俺がオレで、オレが俺で   作:よくかんさん

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昭和と平成のうんちく大合戦。


俺がオレで、オレが俺で・4

 少し時間を置いて戻ってきたミチルの手には、目覚めたばかりの病人に渡すには少し大きめの白いマグカップがあった。

 

「悪いわね、まだ医療備品が揃ってないの」

「いや、いいよ。ありがとう……ん?」

 

『流竜馬』に手渡された程よい温かさのマグカップの中に、緑茶ともコーヒーとも違う薄い黄金色の湯が揺れていた。その立ち込める特徴的な透き通る花の香りに『流竜馬』は、固くしていた表情をふっと綻ばせた。

 

香片茶(こうへんちゃ)だね」

「あら、少し古風な言い方をするのね。茉莉花茶(まりかちゃ)とか、ジャスミン茶とかじゃなくて」

 

 香片茶とは中国のフレーバー茶のことを言い、もっぱらジャスミンの花の香りをつけた中国茶、ジャスミン茶のことを指す。昔中国と交易のあった琉球では香片(シャンピェン)がさんぴん茶の名前で残り、今の沖縄に根付いている。しかし、ジャスミン茶を香片茶として知っているのは珍しく、かなり古い言い方だった。

 

「実家の近くにお茶屋さんがあってね、香片茶の名前で売ってたんだよ。九州は有数のお茶処だから、大きいお茶屋だと輸入茶も色々と扱っていたりするんだ」

 

 そう言って、『流竜馬』は実家のある九州のちょっとした知識を披露し故郷自慢をした。

「九州?……そう、『君』は九州の生まれなのね」しかし、ミチルの知っている『流竜馬』は東京の生まれ、新宿の外れにある寂れた道場の主だ。

 また一つ、ミチルの推測は目の前の『流竜馬』が自分の知っている『流くん』ではない可能性をこと更に強くした。ならばと、この際目の前の澄んだ目をした男を、初めて会ったばかりの一人の青年として対応することにした。そうしたほうがミチルとしてもコミュニケーションが取りやすいし、なによりもあの無遠慮の権化にて自由気侭に生きてるような野人が、今はその正反対の所作をしているということに一つ一つ突っ込まずに済む、という精神的メリットがあった。

 

「じゃあ、いただくよ」

 

 青年は渡された茶の入ったマグカップに口元をつけ、混乱しきった鈍重な脳の末端にまでその香りが届くよう深く息を吸い、ほうと一息を入れた。そしてゆっくりと口に含む。

 ぬるめの湯が3日も入ってなかった胃に優しく広がり、鼻から息を通らせばその香りが『思い出』を呼び覚ます。

 それは、幼い頃に感じた優しい記憶だった。

 

「……そういえば昔、身体にいいからって風邪を引いた時に母さんが飲ませてくれたっけ。懐かしいな」

「良いお母さんね」

「ああ。少し身体が弱いところもあるけど、親父のやっている学校の事務を受け持ったりしてさ、凄いと思う」

「という事は、君には父親と母親がいて、最近もやり取りをした記憶があった、と。……これは嬉しい誤算ね」

「嬉しい誤算?」

 

 一人納得し、持っていた診断書にメモを走らせるミチルに青年は首を傾げた。その様子にミチルはほんの少しだけ得意になって彼女自身も青年にちょっとした知識を披露した。

 

「なんて言ったかしら、たしか……プルースト効果。あるににおいを嗅ぐとそのにおいにまつわる記憶や感情が蘇る現象があるのよ。今君はジャスミン茶の香りで幼少の記憶を思い出したでしょ?こうやって、においが記憶と関連付けされるというのはよくあるの。だから、ジャスミン茶の香りで君の関連付けされた記憶を呼び起せたのは嬉しい誤算だった、という訳」

「そういうものなのか。……いや、そうだ、すんなり言えてる」

 

 青年は自身が抱えていた記憶の混乱から、少しずつだが落ち着きを取り戻していた。言葉を交わすうちに、自分の状況を飲み込むことができるようにもなり、ならば先程よりはもう少しミチルとの会話もうまく行くのじゃないかと、お互いが感じている疑問の解決を図るため、先ず矛盾した記憶を確認することにした。

 

「君の言葉から察するに……君の知っている俺は、親がいないようだ」

「そうね、私の知っている流くんは天涯孤独だそうよ。父親から道場を受け継いで、日々暴力団からの借金に追われてるって話。ふふ、馬鹿よね。暴力団からお金を借りたら一生付きまとわれて骨の髄まで吸い取られるに決まってるじゃない。まあ、何時もやり返してやってるって鼻を鳴らして自慢してたけど」

「暴力団からだって?なんというか……思っていた以上に、その……」

 口ごもる青年に、ミチルは分かってるわと手をひらひらと振り遮った。「酷いと思うのでしょ」

「まあ……破天荒に聞こえる、かな」

「今の君となら仲良くなれそうね」

 

 クスクスと笑うミチルに、青年もつられて軽く笑いをもらした。

 正直、青年自身が知っている『早乙女ミチル』と彼女はどこかが違う。そのどこかがまだ青年の中ではっきりしないのだが、こうやって親身になってくれることに、ぬるめの茶では癒せない心の冷え切りそうだった孤独という部分を、言葉を以って寄り添ってくれるのは大変心強かった。

 ……ミチル自身は、別段寄り添っている自覚はなく、日頃の鬱憤を言いたい、という側面が強かったのでそれは知らぬが花、である。

 

 

 ミチルと青年の数十分の対話から得られた情報が診断書にメモ書きとして細かく追記され、黒い羅列がまとめられていく。

 そしてある一文を書いたところでその達筆な、流れるような黒い線がピタリと止まる。

 先程まで笑って冗談も言えたミチルだったが、今の彼女にはその余裕は消えていた。

 

 ――本当に、まいったわね――

 

 目覚めてからの『流竜馬』の様子から、精神に影響を与える超常的なことが起きたのだろうとは考えてはいた。

 ショックによる一時的な乖離状態というより、『流竜馬』たちが見たという黒平安京の支配者『安倍晴明』と名乗る陰陽道の男が、何らかの方法で現代に呪を送り、『竜馬』の精神を退行させた、または人格を反転させたのだ、と。......最初はそう考えていた。

 恐竜やサッカーは子供の頃にあった空想や憧れのイメージが精神に影響を及ぼした際に作られた仮の記憶、兄達人の件は罪悪感からの逃避妄想、元気ちゃんとかいいう子供の記憶は幼児期にあるイマジナリーコンパニオンが発現 したもの。......そのような推測をしていた。

 しかし、茶や『九州』に関する知識を始め、情報を集めていくうちに、目の前の青年は『流竜馬』の範囲外の知識を持っていることが分かった。

 ミチルは診断書に追記として走り書きされたメモを再度見る。

『別人格であり同位体の可能性アリ――』

 先程ミチルは青年の記憶を呼び起こせたことに『嬉しい誤算』と言った。何が来てももう驚かない、もうそれ以上のことはないだろうから。そう、どこか軽く見ていた。が、それは間違いだった。嬉しいどころか、新たな謎と可能性が現れたのだ。

 自分たちが知っている『流竜馬』をベースにした別人格ではない、『流竜馬』という別の存在。言ってしまえば、平行世界とかパラレルワールドのような似た世界があり、呪によって対存在の『流竜馬』が今自分たちの世界の『流竜馬』に入ってしまっている。……それがミチルの出した仮説だ。

 そんな古典SFじみた仮説を導き出したことは、研究者として敗北宣言をしているようなものだ。しかし、以前琵琶湖でのオーパーツをはじめ、たしかに歪な歴史は存在したし敵方の能力によるタイムワープも確認されている。

 故に、パラレルワールドが存在する可能性も十分にある……あまりにも無秩序な話であるが。ミチルは目眩を覚えたが、思考を止めている場合ではない。

 ミチルは自分を気遣う視線を送る青年へ軽く咳払いをした。

 

「大丈夫かい?」

「なにが?」

 

 まだ思考が追いつかないストレスからか、ミチルの言葉は少々ささくれだっていた。

 

「表情がちょっと険しそうだからさ」

「君は知らないだろうけど、私はいつもこの顔よ」

 

 ミチルは顔をそらし、横目で睨むように青年を見た。

 そして少し近くなりすぎてしまったと反省をした。距離を取らねばならない、深入りしたら面倒を背負うことになる。そんな叱責が頭の片隅で飛ぶ。

 そうして、ミチルはいつもの冷たい女としての雰囲気をまとおうとしたそのとき、青年は顎に当てていた手を解いた。

 

「いや、そんな眉間にしわ寄せてると……」

 

 ぐに。

 

「っ!!?」

「いけないよ。ほら、こんなに美人なのにもったいないじゃないか」

 

 天然なのか何なのか。青年は指先をミチルの眉間に押し付け、盛り上がる眉頭をならし中へと寄るしわをぐいと伸ばした。それでいて、穏やかに、見下すような素振りは一切なく、フッとミチルへ微笑みかけた。まるで拗ねる妹をあやす兄のように、安心させようとする表情だ。それは通常であれば温かい気持ちにさせるものだった。

 でもミチルにとってその仕草は劇物というべきか、またもぞわりと全身の肌が粟立った。ついで背筋にはぞっと悪寒も走る。

 今しがた感じていた常識を破壊するための苦しみや苛みとは違う、言葉にするには形の成ってないごちゃついた感情はストレスフルな精神状態へと転化され、いつもの冷たい女という面を着ける余裕を与えてはくれなかった。

 

「ばっ……!」

 

 ――馬鹿なんじゃないのっ!?――

 

 とっさに動かせた右手で眉間に留まる指をどうにか払えたが、それ以上の言葉は堰き止められたように続けることができず、ミチルは口をぱくぱくとさせるしかできなかった。

 それに少しだけ、ほんの少しだけ、兄を、達人のことをこの男の顔で思い出してしまった。微かに、だが確かに、心の隅で諦めに似た敗北感を覚えた。

 

「あれ、こうされるの嫌だったかな。悪かったよ」

「……良いわよもう」

 

 

 ミチルは気を取り直して青年の簡易的なプロフィールを作成し、自分の知る『流竜馬』の情報と対比させた。

 まだ青年の記憶は完全ではない。しかし、『生まれた年、年齢、出身地、家族構成……』出てくる情報のどれもが、どこを取ってもミチルたちが知る『流竜馬』のそれと正反対、そう断言しても差し支えのないほど真逆だった。

 ふとミチルはこのまま青年を『君』と呼ぶべきか、それとも別に呼んだほうがいいかと考えた。青年は話せば話すほど、礼儀正しく品行方正、節々に伝わる「自分はサッカー部のキャプテンだ」のそのとおりにスポーツマンらしい爽やかな人となりをしている。

『流くん』と呼ぶには居心地が良くない。だけど、『君』と呼ぶには何となく申し訳ない。

 

「このまま『君』と呼ぶのもね……。ねえ、君はなんて呼ばれたいかしら?」

「ん?今までどおりで良いんじゃないか?」

「嫌よ。君は『流くん』って感じじゃないもの」ミチルの中で、という限定的なものではあるが。

「はあ。しかし呼ばれ方、か……」

 

 青年がまた顎に指をかけて思案に唸ると、何かに気付いたようにさっと顔の表情が真顔になり、顔を険しく濃い影を落とした。

 

「どうしたの」

「……違う」

「違うって、何が?」

「俺は君から……いや、俺の知っているミチルさんから『リョウ』と呼ばれていた……そうだ、そう呼ばれていたんだ。俺は『流』じゃない、『リョウ』なんだ!」

 

 拳を握りしめ、なぜ気づかなかった?!と自分を責めるように消えかける記憶を手繰り寄せようと必死に読み取ろうとした。しかし、一度浮かび上がった記憶は再び混沌とした記憶の底なし沼に沈んでいく。

 

「『リョウ』と呼ばれたい訳じゃなく?」

 

 青年の気が落ちきる前に、ミチルは新たに質問をした。

 

「あ、ああ。ミチルさんだけじゃない……ハヤトもベンケイも、博士だって俺をそう呼んだ。でもなんで今まで君から『流くん』と呼ばれても全く違和感を感じなかったんだ?当たり前のように受け入れて疑いもしなかった……。いったい、なんで……!」

 

 ジャスミン茶で一息リラックスしたのもつかの間。再び気を失ってから起きたばかりのときのように、青年は、いや『リョウ』は自身を強く咎めた。爪は手のひらに食い込み、その自身の不甲斐なさを罰するように両手を青白くなるまで握りしめた。

 

「またドツボに嵌まるわよ」

 

 それを止めようとミチルは語気を強めて忠告したが、リョウは押しつぶされそうな不安に目を強く瞑っていて、声は耳に届いていないようだった。

 まるで幼い子どものように、不快なものをシャットアウトするその痛々しさがあった。起きてからずっと混乱して、さらに掴みかけた重要な記憶を思い出せなかったのはひどく辛いだろう。ミチルは少しでも気を逸らさねばと思った。

 

「ねえ、『リョウくん』」

 

 ミチルは真剣な表情で、そしていたわるような声音で呟いた。耳をくすぐる優しい囁きに無言でこわばる顔をミチルの方へと向けようとしたリョウ。だが――

 

 ぐに。

 

「フフ、さっきのお返し。これでおあいこ」

 

 からかうように不敵に笑うミチル。右指はリョウが向こうとした方向に待機していた。

 強ばっていた表情がポカンとあっけにとられる。きれいに指先が入った頬が少し痛い。でもなんでか胸の奥がくすぐったくもあり、ほんの少し安心した。

 

「……ハハッ。ミチルさんには敵わないな」リョウははにかむように口元を緩めた――その時だった。

 

 ぐぬぬおおおお……!

 猛獣のような唸り声が室内に響き渡る。

 何事だと二人の目は一番強く聞こえるドアをみた。すると、

 

「なぁあにやってんだア、竜ォオ馬ァアア……!!」

 

 バンッ!!と出入口が力任せかつ雑に開けられた。

 そこには海坊主のようなつるりとした頭の大男が立っていた。首には大きな数珠玉を掛け、服装は雲水や修験者のような修行者に見える。

 顔を赤黒く燃やし、何か非常に怒っている様子だった。

 

「え、え?なんだっ?」「む、武蔵坊くん!?」

 

 急な登場に唖然とする二人をよそに、ミチルが『武蔵坊』と呼ぶ大男は肩を大きく怒らす。リョウに向けて憎き最大の敵を見据えるが如く、双眼を血走らせ怒鳴り散らした。

 

「三日三晩も寝たっきりで心配して来てみりゃあミチルさんとイチャイチャイチャイチャちちくり合って……そういうプレイか!?ミチルさんの女医プレイでエンジョイか!!?うらやまっ……じゃねえ!興味ないフリして実は愛称で呼んでもらう仲にまでなってたとか……ぬうおおおおお!抜け駆けは、許さんぞーーーー!!」

 

 大男、武蔵坊弁慶はミチルを好いていた。

 美人を観音様と例える癖があり、ミチルにもそう言って惚れていた。ただし、正攻法で口説いたことはなく、何かとオチがつく。

 弁慶は最初、ミチルからの印象を良くしようと、鬼が狙っていた謂れのある刀をミチルに提供したことがあった。その刀は鬼狩りの英雄源頼光の刀だといわれているものだった。幼少の頃から肌見放さず守り通してきた刀を渡され、もし偽物であってもミチルは自身の鬼の研究に対し協力的で真摯な行動にすこし、塵ほどに見直した……そのすぐ後だった。

 弁慶はもっとミチルへの印象を挽回しようと、どれだけ自分は魅力的なモノを持っているか、自身の僧服を脱ぎ、男の象徴たるご立派な魔羅を見せつけたのだ。

 そう、彼は仏門の徒にあるまじき色情魔なのである。

 もちろん、ミチルの印象はマリアナ海溝よろしく一気にマイナスへと急落し、生糞坊主、最低最悪の女の敵、変態の印象を確固たるものにした。

 そして彼女はとても気が強い。彼女の気性を鑑みれば、弁慶ご自慢の大魔王が思い切り蹴ったぐられたのは言うまでもない。

 因みに、エグいくらいに角度のあるミチルのハイヒールはひげ根の生えたクルミ袋にクリーンヒットした……のだが、地獄の痛みに苦悶すれど、なんと破れも割れもしなかったのだ!ほとほと、丈夫な男である。

 そんな弁慶は、竜馬に一つ重大な質問をしたことがあった。

 

『なあ、ミチルさんのことお前はどう思ってんだ?』

『あん?おめえが思うようなことはねえよ。手なんか出してみろ、噛みつかれるどころか食い千切られるぜ。ったく、マジいい趣味してんな』

 

 何も知らない弁慶からしてみれば、男の約束を破ったとしかみえない二人の親しげなやり取りを見てしまったのだ。

 そして、いつもの仏頂面のミチルがアルカイックスマイルで竜馬に笑いかけてたのが、年甲斐もない嫉妬もプラスで勘違いに拍車をかけいた。

 

「仏敵必罰破邪顕正ーーー!!」

 

 乱入者の登場に茫然としている『流竜馬』に嫉妬我欲満載アッパーを食らわしてやろう、拳を脇に引き突進する。

 その一瞬のことだ。黒豹のようなしなやかで凶暴な影が、弁慶の後頭に素早くも重い手刀を下ろした。

 

「俗心まみれのの禿人(とくにん)が何やってやがる、落ち着け」

 

 骨と骨が当たる鈍い音がした。手加減なしの一撃だった。

 弁慶は「ンガっ!?」と素っ頓狂な短い悲鳴を上げると、リョウのいるベッドの数歩手前でモニュメントが倒れるように、受け身の姿勢すら取れることなく顔から倒れた。

 

「神くん」

 

『神』と呼ばれた男は、面倒を起こしてくれたなとばかりに気絶した弁慶を一瞥し、その冷たい切れ長の目を二人に移した。

 纏う空気は、鋭い。触れるものすべて破壊しようとする秘めた凶暴が、黒基調の服装に嫌なほど似合っていた。

 怜悧狡猾なる凶獣、そんな言葉がよく似合う長身の男だった。

 

「竜馬が起きたようだが、まだ正常じゃねえのはお前らのやり取りを見て分かった」

 

 研究対象を見るような、人をモノとして見る目で『流竜馬』を観察する。

 長身の男、神隼人にとって『人』という存在は『駒』であり『物体』であり『結果』、心を通わす存在でも共感する対象でもなかった。そういう心や感情が欠如していた。

 隼人は理由もなく秩序を憎んだ。あふれる理由なき怒りを国に押し付けて、テロによる暴力や狡知を以て人をコントロールし蹂躙してきた。

 そういう己を制御できるものなど、隼人の過去にはなかった。そう、過去には。『ゲッター』に接触するまでは。今はゲッターの未知なる力、可能性に心を惹かれ奪われていた。

 隼人は一刻も早い強化ゲッターの再実験を望んでいたため、『流竜馬』の容態を確認しに来たのだ。

 

「……ハヤト?ハヤト、なのか?」

 

 リョウには、ハヤトやベンケイの、同級生の友人であり戦いを共にした仲間としての記憶があった。ニヒルを気取るが根は情の厚い男、それがリョウの中にあるハヤトの記憶だ。

 しかし、黒い長身の男『神隼人』の、その纏う黒く冷たい空気感は、リョウの知るハヤトにはないものだった。どうしても『神隼人』なのに、ハヤトに『見えない』。まるでミチルに感じる違和感と同じようなものを、それよりも強く、強烈に、感じた。

 

「ふん、『男子三日会わざれば』というが、三日だかで知った顔を誰かも分からなくなるか。おい、竜馬に何が起きてる」

 

 顎でミチルに状態説明を促す隼人。その人に物を頼むやり方ではない態度に、リョウの正義感が疼いた。

 

「おいハヤト!お前こそなんでそうミチルさんを……」「『流くん』の精神は17歳に後退してるわ」ミチルがリョウの言葉を遮る。

 ミチルの雰囲気がガラリと変わった。冷たい女の面をかぶり、研究者としての早乙女ミチルがいた。

 

「彼が17歳の時にあった出来事が今の記憶と入れ替わったり誤認や認知障害を起こしているのよ。いつ正常に戻るかは不明。ゲッターのことや神くんたちのことも部分的にしか思い出してないわ。これでいい?なんならカルテの写しでも出すけど」

 

 ミチルは巧妙に真実と虚偽と憶測を混ぜて、話を進める。隼人がミチルを射るように見る。冷たい視線同士が、凍てつく火花を散らしているようだった。

 そして隼人は再び『流竜馬』を見た。顔つきも、雰囲気も、違う。正義感に隼人を怒り、どこか快活な少年を思わせる澄んだ瞳。なるほど、ミチルの言うことに一理を与える。しかし、部分的に重大な嘘を付いているという所感もあった。

 

「なら、まだ強化ゲッターの再実験には時間がかかる、ということか。……その情報だけで十分だ、邪魔したな」

 

 十分だ、と言うにはその切れ長の目の奥は『今はそういう事にしてやる』とミチルの本心を探っているようだった。

 そしてそのままドアノブに手を掛けようとすると、隼人は思い出したように振り向き、顔面から大の字に倒れている弁慶を目で指して「そこでへばってる弁慶は置いてく。後は二人でアヴァンチュールでもなんでもしてりゃいい」と一言、今度こそメディカルルームから去っていった。

 

「んなっ、アヴァンチュールって!ハヤトお前!!おいっ!!……いや、彼も俺の知っているハヤトじゃないのか。そして、ベンケイも」

 

 弁慶と隼人を見てリョウは強く自覚した。自分の中にあった違和感の正体を。

 それはまるで正反対の気質を持ったものがあふれる鏡の世界に放り込まれたような、別世界にいるような感覚……いや、『ような』ではない。本当に別世界にいるのだ。そして、自身の身体は、本来の持ち主である『流竜馬』のものなのだとも。ならば、ミチルとの記憶と相違していることに合点がいく。

 だが『何らかの理由で意識だけ別世界に飛ばされた』のなら、別な疑問が湧いた。なぜミチルを見てもそこまで違和感を強く抱かないのだろうかと。なぜ自分を庇い立てするのか、優しくしてくれるのか。元の人格の『流竜馬』を回復させたいのなら、今の自分を対話ではなく解析したほうがいいのでは?そう思わずにはいられなかった。

 

「ミチルさん、君もなんで嘘を?」

 

 ミチルは少し考えて、自嘲するようにかぼそく笑った。

 

「どうしてでしょうね。ただ、言ってはいけないような気ががしたの。君が知っているゲッターと私たちが扱っているゲッターが違うことに、その理由の根本を知ってしまうことで避けられない災いに触れてしまう……そんな気がして。ダメね、所長代理も研究者としても、私は失格」

「ミチルさん、そんなことは……」

「いいの、本当にそうなんだから」

 

「はあっ……」とミチルは短く息をつめて吐く。そして、その顔にはもう弱々しく憂いを秘めた女性は消え、気丈で凛とした女研究者がいた。

 ミチルは視線を真っ直ぐに、目の前の二十歳そこそこの青年の、その中にいる17歳の少年『リョウ』に警告をした。

 

「私の父はゲッターに取り憑かれてると言っていいほど、すべてを投げ売って研究しているわ。君には極力私たちのゲッターに関わらないようにしたいけど、父はこういうことだけは敏いから、君に気づくその前に解決を図りたいの。協力してくれる?リョウくん」

「ああ。俺だって元に戻りたい、し……うんっ!?」

「どうしたの?」

 

 リョウは軽く頭を抑えた。だがすぐに「頭が……今頭の中が何かに持っていかれるような感じが……大丈夫、落ち着いた……」と、もう何事もないと言った。しかし、なんとも得体のしれない感覚に気味の悪さを感じ、リョウは気を紛らわそうと髪をかき上げ、カリカリと頭を掻いた。例えるなら、脳の中を覗かれ記憶を探られたような、いいようのない感覚だった。

 その髪をかき上げてあらわになったこめかみの近くに、ミチルはあるものを見つけた。

 

「待って!そのまま髪を上げてて」

「ミチルさん?」

「痕があるの、よく見せて」

 

 身体検査をしたときには見られない引っかき傷のようなものがあった。だがその引っかき傷のように見えたソレは、

「引っかき傷……じゃない。これは、ドーマンの九字紋……?」

「ドーマン?」

「平安の時代から伝わる魔除けの紋だそうよ。……まだ過去の黒平安京とやらが影響しているということは……ううん、こういうのは私の専門外だわ」

 

 縦に四本、横に五本の線が入った小さな紋印。ミチルの知識だとそれがドーマンの九字紋ということ以外、ほとんど分からなかった。もしこれが『流竜馬』の意識が変わってしまった事に関わるのなら、考古学や民俗学を専門とする人間に聞いたほうが良いだろう、ミチルはそう判断した。

 

「彼にしか頼めなさそうね」それに、歴史考古学に深い知識を持つ丁度いい人間をミチルは知っている。

「彼?」

「考古学者の知り合いがいるの、ドーマンの紋も彼から教えてもらったのよ」

 

 兵は拙速を聞く、ミチルはすぐさまに携帯電話を取り出して旧知へ電話をかけた。

 

 

 ……その電話の内容を今さっきから大の字に倒れた大男が耳をそばだてて聞いているのだが……まだ誰も気付いていなかった。

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