本日、フォシテスは奴隷の1人とイセリア牧場の外で溶接作業をしていた。
牧場を囲う柵の修理は外での作業のため、魔物に対応できる彼が奴隷の護衛兼作業の補助をおこなっている。
ディザイアンの兵隊達だって戦闘経験がないわけではないが、無傷でいられるとは言い切れない。
加えて、施設内の人員だって常に足りているわけではない。
それに、時には牧場主が進んで新しいことに取り組み、従業員である兵隊や奴隷達に『面倒なことをやらされている』感を無くさせるのも大事だろうとフォシテスは思った。
購入した新しい溶接機の排気ガスを出す音が大きくなると、奴隷の握るホルダーの先につままれた溶接棒の先が白い煙を出しながら眩く光る。
溶接面をもう片方の手で握り、顔の前にかざして直接光を見ないようにしている。
また、溶接時に飛び散った火花で怪我をしないように奴隷の両手は牛革製で厚手の手袋によって包まれている。
閃光をあげる溶接棒が短くなっていくと、柵の鉄筋棒と新たに取り付けた鉄筋棒同士が溶けてくっついていく。
奴隷は、溶接した箇所をハンマーで叩き強度を確認した。
納得いかなかったのか再び顔の前に面をかざして溶接をする。
溶接棒の先端が光り出すときに発生する白い煙が、ゆったりと空気中を漂っていくのをフォシテスは眺めていた。
この白い煙には小さな金属の破片のようなものが含まれており、吸い込むと肺の中に入り込み肺胞に沈着してしまう。
金属片の沈着した肺胞が溜まっていくと、やがて肺が固くなり呼吸が困難になるため、それを防ぐためにもイセリアの道具屋で購入した防塵マスクを2人ともつけている。
これは先日、講習を受けた『イセリア教習所』で学んだことである。
危険を知らないまたは知っていても怠慢により安全作業を心掛けないことなどあってはならないのだ。
(そういえば、イセリアに教習所などいつ出来たのだろうか…?)
ふと湧いた疑問を深堀りしようとしたときであった。
「フォシテス様。聞こえますか?」
声をかけられて振り向くと、ウィルツがすぐそこにいた。
排気音と目の前の作業に集中していたためか気付かなかった。
フォシテスは、奴隷に彼と話をするために距離を置くことを伝えて排気音が邪魔しない位置まで歩いた。
「最近、調子はどうでしょうか?」
世間話のつもりなのかウィルツはそう言った。
フォシテスは慣れない労働環境改善関係の仕事でくたびれてはいるが、身体は全く問題ないことを告げた。
その話を聞いたウィルツは思案顔になる。
「フォシテス様は今の暮らしがずっと続いて欲しいと思いますか?」
「先程言っただろう。
業務改善でくたびれるような生活は1日でも早く終わらせたいものだ。」
「ははっ、確かにそうですね。」
早目に作業に戻りたいので、ウィルツの要件を聞く。
「用事はなんだ。
何かあったのか?」
フォシテスが本題について聞くと、ウィルツは眼鏡の中央部分のブリッジを人差し指で触れて位置調整をしながら、キョロキョロと辺りを見回した。
他の人に聞かれてはまずい話なのだろうか?
「ご多忙のところ恐縮ですが、実は私。
本を探しているのですがどうしても見つからないんです。」
「本?」
フォシテスの問いにウィルツは頷いた。
どうやらその本はウィルツがとある所でたまたま見つけたものらしいのだが、いつの日か無くしてしまったようだ。
休暇を使ってイセリア中を探し回ったらしいのだが居場所がつきとめられないらしい。
このままでは、気が狂いそうなのでフォシテスに助けを求めにきたようだった。
正直、仕事中にそれも危険が伴う作業中にそのようなプライベートの話は慎んでもらいたかったが、従業員の話を聞くのも大事である。
その本の名前をフォシテスが尋ねると、『ネクロノミコン』とウィルツは答えた。
変わった特徴があり、本を使用できる環境ならどこでも持っていける特殊な魔導書らしい。
ウィルツ曰く、過去にも未来にもそれ以外の所にもどこだって姿を現す禁忌の書とのこと。
彼には記憶にない代物だったため、見つけたら知らせると言った。
ウィルツは残念そうな顔をしていたが、そこはどうしようもない。
トボトボと歩きイセリア人間牧場へと戻るメガネの男の背中をフォシテスは不憫に思いながら見送った。
その後フォシテスは、奴隷が溶接している現場に戻り作業を続けた。
数時間かかり、一通りの溶接作業が済んだところでマーブルがフォシテス達のもとに近づいてきた。
「新しい子が来たよ。」
その言葉を聞いてアイトラがイセリア人間牧場にたどり着いたことを知ったフォシテスは、奴隷と片づけを済ませて牧場の事務所へと向かおうとした。
すると、マーブルに「汗だくのうえに黒ずんだ手で応対する気かい?」と指摘されたためにシャワーを浴びることにした。
イセリア人間牧場施設内にある事務所の隅のスペースは、来客用としてソファとローテーブルが配置されている。
そのソファの1つに、ちょこんと座り込んだ十代半ばから後半とおぼしき女性がいた。
腰まで届くほどのウェーブのかかった長い髪は、艶のある綺麗な金色をしていた。
時の経過を考えれば白髪の麗しい淑女になっているはずだが、髪色に限らず彼女の姿は生前の姿のままである。
血脈ゆえか、アイトラの顔立ちはコレット・ブルーネルに似ているとフォシテスは思った。
彼は挨拶をしてみるが返事はない。
前もってクヴァルから話を聞いていたとはいえ、イセリア人間牧場の規則を簡単に説明するフォシテスの顔を微動だにせず見つめてくるアイトラに対して今後どう接したものか、と思う。
村役場で転入届の手続きは済んだか聞いてみてもうんともすんとも言ってくれない。
返事のつもりなのか、住民票を差し出したので問題はなかったにしてもこれではまるで機械と接しているようなものである。
しかし、そんなはずはないとフォシテスは考えを改める。
目の前にいるこの少女には血が通っている。
まごうことなき人間である。
フォシテスは、イセリア人間牧場に来た以上彼女に対しても例外に漏れず、どんな形であれ平等にコミュニケーションを取ろうと心に決めた。
彼は思い付きで、握りしめた右手の拳を顔の側面に置き胸の高さまで下ろす仕草を彼女に見せた。
アイトラはそんなフォシテスの様子を虚ろな瞳でただジッと見つめていた。
(手話なら会話できるわけじゃないか。)
これが当たりならすぐにでもイセリアの本屋から手話のガイドブックを取り寄せたのだが、そううまくはいかない。
一通りの事務手続きが済むと、フォシテスは彼女に施設内を案内してみせた。
作業場ではいくつもの乗り物が往来している。
この頃には奴隷達もいくつかの資格を取得しており、クレーンやフォークリフトもしくは4tトラックを操作し大きな箱を運搬していた。
もはや、手押しで大きな箱を運ぶ者など1人もいないほどだ。
昼休みとなったため作業場を後にして食堂を案内する。
そこで奴隷や兵隊達が食事を取りながら朗らかに会話する様子をアイトラは静かに見ていた。
施設内の説明を終えると、フォシテスはアイトラを連れて牧場の外を案内する。
以前の柵周りは雑草で覆われていて、外敵の接近を容易に許しかねない状態であった。
しかし、安全講習を受けて終了証を得た奴隷達が草刈り機を使って雑草を刈り取ったために視界は広く踏み込みやすくなっている。
施設の全景を見せたのちに、フォシテスは今日の業務は終わりにしようとしていた。
「お、おかあさーーーーん!!」
近くで子どもの悲鳴が聞こえたためフォシテスがそちらへ顔を即座に向けると、牧場の門の外側でまだ10歳にも満たないような小さな男の子が5体のハチの魔物に囲まれていた。
託児所の件はまだ会議にも話を通していないため、工事の施行すら始まっていない状態だ。
そのため、施設内に子どもはいないはず。
恐らく、奴隷の母親の様子を見に来るため村からイセリアの森へ歩いてきたのだろう。
「動くんじゃない!」
フォシテスが近くに駆け寄り、ハチの魔物に左腕のサイコガンを向ける。
サイコガンの上部のカバーが二方向に開き、中から覗いた銃口が光を灯すとレーザーが射出される。
射線上にいた3体のハチはフォシテスに気づくまでもなく、四散する。
男の子と残り2体いるハチの間に立とうとしたが、一手魔物の方が早かった。
腹部を男の子に向けて、鋭い針を出したハチはそのまま特攻していく。
(やむをえないか…。)
フォシテスはとっさに右腕を突き出した。
直後、針の刺さった二の腕に痛みが走るが構わず風魔法の『エアスラスト』を放ち、ハチを全滅させた。
泣きわめく男の子の頭を撫でてあやす。
その子が落ち着き泣き止むと、親の名前を聞いた。
そんな2人の様子をアイトラはジッと見ていた。
♦
施設内の事務所で、マーブルに男の子を引き渡し、親が来たら早退するように伝える。
「ふーん、あんたが人間の子どもをねぇ。」
マーブルは人間の男の子とフォシテスを交互に見てそんなことを呟いた。
「何か不満か?」
「いいや、何でもないよ。」
フォシテスの問いにマーブルは素っ気なく答える。
事務所を後にして自室に向かおうと通路を歩くフォシテスの後ろをアイトラがついてきた。
(彼女のことは、しばらくの間マーブルにでも任せようか。)
フォシテスは、アイトラに今日は事務所でマーブルと過ごして帰宅するように言った。
しかし、彼女は動かなかった。
アイトラは、先ほどハチの魔物に刺されてわずかに血の流れた痕のあるフォシテスの二の腕を見ていた。
「なんだ?」
彼女は返事をしなかった。
フォシテスは、特に気にする様子もなく先へ進もうとする。
「ぐッ!?」
一瞬、身体の動きがとまったため振り返ると、アイトラが彼のチョッキの裾をつかんでいた。
神子の怪力に若干驚きつつも、彼女の手をつかみ離そうとする。
だが、アイトラは無表情のまま指をほぐしてはくれなかった。
力じゃ敵わないことを悟ったフォシテスは、彼女の行動の意図を読むことにした。
相変わらずアイトラはフォシテスの二の腕を見ている。
(怪我が気になるのか?)
そう思った彼は、アイトラにこの傷は唾でもつければ問題ないと伝え先に進もうとした。
「ぐおッ!?」
再び硬直するフォシテスの身体。
アイトラはチョッキを掴む手を離さなかった。
何となく理解し、観念したフォシテスは医務室で治療を受けることを彼女に伝えた。
アイトラはようやく手を離してくれた。
(やれやれだ…。)
次の日も、アイトラはフォシテスの後をついてくるようになった。
自室で資料を作成するときも、施設内を回り奴隷や兵隊達に挨拶をするときも、食堂でフォシテスが昼食をとるときも、業務時間中はずっと彼のそばにいた。
しかし、邪魔になるというわけでもなくフォシテスがまとめた資料をファイルに閉じたり、テプラのシールを背表紙に貼り付けて項目順に棚に納める作業をやってくれた。
また、奴隷が健康診断を受ける日に人間牧場にやってきた村の医者へ彼女はお茶を提供してくれた。
(もはや、馴染みつつあるが…。
なぜ、アイトラがついてくるか分からん。
というより、彼女を任せたマーブルは何をしているんだ…!?)
ある日、事務所に行きマーブルにそのことを問い詰めた。
「老人は目が悪くてね。あの子がどこかに行っても気づけないんだよ。
いいじゃないか、その子もあんたの近くで働きたいように見えるし。
大人しく一緒に仕事しな。」
そんなことを言ってきたため、もはやこちらの要望は聞かないだろうと判断したフォシテスは諦めて引き返すことにした。
アイトラは業務中立ったまま仕事をしていたため、フォシテスは自室に彼女用の机と椅子を用意した。
彼女は変わらず無表情のままでそこに座り仕事をするようになった。
ある日、奴隷の緊急連絡網を作成しているアイトラをちらりとフォシテスが見ると、彼女が使っている机の引き出しから本がはみ出ているのが見えた。
題名には「明日からできる!ビジネスマナー」と書かれていた。
何となく気になり手を伸ばしてみると、アイトラに手をはたかれる。
彼女はちらりとフォシテスを見ると、再び机に無表情な顔を向けて作業を続行した。
(やっぱり分からん…。)
フォシテスは自分も早く会議資料を作成せねば、と思いキーボードを叩いた。
キャラ紹介
プロネーマ
五聖刃の長で、救いの塔やウィルガイアに勤務しているユグドラシルの秘書的存在。
水や氷、闇など幅広い属性の魔術を使用する。
短い距離ならワープも可能。
可愛いものが好き。