4-3『迫る、3シュトリヒの導火線』
突然視界が霞んでしまうほど程に揺れ、私は反射的にハンドルにしがみついた。
それは一瞬の出来事だったが、道路が崩れようとしてる事は容易に分かる。
すぐに顔を上げて脱出するだろう二人を掴もうとしたが、出だしが遅かった私は跳ぶ瞬間の彼女たちを見送る事しか出来なかった。
「……はあ」
伸ばしかけた手がそのまま座席を軽く叩いた。流石、ここ最近噂されている二人組なだけはある。
十件以上の強盗を繰り返してなお、今だに捕まってないのだ。比べる必要もなく、鈍臭い私とは動きが違うだろう。
やはりいつも通り遠くからハッキング出来るものを選択すべきだった。
初等部の頃から身体を動かすのが苦手で、目も悪かった。
その頃から性格が特殊だった私は、作り上げた砂の山を崩す様な奴で、周りから疎まれていたが、恵まれた事に友達は僅かにいた。
不思議なもので、自然とあぶれた者同士で過ごす様になったのだ。
だけどそれでも、周りの皆んなとちょっと違うなって感じていた。
ソレが浮き彫りになったのは中等部に入って少し経った頃だった。
「……モエちゃん、何で笑ってるの。……怖いよ」
「――えっ?」
1つのタブレットを立てて、皆んなで授業を見ていた時の事。
私達が見ていたのは二学年先の授業内容で、その映像の1つが、キヴォトス郊外のダム爆破事件だった。
不良生徒たちが爆弾を設置する際に誤って起爆し、その場に居た全員が濁流に呑まれて、下流にあった町へ水害を与え死者も出たという。
その映像をみて私は
実際の所ショッキングに思ってはおらず、だが顔に出ているとは思ってなかった。それも仕方ない事、私はそこで出会ってしまったのだ。
体中の隅々をゾクゾクと震わせ、頭の内を焦がす恋慕の様な悦楽を、その悲惨な光景で見つけてしまったから。
爆発で開いた穴から広がるように崩れていき、コンクリートが水と激流となって周りの木々をなぎ倒していく。
主犯の生徒たちも想像してなかっただろう規模の濁流が、そのまま町を襲い災害級の被害を被った。
悲しい事件かもしれないそのビデオを私だけが違った価値観で見ていた。
一方的な暴虐を尽くす力強さと死と隣り合わせの緊張感、それが自分の中で小さく燻っていた欲求を刺激した。
私は魅了されてしまったのだ、破滅的で刹那的な力に。
彼女たちはその時の私に何を見たのかは分からないけど、その場にいた全員が私に嫌悪感を露わにしていたのを覚えてる。
当時、同年代の生徒達と馴染めなかった私たちは、外で無邪気に遊ぶ事より、知識を得る為に殆どの時間を勉学に当てていた。
それは反抗心に近いものだと思う。身を寄せ合っていた私たちは、日向に居る彼女たちに勝るものが欲しくて、日陰者は日陰者らしく陰で過ごしていたわけだ。
私はどっちかと言うと日向寄りだったけど。ただ煙たがれる事を知った上で、浮いた雰囲気の中にい続ける事はできなかった。
まぁ、気味が悪がれた私は次の日からついに何処にも居場所はなかったけど。
だからそれからは一人で好き勝手にやった。
知識と技術をある程度持っていた私は、早速自分の居た校舎の兵器庫を爆破した。
初めてだったから今でも鮮明に思い出に残ってる。すごく興奮したし、とても気持ち良かった。
でも、直ぐにバレたから2週間の停学を受けた。兵器庫が無くなった校舎に興味はなかったから別に何とも思わなかった。
次は中小企業の軍需工場を爆破した。次はバレないように遠隔からハッキングしたし、足を追えないようにしたから上手く成功した。
そうやって次々と欲望のままに破壊活動を続け、もうすぐ一年になるという頃。
私はカイザーと対をなすエンペラー社が、ゲヘナで新型破壊兵器を売買する情報を手に入れた。
「……場所はゲヘナ郊外廃工場、……駄目だ近隣殆どの通信機器が止められてる」
電線自体はまだ生きているはず、もしやるとしたら現地に行って直接起動させるしかない。
だけど、エンペラー社の取引なら護衛が必ず居るだろうし、一人でその警備網を抜けるのは流石に無謀だろうか。
「いや、リスクが高いなら寧ろ……くひひ」
決めた私は下調べをした上で入念に作戦を考えた。リスクを取るのは好きだが、自ら失敗したいわけではなかった。
作戦は順調だったが半ばでアクシデントが起きた。
あの二人の事だ。まさか同じ情報を掴んでる奴がいると思ってなかった。
強奪しに来た彼女たちと起爆しに来た私じゃ目的が違い過ぎて、争いに発展すると思ったのだが、何の巡り合わせか一緒に逃走する事となった。
誰かと共に居るのは凄く久しぶりで、こうやって非日常的な事を誰かとやるのは初めてで、いつも一人で犯罪をするのとは違う楽しさを感じた。
手際の良い彼女たちのお陰で逃げる事も、爆発する所も間近で見る事ができた。
だから、
落下の衝撃も、積み荷に引火して起爆したとしても重症は免れないだろうが、流石にヘイローは割れはしないだろう。
ベルトをしてない故に徐々に運転席から体が持ち上がる。高速道路の高さを考えればもうすぐ地面に衝突するはずだ。
目を瞑りさっきの爆発を思い出しながら悦に浸る。今ままで遠くから見ていた分、直で見た臨場感は腰砕けになりそうな程に気持ちよかった。
「……邪魔になると思ってコンタクトにして良かった」
もし着けてたら粉々になるとこだったよ。
――いったい何が良かったって?
聞き流せば空耳かと思えるほど小さな声がした。
何かに腕を掴まれて身体を外に引き寄せられる。驚いて目を開ければそこに居たのは、先ほど飛んで逃げた筈の少女だった。
「なん――」
口に出そうとした言葉が衝撃によって途切れた。それは目の前の少女が、少女らしからぬ力で私を引き上げたからだ。
彼女の腕からはワイヤーが上の高速道路へと向かって伸びており、それを巻き取る駆動音と共に直上に急加速して登っていく。
間一髪だったのか後方で落石の鈍い音に交じって、派手に鉄が砕けるような音が響いた。
急加速により先ほど負傷した首に更なる痛みが走り顔をしかめたが、覆面のマスクを着けているせいで彼女には分からないだろう。
彼女は何気なく行っているが、こんな速度で急制動を繰り返せば普通の人なら肩が外れてしまう。
あの倉庫を脱出した時からずっと思っていたが、その小柄な姿から考えられない膂力と頑丈さは、キヴォトスにおいても類を見ない。
加速した勢いのまま私達は道路よりも高く舞い上がった。視界を遮る物が何もない上空からは、地中から噴き上げる間欠泉と暗いゲヘナ郊外が一望できた。
ゲヘナはキヴォトスでも三大学園に数えられるほど規模の大きい学園だが、他の二校と比較して治安が悪く日々争いごとが絶えない。
そのうえ生徒会である万魔殿はあまり活動的でなく、街の修繕などは後回しにされるためボロボロとなっている所が多い。
でも、私はこの景色がほんの少し好きだった。
「舌を噛むなよ」
上昇していた体が次第に落下し始めると、彼女は私の腕を引いて体を抱き寄せた。
周囲の壁にワイヤーを撃った彼女は振り子のように移動する。道路から離れて近くの屋上へと着地すると、ウサギのお面を着けた生徒が居た。
「何か私に言う事があるんじゃないですか!?」
「上手く着地できて偉いな」
あっけらかんと返された彼女は早口で小言を捲し立てるが、当の本人はどこ吹く風だった。
きっと彼女たちの間で何かあったのだろうけど、私の知る所ではないのだろう。
私を屋上の床に降ろすと彼女たちは会話が止まり、二人して此方を注視していた。
「はあ、結局助けに行ったんですね。見捨てるかと思ってましたが」
「……まあ」
確かにどうして彼女は私を助けたのだろうか。一度私を置いて行った事を考えれば、その気はなかった筈なのに、どうして身を挺して私の所まで戻ってきたのだろうか。
その疑問をそのまま口に出すと彼女は押し黙り、首元を軽く指で搔き始めた。
彼女の仲間は何も言わず見ているだけ、彼女本人は何かを言いたそうにはしているが一向に話し始めなかった。
でも、数秒の沈黙の後ポツリと静かに口を開いた。
「あのまま帰ったら飯が不味くなりそうだった」
「え?」
突然の食事の話題で虚を突かれ声が出たが、彼女は気にせず話を続けた。
「振り返った時、不満気な顔をしていた。気味の悪いお前なら笑ってそうだと思っていたのに」
「……気のせいでしょ」
何故か少し居心地が悪くなりそれを誤魔化すように手に持っていたアメを口に含んだ。あの時、崖際で気分が上がって話してしまった内容を彼女は気にしていたらしい。
本当にそれだけだったのか私との会話が途切れ、再び沈黙の時間が戻ってきた。聞こえるのは間欠泉の噴き出す音と地面を打つ水滴の音だけだ。
「……何で私が笑ってるって思ったの」
「お前がそういうのが好きだって言ったからだろ」
「そうだけど、気持ち悪いって思ってるなら助けなければいいのに」
自分でもよく分からない言葉が出た。
一体、何をしているんだろうか、助けて貰えたなら適当に感謝して消えればいいだけなのに。
「うるせえな、ならしょぼくれた顔なんかしてんなよ」
「だからしてないって!」
ついムキになって言い返してしまい、突然言い合いを始めた私たちを見て、ウサギの面の彼女は腹を抱えだした。
腹が立つチビ二人に憤慨しつつ、私はそもそもの理由がおかしい事を指摘した。
「大体飯が不味くなりそうって何?、そんなにお腹空いてるならアメでもあげようか?、食べかけだけど」
「いらないし、別に俺が好きにやったこと――……だ?」
彼女はそう言いながら自分の言葉に疑問を感じていた。本当に何なんだこいつは。
「好きでやったんじゃないの?」
「いや別に……俺は好きとか嫌いとかは分からない」
「何言ってんの?」
彼女は急に歯切れが悪くなり狼狽していたが、彼女は顔振って何ごともなかったように話を続けた。
「……あれだラパン、後方支援出来る奴さがしていただろ」
ラパンと呼ばれた少女は笑うのを堪えながら返事した。何が面白くて笑っているのかいまだに分からないが、彼女は私たち仲裁するように間に入った。
「リーダーが言うならそういう事にしましょう。……それでアナタはいつも一人でこんな事やってるんですか?」
「はあ、そうだけど私は誰かと組んだりしないよ」
話の流れ的に誘われる前に私は断った。誰ともウマが合わないから一人で活動しているんだ。よしんば組んだとしても合わないのは目に見えている。
だけどラパンと呼ばれた彼女は引き下がらず、話を終わらしてくれなかった。
「でも1人でやるより3人の方が確実ですよ?」
「……あのねぇ、私は誰かと一緒にってのが嫌いなの。一応感謝はするけどこの話は終わり」
屋上を見渡し非常階段を見つけると、彼女たちに背を向けて歩き出す。早く離脱しないと風紀委員が集まってきてしまう、囲まれたら流石に私じゃ逃げきれない。
「……私的には楽しんでいるように見えたのですが」
彼女の小さくなった声を聞き流しながら非常階段の扉に手を掛けたその時、聞き捨てならない言葉が耳に入った。
「そうか、お前取り残されて寂しかったんだろ」
無意識で眉間に皺が寄ったのが分かった。
寂しい、私が?、ドアノブから手を放して振り返ると、マスクを着けている筈の彼女と目が合った。
「トラックに飛び乗ってきたのもそういう事だろ、起爆するだけが目的ならあの時に俺たちを囮にして逃げればよかった筈だ」
言い返そうと思ったが上手く言葉が浮かんでこなかった。言いようのないイラつきのせいで、私は口に含んでいたアメを噛み砕いた。
「今の借りも含めて、手伝ってくれたっていいんじゃないか?好きなんだろ爆発させるのが」
「……そりゃ好きだよ、だから一人でやってんのさ」
私の趣向を理解できる人なんて居ない、みんな怖いって気持ちが悪いって私を突き放す。
自分がおかしい事ぐらい分かっているけど、わざわざ拒絶されるって分かっているなら、私は一人で好きにさせて欲しい。
「だから違う人を探した方がいいよ。私なんかじゃ邪魔になるだけ」
「……面倒くさいなお前」
彼女はおもむろにマスクを外した。赤に近いオレンジ色の瞳に、幼い顔立ちとは不釣り合いな目つき。
でもその体躯のせいか、どこかあどけなさが抜けておらず、その姿は中等部に上がってすらいない童子のそれだった。
彼女はどこからか棒付きのアメを取り出して口に入れた。それが私の物だと気づきポケットと触るといつの間にか1つ消えていた。
「……俺は好きな物がない、必要な理由が必ずあってそれが満たせれば何だっていい」
彼女は口の中のアメを舐めながら話を続けた。
「好きなことがある奴の考え何て分からないし。欲望に従順な気持ちも、楽しいと思う気持ちも興奮も分からない」
そんな話を何でするんだろうか、生きていれば誰だって好きな物の1つや2つ。やりたい事だって生まれるはずなのに、それが無いなんて私からしてみればあり得ない話だった。
「だから羨ましく感じるよ。……それで何だ他人が嫌がる何だの、お前引け目なんて感じるタイプじゃないだろ」
「アンタに何が分かんのッ!!」
自分でもびっくりする程の大声が出た。彼女の無神経な態度と物言いが私の言葉に怒気を含ませた。
なのに、彼女は狼狽える素振りもせず私の事を見ていた。
そのままゆっくりと歩いてくる彼女は見れば見るほど小さいのに、見た目からじゃ考えられないほど堂々としていた。
なのにその顔は、何処かつまらなさそうな表情をしていた。
「分かんねーよ、だから……」
――俺に教えてくれよ、物の楽しみ方って奴
私たちは噴き出している温泉のせいでじっとりと濡れていると言うのに、するりと彼女の服だけが水滴が落ちていく。
こちらに差し出してくれた手は濡れてはいなかった。灰のように白く、私の手より小さい、あの怪力の持ち主だと思えぬその手を、私はそっと手に取ってしまった。
「こっちから声が聞こえたぞ!」
「見つけ次第発砲して捕まえろ!」
周囲が喧噪に包まれ、建物のすぐ下からも声が聞こえた。想像以上に風紀委員たちの到着が早い、恐らく公道に出たタイミングで通報が入ったのだろう。
流石に急いで逃げるべきだ。途中から笑わず静かに見ていたラパンは彼女に近づいて声をかけた。
「……そんな殊勝な事言えたんですね。リーダー」
「よく分からないが馬鹿にされたことは分かるぞ」
彼女は私の手を一度ギュッと握り感触を確かめると、その場から手を放して隣の建物の奥所へと助走をつけて移動した。
着地して振り返る彼女はもうアメを舐め終えたのか、マスクを着けてしまい素顔が見えなくなっていた。
「早く撤収するぞ」
「そうですね、……ほら行きましょう」
軽々と跳んだリーダーに続いて、ラパンも私を誘うように隣の建物へと飛び移った。
「えっ、嘘でしょ」
「何してるんですかー!、早く行かないとー!」
リーダーはともかく彼女の事を軽視していたらしい、まさか同じように付いていくとは思わなかった。
チラりと下を覗けば4階層分程の高さは優にある。私が全力で助走をつけて飛べばギリギリ届くだろうか。
非常階段から誰かが駆け上がってくる音が聞こえる。行くしかないと思い、焦りで押される様に駆け出した足はしっかりと屋上の端を踏み切った。
「――ぅわあああああ!!」
しかし、勢いをあまり上へと持っていけなかったせいか、跳んだ瞬間に私はこれが届かない事を察した。
切なる思いで届いてくれと手を伸ばすと、寸での所で端に手を掛けたが、自分の体重を支え切れず持ちこたえる間も無く指が外れた。
「あっ――」
落ちると思った刹那、リーダーに腕を掴まれ引き上げられる。
しかし、私は屋上に足をつける事なく彼女の肩に再び担がれる事となった。
「遅い、しっかり捕まってろよ」
私が了承の返事をすると非常階段の扉が強く開け放たれた。勢い任せに開けた扉は、そのまま勢いよく壁を叩くと共に扉に傷つけた。
そこに居たのは校章の付いた制帽に赤い腕章、ゲヘナの風紀委員共だった。
頭数を揃えて来たのか階段の奥にも数人いるのが見えた。彼女たちは警告もせずに私たちへ銃を向けると即座に発砲した。
「見つけました!例の鴉と兎です!」
「撃て!とっ捕まえろ!」
「またこの流れか」
リーダーは毎度の事なのか彼女たちに溜息を吐くと、視界が動き出すのと同時にお腹へ強い圧迫感を感じた。
彼女が跳んだ事を理解する時には既に空中に居た。そして着地してはまた駆け出して跳躍する。
その度に衝撃がお腹に伝播し痛みと不快感を与え、目まぐるしく動く風景と伴って吐き気が込み上げてきた。
後を頑張ってついてくるラパンが、私を一目見ると顔を顰めて同情の雰囲気を醸し出した。彼女も過去に同じ経験をしたらしい。
一刻も早くこの苦痛から逃げ出したいが、彼女たちに追いつく事が出来ない私はされるがままでいるしかない。
気休めで開いていた手を口に当てると、私の様子を見た彼女は一言私に聞こえる様に言った。
「背中に吐いたら投げ捨てる」
「……」
肩から降ろされることになったのはそれから2時間後の事だった。
◇
◇
◇
・
◆
◆
◆
ゲヘナから走り始めて4時間ぐらいたっただろうか、風紀委員を振り切ったあと本気で吐きかけていた彼女を降ろしゴーストタウンへと戻ってきた。
さすがにコユキもここまで走り続けたのは堪えたのか、疲労困憊となった二人はビルの入り口で仲良く倒れ伏していた。
「……はあ、……はあ、素直に電車を使うべきでした」
「くひひ、はぁ……人って走り続けると、はぁ……気持ちよくなるって本当だったんだ」
コユキは呼吸を整えようと階段まで何とかこぎつけ、腰を下ろし服の内をパタパタと煽った。
もう一人は地面にへばりついて動かないが、顔を見るに気分は良いのだろう。
俺も疲れた気がしないでもないが、それは肉体的な疲労感と言うよりも徒労感に近かった。
トラックが紛失し成果も無い、それでも骨折り損と言うわけじゃない。
彼女が俺たちと共に来た事だ。ひとつ頭数が増えた事で今まで以上に安全かつ楽に動ける。
ゲヘナから帰ってくる道中、先生から後方支援の役割を大雑把に教えてもらう事で価値を理解することが出来た。
階段の前で倒れている邪魔な彼女を拾い上げようとして、ふと彼女を何て呼べばいいか分からない事に気が付いた。
「お前、名前あるか?」
「あるに決まってるでしょ」
彼女は上半身だけ体を起こして覆面を脱ぎ取った。白みを含んだ茶髪が被っていた覆面から放され肩にかかる。
ニタっとした人を不安にさせる笑みを浮かべるのその雰囲気は、やはり俺が彼女に対して思っていた退廃的な人間像と一致していた。
「ゲヘナ中等部二年、……本名でいいの?」
「本名は言わなくていいじゃないですか?私もリーダーの名前知りませんし」
俺もマスクを取って名前を言うべきか悩んでいると、コユキはお面を外して俺の代わりに返事した。
そういえば終ぞ名前を教えてなかった事に気がついたが、偽名で通していくと彼女が言うなら別に良いかと俺からは何も言わなかった。
「私も中等部二年生で同じですね!不本意ながらラパンって呼ばれてます!」
「俺は……カラス、何て呼ぶかは好きにしろ」
コユキに倣いマスクを外して簡潔言うと彼女は顔を悩ませた。コユキとは違う瞳の奥で聡明さを感じさせるその表情は俺に向けられていた。
「まあ、私もリーダーって呼ぶけど、リーダーも同じ二年生なの?」
「知らん」
「……記憶喪失って奴?」
「このくだり前もやったな」
ここに来る以前の事は曖昧ながら覚えているが、やはり先生がいう共に居た時の記憶は全く思い出せないままだ。
――いや、高速道路での奴との会話の際に浮かび上がった光景、あれはひょっとして先生との記憶じゃないだろうか。
頭を捻りながら今だに動かないでいる彼女たちを避けて階段を登る。
あの景色の詳細を知れないかと思い出そうとするが、さっきの様に鮮明に浮かび上がらなかった。
「リーダー!結局名前どうするんですか!」
コユキの横を通った際に足を掴まれて引き留められた。そうだった彼女の名前どうするかを決めていなかった。
「でも、俺が決めるのか?」
「私はそういうの苦手ですから」
コユキが苦笑しながら俺に任せるが、肝心の本人次第だろう。
だが、聞いてみれば彼女は何でも良いというのでパッと思いついた候補を口にしながら考える。
「……Ostrich、……Struthio、……あ〜」
ただ何かから持ってくるだけじゃいやだな。ラパンの様に皮肉めいた名前にしたい。
「シュトリヒでどうだ?」
「シュトリヒ?」
「ああ」
気に食わなかったら自分で考えてくれ、そう言い残して俺は階段を登った。
彼女たちはまだ休んでいたいのか、ついてくる様子はなかった。
『シュトリヒ……、コウノトリか?』
「違う」
コウノトリは飛べるから彼女には合わない。だから空を飛ぶことが出来ないダチョウから持ってきた。
『だったら……ああ、そういうことか』
ダチョウというヒントだけで先生は気づいたらしい。まあ、男性の様な名前なうえ少し長くて呼びにくいが慣れるだろう。
部屋の扉を開けようとすると、中から押し出るような力が手に伝わった。
中を覗くと正面の窓が開いており、そこから扉へ真っ直ぐに風が通っていた。そういえば出て行く時に開けてそのままだった事を思い出した。
自分のハンモックに近づき、床に置かれたままだったポテチの袋を拾い上げる。
袋を軽く揺すると昼間のが残っており、その僅かな残りを全部口に流し入れた。
「……?」
時間を置いたせいだろうか、食感が全く変わっており同じ物だと思えない程だった。
やや固くなったのか口に残る感触が異物感となってしまい、口当たりが酷いことになっていた。
不思議に思いながら空となった袋は丸めて投げ捨てる。既に落ちていたゴミが他のゴミを小突いた。
ハンモックに深く腰掛け、近くにあったジュースを手に取る。こちらもすっかり温くなっているが気にせず口をつけた。
「わあ、やっぱこっちの方が風が通るので涼しいですね」
「ここをアジトにしてるの?……汚な」
静かだった部屋は二人が入ると騒がしくなった。コユキはいつも通りの独り言だが、もう片方はただの文句だった。
コユキは窓に近づいて風を浴びているが、室内の様子を眺めている彼女は、足元にあったゴミを部屋の隅へと蹴り飛ばした。
「この棟空き部屋があるでしょ、一室貰うからね」
「全然余ってるのでいいですよ。……あっ、ただシャワーが隣の部屋にしか無くて、トイレは一階のしか使えないです」
この建物は3階立てで部屋がいくつもあるが、俺はこの部屋しか使っていない。
逆にコユキはこの部屋とは別に自分の部屋がある。だが、暇になるといつもここ来るので恐らく自室に居るよりここに居る時間の方が長い。
「あー、シャワー使いたい。汗だくだから使ってもいい?」
「いいですけど着替えとかあります?デリバリー頼むので一緒に頼みます?」
「デリバリー頼むの?」
やいのやいの二人集まっては姦しく、何が必要だとか何を食べるかだとか相談しだした。
資金源を管理しているのはコユキなので、何を買うも基本的に奴に任せている。
個人の金と二人の金で一応分けているらしいが、実際どうなっているかは知らない。
「リーダーは何でもいいですよね」
「麺以外だったらな」
「分かってますって」
デリバリーが届くまでの繋ぎでポテチを開けようと思い、隅に並べられていた段ボールを開くが中には食べ終わったゴミが入っていた。
隣の箱も開けてみるが同様にゴミしか入っていなかった。
「ラパン、無くなったから補充」
「えぇっもう無くなったんですか!」
段ボールを全て角に追いやり、床に転がる物も全てを足で寄せていく。
丸く潰された菓子袋や空になった缶とペットボトル。それらがカラカラと音を立てながら一か所に集まると、段ボールと合わさって俺三人分程の大きさとなった。
一通り綺麗になった所でハンモックに戻ろうとすると声が掛かった。
「普段から掃除したら?」
「いつもしてる」
「嘘でしょ……」
疑いの眼差しで見られるが本当の事だ。現にこの部屋で虫や鼠が湧いているところを見たことがない。
しかし、スマホから顔を上げたコユキが呆れた目をして俺の方を向いた。
「私が毎度業者呼んで掃除してもらってますからね」
「此処は身を隠すための場所だよね?」
「そこら辺は気を使ってますって」
「……じゃあもしかして」
何か気になったのか俺の方に近づいてくると、肩に顔を近づけて小さな鼻息を立てた。
突然臭いを嗅ぎだした彼女に驚いたがやがて顔を離すと怪訝な顔をしていた。
「臭くはないけど、何だろう樹脂みたいな匂いがする。風呂は入ってるの?」
「……確かにリーダーがシャワー使った所を見たことないです」
コユキがハッと顔を強張らせた所を見ると、恐らく気づいたのだろう、だがそこまで驚く事だろうか。
「そりゃ1回も使ってないからな」
それを聞いた二人は俺に対し逃げの構え取った。”最後に入ったのはいつ?”と聞かれ素直に一度も入ったことないと言うと、さらに反対側の壁まで距離を取るように逃げた。
「あり得ないです!汚いですよ!」
「2週間とかならまだしも今まで一度もないとかマジ?」
「水浴びるの嫌いだし、別に支障ないからいいだろ」
「とにかく入ってください!」
面倒くさくて無視しようと考えたが、どうせデリバリーが来るまで時間を持て余すし、見たことない気迫のコユキに押され続けるのも居心地が悪い。
溜息をついて部屋の外に出て隣の部屋に向かおうとすると、コユキが後を追って俺に付いてきた。
俺がそのまま逃げるんじゃないかと思い監視しに来たらしい。その後ろには彼女も居た、来たばかりの場所で一人になるのが気まずかったのだろう。
隣の部屋は物が何も置かれてない部屋だったが、二部屋を一部屋に繋げた大部屋だった。
一部の壁が鏡張りになっているが、元々何の用途で使われていたかは分からなかった。
「そこの扉の先がシャワールームです。タオルと服は私の使ってください」
「お前のを?着れんのか?」
「大差ないですよね?」
怒気を感じる言葉から逃げる様に。個室に入って扉を閉めると流石に中までついては来なかった。
「はあ、先生――――」
◇
◇
◇
・
◆
◆
◆
先生に使い方を教えてもらいながらシャワーを浴び、個室を出ようとすると目の前で仁王立ちしている二人が居た。
「何だ待ってたのか」
「……はぁ、この人もう」
「……頭濡れてるし、着替えてすらいないね」
そのまま出ようとするとコユキが俺の肩を掴んだ。
「……シュトリヒさん、この人とシャワーに入ってもらってもいいですか?」
「くひひ、早く入りたかったから別にいいけど」
コユキは俺を再びシャワールームに押し込もうとするが、それを拒否するように全身に力を籠めた。
変わらぬ体躯だと言うのに、一方がこうもびくともしないのはさぞかし不思議な光景だろう。
「ちょ、ちょっと何で入ってくれないんですか!」
「出る」
「早すぎます!2分もたってなかったですよ!」
『……だから待てと言ったのだ』
確かに先生にも言われていたが、頭の上から水を浴びる感覚が気持ち悪く、視界も見えない事もあって長く浴びていたくない。
俺は体が何故汚れていないか気になって入ってみただけで、体を清潔にしようと思ってきたわけじゃない。
それに実際、あり得ない事に本当に汚れていなかったのだ。
肩を押されながらも出ようと思ったが、コユキの一言で足が止まった。
「もうお菓子買いませんよ!」
「……嘘だろ」
俺の動きが止まった隙に一歩踏み込まれ中へと押し倒される。
いや、考えてみれば俺の金なんだから奴に決定権何て無いはずだ。だがそう考えている内に、彼女は起き上がり部屋に二人を残して扉を勢い良く締めた。
「諦めて入れば?」
「……分かったよ」
ここで意地を張って入らないのは何だか情け無く感じ、諦めて彼女と共にシャワーを浴びる事にした。
先生も彼女たちの味方で俺の事を助けてくれない。いや、こんな事で助けを求めたら本当に子供と変わらなくなってしまう。
籠に服を脱ぎ捨てさっさと浴室に入る。シャワーそのものは二つあり、彼女と入ったとしても問題は無かった。
さっき使った所に入りバルブを捻ると、頭上から水が降ってくる。
「スゥ……ハァ……」
首元から足元に流れる冷たい水が全身にゾワッとした悪寒を与え、堪らずその不快感に息を呑み、肩が震えた。
シャワーから流れ出る水が床を叩き続け、耳の中を這う水滴のせいで耳が聞こえにくくなる。
気を紛らわそうと、口の周りに滴った水を舐めると水の味がした。
「何してんの?って冷た!」
背後から声が聞こえた気がして振り返る。顔を掛かる水を拭い僅かに目を細めて開けると、霞んでしまっているがすぐ真後ろに彼女が居た。
彼女はそのまま俺に迫る様に近づき、俺の使っていたシャワーのバルブをいじった様に見えた。
すると水が緩くなったと思えば、段々と暖かいと感じる程にまで水温が変わった。
「シャワーの使い方も分からないの?」
「入った事ないって言っただろ」
彼女と並んで立つとコユキとは違って身長差があった。
俺からだと見上げる形になってしまい、目に水が入らないように瞑っているせいで何も見えない。
「……ぷっ、もしかして目を開けられないの?」
「目に染みるだろ、それより隣空いてるはずだろ」
「石鹸がこっちにしか無いんだよ、ホラ洗ってやるから前向きなって」
肩に手が置かれ身体を回されると、彼女は俺の後ろ髪を手で梳くように洗い始めた。
この何も見えない状況下で後ろに立たれるのは恐怖でしか無かった。
しかし、時々耳の縁を掠める指がこそばゆくて、誰かに頭を洗って貰うのは存外悪くなく、手を振り払うという考えはいつの間にか消えていた。
「妹とか居なかったから新鮮」
「お前の兄弟になるのは御免だ」
「……自分の歳も分からないの?」
前髪が持ち上げられ後ろに流され、そのまま前から後ろへと指の腹で軽く擦る様に洗われる。
今の年齢、初から数えてないせいもあって分からないが、あの修道院を抜け出して2回は雪の時期を経験した。
当時周りにいた年が近そうな奴の年齢と一緒だと考えると――
「今……9?か10?」
「…………まあ、それぐらいかなぁ」
彼女は頭から手を離すとお湯を止めた。終わりかと思ったが側にあったボトルの蓋を押すと、出てきた液体を手で泡立てて再び髪の毛を洗い始めた。
「……まだ洗うのか」
「シャンプーぐらいした方が良いよ女の子として」
そう言われても実際の所は男性なので分からない所ではあるのだが、今は女性の体なのでそう言われるのは仕方ないだろう。
髪の毛を撫でる様に洗う彼女はまるで思ってなさそうだが、こうやって二人で浴室に居るのは恥ずかしいと思わないのだろうか。
シャワーが止まった今、浴室内はただ髪を洗う音と彼女の静かな息遣いしか聞こえない。
段々と今何をしているのだろうかと、自問自答の思考に陥りかけたが寸での所で帰ってきた。
「名前、アレどうやって決めたの?」
「ラパンと同じ様に良さそうな奴を言っただけだ」
「まるで私がコウノトリに似てるって事?」
「全然違う」
先生にも言った様に彼女にも正解へ導く様に話す。しかし、先生とは違って彼女は余りしっくり来ていない様だった。
これで分からない様なら、尚更この名前は彼女に合っているだろう。
考え込んでる声を聞いて笑っていると、仕返しのつもりか突然お湯をかけられる。驚いて泡が目に入ってしまい痛かった。
「まぁ何でも良いって言ったの私だし、別に良いんだけどね」
「そーかい」
「渾名とか愛称ってのをつけられた事なかったから」
「……そーかい」
別に同情してるわけじゃないが、彼女の性格を考えれば周囲の人間にどのように扱われるかは想像が出来る。
彼女本人は何気ないように語り、破滅的な欲望に溺れるように振る舞っているが、それでも根の部分ではやはり普通の少女なのだろう。
「ラパンの名前は知ってるの?」
「一応な聞いてもいないのにアイツが勝手に話した」
「なら、私も勝手に言うよ」
バルブが締められて、お湯が止まる。
「――風倉モエ」
「リーダーより2つ3つ歳上の、爆破する事が趣味な頭の足りない変人だよ」
くひひ、と笑う事が聞こえた。
モエの表情を見る事は出来ないがどうせ、何を爆破するかでも想像しているのだろう。
その趣味を理解できるとは思わないが、彼女を通して俺も心踊る何かを得る事が出来るだろうか。
シャワーを共に出た際、今まで下着をつけてない件でまた一悶着起きた。
大体夏の暑さのせいです。(4敗)