月明かりが窓から差し込んでいた。香を焚き染めた一室に複数の影が揺れている。
「細工は上々、後は仕掛けを御覧じろ。と、いったところでしょうか」
ひらりひらりと蝶が舞う。猫はじっと蝶を見つめていた。
【視点・産屋敷耀哉】
鬼舞辻無惨が目の前に立っている。
「話は終わりだな?」
「ああ……ここまで話を聞いてくれるとは思わなかったな……」
嬉しい誤算だ。これで確実に無惨を巻き込むことが出来る。最期まで自分の感情を一切表に出さないよう、微笑みを絶やさず礼を言った。
「ありがとう、無惨」
後は手筈通り。任せたよ、私の子供達――。
蟲の呼吸 蜻蛉ノ舞 複眼六角
「御前、失礼致します」
これは、しのぶの声? なぜ屋敷は爆発しない?
「貴様、どこからわいてきた……!」
「申し訳ございません、お館様。ご意向に添えず、手前勝手な行動でありますが、何卒御容赦を」
目が見えないことがもどかしい。一体何が……?
「お館様、あまね様。どうかご避難ください。お子様方は避難済みです」
「……その声は寝子かな」
「左様です。説明はこの場を離れてからいたしますゆえ、失礼」
「いい、私のことはいいから。あまねだけつれていってくれないかい? 爆弾をすり替えたことはそれで不問とするから」
「…………」
「お願いだ、私をここに居させてくれ」
「……御意」
寝子とあまねの気配が遠ざかる。察するに今回の件をしのぶに洩らしたのは珠世だろう。洩らしたというより気取られたか。そして、敵を騙すにはまず味方からということだ。怒りなどというものは無い、むしろ喜びがあった。鬼舞辻無惨はここで死ぬ、ならば私はそれを見届けたい。目は見えないけれど。
「即効性にはかなり気を使いましたけど、どうやらちゃんと動けないみたいですね。なによりです」
「鳴女!」
無惨の声が響く。声の聞こえる高さから判断するに膝をついた体勢のまま、動けないようだ。
「鳴女、鳴女!! 何故だ! 何故……」
「血鬼術は使えませんよ」
ここ最近、薬の香りを打ち消すためと焚き染めていた香の香りが強まる。
「知っていますか? 血鬼術にも藤の毒は効くのです。いやぁ苦労しましたよ、鬼に悟られず、血鬼術だけに作用する毒を作成するのは」
言いながら、刀を鞘に納める音がした。穏やかな口調は、怒りを隠し、相手を欺くためのもの。
「少し、お話しましょうか」
「もう貴様らと話すことなどない!」
「青い彼岸花」
空気が張り詰める。先程からしのぶは無惨の意識を自分に集めるよう振る舞っていた。そんなことはしなくていい、無惨を殺すことだけに集中してほしい、そんなことを言う資格は私からとうに失われている。
「禰豆子さんが人間に戻った今、貴方に必要なものはこちらではないですか?」
「……知っているのか」
「ええ勿論、いま打ち込んだ毒に含まれていますから」
咳き込む音がする、聞きなれた血を吐く音。
「よかった、そちらの毒も効いているみたいですね」
「何故だ、青い彼岸花は、太陽を克服するための……」
「ああ」
コロコロと笑う声。年相応の、無邪気な声色。
「そういえば青い彼岸花なんて知りませんし、毒に混ぜてなんかいませんでした、勘違いですかね? うっかりです」
歌うように続ける。
「これが物語だとしたらなんて退屈なお話なのでしょう。ようやく現れた敵の親玉は毒を盛られてとっぴんぱらりのぷぅ。私ならそんな本は投げ捨ててしまいますね」
声の位置が動いていく。しのぶが無惨に歩み寄る。
「でも」
日輪刀を鞘から引き抜く音。
「これは現実です」
呼吸音が大きくなった。
「貴方の終わりは、くだらないくらいでも上等だ」
刀が肉を貫く。底冷えする声が響いた。
「とっととくたばれ糞野郎」
それはまさしく、私の本音を代弁していた。
【視点・狗尾寝子】
鬼舞辻無惨の身体が崩れ落ち、灰となって消えていく。隠の格好をしたまま、血鬼術の札だけペリッと剥がした。
「……お姉ちゃん、わたしはちゃんとハッピーエンドに辿り着けたかなぁ……」
鬼舞辻無惨は倒された。これでハッピーエンド、のはずだ。
「そうだとしても、怒られちゃうよね。余計なことばかりして、わたしがいなくても平気だったのに」
『いいや』
目を見開いた。ずっと会いたかった人の声。
『よく頑張った、流石ボクの妹だね。だからこれからも、胸を張って生きるんだ』
頭を撫でられる感触。幻覚だ。まやかしだ。こんな作り話みたいなこと、現実で起きるはずがない。
『みんなと、幸せにね』
「……うん!」
それでも、お姉ちゃんのことだから、これくらい出来るかもしれない。だから、信じることにした。
「これからも、頑張って生きるよ。好きなものが増えたんだ、お姉ちゃんみたく自由に、好きに生きられると思うから」
立ち上がって、駆け出す。まずは、偉業を成し遂げた自慢の妹弟子を迎えるために。