【視点・竈門炭治郎】
「蹲るな!!」
「立て! 前を向け! 前へ進め!」
「男なら!! 為すべきことを為せ!!」
禰豆子が鬼になってしまった日、錆兎さんに言われた言葉が頭に響く。それから、がむしゃらに前へ進んできた。鱗滝さんのもとで全集中の呼吸を学び、最終選別を乗り越えること。鬼から身を守るためにも、禰豆子を人に戻す方法を聞き出すためにも、そして、人を食べていないとはいえ鬼となった妹と共にいるためにも、俺は力をつける必要がある。
二年もの歳月が経った。兄弟子である錆兎さんや義勇さんが時たま稽古をつけてくれた。姉弟子のしのぶさんは呼吸について分かりやすく指導してくれるし、妹を診てくれる。同時にちょっと怪しげな視線を妹に向けているが悪意の匂いはしないので大丈夫……のはずだ。怪我が治るまで妹の見張りをしていた寝子さんは、薬の匂いで分かりにくかったけど、禰豆子が鬼だから怒っているのではなく、鱗滝さんや錆兎さんが命をかけていることに怒っていた。とても仲間想いの人なのだろう。それから、真菰さん。激しい怒りに深い悲しみが混じった匂い。もしかしたら、彼女も家族を鬼にされてしまったのかもしれない。
たくさんの人に支えられてここまで来た。たくさんの人が抱いている想いを知った。
(俺の為すべきことは二つ。鬼を人に戻す方法を見つけること、鬼舞辻無惨を倒すこと)
もうこれ以上、罪のない人から大切なものを奪わせないために。鬼殺隊の隊服に袖を通しながら俺は決意した。
「むー!」
「禰豆子、そうだな。出発しようか」
行き先は浅草。次の任務はそこで行うらしい。今までいくつかの任務で鬼と戦ったものの、何も情報を得られていない。もどかしい気持ちで焦る俺の周りを、鎹烏が羽ばたいた。
「カァァ! 合同任務! 合同任務! 早ク合流セヨ!!」
「分かった、分かったから耳元で叫ばないでくれ」
「ケケケ」
黒に染まった日輪刀を腰に差し、禰豆子を箱に入れ、頬を叩いて気合いをいれる。
「よし!」
諦めない。俺は絶対に諦めない。前に進むんだ。男だから、長男だから!
山育ちの俺は都会というものを噂話くらいでしか知らなかった。合流場所へ向かおうと歩を進めるものの、人が多過ぎて頭がくらくらする。
「都会って……都会って……」
「もしもーし、大丈夫ですか?」
「うぅ、は、はい」
嗅ぎ慣れた匂い。目の前には姉弟子が立っていた。
「しのぶさん?」
「はい、合同任務よろしくお願いしますね。炭治郎くん」
「よ、よろしくお願いします!」
微笑ましいものを見るような目で見られて面映ゆい。なんというか、こう、鱗滝さんのところの人たちは、兄弟子と姉弟子という言葉通り弟の面倒を見るように接してくるため、決して嫌ではないけれども、でも俺は長男だから、うぅん……義勇さんは弟みたいで落ち着くんだけどな。
「ではさっそく鬼を探しに……行く前にご飯でも食べましょうか。腹が減ってはなんとやら、です」
「はい!」
「元気がいいですねぇ、何か良いことでもありましたか? あ、そうだ。禰豆子さんは今は寝ているのですか?」
「いえ、起きてます」
「む!」
「まぁ! 禰豆子さんおはようございます。お元気ですか?」
「むー!」
「ふふふ」
傍目から見れば年上の女性が幼子を慈しむように可愛がっていて、非常に心温まる光景だろう。だがしかし、しのぶさんの纏う感情が慈愛だけじゃないというか、笑みが蠱惑的というか、禰豆子を撫でているもう一方の片手で注射器を弄ばないで欲しい。兄ちゃんは心配だ。
「おや炭治郎くん、どうしました? 笑顔は大事ですよ笑顔は」
「いや、その」
「怒ってもいいことはないんです。義勇さんにどれだけ人との対話の大切さを怒鳴り付けようが、狗尾さんに怪我をしてるのにフラフラするなと説教しようが、あの人たちは聞きません。錆兎さんは男だから猫だからと庇いますが、男はともかく猫はないでしょう。自分を猫と思い込んでいる人間ですよ、なんで当然のように受け入れているのですか? もう真菰だけが癒しなんです、言っていることはふわふわしていますが、ふわふわしているだけなので。いやこの前ふわっとした作戦を伝えられてよくわからないまま結局真菰一人で鬼を殺してきたときは怒りましたけれども」
笑顔だ。そしてとても怒っている匂いがする。
「姉さんならきっともっと上手くあの人たちと付き合えるはずなんです。力を貸して姉さん……いや悪い人たちではないのはわかってるけれど……」
「あの、俺で良ければ話を聞きますよ」
「炭治郎くん、君も分類としてはあの人たちに含みますからね?」
「え!?」
冗談です、と言いながら全く冗談の匂いをさせずにニコニコと笑っている。そのまま歩いていくしのぶさんの後ろをビクビクしながらついていった。すると、人通りの少ない路地にあるうどんの屋台へと辿り着いた。
「あら、おうどんにしましょうか?」
「いいですね!」
屋台の人に山かけうどんときつねうどんを注文して、椅子に腰掛ける。しのぶさんは禰豆子になにやらカラクリ仕掛けの玩具を渡し、二人で楽しそうに遊んでいた。
玩具のお礼を言おうとしたとき、その匂いが鼻孔に届く。
(鬼舞辻、無惨!?)
【視点・胡蝶しのぶ】
「炭治郎くん!?」
突然、駆け出した少年の背中に手を伸ばす。追い掛けようにも、禰豆子をここに一人放置するわけにもいかない。
「へいおまち、山かけときつねだ。あん? あの兄ちゃんどっか行ったのか?」
「……えぇ、そうですね。忘れ物でしょうか」
「ふぅん、伸びちまう前に帰ってくるといいがな」
「はい、本当に」
ぴきぴきと、額に青筋がたちそうになるのをグッとこらえる。笑顔よ、しのぶ。怒っても仕方ない。怒っても義勇さんは益々黙り込むし、狗尾さんはフラッと何処かへ消えるし、今だって怒っても炭治郎くんが帰ってくるわけでもない。深呼吸、深呼吸をして落ち着くの、あぁもう本当あの子も大概なんだから!
「妹を置いていくなんて酷いお兄ちゃんですねぇ、禰豆子さん、うちの子になりますか?」
「むっ!」
「あら残念、フラれてしまいました」
ぶんぶんと首を横に振る禰豆子にようやく口元が弛む。やはり言葉を理解している。知能としてはどれほどなのだろうか? 簡単なカラクリくらいなら理解できていることは確かだ。こんなことなら屋敷にある玩具をもっと持ち歩いておけばよかった、そうすればより多く鬼の情報を取れただろう。言語能力についても調べたいし一度轡を外してみたいのよね、などといった欲求と戦いながら、とりあえず、私はうどんを啜った。
「……おいしい」
炭治郎くんが帰ってきたのは、山かけうどんがすっかり伸びてしまった頃合いだった。