浪漫の騎士   作:南蛮うどん

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やっぱり、長くなりました。


第8話 矛盾殺人・後

 萩原藍が水魚遊という少女に出会ったのは、今から半年前の春の出来事だ。

 冷たい東北の春は、入学式になっても桜を散らさない。まだ、固く寒さに怯えた蕾が閉じている頃なのだ。だから、藍たち新入生の入学式はいつもこの寒さと共に、これから抱く青春の虚しさを感じる。期待に胸を膨らませるよりも、この情景は人に、虚しさを抱かせるのだ。

 あるいは、この虚しさや空々しさがあるからこそ、新入生たちは桜の花が咲くころには己の青春を謳歌させようと誓うのかもしれない。

「…………だっりぃわー」

 だが、藍の場合は違っていた。

 特注クラスの小ささの学生服を着こみ、藍は浮足立っている新入生の中で、一人、気だるさを感じていた。それは、思春期の少年少女が抱く無力感と厭世観である。新しい物事が始まることに、期待よりも不安が上回っているからこそ、これから待っている物が大したことが無いと思い込み、不安を少しでもなくそうとしているのだ。

 だから、藍は自分でも無自覚にそういう振る舞いをしている。

 自分は青春なんかに興味は無い。

 そういうのはやりたい奴だけで勝手にやってくれ。自分は傍観者を気取って、君らの青春を高みの見物と決め込むから、と。

 まぁ、大抵、この手の感覚で高校生活を過ごした場合、二十歳を過ぎた頃からひどい後悔が絶え間なく襲ってくることになるわけだが、そんな常識、今の藍が知るわけもなく。周りに流されない自分に酔っていた。

 もっとも、

「え? だれ、あの子、かわいいー」

「うわ、男子? え? 男子なの、あれ?」

「…………女装させてぇ」

「くそ、学内BLカップリングがまた荒れるぞ!」

 そうやって強がってそっぽを向いている姿は、傍から見えたら小柄で可愛らしい子犬系男子が何やら強がっているようにしか見えず、周りからは暖かな視線で見守られていたのだが。

「かったるいよねぇ、この入学式って奴」

「……ん?」

 そんな、周りが藍を見守っている中、一人の女子生徒が藍に声を掛けた。どうやら、同じく新入生の女子が、入学式が始まる前の手持無沙汰な時間を潰すために声を掛けたようだ。

「…………っ」

 藍がその女子生徒へ注意を向けると、思わず息を飲む。

 なぜなら、その女子生徒は恐ろしいほど美しかったからだ。少女の容姿は、人形のように整っていた、否、まるで魂を持った精巧な人形が歩いていると錯覚するほど、その少女は無機質染みた美しさを纏っていたのである。

 漆黒よりもなお深く、滑らかな黒髪のショート。すっぱりと切りそろえられた前髪は、いわゆるおかっぱという奴だが、彼女がそういう髪型をしているとまったく古臭さを感じられない。肌は陶器のようになだらかで、白雪の如く染み一つも無い。

 等身大の日本人形が、目の前に居る。

 そいう幻想が、藍の思考を一瞬にして埋め尽くした。

「そもそもわざわざ人を並ばせて長ったらしい話を聞くのとか、時間の無駄じゃない? 必要事項だけ最低限に連絡すればそれでいいのに。それともあれかな? こうやって強制的に団体行動をすることによって、さっそく社会人としての洗脳が始まっているのかな? まぁ、社会に溶け込むためにはそれも必要なスキルだろうけど」

 美しく幻想的な容姿には似合わず、その女子生徒はよく口と表情を動かした。

 それだけでなく、やれやれ、と巻き込まれ系主人公全般的な肩の竦め方をやって見せるぐらいにはユーモアに富んでいるし、親しみやすさを藍は感じていた。

「しょうがないんじゃね? 社会のルールって奴だし。だるいからって、ボイコットしたら、不良って思われて内申点が下がるだけだし……」

「だよね? うん、だるいからってここからぶっちぎるのはまさしく馬鹿だ」

 うんうん、と女子生徒は同意するように頷いた後、がっしりと藍の腕を掴む。

「あ?」

「――ならば、私は馬鹿でいい!」

「おおおう!?」

 そしてそのまま、強く藍の腕を引いて体育館の入り口まで駆けて行く。そのあまりの突拍子のない行動と迫力に、思わず周りの生徒たちは反射的に道を開けている。

「ちょ、おま、え? 何してんの!? なにやってんの!?」

「大脱走! いえいっ♪」

「いえい、じゃねーよ! つーか、僕を巻き込むなよ、やるなら一人でやれよ!」

「や、怒られる時には道連れが居た方がさ、気分が楽じゃん?」

「あぁ、確信犯だ、こいつ」

 けらけら愉快そうに笑う女子生徒に引かれるがまま、藍はため息交じりについていった。結局、藍だって退屈していたのだ。率先して、その退屈を崩す覚悟は無かったが、それでも、引いてくれるのなら、それに乗るぐらいのノリの良さはある。

「ったく、どーすんだよ、これから」

「まぁままぁ、付き合ってくれたお礼に良い物を見せてあげるから!」

 怒声を上げながら追い回す教師を振り切り、二人は校門前の桜並木まで走り抜ける。

「一瞬だけだから、よーく目をかっぽじやがれ!」

 ぱっ、と藍の腕を離したかと思うと、その場で女子生徒は華麗にターンを決め、両腕を広げた。広げて、何かに挑むような笑みを作って叫ぶのだ。

「枯れ木に花を咲かせましょう!」

 瞬間、藍の世界は色を変えた。

 モノクロで味気ない色が、一瞬で淡い桜色へと変わっていく。

 文字通りに、藍の目の前に桜の花が舞い散っているのだ。

「…………あぁ」

 その刹那は藍にとっては永遠にすら感じられ、だが、現実からしてみれば瞬き一つする瞬間の幻想に過ぎない。故に、その華麗な幻想を見届けたのは藍と女子生徒の二人だけ。

 二人だけの、幻想だった。

「ふふふっ? 驚いた? 実は私ね…………魔法使いなのさ」

 あんぐりと口を開ける藍に、女子生徒は悪戯に成功した子供の笑顔で言った。

 これが、藍と水魚遊という少女の出会いである。

 

 

●●●

 

 

「…………んあ?」

 藍が目を覚ますとそこは公園の片隅のベンチだった。

 どうやら、比較的にマシになった腹を抱えて一休みしていたら、秋の日差しに当てられて、つい微睡んでしまったらしい。

 秋とはいえ、まだ昼は温かい。場所によっては暑いとすら感じるほどに。

「むぅ、不用心だな、僕」

 男子高校生の格好をしている時ならまだしも、今は女装しているのだ。藍のかわいらしさにやられて、ついつい悪戯をしたくなる奴が出てもおかしくない。のだが、不思議なことに藍が眠っていた公園には、藍以外にまったく人が居なかった。頃合いとしては、まだ昼下がりの時間帯であり、奥様方の世間話や子供たちが遊び声が聞こえていてもおかしくないのだが、不思議に公園は静寂に包まれていた。

「変なの。まぁ、おかげでゆっくり眠れたけど」

 んー、と声を出して背伸びをする藍。固い背もたれで寝た所為か、いくらか体が痛むが、これぐらいなら問題ない。普段から教師たちのスリープクラウドの如き授業を、固い椅子と机で凌いでいる学生だからだ。

「さぁて、これからどうしようかな?」

 一眠りしたおかげか、藍の思考は冴えていた。

 だからこそ、これから待ち受けている現実の厳しさを容易に予想することが出来た。

 所持金はどうする? もう一文無しだぞ。

 寝る場所はどうする? 野宿しようにもそういう道具すらないぞ?

 ご飯はどうする? 金がないなら、当然盗むぐらいしかできなくなるぞ。

 それ以前に、警察はどうする? いっそのこと捕まってしまうか?

「いいや、それは嫌だ」

 死ぬことは嫌だったが、それ以上に警察に捕まるのだけは、藍は御免だった。

 司法という世間の定規に則って、勝手に罪を償わされるのは、認められなかった。許せなかった。彼女を認められなかった世界が、秩序が、彼女を殺したという事実を勝手に解釈して、自分に何かを押し付けるのが嫌だった。

 なぜなら、藍が彼女……水魚遊を殺したのは――

「やあ、今日は良い天気だね。まさしく秋晴れという奴だ」

「え?」

 いつの間に、という言葉はまさしくこういう時に使う物だろう。

 藍の隣のベンチには、いつの間にか灰色のコートを纏った青年が座っていた。間違いなく、先ほどまで、一瞬前まではいなかったはずのなのに。

「え……え?」

「へぇ、なるほど……この手の幻術は通用するんだね。安心したよ、これなら最悪、君を殺すという選択をしなくて済むのだから」

 戸惑う藍の隣で、その青年は爽やかに笑う。

 その姿からはまるで覇気が感じられず、近所に居る気の良い大学生の兄ちゃんとでも言われれば信じざるを得ないだろう。その口から、『殺す』なんて言葉がでなければ。

「…………お前、何者だ?」

「魔術師、水守森近だよ。君は?」

 名乗った青年――森近に対して、藍は反射的にベンチから立ち上がって距離を取った。

 殺気や恐怖を感じたわけではない。だが、藍の中の何かが、この場にはいてはいけないと、危うさを感じ取ったのだ。

「おいおい、俺は名乗ったぜ? 今度は君の番じゃないかな? なぁ、水魚遊さん」

「ぐ……」

 藍はさらに戸惑いを強くした。

 おかしい。実名ならともかく、なぜ、今朝に名乗った偽名を知る人間が居るのだろう? そして、これは死人の名前だ。藍を探してやってきたのなら、その名で尋ねるはずがない。

「…………んん? 何か、おかしいなぁ。君、ちゃんと現状は把握しているのか?」

「お前こそ、分かっているのか? 僕は…………萩原藍だぞ?」

 藍が恐る恐る己の名を名乗ると、森近は目を丸くして首を傾げた。

「はぁ? なんでそこで、お前は『お前が殺した死人の名前』を出すんだ?」

「…………え?」

 その疑問に対して、答えを持つはずの藍が逆に混乱してしまう。

「なんでそっちが分からないみたいな顔をしているんだよ?」

「…………だって、おかしいだろ? 僕は、萩原藍だ。女装はしているけど、間違いなく男だ。それに、あの時、僕が持っていたナイフで、ちゃんと、遊を、僕は――」

 藍は足元が、まるで急に泥沼になったかのような錯覚を受けた。だが、それは違っていた。自分の体が勝手に膝を折って、何かに屈するように地面へ膝を着いていたのである。

「ふむ、じゃあ俺から一つ質問だ。なぁ、君――――昨日の夜の追いかけっこは覚えているかかな?」

「何を言って……僕は昨日の夜、誰とも…………」

「なら、今日の朝に誰かと会ったかい?」

「…………一人、お人よしの女の子に……助けられた」

「そうか」

 頷くと、森近は納得いったという風に答えを返した。

「君は記憶が飛んでいるんだな。生憎、君がその少女に助けられたのは『昨日の早朝』だ。そして、昨日の夜に君と俺は異能と魔術を用いて追いかけっこをしていた。ふむ、なるほど、妙に様子が違うかと思っていたら、そういうことか」

「なんだよ、何が言いたいんだよ!?」

 一人で納得している森近に、藍は食い掛かるように叫んだ。

 答えを、真実を知ってしまったら、何かが破綻することも、知っていたというのに。

「まぁ待てよ。まず確認しよう。君は己が萩原藍だと認識している。君が、水魚遊を殺したのだと、そう記憶している。これで間違いないかい?」

「それ以外、何があるんだよ!?」

 戸惑い、喚く藍へ、森近は切り込むように告げる。

 

「ならば、君の殺人は矛盾している」

 

 真っすぐ、射抜くような視線に、藍はどうしようもなく自分が追い詰められたのを感じた。

 警察でも、司法でもなく、本当に自分を裁く者がやってきたのだと。

 

 

●●●

 

 

 藍と遊の高校生活は他者が羨むぐらい、充実していただろう。

 入学式のボイコットから、体育祭での大活躍。加えて、日常の些細な一コマでも、あのコンビに掛かってしまえば、まるでコントの一幕のように楽しく愉快に彩ってしまう。

 例えるのなら、そう、まるで漫画やアニメに出てくる青春のようで。

 二人に巻き込まれる方は、毎回何だかんだ文句を言いながら楽しみにしていた。

 自由奔放で、ルールは破るために存在するとばかりに暴れまわる遊の横で、小さな体を必死に動かして遊を止めようとする藍。そんなやり取りは半年間で、その高校の日常風景となっている。彼らが朝、登校してくる頃には「こらぁ! 馬鹿遊ぅ!」などと藍の叫ぶ声が聞こえたのなら、あぁ、またか、と苦笑交じりに周囲は見守っているのだ。

 ただ、そんな中で、二人だけの間に隠された秘密があった。

 それは本当に漫画やアニメに出てくるようなことで――遊が実は、特別な力……本人が魔法と読んでいる物を使えることだ。

「いやはや、魔法とか読んでいるけど別になんでもできるわけじゃなくてね。あれですよ、少しだけ他者の認識を誤魔化すというか、霧に惑わせるというか、まぁ、幻術使いだ、イザナミだぜ! と覚えていただければ!」

 遊曰く、彼女自身の能力は幻を見せることだと言う。

 事実、遊が幻として見せた物は、藍には触れることはできなかった。もっと頑張れば、触覚や嗅覚、他の五感も騙すことが出来るらしいが、それは面倒だったので、主に視覚情報だけを騙していたようだ。主に、遊は藍に悪戯する時などに使っていので、それだけで充分だったのだろう。

 なんにせよ、藍にとって遊はいろんな意味で特別な女の子となり、また、遊にとって藍は、たった一人だけの特別な存在だったのである。

 だから、こういう時が来ることは早かれ遅かれ、確実だったのだ。

「僕、遊の事が好きだ。その、恋愛的な意味で!」

 不格好な告白だった。

 告白する場所は、衝動的に告白してしまったから帰り道にある途中のコンビニの駐車場。格好つけようとしても、顔を真っ赤で鼻息も荒い。加えて、付け加えた言葉も情けない。もっと、シンプルに言葉を信じて真っすぐに伝えればよかったものを、と藍は後々かなり後悔した。

 けれど、そんな告白でも遊の胸を打つのには十分だったようで。

「あ、あははは……嬉しい」

 遊は微笑み、その二つの瞳から涙を流した。

 結局、予定調和のように二人は恋人になった。コンビニで告白して、その結果、遊が泣いてしまったので、藍としては嬉しいやら恥ずかしいやら、とにかく逃げよう! というトラブルになってしまったのだが、それはご愛嬌という奴だ。

 恋人になった二人は、初々しくもありながら、いつも通りに笑っていた。

 その様子を見て、誰もが『ああ、こいつらならきっと幸せになるんだろう』と確信した。思わず、嫉妬しながら祝福したくなるほど、彼らが幸せに見えたのだから。

 

「藍、お願いがあるんだ――――私を、殺してくれないかな?」

 

 けれども、世界は無情に残酷で。

 幸せな時間は永久に続かない。

 二人の青春物語は、めでたし、めでたしでは終わらない。

 

 

●●●

 

 

 森近は閻魔の如く、容赦なく言葉の刃を振るう。

「君の存在は矛盾している。あぁ、確かにニュースでは、刺殺された女子高生は水魚遊という名前だ。それは間違いない。だが、その殺人事件があった土地の知り合いが教えてくれた。死体は異能の霧によって偽装されていたと」

「う、うぅ……」

「本当に殺されていたのは、萩原藍という名の男子高校生だったと」

 言葉の刃は己自身を騙していた藍の幻想を切り払う。

 苛烈に、冷たく、霧を裂く。

「本来なら、魔術師が表の世界の殺人事件に出張ることは無い。ただ、その対象が以前から要注意監視対象だった異能者なら別だ。なにせ、君の異能は下手をすれば人類の抑止力が出現するほどのものだからな」

 藍は怖かった。

 目の前の、まるで威圧感の欠片も感じられない存在が、怖くて仕方なかった。

 ならば、どうする? 殺すか? 黙らせるか? 無理だ。藍には無理だ。藍には、そういう殺人は出来ない。

 ならば、逃げるしかない。

「逃げるなよ、水魚遊」

「がっ!?」

 だが、藍の体は動かない。

 体の節々が引きつったように固まって、藍の意思に反して行動を制限する。

「師匠自慢の魔眼だ。昨日は霧で視界を遮られたが、今なら十全に発揮できる」

 藍には森近が何を言っているのか、理解できなかった。ただ、わかったのは、自分はもう逃げられず、観念するしかないということだ。

「答えろ、水魚遊。どうして、お前は友達を殺した? なぜ、親しいはずだった友達を殺したんだ?」

 森近の言葉には怒りと戸惑いが滲んでいた。

 わからないから、森近は藍へ尋ねていたのである。知り合いの魔術師から受け取った資料からは、どう読んでも遊が藍を殺す理由なんて見つけられなかった。下世話だが、無事に恋人になった二人が、初々しく笑っていた二人が、痴情のもつれなどで殺傷沙汰になるはずがない、と森近は思っていた。

 事実、それは当たっていた。

「…………一つだけ、言っておくぜ。僕は、本当に萩原藍なんだ」

 観念した藍は、項垂れて渇いた笑いを漏らす。

「ははは、水守さん、だっけ? アンタも薄々わかっているだろうけど、僕は、いや、僕の人格は何もわからないんだ。ただ、気付いたら目の前に遊の死体があって、ひたすら逃げていただけなんだ」

 漏れ出す言葉は、今までせき止められていた藍自身の不安や疑問だ。

 結局、藍も、己が何もなのか、薄々と理解していたのかもしれない。

 

「あのさ、水守さん。僕さぁ…………遊を殺した記憶が無いんだ。そこだけ、途切れているんだ。連続していないんだよ、僕の記憶」

 

 藍は己自身の姿を誤認していた。

 他者がどう見えようとも、藍の姿は、藍自身には『萩原藍』にしか見えなかった。例え、鏡を見ようとも、そうとしか脳が判断しなかった。そういう、幻想に囚われていたから。

 例え、他者からは『水魚遊』の姿で見られていたとしても、その事実を知らなかった。

 自分だけを騙す幻想。

 そして、世界を騙す幻想だ。

 森近のような、異能を知り、それを破る手段を持つ者でしか、藍を捉えることはできない。なぜなら、『死んでいるはずの者』を、捕まえることなんてどんな名刑事だってできやしないのだから。

 故に、藍は警察機関の包囲網から容易く逃げることが出来たのだ。

「薄々、分かっていたのかもしれない。でも、怖かったんだよ、悲しかったんだよ、そんな結末を認めるのは」

 だが、もう森近によって幻想の霧は払われた。

 ぼやけていない思考で、藍は途切れた記憶の断絶を推測してしまう。

 すなわち、萩原藍と水魚遊の結末を。

「多分、僕はきっと…………『萩原藍を殺してしまった水魚遊』が作り上げた存在だ」

 哀しい、青春の結末を。

 

 

●●●

 

 

 水魚遊は侵略者である。

 その事実を藍が知ったのは、恋人として蜜月を過ごした後だった。

「私はね、藍。生まれながらにしてそういう存在なんだ。何かは知らないけど、人類をとにかく別の存在に作り替えるべく生まれてきたイレギュラー。あるいは、ガイアという地球の抑止力の産物。人類に対する懲罰処理役なのさ」

 藍は遊の言っている意味が、理解できなかった。

「私の起源が侵略で、能力が『情報の書き換え』だからね。このままだときっと、吸血鬼の如く、人類を段々と別の生物に……いや、その前にアラヤに駆逐されるだろうね。私は抑止力の産物から生まれたイレギュラーだけど、化身ってわけじゃない。本職の掃除屋にはとてもじゃないけど敵わない」

 だから、殺して欲しいと、契りを交わしたその夜に、遊は藍に懇願したのである。

 己の起源に飲まれないうちに、衝動に負けないうちに、愛する者の手で自分を殺して欲しいと。殺した後は心配しないで欲しいと。自分が死んだ後は、皆から忘れられるように幻想を仕込んであるから問題ないと。

「ふざけるなよ! そんなの、出来るわけないじゃないか!」

 当然、藍は断った。

 ごく一般的な精神を持つ藍は、遊の言っている意味が理解できなかったし、理解したとしても、愛する者を殺す覚悟なんて無かった。

「うん、知っているよ……だから、これは私のわがまま。ごめん、許してね?」

「――なっ、お前、まさか! やめろ……やめろぉ!」

 当然、そのことも遊は知っていた。

 知っていたが、遊は我がままだった。そして、異常な精神を隠していた。己の最後は、愛しい者の手によって死にたいという、終末願望を。

 どうしても、それだけは譲りたくなかった。

 消えゆく者として、せめて、藍の心の中に消えない傷を作りたかったのである。

「いやだ……いやだっ!」

 幻想の霧は藍の思考をぼやかし、情報を書き換えていく。幻術と偽ったそれは、規格外も良いところの異能である。空想具現化には到底届かないが、それでも、一般人である藍の行動を自在に書き換えることは容易い――はずだった。

「……すぐらいだったら、僕は」

 藍が強制的にナイフを握らせて、いざその胸に刃を突き立てんとしたその時だった。

「殺すぐらいだったら、僕は!」

「え?」

 そのナイフを振り下ろす手が止まった。

 もちろん、遊はそんな命令を下したつもりは無い。藍が、藍の絶大なる意思の力によって、幻想の力が破られたのである。

「うそ」

 異能も持たない一般人の藍。

 けれど、その名の音の如く、遊に対する愛だけはあった。そして、それだけで十分だった。なぜなら、古くから幻想は人の意思によって否定され、駆逐されてきた物なのだから。

 それが、相手を想うための物なら、この結果はむしろ当然だ。

「遊を殺すぐらいなら、僕は! その前に、僕自身を殺してやる!」

「――ま、まって!」

 制止の言葉は届かない。

 振り下ろされた刃は遊ではなく、藍の胸を貫く。

「…………お前が、殺して、じゃなくて、一緒に生きてって、言ってくれれば、僕は、きっと、世界だって、て、き……に……」

 己の死を選んだ藍の最後の言葉は後悔であり、その顔は呆れたように笑っていた。

 その笑みが、何よりも遊には辛くて、耐えきれなくて。

「う、あぁあああああああああああああああああっ!!」

 愛する者を己が原因で追い詰めて、殺してしまったという事実に耐えきれなくて、遊は『矛盾』を作り上げた。

 まずは死体の偽装を。

 次にシュチエーションの変更を。夜では無く、昼で。個室では無く、開けた屋外での殺人に。

 そして、最後に己を殺し、一部だけの記憶を除き、ほぼ本物の藍と遜色がない記憶と人格を作り上げた。

 それを自分に植え付け、自分の人格を塗りつぶして遊の人格を殺す。

 己自身を誤魔化す幻想と、自己防衛の機能だけは残して。

 こうして、愛のために遊を殺してしまった藍が作り上げられたのである。

 矛盾に塗れた、悲しき存在が、生み出されてしまったのだ。

 

 

●●●

 

 

「なぁ、水守さん。僕はこれからどうすればいいんだろうなぁ?」

 森近に縋るように、あるいは、自問するように藍は呟く。

 乾き切った声で、呟き続ける。

「僕は誤魔化しのためだけに生まれた存在だ。僕は偽物だ。僕は萩原藍でありながら、水魚遊であり、どちらでもない存在だ」

 拘束されてなければ、両腕でも広げて道化でも気取っていたであろう口調で、藍は言う。

「僕はこれから何のために生きればいい?」

 森近から藍に告げられる答えなんてなかった。

 それは、誰しもが疑問に思いながら生涯をかけて答えを出さなければいけない命題だ。でも、真っ当に生きるには藍の存在は矛盾に満ちていて。

「…………そうだな」

 だから、森近に出来ることは少なかった。

 右目を閉じ、魔眼から解放する。

「なぁ、萩原藍」

 名前を呼ぶ。

 ちゃんと、目を合わせて正しく名前を告げる。

 そして、最後に問いかける。

「お前は生きたいか? 死にたいか?」

 森近の問いかけに、藍は震えた声で答えた。

「しに、たくない…………もっと、いきていたいよ」

 問われた時、藍が思い出したのは光という少女から受け取ったトン汁の味と、眩いまでの笑顔だった。

 生きる意味なんて、分からない。

 このまま死んでしまいたいと甘美な誘惑が脳髄を浸す。

 けれど、それでも、どうしようもなく心の奥底で魂が叫ぶのだ。偽りだらけの存在でも、もう一度、いや、何度でも会いたい人が出来たのだと、その笑顔を曇らせたくないのだと。

 約束したのだ、また会おうと。

 せめて、次に会う時は偽りだらけでも本当の名前を言いたかった。

 例えそれが、愛なんて上等な感情では無く、ただ温かさを求めて縋るだけの行為だとしても。今はそれだけが藍にとっての真実だったから。

「そうか…………なら、俺は、セカンドオーナー水守森近は」

 きっとそれは優しさでは無い。

 優しさよりも、同情に、同情よりも義務に近かった。

 だが、それでも、森近の手は差し伸べられたのである。

「お前の矛盾を認めよう。お前の生存を認めよう。俺が、お前を生かそう」

 森近はお人よしだ。

 それはもう、頭に馬鹿の付くほどのお人よしだ。

 だが、この時に限っては、優しさでは無く義務で、そう、街を守る者としての義務と、大人としての義務を持って手を差し伸べたのである。

 危険な異能者を管理するためと、子供の生命を守るためという、ある意味、矛盾した義務感で。けれど、この場においてそれは正しい。

 藍にとって必要なのは優しさでは無く、無理やりにでも手を引いていく強さだったから。

「ぼく、は……僕はまだ生きたいんだ。だから、アンタに縋る……いつか、必ずこの借りは返す。ただ、少し……泣かせてくれ」

「ああ、構わない。人払いはしてある……存分に泣け」

 藍は森近の手を取り、泣いた。

 喉が枯れるほどに、泣いた。

 それは世界に生まれ落ちた赤ん坊が、不安で泣き叫ぶように。

 萩原藍という矛盾に満ちた存在の生誕の証となった。

 

 

●●●

 

 

 ちなみに、

「そんなわけで異能者一人拾いましたんで、部屋を作ってあげてください、梅子さん」

「…………犯罪……女子高生……味を占めた……」

「違うよ!? セカンドオーナーとしての純粋な義務だよ!?」

「…………はいはい、わかりました、森近様。後で彼女のサイズを測ってメイド服を作っておきますから」

「いや、もうメイドは十分だよ、マジで」

「それはつまり、俺のメイドは二人だけだよ、ベイビーってことですか!? 森近さん!」

「うわぁ、鈴音ちゃんが乱入してさらに話がこじれたぁ!?」

 藍の加入に当たって、メイドたちと一騒動あったが、それはまた別の話だ。

 

 

 

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