ネカフェでドアを開けたらうつ病の男とどういうわけだか精神が入れ替わった。
精神が入れ替わったのに、精神病は元の体に置いてきたらしく、そこで理不尽に苦しむこととなった。
冗談じゃない助けてくれ。

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身も世もない

 ネカフェの個室に入ろうとしたら、向かい側にもちょうど誰かが入るところのようだった。そんなことは気に留めるほどのものでもなく中に入ったが、ぞっとするような違和感があり、思わず外に出た。おかしい、何がおかしいのかすらわからないが、今確かに確認して入ったはずの部屋が違う気がする。俺は確か椅子のある部屋を借りたと思ったが、これは横になれる方の部屋だ。それに位置も左端だった気がするのに、これは右端だ。後ろと間違えたのか? しかし後ろはすでに誰かが入っている上に、番号が違う。この番号の流れからすると正しいのは向かい側のはずだ、俺と同時に入ったやつがいたと思ったが。

 

 そう思って向こうを覗いてみると、世にもハンサムな男が向こうからもこちらを覗いていた。ていうか俺の顔だ。

 

 さすがに「うわっ」と声を上げてしまったが、俺の顔も驚いた表情で「ひぃっ」と情けない声を上げて引っ込んだ。まるでホラーのようだ。

 

 

 

 変な声を聞いてやってきた店員に謝ってから、改めて向かいの男との顔合わせをした。といっても相手は出て来ないから、強引に個室を開けてツラを拝んだのだが。相手は怯えたようにこちらを見たが、すぐにうつむいたようにして目線を合わせない。身長や体格は見たところほとんど変わりがない。

 

「どういうことかわかりませんが、あなたは私と入れ替わったようですね」

 

「はあ、そうみたいですね」

 

 自分の声を外から聞くと違和感があるものだが、思ったよりはいい声だ。ただ、自分はこんな弱々しい声はあまり出さない。たぶん腹痛とかで苦しんでる時ぐらいだ。

 

「どうしてそんなにうつむいているんですか?」

 

 そう尋ねてみると思いがけない答えが返ってきた。

 

「自分の顔が見たくなくて……」

 

「自分の顔を見たくないってどういうことですか?」

 

 よほど不細工なんだろうか。

 

「気持ち悪いというか……すごく変な気がするんです。鏡を見る以上に」

 

「俺が気持ち悪いってことか?」

 

 ムッとして聞き返すと、少し慌てた様子を見せた。

 

「そうじゃなくて……」

 

 その言葉に続く理由というのを待っていたが、出てくる気配がない。まあいいわと思って、自分の話を始める。

 

「私は今日はしばらくここで過ごしてから、仕事に行くつもりだったんだけど、このまま行くわけにはいかないな。あなたはどうです?」

 

「僕は……病院に行くつもりでした」

 

「病院? 何の病気なんです?」

 

「精神的な病気なんですが……まあ……うつ病です」

 

「なるほど、確かに身体に違和感はない。これがすごく痛いとか、苦しいとかだったら大変だったけど(俺が)」

 

「すごく苦しいですよ」

 

「それは心の問題でしょう?」

 

「いや、心の問題ではあるんですけど、それだけじゃなくて、やっぱり脳の病気でもあって、セロトニンとかいう物質がどうだこうだと、バナナを食べればいいとか言いますけど」

 

 相手がずいぶん切実に話をするので内心おかしみを感じた。

 

「ああ、納豆を食べたら長生きするみたいな話ですね。まあ、それはともかく精神科に行くなら都合がいい、私も一緒に行きましょう。医者に見てもらえばなんとか治るかもしれないし」

 

「それはどうですかね?」

 

「ところであなたはお名前はなんて呼べばいいんです?」

 

「あっ、あの、うつおと申します」

 

「うつお」

 

 さすがにそれは笑ってしまった。名前のままじゃないか。

 

「私はあきおです。短い間となるといいですが、ともかくよろしく」

 

 病院に行くのは二時間後らしいので、しばらくはこのままネカフェでお互いすごすことにした。財布とスマホだけはそれぞれ交換した。うつおさんの雰囲気が雰囲気だから何かオタクっぽいものが出てくるかとうっすら思ったが全然そうでもなく普通だった。

 

 こんな身体じゃどうせ仕事には行けない、当然、準備をする気にもなれない。漫画を読んでみたが、どうも頭に入らない。おかしいなと思った。自分としてはむしろ今の状況面白がっているんだがな。妙に不安定な感じ、これはきっと身体を動かさないからだろう。

 

 しかし入れ替わったお陰で部屋がマットになっててよかった、ちょっと、横になって時間を過ごすことにしよう。

 

 

 

「あきおさん、そろそろ時間なので、行きましょう」

 

 呼びかけられて目を覚ましたが、気分が悪い。水分が足りないのかもしれない。

 

「ああ、わかりました、ちょっと待っててください」

 

 俺はそう答えて、一旦ドリンクコーナーでお茶を飲んだ。それから荷物を持って、ネカフェから出た。

 

「病院はどこですか」

 

「〇〇病院ですよ」

 

「何時に予約されてるんです?」

 

「30分後ですね」

 

 俺は深く息を吸い、吐いた。今日は気持ちのいい気候のはずだが、どうにも息苦しい。

 

「車じゃなければ、歩いて行きましょうか」

 

「えっ、なんでですか」

 

 うつおは嫌そうな顔をした。

 

「どうも身体を動かさないと気が詰まるみたいなんです。というかあなたの身体、普段動かしてないでしょ、ガチガチすぎて苦しいですよ」

 

「はあ、それはすみません……。でもできれば早くついて、受付を通しておきたい気もするんですが。早めにしないと待ち時間がどんどん長くなるから。先に着いてから、後で身体を動かすのではだめですか?」

 

「それでもいいけど……待ち時間には待たないといけないのでは?」

 

「私が代わりに待って時間が来たら電話で呼びますから」

 

「なるほど。いや、まあ代わりにも何も元々うつおさんの診察ですけどね」

 

 皮肉ではないが、そう聞こえたかもしれない。「そうですね、すみません」とうつおは答えて苦笑し、それから病院までバスで行った。

 

 

 

 目的地は大きな総合病院の中にある精神科である。患者でごった返していて、俺は気が重くなったのですべてうつおに任せて、その辺を散歩することにした。

 

 病院というのはあまり行きたいところではない。通る人みな辛気臭くて嫌だ。ただ、建物は大きくて綺麗で日光がよく入ってくる。こういうところで患者としてではなく、働くのだったらいいかもとも思うが、でも……。

 

 ふらふら歩いていると、強い薬の臭いがする区画に来てしまった。ここはどこだろう、いやどこでもいい、早く戻ろう、とくるりと回って道を引き返した。もどり道で胃腸科に当たって、そこの患者らしき人が大声で怒鳴っているのが見えた。あまりにもげんなりして、耳を塞ぎたい思いで足早に立ち去った。

 

 

 

 どうにか精神科にたどり着くと、うつおが自分を探していたようで、急いだように近づいてきた。俺はどうしてかその姿を見て、自分の姿であるのだが、安心してしまったのか、急に近くのソファに倒れ込んだ。

 

「あきおさん、大丈夫ですか? 気分がわるいんですか? 今からもう診察呼ばれているんですが……」

 

「いや、無理、吐き気がする。ああ、電話が来ていたのか、全然気が付かなかった」

 

 うつおは慌てて自販機へ行き、飲み物を買って戻ってきた。

 

「これゆっくり飲んでください、あと薬も一緒に。飲めますか?」

 

「うん……えっ、これレモン果汁か。俺はレモンはだめだ。体質が合わない。吐きそう」

 

「体質なら大丈夫ですよ。僕はいつも病院に来る時これを買ってるんです。でも急いで飲まないように」

 

 うつおが俺を支えて飲ませてくれるので、迷惑とも感じたがしょうがなくそれを飲んだ。意外にも全然平気でおいしいとも感じ、しかも飲んでみたら自分が喉が渇いていたことに気づいた。

 

 だが苦しさはなお続いている。なんとも正体のわからない苦しみで、息がどこまでも浅くなった。

 

「薬も飲んだからそのうち効いてくるんじゃないかと思うんですけど、どうなんですかねえこういう場合」

 

「わからん。どうにもならないくらい頭が痛いし、気が狂いそう」

 

 そうはいうがうつおにもどうにもできるわけもなく、俺はひたすら苦しんでいた。看護師が周囲に来て色々聞いてくるが答える気にもならない。今までこんな人前で横になったことなんてなかった。

 

 思わずママパパと口走った。ママ、パパ、助けて、僕が悪かった。許してください、お願いします。どうしてこんなにつらいんですか。……神様!

 

 ちょうど腹痛か歯痛の時にこんなことを思うものだ。しかし症状はまた違う。治るあてがあるのかわからない、人生初のこの苦しみ。しかも人が見ているが、それを気にする余裕は今はない。

 

 

 

「助けて助けて」と身体を丸め頭を抱えて小声で訴え続けていたが、30分もしたら急に潮が引くように楽になった。起き上がってみせると、まだ心配そうにずっとそばにいてくれたうつおが聞いてきた。

 

「無理しないでいいよ、薬は効いてきたかな?」

 

「ああ、なんかわからないけど、良くなってきた。なんだったのかな。もう立っても平気だ」

 

「ほんとだったら薬はもっと早めに飲むし、わりとそういうの慣れてるんだけど、そうじゃなかったから急に気分が悪くなったんでしょう」

 

「うん、なんか、なんだったか忘れたけど途中でちょっと嫌だなってことがあって、そしたら一気に下り坂に来た気がした。死ぬんじゃないかと思ったんだが」

 

「やっぱり死ぬほどに苦しいもんだった?」

 

「ひどかったよ」

 

「一緒に診察行ける? もう少し休むか」

 

 黙って目をつむって、深い呼吸を繰り返した。何分かそうしていると、大丈夫そうに思った。

 

「もう大丈夫だ、行こう」

 

 立ち上がってうつおにそう伝えた。彼の後を着いて歩くと、小さな診察室に入っていった。さていったい今の自分たちをどう診断してくれるのだろうか?

 

 

 

 入ると年配で男性の医者は驚いたような顔をした。

 

「うつおさんと、そしてあなたはどなたですか」

 

 彼の方が先に入ったからなお驚いたかもしれない。うつおは口を開きかけて、その前にまず椅子に座った。

 

「実は……僕がうつおなんです。そしてこっちはあきおさん。僕たち入れ替わっちゃったみたいなんです」

 

 医者は表情を見せず、まず聞くわというように話をうながした。うつおの説明はまあ無難なもので、事実を整理して話しているのだが、それはあくまで自分も体験しているから理解が追いつくが、それを白紙から聞かされている方はどうだろうか。しかしこれを聞いている時点では自分も考える能力が落ちていて、必死にところどころ口を挟んで説明した。

 

 ところがその思いは通じず、こちらからすると血が通っているのかと疑問を持つほどの態度で、

 

「ではいつも通り薬を出しますので様子を見ましょう」ときた。

 

「ありがとうございました」

 

 震え声でうつおは俺も両手で押して退室させようとする。なんだこいつ。

 

 

 

 有名喫茶店に入ったが、こういうお店にしては珍しく空いていた。コーヒーを頼んでお互い腰掛けると、やにわに俺は言った。

 

「どういうことだ、あんなので帰ってしまって、何の成果も得られてないじゃないか」

 

 うつおは申し訳なさそうに答える。

 

「あなたのお気持ちはわかりますけど、そもそもお医者さんに信じてもらうのが無理だったのかなと……」

 

 なんという諦めの早さ、だからこいつはだめなんだ。

 

「大体、お前が言ったんだろ、医者に診てもらうって。そんなら最初から全部俺に喋らせろよ」

 

「患者はあくまで私ですから……」

 

「じゃあこの入れ替わりはなんなんだ、病気か? 更年期か? 何科に行けばいいんだ」

 

「大学教授とか博士とかに見てもらうのがいいのかもしれませんが」

 

「漫画じゃねーんだぞ、もう、元の通りにしようや、最初と同じように。あのネカフェでそれぞれまた入り直すんだ」

 

「それこそ漫画じゃないですか」

 

「漫画には漫画をぶつけんだよ」

 

 

 

 病院を出てすぐタクシーに入ってネカフェに出発させた。途中頭痛が起きた。うつおが背を撫でるが、正直邪魔ったらしかった。到着したら自分のスマホで金を払った。

 

 

 

 受付をしたが、あの部屋は片方しか空いていなかった。だが、適当にもうひとつ部屋を取って中に入った。とにかく同時に開けさえすればいい、それだけのことだ。

 

「いやです! 相手に迷惑じゃないですか!」

 

 うつおが主張するが、その強さはさっき出しておけと俺は言った。

 

「いいか、やれといったらやれ、でなければ、……ぶん殴るぞ」

 

 我ながらガキみたいな短絡的な脅迫をしているが、もう考えるのもめんどくさい。イライラが殺意にまで到達しそうな思いだった。

 

 前回と逆位置に身体を置いた。自分がカウントし、同時にドアを開ける。さて、どうなるだろうか。

 

 はたして我々は入れ替わった。元に戻ったのだ。

 

「そんな非現実なことがあるんだこの世界……ありえない、夢を見ているのか」

 

 うつおがぶつぶつ言っているが、こんなだからこいつは病気になるんだと思った。俺の方はすっかり元気になった。自分の財布とスマホを奪い返し、こっちの持ってたのを押し付けた。

 

「俺は仕事があるから、元に戻ったとなれば仕事に帰らせてもらう。もう二度と合わないことを望むよ、お互いにな。あ、精算は代わりにやっててくれ、時間がないから」

 

 と千円押し付けたがまだぽかんとした顔をしているから、さすがに何か言ってあげないといけないような気がした。

 

「うつおさん、あんた、あんまりぐだぐだ考えるより、行動しないとだめだよ。今回だって、やってみたら扉は開くんだから。案ずるより産むが易し、なっ」

 

 うつおは他の客に迷惑じゃないかと心配してそわそわしている。それがまた情けなく思う。

 

「他人にばかり甘えてはいけない。周りのことばかり考えるよりも、何が大事か考えるべきだ」

 

 相手が感銘を受けるかどうかなんてわからないが、ともかく自分が言うべきことは言ったので、あとは知ったことではない。

 

 店を出て、少し歩いて通りに出たらまたタクシーを呼ぼうと思ったが、ふと上着のポケットにペットボトルが入っていたことに気づいた。ちっちゃいサイズのやつだ。こんなの買ってたかなと思ったが、たぶんうつおが買ったんだろう。俺はこんなレモン果汁のものは飲まない。というか飲めない。ただ、喉がすごく渇いていた。まあこれを買ったんだから、そうだろうなと、特に何の気無しに試しに飲んでみたが、やはり合わない。ペッと吐き出したくなるのはどうにかこらえたが、中身があるままにその辺のゴミ箱に捨てた。




面白い話ではなかったとは思いますが何かしら気に入ってくれたら嬉しいです。
他にも書いていたり書く予定なので、よかったら読んで、あと応援して頂けたらとっても嬉しいです。

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