【視点・真菰】
分かっている。
錆兎は嘘をつかない。あの鬼は本当に兄を庇ったのだろう。
分かっている。
私の兄は、私を食べようとした。だから殺された。
分かっている。分かっている。分かっている。だから、分からない。この感情をどうすればいい?
兄は優しい人だった。強い人だった。だからこそ鬼にされてしまった。たった一人の家族だった。鬼が憎い。兄だってまだ誰も食べていなかった。
息苦しくて、泣きそうになる。心の底から怒りが沸いて、叫びたくなる。何もかもを飲み込んで気持ちに蓋をするために、とにかく鬼狩りに勤しんだ。
雨の呼吸 壱ノ型 霧雨
身体が熱い、感情が体内を荒れ狂っている。それでも、頭は冷えていた。日輪刀は鬼の柔らかいところを通過していく。酷く腹立たしい。任務で鬼を斬っても斬っても気分が晴れない。憂鬱だ。崩れていく身体を眺めながら、私は嘆息した。
ゆっくりと刀を鞘に納める。そのまま立ち去ろうとしたとき、周囲には何の気配もなかったはずなのに、後ろから声が投げかけられた。
「あぁ! やっと見つけたよ!」
新手の鬼! 地を蹴って距離を稼ぎながら、刀を鞘から引き抜き構える。鬼と正面から相対して、背筋が凍った。明確な死を想起させて尚足りないほどに、その鬼はどこまでも強者の気配を漂わせている。
幸いなことに、鬼はすぐこちらへ襲ってはこず、へらへらと笑いながら近づいてきた。
「いやぁ不思議な鬼狩りがいると聞いてね。なんと身体の小さな小さな女の子が、柔術めいた技でもなく、藤を用いた毒でもなく、それでも鬼の首を落としてしまうんだって? 不思議だなぁ、いったいどうやっているんだい?」
死が迫っている。高速化した思考が脳内を巡った。戦う? ダメだ、首に柔らかい部分が見当たらない。逃げる? ムリだ、すぐに追い付かれる。
「知らない。私はただ単に刀を振るっているだけ」
ならば、私が成すべきことは時間稼ぎ。日の出までの約半刻をどうにかして稼ぎ出す。ここは見晴らしがいいから日光もすぐに届くだろう。
「へぇ、そりゃあすごい! じゃあ見せてくれるかい?」
離れていたはずの鬼が目の前にいる。刀を振るえ、いや、下がれ!
「おろ?」
瞳に上弦、弐。こいつ、上弦の弐だ。
「どうして避けられたのかな? いやぁ気になることが増えて増えて楽しいよ!」
全くもって本気じゃない。小手調べ、様子見、手抜き。だけど当たれば致命傷な
聞いて、見て、そして
雨の呼吸 漆ノ型 天気雨
どんな体勢からでも繰り出せる連続技で、死角から迫ってきた鉄扇を弾いた。
「ふぅん、これも防いじゃう。不思議だなぁ、でも、なんとなーく分かってきたかも」
間髪入れず叩き込まれる鉄扇、そして冷気。
雨の呼吸 陸ノ型 夕立
鉄扇に刀を叩き付けたの反動で、冷気を回避するように後ろへ飛ぶ。これまでに何分、いや何秒経った? 気が狂いそうだ。
「うん、やっぱり! 君、触覚を耳で視覚を鼻で感じているんだろ? ううん、耳でも鼻でもってところかな? 他にも感覚器官同士が共有しているんだ、うわぁそれって実際どんな感じなんだい?」
どんな感じも何も、生まれつき
「可哀想に、そこまで感覚が狂っていたら周りの人間を理解できず、周りの人間からも理解してもらえなかったよね。つらかったろう、安心して、すぐに俺が救ってあげるから!」
「うるさい」
黙れ。兄も鱗滝さんも錆兎も義勇も狗尾もしのぶも知っていたことだ。受け入れてくれたことだ。
「剣術だっておかしな力じゃなくて技術かぁ。脳が受け取った大量の感覚情報を処理して斬れるところに斬れるように斬っている……いや、よく脳細胞が焼き切れていないね! すごいよ!」
雨の呼吸 玖ノ型
黙らせるために今出せる全力で斬りかかった。
「はい、それじゃあ救ってあげる」
あ、鉄扇が、胸に。
花の呼吸 陸ノ型 渦桃
突き刺さる筈の鉄扇は弾かれた。鬼の前に立ち塞がった彼女は、親友と同じ羽織を身に纏っている。
「っ、離れて!」
叫ぶと同時に、私を抱えて跳んだ。
「冷気が、吸うと肺がやられます」
「あらまぁ、それは大変。教えてくれてありがとう、真菰ちゃん」
花柱、胡蝶カナエ。しのぶとよく似た顔つきをしている。穏やかな微笑みを浮かべながら力強く上弦の弐を見つめていた。
「おやおや? 俺は運がいいなぁ。柱を殺せと命令されてはいたんだけど不思議な子を優先して探してたからさ。向こうからやって来てくれるなんて、やっぱり普段の行いがいいからかな?」
「貴方に会いに来た訳ではないの。妹のお友達に会いに来ただけで、鬼に、それも上弦の鬼と会うとは思っていなかったわ」
「それじゃあ運命ってわけだ。俺好みの女の子との出逢い、幸せだな、二人まとめてちゃんと救ってあげるからね」
「戯言だな」
鬼の言葉を断ち切るように、聞き覚えのある声が降ってくる。
「ここは俺の担当区域だ。狼藉は許さん」
見上げると、家屋の上に狐の面を被った兄弟子の姿があった。
「……錆兎?」
「ええと、男はあまり覚えられないんだ。確か君も柱だったよね? うん、永遠に救ってはあげられないけど、ちゃんと殺してあげるから安心してよ!」
「安心しろ。死ぬのはお前だ」
「真菰ちゃん、少し下がっていてね」
錆兎が刀に手をかけ、カナエさんが刀を構える。私も呼吸を整える。一触即発の空気で、しかし、上弦の弐は相変わらずへらへらと嗤っていた。
「柱が二人でも三人でも、半刻もあれば十分だね。さて、始め……え?」
ピタリ、と動きが止まる。隙だらけだ。罠かもしれない。動けない。
「とんでもない! まさか俺が猗窩座殿との入れ替わりの血戦を忘れてなんておりませんよ! ただちょっと仕事が立て込んでおりまして……ええ! 直ぐに柱の首を二つお持ちいた」
私はただ、口をポカンと開けていた。何処かから琵琶の音がしたと同時に、上弦の弐の姿が忽然と消えていたのだ。
「えぇ……?」
「なんというか、逃げられてしまった、のかしら?」
困ったように笑うカナエさんと顔を見合わせた。身体から力が抜けて、地面に膝をつく。
「大丈夫? 怪我は?」
「平気です。浅い切り傷だけなので」
カナエさんの質問に答えていると、ふわり、屋根の上から人影が降りてくる。その人は周りを見回してから、座り込んだ。
「にゃー……」
錆兎の声、ではない。
「死ぬかと、死ぬかと思った……」
狐の面に違和感があった。錆兎の面によく似ているけれども木目が違う。ひょいと面をとってみれば、はちみつ色の瞳とかち合う。
「兎の威を借る猫だぴょん」
「は?」
「な、なんだよぅ。そんな顔しなくていいじゃんか」
そこには、酷く情けない顔をしている姉弟子がいた。
「だいたい柱が二人もいるときは逃げてくれよ、なんで意にも介さないんだ上弦の鬼ってどれだけ強いんだよぅ」
「私は狗尾が錆兎の格好してる理由が知りたいんだけど」
「錆兎も柱になってから長いから、警戒して鬼が出てこなかったりするんだよ。だからボクが錆兎として派手に動いて、錆兎は変装して鬼狩りっていう作戦」
「へぇそうなの、錆兎くんと何回も会ったことがあるのだけれど、私すっかり寝子ちゃんに騙されちゃったわ」
「にゃはー、真似っこには自信があるんだぜ。ほら例えば『姉さん、おかえりなさい。怪我はない?』」
「わぁ! しのぶそっくり!」
カツラと羽織を脱いで、狗尾に戻った彼女はニコニコと笑っている。こちらを向くと、手を伸ばして頭を撫でてこようとするのでピシャリと払い除けるが、なぜだか嬉しそうだ。
「真菰の任務が終わったって聞いたからさ、ご飯にでも誘おうと来てみたらカナエと一緒に上弦の鬼と戦っているんだぜ? ビックリした!」
「いいえ、私は途中から来たから……真菰ちゃんが一人で上弦の鬼と戦っていたの」
「うぇぇ、そうなのか。頑張ったなぁ」
はちみつ色の瞳が私を覗き込む。
「真菰が無事で、よかった」
相変わらず甘ったるい色だと、そう思った。