「トレーナーさん!トレーナーさーーん!!」
私サイレンススズカは青空の下、草原を裸足で走りトレーナーさんに飛びつく。トレーナーさんは私を抱きしめてくれる…まるで夢みたい… フワフワして…柔らかい…足元から全身が暖かい…
「えへへ…トレーナーさん…トレーナーさん…あれ…?」
草原が消え、いつも嗅いでる匂い…ここは…?
「あら?起きたみたいね?」
「おはようスズカ…痛いところとか無いか?」
「大丈夫じゃないかしら?すごく幸せそうな顔だったわよ?」
聞き慣れた声が二つ…トレーナーさんと…アヤベさん…?私何してたんだっけ?
目を開けるとここは…いつものトレーナー室。ああ…そうだった…アヤベさんがトレーナーさんのところに連れていってくれたんだった…
「ええと…おはようございます?」
「おはようスズカさん。顔色が良くなったんじゃないかしら?」
「おはようスズカ、大丈夫か?動けるか?」
笑顔のトレーナーさんといつも通りに見えるけど少し安心したようなアヤベさんがそこにはいた…
記憶を少しさかのぼる。秋の天皇賞に向けてのトレーニング中に倒れた私。そこからは酷い悪夢…左脚が折れる夢を散々みて…すっかり憔悴して引きこもってしまった…それをアヤベさんがトレーナーさんのところに連れ出してくれて…特別なマッサージをしてくれたところだった… やっぱり効果があるみたいで気分もスッキリした気がする。
「トレーナーさん。ありがとうございます。なんだかスッキリした気がします。」
「そうか、それは良かった…ここにきた時はスズカじゃないみたいに暗い顔だったけど今はすっかり戻ったみたいだよ」
「本当よかったわ。」
「アヤベさんもありがとうございます…」
「いいのよ。私もあなたに助けてもらったんだし…」
それから少し話して…明日からトレーニングに復帰することにした。さあ、頑張らないと。部屋を出る前にアヤベさんがかけてくれた布団乾燥機のおかげでフワフワの布団に潜りながらそう思うのだった。
そして翌日、なんだか久々なターフの気がするけど実際は三日ぶりかしら?軽く慣らして…変な感じはしないわね。良かった…
やっぱりアレはただの夢よね。
「スズカの調子は大丈夫そうだな。」
「ハイ!大丈夫です!」
「元気ねえ、病みあがりなんだから無理しないでね?」
アヤベさんが心配するくらいには調子が良い私。
「よし、スズカが大丈夫そうだし、一本模擬レースといこうか。あまり時間もないしな。できそうか?」
「ハイ、問題ありません。」
「私もいいわよ。」
なんだかこれも久々な気がするわね。アヤベさんのダービー前はずっと追いかけられたっけ。アヤベさんの気迫を背中で感じるとより加速できるからいいのよね。
「スタート!」
号令と共に飛び出す私。順調に加速する。やっぱり先頭はいいわね。アヤベさんはいつも通り後ろに控える。これも慣れたもの。ただちょっと近くないかしら?慌てるなんて珍しいわね?まあいいか。第三コーナーを抜けて第四コーナー。ちょうど大ケヤキのあたりね。ここを過ぎたらアヤベさんが一気に来るから合わせて加速を…?あれ?全然気配が無い?殺気にも近いあの気迫が無い?困惑しながらも直線残り200mどうしたのかしら…
え?
その時私の右隣を青い流れ星が凄まじい速度で駆け抜けていった…
嘘でしょ?全く気配もなく抜かされた?そんなテクニックをいつの間に…ってそれは後、私も加速して…あれ?
「スズカ…大丈夫か?やっぱり本調子じゃなかったみたいだな…?」
ゴールした後のトレーナーさんがそう言う…あれ?結構調子良かったはずなのに…?
「ねえ?スズカさん、どこか痛かったりとかない?汗と息切れがすごいわよ…」
「え?…あれ…?私…?」
トレーナーさんとアヤベさんが顔を見合わせる…
私たちはベンチに座る。というか私が座らされて今はトレーナーさんが脚をチェックしている。
「ねえ、スズカさん…さっきの…自分で違和感無かった?」
アヤベさんが訊ねる。違和感…そう言われると…
「ええと…ずいぶんアヤベさんが近くに着けてるなあとか…そうですね。それなのにいつもの背中に感じる気配が無いとか…そうだ!あの最後すごい速度で抜いたじゃないですか!あれどうやったんですか?全然気配がしなかったのに!」
私はさっきの走りを振り返る。いったいどうやったのだろうか?
「スズカさん…さっきの走りだけど…」
アヤベさんがトレーナーさんを見る。トレーナーさんは私の脚を診終わり…頷く。
アヤベさんが困ったように言う。
「なんていうか…すごくフラフラしてたわよ…」
え?
「全然伸びがないって言うか…いつものスズカさんじゃなかったわ…調子が悪いとかじゃなくて…まるで走り方を忘れたみたいで…心配で近くで見てたけど走りはおかしいし…最後に抜いた時も全く力を入れてなかったの…」
「え?嘘ですよ。あんなに加速してたのに?」
「スズカ…アヤベが言ってるのは本当だよ…最後は…スズカが減速してたんだ…タイムもそれを示してる…」
トレーナーさんがストップウォッチを見せる。そこには今まで見たことのないほど…酷い数字が並んでいた…
その場の空気が重くなる…嘘でしょ?自分ではかなり良いコンディションと思っていたのに周りから見ればメチャクチャな走りだった…?三日くらいで走り方を忘れるはずがないのに?
「えっと…久しぶりに走ったから…でしょうか…?」
「いや…トレーニング開始直後の慣らしのときはいつものスズカだったよ…」
「そうね、これなら大丈夫そうって思ったわ…」
わからない…どうしてしまったのだろうか…
トレーナーさんが続ける。
「たまたまかもしれないが…次は動画を撮ってみようか。普通にアップの一周と、もう一回模擬レースをして見比べてみよう。実はなんでもないかもしれない。」
「そうね。それが良さそう…スズカさん走れる?」
「え?ええ、大丈夫です…」
なんだかそう言われると心配になってしまうが…
アップとして一周サクッと走る。うんいつも通りね。
「アヤベさん、どうですか?私は普通だと思うんですけど」
「大丈夫よ。いつものスズカさんだわ。そうよね?トレーナーさん?」
「ああ、問題ないな…じゃあもう一回模擬レースをやってみようか…」
「スタート!!」
走り出しは順調。今度はコース取りを意識してみる。そんなに変な感じはしない。いつも通り最内を回る。1000mを過ぎ…コーナーを曲がって…大ケヤキを過ぎるイメージ…大丈夫そう…そして直線、まだ脚は残ってる。よしここで…
えっ?
またアヤベさんに抜かれる。しかもこちらを見る余裕まである…そのままゴールを過ぎる…なんで…いくらなんでもおかしい…いつもならちょうど接戦になって勝率は五分というところなのに…この距離なら私の方が勝率は高いくらいなのに…アヤベさんは大して息を切らしていないのに私はすごく息を切らして…玉のような汗が気持ち悪い…
「スズカ…大丈夫か?痛いところはないか?」
「はい…大丈夫です…」
「とりあえずクールダウンして今日は終わろう。どうも調子が良くなさそうだ…」
トレーナーさんが言う…これはいよいよおかしいようだ…汗がアゴから滴り落ちた…
ザッとシャワーを浴びてトレーナー室に集合する。もちろん目的は…
「まずはさっきの動画を見ようか。」
そう言ってレース動画を再生するトレーナーさん…私は画面を食い入るように観る…前半は…ちょっと遅いかな?くらいだ。まあこれはいいわね…
「問題はこの辺りだ」
第三コーナーと四コーナーの中間あたりでトレーナーさんが言う。これは…
「急に走りが崩れて…」
「そう…フラつき出した…」
アヤベさんが繋げる…後はグダグダで…さっきの通りだ…どういうことなの…?なんで自覚が無いのかしら…?全くわからない…
「そしてこっちがアップの時だ。これはどう見ても普通だ。」
トレーナーさんが言うようにアップの時の動画は…普通だ。全然おかしいところはない…どういうこと…?
「うーん…レースになると変になる…気負いすぎてるのかも…」
「久しぶりだからそれもあるかもしれないわね…」
トレーナーさんとアヤベさんが言う…それだけかしら…?
「メンタル的なモノかもしれないな。悪夢を見て不調なのもあったんだろう。脚は痛かったり違和感とか無いかい?」
「はい…身体は大丈夫そうです…メンタルかあ…どうしましょう…」
「そうやって思い詰めるのはダメよ。このフワフワを抱きながらトレーナーさんのマッサージを受ければ大丈夫 トレーナーさん。マッサージしてくれるのよね?」
アヤベさんがフワフワクッションを押し付けてくる。
「ああ!もちろんだ!いくらでもやるぞ!」
トレーナーさんも明るく言ってくれる。
なるほど確かにそう言うモノかもしれないわね…あのマッサージはいいモノよね…アヤベさんもこれで復活したのだし私もそういうものかもしれないわね…そういうわけで今日もトレーナーさんのマッサージを受けた…
「ここは…どこかしら…?」
気がつくと私は暗闇の中にいた…いえ、一つだけ光がある?なんとなくそこに向けて走らないといけない気がする…なんでかしら?とりあえず軽く走ってみる。なんだかフワフワしてる気がする…少し走ってると…何かしら…?何かがある…あれは…木?どこかで見たような…その傍らに…人…?
「…?」
あれ?ここは?よく見知った天井。よく知ったスペちゃんが隣で寝ている。寮の自室…今のは…夢みたい…なんだったのかしら?
今日も学園生活は行われている…と言っても授業は上の空。ペン回しをしながら考えるのは不調な走りのこと…それからあの夢…悪夢じゃないけどなんだか気になる…
昼休み、食堂でぼーっとしながらお昼を食べてると…
「あれ?あの子じゃない?ダービーで勝ったのって?」
その言葉を聞いて、ん?と思う。ダービーということは?
そこにはアヤベさんがいた。まあそうよね。
「あ〜この前グランドでトレーナーさんに抱きついて愛の告白をしたっていう?」
は?今なんて??
「なんでもみんなが見てる前ですごい勢いでトレーナーさんを押し倒しながら愛してるって言ったらしいよ!」
「そうなの!?おとなしそうに見えて大胆ね〜推せる〜〜!!」
推せる〜〜じゃないわ!え?なに??そんなことしてたの??嘘でしょ??あれだけ抜け駆けはしないって約束を…してなかった気がする…とにかくけしからんです!ちょっと聞かないといけないことができてしまったわね!私は昼食を最速で胃に放り込むとアヤベさんのところに行く。
「アヤベさん!どういうことですか!?」
「スズカさん?どうしたの?」
しらばっくれる気ね。これは許されざるわよ?
「ちょっと来てください!」
「え?ええ??どうしたのよ…?」
私はアヤベさんを引っ張って空き教室に連行する。そしてアヤベさんを壁にセット。そして顔の横に手を置く。いわゆる壁ドンだ。ちなみに私のほうが身長が少し高いので若干ながら見下ろす形になる。耳の長さは含まない。
「アヤベさん…本当なんですか?」
「ええと…どうしたの?」
さすがはアヤベさん。タダでは堕ちませんね…
「トレーナーさんを押し倒したんですか?そして愛の告白までしたって本当ですか?」
「え?愛の告白?そ…そんなことしてないわよ…したいけど…」
「ですよね~したいですよね~ってそうじゃなかった!じゃあさっきの噂は違ったんですか?」
「噂?なによそれ?」
「アヤベさんがグランドでトレーナーさんを押し倒して愛の告白をしたって今そこで聞いたんですけど…」
「ええと…もしかしてアレのこと…?その…トレーナーさんに抱きついたときに勢い余って倒れ込んでしまったことはあるけど…」
んなっ!?アヤベさんともあろう人が…公衆の面前でトレーナーさんを押し倒してしまうなんて…嘘でしょ…羨ましい…ズルい…
「うう…そんなあ…ズルいです…羨ましい…」
「ええ…?」
「それいつですか?」
「言いにくいんだけど…あの日よ…腑抜けになっていた私をスズカさんが焚き付けたあの日…」
「え?もしかしてあの日ですか?あのすごくすごい勢いで部屋を飛び出した日?あの後?」
コクリと頷くアヤベさん…そんな…嘘でしょ…
「ええ~~私を除け者にして二人でイチャツイていたんですか…そんなあ…いいないいなあ羨ましいなあ…」
「あの時はそんな状況じゃなかったんだけど…なんだか結果的に抜け駆けしちゃったみたいね…」
ちょっと耳が垂れるアヤベさん…なんだかんだ優しい…
「そうだ!これなら平等でしかもトレーニングになるいい方法があるわ!」
アヤベさんが言う。なにかしら…?
放課後、アヤベさんの案で秘密兵器を携えた私たちはトレーナー室に向かう。
「「トレーナーさん!これを着て!あと結婚しましょう!!心中でもいいわ!!」」
結構私とアヤベさんの息はピッタリ合うことが多い。なぜか並走はダメだけど。
「結婚と心中は卒業してからな?それで?今日は何を思いついたんだ?」
「野球の審判が着る防具よ」
「今日はこれを着てもらいます」
「オーケー落ち着け。なんでまたそんなモノ持ち出して…」
私達は座って事情を説明する。まずアヤベさんが、
「前に私がトレーナーさんに抱きついて押し倒したことがあるじゃない?あの時責任を取ってもらって結婚してもらえば良かったけど過ぎた話だから今は置いておくわ。」
「なんで押し倒された側が責任を取るんだよ。それで?」
ここで私が続ける。
「要するにアヤベさんだけズルいです!私もトレーナーさんに抱きつきたいです!あと結婚してください。」
「まだ学生だから結婚は無しな?それで抱きつきたいのはいいけどなんで防具が出てくるんだ?」
ただ抱きつくだけなら防具はいらない。
「「それはトレーナーさんが賞品だから!!」」
「はい?」
「つまりね?私とスズカさんが模擬レースをするでしょ。その時の賞品になってもらいたいの」
「勝者がゴールした勢いのままトレーナーさんに抱きつく。その時生身だとトレーナーさんの中身がグチャグチャになっちゃうじゃないですか?」
「なるほど…まあその通りだなあ」
「トレーナーさん、これはスズカさんのためなの。昨日スズカさんがフラフラしてしまうのはメンタル的な原因があるかもしれないって話をしたでしょ?」
「だからご褒美があれば原因不明のメンタルを忘れられるかもしれません!ということでお願いします!!」
「お願いトレーナーさん!」
私たちは揃って頭を下げる。トレーナーさんは…
「そういうことか…わかったよ。防具と…それから陸上競技で使うマットでも敷いておけばなんとかなるかな?」
「「ありがとう!トレーナーさん!!」」
こうしてグランドに出てアップ運動する。ここまでは平気だ…そして模擬レースの時間だ…防具を着込んでマットの前に立つトレーナーさんが合図をする。
「スタート!!」
いつも通り飛び出す私!アヤベさんも後ろに控えるのが分かる。今日は感覚が澄んでいる気がする…コースを意識して最内を走り…3コーナーを超え4コーナーに突っ込む!イケる!いつもの感覚が戻ってきている気がする!後ろから気配がする。ここが勝負所ね…直線に向けて加速する。アヤベさんの気配はまだ後ろだ。だがピッタリくっついている。このまま逃げ切って…
「スズカァーー!!そのままだーー!!!」
トレーナーさんがゴールの先で叫ぶ!私はそのままの速度でゴールを超えて…トレーナーさんに抱きつくというか突っ込んだ!!当然後ろに飛ばされるトレーナーさん…マットを敷いておいて良かった…
「ハァハァ…トレーナーさん…やりました…」
「スズカ!よくやったな…感覚が戻ってきているみたいだね…」
「さすがねスズカさん。だいぶいい調子じゃない。トレーナーさん大丈夫?」
後ろからアヤベさんの声がする。
「ああ、大丈夫だよ。アヤベもありがとう。うまくいったんじゃないか?」
…?うまくいったって?
「後ろから見てたけど以前の覇気が戻ってきた感じがしたわ。スズカさん自分でもそう感じたんじゃない?」
そう言われると…いつもみたいに走れた気がする…
「そうですね…なんというか…いつもの自分の走りができていた気がします。」
「そうだね。傍から見てて自然に走れてる。スズカ本来の走りができていた気がするよ。」
そう言って頭を撫でてくれるトレーナーさん。
「でもまだタイムが戻ってないわ。私が後ろからあおってあげたから走れました。じゃダメよ?」
「あれ、やっぱりそういうことですか。」
「トレーナーさんに抱きつくの、私が先に取っちゃったから一回は譲ってあげる。でも今の感じだともう大丈夫じゃないかしら?次は譲らないわ。」
「なるほど…やっぱりそうでしたか。ありがとうございます。でも次も貰いますよ!」
「よし!天皇賞までだいたい二週間だ!頑張っていこう!」
トレーナーさんがそう言う。そうだ、天皇賞を取るんだった。でもなんだが小骨が引っかかるような違和感…
本日二回目の模擬レースは…負けた。それも結構な差で…さすがアヤベさんね。それでもまだ余力を残してる感じがする。トレーナーさんをそこまで吹き飛ばさないで済んでるのが証拠…ああ…頭を撫でられてる時のアヤベさん完全に蕩けてる羨ましい…次こそは!
こうして一日に数回、練習の締めに模擬レースをする。タイムは目標に近づいているしアヤベさんとの勝負もやはり楽しい。勝率はまだ五分五分。あと数日で6:4できれば7:3くらいになれば安心ね。
それと…あの不思議な夢。なんとなくふわふわしていたものがイメージが固まってきている気がする…あの光に向かって走っていると青い流星が隣を走ったり頭上を超えていったりと色々だけど一緒に走っている感じがする。そして光の先にはあの大ケヤキがはっきりと見えてきて…その先にはトレーナーさんがいる。いつも夢はそこで終わり目覚める…でもはっきりと見えてきてるわ…
今日は…10月31日。明日は天皇賞か…
今日は練習は無し、身体を休めて明日に備えようということになっている。でもトレーナー室で明日の準備兼最終確認を午後からすることになっているのだけど…
午前11時、自室にて
「えーとアヤベさん?これは?」
「私のとっておきのふわふわよ?それから布団乾燥機」
なぜかアヤベさんに布団乾燥機をかけてもらっていた。それからふわふわグッズを受け取る。スペちゃんの分もあるとのこと…ほんとにふわふわね…
「明日は大事な日ですもの。布団はふわふわにしてふわふわに囲まれながらしっかり身体を休めておかないと。」
「ありがとうございます?」
「そこは疑問形でなくていいのよ?とりあえずセットしたから戻ってくる頃にはふわふわのできあがりよ。」
まあせっかくの好意なのでありがたく受け取っておきましょう。
そして午後から荷造りとミーティングをする。荷造りは東京レース場なので大したものはない。そしてミーティング。といっても私の場合大した作戦はない。なにせ大逃げだからとにかく全力で逃げる。というか自然に走るしかない。だけど一応有力な相手の情報は仕入れておきましょう。
「強敵になりそうなのは…この娘か…オフサイドトラップ…基本に忠実な差しで来るのだろう。」
トレーナーさんが言う。
「だけどスズカがいつも通り走れば敵ではない。ここ二日くらいで君は完全に元に戻ったといえる。アヤベを相手に6:4くらいで勝ててる。タイムも申し分ない。仕上がりは最高だよ。」
「そうね。あの最後の粘りからの伸び。逃げて差す。なんてできるのはあなたくらいよ。アレをタイミングよくやれば普通はついていけないわ。あなたは勘でそのタイミングがわかるはず。心配いらないわ。」
アヤベさんもそう言ってくれる。
「まあ、思ったように走る。スズカはこれが一番合ってると思う。」
「そういうこと。私とG1で走るまで抜かされないでね?」
「ハイ!任せてください!」
その夜また夢を見た。この日は暗闇ではない。よく晴れた青空の下。芝の上に私はいた。遠くにあの木が見える。あそこに向かえばいいんだなと走り出す。すぐに後ろから気配を感じた。いつも感じている星の気配だなとすぐわかった。じゃあ安心して前を走れる。だんだん木が大きく見えてきて…その横にトレーナーさんがいるのが見えてきた。それと同時に後ろの星が青い流星になって横に並ぶ。本当にいつも通りで笑ってしまう。
走るのは楽しいな…
それならばと私も加速する。ほんのクビ差で私が先行して…あの木を超えてトレーナーさんに飛びついた…
いつもの天井と隣にいつものスペちゃんが見えた。
今日は11月1日 秋の天皇賞当日だ。不思議と気分は落ち着いていた。スペちゃんにおはようと言い、朝食を食べトレーナー室に行く。二人は先に来ていた。
「おはようスズカ。調子はどうだい?」
「おはようございます。バッチリです。」
「大丈夫そうね。よかったわ」
「ふわふわのお布団のおかげかもしれませんね。」
昨日準備しておいた荷物を持ってバスに乗る。東京レース場の時は学園から選手用のバスが出る。ここにいるのは全員ライバルだ。それでも私は落ち着いていた…選手控室で勝負服に着替えて…時間まで待つ…
「スズカさん。本当に落ち着いてるわね。」
「そうですね。なんでしょうか?体調もいいですし、気分もいい感じです。早く走りたいですね。」
「それなら良かった。いつものスズカなら大丈夫だよ。」
「トレーナーさん…ゴールで待っていてくださいね?」
「もちろんだよ。君が一番で帰ってくるその先で必ず待ってるからね。」
「私もなるべくゴール近くの客席で観てるから…あなたの大逃げをね。」
パドックで他の娘の様子を見る。みんないい仕上がりね…例のあの子も…それでも負ける気は全然しなかった。
そして最後の打ち合わせ、といっても作戦なんてない。私の作戦は全力で走り切るだけだから。
「スズカ、ゴール前で待ってるからな。行っておいで」
「はい!行ってきます!」
地下バ道を抜け、掲示板を見る。
11月1日1枠1番サイレンススズカ
ここまで揃ってると出来過ぎじゃないかしら?なんて思ったりもする。さあゲートインね…
ゲートインして…周りの音が聞こえなくなる…
集中…
スタート!!
スタートダッシュは成功。いつも通り先頭の景色を独り占めする。やっぱりこの景色よね。脚が軽い。グングンと加速して後続からどれくらい離れたかしら?
「今はおよそ5バ身の差!」
実況の声がよく聞こえる。いい具合に離れてるみたい。そして、
「1000mのタイムは…57.4秒!!」
いいじゃない!こんなハイペースでも私の脚は全然遅くなる気配がしない。このままつっきる!!
第三コーナーを抜けて大ケヤキを過ぎる。もう私は止まらない。この距離は私のものよと言う勢いで第四コーナーを抜ける。さすがに後ろからの気配が近づいてきた。そしてコーナーを抜けた時に…
「サイレンススズカに迫る先頭集団!後続は追いつけるのか!?ここでオフサイドトラップ仕掛ける!!」
来たわね。後ろからの圧が強くなってきた。だけど…
「残り300m!オフサイドトラップがサイレンススズカに並んだ!」
その圧は『一等星の輝き』には届かないわ!
グッと地面を蹴る!まだ飛ばせる!!
「サイレンススズカ!まだ加速する!?」
悪いわね。この距離で私を捕まえられるのは一人だけよ。
後はもう必死に脚を動かすだけ。やっぱりこの景色は譲れないわ!そしてそのまま…
「ゴール!!一着はサイレンススズカ!!見事に逃げ切り栄光の日曜日となりました!!」
歓声がハッキリと聞こえてくる…私…やったのね…
「スズカ!!スズカよくやったな!!」
トレーナーさんの声が聞こえる!ゴール脇の控えにいるトレーナーさんの元に駆け寄る。そして…
「トレーナーさん!」
彼が倒れない程度に減速して…飛びついた。しっかり受け止めてくれるトレーナーさん。
「おっと!身体は大丈夫そうだな!」
「ハイ!大丈夫です。やっとトレーナーさんに直に抱きつけましたエヘヘ…」
「そういえばそうだね…よく頑張った…」
そう言って頭を撫でてくれるトレーナーさん…栄光の盾ももちろん嬉しいけど私にはこちらの方が嬉しいかも…
控室に戻るところでアヤベさんとも合流した。
「スズカさん!おめでとう!すごかったわよ…」
アヤベさんは珍しく興奮したように私の手を手を取って話し始めた。
「アヤベさん!ありがとうございます!ずっと一緒に走ってくれたアヤベさんのおかげです!」
「それはあなたが私を助けてくれたから…それだけじゃないわ。走る楽しさを教えてくれた。そのお礼ができたならいいのよ…」
「私もアヤベさんに助けてもらいました!もちろんトレーナーさんにも。本当にありがとうございます!」
トレーナーさんは謙遜したように言う。
「いや、二人の努力の結果だよ。俺はそのサポートをしただけさ。」
「何言ってるのよ…あなたがいてくれなかったら私たちはダメなのよ?」
「そうです。だから…もう離しませんからね?」
「まいったな。二人にそこまで言われたら…嬉しいな、ありがとう…」
ん?今もう離さないって言葉に嬉しいって言ってくれたのよね?ということは…もう死ぬまで、いえ…死んでも一緒ってことよね!!やったわ!!
「そうだライブまで時間もあるしサンドウィッチを作ってきたのよ。食べるでしょ?」
そうしておやつを食べた後、センターで踊ったライブを忘れることはないでしょうね…
トレーナーさん、アヤベさん、ありがとう。
ずっと一緒よ…
実はスズカさんとアヤベさんがすごくすごい好きなんですよ。今日は特別な日なので…スズカさんには栄冠を手に入れてもらいました。おやつシリーズにあるまじき長さになりました。でも今日は必要なので長くても良いのです。
まあ実は昨日の夜気づいたんですよ。明日は外せない日だって。ということで最初は崇拝スズカさんでなんかやろうかなあと思ったんですけどね。あっちはいい感じに書いちゃってあったので…そういやおやつ版はめっちゃダイジェストにしちゃったなあと思い立ったので突貫で作りました。今回は結構真面目に頑張ったので褒めてください。というかこの直前二作がおやつシリーズにもかかわらず重馬場タグがつかないというやらかしをやったので三分くらいは反省しました。なのでちゃんとおやつ成分をコンタミしておきました。やったぜ。
一応これだけでもふいんきは伝わるとは思うんですけどこの前に何があったかは過去作のここ(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=19965030)とここ(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=19965038)に詳しくあるので、せっかくだからクリックしてくれると嬉しいです。
あと今回のレース展開は2022年の秋天をイメージしてみました。
なんというか、これでちょっとでも彼が救われたらいいなあと思っております。