「いいわけねえよなぁ!!」
「もしかして、私たちの事知らねぇの?」
民家の屋根を蹴って路地裏へと飛び込こんだ。
端伝いに残っているいくつもの水滴が、踏み出した衝撃で一斉に軒下へと降り落ちる。足元の水たまりに映る白い装いが波紋に揺れて、様子に気づいた3人は頭上を見上げる。しかし、不良たちは顔を上げるべきではなかった。
「だれぇがッ!?」
布マスクの上から鼻を潰す様に足裏で踏みつけ、体勢を崩した不良をそのままぬかるんだ地面へと足で叩きつけた。
「知らないな。似たような奴らばっかりだから」
「――ッてめぇ!」
至近距離で向けられた銃口を掴み俺の方へと引っ張る。逸らされた銃口から火花を吹き出し、銃弾があられもない方向へと撃ち出される。
銃に指を掛けていた不良が前のめりに体勢を崩し、近づいたその顔に拳を振るって壁へと殴り飛ばした。
ぼやけていた水面が透明なものへと戻るよりも早く、不良たちは気絶し路地裏に転がって動かなくなった。まだ静かなブラックマーケットには、一発の銃声が木霊して残っている。
彼女は突如出てきた俺に驚くことは無く、ただジッと動かずにリュックのショルダーに差してあった拳銃に手を掛けていた。抜くか抜かないかの手を伸ばしたままで微動に動かない。しかし、やがて何を思ったのかゆっくりと手を下ろした。
睨みつけるような目つきは変わらずだが、俺は敵意が無くなった感じ倒れ伏した不良に近寄った。奴らはカバンを持っておらず、適当にスカートやジャケットのポケットを漁ると財布を見つけることができた。
「銀羽のカラス……」
ふいに彼女が現在キヴォトスでの俺の通称を呼んだ。その痛々しさにマスクの下で顔をしかめるが、彼女には分からないだろう。
「知ってるのか?」
「ここ最近の事件だとよく見かけるし、指名手配になったばっかりだから」
今の4人組になってから既に銀行や輸送車を数回襲っているが、指名手配にかかっているのはグループの頭だと思われている俺一人だけだ。
この街来た時はなるべく目立たぬようにと思っていたのに、あの騒がしい奴らのせいでどんだけ隠密であろうとしても、最終的には大事に発展してしまってるせいだ。
不良の懐から抜き取った財布の中をのぞくと4桁の紙が3枚と小銭にしかなかった。俺の数少ない経験から行くとこれは一食に満たない。
持っていた襟を放し地面へと投げ捨て、彼女にも強請ろうと顔を向ける首を振られた。何も言わずに両手を軽く上げて襲ってくれるなと暗に態度で返される。
「悪いけど今は現金もってないよ」
「……ちっ」
彼女は舌打ちした俺をみて意外そうな顔をした。どうやら彼女が思っていた人物像とは違っていたらしい。犯罪者であふれているであろうキヴォトスで、何故俺に目を付けたのか俺には分からなかった。
「話題だから。でも、ネット記事も見ない生徒なら知らないかもね」
ニュースや学園情勢を気にしない生徒は少なくない。クロノスの連中や、情報部とその上の生徒達で君の名を目にしない人は居ないと思うよ。
話し始めた彼女の口調はとても落ち着いたもので、それでも彼女の目はいつまでも俺を中心に捕えて放すことは無かった。
赤い瞳が揺れることなく真っ直ぐと俺を貫ぬく。その強い眼の間で一房の黒い髪がさらさらと揺れている。
彼女は変わった髪色をしていた。
全体的に殆どが白髪だが後頭部の2本の角を通る結った髪と、前髪中央の一房だけが黒く染まっている。
「なぁ、本当に金持ってないのか?」
「もってないよ」
淀みなく簡単に一蹴されてしまう。堂々とした物言いに嘘をついていないと感じ、無理やり身包みを剥いでまで確かめる気も削がれた。
諦めて財布をポケットに突っ込むと俺に襲う意思がないと分かったのか、ゆっくりと動き出して倒れた不良たちを避けて路地裏から出ようとする。
その時、彼女が手に持っていたビニール袋がガサリと音を立てて揺れた。
「その袋の中身は何だ」
「……金目になるものは無いよ」
「助けてやっただろ。見せろ」
強引に強請ると彼女はひとつ、長いため息を吐いた。別に俺に助ける気があって助けた訳では無いと、彼女も分かってはいるのだろう。
だが、彼女は振り向きざまにビニール袋をこちらに投げ渡した。言うだけ言ってみるもんだな。
渡された袋を覗いてみると丸く缶詰がいくつか入っていた。ひとつ手にとって取り出して見ても、何の缶詰かは分からず、嗅いでみると魚と獣の臭いがした。
「これ食い物か」
「……えっ?」
『待てユウリ』
缶の上部についてある取っ手を引っかけて起こし、穴に指を入れて蓋を引き剥がした。開けたとたん魚の持つ独特な臭いが強く周囲に漂った。
中身へと人指を突きいれて掻き混ぜる様に指先に絡める。ぬかるんだ地面のような触感だ。
鼻先に近づけて嗅いでみると、ほぐした魚の身と何かを混ぜた物なのが分かる。
魚は余り好きじゃないが、火が入っているのなら食べても安全だろう。
マスクを少し浮かす様に持ち上げて指ごと口に含もうとすると、彼女のその細い目つきが大きく開いた。
「何だ、駄目か?」
「えっ駄目……ていうより、駄目じゃないけど止めた方が良いと思う」
「そうか」
問題ないと分かり構わず指先を口の中に入れた。
まず最初に思ったのは、むせてしまいそうなほど強烈な臭いだった。
強すぎる香料に鼻が呼吸する事を嫌がり、臭いその物を意識しないように嗅覚を思考の外に追いやっている。
……スラムで過ごしていた時によくやっていた食べ方。基本的にどんなものでも、嗅覚を断つと食べる事が出来ると知ってから、頻繁に使用するようになったものだ。
「……ん?」
舌の上で唾液と交ざり延びていく魚のペーストは、強く確かに魚肉の味を感じる。それに伴って経験した事の無い脂の様な物が舌先を滑らかに包んでぬるりとする。
噛む必要は何処にもなく口の中で解したあとすぐに飲み込んだ。解し過ぎたせいか細かな身が喉に絡んで少し不快だった。
「缶詰は何処もこんなものか」
キヴォトスはどれも食べ物が美味しい物だと思っていたが、こういったよく分からないものあるのか。
『……ユウリ、それは人用の缶詰ではない』
「あっ?」
「えっ、何?」
思わぬ事実に声を出してしまい。缶詰をくれた彼女が驚いてしまった。
先生の声は他の人には聞こえないため、あっちからして見れば俺が突然の声を挙げたようにしか見えないだろう。
「おい、これは何なんだ?」
「……?書いてあるでしょ、猫用の缶詰」
言われるまま缶詰のラベルを見れば、魚と猫の絵が描かれている横で何か文字が書かれている。
キヴォトスの文字である為、俺には読む事は出来ないが、そこにはきっと猫用だと書かれているのだろう。
しかし、キヴォトスでは猫の餌を態々缶詰にするのか。
俺が知っている猫の餌より断然良いものを食ってやがる。捨てられた食べ残しを食べていた俺よりも断然良い。
「猫って今こんないいもん食ってるのか」
「……確かに良い値段はするけれど、人が食べる程の物じゃないと思うけど」
そんなことはない。
確かに美味いとは思わないが、全然食べる事は出来る。マスクの下が見えないように彼女に背中を向け、缶詰を口の中へと掻き込んだ。
今はこの空腹感が少しでもマシになればそれでよかった。
「噓でしょ……」
彼女は猫の餌を食べることが信じられないのか、引いた様子でゆっくりとこの場を去ろうとした。
それに待ったをかける様に俺はまだ持っていたビニール袋を放り投げる。風に揺られて音を立てながら放物線を描き、音に気付いた彼女は慌てて振り返り袋をキャッチした。
「1缶だけでいい」
「……そう」
空っぽになった缶を壁際に投げ捨て、ギトギトに汚れた指先を指で舐めとる。
汚れは取れても唾液で濡れた手はどうしようもなく、自分の服の裾に擦り付けて拭い取った。
風味が強烈なだけあって少量でもそれなりの満足感はあった。だが、これだけじゃ空腹は収まらない。
「なぁお前、ここら辺で飯食えるとこないか」
「……お店?」
額にシワを寄せて思案した後、意を決した様に彼女は長いため息を吐いた。
「要望とかある?」
◇
◇
◇
・
◆
◆
◆
単に場所を教えてくれるだけで良かったのだが、人が少なく個室の店が良いと言うと、助けてくれた礼だと言ってご馳走してもらえる事になった。
あの場から静かに去ろうとしてた所から一転。何故そこまでしてくれるのか謎だったが、奢って貰えるのなら断る理由が無かった。
「ここで良い?」
連れてこられたのはブラックマーケットでも中心の方だった。
中でも富裕層向けの格式張った店が多いエリア。ここら辺はマーケットガードも多く、烏合の集のメンバーの誰とも来たことが無かった。
セキュリティが厳しく、ただの不良生徒に職質とか言って此処を追い出される事もあるらしい。
現に俺を止めようと近づいてきたガードが居たが、前を歩いていた彼女の顔を見ると血相を変えて逃げてしまった。それじゃあマーケットガードの意味が無いだろうに。
面倒ごとが簡単に済む顔を持って少し羨ましかったが、本人は不服そうに息をついて不満げだった。
「高そうな店だ。お前に支払えるとは思えないが」
「大丈夫、経費にするから。そしたら高い奴にしようかなって」
「……そうか」
目の前にあるのは鉄筋で建てられた街並みから浮くような木造の屋敷の様な建物だった。
入口に大きな暖簾が掛かっており、外の壁に沿って置かれた四角い明かりが店の落ち着いた雰囲気を作っている。
見るからに敷居が高そうな店で、彼女に支払えるほどの金を持っているのか疑問だったが、ケーヒとやらのおかげで大丈夫らしい。
彼女が暖簾をかき分けて店に入っていくのを後ろから静かに付いていく。店員は少し驚いた顔をしていたが、一言話すとそのまま奥へと通された。
案内された部屋は若草色の畳の敷かれた個室で、机が低く足元に四角い穴が掘られていた。紙を張り付けた格子の扉、障子が壁になるように閉じられており、隣屋の灯りがぼんやりと橙色に透き通っている。
全く違う文化の内装って感じがする。物珍しさに一段高くなった床を指でなぞっていると、先生が座敷と言う畳を張った部屋だと教えてくれた。
「何してるの?」
「……何でもない」
先に部屋へ上がった彼女に訝しげられ誤魔化しながら俺も部屋に入った。だが、彼女の少し寄っていた皺がさらに増えた。
「……靴、脱がないの?」
不可解だと言わんばかりの声色で言われ、足元を見てみれば確かに彼女は靴を脱いでいる。
綺麗に並び置かれた靴を見て、俺も脱ぐべきかと悩んだが突き刺さる視線が痛むので倣う事にした。
初めての掘りごたつは新鮮だったが特に何もなく、イスと違って引くことができないので少し不便だと感じた程度だ。
机の上にあったメニューらしき紙を手に取ってみるが、俺が普段見ていたキヴォトスの字よりかなり崩れていて、読めなかった文字が最早文字かどうかも判別できなかった。
「……お前は何を頼むんだ?」
「蕎麦にしようかな。ここ蕎麦が美味しいらしいし」
「じゃ俺もそれで」
注文を決めた俺たちは通りすがりの店員を捕まえそのままソバを2つ頼んだ。メニューは読めなかったし、彼女と同じ物であれば大丈夫だろうと思い同じ物を頼んだが、俺はソバという食べ物を食べたことは一度も無い。
障子が閉め切られるとしんと静かになり、紙から抜けた僅かな足音や食器の音だけが部屋に届いた。
手持ち無沙汰になった俺はグラスに注がれた水をちびちびと口に運ぶ。マスクを一々ずらすのも億劫になり、鼻にかける様に上にずらし口元だけ露出するようにした。
「……いっその事外したら?」
「嫌」
単に会話の始まりを探していただけだったのか、可哀想に思える程睨まれていた携帯を机に置くと彼女は次の標的は俺になった。
それが素顔なのだろうけど、常にそんな睨む様な表情をしていると顔の筋肉が引きつってしまいそうだ。
「そういえば名前を言ってなかったね。私は鬼形カヨコ、貴方は?」
「カラス」
「まあ、そう言うよね」
偽名で返した事に何の文句がないのか、再び自分のグラスを傾け水を喉に通すと、彼女も真似するようにグラスに手を着けた。
「一応、さっき助けてくれた事は感謝するね。襲われかけた身として礼を言うのもおかしい気がするけど」
「……ああ」
「でも強盗を繰り返す烏合の衆のリーダーが、路地裏で小銭稼ぎしてるとは思わなかった」
この店まで来る道中、彼女は余り口を開くことが無く、口数の少ない寡黙な性格だと思っていた。ここに来て何故急にそんな話を始めるのか不信に感じるもその彼女の意図までは分からなかった。
「
悪意に敏感だと自負しているのだが、敵意が無ければ目的や思惑を警戒することも出来ない。俺は少し考えてすぐに彼女の事を考えるのを止めた。
頭に回り出した熱を冷やすために水を飲み切り、空になったグラスを机に静かに置いた。机に置かれていたピッチャーに手を伸ばすが、彼女が気を利かしてグラスに水を注いだ。
「今日は他の仲間はどうしたの?」
「……今日は自由行動だ」
あいつらは基本的に暇なときは部屋に居るか、外出して好き勝手してるんじゃないだろうか。俺は基本誘われても行かない為、2人だか3人で外に出かけて行くのよく目にする。
「ただの利害の一致で出来た集まりだ。いつも一緒って訳じゃない」
「ふーん、珍しいね」
「珍しい?」
「キヴォトスで騒ぎを起こす奴らの殆どは、捕縛を恐れてだいたい複数人で固まって動くから」
素顔を隠して過ごしているとしても、荒事まみれのキヴォトスでは何かの拍子で捕縛される事が多い。個人単体で動いて捕まらない生徒なんて居ないに等しい。
特にあの新しい連邦生徒会長が着任してから、キヴォトス全域で犯罪検挙率が凄まじい程に上がっている。
「別に居ない訳じゃないけどね。あの百鬼夜行の女狐とかが顕著かな」
「メギツネ?」
「知らない?狐のお面を着けた生徒なんだけど」
意外そうな彼女に対して俺は黙って首を横に振った。新聞やインターネットというものを見ない俺は情報に疎い。
ネットの使い方をコユキに無理矢理教えられたが、今はもう覚えてなかった。
彼女は世間話のようにちょっとした事を話題に上げて話す。しかし、どれも最終的に俺や烏合の衆の事柄に触れてくる。
依頼を匿名掲示板で受ける理由。初期と今じゃ人数が増えた事。銀行を襲うのは何故か。何気無く合間に尋ねられ、俺も全ての質問に曖昧に答える。
ちょっとずつ、ちょっとずつ俺たちの事を探っている。理由は分からないがそれだけは分かった。
「それで、何が聞きたいんだ?」
口にしていいどうかを考えながら話すのは存外気疲れする。ピッチャーに並々入っていた水が半分にまで減っており、殆どが俺の腹の中に流れている。こんだけ水を飲んだというのに胃の中に溜まっている気がしない。
「……単刀直入に言うなら、ネットとは別で依頼の窓口が欲しいかな」
”別の窓口”の意味がすぐに理解できず、言葉を返すのに長い間が空いた。依頼に関してはまだ数件しか受けたことがなく、その全ての管理は俺ではなくモエだ。
そして、モエがどのような形で依頼を得てるのか何て俺は知らないのだ。
やっとその言葉を嚙み砕いて理解出来た頃、廊下からこちらに向かって来る足音が聞こえた。先ほど頼んだものが運ばれてこの部屋へと向かっているのだろう。
丁度いいタイミングだった。俺は答えをただ少し時間を待って障子が開かれるのを待った。
「失礼いたします。ざる蕎麦をお二つお持ちいたしました」
「ソバが来たようだ」
「……そうだね」
机に並べられた灰色の麺を見て驚いたが、それよりも置かれた箸を見て俺はすぐにフォークを店員さんにお願いした。
驚いた様子の彼女を見て笑う。信じられない様な表情を見ると悪戯が上手く行った時の様で面白かった。彼女を相手していると、その落ち着いた雰囲気と声のせいで大人を相手してる気分になる。
だから、そんな彼女の虚を突けたのが面白いのだ。
「……冗談?」
「いや?フォークを持ってきて貰わないと困る。俺は箸を使えない」
そのままジョークだと思って去ろうとする店員を捕まえ、再度フォークが欲しいと言うと今度は狼狽えず「かしこまりました」と一言おいて部屋を出て行った。
「……先に食べれば?」
フォークが届くのを待つようにじっと動かない彼女へ先に食べて良いと促す。どうやって食べて良いかも分からないため、先に食べてくれた方が助かるのだ。
言われるまで考え事でもしていたのか、彼女は俺の顔をちらりと様子を見て静かに両手を合わせた。
「頂きます」
箸を取ってゆっくりと食事を始める姿をフォークが来るまでの短い間、彼女の食べる姿をただ観察していた。
コユキやモエ、トキですらも食事をする前に手を合わせる。このキヴォトスの宗教の様な文化だろうか。
俺もかつては食べる前に手を握り合わせ祈っていた時期があった。だが祈る意味が分かっておらず、ただしないとパンを取り上げられてしまうが故に言われるままやっていた。
まぁ、生活圏がスラムに移ってからは祈る事もなくなったが。
「ちなみにどこの生徒なの?」
「学校に行ったことないな」
「……そう」
俺の言うことがもう本当かどうかも分からないのだろう。長く悩んでいた末、もうそれ以上俺に質問をすることは無かった。
持ってきてもらったフォークを早速、食べ方を見て真似する。フォークにソバを巻き付け、別添えにあったつゆを潜らせて食べる。
鼻を近づけ嗅いでみると不思議な香りした。独特の香ばしさの中にほのかな甘い香りがする。だけど蕎麦自体には味は全くなく、ただつるりと喉を通るだけだ。
だからこそこの添えられたつゆがあるのだろう。フォークに沈めてから舐めてみると、何処となくと似たような味を知っている。あれだ、おでんの汁をもっとしょっぱくすればこんな味になるんじゃないだろうか。
尋常なく食べにくいことを除けば、普通に美味しい。
食べづらく多少零してしまうが、気にせずどんどん口へ運び続ける。気にするとすれば目の前で同じく食事をしている彼女だけだろう。
「何?」
「……何でもない」
「そう、じゃおかわり」
カヨコは眉間に皺を寄せたあと弱々しく店員を呼び、俺の代わりに蕎麦のおかわりを注文する。彼女の蕎麦はまだ半分も減っていない。
麺が細いせいか、いくら口に入れても食べた気がしない。
何度もおかわりしている内に彼女も注文するのが億劫になって一度で5人分頼むようになった。
尋常じゃない速さで食べ終わった皿が畳の上に積み重なっていく。店員が部屋とキッチンを何度も慌ただしく行きかって、部屋の中でなく廊下などの外も騒がしくなってきた。
やがてカヨコが食事を終えても蕎麦は運び込まれ続け、全てが俺の胃袋へと収まっていく。それを彼女はただ不思議そうに見つめていた。
積み上がった食器の塔が8本目を迎えるころ、長居し過ぎたのか隣の部屋に他の客が入った。
「雨で空いていると思ってましたが、何か忙しそうです」
「悪天候続きの今でも客足が途絶えない。それは店が愛されている証拠ですわ」
部屋に上がる足音と共に声が聞こえる。恐らく、二人組の女子生徒のようだ。
一人、芯の通った声で喋る奴が居る。丁寧な言葉遣いに品のある艶やかな高い声。このような喋り方をする人種を、俺はよく知っていた。
そして席に着くなり蕎麦のうんちくを語りだす態度に思わず頬が引きつった。やれ蕎麦は繊細なのだからとか、やれ湿度などの環境で味がすごく左右されるだとか。
彼女はこの店なら雨の降り続けるこの季節でも、美味しい蕎麦を打ってくれると思い来たらしいが、話す内容もさることながら声も態度もその全てが鼻についた。
同席している相手の生徒は気にしてないのか、程よく適当に返事を返している。だが、店員を呼んでいたりとそもそも話をしっかりとは聞いてはいない様だ。
「失礼、注文よろしいでしょうか?」
「はい、お伺い致します」
「ざるを二人前頂いてもよろしいかしら?」
「……申し訳ございません。本日ご用意していた分が先ほどで無くなってしまいまして」
隣の部屋が静かになった。いい気味だと思いながら蕎麦を口に運ぶ。
カヨコは気まずさを感じて部屋の隅に目をやっているが、俺はこれ見よがしに蕎麦を啜って音を立てる。別に悪さしたわけではないのだから堂々とすべきだ。
「うぐっ!?」
鳴れないくせに勢いよく啜ったせいか、器官に何かが入って咽た。
「何してんの」
「ごほッ、ごほっ、……麺を、食べるの苦手」
「……そう、それ最後にして店出ない?」
まだ喉に何かが絡んでいるような気がして喋りにくく、帰りたそうな彼女の提案に素直に頷いて返事した。
お盆に乗せられている小さな器を手に取る。蕎麦を付けるための汁が入っている器だ。それを盛られている蕎麦の上まで持っていくと、カヨコは「噓でしょ」と声を隠せずに漏らした。
器を傾けて蕎麦全体に汁を回しかける。サラサラと麺の間を汁が通り、ザルの隙間からその内側の器の中へ落ちていく。これでもう咽る事はないだろう。
「えっ?
唖然として固まる彼女にこうした早く食べられるだろう。と説明するが突然、彼女の真後ろにあった障子が開かれる。
パンっと打ち鳴らす程強く開け放たれた戸の間に居たのは、光を返す程の銀髪を胸の高さまで伸ばした生徒だった。
赤い目はつり上がっており怒っているのが分かる。だが、彼女はそれでも打ち壊されない程の楚々な雰囲気を纏っている。片翼の翼に細くしなる尻尾、見た事のないタイプの生徒だった。
「私には聞こえました。研ぎ澄まされた職人の技と、選び抜かれた食材が織りなすその芸術に唾を吐き捨てる音が」
彼女は静かに燃えるような言動で部屋の中へと入ってくる。その足取りは真っ直ぐ俺の方へと向かって。
その後ろに慌てた様子の金髪の生徒が顔を覗かせた。頭の上には牛の角の様なものが生えており、銀髪の少女を止めるような様子を見せてはいるが、ニコニコとあどけない顔してこの状況を楽しんでいるようだった。
彼女はこの部屋を見渡すと、端に積み重ねられた食器の数々を見て声を上げる。
「わー、凄いですね。本当に全部食べてしまったようですね。二人でこの量を食べたんですか?」
そこに並んでいるのは全部俺が食べた奴だが、そこまでは分からないだろう。肩を軽く叩かれ振り向くと、席を立っていたカヨコが俺の近くまで来ていた。
「彼女たち制服、
「……知ってるのか?」
「知ってるも何も……、ゲヘナの生徒なら一度は見るから」
ゲヘナ……あの柄の悪い学園か。ってことは、カヨコはゲヘナの生徒だったのか。だがそれは分かったがパンデモニウムという名前は初めて聞いた。
「パンデモニウム・ソサエティー。ゲヘナの生徒会として実権を持ってる組織だよ」
「じゃあ、こいつらゲヘナで一番偉いのか?」
「いや、近衛兵みたいものだよ。……でも、確か彼女たちは新入生だったはず」
目の前で俺を見下すように睨む彼女の肩に制服が掛かっていた。袖に縫い留められた腕章には確かにゲヘナの校章が書かれていおり、ゲヘナの生徒なのは間違いないようだ。
彼女は視線の先は俺を跨いで机の上に置かれた蕎麦へ移った。お盆の上に散乱している蕎麦の切れ端に、零れたつゆが飛び散ってびちゃびちゃだ。
「……目も当てられない程汚い食べ方。貴方、作られた料理に敬意を払うという事ができませんの?」
「ケイイ?……知らないな」
掘りごたつから足を抜き立ち上がる。
言い降ろされるのが嫌で席を立ったが、見上げる形で睨みあう事になった。……くっそ、こういう時に身長が小さい事が悔やまれる。
卓上の食器を気にせず机を踏み台にし、目線を上げてやっと彼女と同じ高さへとすると彼女は顔をさらに顰めた。
「……そういう所、育ちの悪さが見て取れますわ。そこは食事をするための机、今すぐに降りてくださいまし」
「机は机だろう。物をどう使うかは個人の勝手だ」
「物には用途を決められているものが殆どですわ。食事用の机に足を乗せない、それぐらい常識だと思いますわ」
「突然部屋に入ってくるなり文句を立てる奴に常識を語られたくはないね」
いい言葉に買い言葉、俺に改める気が無いと知ると彼女は無理矢理でも引きずりおろそうと手を伸ばした。
掴もうとする迫る彼女の腕を逆に掴み取り、引き寄せて彼女を挑発する。必死に振り張ろうとしているが、固まってしまったかのように腕は動かない。
「暴漢に襲われて手元に包丁しかない時でも素手で挑むのか?流石、
「――ッ!?……それとこれは別問題ですッ」
大きく肩が動いたのを見て手を放してやると、ふらついた彼女は勢い余ってたたらを踏んた。握られた場所が痛むのか、手首を摩りながら距離を置かれる。
後ろからカヨコが小声で店の中だからと俺を止めようとするが、俺なんかより目の前にいる少女を止めたほうが良い。煽っといて何だが足が不自然にぴりぴりと痺れる。……コイツ、吹っ切れた方のやばい奴だ。
「美食を追い求める身としてその道すがらですが、食という文化とを貶そうとする礼節も持ち合わせてない存在を見つけて、見す見す見過ごすことは出来ません。貴方には今一度、マナーと言うものを……」
「――グェェェプッ!」
唸るような汚いゲップが部屋に響き渡る。いつ出そうか迷っていたが我慢している内に忘れてしまっていた。
ふぅ、息をつくと胸が空いて軽くなった。麺を啜るとゲップが出やすくなって仕方ない。目の前に居る少女は何が起こったのか分かっていないかの様に呆然として固まっている。
話が終わったのなら帰るかと机を降りると彼女は再起動を果たした。
「……ッ信じらませんわッ!!」
肩にかかっていた制服が翻り、空気を孕んで大きく広がった。目の前の視界が一瞬で覆われ、彼女の姿が隠れて消えてしまう。
視界が晴れた次の瞬間に見えたのは顔ではなく、四角くビニールに包まれた物体だった。
『ユウリッ!』
咄嗟に後ろへ倒れこむ勢いで後方へと蹴り飛ばす。粘土の様な硬さで素足でも十分に大丈夫だった。間一髪間に合いソレが障子を突き破った途端、その先の部屋で強い衝撃と共に爆発した。
辺りに黒煙が広がって、非常ベルが鳴り始めた。やっぱりヤバイ奴だった。ここまで気が短いとは思わず見誤った事を少し反省しながら、床に固定されていた机を強引に引きはがして畳に突き立てた。
「あら~、こうなっちゃいましたか~」
「アカリさん、私の銃を」
気の抜けるような声と共に金髪の少女が長物の銃を投げ渡す。銃身が長く普通の銃よりも重そうに見えるが、彼女はそれを軽々と片手で受け取った。
「猿でも分かる様にマナーを叩きこんであげますわ」
「お覚悟はできていらっしゃるのかしら?」
どうも、ログイン戦争の敗北者です。