今日から姉よ!   作:充椎十四

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誤字報告ありがとうございます
》匿名希望様


2話

 初めて彼女を認識した時の感想は「変な人」。

 

 あの時の私は十三歳。――肉体的にはまだ幼かろうが、私は組織に組み込まれた歯車の一つ。私とお姉ちゃんの命と安全を守るには私が働くしかない……そう覚悟して研究所に入った、その日に出会ったのだ。

 

 連れてこられた研究所には同じ敷地内に居住棟がある。割り当てられた女子寮の部屋は4畳ほどの狭さで、クロゼットも小さい。私物を増やす予定はないけれど必要なものだけ揃えたとしても少し狭そうだ、とため息が漏れた。

 持ち込みを許されたボストンバッグ一つ分の荷物をベッドに放り投げて食堂に向かえば――私服姿の女がジンに突っかかっているのが遠目に確認できた。日本人らしい見た目の人だけど、どうしてだろう、既視感を覚える。

 胸がふわふわと温かくなるような懐かしさがあるから、会ったことがある人なのかもしれない。それなら……ダメダメ、組織の人間なんて信用できないでしょ、私。

 

 揉めている様子の二人に近づきたくないなと思いながらのろのろと廊下を歩いて、二人の声が届く距離まで来た。

 

「――を働かせるなんて何考えてんの、まさか、もしかしてジンは労働基準法をご存知でない!?」

「ハァ……ぴーちくぱーちく囀るな、うるせぇ」

「囀らずにいられると!? まだ保護者の監督と保護が必要な年齢の子供を働かせるなんて組織の研究部門は無能って言ってるようなもんでしょ。上はなんでこんな。ねえ、どうしてあと五年を待てないの。子供時代は一度きりなんだよ、ジン」

「おれが知るか」

 

 女は私の話をしている。それも私の心配をしている。

 まさかこの組織で「常識的なことを言う人」なんて絶滅危惧種がいるんだ、って驚いた。すぐに手が出るジンが文句を言うだけってことは彼女も幹部なんだろうか? この人を味方につけられればお姉ちゃんを助けてくれたり……何考えてるのよ私ったら。組織の奴らなんて信じちゃダメなんだってば!

 

「おばさん、いらない茶々を入れないでくれるかしら。私は十分大人だし、働けるわ」

 

 食堂に踏み出して胸を張ってそう言ったら。女は、シードルは、私を見て嬉しそうに笑ったのだ。

 

 そんなことがあったから、彼女の第一印象は「組織に似合わず常識的な変人」。

 

 ――私たちと一緒で、親が組織に所属しているから組織に入らざるを得なかった人なんだと、研究所に来てから初めてのお姉ちゃんとの面談で、聞いた。

 

 私達と同じ被害者なんだ。逃げられないから組織にいるしかない立場に置かれた人なんだ。

 彼女に親しみを感じたのは同じ境遇だからなのね。

 

「秋穂ちゃんは――シードルは志保のことを絶対に傷つけないから、私に相談できない困り事があったらシードルに言うんだよ」

「わかったわ」

 

 お姉ちゃんの言う通り、シードルは私が頼めば彼女のできる範囲で手を打ってくれたし、親切だった。

 

 まるで本当のお姉ちゃんみたいに。

 

++++

 

 潜入捜査官に抜擢されて二ヶ月が過ぎたあたりに耳に挟んだのは、組織の幹部の一人シードルが若い日本人の女だという噂。まだ学生だとかなんだとか眉唾な話に興味を惹かれたこともあり、彼女について重点的に調べた。

 様々な伝手を駆使して調べてみたものの、シードルにはジンのような派手な実績もベルモットのような美貌や実力もないようだ。まだ学生の身分という話も確かなようで、組織の中でも「なぜあの女が幹部なのか」と疑問視されているという。

 とはいえ実力や実績がどうあれ相手は組織の幹部。彼女の後援をもぎとり、組織に入る足掛かりにできないかと考えた。

 

 彼女に近づくには僕がいいか、ヒロがいいか。同じ組織に潜入捜査するとしても同じルートから組織に入るのは悪手だ――お互いの持つシードルの資料を付き合わせようと、風見に警察庁が所有するシードルの資料を用意するよう頼んだ。……といっても、ろくに目立たず影が薄いシードルに関する資料など遠目の写真くらいしかなかったはずだが。

 その翌日。

 

「組織の幹部シードルは私の、幼馴染です」

 

 僕の後方担当である風見の言葉に爆発的な怒りが湧いた。そんな犯罪者と幼馴染だなど――潜入捜査官の選定はやり直しになる――風見は当然監視付きで地方に――はじめから躓くなんて!

 胸ぐらを掴んでぐっと引き寄せる。

 

「どういうことだ、説明しろ風見! ことによっては――」

「彼女はネグレクトされていました」

 

 ぐっと歯を食いしばる風見の目には涙の膜。

 

「全く帰ってこない親に代わって、うちの両親や近所の他の人たちが彼女を見守っていました。時々家に泊めたり……料理を差し入れしたり」

 

 風見は息苦しさより悔しさに顔を歪めている。

 

「クソみたいな親の元に生まれたのに、あいつは本当にまともで……親に押し付けられた、ほとんど同い年の子供や赤ん坊の世話までしていたんです。あいつは生まれついての善人です、本当です――保証します!」

 

 いい子なんです。組織で幹部をしているだなんて信じられない。善良なやつなんです。血を吐く様にそう声を絞り出した風見の胸ぐらを勢い良く離す。

 くそ、と内心で舌打ちをして髪を掻き交ぜる。冷静になれ、冷静に考えるんだ。

 

「……シードルの事情についてはこれから調べるとする。それに際しては……幼馴染なら持ってるだろう、写真くらい。それを提出しろ。幼少期の写真の方がピンボケ写真よりはよほど良い」

「……はい、わかりました」

 

 二日後、風見が実家から持ってきたアルバムとホームビデオには。

 

『――もう、お姉ちゃんも映ってよぉ』

『ええーだってカメラ構えてる人がいないと明美ちゃんと志保ちゃんのこと撮れないんだもん』

『私が代わるから! 私がお姉ちゃんと志保撮ってあげる。交代!』

『うーん、ならお願いしよっかな。じゃあ明美ちゃん、カメラマン頼みました!』

『はぁーい』

 

 記憶にあるままの幼馴染が、エレーナ先生に良く似た幼児と、ビデオに映っていた。

 撮影役が代わり、写ったのは「ただの少女」。虐待を受けていると言うからにはスレた目をしているものと思っていたが、ごく普通でありふれた顔つきの――つまり一般的な過程で育った子供と大差ない様子の少女だ。

 

 「志保ちゃんごきげんですね〜」と少女は笑って、「あ、そうだ」と何か思い出した顔でカメラを向く。

 

『今日の夕飯、何食べたい?』

『夕飯は……ハンバーグか、オムライス食べたいな』

『じゃあ今日オムライスにして明日ハンバーグにしようか。ハンバーグならひき肉買わないとだし』

 

 平凡な日常会話――少女に笑顔で夕食のリクエストをする明美。献立を決めて買い物の予定を立てる少女。

 彼女たちのいる部屋、リビングダイニングキッチンの様々なものがビデオに映っている。食器棚の前にも冷蔵庫の前にも踏み台がある。ローテーブル、座布団、床に敷かれた乳児用の布団セット。学校の給食一覧が冷凍室の引き出しの高さに貼られている。

 

 赤ん坊がいる家庭なのに、大人の気配がまるで感じられない部屋。その悍ましさに気づいて息を呑んだ。

 

 胸焼けと戦いながら確認したアルバムの写真にはやはり少女二人と乳児一人しか写っておらず、途中からは乳児ばかりになった。

 ――明美だけ引き離されたのだと、風見が言った。「明美はロリコンの変態に売られてしまった」と考えたシードルは妹の方つまり宮野志保を大事に守って育てたらしいが、三年経つか経たないかで宮野志保すらも取り上げられた。

 

 アルバムを見れば、彼女は組織に不釣り合いな愛情に溢れた人格の持ち主だと分かるのに。どうして彼女は組織の幹部なんかに?

 調べ続けてたどり着いた相手は、彼女の元バディを自称した。

 

「……組織(ウチ)のダイ・ハードと言えばあの女さ。あいつは死なねぇ。何があっても、爆発に巻き込まれようが銃で撃たれようが、どうしてか五体満足で生き延びるのさ」

「まさか! 映画じゃあるまいし、爆発に巻き込まれたり撃たれたりしているのに五体満足なんてありえないでしょう」

「信じられねぇってんなら一度見てみりゃいい。ありゃ傍から見てる分じゃハリウッド裸足のエンタメだぜ? 興味あんならお前、今度あいつの荷物持ちに推挙してやるよ」

 

 男の言う通り、彼女は爆発に巻き込まれようが海に投げ込まれようが機関銃で乱射されようが全く怪我一つなく組織の任務――他の組織との荷物のやり取りが主だ――を遂行した。

 その度に目に映るのは超常的な出来事の数々……爆破が起きれば彼女を守るようにどこからか飛んでくる遮蔽物、溺れる前にどこぞから流れてくる浮き輪、彼女の周囲を蜂の巣にするのに本人へは一発も当たらない銃弾。

 

「じっとして! 死にたくないなら!」

 

 港湾のコンテナが並ぶ一角での取引で。四方を機関銃に囲まれ、さすがの僕も死を覚悟しかけたとき。銃声が響き始めると同時にシードルは僕を引きずり倒し覆いかぶさる――その瞬間、何故か相手方の指揮官が死んだ。遠方からの狙撃と判断した彼らは撤退を選び、僕たちは無事生き延びることができた。

 後から分かったが、指揮官の死因は味方の弾が跳弾したことによる自滅だったらしい。天文学的な偶然が重ならなければまず起こり得ないそれにはもはや笑うほかない。

 

「――悪運が強い方ですね、貴方って」

 

 数える気が起きなくなるほどのダイ・ハードを経て、その日僕たちの命を救ったのは幌付きトラックだ。幌の上に寝転び空を見上げながらそんな言葉をかける。星は見えないが月は見える、都会の空だ。

 

「ま、そうね。嬉しくないけど」

「おや、どうしてです」

「組織の任務を押し付けられる度に生死の境で反復横跳びさせられるの、嬉しい?」

「たしかに嬉しくないですね。失礼しました……何も起きないのが一番ですよ」

 

 どこへ向かっているのかも知らないトラックの幌の上で様々なことを話した。なんせ何度も共に困難を乗り越えた仲なのだ、親しみを感じずにはいられない――お互いに。

 組織の幹部に限らずどいつもこいつも導火線が短すぎるだの、無駄にトリック錬る暇があったら他のことに労力を使えだの、この世の人類には「睡眠欲」「食欲」「性欲」「殺意」の四大欲求が組み込まれてるのではないかと疑っているだの、組織マジでクソだの。

 

「安室くんがどうして組織で働くことになったのか、私は知らないけどさ」

 

 土埃に汚れた頰のシードルが、寝転がったまま真っ直ぐに僕を見つめた。

 

「離脱できそうならはやく出ていった方が良いよ。ウチの組織、人材使い捨てのブラックだからね」

 

 黒の組織だけに、と苦く笑う彼女の頬に手を伸ばして土汚れを拭う。

 

「ああ……全く、それが一番に違いない」

 

 「大事な子がいるから組織を離れられない」という話を引き出せたのは、それからまた三回のダイ・ハードを経た後だった。

 

 ――「死んだはずの大事な子(シェリー)」と年齢以外の要素が一致する少女が見つかったとシードルに連絡を入れれば、雨垂れ耳垂れと誤字の多い返信が来た。

 

件名:Re:君の大事な子?

本文:は!!!?????その子のなまえ愛ちゃ?!!!???知ってる子てすけど!!

保護!!!!!保護して!!!!!アムロくん今こそ私に恩を売るトキ!!!!!!なう!!!!今度ヤバげな現場にタダでついてうから!!!!!!!

 

件名:Re:Re:君の大事な子?

本文:ジンの邪魔をしたら僕が殺されてしまいますので、すみません

とりあえず落ち着いてください。こちらも打てる手は打ちますから

 

件名:Re:Re:Re:君の大事な子?

本文:感謝患者!!!!!!圧倒的感謝!!!!!!あむろくハッピーニューイヤー!!!!!!

 

 意味不明だが言いたいことは分かる。

 

「頼まれなくても手を打つつもりだったが――頼まれると、嬉しいね」

 

 メールの画面を閉じて、ふふと笑った。

 

++++

 

 ピンガとウォッカのペアで誘拐した、老若認証システムの開発者・直美アルジェント。彼女の持っていた試行データはシェリーが幼児化して生きていることを示していた――私の頭に浮かんだのはボスのことと、シードルの顔。

 

 シードルは未成年の児童労働に明確に反対の立場を取っており、シェリーが能力を見出され幹部となった際にも「子どもの人権を守れー!」やら「児童労働はんたーい!」やら「二十歳になるまであと数年くらい待てないのか早漏ー!」という主張を繰り返していた。

 違法な犯罪組織だからといって、人として大人としてやって良いことと悪いことがある。それがシードルの考えで……それについては私も同意。

 

 組織の人間を親に持つ者同士だからなのか、シェリーへの待遇について意見が合ったのか、宮野明美とも仲が良かった――宮野明美がジンに処分された際にはしばらく引きこもっていたし。それでシェリーの出奔と……爆死を止められなかったんだから、本当に運と間が悪い子よね。

 

 コピーしたデータをシードルに送信してすぐに電話をかける。

 

「ハァイ、シードル。貴方に送ったデータについてだけど」

『ハーイベルモット。なに、え、データ? そんなの届いてたかな……確認するからちょっと待って』

「後で見ればいいわ、今送ったばかりだもの。言っておくけど、ファイル名にはテストと書かれているし、信用するもしないも貴方の自由」

『話が見えないよベルモット。どういうこと?』

「データを見て動くか動かないか、貴方の判断に任せるってことよ」

 

 そうとだけ伝えて電話を切れば、その数分後に気が狂ったメールが届いた。

 

件名:Re:

本文:シェリーはマジカル科学少女なので年齢も性別も自由自在なんだよ、知らなかったの?

 

「もうダメだわあの子……」

 

 性別の違うデータは送ってないでしょうが。なんでこんな馬鹿なのよ。

 

++++

 

 常連の一人について、ポアロのオーナーから小五郎のおっちゃんに相談があったらしい。その人は米花中央大学の学生で二十歳かそこらの女で、大怪我こそないが生傷が絶えないとか。何か事件に巻き込まれているのではとオーナーは心配しているんだそうだ。

 探偵とはいえおっちゃんは見知らぬ年上の男だからとおっちゃんより歳が近い蘭に話が回り、オレも蘭と一緒に話しかけることになった。

 

 ポアロで会ったその人は落ち着いた雰囲気で、達観したような目をしていた。テーブルに広げられている資料は仏教関係――大学では宗教学を学んでいるらしい。

 

「怪我は、まあ……身内がちょっとアレなカガクシャでね……」

 

 心配かけてしまって申し訳ないことをしましたと彼女、秋穂さんは頭を掻いた。阿笠博士の数多の失敗を横で見ながら育ったオレは納得で「ああー」と声が漏れた。あんな科学者が身内にいたら怪我が絶えないのは当然だ。

 

「でも――いくら身内でも、家族に怪我をさせてしまうような実験をするのは間違ってます! ちゃんと怒って注意しないと。こんなあちこち怪我して……秋穂さん、キレイなのに」

「あら……蘭ちゃん、貴方って優しい子だね」

 

 秋穂さんは蘭を気に入ったらしく、それからというもの、オレたちを見かけると何かしら奢ってくれたり、大人が必要な場面では引率役になってくれたりするようになった。蘭の両親からの評価も良く、出会って半年もせず家族ぐるみで付き合うようになったと聞いた。

 だがオレが江戸川コナンになり――灰原が「あの人って」と口にしたことで、彼女が黒の組織に属していることを知る。

 

 それも、幹部として。

 

 博士んちのリビングにはオレ、灰原、博士の三人。博士も秋穂さんとはよく顔を合わせるため「ええーっ」と叫んでソファから転げ落ちた。

 

「あの秋穂くんが、秋穂くんがどうして!?」

「幹部ではあるけど、あの人は悪い人じゃないの。あの人は私と一緒で、親が組織の人間だからどこにも逃げられなかっただけで……」

「親がか!?」

「そう。環境が似てるから、お姉ちゃんとは意見が合ったみたいで。親しかったんだって」

 

 組織に入るしかなかったから入っただけで、本音は違っている。だから「児童労働反対」とか「労災保険に加入させろ」と労使交渉を求めているらしい。今も叶っていないそうだが。

 

「秋穂くんらしいわい……しかし、後ろ暗い組織でそういうことをするのは命知らずすぎんかのぉ」

「博士の言うとおりだ。よく始末されなかったな」

「私は閉じ込められていたからシードルについては噂くらいしか知らないけど……他の組織との取引には必須の人材って言われてたわ。組織では『リアル・ダイ・ハード』なんて呼ばれていたし」

 

 あの細腕でダイ・ハードとは? 博士と顔を見合わせた。

 

 ――それから何度となく秋穂さんと一緒に事件に巻き込まれ、彼女の「生と死のギリギリのラインを走り抜けて生き延びる」運に助けられたり逆に助けたり。

 

「いやぁ〜死ぬ死ぬ死ぬこれは死ぬやだやだ死にたくないぃぃぃぃぃ!!」

「秋穂さん息吸って止めて、そろそろ海面だ!」

 

 オレを抱きしめた秋穂さんと二人、上空から海に落とされたと思えばすぐ近くを航行していた漁船に助けられ。

 

爆発(ばっはー)ッ!?」

「秋穂さんごめんッ盾になってくれっ」

「お好きにどうぞー!」

 

 爆弾が仕掛けられた建物から逃げ出た瞬間に爆発が起き、爆風で空を飛びながら飛来物を蹴り飛ばし。

 

「良かったね秋穂さん、手に取るコップが一つズレてたら……死んでたのは貴方だったよ」

「手段が適当すぎる。他人を巻き込むなと言いたい」

 

 親の仇が誰なのか絞りきれなかった犯人が「全員殺してしまえばいい」とばかりに、ほとんどのコップに毒を塗った。それを運良く逃れた彼女の顔は疲れ切っていた。

 

 灰原の言う通り、秋穂さんは事件に巻き込まれても間一髪のところで死を逃れる豪運の持ち主らしい。

 

『エドガー・コナン・ドイルくん!! 哀ちゃんがうちに誘拐されたって!!??』

「エドガーはアラン・ポーだよ、秋穂さん――ああ、灰原は……組織に誘拐されちまった……」

『なんてこと……』

 

 豪運で幹部になった人だから、秋穂さんは組織の重要な情報なんて一つも知らない。「幹部が対面しないと相手方の面子を潰す」ような取引のために幹部にされただけで、秋穂さんには力も情報も部下もない。

 そんなだから人を頼るしかないこと――オレを頼るしかないことは、オレもよくよく理解している。

 

『お願い……哀ちゃんを……志保ちゃんを助けて……!』

「……ああ。灰原はオレがぜってー助ける」

 

 電話越しの悲痛な声に、頷いた。

 必ず助けてみせっからよ、灰原。おめーの無事を祈る人はたくさんいるんだぜ……!

 

++++

 

 紛争地帯に放置しようが、パラシュート無しでヘリから突き落とそうが、四方八方から機関銃で撃とうが死なない豪運の持ち主である……という点以外に利用価値のない女にしつこく電話をかけるも、出ない。メールを送っても返事がない。――またか、と舌打ちする。

 

 連絡がつかないことに焦れに焦れて、ようやっと電話が繋がったと思えば「いまアイル」と来た。

 

「やっぱり観劇してたんだな、お前。一昨日観に行ったろうが」

『分かってないねウォッカ。生の演技っていうものは毎日新しいから一昨日観たものを今日観てもいいんだよ』

「おいおい、同じ演目かよ……」

 

 数時間前、ユーロポールに潜入中のピンガから「かなり危険な橋を渡るからシードルを寄越せ」と連絡があった。ピンガはラムの側近だ、普通ならラム経由で話を回せばいいんだが――シェリーをベルツリー急行ごと爆殺したことで、シェリーを気に入っていたシードルは今ほとんどの任務を拒否している。

 シードルに仕事をさせるには先ず説得から始める必要があり……任務を回すたびに、シェリー殺害を主導したおれたちがヤツを説得しなきゃいけねぇ。

 

『で、要件は? 任務なら出ないけど』

「シードル、我儘言うんじゃねぇ。シェリーは組織を裏切ったから消したんだ。このまま任務を拒むようなら……処分されても良いってことだな?」

『出来ないことで脅してどうするの。私を処分する方法はハッパ? チャカ? どれも出来なかったよね』

「頭に銃口押し付ければお前がいくら豪運だろうが関係ねぇだろうさ」

『されたことあるんだけど』

「な、おま――本当か」

 

 話が逸れた。

 

「ええい話を戻すぞ! 今回はピンガとの合同任務だ。お前にはドイツに行ってもらう」

『拒否します。それにドイツは地雷だから無理』

「地雷ィ? おかしなこと言ってんじゃねぇよ」

『とりまシェリーちゃん爆殺したこと私はまだ許してないから任務拒否です、閉店ガラガラーさよーならー』

 

 通話を切られ、「ツーッツーッ」という電子音が耳に触れる。

 

「このアマ!!」

 

 スマホを握りしめて罵り、シードルの位置情報を検索する。――シードルの持つスマホの位置情報は特定の幹部に共有されているのだ。本人を取引現場跡地やら漁港やらトラックターミナルから回収するために。

 

「アイルの駅構内か……いや」

 

 電車に乗り込んだらしくフラッグが霞が関方面に移動し始めた。面倒くせぇがこれから捕獲となると一時間は必要だろう。ため息をついて車のエンジンを暖める。

 コンビニの駐車場から片側二車線道路に出て、アクセルをぐっと踏んだ。

 

 人質にされるような身内がいないってのは身軽でいい――羨ましいこった。そう独り言ちて。

 

++++

 

 マルクト広場の一角、屋台村になってるそこで、不貞腐れた顔で名物のヴァイスヴルスト――白い茹でウィンナーを吸い上げているシードルの隣に腰掛ける。視線は噴水を向いちゃいるが何も見てねぇな。

 顔の前で手を振ればおもむろに俺を見やる。

 

「ピン――あー、グレース。ヴァイスヴルストの食べ方ってチューペットに似てない?」

「何を言い出すかと思えば。……まあ、どちらも食べるのは中身だけで皮は食べないものね」

 

 チューブ歯磨きの中身を押し出すように絞り出しては食べ、絞り出しては食べ――湿気た面で食いやがって、見てるこっちの気が滅入るっての。

 

「帰っちゃだめかな」

「やだ、手伝ってくれないの? 私と秋穂の仲でしょ――ちょっと私とお仕事して、あとは観光を楽しめばいいじゃない」

 

 きゅるん、とシナを作るとシードルは「うげー」と表情をひん曲げた。

 

 ――俺とシードルの付き合いはもう七年かそこらになる。七年前、ラムに拾われたは良いもののまだ下っ端だった俺は「なんでか生き残る」コイツと三回ほどコンビを組まされた。

 一般市民然としたコイツと一緒に任務をしたところでクソの役にも立たねぇ、と舌打ちしていられたのは最初の十分だけ。

 

 コイツが向かわされる任務はどれも決裂しかけの相手との取引だったから、それに同行する俺も銃撃されーの船ごと爆殺されかけーの斬殺されそうになりーのと、一般人なら一生無縁だろう酷い目に遭わされた。

 今となればあの臨死体験のお陰でいざってときの判断力と度胸が鍛えられたんだと思えるが、あの時には二度とコイツとコンビ組むものかと誓ったもんだ。

 

 コンビ解消後もシードルはヤバい取引専門でキャリアを積んで幹部になり、オレはITやら銃撃戦やら色々と首を突っ込みながら幹部になった。が。

 

 幹部は同列と言われているが、そんなのは建前だと皆知ってる。ボス、そのすぐ下がラム、ジン、ベルモット……ピスコは失態を起こしてジンに処分され、シェリーは姉をジンに殺されたことで逃亡したのをジンたちが爆殺。アイリッシュはジンと対立した末にやはり処分。ラムの懐刀と呼ばれたキュラソーもジンのいる現場で死んだ。

 幹部のまとめ役はラムかもしれねぇ……だが実質的に、リーダーは、ジンだ。

 

 ボスに睨まれて処分されるのも、ボスの側近に睨まれて処分されるのも、納得はできねぇが話は分かる。だがジンに睨まれたら処分されるってのが分からねぇ……おかしいだろ? あいつはボスの側近じゃねぇ。貢献度で言やあピスコの方が組織に貢献してたはずだ。組織への忠誠心ならアイリッシュだって負けてなかった。

 もやもやするんだよな。おかしいだろ、普通に考えてよ。なんでアイツが? すげぇムカつくんだ、デカい面しやがってってよ。あのスカした顔を殴り飛ばしてやりてぇ。

 

 蹴落としてやりてぇ。

 

 だから、可愛がってた年下の幹部・シェリーを殺したからとジンに反抗しているコイツ――シードル。シードルを俺の味方として、抱き込む。

 

「私と一緒にジンの吠え面拝んで、美味しいもの食べて祝杯上げるの……どう?」

 

 肩を抱いてそう囁やけば、シードルは俺を見上げて。

 

「誘ってもらったけど、ほら……私そういうの専門外なんで……」

「頷きなさいよ! ここは頷く場面だったでしょ!」

 

 くそが、勝手が違う……!

 

++++

 

 現地のチーム長からの任務完了報告を受け取ってすぐ私用スマホに掛かってきた電話を取る。掛けてきた相手は年下の幼馴染だ。

 回転椅子をくるりと動かしてパソコン画面に背を向ける。少し疲れが滲む、しかし呑気な声が耳に触れた。

 

『やっほー裕也くーんスマホ受け取りましたーお疲れ様ー』

「おつかれ、秋穂。今回も助かった」

『どーいたしまして。報酬はいつも通りよろしくでーす』

「ああ、志保ちゃんの口座に入れればいいんだろ?」

『そーそれ。じゃあ、私はこれから首輪付きに戻るから……何かあればパソコンの方にお願い。またね』

 

 短いやり取りだけで通話は終了。背もたれに体を預けて天井を見上げる。

 秋穂は――幼馴染は、昔たった三年面倒を見ただけの女の子のことを今なお気にかけ続けているのだ。女の子もとい宮野志保は組織の幹部・ジンに殺されたと言う話だが、秋穂はそれを信じておらず「どこかで生きているはずだよ」と言っている。

 秋穂がそう信じていたいなら好きにさせてやりたいし、俺としても志保ちゃんが生きていたら嬉しい。

 

 別れた当時まだ三歳だった彼女は秋穂のことをすっかり忘れてしまっていたそうだが、まあ、年齢を考えれば仕方のないことだろう。

 危険手当込みの報酬を志保ちゃん口座に振り込むよう記入した書類について課長に決済を貰い、経理に持っていく。

 

 手書き、印鑑、決済、手運び。DXなぞ知らぬと言わんばかりの手続きだが、偽造やら捏造やらの危険を考えるとこれまで通りのやり方が一番安全だろう。

 デスクワークで血の滞った肩をぐるぐる回しながら事務室に戻り……翌日、秋穂がドイツに連行されたと聞いて頭を抱えた。

 

 通称「黒の組織」の幹部、シードルのコードネームを持つ秋穂に突出した才能はない。頭脳明晰でも、スポーツ万能でも、特別に得意な何かがあるわけでもない。しかし――秋穂は、他の誰も持ち得ない『特別』なものを持っている。

 

 遠方から狙撃されれば「何かしら偶発的な事情により」弾が逸れる。中から近距離でも「銃が整備不良だった」とか「混戦になり銃が使えない状況になった」とかで鉛玉を免れる。

 では刃物やスタンガンなどの近接武器ならどうかと言うと、「何故か取り落とす」「振りかぶった際にどこぞに引っかかる」「直前でバッテリーが切れる」などなど……武器が使えなくなった具体例を挙げればキリがない。ならばと肉弾戦、殴る蹴るの暴行では「飛んできたボールが頭に当たって相手が昏倒」「倒れた仲間に足を取られて奴さんはビルから落下」「味方が間に合い秋穂を救出」。

 爆破に巻き込まれても間一髪難を逃れ、難破したと思えば善意の漁船が通りかかり、店内で無差別傷害事件が起きるのは秋穂が退店してから一時間後、毒入りの飲食物は別の者が先に摂る。もはやギャグかコントだ、と笑ってしまいたくなるほどだ。

 

 ――降谷さんとの仕事の合間、近辺の神社や寺を詣でては「秋穂がドイツから無事に戻りますように」と神頼みをした。

 組織の任務のためしばらく離れていた降谷さんと合流し、彼の運転する車で次の目的地へ向かう。

 

「彼女に依頼する予定だった仕事はどうなっている?」

「はっ、はい! 直近のHL案件については、民間協力者(あいつ)の協力が得られないことが分かってすぐ近畿局に二名の派遣を要請しました」

「……応援が二人だけで足りるか? はっきり言うが彼女だから一人でもなんとかなるのであって、僕たちでは四人でも難しいんだぞ」

 

 そう言われて汗が背中を伝った。言われてみればそうだ。秋穂だから「運良く」生き延びているだけで、普通なら骨折程度で済まされないような仕事ばかりなんだ。

 

「は……すみません! 今すぐ増員の要請をします!」

 

 HL案件――不運(ハードラック)案件の略だが秋穂は「ヘルサレムズロット系事件」と呼んでいる――は秋穂の豪運頼りの任務群を言う。死人が出ることが容易に想像できる危険な任務ばかりだが、秋穂はこれまでかすり傷以上の怪我を負ったことがない。

 毎度「死ぬかと思った」と言いつつもほぼ無傷で戻るし、それもたった三時間程度で事件を解決してくる。

 

 一人だけ生きている世界観が違う、漫画かラノベの主人公のような豪運の主。神話の世界から飛び出してきたような、たとえるなら『選ばれし者』とでも呼ぶべきだろうか。

 ご都合主義にご都合主義を重ねた実話の数々を聞くたび興奮してしまうのは確かだ。映画よりリアルなハードアクション活劇を本人視点から聞けるなど贅沢極まりない。

 開幕と同時に任務に飛び込んで、閉幕の頃には身なりを整えて平気な顔に戻る。そんな姿は、傍から見れば「気軽に世界を救っている」ヒーローのようだ。

 

 俺は、秋穂のそんな姿を見ていると自分の足元が揺らいで……自分のいる世界がどんな世界なのか分からなくなってしまう。自分はもしかしてラノベの主要キャラだったのだろうかとか、降谷さんと秋穂のダブル主人公ドラマなら俺は中継役で時々事件解決のヒントを漏らす役回りかなとか。そんな幸せな妄想が次から次に浮かぶのだ。

 ――俺はバカだ。日本を日陰で支える道を選んだ、ただの歯車の一つに過ぎないのに。

 

 好きで公安に入った俺と違い、秋穂は犯罪に巻き込まれてしまった被害者だ。あいつには、法を犯してでも金がほしいとか、成し遂げたい何かがある……なんてことはない。犯罪行為にふけって喜ぶ破綻者でもない。そこらの一般市民より善良でまともな人間だ。

 平穏な世界から引きずり離された秋穂はあまりに不憫で――ラノベやら刑事ドラマやらの妄想に被害者(あきほ)を利用している俺は鬼か悪魔だな。人の心がない。

 

 近畿局へ応援要員を増やすよう連絡を入れ、通話を切る。まっすぐ前を向く降谷さんの横顔は凛々しい。

 

「降谷さん――秋穂のこと、守ってやってくださいね」

「なんだ、風見? 突然何を変なことを。彼女は善良な協力者だし、組織を潰すためにも欠かしてはならない重要な人材だ。大事にするのは当然だろう」

「はい……今は、それでいいです」

「おいおい、熱でもあるのか。体調不良なら今度の任務から外れてもらうが」

「いえ、熱があるわけではないです! 自分はとても元気です!」

 

 助手席で座ったまま飛び跳ねたら「大人しくしろ」と叱責が飛んだ。当たり前か。

 

 ――俺の独りよがりな妄想ではないはずだ。

 秋穂の背中を支えるには降谷さんのように『どんな時にも自分の命を諦めない心』と『それを可能にするためのありとあらゆる知識と実力』を持ってないと無理だし、降谷さんレベルの超人はそうゴロゴロ転がってるもんじゃない。リアルにあぶ刑事(デカ)のカーアクションをできる男・降谷零は伊達じゃない。

 また、破天荒な才能と突き抜けた正義感を持っている降谷さんと足並み揃えて歩けるのはきっと秋穂くらいだろう。降谷さんがどれだけ暴走しても、何に巻き込まれても、秋穂が迎えに行けば二人とも五体満足で戻ってこられる。

 

 お似合いだ。俺には無理だ。笑ってしまうくらいに、パズルのピースみたくぴったりだ。全部解決したら結婚してしまえ。

 悪の組織が潰れたらヒーローとヒロインは結ばれてハッピーエンド、そういうものだろう。

 

 そういうものなんだ。

 

++++

 

 ユーロポール潜入中のピンガ――今は女装してグレースと名乗っているそいつに呼ばれて連行されたドイツにて。今ユーロポールで運用されている個人認証システムを乗っ取る計画があるから協力しろと言われた。近々日本の監視カメラ映像もユーロポールの監視カメラセンターと同期されるらしく、日本でもそのシステムが使われるようになるそうだ。

 

 やばい。とてもやばい……そんなことになったら、私が組織に隠れてやってる闇行為がバレてしまう。

 

「助けてアムえもん! カクカクシカジカで胸がボンボバボン!」

『――可能性は疑っていたが、やはり組織は既に手を回していたのか。老若認証システムが警察組織のみによって運用されるなら問題ないというのに……組織の幹部が潜り込んでいるとなると日本への導入は危険だな。君の身も危うい』

「うんそうなの!」

 

 私が舞台大好き人間であることは、組織の幹部と一部ネームレスにはよく知られた話だ。組織から受け取る報酬をほぼ全て舞台観劇に注ぎ込んでいることも、舞台俳優を追っかけて全国行脚していることも、同じ演目の舞台を(チケットが手に入る限り)五回も六回も見ていることも、知られている。

 

 上演中には携帯やスマホの電源は切るのが決まり。よって『任務後の私の回収のため』にインストールさせられている位置情報も当然途切れ――その間は私がどこにいるのか知られず、組織の連中にバレずに行動できるというわけ。

 それで何をしてるかと言えば警察の難事件解決のお手伝いである。

 

 それというのも遡ること四年くらい前、「推しと会ってくるから呼び出すなよ、絶対呼び出すなよ!」とジンとかジンとかジンにしつこく念押しして観劇に行った銀河○場で幼馴染と運命的な再会をしたのが切っ掛けだ。今から考えれば公安警察による計画的犯行と分かるけれど、当時の私は「すんげぇドラマチック!」と観劇ならぬ感激した。

 舞台なんて見てる場合じゃない、と喫茶店――何故か案内されたのは個室――に移動してまったりと再会を喜べば、幼馴染こと裕也くんはなんと警察官になっていた。私の両親のあれそれをよくよく知っている彼は「危険な連中に今も利用されているんだろう? 逃げよう――俺は警官だ。今の俺ならお前を保護してやれる」とイケメンムーブをかましてくれた。こんなの惚れてまうやろ、ノリノリで恋しちゃう。

 

 とまあ、惚れた腫れたは横においておいて。もちろん組織から逃げたい。逃げたいけど組織には明美ちゃんと志保ちゃんが捕まってるし、置いていくなんて無理。私は嫁さんと子供を捨てて修行したブッダにはなれないしなりたくないのだ……!

 今すぐ私を保護したい裕也くんと一人で脱出は無理と突っぱねる私の意見はもちろん平行線で、掴み合ったりメンチ切ったりしつつお互いの妥協点を探し――現状維持になった。結論が出なかったとも言う。

 

 それから色々あって私の「僕は死にましぇーん」なチートが公安のみなさんに広まり、死人が出そうな任務への参加を依頼されるようになって今に至る。

 と、いうわけで。組織が日本の監視カメラ映像を見られるようになったら、私が公安の人と入れ替わりマジックして別所でミッションインポッシブルしているのがバレてしまうのだ。それは大変困る……本当に困るのだ、私にとっても公安にとっても。

 

「あの、監視カメラネットワーク繋げる話、今から無しにできないかな……?」

『無茶を言うな』

 

 そんな風に我が身の心配をしていたら、志保ちゃんこと哀ちゃんが危機という寝耳に水の連絡が来て、私は頭がパーになった。

 

「エドガー・コナン・ドイルくん!! 哀ちゃんがうちに誘拐されたって!!??」

 

 まったく老若認証め! いらないことばかり!

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