「どうして、もうこんな汚くなってるんですか!?」
ある日、雑然たる部屋の様子を見たコユキは部屋の入り口で悲鳴を挙げた。
まあ、叫びたくなるような不満も少しは理解できる。
何せ前に業者を呼んで貰い、掃除してもらってから三日しかたっていない。
ハンモックから首を傾ける様に様子を伺うと、ぷすぷすと怒っている彼女の顔が見えた。
それでも汚部屋となったこの空間に踏み入りたくないのか、部屋に入らずその場から文句を飛ばしてくる。
悲しきかな、その声は俺をすり抜け開いている窓へと向かっていった。
騒がしい彼女を無視し背を向ける。ほっとけばいつかには業者を呼ぶのだから、放置しても問題はないだろう。
そう思っていたが背後で物を踏み潰す音と人の気配がし、慌てて振り向くとコユキが部屋に入ってきていた。
その手にはどこから持ってきたのか、半透明のゴミ袋を片手に次々と床に散らばっている物を纏めていく。
「……あいつらを呼べばいいだろ」
「そう簡単に言いますけど、顧客情報を本当に他所に漏らさない清掃会社ってレアなんですよ」
「そうか」
「毎度呼びだしてはいますけど毎回会社は変えてますし、これでも気を使っているんですよ」
「そうか」
「そうか……じゃないんですよ!!」
コユキは声を張りながらペットボトルを地面に叩きつけた。空っぽで何も入ってないペットボトルは、床に転がる缶とぶつかり、跳ねて、部屋の隅に掃き貯められたゴミの山に当たった。肩で息をしてる様子を見るに、どうやら相当に怒っているらしい。
彼女の様子を横目にペットボトルの落ちた先を見ていると、床へ落ちた際に近くのゴミが不自然盛り上がる様に動いた。
その様子を俺が静かに指さすと、その光景と物音を目の当たりにしたコユキは固まってしまった。
「ちょっ、ちょちょっもしかして鼠じゃないですか!?」
震えながら話すコユキにそう言われると、確かに大きさ的には大きめな鼠ぐらいはありそうだが、そう考えてもかなり大きいと感じてしまう。
「本当に鼠か?」
「私無理なんでリーダー捨ててきてくださいよ」
「ほっといても何もしないって」
面倒だし進んで触りたい物でもない。怖がるコユキに断ろうとすると、彼女はライターを取り出して火をつけた。
「まとめて燃やせば楽で良いですよね?」
「……まあ、捨てておくに越したことはないか」
ライターの火を虚な目に映す彼女を恐れ、重い腰を上げてハンモックから降りた。
銃弾を恐れない彼女たちでも鼠は恐れるらしい。俺からしてみれば居ても得することもないが、前はよく見かけていたものだから、今見ても何とも思わない所はある。
小さく揺れるゴミの山へと近づくたび、足を動かすたびに、ビニールの音や潰して割れるような音が足元で響いた。
その度に盛り上がったゴミは微かに震え、ゆっくりと逃げようとしているのが分かった。逃げられるのは面倒だと思い途中からなるべく音を立てないよう進む。
だが目の前まで来た瞬間、ゴミの中で音を立てながら動き出した。重なり合うゴミの隙間から暗い銀色のような尻尾が見え、反射的に手を伸ばして掴み取る。
ゴミの山からくぐもった小動物らしい悲鳴が聞こえ、そのまま逆さづりになるように引っこ抜くとその正体が分かった。
「……猫じゃないですか!」
「鼠にしてはでけえと思った」
灰色の毛並みに黒い縞模様がある猫、先生がサバトラと教えてくれた。
コユキは鼠だと思っていたものが一転、猫と分かると触りたいとばかりに俺の方に寄って来た。
不用心に近づくと怯えて逃げると伝えようとしたが、近寄って来たコユキが怖かったのか、宙吊りのまま暴れ出した。
思わず反射的に手を離すと、コユキの手を避ける様に窓へと真っ直ぐ逃げて行く。
そのまま外へ逃げ出すのかと思いきや、しなやかな体を方向転換させダンボール箱の影へと姿を消した。
「俺が居ない時に窓から忍び込んだなコイツ」
「何冷静に分析してるんですか、早く捕まえましょうよ!」
嬉々として箱に飛びかかるコユキだったが、それと同時にまた猫が逃げ出した。
賢い猫なのか逃げ先を絞らせないよう、飛び出しては自身の体を隠せる所へと向かって行く。
コユキは必死に追いかけるが、ここぞという所で足元を抜けられては逃してしまう。猫の方が一枚上手らしい。
「リーダー手伝ってくださいよ!」
「猫ならもう放っておいて良いだろ」
「捕まえてペットにします!」
「……好きにしろ」
呆れて出たため息も、奴らの追いかけっこの騒音で掻き消された。
付き合いきれなくなった俺はハンモックで横になった。
「コラー!、待ってくだ……ギァアアァア!!」
「猫に負けてどうする……」
顔を思いっきり引っ掻かれたコユキはそれでもめげずに追いかける。
猫に翻弄されるコユキを眺めてるのも始めの内は面白かったが、駆け回る2匹の所為で部屋は荒れていき、その騒がしさに嫌気がさしてきた。
「やっと追い詰めましたよ〜、大人しく私の――」
背を向けていたコユキの襟元を掴み、その隙に俺の傍を通ろうとした猫の首根っこも掴む。
両者共に状況を理解できないまま、2階の窓から投げ捨てる。
「――えっ?」
「騒がしいから外でやれ」
空中で目が合ったコユキにそう告げると、彼女の姿は悲鳴と共に下へと落ちていった。
鈍い衝突音が1つ響き、窓枠に近づいて見下ろしてみると、猫の方はスマートに着地したのか何ともない様だが、彼女は顔から行ったのか隠す様に顔を摩っていた。
「……〜ぃ痛ったいですね!、乙女の顔に傷でもついたらどうするんですか!」
「丁度いい、ついでに俺の飯買ってこい」
「話を聞いてくれない!?」
顔の痛みに涙を流すコユキをよそに、猫は道路を超えて逃げ出した。車が通る事が滅多に無いこの町じゃ轢かれることも無い。
「あっ!、もうッ!」
慌ててコユキも立ち上がって後を追いかける。
先の騒がしさが一転、風の音が聞こえる程に静かとなった。
腰を持ち上げ窓枠に腰掛けて、走って行く二匹の後ろ姿を遠くから眺める。
果たして猫を捕まえる事は出来るだろうか。俺の予想じゃ半々だが、もし賭けるなら猫の方にベットするだろう。
路地裏の細道へと消えたのち俺は瞼を下ろした。息を吐き全身の力を抜いて体を軽くしていく、窓を通り抜ける風が身体を撫でる様にそよいでいる。
その心地よさに身を任せていると、風の音に紛れて何かが聞こえた。
「…………ハァ、そう言うことか」
風に攫われる様に俺は窓の外へと身を投げた。
◯
◯
・
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●
薄暗い路地裏を駆け抜けて住宅街まで出ると、民家の塀の上に自然と溶け込んで歩く灰色の猫がいた。
「見つけましたよ!」
声を上げた私に気づいた猫は驚き再び駈け出した。塀の上という狭い足場だが猫にとっては丁度いいのか、降りることもせず逃げ続ける。
道路を堂々と走るが意識してないと見失いそうだった。普通に考えれば単純な走力では猫の方が速い。だが、猫は長い時間を走り続けることはできない。
このまま見失わないように追い続ければ、いつかスタミナが切れるだろう。もし捕まえるとしたらそこを狙うしかない。
塀沿いに走りながら考えを巡らせていたが、突如猫の姿が塀の反対側へと消えてしまった。慌てて速度を上げ見失った所に近づき塀の穴の覗き込んだ。
その先は民家の庭だった。誰の手も付けられていないせいか、伸びっぱなしになった芝生が揺れ動いており、そこから腰ほどの高さのワイヤーフェンスを爪を引っ掻けよじ登る猫の姿が見えた。
「この程度!」
覗いていた穴に足を駆ける様に跳び、自分の身長よりも高い石造りの塀を上る。塀から顔が出るとフェンス越しに猫と目が合った。
「普段からパルクール染みた事をしているんです。諦めて私のペットへと……あっ!待ってください!」
塀の上に立ち猫へ向かって口上を述べようとしたが、聞くそぶりもせずその場から逃げ出した。
庭に飛び降りて自由に生い茂る芝生を踏み倒しながら追いかける。
猫はフェンスを上っては隣の庭へと移動していく。今がチャンスだと思い速度を落とさずハードルの要領で飛び越える。
家三軒分あった差が瞬く間に縮まり手が届くと思ったが、捕まると感じたのか猫は右へと急転換し私の手を避けた。
「何でぇ!?」
横に逸れた猫はそのまま近くにあった塀の穴に飛び込んだ。奥へ行かれる前に尻尾を狙い掴みかかるが、細くふりふりと動く尻尾を掴むのは難しくまたもや手が空ぶった。
見失う前に塀を登ろうと思ったが先ほどの塀よりも少し高いうえ、側面に穴と呼べるものがなく足掛かりにできる所がどこにもなかった。
猫が入った穴は老朽化で崩れてできた小さな穴で、大人の腕程の広さしかなく私がいくら小柄だとしても通ることはできないだろう。
「――ギリギリですかね」
塀から離れ助走をつけられる距離を取る。リーダー程上手く出来るわけじゃありませんが少しなら大丈夫な筈。
垂直にそびえ立つ塀に向かって走り出し、ぶつかる前に塀の上を目掛けてジャンプする。勢いづけた体が僅かに塀に張り付かせ、一歩二歩と慣性が消える前に壁を蹴って上へと手を伸ばす。
何とか指先が塀の淵にひっかかり、外れて落ちる前にもう片手も淵を掴む。靴の裏を塀の側面に何度も擦らせながらよじ登ると、塀の向こう側が目に入った。
猫が次に逃げ込んだのは建設途中で放棄された工事現場らしい。さび付いたクレーンに、野ざらしの鉄筋、寂しく揺れる足場幕先に、吹き抜けで静謐な何もない作りかけの建物が見えた。
飛び降りて周りを見渡すと猫が通っただろう穴はちゃんとあった。なら近くにいる筈なのだが、姿どころかその影すらも見えない。
小走りで周囲を捜索すると大量の配管が散乱している場所があった。恐らく纏めてあったのだろうが風化していつか崩れてしまったのだろう。
隠れられる場所はそこしかないと思い近づくと、カツカツと足音が何処からか聞こえた。手前にあった配管を覗くと何も居ず暗い筒の奥にぽつんと光る反対側の穴が見えた。
手当たり次第に次から次へと覗いていくと、八本目にして可愛らしい灰色の尻尾とお尻が見えた。どうやらこの子は雄らしい。
「ふふふ、これは残念でしたね」
この配管の先へと先回りし出てくるのを待つことにした。出口を見つめながら構えて待っていると直ぐにひょっこりと顔を出した。上から見る猫の頭は少し汚れており、耳の先に土がついていた。
まだ早いと心の中の自分を抑え、胴体が出てくるまで息を潜める。猫はすんすんと鼻で息をしながらゆっくりと体を出す。首が見え、前足が見え、背中が見えた所で静かに手を伸ばす。
そして、ある程度手が近づいた所でお腹に腕を回すように抱え上げた。
「よしっ!捕まえました」
骨を鳴らすような低い声で驚いた猫は逃げようと腕を噛んできたが、服の上から噛まれたところで圧迫されている程度でしかなく、そのまま抱えていると次第に噛む力が弱まり抵抗しなくなった。
「あれ案外大人しい、もっと暴れると思っていたのですが。」
散々追いかけまわしたからもう体力が残っていないのだろうか、腕の中で服を噛み続けているままアジトへと連れて帰った。
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◯
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アジトに戻るとリーダーは荒れた部屋の真ん中で段ボールの箱の上に座って待っていた。そういえば部屋は汚いままだった事を思い出した。
「……それが俺の飯か?」
「ちょっと私の猫を食べる気ですか」
冗談だと思うが本当に食べてしまいそうな気がして猫を体で隠す。この子は私のペットにするのだ。
だいぶ大人しくなった猫の頭を顎で撫でつける、野性味にあふれる匂いが鼻下から漂った。
ぐりぐりと動かす度に不満気な泣き声が喉奥から聞こえるが、もはや噛みついても来ず全く抵抗しなかった。
「お前本当にそれ飼うのか?」
「そうですけど、駄目ですか?」
そう答えると呆れた様な溜息を吐かれた。……猫が嫌いなのだろうか、何かペットとか嫌いな性格してそうですし。
外に返すべきか悩んでいると、箱から降りたリーダーが私に近づき猫の頭に手を乗せた。不快だったのか猫は2秒足らずでその手に嚙みついた。
特に痛がりもせず驚きもしないリーダーは静かに手を噛まれていたが、流石に噛まれ続けるのは嫌なのか手をゆっくりと引いても猫は全く離してはくれない。
猫の様子を見るとすごい表情で噛みついている。全くその素振りを見せないが痛くはないのだろうか。
結局、リーダーは付き合いきれないと思ったのか、力づくで振りほどいて手から離させた。
「……ついてこい」
「……?、……はい?」
手をプラプラと振りながら私を置いて行くように横を通り抜ける。理由が分からず首をかしげるがその後を黙ってついて行く事にした。
アジトを出てリーダーの後ろを黙って歩ていると、アジトの建物の脇道に入り裏手側へと進んでいく。
そこは元々共用のゴミ捨て場、今は回収する人もおらず汚れたまま放置されたダストボックスが残っている。
「ここがどうかしたんですか?」
「……見れば分かる」
リーダーは近づいて箱の蓋を躊躇なく開けると、箱の中に居たハエが飛んで出て行った。
中に何かあるのかと覗くとしたが、抱えていた猫が暴れて腕をすり抜けた。突然の事で驚きの声が漏れ、逃げると思った猫はそのまま箱の下にあった僅かな隙間へと消えた。
追うように屈んで下を覗くが猫の姿は見えず、その代わりの様に箱の底は穴が開いているようで光が地面へと漏れていた。
箱の中へ逃げたと分かるや否や頭を上げるよりも早く、箱の中から多数の鳴き声が聞こえた。
リーダーの隣に並ぶように箱を覗くと、汚れた衣類の上で身を寄せ合う3匹の子猫が居た。
「子供が居たんですね……」
帰ってきた事で安心したのかミャウミャウと鳴く子猫たちだが、私たちの事に気づくと怯えて隅へと逃げて行った。
狭い角で身を寄せ合うように団子状になっている姿はとても可愛らしいが、怯えて震えている所を見ると申し訳なさが生まれた。
そして子猫たちを守るように前に立ち、尻尾を立て喉奥から唸るような鳴き声を出すその猫は、子供を守ろうとする親猫のソレであった。
「いつからかは分からないが、餌を求める内に俺の部屋まで来たんだろう」
そう言って開けた蓋を静かに閉め、私を見て言葉をつづけた。
「全部飼えるか?」
「……いえ、帰りましょう」
それを聞くとリーダーはそっと箱から離れ、少し名残惜しかったが私も離れる様に後を追った。
アジトへ戻る道中、横に並ぶように歩きながら何故子猫たち事を知っていたのかを聞くと、ただ単に私たちを追い出した後、子猫たちの鳴き声が聞こえたらしい。
一体どんな耳をしているんだか、リーダーの人外っぷりは今に始まった事ではないが、その身体能力の高さは舌を巻く他ない。
そう思っていると、突然の歩くのを止め静かに言葉を切り出した。
「お前は……」
「……?、何ですか?」
言葉が途中で切れ一拍静かな状況になると、再び何事もなかったようにまた歩き出した。
「いや、……お前が飯を買い忘れたから食べに行くぞ」
「えっ何ですかその理由、てか私猫追いかけていたんですけど」
「シュトリヒも誘うか」
「聞いてないし」
私もお腹空いてきたんで別にいいんですけど。小走りでリーダーに追いつき隣で歩く。
少しジッと見てみるとやはり似ている。全体的に灰色で黒の模様が入ったあの親猫、だから飼いたいと思ったのだ。
小柄で灰色を基調とした服装を着た不思議な彼女。フードから中で揺れる黒髪も相まってやはり似ていると思う。
見ていたのがバレたのかリーダーがこちらに向いて、マスク越しで目が合ってしまった。
「なんだ?」
「あ~……ほらあの猫って雄だったじゃないですか、雄猫が子猫を世話するのってすごく珍しいんですよ」
「そうなのか」
「はい、猫って元々自分の子供でもあまり面倒を見ないのですが、雄一匹で何とか餌を探して世話してると考えると優しい猫だったんですかね」
実際にそうである、雄猫からじゃ乳は出ない。子猫だから食べられるものも限られてくる。それでもあの猫は威嚇してまで子猫を守っていた。
猫たちの繁殖力は強いが猫たち同士の生存競争は厳しい。恐らくあの子猫たちが生きて成猫までなるのは難しいんじゃないかと思う。
四匹の猫を纏めて面倒見るほど私の環境が良いわけじゃない。だから、あのまま自然な形に戻すしかないだろう。
「となると母猫はどこ行ってしまったんですかね。自分の縄張りを追い出すほど、成長してるようには見えなかったのですが……」
「……さあな、食い扶持でも減らすために捨てたんじゃないか?」
「まあ、結構ドライですからね。無くはなさそうですけど」
誤魔化す為に適当に話し始めた話だが少し雰囲気が重くなってしまった。
そういえばリーダーは記憶喪失だったが、母親や父親の記憶……引いては家族の記憶などは覚えていないのだろうか。話題選びを間違えてしまったようです。
「……所でもしかして食べに行こうとしてる店って」
「おでんだが」
「またですか!?」
最近シュトリヒさんと何回か行っている気がするのだが、二人ともは飽きてこないのだろうか。変わり者同士何か気が合うんでしょうか。
駄目もとで聞いてみて嫌がったら、今日こそ違うお店で食事がしたいものです。
結局、彼女が反対するどころか何故か喜び、三人でおでん屋に向かう事となった。