室内に侵入する日差しの光が熱を孕んでいる。これはキヴォトスなら誰だって知っている事だ。俺だって身をもって知った。
しかし、立ち込めた蒸し暑さや吹く風の生暖かさも加われば、もはや人をただ熱で葬らんとする大自然の驚異だ。
少し前までは涼しさも感じていた風が、今じゃ傍を通り抜けるだけで体力を奪っていき、湿り気を含んだ空気と汗が不快感となって、より一層凶悪なものへと変わっていた。
彼女が言う話を纏めればそう、――コユキは言っていた。
「……あづい」
「うへーマジであっづいね、この建物エアコンがないのおかしくない?」
「エアコンホースの跡が残っているので、恐らく元々はあったとは思いますよ」
月日が経つにつれて、気候や気温も変わると教えられたがここまで変わると思わなかった。蒸し暑くなるこの季節は夏と言うらしい。
コユキとモエはこの猛暑にやられて、少しでも体の熱を移そうと床で伸びてる始末だ。気力のない言動も見るに相当グロッキーだ。
そんな二人とは違ってトキはソファーに座っていた。口だけ聞けばへこたれてない様に思えたが、姿を見てしまえば虚ろな視線が何もない天井から動いていないのが分かる。
深く座り込んで全身を余すことなくソファーに預け、床に転がっているコユキ達と同様にバテバテになっていた。
「……休むなら自分の部屋に戻れよ」
俺は素直に思ったことを口にした。暑い暑いとずっと騒がしく、人の居ない自室が涼しいのではないかと疑問に思う。
「部屋に戻ってもこの暑さは変わないですし、来てしまった以上もう帰るのも面倒なんですよね」
「何しに来たんだお前ら」
暑さで寝苦しく目が冴えているからと俺の部屋まで来たらしい。揃いも全員揃って何で同じこと考えてんだ。
「なんか、リーダー平気そうですね」
「……そうか?」
ぐりぐりと頭を床にこすりながらコユキが疑問そうな声と共に俺を見る。その顔には汗が滲んでおり、僅かな涼しさを求めて袖のない薄着が汗で張り付いてた。
だが悲しきかな、そこの二人と比べて未発達な彼女の体に女性らしさを感じられなかった。
「……今失礼な事考えませんでした?」
「ありのままの事実を認識しただけだ」
「デリカシーが無いって言うんですよ。それ」
難しい言葉は使わないでくれ、無学なもんでな。
そう言って開き直るとコユキは疲れた様子で、ため息混じりに小さく呟いた。
「ついにこの人、常識がない事を悪用し始めましたよ!」
「聞こえんな」
「私たちより耳が良い筈なのに、都合の良いことしか聞いてくれない……」
およよ、と泣いたふりをするコユキとの会話に、悶えるような苦しそうな声のモエが割って入った。
「リーダー、この時期の女の子はデリケートだから繊細に扱わないと駄目だよ。特に
モエはコユキを庇うように俺に注意するが、顔がニタニタと笑っておりそんな気が無い事は一目瞭然だった。
モエは分かりやすく、ごろりと転がってこれ見よがしに仰向けとなった。
確かに、この中じゃ彼女が一番女性らしい体つきをしていると言える。
「……何が言いたいんですか?私に対しての当てこすりのつもりですか?」
「別に~、くひひっラパンだってまだ成長期だもんねー」
「ちょっと!それ言ってるような物じゃないですか!」
煽られた彼女は這いずってモエの元へ向かう。寝技でも掛けたいのか腕とって関節を決めようとしているが、モエも無抵抗なわけじゃなくどことなく払いのけてる。
しかし、気持ち悪く笑っている所を見るに最終的に、少し痛めつけられて面白がるモエの様子が想像できた。暑い暑いと言いながらも元気一杯じゃないか。
バタバタと騒がしい二人のキャットファイトを聞き流しながら窓へと顔を向けた。外は雲ひとつないのか、眩しい日差しが地面に向かって突き刺している。
日の光に肌を晒すと確かに以前の優しい暖かさを超え、肌を焦がすかの如く熱いものに
確かに熱くなっていると分かる。湿度もあがって不快感が少し増えた様にも感じる。だが、彼女たちの様にヘロヘロになってまで汗をかくほどではない。
……俺自身が熱さに慣れている?いや、そういったものを俺は経験したことが無い。
「リーダー、どうかされましたか?」
「いや、これが夏なのかと思ってな」
「……?」
トキがこてんと首を傾げる。その動きに彼女の端正な顔立ちから汗が流れ落ちた。
美人は何をしても絵になるな。先のモエの話題のせいで不躾な事を考えていると、彼女は何か気になったかのように立ち上がった。
「……ちょっと、リーダー良いですか」
何を不思議に思ったのか分からないが、トキはゆっくりと此方へと向かって歩き始めた。しかたなく体を起こすと、彼女は俺の顔へと触れようと腕をそっと上げるが、それ止めるべくその手首を咄嗟に掴んだ。
「急に何だ」
「余り汗をかいていない様でしたので少し気になりました」
「暑いのに慣れてるんだよ」
「……少しだけで良いので触らせてください」
言葉を返す前に、素直に嫌だと、率直に言って嫌だと、その表情が顔に全て出た事が自分で分かった。
「そこまで嫌そうな顔しないでくさい」
俺が引き留めていた腕が動き出し頬を触ろうと迫る。強引に止めようとしたが、アレコレ言って止めさせるのも面倒だと思い、いっその事彼女の手を自分の頬に押し付けた。
少し籠った様な熱を感じるトキの手は僅かに汗ばんでいる。触れている所から段々と体温が移り、俺の体温が彼女の手から熱を奪っていくようだ。
ひんやりとしている。口から漏れたように呟いた彼女は少し驚いていた。
「冷え性ですか?」
「……さあな」
ヒエショウって物が何なのかは分からないが、彼女が言う通り恐らく俺の体はトキにしてみれば多少冷たいのではないだろうか。
この夏と呼ばれる季節に入り、暑くなったと体感しているのにも関わらず、俺は彼女たちの様にこの暑さを不快だと感じてはいなかった。
どことなく自分との感覚と体の認識にズレを感じる。
もし以前であればこれほど外の空気が熱くなれば、汗のひとつは必ずかくだろうし、体の怠さが生まれていてもおかしくはない筈だ。
指先が動いたのを感じて目を上げると、トキが心地よさそうにしており俺の顔で涼をとっていた。
「冷やっこくて気持ちいです」
「俺はお前の手が汗ばんでいて気持ち良くない、だから早く離れろ」
返事もせず話を聞く気は無かったのか、俺に乗りかかるようにトキはハンモックへと乗り上げた。
俺一人にしてはこのハンモックは少し大きいため、2人で乗れない事もないのだが流石に狭い。
「おい、ふざけるな、狭いだろ」
「リーダーは小さいので大丈夫です……」
「ハンモックの話じゃなくて、俺が嫌だって話なんだが」
身を寄せるに体を預けてきたトキは、そのまま耳の下を通って首元まで手を入れてくる。
冷たい場所を求めての行動だと思うが、触られた感覚にぞわりとした気色悪さに不快感を覚えてしまい、つい反射的に体が動いてしまった。
「ゴっ!?」
右膝がトキの脇腹に突き刺さり体が一瞬持ち上がる。流石に膝蹴りが飛んでくると思ってなかったのか、押し出されるように息を吐き出した。
そのまま腕の力と共にハンモックから突き落とす。このハンモックから突き落される奴が多すぎて、いつしかハンモックの周りが血だらけになりそうだ。
「わぁ!?、一体何ですか!」
「はぁ……はぁ、いつもの、……でしょ」
あっちもいつの間にか決着がついたのか、地面に伏したモエの背中に馬乗りする形でコユキが押さえ込んでいた。
どうせ勝つ気のないモエが負けるのは分かっていたが、キツイ暑さの中でも嬉しそうな表情をしている。……そうだな、いつも通りだな。
「それでトキさんは何でまた負けたんですか?」
モエに飽きたコユキがトキへと興味が移り変わり、片腹を抑えるトキをつついてちょっかいを掛け始める。トキの方も一撃では気絶しなかったようで、痛みに耐えながらか細い声でコユキに話し始めた。
「リーダーが……、とっても……、ひんやりしていて――――ガクッ」
「…………とっ、トキさああああああああん!」
「騒がしい、気絶した演技も止めろ」
彼女たちの茶番に水を差すと、トキは不貞腐れた様でそのまま部屋の端までコロコロと転がって行った。「私はお掃除ロボットTOKI、このお部屋を汚れと埃から守ります」と意味不明な事も言い出してお前はロボットじゃないだろと思ったが、一度ふざけ始めたトキに絡まれるとしつこいので押し黙った。
『私はユウリの心と体を守るぞ』
静かにしてくれ。
「でも確かにリーダー何か涼しそうな顔してますね。暑いのは慣れているんですか?あっホントだリーダー冷えてる」
言うのが先か手が出るのが先か。
息をつく間もなく横から伸びてきた手が、俺の額へとあてられる。さっきまで気だるそうにしてたくせどうして急に面倒くさい。
「確かに冷たいですけど、リーダーが冷たいのはいつもの事ですし」
「間違ってるとは思わないが、お前も言うようになったな」
にははっとコユキが誤魔化しながら笑い、しれっとトキと同じようにハンモックに乗ろうとするので、顔を真正面から掴んで押し返す。
手が小さいせいか上手く握りこめない。唇を突き出して顔が変になったコユキが出来上がるだけだ。そのまま言葉を口にするから、いつもの彼女の声が別人みたいになっている。
「ニェーイイジャナイデスカー」
「ここは俺の場所だろ、戻って自室で寝てろよ」
「スズマセテクダサイヨー」
「トキ、お前のせいでよく分からん生物が喋ってるぞ」
「リーダー、私もまだ涼み足りないです」
一人用だと言っているだろ。話を聞いていないのか?コユキと同じく迫って来たトキの顔も掴かみ顔ごと押し返す。
このままだと彼女たちにハンモックを占領されてしまう。乗らせやしないと彼女たちとの攻防が続ける最中、部屋の中央から電子音が鳴りだした。
何事かと思い目をやるとテーブルの上に置かれた、携帯……スマホが音を鳴らしながら震えている。
「リーダー、私の代わりに取ってー」
普段であれば絶対取らないのだが目の前に居る問題児たちの相手もしたくなかった俺は。ハンモックから抜け出しモエのスマホ取りに行った。
「へっ!?」
「あっ」
急に俺が抜けた事で二人は勢い余って、ハンモックの支柱もろとも床を転げまわったが見なかったことにした。
モエのスマホには着信の通知が来ているようで、見てみるも画面に描かれた文字が読めず誰か分からない。
俺が出て良いのかとモエに尋ねると、別にいいよと二つ返事で了承される。床から起き上がって来るのが面倒なだけだろうに。
しかたなく電話を代わりに出ようと、スマホの液晶を指で触るが何も起きず、指先で軽く叩いたりなぞったりもしたが変化は起こらず、手の中で音と振動は止まらないままだ。
「……?」
『色がある画面を触りながら右にスライドすればいい』
「こうか」
言われたとおりに操作すれば、暴れていたスマホの挙動が止まる。すかさず耳に当ててみれば、どこか聞き覚えがある声が聞こえた。
「……依頼だ。兵器の輸送を頼みたい」
「誰だお前」
大人、それもアンドロイドの、……ああカイザーのおっさんかこの声。
「おい、いつも電話に出ていた奴はどうした」
「関節を決められてハイになってる。代わるか?」
「……いや仕事の話が進むのであれば誰だって構わない」
基本的に判断するのは俺だと言うと、苦笑した声が聞こえた。
この電話の向こうがに居るであろうおっさんから、依頼を受けるのはこれで何回目だっただろうか。先月も合わせれば10回を超えてくるのではないだろうか。
苦笑した意味を聞きたい所だったが、無駄話をするような間柄ではない。それよりも気になっていた任務の詳細を尋ねる。
だが言って来るのは明日の朝ゲヘナにある港へ来て兵器を運べとだけだ。
今まで受けた依頼はどこぞの会社の商品データや、機密情報だとかを奪ってこい何て話ばかりだった。それが今回になって荷物を運ぶだけの任務だとは思えない。
仕事が急なのは今までなかったわけではないが、どうにもきな臭い。
「そこまで信頼されてないか。……そうだな、お前だけになら話そうか」
依頼を断ろうとした雰囲気を奴が止めた。少し間をおいて息を吐いた後、少しもったいぶった言い方で事の詳細を話し始めた。
「新開発された試作兵器の情報が漏れた。一刻も早く運び出したい」
「それだけか?」
「……ただの兵器でないんだ。気づかれれば恐らく、ヴァルキューレだけじゃなくSRTも出てくる」
SRTの名前を何処かで聞いたな。だがこれは後で彼女たちに聞くとして、話すと言っておきながら一向に本題が見えてこない。
それが伝わったのか軽く息を吸った後、はっきりとした口ぶりで言葉を吐いた。
「書面上でしか分からないが、作られたのは……
小型核兵器だと言われても、その手の話に詳しいわけじゃない。俺が驚かない事に面白みがないと奴が口漏らす。
詳しい奴に変わるかと、耳からスマホを離そうとするが慌てて奴が止められる。どうやら俺だけに知って欲しかったらしく、彼女たちには言わないで欲しいのだとか。
「胡散臭さが増しただけじゃないか?」
「報酬は前回の倍を出す」
「報酬の問題じゃない、危険度の問題だ。まだ何か隠してるだろ」
スマホ越しに不穏な予感がした。ちゃんと話したようでコイツはまだ隠し事をしている。
「……これ以上は話せない、ウチの部隊を関与させられないのだ。受けてくれないか?」
「断る」
「――待て、切るな!兵器は海上輸送で運ばれる!行先はカイザーグループが持つリゾート島だ!4人ともVIPとして招待する!」
海上輸送、その言葉に反応したのは二人だった。一人目は当たり前だが話を聞いている自分、俺は聞いた事のない言葉故に故に首を傾げた。
そしてもう一人は……
「海っ!?リーダー!――皆で海に行きましょうよ!」
跳ね起きた彼女は小さな体を大きく振り回し、長く伸びた桃色の髪が靡いた。ふわりと浮いた毛先が猛火の日差しを反射させ、束が解けるたびに瞬くような煌めきが幾つも起こした。
都合がいい耳を持っているのはお前もじゃないか。目を爛々と輝かせて笑う彼女を見てため息をついた。
「とんでもなくきな臭いぞこの依頼。行くならお前ら3人で行ってこい」
「なんでそんな釣れない事言うんですか!依頼が怪しいのいつもの事じゃないですか、こんな暑い所いたら干からびちゃいます。きっと海に行けばこんなのとおさらばですって!」
早々と口を回すコユキの話に他の2人も思う所があるのか反対意見が出てこない。
スマホをコユキへと投げ捨て、面倒な事を全て押し付ハンモックへと戻った。俺の知らない事が多すぎる。俺が話を聞くより彼女に任せた方が楽だろう。
それに、休める内に休んでおきたい。決して楽な仕事ではないと胸騒ぎがする。胸の内がざわめいて落ち着かない。
……だが、この落ち着かない気持ちは不安や危機感だけじゃない。もっとこう、……興奮とまではいかず、期待といえば間違っている。
体験した事がない気持ちのありどころに、自分でも何なのか分からず考えが行き詰った。
『……海か、そうだ、そうだったな』
一人で納得する様子に疑問を感じると、先生は嬉しそうな声で言った。
『見てくるといい、大地より広大で、深き蒼の世界を』
俺は、この初めての夏、地面より大きい物があることを知った。
◇
◇
◇
・
◆
◆
◆
ゆっくりと多方に傾く甲板、波立つ海水が船にぶつかれば高く飛沫をあげ、どこまでも広がる群青の光景が日差しを返す。
「――きっ、聞いてねぇぞ!何でお前らが居るぐえっ!?」
ヘルメットを着けた少女の襟首を掴み外へと引きずり、彼女の体を振り上げて船の柵の外へと腕ひとつでぶら下げた。
その下では泡立つような海面が大きく揺らいでおり、その底は藍色を煮詰めたように暗く見る事が出来ない。涼しくなった足元を理解した彼女は、慌てて言い訳じみた命乞いを始めたが聞くに堪えなかった。
かなり距離はあるが遠くに島が見える。俺だったら諦める距離だが、彼女はどうだろうか。
「なあ、お前は泳げるか?」
「……へっ?嘘だよな、こんな所で投げ出されたら流石に溺れるよな?私は姉御に無理矢理言われ――」
手を放すとフィードアウトする声と共に海面に水柱が上がった。何か言っていたが、投げ捨てる不良共たちは皆同じセリフを言うものだから聞き飽きてしまった。
とは言え殺してしまいたい訳でもなく、近くにあった浮き輪を適当に投げてやった。根性さえあれば島までたどり着けるだろう。
船の後方から爆発音が鳴り響く。見れば奴らが乗って来た船が黒煙を吹き出しながら炎に飲まれて、船体の半分を海へと沈みこませていた。
「……流石に爆発すれば沈むのか」
『あの大きさであればな。もっと巨大な船であれば船底に穴がいくつか空いたとて沈まない事もある』
「へぇー」
俺が乗っているこの船もかなり大きいと思っていたのだが、この大きさでも小さい方なのだろうか。あの不良たちが乗って来た船も小さいって言える大きさではないが、こっちの船の方が2回りほど大きい。
『ユウリが乗っているコンテナ船はかなりでかい部類に入る。だが、輸送するための船だからな巡洋艦などと比べたら脆い』
「あの不良たちの船は?」
『アレはただの偵察船だ。今のキヴォトスでは船に砲台を載せる事はできないからな。装甲をつけて小回りを利かした船が好まれるのだろう』
いつにも増して先生が饒舌だ。あれこれ質問しているせいなのもあるとは思うが、こんな楽しそうな先生を見るのは初めてだった。俺よりも海へ来ることに期待していたんじゃないだろうか。
「こんな大きいと沈まないのか?」
『難しい話になるが、船は浮力と言って水へ沈むときに押しのけた水の重さと船の重さが釣り合うと沈まない。逆に言えば押しのけた水の重さよりも船が重くなると沈む。だから船の底の方では大きい空洞が作られているんだ』
「……へぇー」
聞いたは良いが途中から何を言ってるかさっぱり分からなかった。何て返事するか迷っていると、耳に付けた通信機から彼女たちの声が聞こえた。
「終わったよー、周囲にも敵船の影無し、もうこれ以上は襲ってこないんじゃない?」
「こちらも終わりました。船内に侵入してきたヘルメット団も拘束し、まとめてボートに流しました」
「……そうか、こっちも終わった。」
どうやら襲って来た奴らを全員片付けられたようだ。船で体当たりされた時は流石に焦ったが何とも無くて良かった。
軽く肩を伸ばして通信機を外しポケットにしまう、ついでにマスクやフードを取りはらって首回りを軽くすると、強く吹き抜ける風が肌を撫でた。
首元を撫でる潮気を含んだ風が心地いい。港に着いた時から感じていたが、海の上は空気感がまるで違う。心なしか風が冷たくなったように思える。
戦闘で気が立っていた神経が、少しづつ穏やかになりつつあった。
深く息を吸っては吐き出し目をゆっくりと細めて遠く、遠くの水平線を見つめれば赤く焼けつつある空に日が沈もうとしていた。
まだ空に青を残す夕焼け空と、その姿を水面で朧に映す太陽の赤が、何とも言えぬ光景を創り出している。
本当に、見た事のない。……いや、想像すらもした事ない景色だ。どこまで行っても水しかなく、怖いほどに深い池が果てしなく何処までも続いているのだ。
だが不思議だ。こんなにも胸の内が浮足立っているのに、生まれて初めて見る場所、光景だというのに何処か
……いや、本当に初めてなのだろうか、この光景に少しの既視感がある。だが記憶の何処を探してもそれが何かは分からなかった。
『そこまで気に入るとは、ユウリは素直に自然の創る景色が好きなのか?』
「分からない。茫然と外の光景を見る事は多かったが、綺麗だとか何か思った事はなかったな」
まぁそれは、スリをするためのチャンスを狙っていただけで、綺麗だとか美しいだとかの感性を働かせる為に眺めていたわけじゃないしな。
「それに今と昔じゃ、状況がだいぶ違う」
『……そうか、私も――』
「あっ!こんな所に居ました!」
警戒を解いていたせいで、人が近づいている事に気が付けなかった。
声に驚いて振り返れば甲板に置かれたコンテナの角からコユキが姿を現した。その姿はとても軽装で身軽そうだ。
いつも着ていた制服らしきジャケットを取り払われ、代わりに黄色パーカーを羽織っている。真ん中のチャックは閉めておらず、その下の水色の
この姿には多少なりの理由がった。何故か、仕事を受けた筈の本人が港に来るのが一番遅く、3人で長々と待っていればこの姿で突然やって来たのだ。
下着姿同然の服装に兎のお面姿は、痴女を超えて近づいてはいけないタイプの不審者だと思ったのだが、それは俺だけだったようで他2人はただ呆れている様子だった。
後から聞けばコユキが身につ着けていたのは水着と言って、水辺で泳いだりするための衣類なのだとか。
「あれ、今誰かと話してました?」
「気のせいだろ」
「……そうですか?」
不可解な様子で首を傾げるコユキを他所に、柵から離れて今後の話を尋ねた。今の襲撃でもう海上では襲われる心配はない、と言うのがモエの考えだ。
俺たちが向かっているカイザーのリゾート地から襲撃船が出るか、海の上で数日待ち伏せでもしてなければ、そもそも俺たちと接敵出来ないのだとか。
この任務が突発な物で情報漏洩が直近だった事を顧みるに、待ち伏せの可能性は低く、夜になれば暗闇で襲撃しずらくなる。
ほか二人も概ね同じ考えなのか出航前の会議では反対意見は出なかった。
俺は海の上での常識などは知らない。疑っている訳ではない。だからこそ知っている彼女たちに小難しい話を任せているのだから。
「まだ何か不安要素でもあるんですか?」
「……何とも言えない」
アジトを出てからも感じる据わりの悪さがまだ続いている。船の上だと普段使っているワイヤーも使い勝手が悪い、それにもし何かあった時の脱出手段が限られているのも不安を強くさせた。
「えーー、止めてくださいよ。リーダーの勘って大体当たるんっ!?――」
ひと際強い風が俺とコユキの間を駆け抜けた。裾を掴まれたかのように体が少し引っ張られ、服の内側に入り込んだ風がパタパタとはためかせる。
荒々しい一瞬の強風にたたらを踏むが、コユキは反応する事が出来ずよろけて俺の方へと向かって来た。
「うわぁ!?」
「っぶね。海に落ちるぞお前」
転びかけるコユキを受け止め支えてやる。人の事を言えたものではないが、どうしてあのマシンガンを振り回せるのか疑問に思えるほど彼女の体は細く小柄だった。
「そんな簡単に落ちませんよ。それに、一応私泳げますし」
……そうか。
腕から離れたコユキが自慢気に笑う。そんな彼女の顔の後ろに分厚い雲が見えた。風向きを考えれば恐らくこちらへと向かって来るのではないだろうか。
『アレは雨が降るぞ、船内に戻った方が良い』
「……俺は戻るぞ。この船には食堂があるとシュトリヒが言っていた」
「んっ、そーですね。……私はまだ甲板を探検してます」
コユキを置いて近くにあったドアのハンドルを掴む。既に鍵は抜けているのか、回さずとも引くだけで開いた。
『気をつけた方が良い、指を挟むぞ』
分かってる。そう頭の中で思いながら中へと入る。コユキは外を探検するようだが、俺は広く入り組んだこの船内から食堂を見つけ出す探検をする事にした。
『探検と言ったのならば、私の案内は要らないな?』
……適当に進んでいればいつか見つかるか。ここ最近はずっと先生に任せたきりだったしな。
突き当たり左右で別れる廊下を右に曲がる。その先も似たような景色ばかり。後で聞けば左に曲がっておけば直ぐ食堂だったのだとか。
俺がようやく辿り着いた頃には船内のほぼ全ての道を覚えてしまっていた。
◇
◇
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◆
傷を知らぬような鉄壁の装甲が目の前で爆ぜる。砲塔は曲がり使い物にはならず、内から黒煙を噴き出すだけで動かない。
辺りを覆いつくす炎が手あたり次第に手を伸ばし、触れた全ての物がその表面を焦がしていく。引火したドラム缶が次々に泊地にあった建物を破壊し、立て続けに響く音は崩壊を奏でるコーラスとなって私の心を震わせた。
破壊、まさしく破壊の火の手だ。きちんと整えられていた景観が、今先ほどまで平穏そのものだった港が、たった数時間で崩れて跡形もなくなっていく。
「――――ああ、素晴らしい景色。……ふふっ、貴方もそう思いませんこと?」
「……女狐、が」
首に手を掛けたまま腕を振り上げ、彼女を廃車の方へと投げ飛ばす。鈍い衝突と減らず口を最後に、彼女は動かなくなった。
あの連邦生徒会長が作った直轄組織、確かに装備も彼女たち自身の技術も一線を画すものではあったのでしょう。でも、私にぶつけるには此度の彼女たちでは物足りない。
高等生へ上がったばかりのおのぼりさんで対処できると思ったら、それは考えが甘すぎますわ。……それとも、わざと勝てぬ相手に戦わせて成長でもを促すつもりなのでしょうか。
「……面白くありませんね。それは彼女たちが再び私と戦えると思っての行動でしょうか。最悪、ただ戦えぬと意思が挫けるだけなら良いかもしれませんが……」
近くにあったドラム缶を蹴り倒し先ほど投げた方へと転がした。動かない生徒の元にゆっくりと近づいていく、開いた栓から燃料を垂れ流しその跡を残していく。
「銃をも握れぬ体になれば意味がないと言うのに」
ふわり、火の粉が燃料の上へと舞い散る。アスファルトの地面へ広がる導火線に火が灯り、その先のドラムかんへと火の手が伸びた。
直後、ドラム缶が爆ぜその周囲を大きく炎で包む、うねる熱をもった焔が空へと大きく背伸びした。
ドラム缶入っていた燃料が全て消えたのか。やがて一時の猛火が落ち着きを見せると、中心にあった物の影が見えてくる。しかし、そこにSRTの姿はなかった。
「……あらあら、まだ残りが居たのですね。まぁ、当初の目的は果たせました。後は連絡を――」
言葉を遮るようにスマホから着信が鳴る。取り出して確認すると相手は貨物の方に向かわせた不良生徒からだった。
連絡が来るにしては少々早すぎる。懸念を抱きつつ電話に出れば、慌ただしい声が耳を届いた。
「おいっ、――ごほッ……っぁ聞いてた話と違うぞ!カイザーの奴ら護衛を雇ってるじゃねーか!」
「……あら」
護衛、……そうですか、外部に委託出来ないと踏んでいましたが、思いのほかカイザーも大胆なことを致しますね。これ以上あの兵器の情報を流出させたくない筈ですが、詳細を伝えずに依頼をしたのでしょうか。
よしんば護衛が居たとて、略奪してこいと私は言った図なのですが、何と出来の悪い不良たちなのでしょうか。いえ、そんな事を考えてる場合ではありませんね。
「しかたありませんね。
「はぁ!?船は沈められた!今更何で追いかけるってんだよ!」
「貴方たちは何でも良いので海を渡れるものを探しなさいな。追いつけるように船を留めておきますわ」
その場を離れて戦闘中に打ち落とした物を見に行く。操縦席に居た生徒を狙い撃って、そのまま地上へと降りたが破壊出来ていなかった筈だ。
「姉御の方もまだD.U.に居んだろ。どうやって追いかけるつもりなんだ」
彼女の言う通り、今更追いかけて追いつける様な状況ではありませんが、手段を択ばなければ案外何とかなるものですの。
当たりを付けていた場所に来れば確かに目当ての物があった。フロントガラスは砕けて割れてしまっているが、たいして支障はないだろう。
操縦席で伸びている生徒を外へ放り出し、システムを立ち上げて燃料の残量を確認する。……片道切符にはなるでしょうけど、戻りの際はボートでも探すと致しましょう。
「私はヘリを、SRTの方々が残した物ですので十分かと。して、カイザーが雇った傭兵は誰ですの?」
「へ、ヘリ!?いや、そうか分かった。奴らが雇ったのは
「……なるほど、土壇場で雇った訳ですね。エンペラーに瑕を付けた件もありましたし、やはりカイザーと……」
プロペラが回りだし風を切る轟音が直に耳へと届く、要件を聞き終えたスマホを制服の内へとしまい込む。
あの盗人一味に護衛依頼とは、カイザーも焼きが回ったのでしょうか。あの集団の情報は多少なりとも分かっているつもりだ。
正体不明4人組の強盗団。現状、所属校や学年も明かされていない生徒たちだが、彼女達は強盗団であって
「うふふっ、私の物に手を出すだなんて不運なこと」
この私から奪えると思ったら大間違いですわ。貴方には貴方の、私には私のテリトリーが存在するのですよ。
ねぇ? 銀羽のカラスさん?