一人の女性が異様な空間を進んでいる。
全体的に木製の和風な通路。しかし、それはただの通路ではなく入り組んだ迷路のように空間自体がねじ曲がり、まるで前衛芸術の絵画のようであった。
この通路、否、
「~~♪」
そんな危険地帯を、鼻歌交じりに自身の庭であるかのように歩く女性。
明るい茶色の髪を肩口まで伸ばし、服装は全体的に動きやすそうなパンツスタイル。腰には普通に暮らしているならあり得ないもの。もし、現代日本で外に出ようものなら問答無用で逮捕されかねないハンドガンを提げていた。
それだけでもある意味異様であるが、それ以上に彼女を異質なものにしていたのが、彼女の手にあった楽器、サックスであった。
こんなところで楽器など引っ提げてどうするつもりなのか。もしや、悪魔相手に演奏会でも開こうというのか?
その通り、彼女はある意味悪魔たち相手に音楽を奏でようというのだ。葬送曲という名の死を告げる曲を。
そうと気付かない憐れな悪魔が彼女の前に姿を現す。
「こんなところに人間なんて……。死ににくる馬鹿は絶えないようだねぇ!」
紫色の肌に腰巻きを穿いた半裸の女性悪魔。鬼女-ヤクシニーは手に持った双剣を這わせながら舌舐めずりする。
彼女が、ヤクシニーが人間相手に憐れむのも仕方ない。なぜなら、彼女の力量は平時の現実世界に顕現しようものなら、一つの地方都市程度簡単に滅ぼせる力があるのだから。
しかし、彼女は失念していた。人間の中にも彼女と同じように逸脱した力を持つ存在がいることに。そして、目の前の女性がその一人であることに。
「鬼女-ヤクシニーかぁ……。まぁ、
「人間が、舐めた口を――」
女性の舐め腐った態度に苛立ちを露にするヤクシニー。しかし、女性は気にすることなくサックスを演奏し始めた。
すると荘厳な、そして恐ろしさを感じる曲調とともに彼女の足元を中心として幾何学的な魔法陣が描かれる。
その魔法陣、そして女性を取り巻くMAGを見てヤクシニーは、ようやく己が思い違いをしていたことに気付く。
「きさま、
そう、彼女の足元に展開された魔法陣は、悪魔を召喚するための召喚陣。即ち、彼女は本来非力な人の身でありながら悪魔を使役できる逸脱者、
そして、彼女が演奏しているサックス、それこそが彼女のCOMP。悪魔召喚を行うための儀式をサポートする機器、その一つであった。
彼女が悪魔召喚師だということに気付いたヤクシニーの表情に焦りが見えだす。
なにせ悪魔召喚師、しかも女性のような奇抜なCOMPを使うタイプの召喚師は大抵とんでもない実力者なのだ。
彼女が知るだけでも、パッと見ゲーム機のようなCOMPを扱う九頭竜家現当主、
目の前の女性が、それらの存在と同じだという可能性は否定できない。さりとて、既に悪魔召喚プログラムは起動し、召喚を止めることは困難。ならば――。
「出てきな、あんたたち!」
ヤクシニーの号令とともに金色の仮面を被った小柄な悪魔、幽鬼-ヤカーの群れが姿を見せる。ヤクシニーの答え、それは、敵が悪魔を召喚して数的有利を得ようとするなら、こちらはそれ以上の数によって圧倒すればいい。という脳筋じみた解決策だった。
もっとも、その解決策は本来であれば有効であった。事実、実力が拮抗しているならば数で圧倒する。というのは正しい戦術だ。
……しかし、今回は相手が悪かった。
――銀の閃光がヤカーたちに奔る。それとともに可愛らしい、玉を転がすような声が聞こえる。
「――解体、するね」
その声が聞こえるとともにヤカーの体に線が引かれ、その線をなぞるようにボトボトと、体の部品が落下。ヤカーたちは自身に何が起こったのかも気付かず、悲鳴すらあげることなく絶命する。
そして、その惨劇を引き起こした悪魔、人が姿を現す。
その人物は銀髪の背が低い少女の姿をしていた。もしも、この場にfateシリーズを知る者がいたら、こう言っていただろう。
「ジャックちゃん、ありがとうね」
――アサシン-ジャック・ザ・リッパー、と。
ジャックちゃん、と呼ばれた悪魔はにこやかな笑みを浮かべ、召喚者たる女性に話しかける。
「わたしたちも、おかあさんにけいのことお願いされたんだから、気にしなくて良いよ?」
「それでも、だよ」
彼女、ジャックにけい、と呼ばれた女性。
彼女の名前は祠堂圭。二年前、巡ヶ丘市で起きたバイオハザード、ならびに悪魔たちの暗躍を阻止した英雄たちの組織『学園生活部』の一員であり、現在
そして、ジャック・ザ・リッパーはもともと行方不明になっている蘆屋晴明の仲魔だったが、巡ヶ丘での最終決戦の下り、護衛として圭の仲魔に派遣された経緯がある。
その後、最終決戦の後も派遣状態は続き、今では彼女の頼れる仲魔の一人として重宝されていた。
二人の会話から、悪魔召喚師の正体が祠堂圭であることを知ったヤクシニーは恐れおののく。
「圭……?! 祠堂圭だと!
――
その二つ名を聞いた圭は、辟易とした様子で首を横に振る。
「その称号は私よりも、
そうやって首を振っていた圭だったが、それでもヤクシニーへの警戒は怠っていなかった。
なにせ相手は神話生物。只人よりも遥かな高位に位置する存在。油断できる相手でも、油断していい相手でもなかった。
もっとも、ヤクシニーからすれば是非とも油断してほしい。そう懇願したくなることであったろうが。
「……く、くそっ!」
ただ、久々に
そんなやつ相手にしていたら、いくら命があっても足りないと悟ったヤクシニーは恥も外聞もなく遁走を選択。
まさか戦士として血の気が多いヤクシニーが、そんな選択をとると思っていなかった圭は慌てて追いかけようとするが――。
「ぐげぇ……!」
唐突に発生した空間の歪みに巻き込まれ、体が細切れになるヤクシニー。その最期を見た圭は、不愉快そうに顔を歪める。
「空間震――! またなのぉ……!」
先ほど、アカラナ回廊はあらゆる空間、時代と繋がっているといったが、それゆえにこの世界自体かなり不安定になっている。
その空間の不安定さゆえに、時折現実世界で地震が起きるように、空間自体が揺れ動く空間震という現象が引き起こされていた。
しかし、本来であれば空間震はそれほど高い頻度で起こることはないのだが……。
「……またアカラナ回廊が変な世界に接続したってこと?」
この頃、アカラナ回廊では神話由来の怪物。悪魔以外の化け物の出現が確認されていた。
そのことを調査するため、今回、圭がヤタガラスから派遣されていたのだが……。
「こうも空間震が多いと、まともに調査も出来ないよ」
頭を抑えながら吐き捨てる圭。
実際、空間震に巻き込まれたら先ほどのヤクシニーのように即死することになるのだから、遅々として調査は進んでいなかった。
「どうするの、けい? 帰る?」
「そうだねぇ、そうしよっ――」
ジャックの提案に乗ろうとした圭。しかし、その言葉が最後まで続くことはなかった。
空間震の影響がまだ終わっていなかったのだ。
唐突に感じる浮遊感。足元を見ると先ほどまであった筈の床が消失していた。
「……ウソでしょ?!」
流石に、いくら圭が人よりも優れた身体能力を持つとはいえ、そんな不意打ちじみた現象から逃れ得る術はなかった。
このまま落下し続ければどこに飛ばされるか分からない。過去か、未来か、それとも別世界か。
彼女の脳裏に仲間たち、親友、そして愛する人の顔が走馬灯のように浮かび上がる。
「……ごめん、みき。みんな――」
自身を助けようと飛び込んでくるジャック・ザ・リッパーの姿を最後に彼女の意識は途切れる。
――助けて、晴明さん。
そう、思いながら……。