キャラ崩壊してたらまぁ、所詮二次創作ですし、と言い訳。
赤みのかかった黒髪が風に靡く。
ショートヘアに整えられたそれは、ふわりと、口元から漂う紫煙と共に風に揺れていた。
「…………ふぅ」
その女性は、眼鏡をかけた優しげな眼差しの女性だった。シャツのパンツルックという出で立ちだが、体型は文句のつけようがないほど理想的な女性のそれであり、不可思議な色気を纏っている。
女性が居るのは、この街の境界線上……ちょうどそこにある道の駅の休憩エリアだった。
この街は観光地としても、人間の出入りがそれなりにある街だが、特にその女性はこの街に不似合いな空気を纏っていた。そう、まるで平穏を許されないような。存在自体が、街に歓迎されていないような。されど、そんな拒絶感を女性は全く気にしない。
「さて、森近君は元気かしら?」
くしゃり、と携帯灰皿に吸殻を入れ、女性は歩み始めた。
封印指定の魔術師――青崎橙子が、水守の街へと入って行った。
●●●
「んー、やっぱり魔眼の制作はまだ俺には不可能かー」
早朝。
まだ日も出たばかりで、空が薄紫色に染まる頃。森近は工房に籠り、本を漁っていた。机に積み上げられた本は全て、魔術……それも魔眼に関わる物ばかり。
「やっぱり猫目石と神経の接続が難しいな。専門技術が必要な項目がいくつもあるし、なにより、失敗した時が怖い。魔術回路を通すなら尚更だ」
黒皮作りの眼帯を撫で、森近は軽くため息を吐く。
異能者である鈴音の暴走を止めるため、森近は右目を犠牲にした。そうでなければ、きっと鈴音を止められなかっただろうし、そのことに森近は欠片も後悔していない。けれど、森近は気にしていなくとも、鈴音がそのことにいまだ罪悪感を持っている。メイド服姿で給仕している時も、鈴音は森近の方を――その眼帯で覆われた右目をちらりと眺めて、泣き出しそうな顔を作ることがあるのだ。
森近としては、自分の周りに居る人間は笑顔で居て欲しいと願う。
それが親しい間柄なら尚更だ。故に、森近は早々に失った右目をどうにかしようと検討しているのである。
「うーむ、いっそのこと専門家に任せたいが……そうなると費用がかさむ上に、まず、魔眼を作っている奇特な魔術一家を探すところから始めないといけない……つーか、自分の研究成果を他人に渡す馬鹿なんて俺ぐらいしかいないだろうし。良くて実験台だろうしなぁ」
どうせ新しい目を作るのなら、今後の揉め事に備えて魔眼の一つでも埋め込んでみようと考えている森近だったが、なかなかうまくいっていない。
森近は魔術に関しては鬼才を誇るが、それでも得意な分野と苦手な分野は存在する。己の起源に近しい水を操る魔術などは、特に森近は得意であり、逆に、魔術以外の専門分野の知識が必要となってくると苦手になってくる。ちょっとした礼装を作る程度ならば、ちょっとした工学的知識を組み合わせれば充分対応可能なのだが、魔眼を生成するとなると、高度な医療技術も必要となってくる。魔術が関連する必要技術や知識ならば、森近の習得速度は格段に増すのだが、それでも、魔眼を制作するには足りない。
森近が人工的な魔眼を自身が満足するまでの出来にするには、最低、一年はかかってしまう。それでは、森近としては遅いのだ。
「はぁ、しゃーない。魔眼作りはいったん保留として、適当な義眼でも注文するかな。視界が半分っていうのも、中々不便だし」
ごしごしと、森近は酷使した左目を擦る。
いつもは両眼を使っていた作業が、いきなりその半分になってしまったのだ。残された左目の疲労がたまってもおかしくない。
机の引き出しから、特製の目薬を取り出し、二滴ほど差して森近は一息吐く。
「片目に慣れてから両目に戻るのも、また辛いだろうしね」
こきこきと、凝った肩を解しながら森近は椅子の背もたれに体重を預けた。
ここ最近、いささか徹夜で研究をして森近は疲れている。それこそ、このまま微睡に身を委ねてしまいたいほどに。
けれど、ここで眠ってしまったらまだ梅子からどやされるので、仕方なく微睡を振り払う森近。さて、それではシャワーでも浴びて昼間で一眠りでもしよう。
森近がそう思い、席を立ったそのタイミングだった。
ピンポーン、とインターホンの音が屋敷の中に鳴り響いたのである。
「ん? こんな時間に来客か?」
時刻はまだ午前六時にもなっていない。控えめに言っても、来客を迎える時間ではないのだが、森近は少し考え込む。そして、ぽんと、手を打つと思い出したように呟いた。
「あぁ、そういえばこの時間帯は梅子さんの就寝時間だった。なるほど」
森近は街に閉じこもって魔術研究している割には、意外と知人が多い。それは協会関係だったり、あるいは以前世界を回っていた時に出会った知り合いなど、職種から人種まで、多種多様だ。その中には、メイドであり、不老不死の神秘の体現である梅子と会うと都合の悪い者もいる……というか、梅子に嫌われているような者たちが居るのである。そのため、森近はそういう嫌われ者たちが自分の屋敷を尋ねる時には、梅子が就寝している時間帯に来るように言ってあるのだ。
「さてさて、誰でしょーか、っと」
メイドである梅子は主人である森近の友人関係には極力、口を出さない。魔術という、狂気と血肉が蠢く世界で生きているのだから、多少のグレーゾーンな人物ぐらいだったら丁寧に対応する。だが、その人物が『森近に害をなす』と判断した人物に対してはひどく辛辣だ。いかにその者の人格が良かろうとも、森近と仲が良かろうとも、出会い頭にふぶづけを顔面にダイレクトシュートするぐらいには無礼を働く。むしろ、積極的に無礼を働いて森近とその者との仲を破たんさせようと企むぐらいだ。
そう、例えば……協会から絶賛封印指定を受けている超一流の魔術師、とかに対しては。
「――あ、橙子さん!? 橙子さんじゃないですか!」
もっとも、当の本人である森近はそういうリスクなどをまったく考慮せずに、普通に、むしろ喜びまくってその魔術師を出迎えているのだが。
森近は門の前に立つ人影――橙子の姿を確認すると、小走りで駆けて行き声を掛けた。
「お久しぶりです、橙子さん! お元気そうで何より!」
「森近君も久しぶりね、元気に……していたなら、その眼帯は無かったはずよね」
「あははは、最近、ちょっと無茶をやらかしまして」
出来の悪い生徒を見るように苦笑する橙子に、森近もまた苦笑で返す。
協会と繋がっており、かなり立場が優遇されているはずの魔術師である森近と、協会から指名手配されているはずの魔術師の橙子は、互いに程よい警戒心を抱きながら、しばし談笑に耽った。
「と、すみません。立話も何でしたね、屋敷に……はあまりお勧めしないので、近場に早朝からやっている隠れ家的な喫茶店があるので、そこでお話を伺いましょう」
「私は梅子さんに挨拶してからでもいいのだけれどね?」
「勘弁してください、その時に梅子さんを止めるのは俺なんですから」
以前、梅子が橙子の対応をした時などはかなりひどかった。なにせ、出会い頭に作りかけのパンをそのまま、橙子の顔面にシュートしようとするわ、積極的に手を滑らせて、お茶をぶっかけようとするわで、普段の有能なメイドぶりが嘘のように極悪メイドと化していたのである。
「あの時は実に面白かったわ。人魚の肉を食べた八尾比丘尼もあんな風に拗ねたりするのね」
「拗ねるというか、なんというか……過保護なんですよ、梅子さんは」
はぁ、とため息交じりに森近は肩を竦める。
「俺の感覚としては二人目の母親という感じですけど、その実態は婆さんどころじゃないですからね。あっちから見たら俺は何時までも子供なんでしょうよ」
「ふふ、親にとっては何時まで経っても子供は子供らしいわよ?」
「そういうもんですかね?」
「ええ、きっと」
優しげに微笑む橙子の顔には、梅子に対する嫌悪の感情は無い。むしろ、不老不死の幻想を持ち、なおかつメイドなんぞをやっている面白生物である梅子に対して、好意すら感じているようだった。まぁ、魔術師とは誰彼、知的好奇心の塊みたいな人間なので、その好意が観察対象に対する物なのか、それとも個人として好ましいのかは不明なのだが。
「それでは、案内しますよ、橙子さん。セカンドオーナー自慢のモーニングセットをご馳走いたしましょう」
「あら、それは助かるわね。私、今月ピンチなの」
「はははっ、橙子さんは衝動的によくわからん物を買いたがる悪癖がありますからなぁ」
と、そこまで行ったところで、ふと森近はある可能性を思いつく。というよりも、橙子が森近に会いにくる用件の大半がそれだったことを思い出した。
「…………あの、橙子さん。ひょっとしてなんですけどね? 俺に話っていうのは、つまり」
「そうね……」
すっ、と橙子は眼鏡を外して性格をスイッチした。
暖かく女性的なそれから、冷たく男性的なそれへ。橙子は柔らかな眼差しを鋭く細めて、森近へと今回の来訪の目的を告げる。
「もちろん、金の無心だ、森近」
ちなみに、橙子が森近に金をせびりに来たのはこれで三回目であり、その度に割と洒落にならない額を森近が渋々投資することになっていた。
そりゃ、梅子も極悪メイドになるわけである。
●●●
「橙子さん、そりゃね? 貴方は俺にとって命の恩人であり、魔術師として未熟だった俺を導いてくれた師のようなものです。そんな方から言われれば、いくらでもぽんとお渡ししたくなるのが渡世の義理というものですが…………貯金って限りがあるんですよ? 知ってました?」
「知っているとも。森近、お前が協会の魔術師相手にたんまりと儲けていることも」
「あれは俺の血と涙と汗と努力の結晶で生み出した研究成果なんですよ!? ぽんぽん、泉のようにアイディアが湧き出てくるわけじゃないんですってば!」
「くくく、その台詞を時計塔の学生共に聞かせてやれ。きっと泡を吹くぞ」
森近が橙子を案内したのは、早朝から昼にかけてのみ開いている、少々特異な喫茶店だ。なんでも、老紳士のマスターが早起き仲間と楽しむために始めた趣味の延長線上のようなものだが、これがどうして、中々の名店である。
木造づくりの店内はアンティークな家具と共にシックな雰囲気を作り出し、店内のBGMは古めかしいクラシック。もちろん、わざわざ骨董品のレコードを針で再生させて。メニューは軽食から意外と重めのランチまで揃えられており、マスターの気分と店の在庫次第で常に変動しているとか。そして、何よりマスターが淹れるコーヒーは、美味く、苦い。
「わかりました、橙子さん。お金はきちんと口座に振り込んでおきましょう。ですが、俺が貴方に注文していた人形の進捗状況だけでも教えてください」
「あぁ、あれか」
橙子はスーツのポケットから煙草とライターを取り出し、一服する。ふぅ、と橙子の吐息が紫煙と共に舞い上がり、揺らいで消えた。さながら、天井の木目に吸い込まれるように。
「一度は完成間近まで作り上げたんだ。いや、我ながら見事な出来栄でね。芸術品、という点この体では三度とも作れないほどに極まっていた」
「…………それで?」
「不幸な、そう、不幸な事故だったんだよ、森近。偶然、私の居場所が執行者に知られてね。極力、恨みを買わないように生きているつもりだが、私の名前だけで喧嘩を売ってくる輩もいるんだよ。恐らく、私を殺して少しでも名を挙げようとする……まぁ、私を殺すことが名を上げることに繋がるのかは不明だが、そういう馬鹿が居たわけだ」
「…………薄々予想が尽きますけど、それで?」
「ちょうど撃退に手ごろな使い魔を切らしていてね。戦闘用人形も都合が無く。仕方なく、お前に送るはずだった人形を戦闘用に転用して、その馬鹿ごと、どかん、だ」
「うわぁ」
ふふふ、と橙子は含み笑うと、楽しげに森近に語る。
「いや、あれは中々の見世物だったぞ。過去の偉人が『芸術は爆発だ』と称したが、まさにそれだったな。あのカタルシスはいい経験になったよ」
まったく悪びれもせずに語る橙子に、森近は呆れを通り越して尊敬すら抱きたくなった。どうして、そこまで自分の失敗を呆気からんと笑うことが出来るのだろうと。いや、もしかしてこれは失敗だと思っていないのかもしれない。もしくは、青崎橙子という超人の人生では、失敗なんて言葉は存在しないのだろうか? とすら思った。
だが、そんな考えはすぐに却下する。
青崎橙子の妹にして、青色の魔法使いの存在を思い出し、森近は自分の考えの浅さを恥じた。どんな超人であれ、失敗しない人生などない。問題は、それをどう捉えて生きてくことかが、大切なのである。
故にさっそく、森近はその教訓を生かすことにした。
「んじゃ、頼みがあるんですよ」
「おや、君がこの私に頼みか? 珍しいこともあるものだ。大抵のことなら、君と梅子さんで可能にするだろうに」
「人間、出来ないことを出来ることがありますから」
それはごく当たり前の常識だ。
いくら、魔術の才能に愛された――否、呪われたような存在である森近と言えど、何もかも魔術に関わる全てが出来るわけではない。当たり前に、不可能も存在するのだ。
「橙子さんがかけている眼鏡……『魔眼殺し』なんですけど、一つ俺にくれませんか?」
「ほう」
にぃ、と面白そうに笑みを作り、橙子は煙草の灰を灰皿に落とす。
「別に構わんが、それは誰のための物だ?」
「ええっと、知り合いの女の子がちょっと…………」
森近は躊躇いと罪悪感を覚えながらも、蔵森鈴音の事情を橙子へ説明した。信頼して話してくれた事情を他者に漏らすのはマナー違反だが、それでも、封印指定の魔術師に礼装を依頼するのだ。情報は欠けずに話した方がいい。加えて、橙子という魔術師としての大先輩に相談する意味も兼ねている。
森近はそのことについて鈴音へ罪悪感を抱いているが、鈴音がこのことを知れば、逆に申し訳なく思うだろう。なぜなら、森近の行動は全て、鈴音のためを思ってのことなのだから。
「このお人よし」
説明を終えた森近に待っていたのは、橙子からの叱咤だった。
「お前は頭に馬鹿の付くほどのお人よしだな、森近。どこの世界に知り合いの友達だったから、という理由で命を賭ける馬鹿がいるんだ? お前は正義の味方にでもなったつもりか?」
「別に、そういうわけじゃないんですけどねぇ」
ただ単に、身内を助けただけのつもりです、と森近は言葉を返すのだが、橙子はその言葉を聞いて、呆れ果てた。
「森近。確かに我々魔術師は身内を大切にする傾向がある。だが、お前の場合はその定義が広すぎだ。ひょっとしてお前、街全ての人間を身内だと思っていないか?」
「さ、さすがにそれは」
無いとは言い切れない。何故なら、水守は特に『街』に密接した関係を持つセカンドオーナーの家系だ。加えて、生来の森近の優しさも相まって、境界線がぼやけているようだ。
「きちんと区切りはしておくべきだ。何より、お前自身のために」
「……そう、ですね。反省します」
命を賭けて誰かを助けることは素晴らしい。
だが、軽々と命は賭けるものではない。なぜなら、それは自分を大切に想ってくれている身内への裏切りになるのだから。
「さて、小言はここまでにしておいて……また、随分厄介な物を拾ったものだな。蔵森に鈴音ときたら、もう猫のためのような名前だろう」
蔵森はすなわち、蔵守へ。
元々、猫は鼠から蔵を守る存在。さらに、鈴は猫の首輪に付けられ、その音で存在を示す。
「猫憑きに、魔眼か。確かに、呪詛の原点は『相手を憎む想い』だがね。それが魔眼によって強化され、因果にすら干渉し、物理現象を引き起こすことも可能となると、もはやちょっとしたバロールの魔眼じゃないか」
「いや、さすがに見ただけで相手が死ぬレベルは言い過ぎかと……」
「確かに、現時点ではな」
「…………」
森近の沈黙が答えだった。
そう、恐ろしいことに、森近の推測によると『鈴音の異能』は発展途上にある。まだ、凶悪に進化する余地があるのだ。
「前に私が関わった事件で、『歪曲』の魔眼を持つ物が精神的にも肉体的にも追い詰められた状況で『千里眼』を獲得したというケースもある。異能者に限らず、生死の境を彷徨った者が何かしらの能力に目覚めることは少なくない。そういう意味では、お前が鈴音という子を止めた判断は間違っていないよ」
くしゃ、と灰皿に煙草を押し付けて、橙子は言う。
「そのまま放っておけば、きっとその子は『災厄』となっていただろうさ」
人ですらなく、ただ異能を巻き散らずだけの災いに。
いずれ、誰かに討たれるのを待つだけの怪物に、危うく鈴音は成りかけていたのである。
「蔵森鈴音。彼女は猫に憑かれたんじゃない。己の中に『猫』を作ったんだよ。元々あった異能を飼い猫という殻に押し込んだだけだ」
「えっと、確かに憑依されている気配は感じられなかったんですが、やっぱりそうですか」
「当たり前だ。鈴音という少女は異能者であっても、シャーマンではないのだろう? なら、消えゆく雑霊を留めておく手段などは無かったはずだ」
イマジナリーフレンドという言葉がある。
幼い子供が、空想の中で自分の友達を作って遊ぶ症状を指して言う。大抵は、大人に成っていくにつれて改善されていくそれだが、鈴音の場合はちょっとケースと規模が違っていた。
「飼い猫の損失に耐えられない精神は、己にだけ見える幻想を作った。だが、そこに異能が混ざったとなるとその幻想は彼女だけの物ではなくなる。現に、梅子さんには見えていたのだろう? その白い猫が」
「ええ、そういう形をした幻想だと」
「ならば、鈴音という少女は己の空想を呪いとして具現化しているのだろう。やれ、末恐ろしいな。これで反転してしまったら、この街が血の海に沈むぞ?」
「反転させなきゃいいんでしょう?」
橙子の試すような問いかけに、森近は真っすぐ片方だけの眼球で見返した。
「今はもう、鈴音ちゃんは俺の身内みたいなもんです。これだけは、今のぼやけた境界線の内側に確かにあると断言できる」
「そのために街を危険に晒すか? 森近」
さらに切り込むように橙子は言葉の刃を重ねる。
それは命題だ。誰かを助けることにより、己の大切な何かが危険に晒されるとしたら、君はどうするのかという問いかけだ。この問いかけに答えなど無い。
ただ、あるのは、
「俺は――信じますよ」
各自が抱いた信念のみ。
「何を?」
「俺自身を。俺ならきっとうまくやれるって……信じて、実現させます」
にやりと不敵な笑みを浮かべて、森近は橙子に断言した。
未熟な己を、それでもなんとか出来ると信じると。あらゆる悲劇を打ち砕き、幸せな日常を守り抜くと。青臭い理想を真顔で言い切ったのである。
「ふ、それは楽観主義だよ、森近」
けれど、と橙子はどこか楽しげに笑って言葉を続けた。
「この街でなら、それはきっと間違いじゃない」
●●●
森近と橙子の談笑は昼まで続き、そこでお開きとなった。
なにせ、森近のアイフォンに梅子からのメッセージが数百件規模で届くほど、梅子が心配していることが発覚したからである。一応、書置きを残しておいた森近だったが、どうやらそろそろその書置きの魔力も薄れ、梅子の心配性が暴走してきたらしい。
「今日は久々にゆっくりできたよ」
「あはは、魔術談義と厄ネタをだらだら話しながら喫茶店に居ただけですけどねぇ」
森近は橙子を街の境界線まで、雑談がてらに送った。
信用していないわけではないのだが、どうにも橙子ほどの魔術師が街の中に居ると、至る所に設置された自動警報がうるさいので、森近が傍でいちいち解除しなければならないのだ。
「森近、一本どうだ?」
「ん? いいんです? それ、貴重品でしょう」
「吸わない煙草はただのゴミだ」
「ははっ、おっしゃる通り」
別れ際、森近は橙子から一本の煙草を貰った。一つのライターで、橙子が日本の煙草に火を点け、共に紫煙を漂わせる。
「…………ふぅ」
普段は吸わない主義の森近だが、吸えないわけではない。とっくに成人しているし、旅の途中でたしなむ程度には吸っていた。もっとも、今は梅子が嫌がるので吸っていないが。
「橙子さん」
「なんだ?」
「…………この煙草、くそまずいですね」
「だろう?」
吸えば吸うほど、森近の胸中に無常感が溢れてくる煙草だった。軽く生きていることを後悔するほど、まずい。
「日本の煙草はうますぎる。煙草はまずい程度でちょうどいいんだよ」
「そうですね、二度と吸わないと心に誓いそうになります」
「やれ、前に知り合った傭兵は気に入ったんだがなぁ」
何かを言うでもなく、しばし二人は無常感を煽る煙草をふかし、漂う紫煙を見つめて居た。別に別れを惜しんでいるわけでもなく、ただ、紫煙交じりの街の空気を楽しむように。
「森近。君の片目は義眼にする予定はあるか?」
「んー、近々やりたいんですけど、いかんせん苦手分野でして」
「そうか。なら、最近、質の良い猫目石を手に入れたんだ。魔眼の一つでもくれてやろう」
「いいんですか?」
「なに、貴重なスポンサー様への特典という奴さ」
橙子はスーツのポケットから名刺入れを取り出し、その中の一枚を森近へと差し出した。それには、橙子が現在居を構えている工房の住所が書かれている。
「よほどのことが無ければ、数か月はそこに居る。暇が出来たら尋ねてくるといい。なんと、日帰り手術も可能だ」
「魔眼の施術を日帰り手術とか、さすが封印指定の人形師ですね」
「経過観察は必要だがな……たまにレポートもとい経過を報告するといい」
「レポートって言った!? さりげなく実験する気満々だこの人!」
「あと、その時は蔵守鈴音も連れてくるといい。魔眼殺しを作るために視力検査や眼底検査もしなければならないからな」
「あれ!? そういうの必要なんです!?」
「当たり前だ。度が合わない眼鏡ほど本末転倒の物はないぞ?」
眼鏡を作る時は、病院から診断書を貰って信頼できる店に頼むのが常識である。見えればいいではいけないのである。まぁ、魔眼殺しの場合は見えなければいい、だが。
「ではな、森近。また会おう」
「ええ、というか割とすぐに鈴音ちゃんを連れて生きますんで、その時はよろしくお願いしますよ」
煙草を吸い終える頃には、二人はあっさりと別れた。
再会を約束してからか、あるいは、今生の別れでも同じくするのか。どの道、森近と橙子の関係はどこまで言っても、弟子と師であり、色気のない物なのだ。
「…………ふぅ、やはりこの街は『平穏』そのものだな。私の存在が受け入れられないはずだ」
街から離れ、常に感じていた拒絶感が消えた橙子は、再び煙草を取り出して吸い始める。場所は街へ入る前に一服していた道の駅だ。
「人類未到達の第六の魔法の近似体現にして、もっとも魔法から遠い幻想奇跡。それを守護するは、銀づくりの大剣を携えた浪漫の騎士、か」
橙子は紫煙の影に隠れた街の景色をしばし眺めていたが、苦笑と共に空を仰いだ。
「未練だな、まったく」
こうして、魔法に至れなかった魔術師の来訪は終わったのである。
●●●
後日談。
「森近さん、森近さん! 大人のクールビューティと朝から大人のデートって本当ですか!? 秘密の関係を楽しむ大人の恋愛って本当ですか!?」
「どんだけ大人なんだよ……あぁ、違うよ、橙子さんは俺の師匠みたいな人で……」
「凄く綺麗な人なんですよね!? しかもナイスバディ! ああいうのが森近さんの好みなですよね! 私、頑張ります!」
「頑張らなくてよろしい。というか、君にそんなことを吹き込んだのは梅子さんだな?」
「森近様――私に隠れて悪い友達を遊ぶのは許しません」
「だって、梅子さんってば極悪メイドになるじゃん!」
「主人にとっての悪を裁くのもメイドの役割です。覚えておくのですよ、鈴音さん。今度、メイドのたしなみとして、メイド流外敵滅殺拳を教えてあげます」
「わぁい! 森近さんの敵を滅殺だぁ!」
「やめないか、そこの物騒なメイド二人ぃ!」
殺意満点のメイド二人に森近が必至こいて説得したり、結局、極上スイーツを注文して機嫌を取ったりなどして、何とか収めましたとさ。