タキオンさん助けて、俺ウオスカの間に挟まれちまう 作:フルゥチヱ
「なんですかこの惨状は……」
「あっ、カフェさん」
軽く掃除を終えてトレーナーさんが淹れてくれた紅茶を三人で飲んでいると、遅れてやってきたカフェさんが引き気味に呟いた。
カフェさんの言う通り、片付けたとはいっても、俺たちがやったのは精々ガラス片を箒とチリトリで集めて、煤を拭き取ったくらいである。根本的に老朽化していた設備は、正直素人ではどうしようもない。
なので爆発によって吹っ飛んだ壁や扉は、後日に生徒会とトレーナーさんが業者さんを手配して修理をお願いすることになった。
「やあ、遅かったねカフェ」
「今日は日直だったんです。しかし、その数十分間でまさかこんなことになっているとは……。タキオンさん、またアナタの仕業ですね……?」
「おいおい、そうやってすぐ誰かを疑うのはよくないよ? 私は薬品調合のために可燃性物質を煮ていただけであって──」
「やっぱり……アナタのせいじゃないですか……!」
「お、落ち着きたまえカフェ! グーはよくないよグーは!」
カフェさんの長い黒髪がボワっと逆立つ。凄い迫力だ。
「まさか、私のアンティークにも被害を……?」
「い、いや、それは大丈夫。爆発は小規模だったから安心したまえ」
「普通は……校内で爆発が起こることがおかしいんですが……」
それならまあいいです、とカフェさんは小さく溜め息を吐く。
二人の会話が一段落ついたところで、俺はおずおずとカフェさんに話しかけた。
「あ、あのぉカフェさん、この絵画なんですけど、額縁に煤が付いちゃってたんで拭いたんです」
「ああ……ありがとうございます、ディープさん」
「そ、そしたら、絵が勝手に動き出しちゃってっ! ど、どうしたらいいですかねこれ……!?」
満天の星空が描かれていたはずの絵画は、今は雲一つない青空を描いていた。
ど、どうしよう。こんなに大きな額縁に飾られてる絵なんて絶対高価なものだよね……!?
弁償できるかな……? 今、お財布の中には1000円札すら入っていないのに。
「いえ、これは……アナタに感謝していますね。キレイにしてくれてありがとう……と、言っていますよ」
「……ほへ?」
感謝?
「大切に扱った物には、魂が宿るんです……。アナタが丁寧に扱ったからこそ、応えてくれたんですよ」
「お、おいプスカ君、本当に大丈夫なのかい? それカフェの私物だろう? 私が触れた時は研究資料が突然燃えたんだが?」
タキオンさんは何故かひどく怯えた様子で、ソファーの後ろに隠れていた。
「……? 特に何も起こらないですよ?」
「ディープさんの場合、純粋な善意で触れているからでしょうね……タキオンさんと違って」
「それじゃまるで、私が悪意をもって触れたみたいじゃないか」
「そう……言っているんです……」
どこからともなく吹いた隙間風が、頬を優しく撫でる。
京都から帰ってきて、ご先祖様の声は聞こえなくなっちゃったけど、そばにいてくれる気がした。
◯
「「「スイーツ! スイーツ!」」」
研究室が大破してしまったので、自主トレとして校舎の外周を走っていると、グラウンドの方からそんな走り込みの掛け声が響いてきた。
それだけではない。
プールや体育館、果ては校内の廊下など、至るところで練習に励むウマ娘の姿が散見された。
この時期は毎週のようにG1レースが開催されるとタキオンさんが教えてくれたことを思い出す。
サムちゃん先輩が勝った天皇賞春の他に、あのえぬえいちけーまいるやゔぃくとりあまいるも行われた。ゔぃくとりあまいるはとても可愛らしい名前のウマ娘が勝っていたので、なんとなく印象に残っている。
そしてもうすぐ開催されるのが、クラシック戦線の王者を決めるオークスとダービーである。
オークスはスカーレットさんが、ダービーはウオッカさんが出走登録してるレースだ。
宿命のライバルがそれぞれ別路線に進むということで、現在トレセン学園ではその話題で持ちきりだった。
「ダービーかあ……」
サムちゃん先輩が教えてくれた。最も運のあるウマ娘が勝つレースだと。
もちろん運だけあれば勝てるというわけではなく、実力も兼ね備えた上で運も必要という話なのだろう。
そしてクラシック三冠を目指す上では、絶対に避けては通れない道。
「ウオッカさん、勝てるかな……?」
京都で軽くウオッカさんと話をしただけでも、彼女が本気でダービーウマ娘を目指しているという覚悟がこれでもかってくらい伝わってきた。
ティアラ路線からクラシック路線へのコンバート。
他の有力なウマ娘たちは前走に2000メートルの皐月賞を走ってるのに対して、ウオッカさんの前走は1600メートルの桜花賞だ。800メートルの距離延長は単純に負担も大きいだろうし、なにより2000メートル以上の中距離はダービーで初挑戦だと言っていた。
普通に考えれば、圧倒的に不利。
でもウオッカさんなら、何かドでかいことを成し遂げてくれる気がした。
「次は、俺もダービーに……!」
両手をグッと握りしめて再び駆け出した瞬間。
曲がり角で、誰かとぶつかってしまった。
「おっと、大丈夫?」
「す、すみませんっ。よそ見しちゃってました!」
「アタシの方こそごめんね。見ての通り荷物が多くてさ」
とてもスタイルの良いその栗毛のウマ娘は、両手に大きなビニール袋を抱えていた。中にはスポーツドリンクやゼリーなんかが大量に詰め込まれている。
「あの、もしよかったら運ぶのお手伝いしますよ」
「ホント? ありがと、助かるよ」
ビニール袋を受け取る。
渡されたのはゼリーが入っている方の袋だったので、そこまでの重量ではなかった。
「君、ダービーに興味があるの?」
スタスタと前を歩く栗毛のお姉さんについて行くと、そんなことを聞かれた。
はて? そういえばこの人、よく見ると誰かにすごく似ているような……?
「はいっ、次回のダービーに出たいです!」
「ふうん、ダービー……ね。アタシの見立てだと君、マイラーっぽいんだけどな。それでもダービーでイチバンを目指したくなるのが、アタシたちウマ娘の運命ってやつなのかな」
「? 俺、マヨネーズは好きですけど、マヨラーを名乗れるほど好きではないですよ?」
サラダにはドレッシング派です。
するとお姉さんは、ケラケラと笑っていた。
「アハハ。マヨラーじゃなくてマイラーだね。君は不思議なニオイがするな。あの子と似てるかも」
「えっ、臭ってましたか!? すみません!」
「あ、いや、そういう意味じゃ……君はウチの妹に負けず劣らずの天然だね」
最近サムちゃん先輩のスキンシップがさらに過激になってきてるから、体臭のケアは念入りにしていたはずなんだけどな。
やっぱりトレーニングをしてると、どうしても汗のニオイは出てしまうのだろうか。
今はウマ娘として生活している以上、もっと気をつけないと……!
「そういえば、この荷物はどこに運んでいるんですか?」
こんなにたくさん必要ってことは、チームの人たちの分とかなのかな?
「いや、看病のためだよ」
「看病?」
「といっても、アタシもレースが近いから会うのは禁止ってトレーナーに言われちゃったんだけどね。せめて物資の支援くらいはしないと、お姉ちゃんとしての面目が立たないからさ」
だから、と。
「アタシの代わりに君が届けておいてくれないかな。君のこと、スカーレットちゃんも気に入ってるみたいだし」
「えっ。風邪なのってスカーレットさんなんですか?」
「妹と仲良くしてくれてありがとう。また会おうね、ディープスカイちゃん」
栗東寮の前で俺の頭をそっと撫でてから、お姉さんは美浦寮の方へと立ち去っていった。
ふわあ、と眠そうな大きな欠伸を噛み締めながら。
……そういえば、あのお姉さんのお名前聞くの忘れてた。
◯
両手に荷物を抱えて栗東寮に入ると、そこでは修羅場が炸裂していた。
「離しなさいよッ! 練習するんだから!」
「いやお前自分の体温分かってるのか!? 無理に決まってるだろ!? ぶっ倒れるぞ!」
「知ったこっちゃないわよ! 絶対にオークスを勝つんだから! イチバンになるんだからぁ!」
「スペ! テイオー! お前らは両腕を抑えろ! アタシは足を掴む!」
「了解ですゴールドシップさん!」
「スカーレット落ち着いてよ~!」
「アタシはいつも通り落ち着いてるわよ!」
「
「離しなさいよ! 離してよぉ!」
暴れる一人のウマ娘を、三人のウマ娘が取り囲んで抑えつけている。
近くにいる無精髭の似合う男性は彼女たちのトレーナーさんだろうか。担当トレーナーが寮への立ち入りを許可されるくらいの緊急事態。
そこで暴れているのはスカーレットさんで、それを必死に抑えつけているのはゴールドシップさんだった。
「大変なことになったね、これは……」
我らが栗東寮の寮長であるフジキセキさんは苦笑いを浮かべている。
ゴールドシップさんは今手が離せないみたいなので、彼女に事の顛末を聞くことにした。
「まあ、端的に言えばスカーレットが風邪を引いたってだけなんだけどね。ほら、時期が時期だからさ」
「あ、オークス……」
「うん。多分、厳しいだろうね」
厳しい。
それはフジキセキさんなりに濁した表現なんだろうけど、とても残酷な響きを伴っていた。
つまり──オークスは走れない。
あのスカーレットさんが。あんなに強いダイワスカーレットさんが、こんな形でトリプルティアラの夢を絶たれるのか?
そんなの、そんなのって……。
「あんまりじゃないですか……」
「でも、これがレースの世界だよ」
フジキセキさんの言葉は、あまりにも重かった。
どんなに速くても、どんなに強くても──運がなければ、夢は叶わない。
「まだよ! こんな風邪すぐに治して……」
しかし、それでもスカーレットさんは諦めない。
「絶対オークスに出てやるんだからッ!!」
涙交じりのスカーレットさんの言葉。
いや、涙交じりなんてものじゃない。高熱というのもあるのだろう。その顔は汗と涙と鼻水でグチャグチャだった。
その瞬間──俺は目眩がするほどの強烈な既視感を覚えた。
"二度と走れなくなったって構うものか!!"
これは、誰? 誰の記憶だろう?
知らないはずの記憶が、ありえないほど鮮明に呼び起こされる。
血液そのものが叫んでいるかのように、誰かの声が全身を駆け巡る。
"絶対ダービーに出てやるッ!!"
思わず泣きそうになってしまうくらい悲痛な叫び。
知らないはずの誰かの叫びは──すごく聞き覚えのある声をしていた。
「今、のは……?」
「プスカからも言ってよ! アンタならアタシの気持ちを分かってくれるでしょ!? アタシなら絶対トリプルティアラになれるって言ってくれたじゃない!!」
ガツン、と脳を揺さぶられた気がした。
応援のつもりで言った軽率な言葉が、最悪の形で返ってきた。
知らないということは、罪なんだ。
「スカーレットさん……っ」
俺に、俺なんかに、何ができるのだろう。
彼女の痛みを、悲しみを、何も知らない俺が分かち合うことなんてできるのだろうか。
それでも、俺はスカーレットさんの──
「お姉、ちゃん……っ」
妹なのだから。
いや、妹じゃないんだけどさ。
「プスカぁ……」
「スカーレットお姉ちゃんはさ……頑張りやさんだから、ちょっとくらい休んでもいいと思うんです」
「ッ、ひくッ、うぇぇぇぇぇんッ! プスカぁ! プスカぁぁっ!!」
「俺、何もできないけど、そばにいますから……デビュー前の俺になら、風邪が感染っても平気ですから」
「アタシ、走りたかった……! オークスに出たかったぁっ!! うわああああん!」
スカーレットさんは大きな声を上げてしばらく泣き続けた。
それを俺はよしよしと撫で続ける。
そういえば、誰かに撫でられることはあっても、誰かを撫でるなんて初めてだなあ、とか考えながら。
「あの子ってスカーレットの妹なのか……?」
「スカーレットさんに妹さんがいるなんて初耳です……!」
「でもあんまり似てなくない? 複雑なご家庭なのかな?」
「流石だなディープ。バブみまで兼ね備えているたぁ恐れ入ったぜ……!」
ゴールドシップさんも含めて、あの人達はスカーレットさんの所属するチームのトレーナーさんとメンバーの方々なのかな。
すると、先ほど大慌てで外へ出ていったマックちゃんさんがいつの間にか戻ってきていた。
「お待たせいたしましたわ! 主治医、早く鎮静剤を!」
「主治医です」
ブスッ、と。
どこからともなく現れたその白衣の男は、スカーレットさんに恐ろしくはやい注射を突き刺していた。
あまりの手際の良さに、スカーレットさんは声すら上げることなくグッタリと意識を失う。
「ひ、ひぇっ」
怖っ。
この人、時代が違えば忍者とかだったんじゃ……。
強制的に眠りへと落とされたスカーレットさんを、ゴールドシップさんたちがえっほえっほと運んでいく。
すると、彼女たちのトレーナーさんが近づいてきて、スッと頭を下げた。
「スカーレットが迷惑を掛けたな。アイツに代わって礼を言わせてくれ」
「い、いえ! 頭を上げてください……! 俺、結局なにもしてませんし……!」
「いや、君がいなければ最悪の事態もあり得た。トレーナーの俺が不甲斐ないせいだ……」
彼は悔しそうに歯噛みする。
とても責任感の強そうな人だ。
それだけに、今回のことは誰よりも辛いのだろう。
「ところで君は、スカーレットの妹なのか?」
「あ、えっとその、それには深いワケがあるというか……」
妹ではない。
が、二回お姉ちゃんと呼んだのも事実だ。
「フム。線は細いがスカーレットの妹なだけあって良いトモをしている。このしなやかな筋肉はマイル向きか? いやしかし、スタミナを伸ばせば中距離も……」
「あ、あの、何をしてるんですか……?」
スカーレットさんのトレーナーさんに膝周りをニギニギと触られる。
触り方から下心による行為じゃないことは分かるが、少し恥ずかしい。
「スカーレットとウオッカの下の世代が欲しいと思っていたところだ。君、ぜひチームスピカに──」
「アタシのリーダーになに痴漢してんだテメエぇぇぇッッ!!」
そんな怒号と共に、ゴールドシップさんのドロップキックがトレーナーさんの顔面に突き刺さっていた。
トレーナーさんは栗東寮から追い出されるかのように、表の道まで吹っ飛ぶ。
「と、トレーナーさーん!?」
「下がれディープ! この変態はアタシが始末する!」
「待て待て待て! 勘違いだ! 俺は彼女の才能に見惚れただけであって──」
「ほう? それはコイツがウマドルと知っての狼藉か?」
「は? ウマドル?」
「それにこいつ、タキオンのチームメンバーだぞ」
「うんうん。そういうわけだねぇ、チームスピカのトレーナー君?」
「あ、タキオンさんっ」
「は……?」
いつの間にか現れたタキオンさんが、スピカのトレーナーさんの肩に手を置いていた。
とっても良い笑顔である。
「スカーレット君に薬を届けに来たら、まさかこんなことになっているとは……ぜひ話を聞かせてもらいたいところだねぇ」
「い、いや、俺はあの子がアンタのチームに所属してるなんて知らなくて……!」
「ゴルシ君、悪いが君のトレーナーを少しの間お借りしてもいいかな?」
「おう、構わねーよ。モルモットでもなんでも好きにしてくれ」
「ゴルシ!? お前自分のトレーナーがどうなってもいいのか!?」
「ディープ、大丈夫だったか? ああいう時は顔を蹴ってもいいんだぞ?」
「ゴルシぃ!?」
「今のはトレーナーが悪いよ」
「ですね」
「では行こうかスピカのトレーナー君! なに、楽しくお話死するだけさ!」
「今イントネーションがおかしくなかったか!? た、助け──嫌アアアアアア!?」
タキオンさんは風のように現れて嵐のように去っていった。
あまりの怒涛の展開に、何が起こったのか正直理解が追いついていない。
追いついていないが、こんな時にこそあれの出番だ。
「あの、スピカの皆さん──八ツ橋食べます?」
「「八ツ橋ですか(ですの)!?」」
「おっと食いしん坊二人がすんごい食いついたぞ」
「というか、キミはそれでいいの? 痴漢されたんだから、もっと怒ってもいいのに」
「えっ!? 俺って痴漢されてたんですか!? いつの間に!?」
「……ねえゴルシ、この子って」
「何も言うなテイオー。アタシたちは陰ながら見守る。それが正解なんだ」
「う、うん……」
チームスピカの皆さんはとても優しかった。
◇ディープスカイ
アグネスタキオンの弟子であり新進気鋭のウマドルでありダイワスカーレットの妹(妹ではない)
本人の預かり知らぬところで名前が広まりつつある。
◇アグネスタキオン
過保護が極まりつつあるお師匠様。
弟子の為なら他所のトレーナーを実験台にするのも辞さない。
◇ダイワスカーレット
発熱でオークスは出走回避になった。
自分のことをチームスピカで一番まともだと思っている。
◇ゴールドシップ
ウマドル仲間の為ならトレーナーへのドロップキックも辞さない。
自分のことをチームスピカで一番まともだと思っている。
◇メジロマックイーン
清楚なお嬢様だがスイーツのことになると我を忘れる。
自分のことをチームスピカで一番まともだと思っている。
◇スペシャルウィーク
食いしん坊のけっぱりダービーウマ娘。
自分のことをチームスピカで一番まともだと思っている。
◇トウカイテイオー
三度の骨折を乗り越えた不屈の二冠ウマ娘。
自分のことをチームスピカで一番まともだと思っている。
◇チームスピカのトレーナー
若き敏腕トレーナーだが痴漢癖がある。
自分のことをチームスピカで一番まともだと思っている。
◇主治医
主治医です。