浪漫の騎士   作:南蛮うどん

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思いのほか長くなりました。


第3話 死徒

 成れの果て。

 そういう言葉がある。使われ方としては、本来成るはずだった存在から降格し、よくもまぁ、そんなざまになった物だと嗤う時に使われる。

 だから、彼は自嘲するために、よくこの言葉を使うのだ。

 魔術師の成れの果て。

 根源を目指し、自力で死徒にまで存在を昇格させ、寿命を克服した魔術師。されど、百年も過ぎれば己の才能の限界点も見えてしまう。そして、半端に才能がある者だからわかってしまうのだ。

 己では、根源に辿り着けないと。

 だから、その時になって初めて彼は己が魔術師として間違っていたのだと理解した。周りの凡俗どもは、なぜ、自分の手で根源を掴もうとせず、後裔に託そうとするのか。

 無理だからだ。

 生半可な才能では、根源到達など不可能だからだ。

 加えて言えば、才能があったから根源に辿り着けるという物でもない。現に、魔法と呼ばれる根源から流れ出る神秘の一端を有する者たちは、才能という言葉では片付けられない性質を持つ。才能なんて、他者と比べるための言葉など適用されないほど特化され、異質の存在として、魔術の世界に存在している。

 それでも凡俗は狂わないように、最後の希望に縋るように『未来』に託すのだ。

 さながら、災厄の箱に詰まった最後の『災厄』に縋るように。

 だが、残念なことに彼はもう折れてしまった。

 自分の才能に見切りをつけてしまった時点でもう、新たに後継者を探して育てるという行為も、やろうとする気が起きず、だから成り果ててしまった。

 ただ、惰性のまま生きるだけの化物に。

 

 

●●●

 

 

 大木双葉の根底には、コンプレックスが存在する。

 それは、人前での緊張となって彼女の顔を赤く染め、どうにも上手く舌が回らなくなってしまうのだ。親友である光の助力で、それは以前よりも大分マシになっているが、なかなか根底にある物を変えることは難しい。

 それでも、やらなければ始まらない。

 だから、今日は今やるべきこと…………そう、期末テストの勉強をしようと真っ先に自宅に戻ろうとしていたのだが。

「…………熱い」

 暑い、ではなく熱い。

 ここ最近の猛暑は太陽が人類を皆殺しにしようと計画していることを疑いたくなるような凄まじさだ。いつもは、小型バイクで気持ちよく風を切る帰り道の国道も、アスファルトの照り返しでまるで鉄板の上に居るような錯覚を受ける。風も生温かくて気持ち悪い。

 首筋から流れる汗の感触が、ぞくりと背筋を震わせる。

「ちょ、ちょっと休憩しよう……」

 どこにも寄らずに自宅へ帰るつもりだった双葉だが、熱気に当てられて、思わず近くにコンビニに逃げるようにして立ち寄ることに。

「ふあぁあああああ」

 コンビニ入った瞬間、よく聞いたクーラーの冷気が首筋を撫でる。

 ここは天国だ。

 まさしく、砂漠の中のオアシス!

 汗が引くまではしばらくこの中で養生しようと思い、双葉はコンビニの中を適当に見歩いたり、雑誌を立ち読みしたりする。その後、シャーベットとバーアイスのどちらかを買うか悩んだが、結局、食べやすいカップのシャーベットを選ぶことにした。ちなみにレモン味だ。

「ありあとざしたぁ」

 コンビニの店員の訛った声を聞きながら、双葉は再び地獄へと行く。

「うあ……」

 店内と外の落差が凄まじい。

 一度楽をしてしまったせいか、外の熱気が前よりも双葉の心を容赦なく折りに来ている。

「ま、負けない……」

 ビニール袋からカップを取り出して、双葉は冷気を補給する。体内を冷たくすれば、きっとこの暑さを乗り切って家まで帰れることを信じて。

「けばふー、ケバフはいかがっすかぁ?」

 と、双葉がアイスを味わっている時、その目に信じられない物が目に入った。

「美味しいケバフですよーっと」

 コンビニの駐車場にいつの間にか、屋台があった。否、屋台と車が合体した専用車だった。その専用車には、ぐるぐると大迫力の肉の塊が、回転しながら焼かれていたのである。

「美味しいですよー」

 しかも、そのケバフを売っているのは、ザ・不審者と言っても良い感じの風体の男だった。まず、丸レンズのサングラス。それに枯れ草色のハウチング帽子を被り、なんと、真冬にでも着るようなロングコートをすっぽりと着込んでいたのだ。

 見るからに怪しくて、暑苦しい。

 そんな風体で熱々のケバフを炎天下で売っているのだから、屋台の前に人が居なくて当然だ。などと、双葉は考えていたのだが。

「おっちゃーん、肉おくれー」

「あいよ、五百円……を負けて三百円でいいや、子供だし。あと、お兄さんな」

 まず、恐れ知らずの小学生男子が、興味本位で突っ込んで行った。今の自分では到底できないその蛮勇に敬意を表しつつ、もしもその男子が怪しげな人に怪しいことをされたらどうしようと心配していた双葉だったが、

「うんめぇええええええええっ!? おっちゃん、天才か!?」

「はっはっは、お兄さんな!」

 どうやらそれは杞憂に終わったようだ。

 むしろ、男子は目を輝かせながら、特製ソースの掛かったケバフを貪っている。しかもそのケバフは小学生男子が叫びたくなるほどの美味しさらしい。

「マジか、タカシ! その肉超美味いのか!?」

「うめぇぞ! あれだ! 細胞レベルが上がる!」

「え? 何円? 三百円? よっしゃ、おっさん、買った!」

「だからお兄さんだと……まぁ、いいか」

 最初の男子の友達が続々と集まっていき、その様子を見た大人たちも、どれほど美味しい物かと気になり、ケバフを買っていく。

 そして、瞬く間に行列が出来て、あっという間に肉が消えていったのだ。

 途中、コンビニの駐車場で屋台なんてやっても大丈夫かな? などと心配した双葉だったが、

「ちょっとー、すみません、あの、勝手にうちの駐車場で販売行為は……」

「あ、君新入り? 大丈夫、オーナーから許可貰っているから、確認してみ?」

「え? マジっすか? というか、チェーン店でそういうことしていいんですか? オーナー云々の前に!」

「権力って素晴らしいよね?」

「まさかの権力者!?」

 などのやり取りがあって事なきを得たようだった。

「ふあぁあああ」

 まるで魔法か、漫画の世界みたいな出来事を眺め、感激していた双葉だったが、ふと気づく。

「あ、シャーベットがぁああああ」

 手元のアイスがいつの間にか液体になっていたことに。

 双葉はしくしくとその液体を処理して、妙に虚しい気持ちを胸に抱いて小型バイクに乗って帰ろうとしていた。

「ん? もしかして、君は『てこ』ちゃんか?」

「ふへ?」

 だから予想外だったのだ。まさか、自分がさっきまで眺めていた出来事の中心人物から声を掛けられるなんて。しかも、自分が全く知らない人から、『てこ』という愛称で。

「そそそそ、そうですけど、どちら様でしょうかっ!?」

「あぁ、そうか。こんな格好で声を掛けられても不安だよなぁ。つか、事案発生レベルだっつーの。いや、悪いね、ちょっとこの格好は訳アリでさ」

 恐る恐る尋ねる双葉に、飄々とケバフ売りの青年は応えた。

「君のことはよく光……君で言う所のぴかりちゃんから聞いていてね。つい、声を掛けてしまったんだよ。あ、よければ最後のケバフ食べるかい? 御覧の通りに美味しいぜ?」

「は、はい……?」

 知らない人から物を貰ってはいけないと言われ続けて育ってきた、いまどき世代の女子高生双葉である。ましてや、以前は東京に住んでいたのだから、そういう警戒意識は高い。

 なので、一応、疑いの眼差しと共に青年へ質問した。

「あ、あのっ、貴方はぴかりと知り合いで?」

「うん。実は恋人」

「うそっ!?」

「うん、嘘」

「うぇえええええええ!?」

 双葉にとっては性質の悪い冗談だった。この炎天下だというのに、一瞬、肝が恐ろしく冷えてしまうほどに。

「はっはっは、君は面白い人だな、てこちゃん」

「ひ、ひどいです……」

「うん。ひどいね、俺は。だからほら、ケバフをあげよう、お詫びも兼ねて」

「…………」

 訝しみながら、恐る恐るケバフを口に付ける双葉。

 いや、毒とか無いのは先ほどのお客さんたちとのやり取りで分かっているし、この人は何となく、そういう類の悪人じゃなくて、ただの意地悪な人だろうとわかっているのだが、何となくそんな気分だったのだ。

 そして、ケバフはそんな気分を吹き飛ばすほどに美味だった。

 溢れ出る肉汁。香ばしい香辛料。噛めば噛むほど舌に染みわたる旨みのエキス。悔しいが、この炎天下の中というマイナス要素すら吹っ飛ぶほどの美味しさだった。

「お、美味しいです」

「そりゃよかった」

「………………あの」

 ケバフも食べ終わり、何となく警戒心も薄れたので双葉は青年に改めて訊いた。

「お兄さんは、ぴかりと知り合いなのですか?」

「たまに街中で会ったら、挨拶して世間話する程度にはな? その時に、君の話も聞いているよ。とっても綺麗で自慢の親友だってさ」

「そ、そんな……」

 かぁ、と双葉の頬が上気する。

 この炎天下にそんな恥ずかしいことを言われてしまったら、最悪熱中症で倒れてしまう。

「おっと、もうこんな時間か。それじゃ、ぴかりちゃんによろしく、じゃあな」

「えっ? あの……」

 まだ、名前も聞いていない。

 けれど、そんなのお構いなしにケバフ売りの青年は運転席に乗り込み、そのままコンビニの駐車場を後にした。

「…………不思議な人だったなぁ」

 凄まじく怪しいけれど、双葉は心の中で付け足す。

 また、どこかで会うことになりそうだという、妙な予感を抱いて。

 

 

●●●

 

 

 今日はこんなにも月が赤い。

 ああ、我らが死徒の絶世はここに。

 今日は楽しもう。

 今日は味わおう。

 常の節制も払って、極上の獲物を食らいに行こう。

 

 

●●●

 

 

 月が赤い不思議な夜だった。

 双葉はやっと期末テストを終え――成績はともかく――待ちに待った夏休みに突入することが出来たのである。

 そのため、ちょっとアンニュイな気分と浮ついた気分で自室の窓から外を眺めていた。

「ふわぁ」

 不思議に、月が近く見える夜だった。

 しかも色は赤。

 見慣れた景色だというのに、まるで異世界のよう。

「……あれ?」

 ふと、何かに気付き、双葉は目を凝らす。

 幸い、今日は綺麗な月夜だったので、明るい夜だ。目を凝らせば、少し先ぐらいは見渡せた。

「子供? 泣いている?」

 自宅のちょっと行った先の十字路のところで、十歳ぐらいの男の子……しかも、塾帰りなのかブレザー姿で、俯いていた。

 もしかしたら、迷子かもしれない。

 そう思ってしまったらもう、放っておけなかった。

 時刻は八時を過ぎたところ。女子高生が一人でお出かけするには不安が残る時間だけれど、近所だから大丈夫。それに、あの男の子の方が心配だと、双葉は駆けて行った。

「っは――、はっ、は――」

 息を切らせて双葉は走った。

 たった数十メートルが遠い。やはり、もっと基礎体力が欲しいなぁ、ダイビングにも大切だって言われたし、などと思考の隅で呟きながらも、双葉は辿り着いた。

 辿り着いて、しまった。

「だ、じょう、ぶ――?」

 息も切れ切れに、俯く男の子へ声を掛ける双葉。

「…………」

 しかし、返事は無い。

「えっと……」

 どうしたものかと、双葉がその男の子へ手を伸ばそうとした時、

「こんばんは、お姉さん。今日は良い夜だね」

「は、はい」

 ゆっくりと男の子は顔を上げて、双葉に微笑みかけた。

 美しい造形をしていた。髪色は黒だが、顔立ちが西洋人形染みていて、ハーフではないかと双葉は思う。

「どうしたんです? こんなところに一人で」

「それは、その……」

 自分が言おうと思っていた台詞を取られて、少々戸惑う双葉。

 なにせ、目の前の男の子が泣いているように見えたから慌てて来たわけで。でも、実際に会ってみたら何でも無いようにニコニコと笑顔を浮かべているという始末だ。首を傾げたくなるような気持ちになるのも仕方ない。

「えっとね? 君、ご両親はどこかな?」

「どこにもいませんよ」

 さらりと、何でも無いように男の子は答えた。

「ここに居るのは、僕とお姉さんだけです」

「え?」

 確かに、今、この路地に居るのは双葉とハーフの男の子だけだ。それ以外の人影は見えない。時間帯も時間帯なので、歩行者が居ないのは仕方ない。

 けれど、道路に車が走らないのは、いくらなんでも異常だ。この道は決して交通量は多くないが、夜にもそれなりに自動車やバイクが走る。なのに、先ほどから一台も通ってないのは非現実的だった。

「だから、ご心配なく」

「あ、れ…………」

 ぐわん、と鐘の音で脳を揺さぶられたような立ちくらみが双葉を襲う。

「お姉さんのシタイは僕以外、誰も見えないようにしますから」

「あ……」

 ふらふらと足をもつれさせ、ついに双葉は前のめりにアスファルトの路面へと倒れこんでしまった。

 なぜ、気づかなかったのだろう、と双葉は揺れる思考で公開した。

 その顔立ちよりも、なぜ、小さな男の子がこんなところで一人で居たかよりも、もっと先に驚かなければいけなかったのに。

 男の子の目が、まるで人間の色素ではありえないほど爛々と赤く輝いていたことを。

「今日はとても素敵な日だ」

 ゆっくりと、男の子は双葉を顔に手を添える。

「こんなに月が赤い」

 ぺろり、とまるで大好物を前にした子供の用に、無邪気に舌なめずりをして、大きく口を開く。

「それに、こんな素敵な乙女(ごちそう)がいるのだから」

 突き立てられようとするのは、白い牙。

 人間の構造としては、有り得ない産物。

 現実離れした状況の中、まるで走馬灯の如く間延びした思考で、双葉はとある伝説上の化物名前を思い浮かべた。

 ――――吸血鬼、と。

 麻痺した思考では恐怖すらなく。

 己の死を受け入れる間もなく。

 ただ、意識が闇に沈む前に。

 

「また会ったな、てこちゃん」

 

 奇跡みたいなタイミングで現れた、胡散臭いヒーローの声を聞いた。

 

 

●●●

 

 

「――廻れ」

 森近が呟くキーワードと共に、彼が従える膨大な流体――すなわち、水が吸血鬼の腕から、強制的に双葉を奪い取る。

「ぐ…………聖別された水か。用意がいいですね、お兄さん」

「テメェの目撃証言がちらほらうちの街の近くにあったからな。そりゃ、対死徒専用の準備もしておくぜ。後、テメェの方が年寄りだろうがよ、ああ?」

 じゅぅうう、と肉の焼ける音が夜闇に響く。

 吸血鬼は、森近が操る水に触れた部分の腕の肉がただれ、焼かれていたが……僅か数秒後、何もなかったかのように再生された。肌は白く、焼け跡すら残らない。

「厄介だな、その再生能力は」

「ふふふふふふ……月の赤いこんな夜に、僕ら死徒に挑むことは愚行。そんな真似、あの気狂い代行者どもですらやらない」

 死徒。

 人ならざる存在であり、吸血鬼とも呼ばれる存在。

人の領分を超えてしまった、化物。

 曰く、人の血を啜り、己の糧とする存在だとか。あるいは、人よりも強固な存在を取り込み、己の存在を強く、より高次元へ高めていく存在。

 しかも、今日の天候は晴れ。

 加えて、月が赤い。

 月の影響を大きく受ける死徒にとって、赤い月の日はまさしく絶世を誇る最上の状況。

「ちっ、この程度の水量じゃ潰しきれないか……」

 森近の手元にある水量は、抱えたポリタンク一つ分。

 いくら高値で買った純度の高い聖水だとしても、せめて体全てを沈める程度の水量が無ければ、話にならない。さらに言うならば、森近には小脇に抱えた双葉が居る。

 双葉を抱えた状態で、人外の身体能力を持つ死徒との高速戦闘は不可能。

 双葉を離せば、その瞬間を狙い、死徒が食らいつくだろう。

「…………ったくもー、俺はこういう荒事の才能はないんだってば」

「さっそく泣き言ですか? ははは、近頃の魔術師は情けないですねぇ? 僕がまだ人間だったころは、むしろ喜び勇んで、己の研究成果を試しましたが?」

「へぇへぇ、年寄りは昔自慢がテンプレってね」

 森近自身の言う通り、森近に戦闘の才能は無い。森近にあるのは、魔術の才能だけだ。それ以外の全ては、凡庸に過ぎない。

 なので、双葉を守り抜くには、己の体を盾にするぐらいしか、方法は無い。

「――――うぐ」

「あはっ! 魔術師たるものが、自らの身を挺して、凡俗を庇うとは! これはお笑い草だ!」

 人外の速度と腕力で振るわれる魔手に、森近はとっさに水の盾を作る。けれど、死徒の腕は速度を緩めず、そのまま貧弱な盾を突き破り、森近の腹部に突き刺さった。

「ほう? それはなかなかいい礼装です。あぁ、サングラスもこちらの魔眼対策でしたか。ふむふむ、素人魔術師と聞いていましたが、礼装の出来はなかなか」

 突き刺さり、そのまま森近の臓腑を掻き雑ぜる予定だった魔手は、森近が纏うコートに触れると、そのまま弾かれた。

「そいつはどうも! こつこつ作った甲斐があったぜ」

 魔術礼装:炎骸の衣。

 外部から受けた物理的衝撃を瞬時に吸収、置換し、受けた衝撃の方向の真横から新たな衝撃を加える魔術が組み込まれた、対物理専用の防御礼装。コート自体の素材にも、衝撃、斬撃、銃撃に耐えうる特殊素材が組み込まれてあり、初見の相手の物理攻撃なら、まず5トンクラスまでなら使用者を保護することが可能だ。

 だが、それでも衝撃を置換するタイムラグが存在し、その分、いくらか衝撃は内部に通ってしまう。いくらか緩衝材もコートの内側に仕込んでいたが、それでも、森近は胃から吐き気が込み上げてくるほどのダメージを負ってしまった。

「もっとも使用者が未熟ならば、意味は無いでしょうが」

「うるせぇ。修業中なんだよ。つーか、魔術師が戦ってどーするよ? あほらしい」

「はっはっは――――それはごもっとも。ですが、たしなみ程度ならば覚えておいた方もよろしいのでは? そら、こんな風に!」

 死徒は人外の速度で踏み込むと、瞬く暇も与えずに、森近の腹部めがけてボディブローを与えた。

「がぁ……」

「そら、もう一発です」

 鋭く二発。左のジャブから、右のストレートのコンビネーション。魔術障壁の外側からでも、容赦なくその魔手は森近の頭部を揺さぶった。

「く、そ……」

 鼻の骨は砕け、流れ出る血は止まらない。

 礼装であるサングラスは、辛うじてその強度故に形を保っているが、レンズにヒビが入ってしまっている。加えて、強烈な衝撃を受けた所為か、脳が揺さぶられて足元がおぼつかない。

 小脇に抱えている双葉を落としていないのが、奇跡のレベルだ。

「ボクシングに……強化魔術か?」

「その通り。ボクシングはただの手慰みに、強化魔術は基礎にして…………僕が根源へとたどり着くはずだった手段です」

 途中までは厚顔不遜に、けれど、魔術の話題を口にした時から自嘲気味に死徒は笑う。

「これでも僕は魔術によって死徒になった者であり、それなりの年月を経た存在なのですよ? そう、本来なら君みたいな新米魔術師など、三秒もあれば磨り潰せます。こうやってわざわざ語って聞かせてやるのは、光栄なことなのです」

「…………言ってみろよ」

 血塗れの顔で睨みつけてくる森近を、死徒はにやにやと意地悪く笑って応えた。

「幼い頃から、僕は天才であり、それ以外の全ては凡庸でした。神童などともてはやされたことも一度や二度ではありません。ですが、それも広い世界に出るまで。ロンドンの時計塔には、当たり前のように僕よりも優れた才能が居た。ええ、正直、僕のプライドはボロボロに砕けましたとも。ですが、諦めませんでした」

 死徒は笑っている。

 笑っているが、その赤い目は笑っていない。

「頑張って、頑張って、己の体の強化に毎日費やしました。強化魔術による根源到達。それはすなわち、その行使者自身が根源に、抑止力の妨害など力づくで突破するほどの力を得ることです。僕は手始めに、今まで培ってきたコネクションの全てを使い、死徒になりました。ええ、いくらか歳月がかかりましたが、構いません。そのおかげで僕は、かつて僕を生んだ凡骨どもの集まりを粉砕することができたのですから」

「……テメェの家族を、一族を殺したのか? 魔術師だったのに」

「魔術師だったから、こそですよ?」

 敵意の込められた森近の視線を涼やかに受け流し、死徒は答える。

「もはや寿命の問題は解決できた。ならば、凡骨であり、到底根源に辿り着くことなど不可能な劣等の血など要らない。僕の汚点は要らない……」

 一度、沈黙し、死徒は大きく息を吐いてから話を続けた。

「はっはっは、そう思っていたのですが、どうやら僕も思いのほか凡骨だったようです。ええ、文字通りの人外が溢れる死徒の世界では、私程度はまだ低位に過ぎない。ましてや、彼の二十七祖に対しては足下にすら…………」

「だから、諦めたのか?」

「そうですとも。ええ、ここ数十年余りは余生ともいうべき静かな暮らしをしていました。正直、今の僕には根源到達への情熱も、聖堂教会とやり合う気力も無いのです」

 ですから、と言葉を繋げて、死徒は森近に言う。

「その少女を渡せば、僕は大人しくこの街から去りましょう。ええ、二度とこの街の土と踏まないと、セルフギアス・スクロールを書いてもいい」

「………」

 セルフギアス・スクロール。

 魂に食い込むほどの強固な契約の鎖。それを交わそうということはつまり、死徒は本気でそう思っているのだ。ただ、少しばかり血を吸ったならば、もう二度と来ないと。

 死徒の申し出が本当だったならば、これは破格の条件だ。

 たった一人、たった一人見逃すだけで、街の安全は守られ、その脅威はもう二度と街を脅かすことも無い。わざわざ、森近が戦わなくとも、無用な危険を冒さなくても、問題ない。

 それに、セカンドオーナーであるのならば、女子高生一人程度の死ぐらいどうとでもなる。

「ほら、早くその少女を僕に返しなさい。契約文だったら、準備が出来たらさっさと書いてあげますから」

「…………」

「ん? ひょっとして疑われています? やれやれ、わかっていませんね、君」

 無言で己を睨み続ける森近の視線を、鼻で笑い、己の魔術回路を最大限に駆動させる。

 並の魔術師の数倍ほどの多さの回路を、淀みなく、清らかな回転音を響かせて駆動させる。

「見なさい。これが、僕が今までの生涯で己に尽した結果です。自惚れさせていただけば、魔獣クラスの身体能力と強度を今の僕は持っているのですよ?」

 ひたすら己の強化を続けて、死徒にまで至った魔術師の終点。

 それは、到底、今の森近では追いつけるはずもない高みに存在していた。

「わからないのならば、ええ、分かり易く教えてあげましょう。わざわざ日本語で話しているというのに、まったく、しょうがない凡骨ですね、君は」

 だから、死徒は超越者の笑みを浮かべて森近に告げる。

「見逃してやるのだから、駄々をこねずに従っておけ、小僧」

 森近の答えは、反発でもなく、恭順でもなく、安堵だった。

 

「あぁ、よかった…………間に合ったか」

 

 しゃらん、と薄闇を切り裂く銀の閃光。

「んなっ!?」

 数秒遅れて、その斬撃の結果が表れる。強化された死徒の右腕が、肘から下が切り落とされるという、結果で。

「申し訳ありません、森近様。少々遅れました」

「いやいや、街の反対側からなら、早い方だぜ。サンキューな、梅子さん」

 銀光と共に現れたのは、黒髪を夜風に靡かせる美しきメイド、梅子だった。その手に携えられているのは、薙刀。もちろん、人を……否、人外すらも抹殺できる仕様の礼装である。

 梅子は森近に恭しく頭を下げると、切り落とされた片腕を抑える死徒へと向き直った。

「それで、今日の侵入者はそこの負け犬根性が染みついた魔術師崩れでいいので?」

「…………いいけど、正直に話してごらん、梅子さん。一体、いつから居たの?」

「森近様が綺麗にワンツーを食らっているところからです」

「助けてよ!?」

「あれくらいなら大丈夫だと思いましたので」

 自分を無視して繰り広げられている漫才に、死徒はぎりぃと歯噛みし、切り落とされた片腕をまったく間に再生させた。

「――貴様ぁ! メイド風情が僕の体に傷を付けたなぁ!?」

 音速にも達するかという速度で、獣の如く死徒は跳躍。

 そして、文字通り、瞬く暇すら与えず、梅子の心臓を穿つ。死徒の魔手は赤く、鮮やかな赤で染まり、その赤の持ち主であった梅子の胸元を汚らしく染めた。

「ひゃははははっ! どうだ! ちょっとばかりの奇襲でいい気になりおって! 所詮、死徒にも成れていない、貴様ら程度など――――」

「そい」

「おぼぉ!?」

 しかし、梅子は心臓が穿たれたというのに、まるで気にした様子も見せずに薙刀を一閃。死徒の胴体を切り裂き、二つに切り分けた。

「な、貴様――――人間ではないのか!? 僕と同じ死徒――――いや、違う! 例え死徒だとしても、心臓を穿たれて何の反応も見せずに斬りかかるなど…………は?」

 胴体を腕だけになった死徒は、その現象を見て、目を見開かせる。

 穿たれたはずの梅子の胸元が、次の瞬間、再生でも復元でもなく、まるでコマ送りの途中から、『修復された胸元』という映像が挟み込まれたかのように治っていた。

 傷一つなく、真っ白な肌だった。

「超回復……ちがう、そんな程度の物ではない……まさか、そういう幻想なのか!? 我々死徒が求めてやまない、本物の『不老不死の幻想』なのか!?」

 慟哭の如き問いだった。

 無理も無い。己の強化という命題を掲げて研究していた死徒にとっては、目の前の存在。梅子という不可解な存在は、自分が辿り着くはずだった果てに存在するものかもしれないのだ。

「ふぅ、キャラブレとは感心しませんね」

 しかし、梅子は答えない。

 ただ、独り言と共に、薙刀を振るい、淡々と死徒の体を切り分ける。

「うが! がぁ!? きさ、貴様――――」

「ふむぅ、森近様。さすが赤い月の死徒です。殺すのがとても面倒です。そちらの準備は出来ているのですから、ちゃちゃっとやってください」

「うえー? ぶっちゃけ、これを発動させるとですね、数千万から億の出費が……」

「黒髪美少女の体を思う存分堪能したのです、それくらい払いなさい」

「失礼過ぎる誤解だ!」

 森近はツッコミを終えた後、「まぁでもそうだよな。この子の安全優先ということで」とため息交じりに納得した。

 そして、死徒にとっての絶望が始まる。

 

「東に青竜。南に朱雀。西の白虎。北の玄武。四神揃いて食らい合え。相剋の理を示し、黄竜へと至れ――――――以上を以て、四神相剋の陣とする」

 

 森近の詠唱と共に、断絶が生まれた。

 それは、結界。森近達と死徒を含めた内側を、外側から区切る境界を操る術。その中でも、境界が断絶になるほどの高位の結界の発動は珍しい。控えめに言っても、瞬間契約レベルの魔術だった。

「馬鹿――な。ばかなばかなばかなばかなっ! 貴様は新米魔術師なのだろう!? まともに魔術を習ったのは、半年前からなのだろう!? それとも、周囲には偽装の情報を流していたのか!? 僕がそれに引っかかっただけなのか!? そうか、そうに決まっている!」

 喚く、喚く。

 死徒は己の外聞など気にせず、喚き散らす。

 こんな才能は信じられるか、と。己が蹂躙するはずだった者が、かつて時計塔で己を蹂躙した化物どもと同位の化物だという事実が認められない。

 だから、気づかなかった。

 己の体に満ち溢れるほどの力を与えていた月の加護は、その断絶をもって途絶えたことに。

「あ? 何を喚ていているんだか。こんなもの、ある程度触媒を集めて手順通りにやれば、普通にできるだろうが。ふぅ、口の中、血でぐちゃぐちゃだったからな、ちゃんと噛まずに言えて、よかったよかった、と。ててて……はぁ、でもこれ、陣を敷いておくのとか超めんどい」

 森近のその言葉と、態度で、死徒は言葉を失った。

 目の前の魔術師は、本当にそう思っているのだと。『この程度』の魔術行使など、まるで教科書を読んでいれば誰だってテストで百点取れるのだとのたまう天才の如く、否、それ以上の才能と傲慢をもって、証明した。

 理解はできる。森近は死徒に殴られている間、死徒が語っている間、ひそかに聖水以外の水を操って――恐らく隠していた水を使って魔術触媒を定位置に設置したのだろうと。

 けれど、そのように実戦で瞬間契約レベルの魔術を行使し、相手に効果を発揮させられる者が、一体、どれだけいるのだろうか?

 けれど、森近は己の行いについて、言葉と態度でこう示したのだ。

 この程度、自分にとっては当たり前だと。

「あ、あぁ…………」

 それはまさに断絶だった。

 才能という名の断絶だった。

「やれ、さすがは日本古来より天候に密接に関わっている陰陽道の結界術だ。うん、短時間ぐらいなら死徒への月の影響を抑えられる、か。いいな、新しい研究テーマになりそうだ。素晴らしい、これで今日の損失は補填できそうだぜ」

 森近は肩を竦めて、顔の痛みに顰める。されど、己の痛みよりも、新しく魔術の研究テーマが見つかったことが嬉しいようで、にやりと、笑みを浮かべていた。

 と、思い出したように、森近は最後に言う。

「あぁ、悪い悪い、梅子さん。もう大丈夫だから、やっていいよ」

「了解しました」

 そして、銀の刃が倒れ伏す死徒へと振り下ろされた。

 罪人を裁く、断頭台の如く、真っすぐに。

「僕は――――――」

 銀の刃は死徒の首を刎ね、直後、森近の操る聖水が頭部を飲み込み、浄化し尽した。

 最後の最後、才能という化物に負けた死徒が、何を言おうとしていたのかは、誰も知らない。

 

 

●●●

 

 

「ん…………」

 微睡の中から双葉の意識が覚醒した。

「あ、れ?」

 双葉は覚醒と同時に混乱する。無理も無い、彼女の記憶は自分が慌てて家を出たところで途切れていて、気づいたら意識を失っていた……そうことになっているのだから。

 しかも、起きた場所が誰かの背中の上だとしたら、さぞかし戸惑うことだろう。

「おや、起きたかい?」

「あ、あのぅ? こ、これは一体ど、どいうことでしょう? というか、どちら様でしょうか?」

 恐る恐る尋ねる双葉に、男は振り返らずに、にこやかな口調で答えた。

「誘拐犯です」

「うあぁああああああああっ!?」

「ちょ、暴れないで! 嘘! 嘘だから! 今はまだ安静にしていた方がいいから、念のためにさ!」

「え……あ」

 その声や、話し方、背中から見えるコート姿で双葉は気づく。

「昼間の屋台の怪しい人!」

「そうそう、その怪しい人ですよー」

「…………やっぱりピンチ!?」

「怪しいけどいい人ですよー」

 男――森近は自己紹介も兼ねながら、双葉に何があったのかを説明する。もちろん、真実ではなく、ありきたりで出来合いの虚構を。

「それじゃ、私、走っている途中でこけて頭を打ったんですか?」

「うん。それで、近くに居た小学生くらいの男の子が俺に知らせてくれたんだ。これでも、多少医学のような物を齧っているからね。軽く診断して、問題なさそうだったからこうして自宅まで送っていくところ。あ、明日は一応病院行って精密検査受けた方がいいぜ」

「…………うぅ、恥ずかしすぎます」

 泣いている子供を助けに行ったはずなのに、まさか自分が助けられるとは。恥ずかしさで顔をうずめたくなるけれど、その場所がまだよく知らない男の人の背中だったので、自重する双葉。

「…………でも、泣いていた?」

 その恥ずかしさのなかで、双葉は、ふと自分の思考に疑問を覚える。あの男の子は俯いていたけれど、泣いていなかったような気がしたのだが。どうにも、思考に靄がかかったようで、思い出せない。

「ま! いくら月夜だからって夜に全力ダッシュするのは今後控えなよ」

「うぅ、はい……」

「とりあえず、この話は光ちゃんとの世間話でしばらくメインを張ってもらうかな?」

「ご、ご勘弁を!」

 家に着くまでの間、双葉と森近は視線を合わせず雑談を交わす。その内容のほとんどは、森近が双葉をからかって遊んでいただけだったけれど、不思議と、悪意は感じられずに。妙に双葉がこそばゆい思いをしただけだった。

「あ、あの……森近さん」

「ん? なんだい、てこちゃん」

 最後に。

 自分の家の玄関が見えてきた頃、双葉は何気なく森近に尋ねる。

「あの子、どうしてこんな夜に歩いていたのでしょう?」

「さぁ? 月が綺麗だったから、夜遊びしていたかったんじゃないか?」

 森近の言葉を受けて、双葉は空を見上げた。

 確かに、今日の月は恐ろしいぐらいに綺麗だった。ずっと、見つめていたいほどに。

「もしくは」

 森近は言葉と共に、振り返った。

 双葉も、釣られて森近と視線を合わせる。顔と顔との距離が近かったが、それよりも先に、森近の顔が思いのほか昼間よりもボロボロになっていることに気付いて。

 

「テストの点数でも悪かったんじゃないか?」

 

 けらけらと笑う森近の背中から無理やり降りて、慌てて救急車を呼んだ双葉だった。

 

 

 

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