猫は液体なので水一門
【視点・冨岡義勇】
「にゃははは!」
廊下から聞こえてきた笑い声に眉をしかめる。アイツがあんな風に笑うときはろくなことが起こらない。この前なんて、鮭大根の鮭だけ綺麗に盗み食いされたのだ。
「義勇! 鱗滝さんとこに可愛い女の子が弟子入りしたんだって! 遊びに行こうぜ!!」
襖を勢いよく開け放ち、小さな影が転がり込む。一つくくりに流した黒髪は猫のしっぽのように揺れ、寝癖が猫の耳のように跳ねていた。はちみつ色の瞳を爛々と輝かせている彼女は、
「行かない」
「じゃあ錆兎と二人で行ってくるから留守番よろしくな!」
「……行く」
同門で同期で、自由気ままに生きている。傍迷惑な、友人だ。
改めて錆兎から話を聞くと、狭霧山へ向かうのは友人の気紛れだけではなく師からの要請でもあったらしい。新しく出来たという妹弟子についても詳しく聞いて、眉を顰めてしまう。
「……真菰よりも小柄なのか」
「あぁ、剣の才に問題はないらしいが鬼の首を斬るには筋力が足りないだろうな」
「諦めた方がいい」
「確かに隠や藤の家と言った道もある。だが俺たちは刀を手にした。なら、分かるだろ?」
「…………」
黙り込む俺の顔を見て、錆兎は苦笑した。
「そう心配するな。身近で小柄な奴が鬼の首を斬り飛ばしていることだしな」
「真菰の修行では匙を投げていた」
「方向性の違いだな。今度の妹弟子は波長が合うといいが」
「そうなったら騒がしくなりそうだ……ところで、錆兎」
狭霧山の麓で、俺たちは佇んでいる。周囲に人影はなく、鎹烏が遠くで旋回していた。
「寝子はどこだ」
「……蝶々でも追い掛けてどこかに行ったな。鬼狩り以外のアイツは猫と変わらん」
「捜すか」
「二手に分かれよう。見つけたら烏を飛ばしてくれ」
「わかった」
錆兎が山の周辺を、俺が山の中を探索する。先に鱗滝さんの小屋を訪ねようかとも考えたが、妹弟子の指導中だったら邪魔をするのも悪い。それにあの友人のことだから外の日当たりが良いところで寝ているはずだ。そんなことを考え、山頂を目指して歩き始めた。
山の中を分け入っていくと、懐かしい景色が広がっている。三人で何度も駆けたものだと、懐かしさを感じながら鱗滝さんが仕掛けた罠を避けつつ突き進んでいった。
「……ッ、誰!?」
誰何の声がした方を向くと、土や葉で汚れている少女がこちらを睨んでいる。手に持った刀も、鞘にいれたままではあるが、こちらへ向けていた。
彼女が新しい妹弟子か。おそらく今は走り込み中だから邪魔しない方がいいだろう。しかし、もしかしたら寝子を見掛けているかもしれない。
「
「は、
そうだ、見掛けていたとしても寝子が寝子だと分からないはずだ。特徴を伝えなければならない。
「黒い……」
黒い羽織を身に纏っている、いや、羽織ではなく西洋のローブというものと言っていたか? とにかく隊服を含め黒いことは確かだ。
「小さくて全身が黒い。目だけは蜂蜜のような色をしている」
「えぇと……」
「……邪魔をした」
これ以上修行の邪魔をするのも心苦しい。挨拶をして、山の反対側を捜すことにしよう。
「……なんだったの?」
置いてきぼりの少女は、怪訝そうな顔をそのままに呟いた。
【視点・?????】
駆ける、駆ける、駆ける。
木の根や泥濘といった足下の悪さに加えて、殺意すら感じる罠を潜り抜けていく。例えば槍が仕込んである落とし穴だったり、勢いよく飛んでくる大きな丸太だったり――刃物!? いま刃物が飛んで来たんだけど!? あぁもう片手を塞ぐ刀が邪魔だ!
軽い切り傷なんて気にする暇もなく、とにかく夢中で駆け降りていった。初めて山中を登って降ったときのことを考えると随分呼吸は楽になったと思う。往復にかかる時間も随分短くなった。もちろん、彼女には全く敵わないけれども。
「あ、おかえりー」
「た、ただいま……」
ひゅーひゅーとおかしくなった呼吸を整えるべく深く息を吐いた。それから顔をあげると、一緒に修行している真菰の他に、鬼殺隊の制服を着込んだ男性が二人、綺麗な姿勢で座っている。
「あ」
一人は見覚えのある顔、というより、つい先程見た顔だ。山頂で猫を探していた不思議な人。
「紹介するね、錆兎と義勇。兄弟子だよ」
「錆兎だ。よろしく頼む」
「……」
軽く手をあげて挨拶をする錆兎さんと、無言のまま目礼をする義勇さん。座り込みたい欲求を抑えて、背筋を正し、一礼をする。
「胡蝶しのぶと申します。ご指導ご鞭撻よろしくお願いします」
鱗滝さんが先達の方に声をかけたというのは聞いている。私の悩みを解決する糸口を握る存在、それが彼等なのだろう。鬼を殺す手段を得るため、姉さんと再会するために足踏みしている暇はない。早速、手合わせ願おうと一歩踏み出した。
「ぐえっ」
「へ?」
何かを踏んだ。いや、人を踏んだ。
「す、すみません!」
「うぅん……?」
むくりと起き上がった少女は軽く服の汚れを払うと、こちらに顔を向けて目を見開いた。そして、満面の笑みを浮かべる。
「にゃはー、ずいぶんと可愛い妹弟子が増えたもんだな」
「よかったね」
「どうした真菰、いきなり抱き着いて痛い痛い痛い鯖折りぃ!?」
「さっきの手合わせで一本取られたから、お返し」
「そっから五回くらい真菰にぶち転がされた後なんだが!?」
じたばたともがく少女を背後から抱き締めて拘束したまま、真菰は花咲くような笑顔をしていた。
「しのぶ、この子は狗尾。変態さんだよ、よろしくしてね」
「その紹介はよろしくないな?」
「よろしくお願いします、狗尾さん」
「おおっと心理的にも物理的にも距離をとられている、悲しい……」
少し距離をとって、しょぼくれた顔をして抵抗をやめた彼女を観察する。背丈は私や真菰とそう変わらない。しかし、彼女は鬼殺隊の隊服を身に纏い、腰には日輪刀を帯びていた。
「あなたは……」
「うん?」
「鬼を、殺せるのですか?」
殺せるからこそ、鬼殺隊の隊服に袖を通しているのだと、日輪刀を手にしているのだと、分かっていても、訊かずにはいられなかった。我ながら失礼な質問だと思うが、彼女は気にすることなくニヤリと笑う。
「殺せるよ」
何でもないような軽い口調で答える。
「ボクは猫だから、狩りは得意なんだ」
嘯くようにふてぶてしいその態度は、気まぐれな猫そのものだった。