タキオンさん助けて、俺ウオスカの間に挟まれちまう   作:フルゥチヱ

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第32話 クモリノチアメ/デビュー戦

 夏休みが終わってから1ヶ月。早いものでもう10月である。

 珍しくトレーナーさんからの呼び出しがあって研究室に向かうと、そこにはタキオンさんとカフェさんもいた。

 そしてチームメンバーが揃ったのを確認すると、ゲーミングカラーに輝くトレーナーさんがこう言った。

 

 

「ディープちゃん、君のデビュー戦が決まったよ」

「ほ、本当ですか!?」

 

 

 デビュー戦。

 俺にとって初めての実戦。

 尻尾が興奮でブンブンと揺れているのが自分でも分かった。

 

 

「舞台は京都の芝1400メートル。スプリント戦だね」

「京都……! すぷりんと……!」

 

 

 宇治抹茶色に切り替わったトレーナーさんが、簡単なコース図をホワイトボードに描いてくれる。

 

 

「向正面奥がスタート地点で、ぐるっと半周回ってくる感じだね」

 

 

 京都レース場は前に訪れたことがあるから、少しだけコースの概要を知っている。

 確かすごくキツい坂があるって──

 

 

「よ、淀の坂ですよね? 俺に走り切れるでしょうか……?」

 

 

 いくら距離が短いとはいえ、天皇賞春を勝ったサムちゃん先輩ですらキツいと言うほどの急坂を、俺が登りきれるかな……?

 不安であばばと震えていると、カフェさんが珈琲を淹れながら優しく訂正してくれた。

 

 

「大丈夫です……。使用されるのは、京都レース場の"内回り"ですから」

「うちまわり?」

 

 

 聞き慣れない単語に首を傾げてしまう。

 するとタキオンさんが立ち上がり、コース図の右上のカーブをコンコンと叩いた。

 

 

「京都の第3コーナーは二手に分岐しているんだ。以前観戦した天皇賞春で使われたのが奥の外回りコース。これが淀の坂だね」

「その高低差は4メートル以上……デビュー戦のウマ娘には荷が重いコース形態です」

「そこで使用されるのが手前の内回りコースだ。淀の坂よりも緩やかなコースだから安心してくれたまえ」

「な、なるほど……! よかったです!」

「……まあ、こちらも高低差自体はそこそこありますけどね」

 

 

 最近坂路トレーニングの量が増えたと思っていたけど、どうやら傾斜に慣れるためだったみたいだ。

 

 

「デビュー戦は1週間後。本番に向けて一緒に頑張ろう!」

「はい! トレーナーさん!」

「プスカ君、京都レース場のことはカフェに聞くといい。彼女、京都マニアだからねぇ」

「変な言い方をしないでください……」

「カフェさん! よろしくお願いしますっ!」

「……ええ。悔いを残さないようにしましょう」

 

 

 よーし! 頑張るぞ!

 

 

   ◯

 

 

「──プスカ君? 大丈夫かい?」

「はっ!? す、すみませんタキオンさん! ちょっとボーッとしてましたっ」

 

 

 1週間が過ぎるのはあっという間で。

 俺は、京都レース場の地下バ道にいた。

 

 

「ふうン、流石プスカ君。デビュー戦を目前にしても平常心とは見事だねぇ」

「あ、いやえっと、どちらかというと緊張しすぎて意識を失ってたというか……」

「……お水、飲みます?」

 

 

 カフェさんが差し出してくれたペットボトルを受け取る。それを口にしても、心臓は全く静まる気配がなかった。

 これが本番前の緊張感。

 京都レース場、芝1400メートル内回り。

 それが、俺の始まりの舞台だった。

 

 

「天気は少し悪いけど、バ場に大きく影響が出るほどじゃない。少人数だしポジション争いはあまり意識せず、行けると思ったタイミングでスパートをかけておいで」

 

 

 トレーナーさんの言う通り今日はあいにくの天気で、パラパラと小雨が降っていた。

 体操服だと少し肌寒いけど、走るのに支障はない。

 あと短パンで本当に良かった。ブルマじゃなくて本当に良かった……っ!

 

 

「──これでよし。苦しくないかい?」

「はいっ! ありがとうございます、タキオンさん」

 

 

 タキオンさんが6と大きくプリントされたゼッケンを付けてくれた。

 数字の下には、ディープスカイという名前も記されている。

 

 

「プスカ君」

 

 

 ふと、タキオンさんが呟いた。

 

 

「なんですか?」

「……いや、なんでもない。頑張って」

 

 

 タキオンさんはそっと頭を撫でてくれる。

 大きな白衣の袖に被われて、その表情を見えなかった。

 でもきっと、いつものように優しく微笑んでいてくれたんだと思う。

 

 

「ではいってきますっ!」

「ああ、いってらっしゃい」

 

 

 チームの皆さんに見送られて、地下バ道を後にする。

 トレーナーさん、カフェさん、そしてタキオンさん。

 本当に優しくて、大好きな人たち。

 応えたい。

 今はまだ何者でもない自分だけど、いつか皆さんの期待に応えられるようになりたい。

 その為の、まず最初の一歩を踏み出す。

 

 

「……よーし」

 

 

 ターフの上に立つ。

 濡れた芝の香り、頬を撫でる秋風、毛先を滴る雨粒。

 その全てが初体験だった。

 思わず身震いしてしまう。

 これがターフからの景色。

 これが──レースの高揚感!

 

 

「Hello, Deep Sky」

 

 

 すると、同じデビュー戦に出走する1番ゼッケンの子が声をかけてくれた。

 黒々とした鹿毛に、赤いメッシュのウマ娘。

 知っている子だ。あまり話したことはないけど、クラスメイトだし、それに彼女は有名人である。

 アメリカからの留学生、エーシンフォワードちゃんだ。

 

 

It's amazing that you're an idol(アイドルもやってるだなんて凄い). Glad to run with you(一緒に走れて嬉しい).」

「???」

 

 

 ごめんなさい英語わかんない!!

 

 

「ま、まいねーむいず……」

 

 

 ど、どうしよう。どうすればいいんだろう。

 うう、助けてタキオンさん……!

 

 

「……I'm sorry. ニホンゴ、まだムズかしくて」

 

 

 俺が身振り手振りでアタフタしていると、エーシンフォワードちゃんは辿々しいながらも、立派な日本語で話しかけてくれた。

 な、なんて良い子!

 

 

「キョウは、イッショに、ガンバリマショウ」

「はい! よろしくお願いします!」

 

 

 差し出された手を握り返す。

 母国を離れて異国の地に留学してるってだけでも尊敬なのに、しかも日本語まで勉強してるなんて凄すぎる。

 そんなエーシンフォワードちゃんでもデビュー戦は緊張しているようで、その手は少し震えていた。

 

 

Can I have a hug(ハグしてもいい)?」

「は、ハグ?」

 

 

 ハグってあれだよね。

 アメリカ式のあいさつ──ふえ?

 

 

「ギュッ」

「ぷすっ」

 

 

 思いっきり抱き寄せられる。

 な、なんだかすごく柔らかい……!

 ハグ、素晴らしい文化だと思いました。

 

 

   ◯

 

 

 6番ゲートに入ると、後扉がガチャンと閉じた。

 鉄網に囲まれた狭い空間。

 その中で静かに前扉の解放を待つ。

 落ち着け……ゲートの練習は何度もやった。

 スカーレットさんも言っていた。まずはスタートだと。

 彼女のような逃げ戦法はできないけど、それでもスタートダッシュが肝心だということくらいは分かる。

 その為にも──

 

 

「大丈夫怖くないゲートは友達怖くない……!」

 

 

 この恐怖を乗り越えないと……!

 練習と本番の違い。それは緊張感。

 バクバクと早鐘を打つ心臓が、どうしてもゲートの圧迫感をより強く感じさせた。

 

 

『──スタートしました!』

 

 

 ガチャコン! とゲートが開く。

 あ、と気づいた瞬間にはもう遅い。

 

 

「っ!」

 

 

 や、やっちゃった!

 明らかな出遅れである。

 とりあえずロスを取り返さないと!

 

 

『ややバラついたスタートになりました。マックスバリハイが好スタート。単独2番手にはエーシンフォワードが付けています。出遅れたディープスカイは5番手の位置』

 

 

 大外の子がハナを奪い、最内のエーシンフォワードちゃんがそれを追走する。

 どうやら半数が出遅れたようで、俺のポジションは中団だった。

 

 

『さあマックスバリハイ逃げる逃げる! 後続を8バ身以上離して第3コーナーの内回りコースへ!』

 

 

 単独で一気に向正面の坂を駆け上がりカーブを下っていく先頭のウマ娘。

 これが噂に聞く大逃げというやつか。

 確かにこれだけリードされると嫌でも焦りが湧いてくる。

 でも、ここで焦ったら相手の思う壺だ。

 勝負は坂を下りきった後。

 初めて会った時にトレーナーさんが褒めてくれた末脚で、絶対差し切ってみせる!

 

 

『さあ各ウマ娘が第4コーナーへ。残り400メートルを通過!』

 

 

 ここだ! まずは7番ゼッケンの子を外から──

 

 

「おっとお先!」

「なっ!?」

 

 

 しかし、さらに外から2番ゼッケンの子が一気に上がってきていた。

 

 

『マーブルファイブが足を伸ばしている! ディープスカイを抜いた!』

 

 

 まずい、進路が……!

 

 

『さあ前の争い! 外からエーシンフォワードが一気に来た! マックスバリハイも粘っている!』

 

 

 目まぐるしい速度の中で、頬を打つ雨の冷たさをやけに鮮明に感じていた。

 

 

『エーシンフォワード躱して先頭だ!』

 

 

 なんで、なんで!

 脚は動いてるのに!

 全力を出しているのに!

 差が縮まらない……!

 無理だ、追いつけない……。

 

 

『先頭はエーシンフォワード! 今ゴールイン! 1番人気の期待に応え、見事デビュー戦を制しました!』

 

 

 どれだけ。

 どれだけ、離されていただろう。

 

 

「はあ……はあ……っ!」

 

 

 何度やり直せたとしても、今の自分ではエーシンフォワードちゃんには勝てない。

 それくらい圧倒的な差。

 乱雑な呼吸の中で、無意識に呟いていた。

 

 

「そんな……」

 

 

 ディープっていう超強い競争バがいたらしい。

 ディープは無敗で三冠という偉業を達成したらしい。

 そして俺は、ディープのウマ娘らしい。

 なのに。

 それなのに──

 

 

「…………負け、た……」

 

 

 毛先から雨と汗が混ざって滑り落ちていく。

 どうしようもないくらいの敗北という現実が、目の前に横たわっていた。




◇ディープスカイ
 6枠6番。
 英語は苦手。

◇エーシンフォワード
 1枠1番。
 アメリカから来た留学生。

◇デビュー戦
 メイクデビューの愛称で親しまれる、ウマ娘にとっての最初の登竜門。
 勝者は1勝クラスへと昇級できるが、敗者は未勝利戦に挑まなければならない。
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