『元勇者パーティーの裏切り者』清水と『筋肉モリモリマッチョマン』ハイツが戦闘を始めてから、数十分の時が経過した。
暗示、催眠、幻惑、錯乱、認識阻害、これまで檜山に対する復讐のために覚えたあらゆる魔法を駆使して、清水は戦った。そのどれもが一定の条件さえ揃ってしまえば竜人族であっても効果を見せる強力な精神魔法だ。どこか薄い本に出てきそうな効果であることに関しては気にしてはいけない。
常人ならば抵抗することすら許さずに、容易く思考を思うままにされていただろう。それほど強力な魔法を清水はたった一人の人間相手に使用した。そこまでしなくては負けると感じたからだ。
しかし、
「はあはあはあ……クソったれがぁ!」
「勝負あり、ですね」
その全てがハイツに届くことはなかった。
精神そのものを操ろうとしても気合で耐えられ、五感に異常を与えようとも理解不能な筋肉パワーで効果はなく、物理的な攻撃は初撃の不意打ちのように上手くはいかず、分厚い筋肉の壁に防がれダメージが入らない。
元より、清水の闇魔法は使用者の強さによって効果範囲が大きく変わる。使用者よりも弱い相手であれば絶大な効果を発揮するが、逆に格上相手に対しては大きく薄まる。故に、清水より実力が上であるハイツに生半可な闇魔法が通じるわけがないのだ。
自分の攻撃は全て無効化され、相手の攻撃は一度でも直撃すれば命に関わる。圧倒的な不利対面だ。当然、そんな状況で清水が戦況を優勢に進めるはずもない。むしろ、この実力差で数十分も耐えられている現状が驚きといえよう。
「清水、もうやめてっ!」
「……まだ……だ……」
だが、それももう限界だ。
致命傷となりうる攻撃こそ避けているものの、何度も物理的な攻撃を食らった清水の体はボロボロだった。体中にいくつもの痣を作り、口や鼻からはダラダラと血が流れでている。きっと骨が折れている箇所もいくつかあるだろう。立っているのが不思議なくらいだ。
そんな清水に未だ逃げださない――いや、ハイツに逃げる隙を与えてもらえないメルが心配して声をかけるが、その言葉が届くことはない。やめようがやめなかろうが、ここで倒れれば清水に待ち受けているのは『死』のみ。今すぐ死ぬか、後で死ぬかの二択でしかないのだ。
それを清水は分かっていたし、そうなってしまえばメルはハイツによって連れ去られ、本当の意味での無駄死にとなる。それだけは避けなくてはならない。清水はボロボロの体でなお立ち上がり、散々自分をボコしてくれた相手と向かい合う。
(何か……何かないか。あいつに勝てる方法は……)
いくら立ち上がったところで戦況が劣性であることは変わらない。それでも、僅かな希望に賭け、ハイツを倒すことだけに意識を集中させる。
逃げることに失敗した時点で、清水のスペアプランは仁が戻ってくるまでの時間を稼ぐことに決定した。エリセンの住人は清水が信用できないし、来てくれたとしても余計な犠牲が増えるだけだと考えたからだ。しかし、この状況では仁が戻ってくるよりも清水の命が尽きる方が早い。
だからこそ、清水は戦況を打破する逆転の方法を己の記憶の中から探しだす。
(せめて、あの魔法が使えれば……)
清水の脳裏に浮かぶのは、自身が蜘蛛型の魔物に洗脳されていた際に使っていた正体不明の魔法。
それは洗脳の影響で薄れた記憶の中でさえも、色濃く残っていた記憶の一つだった。清水の知っている姿とは似ても似つかない中二病感満載な姿をしたハジメに無様にも殺されかけ、暴走した際に発動した影の竜を生みだす魔法。
あの魔法ならば、ハイツを倒せる可能性は十分にあり得る。
しかし、あの魔法は正確には清水が発動したわけではない。寄生した蜘蛛型の魔物が清水の体を操って発動させたのだ。使い方が分からないどころの話ではなく、そもそも使えるかどうかすら分かっていない。
それでも、魔法を発動した体が清水のものである以上は、使える可能性はゼロではない。エリセンに来るまでの間に清水は仁にそう言われていた。
(一か八か……やるしかないか!)
成功する確率は低い。操られていた時に使っていた魔法を使うのだから、それはそうだろう。だとしても、清水に残された希望はそれしかなかった。このまま敗北の決まった無意味な戦いを続けるぐらいなら、少ない可能性に賭ける方がまだ希望が残っている。
「……おい、もうすぐここら一体が吹き飛ぶかもしれない。早く俺から離れろ」
「清水? 一体何を……」
「いいから早くしろ!」
薄れた記憶の中から、清水は自身が影の竜を出現させた時の記憶を呼び覚まし、魔法の発動準備をする。
その際に少しでも危険性を下げるため、メルを自身から遠ざけることも忘れない。もし運良く魔法の発動が成功したとして、生まれた竜が清水の指示通りに動く保証などない。最悪の場合、暴走して誰彼構わず襲うという可能性もあるのだ。不安要素はできるだけ除いた方がいい。
「おや、また何かするつもりですか? 無駄なことを。貴方の攻撃は私の筋肉を突破できません。宣言してあげましょう。私が負ける可能性など甘く見積もって二パーセントです!」
「ひひひっ……そうとも限らねぇぞ」
「では、見せてみなさい。そして絶望するとよいでしょう」
両手を広げ、余裕の表情をハイツは浮かべる。その隙だらけな様子からは油断していることが丸わかりだった。相手が油断してくれるなら清水にとってこれ以上ありがたいことはない。清水は薄い笑みを浮かべて、体に流れる魔力に意識を集中しながら、記憶に残る影の竜をイメージする。
以前の清水ならば、魔法の発動にこのような工程を挟むことはなかっただろう。本来、人間が魔法を発動するのに必要なものは魔法陣と詠唱だ。しかし、今の清水にとってその二つは必須のものではない。
そうなった原因は……まあ、ぶっちゃけ仁のせいだ。
ウルの町にて、魔物に寄生された清水の体はゆっくりとだが着実に人間から魔物へと変貌していた。幸い仁の"回復の術"で治療されたことで、今も人間のままでいられているが、実はその時、仁はとある技能だけを清水の体に残していた。
技能名は"魔力操作"。
本来、人間が持つはずのない魔物特有の技能。その効果は文字通りの魔力の直接操作。この技能があるからこそ、魔物は詠唱も魔法陣もなく魔法を発動できるのだ。基本的には、仁のように五感で魔力を感じて気合で操作するなどという例外を除けば、これ以外に魔法を無詠唱で発動する方法はない。
そんな普通の人間が持つには大きすぎる力を、仁はノリと勢いで清水の体に適合させたのだ。つまり、今の清水は魔物やハジメ達のようにイメージだけで魔法や技能を発動させることができる。
だからこそ、清水はイメージする。薄れた記憶を鮮明に思いだし再現する。操られていた時の自分を、あの竜を作り出した魔法を。
「……来いっ!」
詠唱ではない、ただ気合を入れるためだけの言葉。しかし、その言葉がきっかけとなるかのように、清水の影はゆらゆらと揺らめき、巨大化する。
「なんだと……一体何をするつもりだ?」
「まだだ……まだ魔力が足りない。もっと……もっともっていけ!」
清水の体の内側にある魔力がどんどん吸い取られていく。その勢いは恐ろしく、適正のない上位魔法を連発しているような感じだ。それでも、まだ足りない。あまりの勢いに意識を失ってしまいそうになる清水だったが、ギリギリのところで耐え、魔力を注ぐことに全神経を集中させる。
すると、その巨大化した影は更に大きくなっていく。あまりの大きさにハイツがついに魔法を中断させようと動こうとするも、もう遅い。その影の中から、巨大な漆黒の竜が現れたのだ。
キュゥワァアアア!!
魔法よって生まれた影の竜は不思議な音色の叫び声を上げると、清水の背後に佇む。まるで、主人の指示を待っているかのように。
「黒竜……だと!? そ、そんなこと……ありえない! 何故だ、まさか先程までは本気を出していなかったというのか! こんなもの私のデータにはないぞ!」
「っ……や、やれ!!」
その姿を目にし、今までにない動揺をハイツは見せる。いくらハイツが強いとはいえ、所詮はただの人間。強大な竜が相手ではどうしようもない。戦況は確実に清水の方へと傾いた。しかし、清水にも余裕があるわけではない。
影の竜を作り出すこの魔法は、発動時だけでなく、発動中も膨大な魔力を消費する。もし、この魔法を発動した者が仁やハジメパーティーの吸血鬼娘のように呆れるほど膨大な魔力を所有していたならばまだしも、清水はそう長い時間継続して魔法を発動し続けられる程の魔力を有してはいない。
甘く見積もって十秒。それが影の竜を出現させられる制限時間である。
それをすぐさま理解した清水は悩む間もなく短期決戦を選択した。影の竜に指示し、ハイツに差し向ける。本物の黒竜のように炎を吐くことは出来なくとも、噛みつくだけでも普通の人間ぐらいなら余裕で殺せる。
その余波で周囲の建物を破壊してしまったが、今の清水にそんなことを気にするほどの余裕はない。町を砕きながらも、影の竜はハイツに向かって突進する。
「ぐうぉおおお! 筋肉を信じろおぉ!!」
「くたばれぇええ!!」
すると、大きく口を開けて襲い掛かる影の竜の牙をハイツは驚くことに素手で掴んだ。そして一時的にとはいえ、影の竜の力と拮抗する。その状況に焦った清水は魔力を更に注ぎ、影の竜を強化する。その分発動できる時間は短くなるが、どうせこれを耐えられれば負けなのだ。躊躇うことはなかった。
「「うぉおおお!!」」
それから二秒ほど、漆黒の竜とマッチョマンの拮抗した時間が続くも、だんだんと影の竜が押し始める。ハイツが雄叫びのように叫び、筋肉をボコッと膨れ上がらせるも、それ以上の魔力を清水が注いて影の竜を更に強化する。
「死ねぇええ!!!」
「な、何故だぁああ! この俺の計算がぁあああ!!」
そして遂に、完全に影の竜の力が上回り、ハイツはその体を噛みつかれ、そのまま地面へと押しつぶされた。野太い男の悲鳴が周囲に響き渡り、その衝撃でエリセン全体が大きな地震でも起きたかのように揺れはじめる。
「っ……はあはあはあ。ははっ、もう魔力がすっからかんだ」
「清水、大丈夫なの!」
一連の流れを見ていたメルが長らく暮らした自分達の家が崩れていくのを目にして、悔しそうに噛み締めるが、今はそんなことを気にしている余裕ではないと切り替え、地面に座り込む清水へと駆け寄る。
清水の方もメルが無事であることに安堵し、影の竜へ送っていた魔力を断ち切る。魔力の供給が切れた影の竜は闇に消えるように消滅した。
清水が勝利した。その時の二人は疑いようもなく、そう信じていた。
しかし、次の瞬間だった。
「うっ……さ、流石の俺も今のは死ぬかと思ったぞ。この俺が死にかけたんだぞ……」
先程、影の竜の攻撃によって崩れた瓦礫の下から、筋肉モリモリのマッチョ男が瓦礫をどかして現れた。
「あ……あ……嘘、だろ」
「そ……そんな…………」
影の竜の牙によって体にいくつもの巨大な穴を開け、そこから大量の血液を溢れるように流すハイツは怒りに顔を真っ赤に染めて、清水とメルを射抜くような視線で睨みつける。その瞬間、勝利を確信していた二人は絶望した。もはや魔力の枯渇で体を動かすことすらできない清水と戦闘経験のないメルではハイツを打倒するすべはない。
「はは、は……もういいや。メル、お前だけでも逃げろ」
「な、何を言ってるの清水……! そんなこと……」
「さ、さっさと行け、邪魔だ! 二人揃って死にたいのか!」
動かない体で諦めたようにハイツを睨みつける清水はメルに逃げるように促す。しかし、こんな状況でも優しいメルは命を賭けて自分を守ってくれた清水を見捨てられない。
「逃げられると思うか? 貴様は勿論許さんし、主人に逆らう悪い奴隷には躾をしてやる……」
そう怒気を含んだ声を放ちながら、一歩、また一歩とハイツはゆっくりと近づいてくる。もうどうしようもない絶望的な状況に二人は身構える。
その次の瞬間、ハイツを含めたこの場の三人にとって想定外の乱入者が現れた。
「おい、お前ら……そこで一体何してる」
現れたのは、ボロボロの白いシャツに頭にねじり鉢巻きを巻いた、まさに漁師といったような恰好をした大柄の男。それはエリセンで暮らすメルだけでなく、仁と共にこの町に来た清水もよく知る人物だ。
「……パパ」
メルの父親であり、仁と清水を船に乗せてエリセンまで送った張本人、マリクだった。
先程の戦いの音はエリセン中に響いており、誰かが聞きつけてやってきてもおかしいことではない。彼もその音を聞いて駆けつけたのかもしれない。
突然の乱入者に三人は一瞬驚愕するも、メルと清水は安堵の表情を浮かべる。見た目こそ少し怖いが、事情を説明して状況を理解してもらえばこちら側の味方になってくれる可能性が高い、大いに頼りになる人物であるからだ。
「パパ! 助け「気を付けてください!」――何をっ!」
咄嗟にメルが救助を求める声を上げようとした。しかし、それと同時にメルの声に被せるようにしてハイツが野太い声を上げた。
「この男がメルちゃんを連れ去ろうとしたのです。ここから逃がさぬために私が抑えておきました! やはり魔人族の仲間、信用すべきではありません!」
ハイツの吐いた思いがけない言葉に清水とメルは信じられないと言わんばかりに目を見開く。実の娘であるメルが目の前にいるこの状況では、こんな嘘などその場しのぎにすらならない。
しかし、ハイツはバカであるが、その程度のことも理解できないアホではなかった。再度メルが声を上げて真実を伝えようとすると、また被せるように言った。
「この男は闇魔法の使い手です。メルちゃんは洗脳されています! 彼女が何を言っても耳を貸さないでください! きっとメルちゃんを攫った犯人達もこいつの仲間でしょう。私達を騙していたんです!!」
「っ……あの野郎!」
「どの口が言ってっ……!」
あまりにも滅茶苦茶な理屈に清水とメルは怒りを抑えきれない。この男、自分のしでかした事を全て清水になすりつけようとしているのだ。証拠も根拠も出せないくせに、己のエリセンでの立場だけを利用して築き上げた架空のストーリーによって。
「違うわパパ。私は洗脳なんかされてない!」
「……」
当然、こんな真っ赤な嘘を言われてメルが黙っていられるはずもない。必死に抗議するが、マリクは何も言わずに清水の目の前までやってくる。その表情は怒り一色に染まっており、それを見た清水は顔を真っ青にする。その二人の様子をマリクの背後から見ていた血まみれのハイツは清水とメルにだけ見えるように怪しくほくそ笑む。
バカであるとはいえ、長年時間をかけてハイツはこの町での信用を手に入れたのだ。つい先日エリセンに来たばかりの清水とでは発言の信頼度が違う。
「俺じゃない……敵は……」
それを理解した上でなお、清水は無罪を訴える。魔力の枯渇で膝をつき、息も絶え絶えな状態で必死に声を絞り出す。無駄かもしれない抵抗だと分かっていながら、そんな奇跡に縋るより他に選択肢はなかった。
「ああ、分かってるよ。全部見てたからな……」
「ぇ……」
そして、清水は運が良い方だった。
「こんのっ、クズヤローがぁ!!」
いきなり振り返ったマリクは、自身の背後で笑みを浮かべるハイツの顎にアッパーを食らわせた。
「ぐぼぉ!」
いくらハイツの筋肉がぶ厚いからとはいえ、影の竜によって大きなダメージを受け、八割以上の体力が消耗した今の状態では、一般基準マッチョであるマリクの一撃には耐えられなかった。脳を揺さぶられ、体のバランスを崩して膝をつく。
「た、大将……なにを、ぶへらぁ!!」
突然の展開に清水とメルは追いつけていないが、それはハイツの方も同じである。自分を信頼しているはずの上司にいきなり殴られたのだ。理解が追いついていない。状況が何も分からないまま口を開こうとするも、今度は追い打ちをかけるように顎に膝蹴りを入れられる。
混乱しているハイツにその攻撃が避けられるはずもなく、無防備な顔面にマリクの膝が直撃し、そのまま仰向けに地面へと倒れる。
それでも攻撃が止むことはない。
倒れたハイツにマウンティングスタイルで乗ったマリクは何度も何度も上から拳を振り下ろす。
「ぐっ……ぶぼ……だ、いじょ、べぶらぁ……がはぁ!」
ハイツは何度もマリクに声をかけようとするが、その全てが無視され、ただ殴られ続ける。そして、ハイツの顔が漫画やアニメのようにボコボコに腫れあがると、ついにマリクがドスの効いた声を発した。
「テメェ……いい加減にしろよ。
「……一体なに、を……」
完全に頭に血が上りきっているマリクはハイツの首元を掴んで怒鳴り声を上げる。その言葉の意味を理解できないのか、それとも理解した上で拒絶しているのか、ハイツが戸惑っていると、同時に少し離れた場所から大勢の足跡が近づいてきた。
「あいつらは……」
「み、んな……どうして」
それは、マリクの船の船員達や海人族の自警団、王国から来た兵士達やメルの母親も含めたエリセンの住民達だった。勿論全員がこの場にいるわけではないが、そのほとんどが揃っている。突然の住民達の登場に状況が理解できない清水とメル、そしてハイツは意味が分からないといったようにポカンとした表情を浮かべる。
そんな三人に向かってマリクは言った。
「エリセンに着く前、あの坊主に俺はとある事を頼まれた」
すると、マリクはエリセンに着く前にした仁との約束を話した。
『オレがいない間、オレが連れてきた清水って男を見張っておいて欲しい。あいつがバカをやらかすとは思えないが、万が一ってこともあるしな。それに、これはおっさんにとっても悪い話じゃない。きっと今まで隠れていた真実についても気づけるはずだ。……ん、それが何かだって? おいおい、こういうのは口にしないから面白いんだぜ』
それが、エリセンに来る前に船内で仁がマリクに言った言葉だった。
「――だから、俺はエリセンに戻ってからそこのガキを見張ってた。そしたらどうだ。やけに俺の家の近くでコソコソしてると怪しんでみれば、お前がメルを攫いに来たじゃねぇか! それも、バカらしく自分がしでかしたことをペラペラと喋ってなぁ!!」
そう、マリクは仁の頼みによって少し前にエリセンに戻ってからずっと清水を監視していたのだ。
道中、その行動があまりにもエリセンの住民にバレバレであったため、一緒に監視をしようとする者が異常な程増えたというイレギュラーはあったものの、今回はそれが良い方向に働いた。
なぜなら、ほとんどの住民が清水の監視に加わっていたため、ハイツと清水の戦いに巻き込まれた者が一人もいなかったのだ。この場合はこれほどの人数に監視されて気づかない清水もかなりのマヌケとも言えるけれど。
そしてマリクは目撃した。自分の部下がメルを攫おうとした場面を。そして危機的な状況のメルを清水が救出するところを。
本当はメルが拘束された時点でマリクの怒りは限界を超え、飛び出そうとしていた。しかし、元勇者パーティーである清水と筋肉ダルマのハイツの戦いは一般人である彼らにとって異次元のレベルといってもおかしくない。混ざったところでただやられるだけだと他の者に力づくで止められていたのだ。
しかし、ついに清水が殺されそうになったところで、マリクが抑えていた者達を払いのけ、三人の前に現れたのだ。
「仁さん……」
「風磨の野郎……ここまで計画の内だったな」
その真実を知ったメルはエリセンを離れても、自分を救ってくれた仁に対して驚き。清水は自分が掌の上で踊らされていたことに怒りを感じつつも内心感謝する。
そんな二人とは対照的に、ハイツには怒りの感情しか湧いてこなかった。
「ふざけるな……ふざけるなよ、あの化け物が! この町を離れてもなお、俺の邪魔をするか! 許さん、殺してやる……殺してやるぞ!」
「もう諦めろ。お前の味方をする奴はもうこの町にはいない。大人しく牢獄にぶち込まれておくんだな」
狂ったように叫び出すハイツにマリクが見限ったかのようにそう伝えると、ハイツの周囲を海人族の自警団とエリセンに滞在する王宮の兵士達が取り囲んだ。守るべき少女を攫おうとしたハイツを彼らはもう許さない。
「はっ……俺を捕らえる? そんなことできるわけないだろ! 俺は帝国の大貴族、パーイン家の人間だぞ。俺がやってないと言えば全てがなかったことになるんだよ! お前らみたいな貧乏人がどれだけ集まろうがなにもできねぇんだよ!」
もう本性を隠す必要がなくなったからだろう。今までの丁寧な口調が嘘かのように、荒い言葉遣いを住人達に向けるハイツ。その言葉を聞いたエリセンの住人達の顔は悔し気なものへと変わる。
長い間エリセンの住人達を騙し続け、海人族であるメルを攫おうとしたハイツの行為は当然許されるものではない。本来なら、拘束して王宮に突き出すべきだ。だが、たかが一つの町の住人の証言だけでは帝国の貴族を捕らえることは難しい。
たった一人の貴族が証拠不十分で捕まっただけでも、その救助のために戦争すら容易く起こす。そんなイカれた国が『帝国』なのだ。それが王宮の兵士であったとしても、そう簡単にハイツを捕らえることはできない。
だが、それは本人が自分の罪を否定した場合に限られる。たとえ貴族であっても、自らの口から『罪を犯した』と認めれば百八十度話は変わってくる。
そして、この場には本人の意思関係なく、罪を自白させられる者がいた。
「俺に……任せてくれ。俺の魔法を使えば、そいつは嫌でも真実を話すはずだ」
清水だ。
人並外れた強力な闇魔法を扱える清水ならば、相手に意識がないという条件さえ満たしていれば、魔物でも人でも竜人族でも洗脳を可能とする。だからこそ、今の抵抗できないハイツを強制的に洗脳することも不可能ではない。
「やり方は任せるが、そこの筋肉男を気絶させてくれれば、俺の魔法で洗脳できる……」
「……そうか、助かる。聞いたなお前ら! さっさとそこのクソ野郎を捕まえろ!!」
「「「はい!」」」
清水の話を聞いたマリクは安心したかのように一息吐き、ハイツを取り囲んだ兵士達に命令し、力づくで拘束させる。
「離せ、俺を誰だと思ってる! お前らのような低能と違って、俺は世界に必要な賢い人間だ! 今すぐ解放しろ!」
「いい加減にしろ、クズ野郎。お前はこれからブタ箱の中で一生を過ごすんだよ」
「ふざけるな……絶対に認めてたまるか! これもすべてあの化け物のせいだ! 許さん……絶対に殺してやるぞぉおおお!!」
あまりの怒りに咆哮を上げ暴れまわるハイツは、多くの兵士達に押さえつけられながら、エリセンに設備された牢獄にまで連行されていった。
「メル、無事だったか?」
「パパ……ありが、とう……ありがとう!」
ハイツが連行され、視界から消えると、マリクはメルを固く抱きしめた。その表情は本当に心の底から安心したという安堵に満ちており。抱きしめられたメルも危機が去ったことを実感し大粒の涙を流す。
そんな抱き合う親子の姿を目にして数秒。厳しい戦いが終わったことをようやく理解した清水は今までの疲労がドッと体に襲い掛かり、無意識の内に腰が落ちる。
「終わった……終わったんだな」
体中から力が抜け、安堵の笑みが漏れる。ギリギリで繋ぎとめていた意識を手放そうとしたその時、清水に一つの手が差し伸ばされた。
「大丈夫か……坊主」
「……大丈夫に見えるのかよ」
少し悪態をつきながらも、笑みを浮かべたままその手に捕まり立ち上がる。本心ではまだ倒れていたかったが、手を差し出されて受け取らないわけにもいかない。そして、立ち上がった清水を手を差し伸べた男――マリクはじっと見つめる。
「清水幸利……だったか」
「あ、ああ……」
そして、勢いよく頭を下げた。
「部下が悪かった。あいつに何か裏があることは分かってた。それでも、いつか分かり合える日が来ると思ってた俺の考えが甘かった」
その言葉の通り、マリクは初めて会った時から、ハイツが何か企んでいることに気づいていた。それでも、共に暮らしていれば分かり合える時が来るはずだと心から信じていた結果が、今回の事件に繋がった。
「――感謝する。お前がいなければ、メルは今頃連れ攫われて、奴隷にされてたかもしれねぇ。本当に……本当にありがとう!!」
その失態があったからこそ、マリクは清水に対してこの町の誰よりも感謝していた。もし仁と清水がいなければ、マリクは娘を攫った真犯人の悪意を知っておきながら、見逃してしまったことになる。
そうなれば、どれだけ悔やんでも悔やみきれない。そうマリクは考えていた。だからこそ、清水にはどれだけ礼を言っても足りない恩がある。
「お、おい……そんな頭下げなくてもいいって!」
他人に、それも親程年の離れた大人に頭を下げられるという慣れない状況に、清水はあたふたとマリクを止めようとする。
今まで、清水は邪険に扱われたことはあれど、誰かに感謝されたという試しがなかった。勿論、妄想の中では何度も美少女の危機を救って感謝され、たくさんヤッただろう。だが、現実で誰かに感謝の言葉をかけられたことのない清水にとってこの状況はどうして良いのか分からなかった。
「い、いや、俺は……仁に頼まれただけだから……」
「それでも……清水が命懸けで私を守ってくれたのは事実でしょ。私からもお礼を言わせて」
焦りのあまり、普段の清水なら絶対にしないであろう『功績の否定』に今度は未だ泣き跡が残るメルが声をかける。
メルは清水と目を合わせ、満面の笑みを浮かべて言った。
「清水……ありがとう!」
その言葉を聞いた途端、清水は何故か満たされたような気分になった。
今までの人生、清水は自分の命を賭けてまで誰かを助けたいという思いはなかった。それもそうだろう、良くも悪くも平凡な清水がそんな考えに至るわけがない。一番大切なのは結局自分なのだ。だからこそ、今回メルを助けようとしたのも心の中に残る罪悪感を解消するためだった。
「……ああ、そうか。こんなことで良かったのか」
しかし、マリクに頭を下げられ、メルに感謝の言葉を告げられ、自分の望み――欲望とも言っていいソレを理解した。
「俺は……必要とされたかったんだな」
誰かに認められたい。誰かに賞賛されたい。誰かに感謝されたい。そんな人間にとってごく普通の願いこそが清水が心から求めていたものだった。言い換えれば、とてつもなく強い承認欲求とも言っていい。
だからこそ、たった一言の感謝の言葉で清水は満足してしまった。
命を賭けたにも関わらず、その報酬が誰でも言える簡単な言葉。そんなものが、清水にとって何よりも嬉しいものであり、命を賭けた価値があったのだと納得してしまうほどのものだった。
あまりにも単純な事実に今更気づいた清水は空を見上げる。深夜であるため空は真っ暗で月と星しか見えないが、そんなことはどうでも良かった。ただ、今の顔は誰にも見られたくなかったのだ。きっと、どうしようもなく恥ずかしい泣き顔を晒しているだろうから。
「別に勇者になれなくても、ハーレムを作れなくても、こんな簡単なことで良かったのか。ああ……俺は馬鹿だな」
それだけ呟くと、幸せに満ちた表情で……清水はそのまま仰向けに倒れた。
「え……ちょっと清水ー!」
「お、おい! 大丈夫か幸利!」
今までの清水に向けていた嫌悪の感情を消したメルと何故かもう名前呼びをしているマリクが慌てて倒れた清水に声をかける。
格上との戦いで精神的にも肉体的にも疲労しているにも関わらず、今まで使ったことのない全魔力を消費する魔法を使ったのだ。とっくに限界は超えていた。そんな状態で一瞬でも気を抜いてしまえば、意識を手放してしまうのも無理はない。
「おい、大丈夫か! ……まだ息はあるな。治癒魔法を使える奴を呼んできてくれ! 幸利を死なせるわけにはいかねぇ!」
しかし、それを見る側からすればかなり焦ってしまうのは仕方ない。特に娘を救われたマリクからしてみれば、重傷を負った恩人がいきなりぶっ倒れたのだ。気が気でないに決まっている。すぐさまエリセンに滞在している治癒師を呼ぶ。
ちょうど、そんなタイミングだった。
「なぁにコレ?」
迷宮に行っていた
影竜召喚(仮)
清水がハイツに追い詰められた結果発動した魔法。
寄生型の魔物であるパラサイダーが清水に寄生し発動した魔法を清水が己の力だけで発動に成功させた。あくまで、パラサイダーは寄生された相手の体を魔物に改造して操るだけであるため、本人が使える可能性のある技しか使えない。つまり、清水が使えてもおかしくはない。
正確には、この魔法は清水が洗脳したことのある生物を影で再現しているのであって、竜以外も呼び出すことは可能。ただ清水はそれに気づいてない。呼び出された竜のモデルはお察しの通りドMの彼女。
清水
いつの間にか"魔力操作"が使えるようになった男。
仁は何も説明していなかったため、エリセンに来る道中で初めて気づいてめちゃくちゃビビった。勝手に体を改造されたことに不満はあるが、なんだかんだで助かっている以上文句は言えない。
色々あってやっと欲しいものを手に入れられた。この二次創作では自身の望みを理解したため、もう闇落ちすることはない。
ハイツ
この後、清水に洗脳されてあることないこと自白して、王国に突き出される筋肉。ただ、今の王国はちょっとヤバいので引き渡されるのはもう少し後のこと。
自分の目的を大勢の人が聞いてると知らずに大声でペラペラと話し、バレているというのに嘘を吐くピエロ。
今後出番はない。
マリク&エリセンの住人
清水とハイツの戦闘を最初から見続けていた人達。
ボロボロになってく清水を見て「そろそろ助けにいこう」と言い出した人もいたが、ハイツが怖すぎて結局最後まで出れなかった。
メルを命懸けで助けたことで清水の評価が鰻上りに上がった。
メル
命を救われたことで、今まで清水に向けていた嫌悪の感情をまっさらにしたチョロい少女。ただ、それはそれとしてウルでの件は許せないので、ちゃんと責任は取るべきだと思っている。
ミュウ
良い子はおねむの時間です。
後にエリセンに訪れる原作主人公
メルとミュウの件から、エリセンはあからさまに怪しい人間族と奴隷を連れた男は警戒されるようになった。条件ばっちり満たした彼は歓迎されないことが確定する。