アイトラのいた場所には、赤みを帯びた石だけが残っていた。
フォシテスの脳裏に浮かぶのは、彼女と過ごした日々の記憶。
争いとは無縁の日常には、いつからか彼女の姿が当たり前のようにあった。
労働環境改善に取り組む中、ときには書類の整理や報告書の作成による忙しさで気が滅入りそうなフォシテスの気持ちは、彼女の献身によって救われたことがある。
ずっと机にかじりついていた彼に無表情の彼女がコーヒーを用意してくれたとき、感謝と共に幸福感で満たされていた。
ここが夢の世界と知ったとき、いつかは別れの時を覚悟はした。
しかし、その時はまだまだ先の話かと思っていた。
フォシテスは、イセリア人間牧場で共に働く最後の仲間を失った。
他の五聖刃の面々が立ち上がり、地面に転がる輝石を眺めたままの彼の背中を見る。
「フォシテス…。」
クヴァルが呼びかけるも、彼の心痛をおもんばかる小さな声はそよ風にすら掻き消されていく。
他の五聖刃はフォシテスの様子をすぐに察し、誰一人として言葉をかけることが出来なかった。
ナイトメアは、アイトラが死の直前に放った天使術により痛む胸を押さえこらえている。
肩で息をする姿に余裕である様子は少しも見られなかった。
それでも、眼前の五聖刃という敵に強がりを見せるため、無い口を開く。
《あ、あはははは!
五聖刃を立ち上がらせるとは!
しかしどうやら、僕にとってやっかいな戦力を1人失ったようですね。
これからの戦いは、先ほどの繰り返しに過ぎません。
あんな神子くずれが少々あがいたところで、何も…何も変わらないんですよ!》
ナイトメアの言葉を聞いたクヴァルが口を開く。
普段は冷静な男だが、声には怒気がにじみ出ていた。
「黙っていてください。
どうやらあなたには、牧場主の資格どころか心が無いらしいですね。」
《は?
僕にはありますよ。
この夢の世界で安穏たる日々を送るという平和を求める心がね。》
「ふぉっふぉっふぉっ。
そんな暴力的で独裁的な平和、私はごめんですね。」
《ロディル…。
けれど、平和は力が無ければつかめない物でしょう?
実際、豊かな暮らしをする国はある程度上下関係があってこそ成り立つじゃないですか。》
「貴様は知らんのじゃ。
夢の世界という独りよがりの殻にただこもっているだけの貴様には絶対経験しえないような、能力の有無などそもそも必要ない損得勘定抜きで繋がる美しい関係があることに。」
《あなたのような女性には分からないでしょうよ。
縦社会で生きてきた人の気持ちなんて。》
「ハッ!!
他人を拒絶しないと自分を保てねぇなんざ気の毒にな。
マグニスさまが心の開き方を教えてやろうか?」
《こ、この!
一発でのされた奴らがうるさいですよ!!》
「ウィルツ、もういい。」
イセリア人間牧場の門前に立つナイトメアへ、フォシテスは熱の冷めたような言葉をかけた。
右回りに歩を進めて、ナイトメアの視線を五聖刃からフォシテスへと向けさせる。
《おや、フォシテス様。
顔色が優れないようですがどうされましたか?
なーんてね、あはははは!》
フォシテスは、挑発の言葉に返答はせずサイコガンに右手を添える。
それを見たナイトメアは魔方陣を展開し、呪文を詠唱する。
《遅いですよ!
銃口すらこちらに向けずに何を突っ立っているんだか!!
無数の流星よ―――》
「やはりベラベラしゃべりすぎぞ。
ほんと、学ばなぬな。
『獅現陣』!」
一瞬で、ナイトメアの背後にワープしたプロネーマが杖を前方へかざすと獅子の闘気が勢いよく放たれる。
振り返ることもできず獅子に食らいつかれたナイトメアが、ロディルやクヴァル、マグニスのいる位置へと飛ばされる。
2人より前に立つマグニスが、斧を構える。
フォシテスが声をあげる。
「前に出ろ、マグニス!!」
「分かってるよっ!」
フォシテスとマグニスは、ナイトメアに向かい素早く突進して交差する。
ナイトメアに接触するとき、フォシテスは左腕のサイコガンを突き出し、マグニスは斧を振り下した。
「「『衝破十文字』ッッ!!」」
《ぐほぉっ!!?》
門前に立つプロネーマが、足元に魔方陣を展開し術を発動する。
「『スプレッド』!」
ナイトメアの足元から突き上げる激流が、2mを超える巨体をやすやすと地上から浮かせる。
彼女は、再び魔方陣を展開し連続で術を発動する。
「『アイシクル』!」
《――ッ!!》
打ち上げられたナイトメアは、宙ぶらりのまま氷を抱えるようにしてその身を拘束される。
片腕だけでも引きはがそうとするが、ひっついた氷は容易に砕けない。
「あまり暴れないほうがよいぞ。
肌がちぎれるかもしれぬゆえ。」
「ふぉっふぉっふぉっ。
さぞ、辛そうな様子。
降ろして差し上げましょう。
『グラビティ』!」
《ぐぎぎぎぎぃっ!!》
ロディルの放つ半球状の重力波により砕けた氷ごとナイトメアは成す術もなく押しつぶされる。
地面へと大の字の状態で圧される間にクヴァルが術の詠唱を始める。
ナイトメアを中心とした彼を包む大きな魔方陣が展開される。
「天光満つる処 我はあり
黄泉の門開く処 汝あり。」
《ばぁ、ばかなぁ!!
その、そのじゅもんはぁぁぁっ!?》
「出でよ、神の雷!」
クヴァルが杖を掲げると、マナが大気中に干渉し大量の正負の電荷分離が起こり人為的な放電現象が発生。
雷鳴が轟き重力波により身動きできないナイトメアへと直撃する。
「インディグネイションッッ!!!」
《おごおおおうッ!!!!?》
耳を塞ぎたくなるような地響きが止むと、迅雷の落下地点にはもくもくと煙が上がる。
煙で遮られ、ナイトメアがどうなっているか視認できない。
クヴァルが、自身より前方に立つロディルに声をかける。
「ロディル、そちらの様子は―――うぐっ!?」
突如、煙の中から大きな氷柱が飛び出しクヴァルの両肩に突き刺さる。
意識を持っていかれそうなほどの激痛が、氷の重みに抵抗する力を奪いそのまま地面に倒れる。
「クヴァル殿!!」
「ぐぅぅっ!!」
振り返るロディルがクヴァルの名を呼んだ直後だった。
煙の向こう側、門前にいるプロネーマからも悲鳴が聞こえた。
「マグニス!」
「ちっ、まだかよ!」
フォシテスとマグニスが煙に向かって突き進むが、数本の氷柱が弾丸のようにして彼らに向かって放たれる。
両者とも武器で防ぐが、足止めを食らう。
やがて、煙が晴れていきナイトメアが姿を現した。
彼の身体の表面は、溶けかけのチョコレートのようにどろどろに流動していた。
周囲には、10本の大きな氷柱が浮いており先端は五聖刃に向けられている。
その向こう側、プロネーマは左ひざと右腕に氷柱が刺さっており、クヴァルと同様うつ伏せに倒れうめき声を出していた。
ナイトメアは、顔の中心に一つだけある目玉をぎょろぎょろと動かし残りの五聖刃を見やる。
《はぁ…はぁ…。
ふ、ふうっ。》
膝をついたまま苦しそうな呼吸をし、彼の体力ももはや限界であることが見て取れる。
《素早い切り込み隊長と強力な術者は…つぶしました。
確実に仕留める破壊力重視の術にこだわらず、出の早い魔法を使うべきでした。
はぁ…はぁ…。
プロネーマさん、僕なりに学びましたよ。
残りは、3人です。》
3本の氷柱がロディルへ向く。
フォシテスとマグニスがロディルの元へ向かうが、氷の射出速度を考えると間に合わない。
フォシテスが声を上げる。
「ロディル!術で身体を守れ!!」
ロディルは、足元に魔方陣を展開。
《遅いですよ!》
ナイトメアが即座に氷柱を放つ。
「フォシテス殿!マグニス殿!」
ナイトメアの攻撃を見たロディルは、すぐさま2人の名を呼びニヤリと口角を上げる。
フォシテスとマグニスが驚きつつ見たロディルの目には、諦念の意など映っていなかった。
射出された氷柱がロディルの両肩へ突き刺さる。
痛みで悶え、膝が糸の切れた人形のように地面に向かい始める。
「ぐおううっ!!
ま、まだですぞ…。」
倒れる直前、歯を食いしばるロディルが神経を集中し、維持されていた魔術が発動される。
直後、『ロックブレイク』が行使されるが、ナイトメアの眼前で岩が隆起されてしまう。
ナイトメアにはかすり傷1つつかない。
《あ、あははは…。
惜しかったですね。
はぁ…、もう少しで当たるところでしたよ?》
残りはロディルの元へ駆け寄ったであろう五聖刃の2人。
そう考えながらナイトメアが目の前に展開された岩を見ると、小さなひびが入った。
一瞬で、そのひびは大きく広がり砕ける。
盾で岩を砕いたマグニスがナイトメアの前に勢いよく現れた。
『ロックブレイク』が視界を遮り、距離を詰められたことにナイトメアは気づくのが遅れる。
「おらぁっ!!
『爆炎斧』!!」
炎の軌跡を描いた大斧がナイトメアへと叩きつけられようとしたが、わずかに氷柱が彼に射出された方が早かった。
マグニスは、まともにダメージを食らうも斧を振り下ろした。
しかし、氷柱が直撃した反動で斧の軌道がそれてしまい、刃先はナイトメアには届かなかった。
「うおおっ!!
……ぐぅっ!!
ちぃっ。
もう少し…だったのによ。」
両腕と両ひざに4本の氷柱が刺さったマグニスが斧を手放し崩れ落ちる。
緊張が緩んだナイトメアはドッと汗を拭きだし、呼吸をとめていたためか肩を大きく上下に動かしながら息をし始めた。
《ぶはぁっ!!
はぁっ、はぁっ。
な、なるほど…。
岩は目くらましでしたか…はぁ…。
面倒なチームワークを見せてくれますね。》
「もう少しでよ…。」
目の前で倒れるマグニスがこちらを睨みつけて声を漏らしていた。
その様子を見たナイトメアは嘆息する。
《ええ、確かにもう少しでしたよ。
しかし、往生際が悪いですね。
最も攻撃を受けていながら、ゴキブリ並みの生命力だ。
野放しにすると面倒そうだしあなたから消えてください。》
空気中に浮かぶ氷柱は残り3本。
1本がマグニスの脳天へと焦点を当てる。
マグニスはにやりと笑みを浮かべた。
それを不気味に思ったナイトメアの挙動が一瞬止まる。
マグニスは息も絶え絶えに口を開く。
「もう少しで…、俺の手柄だったのによ。
譲らねぇといけないとはな…。」
《…言っている意味が良く分かりません。》
言った直後に、ナイトメアは気づいた。
前方にフォシテスの姿がなかったことに。
視界に存在するのは、すぐそばで倒れているマグニスとやや後方にロディル。
それと最後尾にクヴァル。
ロディルの元に駆け寄ったはずのフォシテスがなぜかいない。
不審に思うナイトメアの背中に、ごつりと重く固い物が当たる感触があった。
ナイトメアがゆっくりと首を後ろに向けると、すでにカバーが開いた状態のサイコガンを構えるフォシテスが背後にいた。
《…そうでしたか。
特攻するマグニスの後方にいたのですね?
やつが岩を破壊したときに、あなたは僕らの頭上から後方へと跳んだ…。
しかし、背後を取られたとはいえ、僕の『フリーズランサー』とあなたのサイコガン。
どちらが早いで―――。》
「これ以上語ることはない。」
サイコガンの銃口から光が放たれると同時に、3本の氷柱がフォシテスへと発射される。
直進するレーザーは振り返ろうとしたナイトメアの腹部を貫く。
フォシテスの左肩と右腕、右ひざに氷柱が突き刺さる。
「うっ!!」
フォシテスが痛みにこらえながら眼前を見据えると、倒れたマグニスの身体を飛び越えて無抵抗に背中から地面へと叩きつけられるナイトメアの姿を見た。
顔の中心の目玉は、虹彩と瞳孔が瞼の裏側に上転し隠れ、白目となっている。
はたから見れば、腹部に穴があいたナイトメアの意識は無いように思えた。
突如、ナイトメアの地面に置かれた右手が光り出した。
彼の全身から光の粒が右手に向かい、地面へと注がれているように見える。
(大量のマナを注いでいるのか!?)
マナを注ぎ終えると地響きが起こった。
大地を揺らす振動に、フォシテスは唯一無事である左足だけでは身体を支えていられず前のめりに倒れてしまう。
プロネーマがいる後方より建物が崩れるような音が響いた。
揺れもおさまってきたため、何とか左足を使い仰向けになる。
門前の奥を見ると、イセリア人間牧場の建物が崩壊していた。
代わりにそそり立つのは数十mはあるだろう巨大な樹木であった。
(あれは…マーテル様!!)
樹木の中心部には、気を失ったマーテルがツタに囚われていた。
身動きできない彼女の表情は、どこか苦しんでいるようにも見える。
意識のない彼女は今も悪夢に苛まれていたのだとフォシテスは悟った。
突如、フォシテスは違和を感じ取り左足を地面に引っ掛けるようにして上体を起こす。
座ったままの姿勢で後ろを振り向くと、ナイトメアを囲うような魔法陣が形成されているのを見た。
(ば、馬鹿な!?
魔術の行使だと!!)
《あぁぁぁ、あはははぁぁ。》
ウィルツの意識ははっきりしていない。
起き上がることもできないようだ。
しかし、悪夢を見せる本能なのか夢魔のプライドなのか、消える前に最後の一撃と言わんばかりの魔法陣を展開している。
魔法陣には見覚えがある。
少し前に、五聖刃を殲滅しかけた隕石の魔術だと分かった。
ナイトメアの意識が薄れ集中が乱れているためなのか、より強大な一撃を行使するためなのかタメが長い。
しかし、確実に進行している魔法陣の構築状態が目的を消滅させんとする強い意志を窺わせる。
(狙いはマーテル様か!
自身の願いが叶わないと判断するや、最期に選ぶのは夢の世界と現実世界を崩壊させること…。
ウィルツ、道連れなどというつまらない考えを持つな。
それだと、人はついてこないと言っただろう。)
痛みにこらえながら体の向きをナイトメアへと変える。
座ったままサイコガンの照準をナイトメアへと合わせようとする。
しかし、『アイスランサー』が刺さった左肩はいうことを聞いてくれない。
持ちあがらない左腕をどうにかしようにも、右腕も負傷している。
それに、魔術を何度も食らいながら立ち上がってきたナイトメアの耐久力を考えると、高威力の一撃で仕留めなければならない。
例え、上級魔術の『サイクロン』を使い風の渦に奴を巻き込んだとしても、命がある以上先ほどのロディルのようにギリギリまで魔術を発動しようとする意志を絶たなければ意味がない。
周囲の4人は、みな起き上がることもかなわず、中には意識を失っている者もいる。
フォシテスは、クヴァルのような威力を持った魔術を使えない。
範囲は狭けれども、貫通力のあるサイコガンが頼みの綱だった。
身体の痛みと心の焦りで額の上を汗が流れる。
震える左腕を持ち上げようとするが、気持ちに体がついていかない。
(ここまで!ここまで来て!!)
力んだ左腕から圧に押されて、肩より血が流れ出す。
神経が悲鳴をあげているはずだが、分泌された脳内麻薬はフォシテスが感じるはずの痛みを和らげていた。
歯を食いしばり、息をするのも忘れるほどに集中していた。
それでも、銃口はあとわずかにナイトメアを撃つのに必要な角度まで及んでくれない。
誰に言うわけでもなくただ悔しさから声を上げた。
「少しの時間でいいんだ。
あと一度だけ機会を…頼む!!」
ふっと左腕が軽くなるような感覚があった。
見ると、細い両腕がサイコガンを支えている。
「お手伝いします。
終わらせましょう、この悪夢を。」
今まで聞いたこともない少女の声だった。
しかし、その姿は何度も勤務中に目にしていた。
腰まで届くような、長いウェーブのかかった金髪が風になびく。
あっけにとられるフォシテスは、彼女の口元が動くのを初めて見た。
「今の私は天使の術を使えません。
左腕を支えることしかできませんが…。」
不安そうに眉根を下げる彼女の言葉を聞いたフォシテスは、フッと笑う。
キョトンとした表情をする彼女に告げる。
「ともに働いていた頃から、君の支えを頼りにしていた。
今だってそうだ。
アイトラ、よろしく頼む。」
その言葉を聞いたアイトラの頬が緩む。
「任せてください。
とは言いつつ私も、ここ最近ずっとあなたを頼りにしていました。
…フォシテスさん。」
「お互い様だな。
反動に気を付けるんだ。」
「はい!」
アイトラは返事をすると、この世界を悪夢に陥れようとした諸悪の根源へと視線を定め、サイコガンの照準を合わせる。
少しの乱れもない銃口が光を放ち、射出された光線がナイトメアを撃ちぬいた。