善逸は激怒した。
必ずかの邪智暴虐な冨おえっ……あの人に風紀委員を辞めると言い放ってやると決意した。善逸には政治がわからぬ。だが先生が生徒を殴り付けるのは流石におかしいと思っていた。
とはいえ、あの人のことが怖いというのは事実。だがしかし、食堂における本日のメニューは鮭大根。大好物を食べて機嫌の良い今なら聞き入れてくれるのではないだろうか、せめて殴らないでほしい。
「あ、あの!」
「お、相変わらず義勇もお魚定食か、もーらいっ」
「ア゛ーーーーー!?(汚い高音)」
あの人の皿から魚をかっさらっていく猫。いいや、英語教師の狗尾寝子。あの人と同い年だが見た目が幼く、よく中等部の生徒だと間違われていた。
(なにやってんの、なにやってんの!? そんなことしたら狗尾先生が殴られ……)
それはいけない。自分が殴られるのは嫌だが女の子が殴られるのはもっと嫌だ。せめて自分が盾にならねば、と二人の間に入り込もうとしたとき、冨岡の手動いた。
「……やる」
「え、いいの?」
「ああ」
「にゃはー、ありがとな!」
善逸は愕然とした表情でその光景を眺めていた。
(は? なに、鮭大根って大好物なんじゃないの? それをあの人が譲る?)
自分は夢でも見ているのだろうか。自分が同じことをしたらどうなるか、殴られるだけではすまないはずだ。それが狗尾先生に対しては……つまり……。フラフラと食堂を後にする善逸、彼の脳内から『風紀委員を辞めたい』という気持ちは消え去っていた。
「許さねえ! あんの暴力教師絶対許さねえ!!」
「お、落ち着け善逸。どうしたんだ? 冨岡先生に風紀委員を辞めるって言えたのか?」
「風紀委員!? そんなこたぁどうでもいいんだよ! 冨岡先生はなぁ! 狗尾先生のことが好きなんだよ! いやあの雰囲気付き合ってるまであるね!!」
「それはないと思うぞ?」
炭治郎は首を横に振った。二人ともうちのパン屋の常連で、たまに二人でパンを買いに来ることがあるけれど、二人から恋人特有の甘い匂いは一切しない。嫌悪の匂いもしないけれど、たまに冨岡先生から少し迷惑そうな匂いがする。腐れ縁の友人という表現が合致するのではないだろうか。
とは言っても善逸の耳には一切入らない。冨岡に天誅くらわせてやる! と息巻いて、作戦たてるぞ付いてこい! と放課後に炭治郎を定食屋アオイまで引っ張っていった。
「どうしてくれようあの暴力教師……狗尾先生の前で思い切り恥かかせてやる……」
「こら善逸! 冨岡先生はただでさえ朝礼での挨拶を必ず無言でやり過ごして恥をかいているんだからそういうことを言うな!」
「炭治郎くんは何か冨岡先生に恨みでもあるのですか?」
後ろから聞こえてきた声に炭治郎がビックリして飛び上がる。善逸は声の主を認識すると怒りの形相はどこへやら、デレデレと表情を弛めた。
「し、しのぶ先輩! こんにちは!」
「はい、こんにちは。何のお話をしていたのですか? 冨岡先生と狗尾先生のお名前が聞こえてきましたが……」
「それが、その二人が交際しているらしいって善逸が……」
「らしいじゃないって、絶対してるって」
「ああ」
しのぶはクスクスと笑う。微笑ましいものを見ている様子で、頼んだ餡蜜に手をつけながら語り始めた。
「よく勘違いされますが、あの二人はただの腐れ縁ですよ。なんなら冨岡先生は知りませんけど、狗尾先生は他に交際しているお相手がいらっしゃるみたいですし」
「え、そうなんですか」
「噂ですけれどね、ですから……」
「じゃあ冨岡先生の片想いです! だって、あの冨岡先生が鮭大根を狗尾先生に譲ったんですよ!?」
「……あの冨岡先生が、鮭大根を?」
善逸の発言を聞き、しのぶの空気がガラリと変わる。先程までの微笑みはどこへやら、真剣な表情で悩んでいた。
「情報提供ありがとうございます。ちょっと調べてみますね」
「し、調べるって……?」
「いえ少し、猫が魚で誑されてないかどうかです」
炭治郎と善逸は言葉の意味を理解できず顔を見合わせた。しのぶは餡蜜を食べながら何やら考え込んでいるため声をかけられない。
本日、急遽学食のメニューが鮭大根から鰤大根に変わったことを知っているアオイだけが呆れ顔でそんな三人を眺めていた。