「はぁ……はぁ……もう、せめて走る程度の体力は残させてよ……」
先程自身の足止めついでに散々痛め付けてくれたゲヘナの風紀委員長への愚痴を吐きながら目的地に向かうミカ
話し合いは人気の少ない場所で、そのメッセージを送ったミカが指定した場所は草の緑と川の透明以外特徴的な色がないありふれた河川敷
子供達が遊んでたり釣り人が欠伸をしながら獲物を待っているぐらいで特に人気スポットという訳でもなく、それなりの声量で会話しても子供達の騒ぎ声や川の流れる音である程度はかき消せるという都合の良い場所
……とはいえ、今のミカはボロボロなので道中会った通行人の視線を集める事にはなってしまうが
「……いた!おーい、酒泉く────」
そして、それは酒泉も同じ
自身の身体から出血はしていないものの、それでも倒した相手の返り血が衣類に付着している
尤も、酒泉は汚れた上着を脱いで裏返してからズボンに纏わせているので目立つような部分は隠せているが
「あ、やっと来まし……なんでそんなにボロボロなんです?」
「いや、それはこっちの台詞というか……な、なんでそんな血塗れなの?まさかまた事件に巻き込まれて怪我したとか……」
「違います……気にしないでください、殆どただの返り血なんで。それより聖園さんは話があって会いに来たんでしょう?俺なんかどうでもいいじゃないですか」
どこかやさぐれた雰囲気を感じさせる酒泉に疑問を抱くが、酒泉本人にいきなり本題から求められた事ですぐに思考を切り替える
「えっと……じゃあ……早速本題に入るね?私が酒泉君を呼び出した理由、それは……もう一度酒泉君に告白する為なの」
「……またですか?俺の答えは変わりませんよ?また振りますよ?」
「うん、分かってる……むしろそれが目的だったから」
「……はい?」
「いつまでも酒泉君の事が頭から離れなくて辛いから最後に一回だけ告白して、それで綺麗さっぱり振られて終わりにしようって……そう思ってた」
「……思ってた?今は違うって事ですか?」
「どっかの風紀委員長さんにぶっ飛ばされちゃったせいで諦め切れなくなっちゃった☆」
「それ、空崎さんの事ですか?その怪我といい俺の知らないところで一体何が……」
お互いがお互いの身に何が起きたのか知らない状況、その中でヒナの名前を出されれば流石に今の酒泉でも気になってしまうもの
その事について酒泉が問い質そうとするよりも先にミカが口を開いた
「怒られちゃったんだ、酒泉君を傷付けるなって。貴女が振られて楽になりたいが為だけに酒泉君を利用するなって」
「……告白の件、話したんですか」
「うん、話したよ。そしたらムカつくぐらい言い返せない正論で身も心もボコボコにされちゃった……思わず本音が出てきちゃうぐらいね」
「……その本音ってのが俺を諦められないってやつですか?」
「うん」
全て正直に話すミカ、その姿に嘗て強がってばかりいた素直じゃない少女の面影は全く見当たらない
一方で酒泉の表情はミカの告白を断ったあの日と違い、暗く黒く陰が差していた
「……やめた方がいいですよ、聖園さんが努力してまで手に入れる程の価値なんて俺には一ミリもありませんから」
「……酒泉君、何かあった?」
「……どうして?」
「だって、酒泉君の断り方が前と違うんだもん。前までの酒泉君だったら態々理由なんかつけずに〝アンタの好意を信じられない〟って正直に答えてるはずでしょ?」
実際にその身で体験したからこその説得力、酒泉の身に何かしらの変化が起きたであろう事に気付くにはミカにとってそれだけで十分だった
二度に渡る拒絶、それを受けた張本人を相手に今更態度を取り繕ったところで大して意味はないだろう
そう考えた酒泉は愚痴でも溢すかのようにぽつりぽつりと語り出した
「…………羽沼マコトを、殴った」
「え?」
「ただの嫌がらせで風紀委員会に手を出してきたり、自分達は何もしない癖に仕事を押し付けてきたり、時には仲間の命すら危険に晒すような過激な手段を使ってきたり、それを反省せずに何度も何度も何度も繰り返されて、うんざりして、全部面倒になって、諦めて、それで…………気がついたら本能のまま暴れてた」
「……」
「殴って、殴って、蹴って、髪を掴んで無理矢理起こして、また殴って蹴って、血が出ても吐き出しても構わず痛めつけていた」
未だに忘れられない手の感触、完全に拭き取れず赤が残ったままの拳を握る
棗イロハに止められるまで振り続けていた自分の手と足が今の酒泉にとっては何よりも恐ろしく見えた
「殺すつもりはなかった、人の痛みを分からせたいだけだった。でも……もし加減を間違えて羽沼マコトが死んでいたとしても、俺は果たして後悔していたと思うか?」
「思うよ、だって酒泉君は望んで人殺しになりたがるような人じゃないもん」
「俺はそうは思わない……いや、もう思えないんだ。自分の酷い一面を自覚した後じゃ、仮にあのまま羽沼マコトを殺していたとしても〝折川酒泉という男は大して気にしなかったんじゃないか?〟って思いがずっと頭の中にこびりついてるんだ」
「そんな事ないよ、現にこうして羽沼マコトを傷付けた事を後悔してるでしょ?」
「…………」
「……そっか、酒泉君は自分を信じられなくなっちゃったんだね」
恐ろしいものから身を隠す子供の様に頭を抱えて屈む酒泉
それは、いつも憎まれ口を叩き合っているミカにとっては初めて見る酒泉の姿だった
「自分の感情すら抑えられない、折川酒泉がこんなに情けない奴なんて知らなかったんだ……そんな俺が、自分の事すら理解できていない俺が、勝手な理想を聖園さんに押し付けて好意を疑った」
「……酒泉君」
「なあ、辛かったよな。一方的に自分を否定されて、酷いこと言われて、しかも頬まで叩かれて。ごめん、本当にごめん、こんな俺に聖園さんを拒絶する資格なんてなかったんだ。ごめん、ごめんなさい」
「酒泉君」
両肩に押さえられ、それでも謝罪の言葉をひたすら呟き続ける
その姿は奇しくも、先程何度も頭を下げ続けた赤毛の少女の姿に似ていた
「俺は、本当の俺はそんな立派な人間じゃない、俺は本当に駄目な奴だ。羽沼マコトにも聖園さんにも、感情が抑えられなくなったらすぐに暴力に頼っちまう程度の最低な人間だ」
「酒泉君、もういいよ」
「聖園さんが俺のどこを好きになってくれたのかはわからない……でも、これだけはハッキリと言える。折川酒泉は誰かに好かれるような人間じゃない、もし折川酒泉を好きになるような人がいたとすればその人は……折川酒泉なんか好きになるべきじゃなかった、愛する男を間違え────」
「やめて」
愛する男を間違えた、その一言を言い終える前にミカの手によって口が塞がれる
突然の事に困惑した酒泉がミカの顔を窺うと、その表情は怒りに染まっていた
「私どころか酒泉君に初めて告白したあの子の心まで否定するつもりなの?」
「……っ、悪い」
話を強制的に中断されたからか、僅かにだが冷静さを取り戻す酒泉
ミカはそんな彼を呆れた顔で見つめながら腕を組んで溜め息を吐いた
「ていうかさ、酒泉君の言ってること今更すぎない?」
「……今更?」
「私達はずっと傷付けあって生活してきたじゃん、それなのにどうして今更後悔してるの?殴った蹴ったが何なの?そんなのいつものキヴォトスと比べても弾で傷付けたか素手で傷付けたかの違いしかないじゃん」
「……でも、俺は必要以上に……」
「必要以上にってことは〝必要だった〟とは思ってるってことでしょ?じゃあちょっとやり過ぎちゃったから反省しようって思うだけでいいじゃん」
ミカの言う通りキヴォトスでは日常の様に銃撃戦が発生している
ちょっとした喧嘩で引き金を引き、バーゲンセールの奪い合いで引き金を引き、ただのおふざけで引き金を引く
それらは全て酒泉の拳の何倍も殺傷力が高く、酒泉自身も素手より弾丸で相手を傷付けてきた事の方が多い
「少なくとも親友との話し合いを最初から拒んで後に退けなくなって一人で勝手に突っ走っちゃった私よりはマシだと思うよ?」
「だから気にするなって?……無理だよ」
「うーん……何て言うか酒泉君ってキヴォトスで暮らすのに向いてなさすぎる性格してるよね」
「……俺もそう思う」
キヴォトスで生きる事を選んだのは酒泉自身の意思、しかし自ら望んでキヴォトスに来たわけではない
理不尽な死を押し付けられ、火薬蔓延る世界に強制的に送られ、子供の身一つで生き抜くには外の世界は広大すぎてやむを得ず転生先で生き抜くしかなかった
最初から全てを望んでここに残ったわけではなかった、もし元の世界に帰れる方法があるのなら実際に帰るのかはともかくすぐにでもその方法を探しはじめるだろう……それ程までに酒泉は前世を忘れられずにいる
キヴォトスで生きる為に仕方なく暴力に慣れるしかなかった少年、それが酒泉の正体。しかし彼は簡単に前世の価値観を捨てられるような人間ではなかった
〝出来る限りの話し合いを〟という前世基準の考えによって掛けられていたストッパーが限界を迎え、そして……最悪な形で破壊されてしまった
「……俺が、キヴォトスに来たのがいけなかったのか?」
何故前世と似たような世界に転生できなかったのか、そのような恨み言を心の中で呟く酒泉
そんな彼を見兼ねてか、或いは愛を伝える為か、ミカがふと後ろから酒泉に抱きつく
後ろから回される手、包み込まれる身体、突然の暖かな体温に困惑する酒泉
「……いきなり何すんですか」
「……ねえ、酒泉君。私、誰かを傷付ける事って必ずしも悪い事だとは思わないな」
「……は?」
「だって、酒泉君が私と戦ってくれなかったら私は今頃アリウススクワッドを殺してたかもしれないもん」
それはまだアリウスに情が湧く前の話、酒泉の中にアリウスに対する怒りが残っていた日
騙された恨みからサオリを襲撃したミカとやむを得ず戦闘する事になったあの夜の出来事
「私の事だって、ベアトリーチェだって、空が赤くなったあの日だって、酒泉君は誰かと傷付けあって大切な人達を守ってきたんでしょ?もしここが一切の暴力が許されない世界だったら今頃キヴォトスは滅びてるよ?」
「……でも、今回の件に関しては〝俺がそうしたいから〟暴力を振るった。世界を救うとか誰かを守るとかそんな大層な理由はなくて、俺自身が対話を諦めてそれを選んだんだ」
「それだって相手が懲りずに何度も害を加えてきたからでしょ?どうせ酒泉君の事だから今日までずっと耐えてそうだし」
「……なんでそう思うんだよ」
「好きな人の事は理解しようとするのが常識じゃんね」
「……」
「勿論、私だって何の理由も無い暴力は駄目だと思うよ?けど、酒泉君のそれは何かしら切っ掛けがあるんでしょ?」
「切っ掛け……」
自身の本能が暴走する前の出来事を思い浮かべる酒泉
上司を巻き込まれた事が切っ掛けだったか、それとも積もり積もったストレスが切っ掛けだったか
目の前の生徒達を明確に〝敵〟だと認識する前の記憶、それは確か────
【しかしまあ、あの魔女も中々に役立ってくれたな】
「……」
「多分だけど、酒泉君にとってその〝切っ掛け〟は相手をぶん殴りたくなっちゃうほど大切な何かだったんじゃないかな?酒泉君はきっと、その何かを守りたくてちょっと頭に血が上っちゃっただけだよ」
「……そう、なのか?」
「直接現場にいたわけじゃないから断言はできないけどね……あーあ、でもちょっと羨ましいなー」
「……羨ましい?何がだ?」
「だって、あの酒泉君が思わず暴れたくなっちゃう程の大切な〝切っ掛け〟だよ?もしその切っ掛けが誰か絡みだったとしたら、その人は相当酒泉君に好かれてるってことだしさー」
酒泉が今何を考えているか知りもせず〝いいなー〟と抱きついたまま拗ねるミカ
しかし酒泉は未だばつが悪そうに俯き続けている
「だとしても、俺はやっぱりその人が可哀想だと思いますけどね。こんな男を好きになっちゃったんですから」
「まだ言うの?私は酒泉君のこと大好きだけど自分の事を可哀想だとは思ってないけど?」
「……本当にハッキリ言うようになりましたね、アンタ」
「だって好きな人には素直でいたいし……もう後悔したくないから」
「……散々説明しましたけど、俺はすぐ暴力に頼る癖に後から後悔するような男ですよ?」
「すぐ暴力に頼ってナギちゃんとせイアちゃんを傷付けて後から後悔した私とお似合いだね」
「……何もかも中途半端な男ですよ」
「勝手にサオリ達を恨んで勝手に許した中途半端な私と同じだね」
「…………ここまで言っても諦めようとしないなんて……いいですよじゃあ、そこまで望むなら一緒に堕ちてみます?」
「堕ちないよ、私が酒泉君を引っ張りあげて幸せにしてあげるから」
おかしい、自分の記憶の中の聖園ミカはこんなにも強かっただろうか
自分を抱き締めている少女は、少し前まで自分のせいで精神が不安定になっていたはず
(この人にとって俺は────そんなに大切な存在なのか)
あんなに酷いことをしたのに、あんなに酷いことを言ったのに
こんなにも強く抱きしめながら、こんなにも愛を伝えてくるのなら、きっと彼女は本当に────
「……聖園さん、本当に俺の事が好きなんですね」
「前からずっとそう言ってるじゃ────いや、前は全然素直に伝えてなかったね……うん、じゃあ今から改めて伝えるね?」
スッと酒泉から離れ、その肩を支えて立ち上がらせるミカ
そして赤く火照った顔で、だが満面の笑みで口を開いた
「酒泉君、好きです。私と一緒に幸せになってください」
少し離れた場所でボール遊びをしている子供達の声も、獲物を捕らえて盛り上がっている釣り人達の声も
この瞬間だけは二人の耳には聞こえなかった
今、この空間に響いているのは────少女の告白だけ
「……俺は……その……」
「あ、答えは別に今じゃなくていいよ」
「えっ」
……だったのだが、ミカはそんな空間をぶち壊すかのようにアッサリと酒泉の口を止めた
「傷心中の酒泉君に告白して成功したところでそれは吊り橋効果でしかないし……いつもの状態の酒泉君を惚れさせないと意味ないと思うんだよね」
「……なんじゃそりゃ」
「大好きな人には心の底から大好きになってもらいたいでしょ?」
ぱちん☆とウィンクしていつもの雰囲気を醸し出すミカ、その姿に酒泉は呆気に取られながらも〝ああ、いつもの聖園さんだ〟と少しの安心感を覚える
「という事で!これからも私の〝酒泉君を堕とそう作戦〟は続くから!覚悟してね☆……あ、でも万魔殿にあまり接触するなって言われてるんだっけ」
「……まあ、盛大に暴れたんで退学になるかもしれませんし……その後なら幾らでも会えますよ」
「……酒泉君はそれでいいの?」
「別にゲヘナの人達と一生会えなくなるわけじゃないんで……ああ、でも俺が居なくなった後も万魔殿が風紀委員会にちょっかい掛けないかだけが心配ですね」
「わーお、相変わらず風紀委員愛が強いね……ねえねえ、もし退学になったらトリニティに来ない?私がナギちゃんとセイアちゃんに色々お願いしてみよっか?」
「いや、なんかもう……どの組織にも属したくないんで……」
「うーん……重症……」
「……それより聖園さんはこんな所に居ていいんですか?門限あるんでしょ?」
「……あ、そうだった」
日が沈み始め、オレンジに染まりかけている空を見て漸く門限の事を思い出す
予定に無かった戦闘のせいで時間はあっという間に過ぎ去り、河川敷の子供達からも〝もう帰らないと〟という声が聞こえてくる
「酒泉君!明日からまたアタック仕掛けるからちゃんとメンタル回復しといてねー!」
「んな無茶な……」
「じゃあまた────痛っ!」
急いで帰ろうと手を振りながら駆け出すミカ、しかしその直後に戦闘によって負ったダメージが足に伝わる
咄嗟に動きを止め、足を庇うように手で触れて確かめる
「あちゃー……想像以上に痛いなー……歩いて帰るしかないかな」
「……それで間に合うんです?」
「うーん、分かんないけど……まあ、間に合わなかったらその時は素直に罰を受けるよ───ったぁ……」
「……見た感じだと歩くのすらキツそうですけど」
「まあ、痛みさえ我慢すれば……」
〝じゃあね〟とその場を立ち去ろうとするミカ、酒泉はそのまま背中を見送ろうと────せずにミカの腕を掴む
「ん?どうしたの?私、これ以上は本格的に間に合わなくなっちゃうんだけど」
「あの……」
「俺の背中空いてますけど……ちょっと試し乗りしてみます?」
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「……びっくりしたぁ、まさか酒泉君があんな提案してくれるなんて……これは脈ありって事でいいのかな?」
「まさか、ただの恩返しですよ……色々励まされちゃいましたし」
「ふーん……ねえ」
「なんすか?」
「重くない?」
「……まあ、軽い方なんじゃないですか?」
「よかった~!ただでさえ私から酒泉君に向ける愛は重いのに、これで体重まで重かったら押し潰しちゃうもんね☆」
「……よくもまあ、恥ずかし気もなくそんな台詞を」
「吹っ切れたからね……色々と」
「俺はまだ全然吹っ切れてませんよ……結局今回暴れた件はなんも解決してないんですから」
「あー……そういえばそうだったね」
「あーあ、この後風紀委員会に何が起きたのか全部報告しないと……それに先生からもめちゃくちゃ叱られるだろうなー……」
「……」
「俺を信じてシロコさんとプラナを……生徒を託してくれたプレ先にも申し訳ないし……ごめんなさい先生、貴方の守りたい生徒を俺は傷付けてしまいました」
「……えっと」
「はぁ……てか明日パーティーだし……なのに議長は俺がボコしたせいで参加できるかも分からんし……最悪中止になる可能性も……そしたら楽しみにしてた皆にも……はぁ」
「ね、ねえ酒泉君!実は、酒泉君を堕とす作戦を立ててる時に落ち込んでる異性を励ます言葉っていうのを調べた事があるんだけどさ……それ、言ってあげよっか?」
「ん?……なんすか?」
「…………だ、大丈夫?その……おっ……胸、揉む?」
「……堕とすにしても段階飛ばしすぎでしょ」