「魔人ブウ……だと」
「……嘘」
「ありえん。実在したのか……」
突然現れたピンク色の魔人の名乗りに反応したのは【オルクス大迷宮】を共に攻略したハジメとユエ、そしてこの場にいる者の中で最年長であるティオだけだった。三人は想像もしていなかったビッグネームの登場に驚愕を隠せないでいる。
「魔人ブウ? ハジメ君、貴方は彼女を知っているのですか?」
しかし、『魔人ブウ』の名に心当たりのない愛子達からしてみれば、その名がどんな意味をもたらしているのか分かっていない。唯一分かっているのは、目の前に現れた魔人が自分達の味方ではないということだけだ。
そんな愛子達にティオは説明する。
「魔人ブウとは……神話の時代に殺戮と破壊の化身として名を馳せた魔人の名じゃ。妾もおとぎ話でしか知らないのじゃが、魔人ブウによって滅ぼされた町や国は一つや二つでは済まないという話じゃ。長らく姿を見せないから死んだと聞いていたのじゃが……」
その説明に多くの者が顔色を青くして恐怖する。それもそのはず、普通の魔人族すら、まともに戦ったことのない彼ら彼女らからしてみれば、神話の時代の魔人など安堵できる要素が何一つとして存在しない。
しかし、恐怖はあれど絶望する者はこの場にはいなかった。なぜなら、今この場にはハジメ達がいる。洗脳されていたとはいえ、六万の魔物の大群をたった四人で圧倒したハジメ達ならば、どんな相手であろうとも負けるはずがない。そんな確信がこの場にいる者達の心の支えになっていた。
そんな勝手な期待を寄せられていたハジメだが、当の本人はそんな他人の期待など気にすらかけない程に魔人ブウと名乗った者への警戒度を最大限にまで引き上げていた。
「おぉ、流石は竜人族。時代が変わってもオレについてちゃんと伝わってるみたいだな。寿命が長いだけはある。でも、一つ訂正するとするならば、オレは死んだんじゃなくて封印されてたんだ。他でもないあのクソ神のせいでな。そこのところは間違えないように……オーケー?」
「封印か……ミレディもそんなこと言ってたな。だったら、どうしてお前はここにいる? まさか自力で脱出したとでも言う気か。神の封印に加えて解放者達が上からさらに封印したんだぞ。そう簡単に復活できるはずがねぇ。お前……本当の魔人ブウか?」
「ほぉ、詳しいな。もしかしてオレのファンか? サインいる?」
「……いらねぇよ」
ハジメは【オルクス大迷宮】を攻略した際に手に入れたオスカー・オルクスの日記から、魔人ブウがどんな存在かを知っていた。
日記に書かれていたことが本当ならば、魔人ブウは当時の解放者が束になってかかったとしても敵わない理不尽過ぎる相手である。自分の実力が既に解放者を超えていると自負しているハジメであるが、それはあくまで個人での話。複数人の解放者と戦って勝てると思うほどハジメはうぬぼれてはいない。
それゆえに、目の前の相手が本物の魔人ブウだとは認めたくなかった。
勿論、ただの現実逃避のための言葉ではない。魔人ブウの封印は理由こそ不明であるが、神によって行われた。それは当時の解放者の唯一の生き残りであり、【ライセン大迷宮】の主であるミレディ・ライセンの証言からも間違いはない。
そして、魔人ブウが二度と封印から復活しないよう、神から封印された魔人ブウを盗んだ当時の解放者達が神の封印の上から二重三重と封印を重ね掛けたのだ。たかが数百年程度で復活できるはずがない。ミレディも、少なくとも後千年は復活することはないとハジメ達に断言していた。
それらの情報から、ハジメは魔人ブウが復活したという事実よりも、誰かが魔人ブウの名を騙っている可能性の方が高いと推測したのだ。
しかし、その希望は無残に引き裂かれる。
「そうか、サインはいらないのか。まあ、そんなことよりおまえの疑問に対する答えだが……薄々分かってはいるんだろ? 確かにあの封印から抜けるのは魔人ブウ一人じゃ無理だ。そう……一人だったらな」
「っ……封印を解いた相手は別にいるってことか」
「正解! どこにでもいるんだよ、特に善悪とか考えないでなんでもかんでも助けちまう奴がな」
それは、ハジメ自身も予想していた可能性の一つだった。というより、それ以外に魔人ブウが復活する方法など考えられなかった。
封印とは内側からの破壊は困難であっても、外側からの破壊となればその難易度は大きく下がる。実際にユエの封印も外側からハジメが破壊したことでなんとか解放することが出来たのだ。解放者はそれが分かっていたからこそ、誰の目にも届かぬよう、どこかの大迷宮に封印された魔人ブウを隠したのだ。
ハジメの目の前にいる存在が本物ならば、誰かがその隠された魔人ブウを見つけたことになる。
(どこのバカだ。こんなヤバいのを復活させやがったのは)
ハジメは思わず心の中で顔も名前も知らない誰かを恨む。
「お前を復活させたのは……誰だ」
「ははは、言うと思ってんの?」
「……そうか」
元より答えを貰えるとは思ってなかったが、案の定ハジメの望む答えは得られなかった。
「あ、そういえば……こんな下らない会話をするためわざわざこんな所にまで来たんじゃなかったな。早速本題に移ろう。おまえ達、オレと交渉するつもりはないか? 暴力で解決すればすぐに終わるが、それは知性なき獣のやり方だ。知性ある種族同士もっとスマートにいこう」
「……何が望みだ」
突然の提案にハジメは警戒しながらも応答する。明らかに怪しいが、このまま得体の知れない相手と戦うよりは何倍もマシだと結論づけたからだ。
「内容は簡単、オレはおまえ達に危害を加えないことを約束する。その代わり、この精神不安定男を寄越せ。たったそれだけだ。人類の裏切り者を渡すだけで大勢の命が助かるんだ。悪くない提案だとは思わないか?」
その要求とは清水をほぼ無条件で渡せと言っているようなものだった。
先程、ハジメが撃った弾丸は清水に命中しておらず、偽ティオも跡形もなく消滅している。原因は不明であるが、魔人ブウが何かしたことは間違いない。
いきなり現れてあまりにも身勝手すぎる提案。そんな提案に乗る者などこの場には一人もいない。しかし、その場にいる全ての人間が目の前の魔人から発せられる威圧感から言葉を発すことすらできなかった。
それは、ハジメ達ですら例外ではなかった。強さの面でも経験値の面でも他者より一枚も二枚も上手なハジメ達は魔人ブウからは奇妙な違和感を感じ取っていた。
特にハジメはそれを強く感じていた。
所持している技能や経験から戦ったら勝てるという確信がある。にも関わらず、本能が戦ったら間違いなく死ぬと警鐘を鳴らす。そんな矛盾した感覚がハジメ達を襲っていた。
それに加えて、ハジメは目の前の相手を理由もなく
そんな緊迫した状況の中、一番最初に言葉を発したのは……なんと愛子だった。
「……あ、あなたに対話の意思があるのなら、教えてください!」
「うん? いいよ。もうすぐ三十路の合法ロリ女教師さん。好きなだけ聞いてくれ。答えるかどうかは別だけど」
「ロリ……三十路って、女性に失礼ですよ!」
「はは、ごめんごめん」
醸し出す不気味な雰囲気とは異なり、気軽な感じで話す魔人ブウに愛子は「ムググッ!」呻りながら悔しそうな表情を見せるも、一度胸に手を当てて大きく深呼吸をしてから真剣な表情へと切り替える。
「清水君に私を殺すように指示したのは……貴方ですか?」
その言葉にその場にいる全ての者が息を呑んだ。返答次第では即戦闘となるうる確信に迫る質問。自然に場の空気は重くなった。しかし、そんな空気感とは裏腹に魔人ブウはまるで呆れたかのような表情で空中に浮かびながら胡坐をかいた。
「……その問いに答えるには、まずは誤解を訂正する必要があるみたいだな。どうやらおまえ達はオレを魔人族だと思ってるようだが、オレをあんな奴らと一緒にしてもらっては困る。同じ魔人であっても奴らとオレでは根本的に違う」
「魔人族じゃ、ない?」
「ああいや、そこを説明するのは面倒だからそこまで気にする必要はない。オレと奴らは違う。そこだけ認識してくれれば構わない」
愛子達にとって普通の魔人族も目の前の魔人もそう違いはないのだが、本人はそこに何かしらの拘りがあるらしい。念を入れて訂正してきた。
「それで、あんたが聞きたいことはオレがそこで白目向いてぶっ倒れてる男を唆したかどうかだったな? それに関しての答えはNOだ。おまえ達が言ってる魔人族ってのは多分こいつのことだろ」
「ひっ……」
すると、どこから取り出したのか、魔人ブウは愛子達の足元にボウリング玉サイズのなにかを放り投げた。飛んできたそれを視界に入れた愛子は思わず小さな悲鳴を上げる。
それは……生首だった。
黒い肌に尖った耳、まるで今にも叫びだしそうなほどに狂気に染まった表情……首から下の体がない魔人族がそこに転がっていた。敵である魔人族とはいえ、人間の生首を初めて見た生徒達は悲鳴を上げ、中にはその嫌悪感を示す姿に胃の中にあるものを吐き出してしまう者まで現れる。
「ここら辺でコソコソとしてて目障りだったからな、殺しておいた。多分おまえらが言ってるのはそいつのことだろ? おまえ達が敵であるオレの言葉をどこまで信用するかは別だが、一応証拠としてそれを提供しよう。もう殺しちゃったから証拠として使えるかどうかは知らんけど」
「そんな……酷い……」
「まったく、相変わらず先生は優しすぎだろ……」
最後に魔人ブウが小さく何かを呟いていたが、胃酸が込み上げてくるのをなんとか抑えていた愛子はそれを聞き逃してしまった。すると次の瞬間、一瞬の内に愛子の視界の内から、その生首が消え去った。正確に言えば、何者かによって愛子達の目では追えない程の速度で遥か遠くまで吹き飛ばされたのだ。
「ひゅ~、ナイスキック!」
「……いい加減にしろ」
それをやったのはハジメだった。これ以上愛子やユエ達に不快なものを見せてたまるかと、まるでサッカーボールかのように魔人族の生首を勢いよく蹴り飛ばしたのだ。飛んでいった生首は空高くまで吹き飛び、数秒後にはもう視界に移らないほど遠くにまで消えて行く。
「目的はなんだ。清水を攫うことでお前になんの利益がある。お前が魔人族じゃないなら余計清水に価値はないはずだ。答えろ」
ドンナーの銃口を向け、ハジメは問う。ハジメは目の前の魔人はおろか魔人族にとってすら清水にそこまでの価値はないと考えていた。人間を一人も殺せずに敗北し、情報を吐く可能性しかない邪魔な存在は生かしておくだけデメリットしかない。
そんな清水を目の前の魔人は救った。それがハジメにはどうしても理解できない。しかし、返って来た言葉はハジメが到底納得できるようなものではなかった。
「理由か……理由、ねぇ……
「……は?」
「敢えて言うなら……気分? ほら、アレだよアレ。なんか負けてる側を応援したくなっちゃうアレ。あそこまであからさまにボコされてるのを見せられたら……つい助けてみたいと思っても仕方なくないと思わないか?」
「てめぇ……ふざけてんのか?」
魔人ブウの言っていることは、日本で言うアンダードック効果のようなものだった。そんなその場のノリみたいな理由で襲われた側からしてみればたまったものじゃない。ハジメは怒りに顔を染める。
「別にふざけてないさ。御大層にそれっぽい理由つけたり、感動的な長話でも期待してたのか? だったら期待外れで悪かった。そういう中身の無い下らない話は嫌いなんだ。それよりもさっさと答えを聞かせてもらえないか? これ以上の会話はお互いに時間の無駄だ。おまえもそれは分かってるだろ? できるだけ早めに決断してくれ」
もう話すことはないと言わんばかりに会話を終わらせようとする魔人ブウ。それを察したハジメは愛子にアイコンタクトを取る。ハジメの視線からその意味を理解した愛子は小さく顔を横に振った。
否定、つまり交渉は決裂だ。
愛子がその選択をすることは分かっていたため、それを確認したハジメの行動は早かった。
ドパンッ!
魔人ブウに向けられたドンナーから乾いた発砲音が響き渡る。
「これが答えだ」
「そうか、残念だ……では力づくで奪うとしよう」
その言葉が切っ掛けとなり、遂に戦いの火蓋は切られた。
最初に動いたのはハジメ達だった。
戦闘が始まる前から既に魔法の発動準備をしていたユエが魔人ブウの左側から"雷龍"を放ち、右側からはティオが漆黒のブレスを放つ。そんな二人に一瞬遅れて背後に周ったシアがドリュッケンを振り下ろし、正面からはハジメが宝物庫から取り出したシュラーゲンを使い電撃を纏った弾丸を撃ち放つ。
完璧なコンビネーションで生物どころか地形すら大きく歪めてしまう程の高火力の攻撃が四方から魔人ブウへと同時に襲いかかる。その衝撃は凄まじく、まるで巨大な爆発が起きたかのような大きな音と高く上がる粉塵が発生した。
「やったか!」
生徒の一人が喜色を浮かべながらそう声を上げる。勿論そう思ったのは一人だけではない。その場にいる誰もが勝利を確信した。あれほど規格外な攻撃を食らっては骨すら残らないだろうと。しかし、そんな希望を打ち砕くように砂埃が晴れた先には魔人ブウが立っていた。
傷一つもない五体満足の状態で。
「おいおい、マジかよ」
「……手応えはあった」
「今、私本気でやりましたよ」
「まさかここまでとは……」
これに関してはハジメ達にとっても想定外だったようで動揺が走る。
「素晴らしい連携技だ……ただ、この程度の攻撃ではホコリを巻き上げるので精一杯じゃないか? そうだ、攻撃の見本というものをオレが見せてやろう」
ハジメ達の動揺を分かっているのか、不敵な笑みを浮かべる魔人ブウは手をブラブラと揺らすと、その姿が一瞬の内に掻き消えた。
「ぁ……」
「「「シア!?」」
ドオオォォォンッ!
その直後、ハジメの左手側から小さな悲鳴が上がると同時にシアの姿が一瞬の内に消えた。そして背後から響き渡る巨大な衝撃音。三人が焦った様子で振り向くと、そこには魔人ブウに首を掴まれ、ハジメの作ったウルの"外壁"に叩きつけられたシアがいた。
シアは頭から血を流し、白目を向いて気絶している。そんなシアに追い打ちをかけるようとしているのか、魔人ブウは握り拳を上げる。
「貴様ぁ! シアから離れろぉ!」
「ティオ、待て!」
短い付き合いとはいえ、それを見過ごせるほど非情ではないティオがハジメの静止を無視して魔人ブウへと襲い掛かる。よほど冷静さを欠いているのだろう、魔力が完全に回復しているわけでもないのに無理矢理竜化してその姿を黒竜へと変化させる。
そして、魔人ブウの目の前まで来ると、全魔力を込めたブレスを放った。その威力は以前ハジメが全力の防御をすることでようやく防げたブレスよりも遥かに高い。恐らく、今のハジメでも完全に防御しきることは不可能だろう。
これほどの一撃、常人では痛みを感じる前に消し炭となるだろう。しかし、今回ばかりは相手が悪すぎた。
「……くだらない技だ」
魔人ブウが腕を一振りすると、ティオのブレスは掻き消され、更にその際に生じた風圧によって竜化したにも関わらずティオは空高く吹き飛ばされる。
「そんな火遊び程度で……オレに届くとでも思ったか!」
吹き飛ばされたティオは自身の全力の一撃が防がれたことに焦りを感じつつも、すぐさま器用に翼を使い空中で体勢を立て直す。時間にして約一秒。竜人族の中でも屈指の実力者であるティオだからこそできる芸当だ。
だが、それでも遅かった。
「避けろ!」
『ッ!?』
ハジメの必死の警告に周囲を見渡した時には既に、ティオの周囲三百六十度は数えきれない程の球状のエネルギーの塊によって包囲されていた。地上を見れば、魔人ブウがティオの方へと右手を上げ、握るような動作を見せた。
その動作と連動するように、周囲を包囲していたエネルギーの塊は一斉にティオへと向かって飛んでくる。避けようにも、全方位を囲まれているため避けることすら許されないティオは自身の防御力を信じて耐えることに全神経を注いだ。
『ぐぅ、ぅぁああああああ!!』
しかし、耐えられたのはせいぜい数発。何百発というエネルギーの塊が直撃したティオはあまりのダメージに意識を失い、人間の形態に戻って地上へと落ちた。
「ティオ!」
戦いが始まって一分も経たない内にシアに続いて、ティオまで倒されたという事実にハジメは強い危機感を感じる。相手は確実に自分達よりも格上。それを理解したハジメはどうにかして、魔人ブウを倒す方法を考える。
しかし、ハジメは焦りのあまり、周りが見えてはいなかった。
「な、なにあれ……ありえない」
「っ……! しっかりしろユエ! あいつを二人なんとかするぞ!」
魔人ブウの圧倒的な戦闘力を前に明らかに動揺しているユエをハジメが怒鳴りつける。普段はユエに対して甘々なハジメであるが、こんな状況ではいつものような惚気を見せるほどの余裕はない。
この場で冷静さを欠いてしまえば魔人ブウへの勝機は確実に消える。唯一勝てる可能性があるとするならば、魔人ブウが油断している今の内にユエと協力してハジメの持つ最大の一撃を与えるしかない。
それにはユエの協力が不可欠であり、ユエが正気を失ってしまえば僅かな可能性すらも消失してしまうのだ。だからこそ、ハジメは肩を揺らして無理矢理にでもユエを正気に戻そうとする。
「人の心配していいのか? 次はおまえだぞ」
その瞬間、ハジメの背後から声が聞こえた。
咄嗟に地面を勢いよく蹴り、瞬時にその場から飛び除くも、スピードの面では確実にハジメは負けていた。
「遅い遅い」
次の瞬間には魔人ブウは再度ハジメの背後に周り、回し蹴りを与えた。
背後からの強い衝撃にハジメは勢いよく吹き飛ばされる。それでもなんとか体勢を立て直そうとするも、また背後に回られた魔人ブウに後ろ髪を掴まれ、そのまま後頭部から地面に叩きつけられる。
脳を揺さぶられ、歪む視界に耐えながらもハジメは何とか立ち上がろうとするが、今度は起き上がった頭を魔人ブウに踏みつけられ、頭を地面にめり込ませる。
「ぐっ!」
「ハジメ!」
「……やっぱりか」
ハジメが倒れたことで、ようやく冷静さを取り戻すことができたユエだったが、そのタイミングはあまりにも遅すぎた。既にもう戦力として残っている者はユエしかいない。
「"蒼…"」
「させねぇよ」
ユエが焦りのあまり周囲の被害など気にせずに"蒼天"の魔法を使おうとした瞬間、魔人ブウが左腕を物理的に伸ばし、ユエの首に巻きついて締め上げた。
「あ……が……」
「弱いな、弱すぎる。確かに魔法の才能はあるが、咄嗟の判断力が低い。経験が足りてないせいだな。オレが言えたことでもないが、おまえは最初から強すぎるせいで格上との戦闘経験が異常に少ない典型的な奴だな……ん?」
ユエは必至に抵抗するが、あまりの実力差に無駄に終わる。そんな間も魔人ブウはどんどん締め上げる力を強め、ユエの抵抗も少しづつ弱くなっていく。しかしその時、魔人ブウの足を何者かが掴んだ。
「ユエ……を……離、せ」
「なんだおまえ。まだ意識があったのか」
ハジメだ。たった三発の攻撃で瀕死寸前にまで追い込まれたハジメだったが、ユエの危機に這いつくばりながらも助けに向かった。
そんなハジメの様子を魔人ブウはジーと不思議そうに見つめ、次にユエを観察するかのように見つめる。それを何度か繰り返すと、魔人ブウはなにかに納得したかのような反応を見せた。
「ああ、そういうこと……こいつがおまえの『お気に入り』か」
そんな嬉しそうな笑顔を見せる魔人ブウを見て、ハジメの脳裏に嫌な予感がよぎった。上手く動かせない体で必死にユエに手を伸ばそうとするハジメに対して、魔人ブウは右手を貫手で構えると、
ユエの胸を貫いた。
「!? ごぽっ……」
「ユエ!!」
突き刺さった腕はユエの心臓を貫通し、背中の皮膚を突き破る。貫かれた胸からはドロドロと血が流れだし、心臓を破壊されたことで口からも多量の血を吐き出した。だんだんとその小さな体が真っ赤に染まっていく。
「へぇ……やっぱり再生持ちか」
魔人ブウがポツリと呟いた。
ユエは"自動再生"という固有魔法を持っているため、心臓を貫かれた程度で死ぬことはない。今も腕が抜かれたことでポッカリと空いた胸の穴は少しづつ治り始めている。しかし、それを理解していたとしても、赤く染まったユエの姿はハジメを逆上させるのには十分過ぎた。
「ッッアアアアアアッ!!」
「五月蠅い、喚くな」
「ぁが!?」
体の痛みを気にする様子もなくハジメは絶叫と共に立ち上がる。しかし、本人がいくら耐えようとも、その体には膨大なダメージが蓄積している。あっさりと魔人ブウに蹴り飛ばされ、再度地面に倒れ込む。
「ころして、やる……殺してやる!!」
それでも意識までは途切れておらず、ハジメは喉が潰れるのではないかと思うほどの声量で殺意を直接的にぶつける。そんなハジメの怒りに対して魔人ブウの答えは、
「……飽きた」
そんな気の抜けた言葉と冷めた視線だった。
「もういいや……返す」
そして、締め上げていたユエをまるで捨てるかのようにしてハジメの方へと投げた。突然飛んできたユエに少し焦るも、ハジメはボロボロな体をなんとか動かしてキャッチする。
「ユエ! だいじょうっ…ガハッ!」
再生は発動している。魔力も底をついてはいない。それでも体中から大量の血液が流れたことで意識を朦朧としているユエにハジメは呼びかけようとするが、その瞬間にハジメの顎を魔人ブウの膝が打ち抜いた。
「はい、お終い」
既に限界を迎えていたハジメの体は不意に放たれたその攻撃に対応できなかった。許容量を大きく超えるダメージはついにハジメの意識までも奪い始める。
「ぁ……ぇ……て、めえ…………」
それでも、決してユエを離そうとせずに抱きしながらハジメは魔人ブウを睨みつける。しかし、そんなものは抵抗にすらならない。ゆっくりと着実に意識を薄れさせていったハジメは完全に己の意識を手放した。
「よし、帰るか」
ハジメが気絶したのを確認すると、魔人ブウはハジメへの興味を完全に失ったかのように背を向け、清水を担いでから宙へと浮かび上がる。言葉の通り、この場から去るつもりなのだろう。
「待ちなさい! 清水君をどうするつもりですか!」
「ダメよ、愛ちゃん先生!」
「あんな化け物、もうどうしようもねぇよ!」
「離してください! このままでは清水君が!」
そんな魔人ブウを愛子が無謀にも引き止めようとする。しかし、ハジメですら敵わなかった敵を愛子がどうにかできるわけがない。近くにいた生徒達が必死に抑える。そんな一連の流れを見た魔人ブウは大きくため息を吐いた。
「そんなにこいつが大事か? 町一つ潰そうとした裏切り者だぞ。どうしてそこまで頑張れる?」
本気で疑問に思うような声で魔人ブウは問いかける。その疑問に愛子は躊躇うことなく答えた。
「私が教師で、彼が私の生徒だからです!」
「へぇ……」
その言葉に魔人ブウは何かを感じたのか、先程のような不敵な笑みではなく、純粋に心からの笑みを浮かべた。その表情を見て、愛子は一瞬呆然とする。
その笑顔には、見覚えがあった。
誰のものかまでは思い出せなかったが、そういう笑い方をする者を愛子は知っていた。しかし、そんな混乱する愛子の思考を置いて魔人ブウが話を進めた。
「それなら、信じてやればいい。あなたの生徒を。たとえ傍にいなくても、誰かが自分を信じてくれると知ってるだけでも、救われる奴はいる」
「貴方は……一体何を……」
「少し時間をかけ過ぎたな。さっさと戻るか」
「待っ…」
そんな言葉を最後に、魔人ブウはその場にいる者達に背を向けた。咄嗟に愛子が手を伸ばそうとするも、その姿は残像すら残さずに一瞬の内に消える。当然、魔人ブウに抱えられていた清水もこの場から消え去った。
「そ、そんな……」
目の前で生徒の一人が攫われたという現実に愛子は絶望し、膝をついた。
たとえどんな行いをしようとも、清水は愛子にとって大事な生徒の一人だった。だから、諦められなかった。諦めるわけにはいかなかった。
力の差がどれだけ離れているかを思い知っても、他の生徒達からどれだけ止められようとも、諦めることだけはしてはいけなかった。
しかし、諦めないだけではダメだった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
愛子はひたすら謝罪する。
頼りにしたハジメは倒れ、頼って欲しいと言った清水は連れ去られた。もはや愛子に出来ることは二人に対して謝りつづけることだけだった。
そんな愛子に周囲は声をかけることすらできず。魔人が去った後には、愛子の涙ぐんだ謝罪の声と生き残ったことを喜ぶ町の喧騒だけが残った。
少しやり過ぎたかもしれない。アンチ・ヘイトのタグ付けるべきかも。
それでも、ハジメの目の前でユエのハートをブレイクするのは最初から決めてたことなので全く後悔はありません。
ちなみに、この時の仁君はノリッノリで悪役ムーブに徹しています。