教科書やノートは全て鞄に詰め込んだ、財布もスマホも入れた
登校の準備は済ませた、後は……私の気分だけ
「……はぁ」
どうして朝からこんな虚しい気分にならなきゃいけないのか、そしてそれを抱えたまま登校しなければいけないのか
これも全てあの夢のせいだ、ただの思い出を悪夢に変えてしまったあの夢の
「……ばにたす」
昔先輩が呟いていた時の言葉を何となく私も呟いてみる
意味は〝虚しい〟とかそんな感じだった気がする、今の私にぴったりな言葉だ
正しい呼び方は……確か……
「ばにたす……なんだっけ」
先輩が呟いていたのを何となく覚えていただけなのでフルでは言えない、なんかのゲームの台詞だって教えてくれたのは覚えてるけど
……ってこんな事考えてる場合じゃない、早く学校に行かないと
「……うわぁ」
憂鬱な気分で窓の外を覗くともっと憂鬱になってしまった
なんと、外では地上を覆い尽くさんとする量の曇り雲が大量の雨を降らせていた
雨、私の嫌いな天気、先輩の命を奪ったあの日と同じ天気、たったそれだけの理由で天候にすら恨みを抱いてしまう
先輩が居なくなるまでは天候が雨でも〝嫌だなー〟程度にしか思ってなかったのに、今ではすっかり私の嫌いな事(または嫌いな物)リストトップ3に食い込んでしまっている
因みに一位は信号無視するトラックの運転手で二位が好きな人に素直に想いを伝えられない女だ
「面倒だけど……サボるわけにもいかないし」
仕方なく、やる気を出そうとしない自分の身体を無理矢理立ち上がらせる
制服には着替えたし他に持っていく物は……無いか
忘れ物をしていない事を再度確認してから、大量のお守りが三角カンに結ばれているスクールバッグを持って玄関に向かう
あの日からずっと持ち歩いているこのお守り達、高校に入学したばかりの時はよくクラスメイト達に困惑されたものだ
そのせいで当初はお守りの効果を本気で信じている残念な子だと思われていたみたいで、今ではとっくにその印象を払拭する事に成功している
……もし、もし本当にお守りの効果なんてものがあるのなら、あの日私が交通安全のお守りを先輩に返していたら────いや、やめよう、何でもあの事故に結びつけるのは幾らなんでも馬鹿らしすぎる
「……ああ、そうだ」
自分の思考から逃げるように階段を小走りで降りようとし、その途中で〝いつもの〟を忘れていた事に気付く
再び二階に戻り、廊下を私の部屋とは反対側に歩く
私の部屋から二個程隣の部屋の前に着くと、その部屋の扉には〝真咲〟と書かれたプレートが掛けられていた
コン、コン、コン、とそこに三回ほどノックをする
「真咲、起きてるか分からないけどおはよう」
返事はない、別に構わない、もう慣れてるから
「今日も学校に行かないで引きこもってるつもり?アンタ今年高校受験でしょ?」
扉の奥の真咲に声を掛ける、あの日からずっと同じ事を繰り返している
先輩の死によって心を閉ざしてしまった真咲はクラスメイトの子どころか家族である私達にすら姿を見せようとはしない
ただ物音や声は小さく聞こえているので生きてはいる、それだけ分かれば十分だ
「……そうやってずっと現実から逃げ続けるの?」
逃げたいのは真咲だけじゃないのに、私だって現実から逃れる術があるならそうしたい
でも、何処まで行ってもいつまで経ってもあの人の姿が脳に焼き付いて消えないから、こうして仕方なくこの世界で生きているだけだ
「……いつまであの人のこと引きずってんの」
扉の向こうの妹に言ったのか、未練たらたらな自分自身に吐き捨てたのか
どちらなのかは私自身にも分からなかった
「…………お姉ちゃんだって引きずってるくせに」
久しぶりに聞いた声は、そんな私の疑問に対する答え合わせでもあった
「……喋れる元気があるなら大丈夫そうね」
妹の返事を聞いた私はそれ以上会話を続けることもなく今度こそ階段を降りた
結局のところ私も自分が前に進めてると思い込んでいただけで、本当は妹と同じで全く前に進めていないのかもしれない
姉妹揃って同じ男の事をずっと引きずっているとはなんと情けない、それを自覚していながらも恐らく私達はこれからも先輩の事を忘れられないのだろう
「……先輩のせいで学生の内から一生独身確定しちゃったじゃないですか」
責任取ってくださいよ、先輩
「……今すぐ……取って、くださいよ……」
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「みぃちゃんって雨の日は極端に元気なくなるよねー」
「前にも言ったでしょ、雨なんて嫌いだって」
私のクラスメイトの葉桜と一緒に歩いていると少しずつ雨が増してきた……気がする
勘弁してほしい、これ以上雨が強くなるというのか
「なんかさー、雨の日って眠くなるよねー……こういうのって気圧の変化が理由なんだっけ?」
「アンタは晴れの日でも授業中に寝てたでしょ」
隣を歩くこの子が涎を垂らしながら眠っていたところを先生に叩き起こされていたのは記憶に新しい
しかもその時の言い訳が〝少々長めに瞬きしていただけです!〟だったもので、その余計な発言のせいで余計に先生の怒りを買っていた
「でも雨の日はみぃちゃんだって寝てる時あるじゃん!」
「私は本当に目を瞑っていただけだし」
「嘘だ!涙だって流してたもん!絶対欠伸してたでしょ!」
「……かもね」
「えっ、あっさり認めた?」
恐らくその日の私は雨を見て嫌な出来事を思い出していたのだろう、いつの間に涙を流していたぐらいには嫌な出来事を
しかし欠伸だと思われているのなら……まあ、そのまま勘違いさせておこう
「あっ!信号変わっちゃう!みぃちゃん走ろ!」
「別に遅刻しそうな時間って訳じゃないしゆっくり歩けばいいでしょ」
「そうだけどぉ……雨のせいで靴下びちょびちょなんだもん、早く学校行って脱ぎたいよぉ……」
点滅している歩行者信号を急いで渡ろうとする葉桜を止めると、彼女は自分の足を指差しながら溜め息を吐く
長靴を履いて来なかった葉桜は見事に雨の被害を受けていた、因みに理由を聞いても〝可愛くないから〟としか返ってこなかった
「もう……雨なんて大嫌い!雨のバカヤロー!」
「そうね、この世界から雨という概念が消え去ればいいのに」
「わ、私そこまでは言ってないよ……?」
寒いし濡れるしジメジメするし眠気を誘うしで日本で暮らしてる上で感じられる雨のメリットが殆ど思い浮かばない
一切の水分が存在しない砂漠の様な国って訳でも農業を行えないほど深刻な水不足って訳でもないのに
「あ、やっと信号変わった……早く行こ!」
しかも雨の日はハイドロプレーニング現象によって交通事故だって発生しやすくなるし、雨のせいで信号も見えづらくなるだろうし
それ以外でも眠気に耐えられない癖に仮眠もせず無理して運転しようとする馬鹿な運転手のせいで事故るなんて最悪なパターンも考えられるし、こんなデメリットだらけの天候に当てられて日本人がどう喜べばいいというのか
「おーい!みぃちゃーん?どしたのー?」
そんな事を考えていると小走りで学校に向かおうとしていた葉桜がいつの間にか信号を渡ってそこから更に数メートル先で待っていた
〝今行く〟とちょっとだけ声を大きくして私も信号を渡りはじめる
もう雨に関する事を考えるのは止そう、雨だって交通事故だって日本中のあちらこちらで当たり前の様に発生してる出来事だ、考えていてもキリがない
そう、こんな風に────
「────は?」
ほんの一瞬、視界に映る角材を積んだ白い軽トラック
たった一言声を漏らしただけの隙に車は私に急接近する
歩行者信号はまだ青で、私が横断歩道に足を踏み込んでからやっと点滅を開始していたはず
距離は2~3メートル、まず間違いなく渡り切るのに間に合う距離
車の方の信号も赤かったのに、なんで、どうして、まずい、ひかれる、しぬ
「────っぅあ!?」
そんな途切れ途切れな思考は数秒も経たない内に完全に消え去り、次に襲ってきたのは身体への衝撃と痛みだった
何かが車に引っ掛かった私は引きずられる様にほんの一瞬だけ身体を連れ去られ、そのまま衝撃でアスファルトの地面に倒れ込む
しかし肌が掠れはしたもののどこか強打したという訳ではなく、身体にはヒリヒリした程度の痛みしか残らなかった
立ち上がれる程度の怪我、でも直前の出来事に呆気に取られて立ち上がるという行為を忘れてしまう
「ちょっ……みぃちゃん!?」
我を取り戻せたのは葉桜の声を聞いてからだった
悲痛そうな叫びと同時に意識をハッとさせ、周囲の状況を冷静に確認してみる
数メートル先に落ちているスクールバッグ、見たところ潰されてはいない
中身は恐らく全て無事だろう────中身は
「大丈夫!?怪我はない!?」
「……怪我は、ない」
「さっきの車なんなの!?急いでるのか居眠りなのかは知らないけどあり得なくない!?」
「…………」
「あの、みぃちゃん?なんかボーッとしてるけど……もしかして頭打っちゃった?」
葉桜からの心配を余所に私の視線は一ヶ所を捉えていた
スクールバッグから少し離れた場所、そこには先輩から貰った交通安全のお守りが落ちていた
もしかして先程の軽トラックに積まれていた角材に引っ掛かってそのまま千切れてしまったのだろうか、改めて思い返してみれば一瞬だけだが角材が荷台から僅かにはみ出ていたような気もする
「ちょっと君!大丈夫!?」
「あの……救急車呼びましょうか?」
車から降りて駆け寄ってくる人、別の横断歩道から駆け寄ってくる人、色んな人が心配して声をかけてくれる
それでも、私の目はあのお守りしか見ていない
「どうし、て」
「……え?」
「どう、して、先輩だけ、なんですか」
自分の瞳から何かが流れるのを感じた
一度吐き出してしまえば、その流れる何かは言葉と共に溢れだしてしまった
「どうして、私は助かったの……先輩、は……先輩は、駄目、だったのに」
「なん、で……先輩は、死んだのに、なんで、わたしだけ、運よく」
「いや、だ。たすけてよ、しなないでくださいよ、あいたいですせんぱい」
事情を何一つ知らない周囲の人達は私の言葉に困惑している、当然の反応だ
それでも私は何かも分からない何かに助けを求めるようにひたすら〝せんぱい、せんぱい〟と呟き続けた
……ああ、やっぱり私は前に進めていなかったんだな
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「美咲、消毒スプレー持ってきたわよ」
「ありがと……そこ置いといて」
「……お母さんが手当てしてあげよっか?」
「……大丈夫」
「……お腹が空いたら言うのよ?」
お母さんはガーゼやら消毒スプレーやらを置いて行くと必要以上に話しかけてくることなく部屋から出ていく
今は一人になりたい気分だったので正直有りがたかった
「……痛っ」
擦り切れてしまった部分に消毒液を染み込ませたガーゼを押し当て、それをテープで固定する
多少は染みるものの耐えられないほどではなく、打撲痕が残っている訳でもないので処置はこれだけで十分だろう
本当はすぐ警察に伝えるべきなのだろうけど、今はそんな気分ではない……勿論、遅くても明日の昼までにはお父さんと一緒に報告しに行く予定だけど
あの後私は色々と気に掛けてくれた人達に礼と謝罪をしてから横断歩道を戻り学校と自宅に休みの連絡を入れた
あんな事が起きた後なのに不思議と冷静な気持ちで状況を説明でき、自分でも驚くほど何事も無かったかのように自宅まで引き返した
その際に葉桜が悲痛そうな顔で付いて来ようとしていたから〝一人で大丈夫〟と説得するのに時間が掛かってしまった、多分私の支離滅裂な泣き言を聞いて混乱してるかもと心配してくれたのだろう
「……うわ、ちょっと破れてるし」
雨で濡れたスクールバッグの中から教科書を全て取り出し、それらを扇風機の前に置いて乾かす、ストーブを使うのはちょっと怖い
倒れ込んだ際に濡れてしまった制服も全て洗濯機に入れてある、今はパジャマの姿だ
「……どうしよ」
学校に欠席する旨を伝えたので一気にやることが無くなってしまった
勉強でもしようか……あ、でも教科書乾かし始めたばっかだった
別に無理にやること探しする必要もないかな、偶には理由も何もなくゴロゴロするのも悪くないかもしれない
「動画でも視よっかな」
動画サイトを開いて最新の動画をチェックする
今日は何を視ようか、よく名前を聞くぐらい有名だけど全く詳しくないゲーム実況者の動画か、無性に腹を空かせてくるちょっと凝った料理動画か、いっそ画面を視ずにASMR動画を聞きながら昼寝でも────
「……ん?」
スマホで適当に動画を漁っていると途中で広告が割り込んでくる
それだけなら特に気に留める必要もない出来事、でも私はその広告に思わず画面をタップする指を止めてしまった
「ブルー……アーカイブ……」
広告に表示されているゲームに私は見覚えがあった、それは確か先輩が強く熱愛しているゲームだった……はず
見事なまでに美少女だらけなそのゲームは世の男性の例に漏れず先輩もすっかり夢中になっていた
白髪の小さな少女を〝推し〟として紹介された時は思わず〝ロリコンですか最低です今すぐ死んでください〟と罵った記憶がある
その時先輩は〝年齢的には俺の方が年下だから!〟とか言い訳してましたけど私からしたら大して言い訳にもなってません、ちっちゃな女の子が好きだという時点でギルティです
「……」
まあ、こんな記憶でも今となれば大切な思い出の一部……同時に、思い出せば思い出すほどダメージを受けてしまう呪いでもあるけど
……ブルーアーカイブ、か
「……暇潰しにはなるかな」
ふあ、と欠伸をしながらストア画面に飛んでインストールボタンを押してみる
ゲーム自体に興味が湧いたわけじゃないけど、なんとなく先輩の見た世界が気になってつい指を動かしてしまった
「……必要なデータ量多くない?」
アプリ自体のインストールは早めに終わったが、アプリを開いた際に要求された必要データ量が飛んでもなく多かった
Wi-Fi込みでもそれなりに時間が掛かると判断した私はスマホを放置して枕に顔を埋める
次起きた時にはきっとダウンロードが終わっているだろう
「……おやすみなさい、せんぱい」