紅林くんの名前の元ネタは東映版ゲッターロボGのゲストキャラ紅林譲治から。
「久しぶりにキミから電話が来たと思ったら急にこっちに来はるなんて、まるっきしミチルは変わらへんな。ようこそ、ボクの『研究所』へ」
粗雑に着ているために裾汚れが目立つジャケットを羽織り野暮ったいメガネをかけた男性は、研究室に入室してきたミチルたちに気の良さそうな笑顔で迎えた。
彼は京都にある歴史博物館内の研究室で遺跡出土物の解析や発掘調査に従事している研究者で、ミチルとは同じ大学の同期だ。
学部は違うが師事していた教授の発掘調査にミチルが参加していたのが縁で、研究の手伝いや資料の貸し借りをするようになった。
因みに、彼が言った「ボクの『研究所』」というのも彼なりの冗談で、本来は研究室の取りまとめを行うサブリーダーを任されている。
「悪いと思っているわ、紅林くん。だからこれ」ミチルは手にしていた紙袋を渡すと紅林と呼ばれた研究者は嬉しそうに声を上げた。
「おおっ!とらやの羊羹!ボクこれ好きなん覚えはってくれとったんやね〜」
「なんとなくよ。なんとなく甘い物が好みな気がしたから」
「ふふ、おおきに。で、そちらは……彼氏くんかいな?」
紅林はミチルから渡された紙袋を資料で山積みになっているデスクの残り少ない白地に置くと、調整のガタついた眼鏡を押し上げリョウを興味深げにじっくりと見た。
そのレンズ越しの目は少しおどけている。
「冗談やめて、違うわよ」
「ん、そうなん?なかなかの男前やさかい、てっきり」
どうもミチルをからかうのが楽しいのか、柔らかい調子の関西訛が悪戯っぽく跳ねる。
ミチルは呆れと不愉快の混ざった表情で睨みつけるが、紅林はそんな冷たい視線には慣れた様子で、逆に楽しげにニコリと笑顔を返した。
「……彼は流竜馬くん、早乙女研究所の協力者よ」
関西圏独特のノリはどうも疲れる。ミチルは元の世界では優等生だろう『リョウ』を紹介して本題へと流れを変えようとした。
ミチルに促される形でリョウは紅林へ握手を求めた、のだが――
「はじめまして、流竜馬です。どうぞよろしく。……俺はいいんだけどな、間違われても」
「り、リョウくんキミね……!」
――どうしてここで乗っかってくるのよ!?――
まさかリョウがここで冗談に乗るような性格とは思わず、ミチルは驚きと困惑が綯交ぜになったひっくり返った声をこぼしてしまった。
リョウに抗議をしたくとも自分たちは門外漢の事象を訪ねに来た立場。客人がここで声を荒らげるのいかがなものだろう、あまりにもばつが悪い。
そうしてミチルが喉の奥ギリギリで本音を抑えている間、その横では紅林がさっきまで資料を捲っていたのだろうカサついた手で和やかにリョウと握手を交した。
「この歴史館で遺物の研究をしとる紅林や。こちらこそよろしゅうな、リョウくん。早乙女研究所は曲者ばかりと噂で聞いとったんやけど、ほんにええ男やないか。あのイケズな鉄の女をこないにコントロールしはって、いやー恐れ入ったわ」
「そんなことはないですよ、ミチルさんは素直な人ですから」
「素直?へえ……」紅林のおどけていた目が見開かれる。
「それにここまでの移動中、病み上がりの僕を気遣って何度か体調を診てくれていたんです。イケズだなんて言葉はミチルさんには似合いませんよ」
「ほうほう!ミチルゥ〜、なんやこないええ男掴もうて〜。早乙女家は安泰やんなぁ。あら、見落としてたわ、リョウくん婿養子になってもらわなあかんやつやん!ほな分割してもろて二人になってもわんと――」
――カツンッ!!
ミチルの履いていたパンプスのヒールが薄い床を強く蹴り、鋭い音が研究室を衝くように響いた。その冷たく鼓膜まで裂こうとする音は紅林の調子付いたトークをピタリと止めさせた。
「……本題に、入っても、いいかしら?」
腕を組み、爆発寸前の怒気を押さえ込むミチル。その顔は、背筋をも凍らせるほどの般若の相へと変貌を遂げていた。
誰もが認めるその美貌も、今は威圧感を増幅させる媒体の役割しか果たさない。
「あ〜……その?……スンマヘン!」
少々からかい過ぎたと、紅林は手を合わせて荒ぶる神を鎮めるように深々と頭を下げて拝むように平謝りした。
※
ミチルの怒りを一先ず鎮めた紅林は、先んじて電話で聞いていたリョウに現れた件の痣を観察する。
リョウのこめかみ辺りには親指大の格子状の四本と五本の均等な線の痣があった。偶然が理由とは思えない、皮膚の下から赤黒く盛りあがるように出来た痣。見ようによっては掘りたてのタトゥーのようでもある。
紅林は一通り見るとフムと唸り、不可解なものを見たという晴れない顔をした。
「……電話で聞いとったとおり、これはドーマンの九字紋と言われれば、まあそう見える痣やね」
「紅林さん、ドーマンの九字紋とは何なのですか?ミチルさんは、あなたならご存知のはずだと」
研究者というのは多かれ少なかれ自身の知識を発露したくて仕方ないという特徴を有している人種だ。紅林も例外なく当てはまり、リョウの質問に欲をくすぐられたのか、鼻柱からずり落ち気味のメガネを光らせて少々早口気味に答えた。
「オホン!リョウくん、ドーマンの九字紋いうんは本来、悪霊から身を守るための魔除けの『おまじない』なんや。――九字切りってあるやろ?臨・兵・闘・者・皆・陣・列・前!って唱えるあれ。あれは魔を払ったり避けたりするための呪文、それと同じやね。今でも三重の志摩地域の海女さんはドーマンの九字紋とセーマンの五芒星――お星さんの形の紋やね、それをセットで漁の安全祈願の御守りとしてつこてはるそうや」
「御守り、ですか。てっきり呪の紋なのだと思ってました」
「その痣が九字紋やと断定できひんけど、知らん間に痣が出来ていわくが有りそうやなんて不安しかあらへんよね。でも、心配せんでええよ、せいぜい『おなじない』さかい」
紅林の専門は考古学だが、彼の扱う遺物は京都の郷土資料として連なるものが大半だ。そして、古都京都の出土物は平安京に由来するものが多い。紅林は発掘物の研究のために民間信仰や民俗学にも幾分造詣があった。
民間信仰とはその時代毎の拠り所でありルーティン、生活面に密接して根付くものだ。
――平安京が設立された時代もまた『まじない』や『風水』といった民間信仰が重用されていた。様々な不幸が悪霊や怨霊といった霊的な力の所為だと思われた古代日本。頼れるのもまた目に見えない力――呪法と信仰に重きを置いていた。
京の造りも、その配置、色、形、方角、そのすべてに意味があり、無駄のない綿密な風水の呪法で構成された、いわば京というのは強大な呪術を施した風水都市なのだ。
それほど、古代日本では『まじない』や『風水』という呪術を日常生活に取り入れ、今の電気やガスのように欠かせないものとしていた。
……そのような伝承が今の日本に残っているのに、現代に伝わらない『イレギュラー』があるなど、誰が想像出来ただろうか。
――九字紋……五芒星とセット……それって!?――
ミチルの脳裏に最悪のアンサーが浮かんだ。
「ちょっと待って。五芒星……セーマンって安倍晴明のことかしら?」
「そう。因みにドーマンは安倍清明のライバルて言われとった蘆屋道満のドーマンやな。――ミチル、何か気になった点あるんか?」
「それは……追々話すわ」
実は『安倍晴明』が人外の類でありこの九字紋もその清明の呪の所為かもしれないなど、大学時代からの付き合いとはいえ流石の紅林も信用する訳が無い。
なまじそのような放言を吐いたなら、地元愛が強い京都の人間だ。プライドに泥を浴びせられ貶されたと思われても可笑しくない。もう協力を仰ぐことも出来なくなる。
ミチルはリョウに目を配る。
――今、紅林くんに深く聞くのは待って――
リョウもミチルの視線から冗談の一切ないないただならぬものを感じ受け、それ以上の疑問は心の内に留めることにした。
「彼、少しの間意識不明だったんだけど、目を覚ましたらこの疵痕のような痣があったの。あなたこういうのにも詳しいから、直接聞きたかったのよ」
リョウの異変を代弁するというていで、ミチルは話を本題へと変えた。
「急に出てきよったって、まるで心霊現象やな。キミ、オカルト嫌いとちゃうん?」
「根拠のない戯言は嫌いよ。でもこうして印紋のような痣が現れた、私が観測しているというのに。これをただのオカルトで終わらせられないわ。紅林くん、研究で忙しいと思うけど私たちに――」
「ええよ」
『協力してほしい』の言葉も待たず、むしろ食い気味に紅林は答えた。ミチルは思わず言葉に迷い、一瞬声を失った。
「……やけに、あっさりね。そう言ってもらえるのは有り難いけれど、本当にいいの?」
「ああ、協力惜しまんよ。今暇やし」
暇だと答える紅林にミチルとリョウは驚いた。
そもそもミチルが言葉を慎重に選んでいたのは、紅林に不用意なことを言えないというのもあるが、ある研究の佳境に入って多忙で協力を仰ぐのは難しいと思っていたからだ。
「あの、紅林さん。ミチルさんからは紅林さんは琵琶湖で発掘された遺物の研究で忙しいかもしれないと言われてたのですが、暇……とはどういうことなのですか?」
リョウの言う『琵琶湖で発見された遺物』。それは3年前――『流竜馬』にとってはほんの数ヶ月前――の話になる。
滋賀県の琵琶湖付近を散策していた旅行者が、自然を撮影したいと奥まった場所へと移動中にピストルのようなものを発見したとの通報があった。
警察が駆けつけると、その発見されたものは確かにピストルの形をした銃だった。しかしその銃身は錆付き、到底発砲出来るような状態ではなかった。
なにせ、それが製造されたのは世界大戦よりも前、黒船来航するさらに前、マスケット銃や火縄銃が開発されるもっと遥か大昔、おおよそ平安時代に作られたものだったからだ。――など、当初誰もが信じなかった。
遺物が見つかった近辺を調査すると、驚いたことに周辺には大きな金属が埋まっていることが分かった。そして間もなく西暦1000年前後、平安時代中期に造られたものと判明する。そこから大規模な発掘調査が行われたのだが、その調査に紅林は大きく関わっていた。
紅林は遺物調査を指揮する大学教授の学部の卒業生で、教授の教え子の中でも特に優秀だったため助手として選出された。
発掘作業は大がかかりなものだった。このまま発掘だけに人手を取られては解析が進まない。そこで一人でもスタッフがほしいと感じていた紅林は、以前から平安時代の文化資料がほしいと言っていたミチルに、一部資料を渡す代わりに発掘作業で手の塞ぐ期間中に研究のアシスタントをしてほしいと依頼をした。
ミチルは浅間山に出没するようになった鬼と、鬼にまつわる伝説が数多くある平安時代に何かしらの関係があるかを調査をしていた。そんなミチルにとって紅林の申し出は思いがけない幸運だった。
それから3年たった今、琵琶湖付近で見つかった出土物は発掘がすべて完了し、研究は佳境のはず……そうミチルは思っていた。
だが、紅林は暇だというのだ。ミチルたちは疑問しか沸かなかった。
そんなミチルたちに紅林は賑やかだった表情から一変して、感情を失くたように先程から跳ねるような小気味のいい関西訛の調子を抑え、同一人物かと疑ってしまうほど彩色の無い声で語り始めた。
「……リョウくんがミチルから聞いていたとおり、以前、ボクは琵琶湖付近で出土した遺物の発掘調査をしていた。時代に合わない合金、火器、飛行形跡のある船。歴史の根底を揺るがすオーパーツの数々。平安時代の国風転換の真実を探るチャンスが、いや真実なんて目じゃないそれ以上なものだ、世界的な世紀の大発見にボクは携われる。そう意気込んでいた。――せやけど……すべて、無かったことになった」
ミチルは息を呑み、リョウは唖然とした。紅林は淡々と続ける。
「1年前、教授に『我々は第二の神の手になる訳にはいかない』と言われて、それで研究は中止になったんだよ」
「『神の手』?」リョウが尋ねた。
「ボクたち考古学者の間で『捏造』をそう呼んだりするんだ。……研究に捏造なんて一切なかった、それなのに出土物は全て埋め直し。研究チームは解散して今じゃあの発掘現場は出入り禁止の禁足地。――何も、なんもかんも残らんかった。成果も、実績も、経験すらも」
「そんな……あんまりじゃないですか!そもそも発掘の指揮していたのはその教授なんですよね、なのに何故ハッキリとした理由も言わずに……!」
「まあまあ、終わった話さかい。スマンね、雰囲気暗ーくして。なもんで、ボクは暇なんや。アハハ」
カラカラと笑ってみせるが、紅林が無理をしておどけているのはもう明らかだった。
紅林のおどけた目のその奥底にあったのは師事し信頼していた教授への失望感と、資料と引き換えとはいえミチルに研究のアシスタントをしてもらったのに何一つの成果も残せなかった罪悪感と、何も結果を残すことができなかった自分への幻滅。
空っぽな道化のように紅林は笑う。
そんな紅林に、ミチルはポツリと言葉を掛けた。
「そう……研究が実らなかったのは本当に残念だったわね……」
紅林は目を丸くした。ミチルが自分に慰めの言葉を掛けるなど、露程も思ってなかったからだ。
「ボクは……キミに責められると思っとった。キミの協力を無下にしてもうたんやから。キミの怒りを受け入れようと……それしか思わんかった」
「あの件は資料を貰ったから、それでイーブンよ。私の研究にあなたの資料は欠かせなかったし」
ミチルは紅林をじっと見て、そして少しだけ笑った。苦労を知る人間がする苦みばしった微笑だった。
紅林は悟った。彼女も自分と同じように理不尽な外圧、いや運命に晒されたのだと。
そして、自分と違い、彼女は一歩先にいる。
「すまん、先の言葉は撤回や。キミ、変わったなあ……」
「何が変わったのよ」
途端ミチルは柳のような眉を釣り上げ、いつもの厳しい顔に戻る。それがあまりにも見事に一瞬で戻ったものだから「色々や、いろいろ」紅林は首をすくめ、困ったように返事を返した。……声音は困ってそうなのだが、紅林の表情は偽り無く朗らかだった。
最初は危うさを感じるほどのあっさり承諾した紅林だったが、彼を自棄にさせていたのは理不尽への葛藤だった。教授が指示した突然の中止は、それ程紅林を追い詰めていた。
その紅林の葛藤の一つが何やら自分たちとの会話で晴れた様子に、今なら『流竜馬』に起こった真実を語っても本腰を入れて協力してくれるだろう、手応えをミチルは感じた。
ミチルは再びリョウに目を配ってこくんと頭を縦に振り、リョウはそれを見て心得たと頷き返し、紅林に改めて向き直して話しを始めた。
「紅林さん、僕たちはあなたにもう一つ、ご相談したいことがありました。どうか、話を聞いてくださいませんか」
「そない固く遠慮せんで。そもそもお客さんの前で悪態見せた無作法者はボクなんや、そんなボクで良ければ思ったこと全部言いなはれ」
「では。――唐突なお話になりますが、僕は『流竜馬』ではあるのですが、昨日までのミチルさんが知る『竜馬』ではないんです」
「………おん?」
紅林のメガネが鼻先までずれ落ちる。ボクは何を聞いとるんや?と言いたげにしている。
それでも『遠慮なく』リョウは話を続けた。
「もう一つの世界、それも違う時代……昭和から僕はやってきたのです」
「ん、んん??」
紅林の薄汚れたジャケットが肩からずり落ちる。ボクはリョウくんから相談を受けとるんよな?なんか突拍子もない話を聞いとるような……と混乱している。
それでもリョウはあけすけに自分の知る限りの『全部』を言った。
「今ここに居る僕は、ここの世界より一部の科学が発展した70年代の人間で――」
「待ちぃ!じゃあキミはSFのような平行世界からやってきた精神体だとか……そう言いたいのかいな?んんっ?」
考古学、民俗学、もっと俗にオカルトめいた伝説に関する質問や相談を持ち掛けられるのかと思いきや、こんな聡明な青年がその真剣な表情と裏腹な空想めいた言葉を言うのだ。
紅林は戸惑いに声を張り上げたが、リョウは申し訳なさそうに男らしい濃い眉をひそめ、しかし摯実な眼差しを紅林に向けた。
「……はい。この身体の持ち主、本来の『流竜馬』は先日まで呪による何かしらで眠っていたそうです。僕は……どう言えばいいんでしょう、眠っている『流竜馬』という空席の操縦桿をかろうじで握っている形で存在している、のだと思います。本調子ではないですし、何より記憶すら不安定な時もあります。僕が本来の世界に帰るため、少しでも情報がほしい……今はこの痣が頼りです。紅林さん、無理を言っているのは承知です。すぐに信じて頂けないことも……。でも今は頼れるのはあなたしかいません。この痣が現れた謎をどうか解析して頂きたいのです。お願いします!」
深々と下げられるリョウの頭。こんな真剣で逼迫した様子で迫られては、紅林も冗談やドッキリなどではない強い意志が伝わる。しかし、あまりにも非現実過ぎる内容、受け止め切らないのも確かだった。
「…………なあ、ミチルはん?」紅林はミチルに小袖を引っ張るように聞く。
「彼の言っている事は本当よ。簡易だけと、彼が起きた時に脳波測定と精神鑑定をしたの。その結果、脳波はレム催眠の波形を取り続け睡眠時随伴症に似た症状をみせているにも関わらず、精神は記憶の認知誤差あれど判断能力は正常と判定出来たわ。……今の医学では説明がつかないでしょうね」
「そ、そないけったいなことが……」
ミチルは冗談を嫌がる女性だと紅林は知っている。下手な冗談を言えば苛烈に怒ることも身を持って知っている。
そのミチルがリョウの言っていることを本当だというのだ。
下手なことには、触れたくないのが本音だ。だが、目の前の青年は、紅林自身を必要としている。
――ボクは研究を全うどころか何も残せなかった。……なら、この子に『助けた』っていう結果を残してやっても、いいんじゃないか?――
むしろ、ちょうど博物館に展示する出土資料の解析が一段落して時間が空いていた今、青年に会えたのは意味のある縁なのではないのだろうか。
それにこの青年はミチルを『素直』と言ったのだ。ミチルが本来素直で優しい女性だということを、紅林は知っている。
「……なんの成果も上げられんかった罪滅ぼしや。ボクにできることは何でも任しなはれ」
紅林はリョウの相談を引き受けることにした。
※
一台の黒いセダンが高速道路を疾走する。
最高制限速度を有に越す速さで、唸り声を上げる猛獣のようなエンジン音が吼えた。
その黒い獣と化した車の中に、二人の男がいた。隼人と弁慶だ。
運転をしていた隼人がオービスのポイントに気づくと、大きく減速をかける。急な減速は後部座席に座っていた弁慶の巨体を大きく揺らし、そのままドゴンッと天井に頭をぶつけた。
「いでえっ!?っかあ〜、隼人の運転荒いってのなんの」
「ごちゃごちゃ言える体力がある内に外に放り投げてやろうか?二日ありゃ歩いて研究所に戻れる」
「隼人が言うと洒落にならねえ……」
「洒落で言ってねえからな」
淡々と言い返す隼人の言葉の端に本気を感じ取り、ズキズキとする剃髪された頭をさすっては弁慶は小さくため息を吐いた。
事は数時間前に遡る。
弁慶は隼人の手刀で気絶していた時、戻りつつある意識の中で微かに聞いた『京都の歴史博物館に行く』という言葉を頼りに、なんと一人で京都に行こうとしていた。
手なんか出さないと竜馬が口約束をしたはずの自分好みの女、早乙女ミチルを横取られたという悔しさと裏切られたという憤りに任せ、弁慶は計画もせず向こう見ずに京都まで出ようとした。
それを引き止めたのは、あの冷酷に人の皮を被せたような男、隼人だった。
「俺を連れて行け。車はすぐ用意できる」
そう言うと、状況を飲み込めない弁慶の「あ、ああ?」という生返事を了承したものとして、隼人は持っていた携帯をコールしたかと思うと、その数分後に黒のセダンが早乙女研究所に到着した。
隼人の用意した、いや用意させた車だ。危ない臭いをプンプンと感じた弁慶だが、今は自分より頭の回る隼人のその行動力が頼もしく感じる。それに一人より二人の方が心強い。というか、一人では何かと心細いのだ。
ぼうっと平安時代へタイムスリップした時の孤独感を思い出した弁慶は、「乗らねえのか」と捲し立てる隼人の言葉にぶんぶんと首を縦にする以外なかった。
「しかしよォ、こういうのにゃ隼人は興味ないよなって思ってたんだが、案外お前も人の色事が気になる俗な男なんだな!いやー、他人事ながら安心したぜ!アッハッハッハ!」
「ふん、俺が気になるのは竜馬のことだ」
興味なさげに言い放つ隼人に、弁慶は『何でだ?』とうーんと唸って顎を抱えた。
「竜馬が……ハッ!?お……お前、そういう趣味が……あいや、お前女っ気ないし、そうかなるほ――」「今すぐ死にたいかド腐れ坊主……」
ガチャリ――
運転席かなにやら肝を冷やす音がする。冷たい金属音、まるで拳銃にマガジンを装填したような……いや。これは確実に、やっている。
「じっ、じゃあ!なんだって言うんだよっ!」
生命の危機を感じて声を張って喋る弁慶に、隼人は怒気をやや落ち着かせた。
「……あの女は隠している」
「ミチルさんのこと言ってんのか?まあ竜馬との仲を隠してたけど……」
「あの二人が男女の仲に見えたのはお前の脳味噌が煩悩だらけだからだ。……竜馬に起こった『本来の事象』、それを早乙女ミチルが隠している。まるで竜馬を……守るかのようにだ」
「守るって、何でそんなことミチルさんがするんだよ」
弁慶の疑問に数秒の間をおいて、隼人はオービスの感知地点を過ぎてからエンジンペダルをベタ踏みした。
再び黒のセダンはグンと加速する。
「……その理由を暴く。早乙女ミチルが隠す竜馬に起こった本当のことは何か、何故俺たちから離すように京都へ行くのか。……あの女のやったヘマがまだ研究所に残っている。なのにそれを捨て置いて態々京都旅行へ行くんだ。あの女の性格を考えれば現場を離れるのは相当に切羽詰まる理由があるに違いない。想像以上に危うい何かだぜ、あの女の隠している竜馬の密事はよ」
少し長い隼人の弁舌に弁慶は眠くなりそうになりながらも、命は惜しいと目を凝らした。
そんな弁慶に気づいているか、それとも弁慶の眠気の限界を試しているのか、隼人は言葉を続ける。
「しかし京都……黒平安京絡みか?ちっ、まだ俺たちはあの時空からの悪縁と断ち切れてねえようだな。歪な時空が……まだ俺たちを呼んでいる……フッ、まさかな」
そろそろ弁慶がうつらうつらと眠気に負けそうになる。すると、ちょうど天井に打った頭がチクリと痛くなった。
「いっつつ……おっ!そろそろ最後のジャンクションじゃねえか?隼人、次は俺が運転するぜ」
「寝んじゃねえよ、弁慶」
「へへっ、任せろって」