タキオンさん助けて、俺ウオスカの間に挟まれちまう 作:フルゥチヱ
「情けないところを見せちゃったわね……」
「いえ、えっと、その……まあ、はい」
おでこには濡らしたタオル、口元にはマスクという姿で横たわるスカーレットさんの言葉。それに俺は曖昧に頷くことしかできない。流石のスカーレットさんも、一眠りして落ち着いた様子だった。
ここはスカーレットさんの自室である。彼女のルームメイトであるウオッカさんは現在ダービーを目前に控えている為、アストンマーチャンさんという友人の部屋で寝泊まりしているらしい。
一緒に看病をしているタキオンさんは、乳鉢でゴリゴリと飲み薬? を調合していた。
「ほらスカーレット君、飲めるかい?」
「は、はい……」
彼女が薬を口に含むと、すかさず俺は水の入ったペットボトルを渡す。
かなり苦かったのか、スカーレットさんは顔を顰めていた。
「ぷは。ありがとうございますタキオンさん……」
「すまないね。研究室が健在なら、錠剤にして飲みやすくも出来たのだが」
「いえっ。タキオンさんのお薬があれば、こんな風邪ヘッチャラですっ」
「……そうかい。解熱効果は保証するよ。少しは楽になるだろうさ」
優しく微笑むタキオンさん。
それに安心したのか、スカーレットさんはホッと胸を撫で下ろしていた。
「あのスカーレットさん。ゼリーとかなら食べられそうですか?」
「あんまり食欲はないけど……プスカが買ってきてくれたの?」
「いえ、通りすがりのお姉さんに頂いたんです」
多分スカーレットさんのお知り合いだと思うんだけど、名前聞くの忘れちゃったんだよな……。
あの人から受け取った袋をガサガサと漁って、そこから一つにんじんゼリーを取り出す。
パウチに小分けにされたこのゼリーなら、病人でも食べやすいはずだ。
「……バカ姉貴。自分の方が病弱の癖に、アタシに気なんて遣ってんじゃないわよ」
そんなスカーレットさんの涙交じりの呟きは、ビニールの音に掻き消されて聞こえなかった。
「ねえプスカ。一つお願いがあるの」
「なんですか? スカーレットさん」
冷水で濡らしたタオルを絞っていると、スカーレットさんにこんなことを頼まれた。
「ウオッカのダービーを見てきてほしいの」
「ダービーを?」
「それはいい提案だね。プスカ君もクラシックを目指す者として、ダービーの空気を味わってきたまえ」
「アタシはこんなだから多分行けないし……それにプスカもダービーが目標なんでしょ? ウオッカがバカみたいに喜んでたわよ。一緒にダービーウマ娘を目指す後輩が出来たって」
バカと言いつつも、その表情は穏やかな笑みを湛えていた。
きっと彼女は、ウオッカさんがダービーを勝つと信じている。
最高の仲間であり、最高のライバル──それがスカーレットさんとウオッカさんなんだ。
「わ、分かりましたっ。俺、スカーレットさんの分もウオッカさんを応援してきます!」
「は、はあ!? 全然応援とかしてないんですけど!? アタシはただ見てきてとしか言ってないんだから、勘違いしないでよね!」
なんてコテコテなツンデレなんだろう。
「スカーレット君もだいぶ元気が戻ってきたみたいで良かったよ」
「タキオンさんとプスカのおかげです。プスカ、感染らないようにちゃんと手洗いうがいするのよ?」
「あ、それについては多分大丈夫です! 俺、何故か一度も風邪をひいたことがないので!」
「そ、そうなの……?」
「プスカ君は健康優良児で素晴らしいねぇ」
タキオンさんは褒めてくれたが、スカーレットさんには何故か若干気の毒そうな目を向けられていた。
彼女は視線を手のひらに落とすと、グッと握りしめる。
「それに、アイツとの決着はまだついてない。秋華賞にはウオッカも出てくるはず。そこでは絶対アタシが勝つんだから!」
「うんうん。その意気だよスカーレット君。やっぱり君は前を向いている姿が一番だねぇ」
「はいっ! 振り向かないのがアタシの生き方ですから!」
「……ちょっとくらい振り向くのも大事かもですよ?」
例えば誘拐の反省とか。
しかし、少し元気を取り戻したスカーレットさんの耳には届いていないようだった。
◯
「フッ、来たかディープスカイ」
「すみませんギムレットさんっ! お待たせしました!」
「気にするな。柵折り──いや、指折り数えて待っていたところだ」
なんだろう、今すごく不穏なワードが聞こえた気がする。
ダービーの開催当日。東京レース場の正門前で、俺はタニノギムレットさんと待ち合わせをしていた。
東京レース場はトレセン学園と同じく府中にあるので迷うことはなかったのだが、人混みが凄くて中々辿り着けなかったのだ。
「それにしてもめちゃくちゃなお客さんの数ですね。これが日本ダービー……!」
「年に一度の
ギムレットさんは相変わらず語彙が絶好調だ。
現在、タキオンさんはスカーレットさんにつきっきりで看病をしている。そこでタキオンさんは、このギムレットさんに俺の引率をお願いしてくれたのだ。
「では早速赴くとするか、
「あれ? 出走前にウオッカさんにお会いしなくて良いんですか?」
てっきり、ギムレットさんは激励の言葉を送りに行くものだと思っていた。
「必要ない。アイツと俺の間に言葉は不要。このワタシの熱き魂の
「お、おお……! なんだかカッコいいです……!」
「クククッ。そう遠くない未来、オマエにも分かる時が来るだろう」
意味深に笑うギムレットさん。
この人の言葉はいつも、頭では分からなくても、心で理解できる気がする。
「目に焼き付けておけディープスカイ。これが──ダービーの景色だ」
通路を抜けて、門をくぐると、まず超巨大なスタンドが俺たちを出迎えてくれた。スタンド前の広場は大勢の観客で賑わっている。
「わあああ……!」
照りつける日差しと、ほのかな芝の香り。
ここが東京レース場。ここがダービーの舞台。
瞬き一つする時間さえ惜しくなるくらい、俺はその景色に釘付けになっていた。
いつか俺も、この場所で──
「感じたようだな、運命の黎明を。やはりオマエはワタシと同じ道を歩む者のようだ」
「?」
「心躍ると同時に、嫉妬せずにはいられないな、若き
「???」
「だが
「?????」
やっぱりギムレットさんの言うことはよく分からないかもしれない。
◯
東京レース場にファンファーレが響き渡ると、大地が揺れるほどの凄まじい歓声が沸き上がる。
いったい何人の人たちがこのレースを見守っているのだろう。
新たな時代──ギムレットさんがそう表現するのも納得なほどの緊張感。
これはただの1レースに留まらない。何か大きな壁を蹴破るかのような、そんな気配を感じていた。
「……あァ?」
あと、4枠8番のウマ娘がメチャクチャこっちのこと睨んでる気がするけど、気のせいだよね……?
さっきから原因不明の寒気が止まらないけど勘違いだよね……?
『さあ18人のウマ娘たちがゲートに収まりました』
どのウマ娘も順調にゲートインし、一瞬の静寂が東京レース場を支配する。
『一生に一度の2400メートル! 今、スタートしました!』
ゲートが開く。
ダービーが始まる。
「──えっ?」
あっという間だった。
いや、実際には2分以上の時間が流れている。
そのはずなのに、それを自覚できないほど見入ってしまっていた。
ゴールまで残り100メートル以上はある。それなのに勝ちを確信できる。
まさに、格が違った。
『先頭はウオッカだ! ウオッカ先頭! なんとなんと、ジュニア女王が見事ダービーの頂点に立ちました!』
3バ身差──まさに圧勝。
右手でガッツポーズをするウオッカさん。
その姿は、あまりにも格好良かった。
「フハハハハッ! 素晴らしいぞウオッカ! 今この瞬間、オマエは俺を超えた! オマエがこの時代の主役だ! 過去なんて全部超えちまえ! 全部ブッ壊せェッ!」
本当にダービーを勝ってしまった。
これがウオッカさんなんだ。
不可能を可能にしてしまう、新時代のウマ娘なんだ!
「俺も……!」
俺ももっと強くなって──
いつか、あの人と同じ舞台に立ちたい!
◯
「ウオッカさんっ! おめでとうございます! これ飲み物です!」
「サンキューなプスカ。んぐ、んぐ、ぷはーっ! ダービーの後の1杯は格別に沁みるぜぇ!」
「もっと酔うがいい! 今日は無礼講だ! この俺がいくらでもご馳走しよう!」
「マジすか!? あざっすギム先輩! ほらプスカも飲め飲め!」
「は、はいっ! いただきます!」
「「「ワーッハッハッハッハ!!」」」
「「麦茶だこれ!」」
レースを終えたウオッカさんと合流した後、俺たちは東京レース場の広場にレジャーシートを敷いて祝勝会を行っていた。
中央にはギムレットさんが買ってきてくれたハンバーガーやピザが所狭しと並べられていて、ちょっとした宴会みたいになっている。
「マーチャンも遠慮なく食ってくれよな! 部屋借りてた礼だ!」
「さんきゅーなのですウオッカ。実はマーちゃんアラートも『すきっぱら』だったのです」
スカーレットさんが風邪の間、ウオッカさんが部屋を間借りしていたアストンマーチャンさんも応援に来ていたみたいで、せっかくならと一緒に祝勝会をしていた。
このレジャーシートもマーチャンさんが用意してくれたものである。座り心地は良いのだが、シートのあちこちに彼女の似顔絵がプリントされていて、踏みつけていると罪悪感が凄かった。
「お気になさらず。愛すべき国民的マスコットたちも、かつては辛い下積み時代を経験してきたものなのです」
「なるほど……?」
分かるような、分からないような。
下積みって、物理的に踏まれることなのかな……?
じいっと、マーチャンさんの深い瞳と目が合う。
「あなたもマスコットを目指しているのですか? マーちゃんは世界一のマスコットを夢見るマーちゃんなのです」
「ま、マスコット……?」
そんなものを目指した記憶は生まれてこの方一度もない。
「……なるほど、なちゅらるぼーんマスコット。これは強敵出現なのです」
「えっと……?」
「これはお近づきの印なのです。今後ともよしなに」
「ど、どうも」
マーチャンさんのお人形を頂いてしまった。
俺にこれをどうしろと。
「──スカーレットのやつ、風邪治ったかな」
ウオッカさんは物思いに耽るように、夕焼けに染まり始めた空を見上げている。
きっと何日も会えていないのだろう。普段はずっと一緒にいるルームメイトなのだから、その心配は当然だ。
「タキオンさんの薬のおかげで順調に回復してるみたいですよ。秋華賞では絶対アタシが勝つって言ってました」
「そうか、スカーレットらしいな。まっ、勝つのは俺だけどな! 他にもなんか言ってたか?」
「えっと……」
他には確か……。
「『全然応援とかしてないんですけど!? ウオッカのためなんかじゃないんだから、勘違いしないでよね!』って言ってました」
「お、おう。まあ元気そうで何よりだ」
「きゅーそくに進化した現代だからこそ、古き良きのつんでれが刺さる。さすがはスカーレットなのです、メモメモ」
そんな会話をしながら楽しく飲んだり食べたりしていると、ウオッカさんの所に一人のウマ娘がソワソワした様子でやってきていた。その手には色紙とペンが握られている。
「あ、あのっ! ウオッカしゃま!」
しゃま?
「さ、さささ、サインを頂けないでしょうか!」
赤いリボンを付けたそのウマ娘は、尻尾をピーンとさせながら頭を下げた。
するとウオッカさんは明るく微笑み、色紙とペンを受け取る。
「誰かと思えばディザ子じゃねえか。お前も応援に来てくれてたのか? ありがとな」
「ひ、ひょえ……わ、私の名前、お、覚えていてくれたんですか……?」
「当たり前だろ? 可愛い後輩のことを俺が忘れるもんかよ」
「か、かわ……!? かわ……っ!!?」
「ほら、書けたぜ」
物凄い勢いで尻尾が揺れている。
サインを貰えたことがそんなに嬉しかったのだろうか。
「ありがとうございましゅ! 家宝にさせていただきますっ!」
嬉しかったみたいだ。
「可愛い後輩……! 可愛い後輩だなんて……! そ、そんなふうに思ってもらえてるということは、これはもう結婚も近いのでは……!?」
この子は何を言っているんだろう。
「あ、もちろんプスカのことも可愛い後輩だと思ってるぜ!」
「え?」
突然こちらにグッとサムズアップするウオッカさん。
嬉しいのだが、今はなんだか嫌な予感が……。
「……はい?」
ゾッとするほど低い声と共に、鋭い視線が俺を射抜く。
ウオッカさんのファンであるその鹿毛のウマ娘は、わなわなと震えていた。
「ウオッカ様に可愛い後輩は2人もいらない……私だけ……ワタクシだけでいい……」
この子超怖い!
「ま、待ってっ! 俺とウオッカさんは君が想像するような関係じゃないんですっ!」
「……ほう?」
「確かにウオッカさんはカッコよくて憧れるけど!」
「一緒に将来の夢(ダービー)を語り合ったもんな」
「それはあくまで健全な先輩後輩の関係であって!」
「一緒に京都にも行ったもんな(現地でたまたま合流しただけ)」
「やましい事なんて何一つありませんから!」
「他人には言えない秘密(誘拐の加害者と被害者)も共有してるしな」
「ウオッカさん!? どうしてそう誤解を招きそうなことばかり言うんです!?」
ひいい、さっきよりも鋭めの殺気を感じる……!
命の危機を感じて逃げ出そうとするも、それよりも速く紅い瞳のウマ娘は襲いかかってきた。
「ウオッカ様につく悪い虫は私が排除いたします!」
「わああああ!? 助けて、助けてーっ!?」
「か、勘違いしないでくださいっ! 冗談なんかじゃないんですからね! ……ウオッカ様を守るために本気でアナタを始末します」
「どんなツンデレ!?」
「流石だなプスカ。もうディザ子と仲良くなったのか」
「これのどこが仲良しに見えるんですかぁ!」
「やっぱりマスコット……マーちゃんにライバル現る、なのです」
「ハハハッ! 騒げ騒げ! 宴はこれからだッ!」
ダービーというお祭りは終わり、祭りの後は静けさが残るはずなのに。
俺の周りは、相変わらずてんやわんやだった。
◇ウオッカ
常識を打ち破ったダービーウマ娘。
彼女の覇道はここから始まる。
◇ダイワスカーレット
ウオッカの宿命のライバル。
秋華賞での再戦を誓う。
◇アストンマーチャン
ウオッカとスカーレットの同期。
世界一のマスコットを夢見ている。
◇レッドディザイア
ウオッカ様のことが好き好き大好き。
親切にしてくれるカフェに懐いている。
◇ディープスカイ
運が良いのか悪いのか何かと挟まれがち。
風邪をひいたことがない。
◇タニノギムレット
ウオッカの偉大なる師。
弟子の為なら柵を壊すことも厭わない。