LobotomyCorporation
「翼」の一翼にして巨大エネルギー生産企業であるこの会社が、現在の俺の就業先だ。
就職当時は俺も気持ちが若かった。あの翼に入社できる幸運に歓喜したものだ。もう裏路地と縁を切れると思うととても清々しかった。裏路地に残すことになった友人には、L社への勧誘と巣での再開の約束を交わした。果たして元気だろうか。
しかし仕事を割り振られて数日もしないうちに、ここは裏路地よりもマシな地獄だったと思考を更新した。結局ここでも命は脆く、違いは巣に与えられた住居くらい。巣の居住権とここが裏路地よりもマシな地獄であるということだけが俺がここにいる理由だった。
俺の勤務しているL社は「アブノーマリティ」と呼ばれる異形からエネルギーを抽出する企業だ。アブノーマリティに適切な作業を行うことで、アブノーマリティはエンケファリンというエネルギーを生成する。管理職の人間はアブノーマリティに作業を行いこのエネルギーを生産するのが職務である。
このアブノーマリティというのが曲者で、裏路地にたまに出没する化け物みたいなやつらといえば分かりやすい。要は人間なんて容易く殺せるってことだ。
そんなアブノーマリティと接触する管理職のみなさんは、さぞ優秀で勇敢な職員なのだろう。
対して俺は管理職ではなく、ここの事務職として勤務している。書類手続きや施設点検、施設の稼働が主な事務職の職務だ。
ならば管理職と比べて危険もないし、安全じゃないかと言われればとんでもない。管理職と事務職には業務内容以外に明確な差がある。
直接アブノーマリティに作業を行う管理職らには、E.G.Oと呼ばれるアブノーマリティから抽出した装備が支給されている。
これは戦闘訓練を受けていない一般人を対化け物一兵卒へと昇華する代物だ。目には目を、歯には歯を、化け物には化け物を。アブノーマリティを対処する上で必須と言っても過言ではないだろう。
そんな彼らと職場を共にする俺たち事務職は、丸腰だ。
ひとたびアブノーマリティが反旗を翻した瞬間、合成繊維でできたスーツを纏う事務職なんて施設に約60kgの生ゴミを生産するだけの障害物に他ならない。唯一事務職に支給されるのは自衛兼非常事態用の9mm拳銃が一丁だけだ。
その拳銃にしても、なんらアブノーマリティに対する攻めの一手にもなりえなかった。俺に拳銃と激励を送ってくれた先輩事務職が、帽子と対峙した際に自らこめかみに銃を突きつけ、脳髄を撒き散らすことで使用用途を教授してくれた。
俺たち事務職に配られた専用マニュアルには「アブノーマリティは安全です!」なんてふざけた文言が記載されていた。甘い言葉が並べられた嘘だらけのマニュアルに関しては、真実を知ったその日に燃やしたさ。今にして思えば、燃やしたことで日々の業務が分からなくなったのは痛手だったが。
緊急時にはいわゆる消耗品のように扱われるのが事務職だ。既に同期は一人も残っていない。社是に則って言えば「退社」してしまった。
しかし俺はここまで生き残っている。裏路地で鍛えた逃げ足と幸運があっただけだ。ここで就業するうえで一番必要な能力なのかもしれない。
あぁ、一度だけ管理職が到着する前にアブノーマリティを鎮圧したこともあったか。その時は大量の事務職の銃弾と命を消費した末の勝利だったが。
血肉で汚れた廊下の有様が、未だにまぶたの裏に住んでいる。掃除をしたのが俺だから。
これがあの翼のL社の実情だ。新進気鋭のL社がこんなに血でメスを入れているんだ。他の翼はどれだけ血濡れた羽が生えているのだろうか。
ベッドから天井を見ながら、手の届かない天上の有様を夢想した。
巣の一角にある自室にて。
俺は自慢じゃないが、毎日決まった時間に起きられる。正確には起きてしまうのだが。
普段は目が覚めたらすぐに顔を洗いに行くが、今日はベッドの上でしばらくぼーっとしていた。
ベッドから出た俺が起床後のシャワーを浴び、いつものように業務用PCを確認すると、社からの業務連絡のメールが届いていた。
はて、一体なんだろう。もしかして昇給のお達しだろうか。だったら良いな。
俺はメールを開いた。
──────────────────────
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ辞令ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
事務職ㅤレスターㅤ殿
本日をもって教育部門事務職の任を解き、
懲戒部門管理職に任ずる。
○○年○月○日
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤLobotomyCorporation
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ管理人ㅤX
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ
──────────────────────
昇給は昇給だろうが、求めていた内容とはかけ離れていた。事務職から管理職への昇格なんて聞いたことがない。そもそもE.G.Oへの適正で管理職か事務職か配属していると昔いた管理職に聞いたことがある。異例も異例だ。
後輩の悪戯かとも思ったが、管理人の署名が入った辞令を無視するほど愚かでもなかった。出社したら問い合わせてみるか。
朝っぱらから面倒くさいことこの上ない。棚に入った固形保存食の封を口で裂きながらカーテンを開け放つ。今日も汚れた雲が空を埋めている。良い日にはならなそうだ。
「ええ、間違いなくレスターは本日付で管理職に昇格してるわね」
「……本当かアリサ?」
「なによ、私が嘘を言うわけないじゃない」
そう言うとアリサは眼鏡越しにこちらを睨んできた。あらら、おっかない。
知り合いのオペレーターのところへ出向いてに問い合わせた結果、後輩の悪戯の説は消えた。どうやら俺は本当に管理職に配属されたようだ。口から変な息が漏れそうになる。きっとこんなときにタバコを吸うのだろう。
するとアリサの後ろから事務職の後輩が顔を出した。最近俺と同じ教育部門に配属された元気が取り柄のうるさいやつだ。
「あ、先輩! おはようございます! お届け物きてますよ!」
「ん、届け物? 差出人は、誰からだよ」
「管理人です!」
管理人からは随分と手厚いフォローをしてもらえているようで。どうなってるんだよ。
後輩の手には標準サイズのダンボールが抱えられている。受け取ったところ、さほど重量はなかった。内容物は衣類等らしい。
アリサからカッターを受けとりダンボールを開けると、中には支給スーツと警棒、そして懲戒部門の腕章が入っていた。
「おー、すごいじゃないですか先輩! 異例の昇進ですよ! 凄いなぁ」
「あら、懲戒部門ね。頑張ってねレスター君、愚痴なら付き合うわよ」
アリサは盃を煽る仕草をして微笑んだ。確か次は俺が奢る番だったか。俺は片手を上げて返事をし、重い足取りで着替えに向かった。
思わずため息が漏れそうになる。事務職と管理職、どっちが安全かなんて議論をするつもりは毛頭ない。だが肉体的にも精神的にも刺激が強い日々になるのは容易に想像することができた。
それからの日常は研修に充てられた。作業内容について、鎮圧について、E.G.Oの扱いについて。幸い本社から届いた研修用のロボットに対して気持ちは揺れなかったが、いくらなんでも数日に詰め込み過ぎだ。……まぁ入試村のときよりは数段マシか。
さらに数日後、短期記憶型詰込み英才教育という名の研修を終え、俺はついに管理職に相応しい人材となったようだ。なんだかんだ翼に就職できる奴らは皆エリートってわけか。凡人にはきつい。俺はさっそくもボロボロになりかけているスーツに腕を通し、隈の消えない顔で出社するのだった。
「初めまして、今日から管理職に配属されました。俺の名前はレスターです。よろしくお願いします」
出社直後に懲戒部門チーフに
「懲戒部門へようこそレスター、歓迎するよ。私はシエラ、懲戒部門のチーフをしている、よろしくね」
後ろで縛った髪を揺らす部門チーフのシエラは、青いネクタイに黒いロングコートを着用していた。青いネクタイのE.G.Oは優秀な職員しか着用できないらしい。青いネクタイそのものが彼女の優秀さの証左だった。
「しかし事務職から管理職への昇進とは驚いたよ。普段ではありえない人事だからね。君は優秀だったのかな、心当たりはあるかい?」
「いいえ、まっったく」
「おぉ、力強い否定だね。しかし新しい教育部門のチーフから君の武勇伝はいくつか聞いてるよ。危険レベルTETHとはいえ、鎮圧したらしいじゃないか」
「え、そうなの?」「やるなー……」
「……あれは事務職のやつらが命懸けでダメージを与えてくれていたのを、俺がトドメを刺しただけですよ」
「それでも鎮圧という結果は変わらないと思うがね。……ふむ、君はあの辞令にはあまり納得していないのかな。さっきから君の眉間のシワが取れそうにない」
「納得云々ではなく、理解ができないですね。何の可能性を俺に感じたのかは知りませんが、管理人の采配は錆び付いたと感じざるを得ませんよ」
「ははは、そうか! しかしそれはあまり大きな声では言わない方が良いだろう。それに今の管理人は観測レベルの高いアブノーマリティに対する目立った作業指示のミスもないし優秀だよ。……っと、他の管理職のみんながお待ちかね、かな」
シエラが身を引くと、まず水色の外套を羽織った長髪で緑髪の女性がまず身を乗り出した。
「まず最初は私からね。私の名前はクローディア、よろしくね。職員ランクは4なの、まぁまぁベテランでしょ。昨日に続いて新人が来てくれるなんて嬉しいわ」
「どうも……昨日に続いて?」
「そうなの、そこの支給スーツを着てる紫髪の子だよ。つい昨日この懲戒部門に来たばかりなの。早速後輩ができちゃったね、リラ」
クローディアが振り返り、人の輪の端で椅子に腰かけていた猫背の女性に声をかけた。リラと呼ばれた女性は長い前髪の間から瞳を覗かせ、ちらりとこちらを窺った。
「……リラです、どうも」
「……ってリラ、それだけ? もっとこう……ないの? 実質同期みたいなものだし、親睦を深めるのも楽しいと思うよ?」
「……考えておきます」
リラは顔を伏せ、前髪でカーテンを作った。クローディアは苦笑し、俺に「なんかごめん」と軽く謝罪を口にした。クローディアが下がると、今度は茶髪の男性が俺の前に出てきた。
「次は俺でいいかな。久しぶりだなレスター、俺のこと覚えてるか?」
……急になんだこいつ。俺はこいつの顔をよく見てから記憶と照合した。そして名前は覚えていなかったが、かつて教育部門で話したことがある管理職であることを思い出した。
「……前に教育部門にいた…やつ」
「……前に言ってた名前覚える気ないってのは本当だったんだな。教育部門ではあまり話さなかったかもしれないが、ジェームズだ。よろしくな」
ジェームズは親指を俺に立て、ハハハと笑った。確か彼は帽子の脱走前に異動したから被害には遭っていなかったはずだ。悪く言えば悪運が強い人だ。
「あれ、スローン先輩も挨拶しないと。ほらほら、せっかくの新人なんだからさ」
クローディアの声の方に目を向けた。そこには軍服のような白い服に黒いマントで口元を覆う、白髪の混じった頭髪をした老齢の男がいた。おそらく何度も死線をくぐったのであろう、圧と貫禄があった。
「スローンだ」
「……スローン先輩、もう一言!」
「……期待している」
スローンはそう言い残すと、テーブルにラッピングされた飴玉をカラコロと出してメインルームを後にした。飴玉をよく見ると、有名な甘味メーカーの高級品だった。端っこにいたリラも飴玉を一つサッと取るとパッケージ越しにまじまじと見つめていた。猫みたいなやつだなこいつ。
「相変わらず口下手だねぇスローン先輩……」
「まぁみんなの名前だけでも覚えてやってくれ」
シエラは薄く微笑むと俺の背中をバシバシと叩いた。すらっとしているのに、どこからそんなパワーが出るんだか。スーツ越しなのに背中が少し痺れた。
クローディア、リラ、スローン、ジェームズ、シエラ……。
少人数での活動のポイントは円滑なコミュニケーションだ。名前すら覚えられないようではいけない。場合によっては外食等に同行する羽目になるやもしれないのだ。ある程度の関係を築くことは大事だ。事務職のときならばこんな苦労をしなくて済んだのだ。おのれ管理人……。
クローディア、リラ、スローン、ジェームズ、シエラ……。
その後は壁時計を見上げたジェームズの「そろそろ業務時間だぞ、シエラ」という言葉からそれぞれ作業のため解散することになった。
俺はスペースが空いたソファーに腰掛け、管理職に支給されるタブレットを確認した。タブレットでは今日の作業内容や作業対象についての情報を閲覧することができる。自らの価値観のランクを確認することも可能だ。現在の俺はすべての価値観のレベルが1だった。
今日の作業対象は観測が進んでおり、詳細情報がある程度開放してあるアブノーマリティであった。おそらく新人でも任せられるアブノーマリティを管理人が回してくれたのだろう。
基本的に配置されて間もないアブノーマリティだと観測レベルが低く、詳細情報が分からない。これは事務職の時に、どんな時でもよく笑っていた管理職の女性から教えてもらったものだ。その会話を最後に彼女は帽子の起こした雨に殺されたが。
……思い返せば、俺が昨日までいた部門は帽子に一度壊滅させられたのだったか。
そう俺が過去に所属していた部門に対して思いをはせていると──
「……レスターさんの最初の作業対象は何ですか?」
唐突に背後から声をかけられた。驚いて手元のタブレットを落とさなかったのはおそらく自制が低くはなかった賜物だろう。振り向くとそこにはリラが中腰で覗き込んでいた。
「今から確認をしようとしていたところだったのですが」
「それは失礼しました。ところでそれ、私も一緒に確認しても良いですか?」
「……使い方は分かりますよ?」
事務職上がりが業務を確認できるかチェックしようという意図なのだろうか。俺は事務職の経験があるため難はないのだが、部門チーフはそこら辺の説明はしていないのかもしれない。まあ教育部門の事務職だったし畑は違ったので知らなくても仕方がないが。
「えっと、そうではなく。クローディアさんも言ってましたが私も先日ここに来たばかりで。あなたとは同期みたいなものなので。仲を深めるのも悪くはないかなと思いまして。なのでその、一応私が先輩みたいなので先輩っぽいことでもしようかなと……思いまして……」
リラは言葉を確かめるようにゆっくりと話した。最後のほうは消え入りそうな声になり、表情はあまり変わらなかったが少し俯きがちになってしまった。別に断わってはいないのだが。
「分かりました、一緒に確認してくださいリラ先輩」
リラの提案を受けると、リラは顔を上げた。無表情ながら口の端を不器用に歪めていた。笑顔は苦手なようだ。
俺はリラにも見えるようにしながらタブレットの作業指示の項目を確認した。そのアブノーマリティはリラ曰く「私も昨日担当しました、多分管理人は新人実地研修扱いしてるのかもしれません」とのこと。
そこにクローディアが合流し、彼女が収容室への案内をかってでてくれた。俺は渡りに船だとありがたく乗船することにした。メインルームを出るとき、リラは控えめに手を振っていたのが見えた。
俺はクローディアの後に続きながら作業対象の確認を改めてする。
危険ランクZAYIN『予言屋』