浪漫の騎士   作:南蛮うどん

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長い上に続きます。


第4話 猫憑きの少女

 私の中には猫が居る。

 白い猫だから、名前はシロだ。

 滅多に鳴かない賢い猫。

 あぁ、でもシロ。

 君はちょっと賢過ぎる。

 何も、私の心を読んだように動かなくていいのに。

 あとね、君は義理堅すぎる。

 何も――――――死んだ後まで、私と一緒に居なくてもいいのに。

 

 

●●●

 

 

 蔵森 鈴音(くらもり すずね)は不吉な少女だ。

 まず、目つきからして気味悪がられる。平均的な女子より目元はぱっちりしているのに、眼球の動かし方が、ぎょろり、ぎょろりと、周りを睨むようにして動いているので、第一印象は良くない。顔の造形自体はそこまで悪くない、といよりも、綺麗な方なのだが、どうにも自分の外見に無頓着で。生まれつきの茶髪は、まるで男子のように短く切りそろえられたベリーショートだ。私服もスカートを好まず、パンツスタイルが多いので男子に間違えられやすい。

 加えて、体型も、その不吉さを掻きたてている。

 折角の長身も、ひょろりとした猫背で台無しに。すらりと伸びた手足も、妙に小食な所為か、やせ気味だった。

 色気などなく、鈴音と会った者が感じるのは不気味さだけだ。

 大抵の人間は、鈴音を忌避し、あるいは、気味悪がって集団で排除しようとするかもしれない。事実、幼い頃からそういう自業自得の被害に鈴音は遭ってきたのである。

 ならば、今、鈴音の目の前にある不思議とはなんだろうか?

「鈴音ちゃん、一緒にご飯食べよう?」

「…………は?」

 昼休み。

 転校したての頃は鈴音に関わろうとする者はたくさんいたが、皆、鈴音の素っ気ない対応と、不吉な雰囲気にのまれて去って行った。

 そういうことが一週間続いて、もはや鈴音に声を掛ける者は教師を除いてこのクラスには存在しないと思っていたのだが、まさかこんなところに居るとは。

「あー……悪いね、私、購買だから……」

「それじゃ、購買で買ってから一緒に食べませんか?」

 にぱ、と鈴音の目の前に居る女子は明るく笑う。

 どうにも、鈴音の苦手なタイプの人間だった。かといって、そこまで強固に断る理由は鈴音にはないし、どうせ話していく内に勝手に離れていくだろうと思った。

「……ま、そっちがいいなら、いいけど」

「よかったぁ! それじゃ! 鈴音ちゃんがご飯を買ったら、とっておきの場所にご招待するから!」

 嬉しそうに微笑むと、その少女は友達と思しき黒髪の美少女の元へと駆けて行った。「やったよ、てこ! 大成功!」や「だ、大丈夫? 迷惑じゃなかったかな?」などと話しているのを見ると、特に何の思惑もなく、ただの興味で自分を誘ったのだと、鈴音は理解する。

「……健全で、いいことで」

 そんな二人のクラスメイトのやり取りを眺めて、鈴音は皮肉げに唇を歪めた。

 同時に、幸せそうに笑う二人に薄暗い感情も芽生えてくる。じりじりと、胸の中を焦がすような、けれど、慣れ親しんだ嫉妬という感情。

《なぁーご》

 と、同時に鈴音の耳元に聞き覚えのある鳴き声が響く。

 猫の鳴き声だ。

 シロという、かつての飼い猫の鳴き声だった。

「あてっ?」

「あっ、大丈夫、ぴかり?」

 猫が鳴いた後、ぴかりと呼ばれたクラスメイト――先ほど明るい笑顔で鈴音を誘ってくれた少女の額に、ぺし、とどこからか飛んで来た消しゴムが当たる。

「ちょ! マジごめん! そっちに飛んじゃって、俺のドラグーン」

「おいおい、岸見ぃ。よりにもよって女子の顔とか……」

 どうやら、早々に早弁で昼食を終えていた男子が消しゴムを弾いて遊んでいたのが、ぴかりの額に当たってしまったらしい。

 幸い、ぴかりはさほど気にして無いようで、男子の謝罪を笑顔で受け入れていた。

 他愛ない、日常の風景である。

「…………」

 けれど、そのやり取りを見て、顔を青くしている者が居た。

 鈴音だ。

 鈴音は嫉妬の炎の代わりに、苦々しい痛みが胸の中に広がり、ぎゅ、と固く拳を作る。

 また、か。

 心の内で呟かれた言葉は誰にも聞こえない。

 猫の鳴き声が、鈴音以外の誰にも聞こえないように。

 鈴音の後悔も、自己嫌悪も、自分にしか聞こえないのだ。

 

 

●●●

 

 

 鈴音は幼い頃から、よく転校を繰り返す生活をしていた。

 それは、父親の仕事上、どうしても仕方がないことで、仲良くなった友達とはすぐにお別れで、また違う場所へ。短い時は数か月、長い時は二年ほど同じ場所に住んでいたが、とにかく、転校するタイミングは完全にランダムで、鈴音の意思ではどうにも変えられない領域の出来事だった。

 なので、鈴音は小さいうちから人間関係について必要以上にドライになってしまっていた。

 鈴音から見たら、可愛い女子も、面白いことを言う男子も、かっこいい上級生も、皆いずれ別れる対象だ。そして、別れの時になれば、仲良くなった分に比例して悲しみが鈴音を刺す。

 幼い頃の鈴音は、それが嫌で嫌で仕方が無かった。

 痛いのだ。

 苦しいのだ。

 外傷は絆創膏でも貼って放っておけば、いずれ治る。

 だが、心の傷は放っておいても治らない。むしろ、時間が経つにつれて、寂しさと共に苦しさが溢れてくるようだった。

 こんなに痛くて苦しいことが続くのは耐えられない。

 なら、適度に人から離れて、痛くないように別れるのが一番だ。

 出会いと別れの繰り返しの末、鈴音はそう結論付けた。仕方ないことだっただろう。まだ幼く、純粋な鈴音からしてみれば、いつ襲い掛かるか分からない理不尽な痛みに怯えるより、最初から喜びも痛みも無い世界に身を置いた方が安全なのだから。

 そんな生活が終わったのは、鈴音が中学校に上がったばかりの頃。

 鈴音の父は、ある日突然、仕事から帰ってくると、鈴音と母を呼び、家族会議を行った。その会議の内容は『長年の仕事の成果が認められた。やっと腰を落ち着けることができる』ということだった。つまり、もう理不尽な転校(痛み)に悩まされることはない。そういうことだった。

 鈴音の父は、申し訳なさそうな顔で鈴音に言う。

「今まで悪かった。苦労を掛けた。これからはもう、何も心配することはない」

 鈴音はぎこちない笑顔を作って応えた。

「ありがとう、お父さん」

 だが、本心はまるで逆である。

 何を今更、と鈴音は父に叫んでやりたかった。今更、転校という理不尽を失くしたところで、その理不尽によって形成された鈴音の人格は急には変われない。

 鈴音は中学一年生にして、もう乾き切って、枯れていた。

 色恋沙汰は読み物だ。現実でやることじゃない。

 友情は要らない。苛められない程度に、会話をすればいいだけだ。

 他人には期待しない。いずれ、別れる相手だ。

 痛みを恐れて手を伸ばさなかった結果、鈴音は自己完結的な人間になってしまったのである。趣味も、読書やアニメ観賞、ゲームなど、一人でできることだけ。

 他人が必要な趣味は、嫌いだった。

 自己完結した、他人嫌いな目つきの悪い女の子。

 そんなの、鈴音からしても友達になりたい奴じゃなかった。でも、そういうキャラクターであることは固定されてしまって、すなわち、これからずっと一人で中学校生活を過ごさなければならない。

 それが嫌なら、みっともなく、傍から見て痛々しい努力をして変わるしかない。

 笑われながら、嗤われながら。

 でも、臆病な自尊心を持ってしまった鈴音には、到底出来なくて。

 そんな時だった。

 鈴音が、真っ白な猫と出会ったのは。

 

 

●●●

 

 

 牛乳にアンパン。

 それが鈴音のいつもの昼食だった。

 味などに、特に拘りなど無かったが、前に古ぼけた刑事ドラマでよく食べられていたのを真似したのが始まりだった。まぁ、さすがに毎日続けてというわけではない。たまにカレーパンなども挟んで、空腹を埋める。

 といっても、鈴音は一日二食でも大丈夫なほど小食なので、昼食はどうしてもおやつ感覚というか、小腹を埋める程度になってしまうのだが。

「こっち、こっちだよ!」

 購買からいつもの食糧を買った鈴音は、待っていた二人のクラスメイトと共に中庭に赴くことになった。

 正直、夏休み明けの現在では、まだ外気は暑い。そんな中で昼食を取ろうなんて、自殺行為にも等しいのではないのかと、鈴音は疑っていたのだが、

「はい、ここが私たちの秘密……ではないけれど、それなりに隠れ家的な場所なのです!」

 しかし、案内された場所は予想に反して涼やかな場所だった。

 葉桜が天井のように日光を区切り、どこからか冷たい空気が流れてきている。木漏れ日の中には、小さなテーブルと、椅子がちょうど人数分。

 まるでそこは、ちょっとおしゃれなカフェテラスのよう。

「テーブルと椅子は自前で、用務員さんに頼んでこっそりと隠して貰っているんだよ。といっても、私たちのずっと前の先輩たちから続く、隠れた風習みたいな物らしいから、あんまり大っぴらに教えちゃいけないんだけどね」

「だから、その、蔵森さんも、内緒です、よ?」

 鈴音は小さく頷く。

 別に、わざわざ秘密の場所を教えて回るような無粋な真似はしないし、そんなことをするような相手も居ない。だから、要らぬ心配だと、鈴音は心の内で苦笑する。

「それでは、ちょっとおしゃれなランチを始めようか!」

「お、おー」

「…………?」

 勢いよく右腕を掲げたぴかりと、ちょっとためらいがちに、頬を赤く染めながら同じく右腕を掲げたてこ。そして、ちらちらと、二人とも鈴音の方に視線を向けている。

 いつもだったら、読まない空気だ。

 けれど、まぁ、秘密の場所を教えてもらった代金というわけでもないが、妙な気まぐれを起こすのも悪くはないと鈴音は思い、

「おー」

 仏頂面で、小さく右腕を挙げたのだった。

「なるほど……それじゃ、鈴音さんは東北の方からこっちに引っ越して来たんだね」

「ん……そうだよ」

「あっちに比べると、やっぱりこっちの夏は辛いですか?」

「や、そうだね。辛い。めっちゃ辛かった。死ぬかと思った」

「あははは、意外と大げさじゃないからね」

 昼食をとりながら、三人は改めて自己紹介をした。

 まず、ぴかりと呼ばれていた明るい笑顔の女子は、小日向光という名前のようだ。どうにもマイペースで、他人を上手く自分のペースに巻き込んでしまうタイプらしく、鈴音は昼食の間、ずっと光にペースを乱されて、慣れない雑談などをしてしまった。

「あの、ちゃんと水分補給は本当にやった方がいいですよ?」

「うんうん。てこはうっかり、倒れそうになったときがあったからね、ジョギングしている時とか」

「……あ、あのことは言わないでってば」

 そして、あわあわと端正な容貌を乱して恥ずかしがる黒髪少女が、大木双葉という。一見、深窓のお嬢様という風情だが、意外と抜けているというか、世間離れしていない普通の女の子、というのが鈴音の評価だった。どちらかというと内気な方に見えたので、外見はともなく、内面はちょっとシンパシーを感じた鈴音だった。

「確かに、この夏はちょっと異常だったから、ね」

「そうそう! あ、でもその所為かダイビングのお客さんがたくさん来てねー」

「ぴかりはね、アマチュアのインストラクターをしていてね。お婆様が経営する海の家の手伝いをしているんだよ」

「へぇ、偉いな。ちゃんと手伝っていて」

「えへへ、趣味も兼ねているからねー」

 二人とも、話してみれば気持ちの良い性格をしていた。

 光はマイペースながら、相手の気持ちも察することができて、無理やり相手を振り回すタイプじゃない。協調とか、調和という言葉が似合う。双葉も、遠慮がちながら、意外と言うことはちゃんと言って、光に遅れていない。ちゃんと、対等な友達であろうとしている。

 健全で、羨ましいほどの、眩しいほどの関係だった。

 鈴音では到底、真似できないような素晴らしい関係である。

「…………」

 楽しく会話していたはずだったのに。

 珍しく、鈴音も口が軽くなっていて、久しぶりにたくさん話したというのに。

 やはり、こういう衝動というのは、鈴音の心底から湧き出てくるらしい。また、嫉妬という名の、薄暗い感情が、ちろちろと舌を出してくる。

「よーっす、校則違反ども!」

「うぴゃ!?」

「ふわぁ!?」

「にゃ!?」

 鈴音の感情が表に出るより前に、誰かの声で引っ込んだ。

 三人は、揃って声を掛けてきた人物へ振り返る……そこに居たのは、彼女たち三人の担任教師である、火鳥真斗だった。真斗はいわゆる姐御肌な性格で、外見も実年齢より若い。恐らく、大学生にまぎれても通用するほど、若々しい。にかっ、と豪快に笑い、美しい黒髪を後ろで束ねた姿は、クラスの憧れの的であり、また、恐怖の対象でもある。

「別に小うるさいことは言わんつもりだがな、もうちょっとこそこそと楽しみなさい。公にばれたら、いろいろ問題になっちゃうからね」

「はぁーい」

「す、すみませんでした……」

 ぺこぺこと謝る二人に続いて、鈴音もひっそりと頭を下げる。

 よかった、あまり怒られなくて。

鈴音はほっと胸を撫で下ろす。この場所の使用が公然の秘密ということもあったおかげもあるだろうし、隠れて『いけないこと』をして無かったのもあってか、注意は軽い。

これが、思春期特有の馬鹿で無駄にリスクの高い行動でもやっていたのなら、真斗の雷は三人を直撃したことだろう。

 あぁ、本当によかった、声を掛けてもらって。

 同時に、鈴音は違う意味で安堵していた。鈴音の中にある仄暗い感情。それを発露させてしまう前に、声を掛けてもらって、よかった。思いとどまれたと、鈴音は心底安堵していた。

 どうやら、鈴音自身が思っているよりも、鈴音は光と双葉とのランチタイムが、楽しく、大切な思い出になっていたらしい。

「それにしても、今日はいつものぴかりにてこがべったりじゃないんだな。さすがに、鈴音の前では自重しているようだな、よろしい」

「せ、先生!」

 双葉が顔を真っ赤にして、抗議する双葉。

 どうやら、いつもはもっと双葉は光に甘えているところがあるようだった。しかし、今は鈴音という転校生と仲良くするため、加えて、あまり話したことのない人前なので、控えめにしていたのだとか。

 先生である真斗も含めて、楽しく談笑する三人。

 その三人を眺めていて、鈴音は薄く笑った。自嘲でもなく、苦笑でもなく、眩しく、尊い物を眺めるような笑みだった。

 こういう時、暗い感情が出て来なくて、本当に良かったと、鈴音は笑ったのである。

「…………ん?」

 と、急に真斗は鈴音の方を向き、じーぃと、視線を向けてきた。

 何かまずいことをしただろうか、と首を傾げる鈴音だったが、真斗は、しばらく鈴音を見つめた後、ぽつりと呟く。

 

「鈴音。お前――――ツカれているな」

 

 疲れているな。

 憑かれて、居るな。

「…………え?」

 鈴音の脳内で、勝手に言葉が変換された。本来なら、有り得ない方向に。されど、鈴音にとっては的を得た表現に。

「あの、先生……私が何か?」

 恐る恐る尋ねる鈴音に、真斗はしばらくぶつぶつと何か独り言を呟いた後、意を決したように、ばっさりと告げた。

「うむ。鈴音、君はちょっと放課後生徒指導室にくるよーに」

「ええっ!?」

 鈴音の驚きの後に、光と双葉が揃って目を丸くした。

 どうにも、鈴音の夢ケ丘高校の生活は、今まで通り、適当にドライに影のように、とはいかないらしい。

 

 

●●●

 

 

 その白い猫は、後ろ足が傷ついている所為か、近所の小学生に捕まって、苛められていた。

 子供は無邪気だとよく言われるが、それはつまり、罪の重さも知らないということである。無邪気なまま、小さな命を痛めつけて、原初の衝動を満たす。

 子供こそ、ある意味、原始的で、凶悪で、無邪気で、なおかつ世界で一番恐ろしい獣なのかもしれない。

 かく言う鈴音も、まだ大人になれていない子供だったので、近所の小学生どもにドロップキックやコブラツイツストなど、大技を存分に決めたり、小石を使った中距離攻撃、砂により目潰しなど、存分に極悪超人プレイをしていたことから、それが妙実にわかるだろう。

 なんにせよ、鈴音は子供の残虐さに加えて、中学生という体格のアドバンテージを思う存分に使い、小学生たちを散らした。もちろん、面倒なことにならないように、しっかりと脅しと保険を掛けて。

 ただ、問題は残った猫である。

 鈴音は別に猫を助けようと思って、小学生どもを蹴散らしたわけではない。ただ、目の前で不快な行為をされた苛立ちと、常日頃のストレスが爆発して、それをぶちまけただけなのである。猫を虐待した者に罰を与える、という大義名分を使って。

 だから、別に猫を助ける必要なんてなかった。

 そのまま野垂れ死にさせてもよかったのだが。

 どうにも、その猫の目が……金色の瞳が、妙に綺麗に思えて。同情を誘うのでもなく、ただ、あるがままに自分を見ているような気がして……結局、鈴音は猫を助けることにしたのだった。

 通常、野良猫を飼うのはひどい苦労が必要だ。

 基本的に野良は人に懐かない上、直ぐに何処かへ消えてしまう。よしんば、家の中で暮らせるようにしたって、トイレの世話や、爪立てなどの教育。加えて、病気の予防注射という資金面での苦労も必要なのである。

 ただ、珍しいことに鈴音が拾った野良猫は、賢く、そして大人しい野良猫だった。

 一度言えば、すぐにその猫は鈴音の言葉通りに動いた。言いつけを守った。

 まるで、人間の言葉が分かるように。

 だから、トイレも、爪立ても、ご飯も、本来なら心が折れそうなほどの苦労が必要な躾けなどは、あっさりと終わってしまったのである。

 唯一、鈴音が苦労したことと言えば、野良猫を飼うことを両親に納得させ、動物病院に野良猫を行かせてもらったことだけ。それも、最初に資金と餌代以外は、特に両親も文句は言わなかった。むしろ、飼ってから時間が経つにつれて、本当に賢い猫だ、飼ってよかったな、と時々口にするほど、その猫を評価していた。

 鈴音は、その猫にシロという名前を付けた。

 白い猫だから、シロ。両親からは安直すぎると文句が出たが、それでも、シロ自身は気に入っていたようで。

 シロ、と名付けた時、めったに鳴かない猫が、確かに鳴いたのである。

《なぁーご》

 と、どこか満足げに。

 

 

●●●

 

 

「この地図の場所に大きな屋敷がある。その屋敷に、私の知人である水守森近という若い青年が居るので、一度視てもらうように」

 放課後。生徒指導室に呼び出された鈴音が、真斗から言われた内容を要約するとそうなる。

 つまり、鈴音の身に起きている怪現象を、そういうのが得意な専門家が居るから視てもらうようにと勧められたのであった。一応、真斗から車を出そうかと言われたが、鈴音は丁重に断った。なにせ、ただでさえ胡散臭い話なのだ。行きと帰りの足は自分で確保しておきたい。

 そして、例え胡散臭い話であっても、自分の身に起きている不思議は解き明かさなければならないと、鈴音は思っていた。

「…………ここか。確かに、おっきいなぁ」

 自転車で学校からおよそ二十分ほど行ったところに、その屋敷はあった。途中、坂道があり、上るのにかなり苦労したが、帰りはきっと楽だろうと我慢して上った。そして、上った先に会ったのが、この古びた造りをした西洋屋敷だったというわけだ。

「ええと……この場合、どうすれば……あ、インターホン普通にあるんだ」

 古びた外装だったので、てっきりそういう物が無いとばかり思っていたが、割と早めに鈴音は門の近くにあったインターホンを見つけた。

 ピンポーン。

 インターホンを押し、しばらく待つ。

「…………」

 もう一度、押す。

 ピンポーン。

「…………留守、かな?」

 合計三分ほど待ってみたが、何のリアクションも無い。留守のようだ。

 鈴音はため息を吐きつつ、残念なような、安心したような奇妙な気分でその場から立ち去ろうとした。

 その時だった。

「ぶべらっ!?」

「にゃぁああああああっ!?」

 門の前に、ジャージ姿の男が降ってきたのは。

「ひ、ひぃ……じ、事件? 怪事件? け、警察……」

 ジャージ姿の男は、白目を剥いて気絶していた。その体には無数の打撲痕や裂傷が在り、はた目から見ても悲惨な有様だ。

 鈴音は正義感よりも、恐怖に駆られて、震える手でスマートフォンを取り出そうとしたが、

「お待ちを。それには及びません」

「ひぃいいいいいっ!?」

 背後から現れた何者かの手によって、スマートフォンを持つ腕を掴まれた。

「これは我が主人による特殊なプレイです。問題ありません」

「えぇえええええ!?」

 なんと、背後から鈴音を制したのは、メイドだった。しかも、黒髪ロングで、双葉とはまた違った鋭く研ぎ澄まされた美人である。

「ほら、森近様。気絶していないでさっさと弁解してください。貴方はマゾで、これはただの歪んだ性癖の結果だと」

 しかも、ボロボロになって倒れているジャージ姿の男が主人だという。

 というか、その人こそが、真斗に紹介された専門家とやらのようだ。

「…………」

「…………ふむ」

 完全に気絶しているのか、森近という青年は応えない。

 メイドは無表情のまま頷くと、そのまま飛翔。門の内側に居る主人の元へ、一足で跳躍。

「うにゃ!?」

 そのあまりの身体能力に、鈴音が目を丸めるが、

「ほら、さっさと起きてください、森近様」

「ごぐぼっ!?」

「ひぃっ!」

 すぐにその目は恐怖で閉じられることになった。

 あろうことか、メイドが倒れている森近に追撃をかけていたのだ。倒れている森近に活を入れた一撃は、素人から見たら、さらに体が波打つレベルでの打撃を食らわせたようにしか見えないので、「こいつ、止めを刺した!? 次は私ぃ!?」としか思われないのである。

「げほっ、ごほ…………あー、毎回思うんだけどね、梅子さん。気絶するぐらい痛めつけるのは、修業じゃなくて苛めではないかと」

「何を甘っちょろいことをほざいてらっしゃるのです、森近様。大日本帝国の特殊部隊である『見えぬ神の手』では温いくらいですが」

「やめて。世界大戦中トップレベルのしごきはやめて……って、ん?」

 気絶から回復した森近が見たのは、ぷるぷると、腰の抜けた状態で逃げ出そうと這う女子高生の哀れな姿で。そういえば、つい先ほど、恩人である火鳥の姉の方から『視てやって欲しい教え子がいる』と頼まれていたような、と森近は思い出す。

「うぅ…………怖い、怖いよぅ」

「だ、大丈夫だよー? 怖くないよー? 良い人だよー?」

「森近様、血みどろで近づかれてもホラーなだけです」

「うん、八割ぐらい梅子さんの所為だけどな!」

 なんにせよ、身だしなみは整えないとなぁ、梅子から渡されたハンドタオルで血を拭う森近。

《なぁーご》

「いたっ?」

 だが、拭った後から、また新しく血が吹き出た。

 まるで、何か小動物の爪で引っ掻かれたかのように。

「う、うぅうううううう……」

 鈴音はこの未知な状況に恐怖していた。だから、本能的にそれが発動してしまったのである。例え、かなりのレベルで被害者だった森近に対しても、無意識で恐怖を感じてしまっていたのなら、容赦なく。

 その白い猫は、鈴音にしか見えない猫は、敵対者に爪を立てる。

 だが、その抵抗はあまりにもささやかでしかない。人ならざる身体能力を持つメイドがこの場に居る以上、そんな抵抗をしたところで、かえって怒りを誘うだけなのではないか?

 ならば、どうする? この場から逃げるためには、どうすればいい? そうだ、『出力』をもっと――――と、そこまで鈴音が思考した時だった。

「それはやめとけよ、お嬢ちゃん。そういうのは、自分も痛くなるもんだぜ?」

「あ、え?」

 思いもよらぬ優しい声を、森近から掛けられた。その場で繕った者ではなく、純粋に、鈴音を心配した声色である。

「一工程で対魔力を貫通してきたってことは、超能力……いや、呪術系統の方が正しいのかな? 梅子さんには見えた?」

「ええ、ぼやけていましたが、白い猫でしたよ、森近様」

「…………猫か、なるほど。そっち方面の問題ってわけか。しかも魔眼系も混じって顕現しているとなると、ふむ、厄介だな」

 しかも、鈴音が起こした怪現象を目のあたりにしても、まったく動じず、それどころか、何かしらの見解を述べながら考察しているという有様だ。

 鈴音の中の恐怖が、希望に変わった。

 もしかしたら、この人なら、という淡い希望に。

「あぁ、悪い。申し遅れた。俺は水守森近。この屋敷で……うん、研究者みたいなことをやっているよ。君は?」

 だから、森近の安心させるような笑みに、自分も笑みで応えて、名乗った。

「蔵森鈴音です…………お願いします。私の中の猫を、成仏させてやってください」

 初めて、己の中に居る異常を、話す気持ちになれた。

 

 

 

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