「ねえ、ノノミ」
「はい、なんでしょうか?」
「ちょっと近くない?」
おかしい、私はさっきまで買い物をしていただけの筈なのにどうして路地裏でノノミに壁ドンされているのだろうか
彼女の目がギラギラしているのは多分きっと気のせいだと思いたい
「そうでしょうか?いつもこれぐらいの距離感だと思いますけど……」
平然と言い放つ彼女を見てると頬がヒクついてくる、どうして皆こう……積極的なのか
ノノミが手を押し付けている壁を見てみるとそこにヒビが入っている、これがダンベルで鍛えた結果かぁ
「それよりも先生、私と一緒にお食事しませんか☆」
「えーっと……さっきも言ったけど今日は先約が────ヒッ!?」
また壁ドンされた、少しでも手がずれていたら今度は私の顔が潰されていただろう
それを想像すると背筋ゾッとしてきた……って思ったけどもしもの時はアロナがなんとかしてくれるだろう
《すぴー……すぴー……いちごかすてら……ばななかすてら……うぇへへへ……》
駄目かもしれない
「先生、私……先生の行きたいお店ならどこにでも連れて行けますよ?」
「……きゅ、急にそんなこと言われても……」
「展望台の中でも、海上でも、それこそ飛行機をお借りして遥か上空でのお食事だって……どんなにお金が掛かることだって私なら………」
ノノミは自身の服の内側のポケットからゴールドカードを取り出すとそれを私の手に握らせてくる
〝やめて〟と言おうと顔を上げてみるが、その時正面から直視してしまったノノミの舐め回すような視線に思わず身体が固まってしまう
獲物を見つけた時の瞳から獲物を狩る時の瞳へと変わっていた
「先生?私と一緒なら先生の欲しい物はなんでも手に入りますよ?高い玩具も沢山買えますし毎日美味しいご飯だって食べさせてあげます、それに……働かなくてもお小遣いだってあげちゃいます☆」
これ程生徒が慕ってくれているのはとても喜ばしい事だけど、かと言って人の心をお金で買おうとするのは間違っている
そんなことをされても私の心が本当の意味でノノミに惹かれることはないだろうし、それがどれ程魅力的な提案だったとしても倫理的にも大人としての立場的にも私が頷く事は決してない
「さあ、先生……先生が今一番欲しい物はなんですか?」
逃げ場を失った私の耳元でノノミが囁く
今一番欲しい物か……一番……一番……
「……酒泉の手料理が食べたいなぁ」
それは無意識の内に口から出てきた一言だった
さっきまで食事がどうのこうの話していたせいで昨日酒泉に作ってもらったビールのお供達を思い浮かべてしまった
特にそれ以外の意図がある訳でもない一言だが、何故か直後にノノミの周囲を漂う空気が冷たくなったような気がする
「……やっぱり彼ですか」
「……え?」
「先生はいつもそうですよね、何処で誰と関わっていようと意識の端にはいつも酒泉君の存在がある……私達の方が先に出会っていたのに」
私達というのはアビドスの皆のことだろうけど、酒泉と出会ったのも風紀委員とドンパチしてた時だし時期的にあまり違いはないはず
……だけど、ノノミは何故かそれが気に入らないらしい
「私達にとって先生は突然現れたヒーローみたいな存在なんですよ?大人が皆衰退していくアビドスから目を背ける中、私達を見捨てず悪い大人達に立ち向かってくれた正義のヒーロー……」
「そ、そんな大袈裟な────」
「大袈裟じゃないですよ」
ノノミの指がピトリと唇に当てられ、言葉を止められる
「先生はご自分の活躍を過小評価しすぎです……ですので!先生がどれだけ私達に愛されているのか直接身体に教えて差し上げますね♡」
「えっと……一応聞いておくけど、身体に教えるってのはどういう……」
「それは勿論……♡」
あ、イチカの時と同じパターンだ
そう思った時には既に遅く、私の腕はノノミの手によって押さえつけられていた
可憐なその姿からは想像もつかないようなノノミの鍛えられた手に強く握られて痛みを感じてしまうが、ノノミはそんな私の様子などお構い無しに顔を近づけ────
────はーい、この人俺の連れなんでそこまでにしてくださいねー
「……奇遇ですね、酒泉君☆…………どうしてここに?」
────俺ですか?俺はショッピングです
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「あ、ありがとう……また襲われるところだったよ……」
ホッと一息吐く先生、相変わらずの苦労人っぷりだ……まあ、女の子を無自覚に口説き続けてきたこの人の自業自得なところもあるが
それにしてもちょっと目を離した隙に絡まれるとは……銀行に金を下ろしに行っただけなのにその間に十六夜さんと偶然出会ってしまった不幸もあるけど
「いてて……」
────……さっき腕掴まれてましたけど大丈夫です?
「うん、痣にはなってないから」
……銀行がちょっと離れた所にあるから〝ここで待っててください〟って言ったのが間違いだったか、先生も一緒に連れていくべきだったな
────……先生、家まで送るんで今日はもう帰りません?
「駄目だよ、それだと昨日ご馳走してもらったお礼ができないでしょ?」
昨日はあんな厚かましいムーブをしておいていきなりだと思うが、先生は実は律儀な人間だ
昨日先生の為に作った料理は全部先生の自費で買った食材を使用した物だが、それだけじゃなく俺が数日間過ごせる程の量を買ってきてくれていた
お礼ならそれだけで十分なのだが、先生はなんと後日の俺の買い物まで付き合うと言い出した
「ほら、私の心配はいいからさ……もう行こ?」
そう言って手を差し出す先生、先程あんな事があったというのに何も心配してなさそうだ
……まあ、今度は俺も一緒だし大丈夫かな
────……つーか、手を差し出されても別に繋いだりしませんよ
「……あ、つい」
……もしかして他の生徒にもやってたり?だから誤解されるのでは?
──────────
────────
──────
「今日は何を買うの?」
────圧力鍋、美味しそうな豚の角煮のレシピをみつけたんでレシピ通りに作ろうと思って
「お、おお……随分と急だね……そんなに気になったの?そのレシピ」
────……いや、先生が昨日酔っ払ってる時に言ってたんですよ?
「……え?」
これは昨日の話だ、先生が料理を摘まんでそれを酒で流し込みながら適当にザッピングしているとテレビにとある料理番組が映った
その料理番組では頭にヘイローを浮かばせた女性が圧力鍋を使って豚の角煮を作っており、それを見た先生は〝おー〟と声を溢しながらこうせがんできた
『ねえしゅせん、こんどはあれつくってよー』
『……はい?』
『あれもぜったいおさけにあうよれー』
べろんべろんに酔っ払いながら舌足らずに喋る先生は俺の腕をしつこく引っ張りながら何度も何度も頼み込んできた
やれ〝一生のお願い〟だの〝聞いてくれるまで一生ここに住む〟だの〝酒泉を私の嫁にする〟だの酔っ払いの面倒な絡みを受け続けた俺はやがて心が折れ、なら今度家に来る時にご馳走すると約束してしまった
因みに先生に一生のお願いを使われるのは10回は余裕で越えているはずだ
「えーと……ま、まさか本気にしてくれたの?てっきりいつもみたいに酔っ払いの絡みだと思われてるって思ってたんだけど……」
────はい?冗談だったんですか?
「い、いや……酒泉の作る角煮を食べてみたいのは本当だけど……」
まさか本当に作ってくれるとは、そう呟く先生は顔を赤らめながらどこか申し訳なさそうにしている
……突然厚かましくなったり、かと思えば急に遠慮してきたりと……俺はこの人の中の判断基準がよく分からない
「な、ならお金は私が出すよ!そこまで負担を掛けるのは流石に申し訳ないし……」
────自分用の料理でも使うつもりなんで別にいいっすよ
「でも……ほら……そ、そうだ!私だってこれから何度も酒泉の料理のお世話になるだろうし!」
暗に〝これからもお前の家で飲むぞ〟と伝えられるが……まあ……別にいいか
先生は普段から生徒達の頼みを聞いてるんだし、逆にそんな先生の頼みを聞く生徒が居てもいいじゃないか
────……じゃあ、割り勘ってのはどうですか?2人ともお世話になるなら2人で払えばいいんですよ
「う、うーん……それでもまだ申し訳ないというか……」
────言っときますけどこれ以上譲歩はできませんよ、もしまだ何か文句を言うつもりなら全部俺1人で払いますからね
「……分かった、じゃあ割り勘にしよっか」
渋々といった感じで頷く先生
これで話は終わったしさっさと調理器具コーナーに向かおうと足を進めようとし────突如、先生が俺の腕を小さな手で掴んできた
「その……色々とありがとね、キヴォトスに来てから酒泉には何度も助けられちゃってるね」
────……色々?
「調印式とかそういう大きな事件でもそうだけど、それと同じくらい日常的にも助けられてるからさ」
先生は腕を掴んだままポツリポツリと語り始める
「ほら、私って外の世界からやって来たでしょ?だからキヴォトスの子達の価値観とか倫理観はよく分からなくてさ……だから私なりのやり方で接してきたんだ」
「生徒が大切だっていうのもその生徒の力になりたいっていうのも全部本心だから、それを包み隠さず伝えながら〝皆の先生〟として頼られるように頑張ろうって……まあ、その甲斐もあってか皆慕ってくれるようになったんだけど」
「……でも、まさか〝皆の先生〟以上の感情をぶつけられるほど慕われるとは思ってもみなかったよ」
疲れ果てたように肩を落とす先生、その反応も当然だろう
生徒が先生に恋心を抱くのは……まあ……外の世界でもあり得る話だろうけど、でもその恋心が意中の相手を襲ってでも手に入れたいと思うほどエスカレートするなんて滅多にない事だろう
しかもそれが同性相手、外の世界でも女性同士で付き合う自体はあるだろうけど……〝生徒と先生〟という関係である〝同性〟に〝無理矢理襲ってしまう程の愛情〟をぶつけられる機会なんて人生で一度も訪れなくても何ら不思議ではない
先生はそれだけ特殊な環境に身を置いているのだ
「私は先生として当然の事をしていただけなのに、何故か皆は私に……その……え、えっちな感情を抱いて襲ってくるし、ちょっと前まで普通に接していたはずの生徒達まで突然豹変して襲ってくるし……」
「……なんか、信じていた生徒達に裏切られたような気がして正直精神的に限界だったんだ」
「だからっ、酒泉みたいなずっと何も変わらず私と話してくれる人とこうして一緒に居られるのは嬉しいというか……その……」
「わ、私が言いたいのは!……あの……えっと……」
「こ、これからも…………よろしく、ね?」
おずおずとしながら此方の顔色を窺う先生
空いている方の手で青い髪をいじいじと触りながらも俺の腕は離さず、その緑の瞳で不安そうに見上げてくる
……なるほど?こんなムーブばっかしてるから生徒達が興奮するのか
これは確かに先生LOVE勢が暴走するのも理解できるな、俺だって今普通に〝かわいい〟って思ったし……まあ、襲いたいとは1ミリも思わないけどな
というよりもそんな感情を抱いてしまったら俺を信頼してくれている先生に失礼だ、だから絶対に惚れたりはしないつもりだし、もし先生を襲いたくなるほど惚れてしまいそうなら自ら遠ざかるつもりだ
……まあ、そうなるまでは今まで通りの関係を続けていこう
先生を助けて、ビールを飲む先生に時々(最近は毎週になってきてるけど)料理を振る舞って、愚痴を聞いたりもして
だから────
「またアイツと……!」
パーカーを被って後ろからこそこそ付け回しているキャスパリーグにも
「先生、最近ゲーム開発部に来てくれないと思ったら……酒泉君と……どうして?」
卑しいで有名なゲーム好きの妹属性にも
「……こちらRABBIT1、追跡を続行します」
兎ではないらしい小隊長にも
「……ん、ノノミの報告通りだった」
青い覆面を被った銀行強盗にも
「……お酒の飲み過ぎは良くありません、だから先生を縛ってでも止めないと……!」
いつの間にか後ろに立っていることで有名な救護騎士団の少女にも
とにかく、さっきから尾行してくる奴等に先生を襲わせる訳にはいかない
……圧力鍋を買いに来ただけなのにどうして俺が圧力を掛けられてるんだか
「どうしたの?行かないの?酒泉」
────……いえ、今行きます
うん、とりあえず背中に突き刺さる殺気には気づかないフリをして買い物を続けよう
……待てよ?先生への恋心以上の殺意を俺に向けさせることができれば少なくともその間先生は狙われないのでは?
…………いや、それをやると少なくとも小鳥遊ホシノというキヴォトスの最強格を1人は確定で相手しなければいけない事になってしまう
俺だって命は惜しいしこれは最終手段にしておこう
……先生はキヴォトスに骨を埋める覚悟なのか、それともいつか外の世界に帰るつもりなのか、その辺りの話は聞いたことがない
だからさっきの先生の〝これからもよろしく〟という言葉がいつまでを指し示しているのかは分からないが……まあ……可能な限りは助けになろうと思っている
……最悪、キヴォトスの外に無理矢理にでも送り返すか。こんな街で無理矢理生徒に襲われる前に外の世界で自分の好きな人と出会ってその人と幸せになってもらいたいものだ