気だよね」

「それ、ディープさんが言いますか」

「? どういうこと?」

 

 

 本気で分かっていないようで彼女は首を傾げている。

 まあでも、強いウマ娘というのは、大なり小なり自分勝手なのだろう。

 

 

「ちょ! 離しなさいよ! 離せーっ!! やだやだやだやだ!! ゲートなんて絶対入らないんだから~!!」

 

 

 ……あの子はちょっとワガママすぎると思うけど。

 

 

「スイープトウショウさん、可愛いよね」

「えっ」

 

 

 ディープインパクトさんは何故かほっこりとした視線を彼女に向けていた。

 

 

   ◯

 

 

『さあディープインパクトは後方3番手。先頭はやはりアドマイヤメイン。2番手はダイワメジャーと続きます』

 

 

 菊花賞以来の顔合わせとなったアドマイヤメインちゃんがいつも通りの大逃げで1番手を独走する。

 それを落ち着いて追走するのがダイワメジャーさん。そして3番手に私という形。

 ダイワメジャーさんは天皇賞秋、マイルチャンピオンシップとG1を連勝しての有記念参戦だ。いくら主戦場がマイルとはいえ、ディープインパクトさんの次に警戒するべきはやはりこの人だろう。

 

 

「はじめましてだね、皐月賞の後輩ちゃん」

「……!」

 

 

 えっ?

 この人、レース中に話しかけてきた……!?

 

 

「ああ別に答えなくていいよ。アタシが勝手に喋ってるだけだから」

 

 

 これはG1──しかも有記念だというのに、なんてマイペースなウマ娘なんだろう。

 

 

「何も気にせず走れるってやっぱ最高だね。しかもそれが有記念だなんて、主治医さんには感謝しなくちゃな」

「……走れるだけで嬉しいです、ってことですか?」

「ん? まあ、勝てたらもっと嬉しいし楽しいよね」

 

 

 ディープさんも言っていた。楽しいレースをしようと。

 レースを楽しむ気持ち。なるほど、確かにそれは重要なのだろう。

 ウマ娘ならば誰もが最初に感じた、走る喜び。初心に返って起源(オリジン)に浸るのも、きっと悪くない。

 でも、悪くないだけ。

 レースは勝負事だ。

 勝たなければ意味がない、とまでは言わないけど──勝ちたいという気持ちを誤魔化すのもやはり違う。

 それはただの現実逃避だ。

 

 

「私は勝ちたい。一番になりたい!」

「ははっ、イチバンか。その通りだね!」

 

 

 第3コーナーのカーブで私とダイワメジャーさんは仕掛けた。逃げるアドマイヤメインちゃんを今回こそは捉えるために。そして、追い込んできているであろうディープインパクトさんを振り切るために。

 

 

『ディープインパクト上がってきた!』

 

 

 アドマイヤメインちゃんは捉えた。

 後はこのまま競り合い勝負に持ち込めば──

 

 

『ディープインパクト上がってきた!』

 

 

 タッ、と。

 ターフの上を走っているとは思えないくらい、とても軽やかな足音が鮮明に聞こえた気がした。

 

 

『メイショウサムソンをあっという間に置き去りにした!!』

「あ……」

 

 

 ああ……。

 なんて綺麗な姿で駆けていくのだろう。

 この人と一緒に走っていることすら、烏滸がましいことなんじゃないかとすら思わずにはいられない。

 そっか、はじめから勝てるわけがなかったんだ。

 だって私はこの人に──どうしようもないくらい、憧れていたのだから。

 

 

『間違いなく翔んだ!! ディープインパクト、最後の衝撃!!』

 

 

 せめて、掲示板内には。

 漠然とそんなことを考えながら、私はゴール板を通過した。

 誰よりも現実逃避をしていたのは──私だったんだ。

 

 

   ◯

 

 

 校舎の方から聞こえてくる歓声と笑い声。そして、装飾されたイルミネーションの輝き。

 それをなんとなく見つめながら、そういえば今日はクリスマスだったなと思い出した。

 なんでも今年のクリスマスイベントは生徒会が主催らしく、あのルドルフ会長がクリスマスツリーの仮装をしているとかなんとか。

 それに興味が無い訳じゃないけれど──どうしても、動く気になれなかった。

 私は大樹のウロに背中を預けて、叫ぶわけでもなくただぼーっと夜空を眺めていた。

 

 

「5着かぁ……」

 

 

 せめて掲示板に入りたいと願ったら、本当にその通りの結果になった。

 まさに望み通り。願いは叶ったのだ。

 

 

「……ふざけるな」

 

 

 腹が立つ。

 ああ、腹が立つ。

 何が腹立たしいって、1着を諦めてしまった自分に腹が立つ。

 ドトウさんなら絶対にそんなことはしない。彼女はいつだって1着を目指し続けていた。その執念が結実したからこそ、彼女は世紀末覇王を倒せたのだ。

 一方、私はどうだ。

 無敗の三冠ウマ娘に対して、執念を燃やし続けていただろうか? 絶対勝つんだという思いを本当に持ち続けていたか?

 答えなんて言うまでもない。

 

 

「なんでこんなに弱いんだろ……」

 

 

 ぽたぽた、と。

 雨が降ってきたのかと思った。

 でも、それが自分の目からこぼれ落ちる大粒の涙だと気づいた時──私の中で何かが決壊した。

 

 

「っ……ううう……。ああぁぁああああ……っ!」

 

 

 私は無敗のウマ娘ではない。三冠ウマ娘でもない。

 だからこそ、負けることには慣れていると思っていた。

 いや、そう思い込もうとしていた。

 でも違った。

 私は負けるたびに悲しくて悔しくてメソメソ泣く、どうしようもないウマ娘だった。

 そして、そうやって停滞している私を、皆があっという間に置き去りにしてしまう。ムーンちゃんもディープさんも夢のために進むことを選んだのに、私だけが取り残されていた。

 

 

「レースなら、主役になれると思ってた……でも違った! この世界の主役はあの人で……私はそうじゃなかった!」

 

 

 普通な私でも、地味な私でも、何者でもない私でも。

 主人公(シンデレラ)になれるかもだなんて、夢見がちな妄想でしかない。

 主人公はどう考えても──あの人だ。

 

 

「やっぱり私は普通で、地味で、何者にもなれないんだ……」

「それは違う」

 

 

 キッパリと。

 突然現れたその凛とした声は、短くも力強く、私の言葉を遮った。

 

 

「レースは主役が勝つんじゃない、勝った者が主役なんだ。そう──このボクのようにね!」

「あ、あなたは……?」

「聞かれたからには答えよう! 初めましてだねメイショウサムソン。ボクこそがテイエムオペラオーさ!」

 

 

 この人が世紀末覇王……!?

 

 

「ど、どうして、あのテイエムオペラオーさんが私の名前を……?」

「おいおい、我が終生の宿敵(ライバル)と同じ名を持ち、さらにはサムソン(太陽)だなんて、このボクが見逃すはずがないだろう?」

 

 

 それに、とオペラオーさんは続けた。

 

 

「何故だか君のことは他人だとは思えなくてね! さながらヘンゼルとグレーテルさ!」

「は、はあ……」

 

 

 二人でお菓子の家でも探すことになるのだろうか。

 

 

「ボクは乙女の涙に弱くてね。君のように可憐な少女が泣いていると、どうしてもその涙を拭いたくなってしまうのだよ」

 

 

 そう言って、オペラオーさんはハンカチで優しく目元を拭ってくれた。

 

 

「さあ、立つんだサムソン。この手を取り、己の足で立ち上がるんだ。さすれば、ボクは君を限界のその先へと導くことを約束しよう」

「限界の……先?」

 

 

 オペラオーさんは「ああ」と頷く。

 

 

「君は弱くなんかない。自分を卑下するのはやめたまえ。自分のことすら肯定できなくなったら、本当に誰も肯定してくれなくなるぞ」

「で、でも……! 私は有記念で思っちゃったんです! 負けるのを怖がってるくせに、負けるならせめて掲示板に入りたいって……! こんな自分嫌なのに、今でも私は、ホッとしてるんです……」

「それの何が悪いと言うんだい?」

「え……?」

 

 

 てっきり叱責されると思っていたのに、返ってきたのは予想外の言葉だった。

 

 

「負けるのが怖い。当たり前だ。負けるならせめて少しでも良い順位。これも当たり前だ。肝要なのは、その敗北をどうやって次に繋げるかだろう?」

「次に……」

 

 

 次のレース。考えてもいなかった。

 いや、前までの私なら考えていたのかもしれない。

 でも今の私はそんな当たり前のことも見失っていた。

 私は反省すら放棄していたんだ。思い出すのが怖かったから……。

 

 

想像(イメージ)するんだ。荒唐無稽な妄想(フィクション)ではなく、今の己の延長線上にいる最優の自分を! そして演じるんだ、自分という最強を!」

「イメージ、演じる……?」

 

 

 最優。

 最強。

 私にとって最も優しく優れていて、最も強い存在は、一人しかいない。

 

 

「こ、こんな感じでしょうかぁ~?」

「ハーッハッハッハッ! 君にとっての最強はドトウなのかい!?」

「だ、ダメですかね~っ?」

「いいや──素晴らしい(エクセレント)! 君の見る目は確かなようだ! そしてこのボクの見る目もね!」

 

 

 再び、オペラオーさんは手を差し出す。

 

 

「ボクと共に来い、サムソン! 覇王たるこのボクが、君を仮面舞踏会(マスカレード)に招待しよう!」

 

 

 その手は、一歩間違えば自分自身を破滅へと導く悪魔(メフィスト)の手なのかもしれない。

 ならば私は黒魔術師(ファウスト)か。

 

 

「はい! あなたにお供させてください、オペラオーさん!」

 

 

 それでも構わなかった。

 もう誰にもあの場所を譲りたくない。何者でもない自分で終わりたくない。

 主人公になれなくてもいい。だから、勝つためなら覇王にだって魂を捧げてやる。




◇メイショウサムソン
 限界を超えると誓った二冠ウマ娘。

◇メイショウドトウ
 同じチームに所属するドジっ子ウマ娘。

◇テイエムオペラオー
 世紀末覇王の異名を持つグランドスラムウマ娘。

◇アドマイヤムーン
 海外に旅立った元ルームメイトウマ娘。

◇スイープトウショウ
 ゲートイン嫌々のダダっ子魔女ウマ娘。

◇ダイワメジャー
 世界でイチバン可愛い妹がいる姉貴ウマ娘。

◇ディープインパクト
 無敗の三冠ウマ娘。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。