東方聖酒杯 〜The Lost Dreams of Her Ideals. 作:ハシブトガラス
「
物部布都は、運命という不定形の存在に、激しい怒りを覚えていた。
数百の年月を待ち続けた。夢が夢を失い、力の根源は枯れて果て、死の果てに辿り着いたのは似非の不死。
強者と新たに生まれながら、より強い者の下に甘んずる他無かった主。あの飛鳥の昔の様に、病床に伏す主。千四百の眠りの果てに数十年の自由を経て、また数百年の不自由に甘んじた主。
斯様な理不尽を許してなるものか、その天の差配を許してなるものか。怒りが刃となるのなら、剣に隊列を組ませて神の座も滅ぼすが我が意気、と。
彼女は、己が主への忠義と崇拝が故に、幻想郷という世界をさえ、嚇怒で焦がさんばかりであった
「……いけるか、布都」
「大事なし、我に任せよ。お主は魔力の供給を怠るな」
「おう。しくじるなよ、成功したら褒めてやる」
贄の牛の血と水銀で描かれた魔方陣、満面と水の如く魔力を蓄える。その上に浮かぶ小舟は、小さな触媒の霊的な重さで、喫水線を遥かに越えて沈む。
「――
死への道を閉ざし、欲の行き先を閉ざした身。魔力という概念など、知って会得するは容易い事であった。沸点が無限に高い液体を熱して、体積を二次関数的に膨張させていくイメージを作る。
液体は世界だ、自身は熱だ。熱の働きを以て世界は膨れ上がり、やがて器から零れ落ちる。その零れ落ちた力を掬い取り、望む所に注ぐのが、彼女が辿り着いた魔力の運用――所謂、魔術の形であった。
小舟に水を注ぐ。物理的な接触では無い。溢れだした魔力で、魔力の波に船を飲み込ませた。触媒が魔方陣に触れ、ぎいぎいと軋み唸りだす。
幾度も重ねた予行演習と違わぬ過程、全ては事前の調べの通り。もう間もなく、二千年の悲願は形として成就する―――!
「誓いを此処に! 我は常世総ての善と成る者、我は――」
「――待て」
右手の甲、令呪に激痛が走る。抱えて蹲ろうとして、腕が引き戻せない事に気付いた。強い力で掴まれている、ともすればその指が肉を裂いて骨へ達せんがばかりに。
「っが、何をする屠自古――!?」
この儀式は決して失敗を許されぬもの。あらゆる外法外道を避けず万事整えたは、我等が主への忠義が故ではないか? さては仇敵への仕打ちかと、咄嗟に浮かんだ邪推は、然し目の前の光景に否定される。
「――布都、その、手」
「手……? ……あ、う、うぁああぁああああっ!?」
違う。屠自古の手ではない。かの亡霊は、あの場から動いていない。
この手はあろう事か、布都が作りだした魔方陣の内より伸びている。〝未だ召喚の終わらぬまま〟〝己が主への明確な反抗意思を伴い〟、このサーヴァントは彼女の腕を掴み絞めあげているのだ―――!
「霊廟の術師、お前達を知っている。お前達の主も知っている。お前達は過去に未練を持たぬものだろう、酷く酷く都合が良い。だが、駄目だ。その手順では駄目だ!」
その声は、他者に命ずるが自分の在り方であると、完全に弁えていた。生まれ付いての強者だけが持つ、無条件の優越を誇る声であった。
「駄目とは、何が、だ。お前は誰で、何故そこに」
「問いは後にしろ! 令呪はまだ使うなよ、勝ち目が減る。私は聖杯を得る為に戦うのだ、負けへ繋がる一切を赦しはしない! 我が命に服従せよ、我が言葉に頭を垂れよ、お前達の主の為に!」
高圧的だ、そう言う他にあるまい。
サーヴァントとマスター、二者の関係性はこの名称にある。例えサーヴァントがどれだけ強かろうと、マスターには三度の絶対命令権が存在する。仮にマスターがサーヴァントの自害を願えば、それは容易く実現してしまうのだ。
その様な大事に至らずとも、サーヴァントはその存在自体が巨大な一つの魔法のようなものだ。現界の為に魔力を必要とし、戦闘行為の為に魔力を暴食する。
マスターとの不和は不利益しか招かず、ならば従順を装うくらいの事はするだろうと、布都は予想をしていたのだが。
「甘かった、か」
「そうだ、お前達は甘すぎる。所詮は『ごっこ』しか知らぬのだろう? 私は殺すぞ、躊躇わず殺す、誰だろうとだ! 敵でも味方でも、お前すらも殺す! 始まる前に敗者となるサダメを厭うなら、我が命に従え!」
このサーヴァントは、力の数十分の一も出していないだろう。人がトンボの羽を掴む程度の感覚に違いない。それでも布都は痛みに涙を流し、泣き喚くのを意地で堪えて、滲む目で奴を睨みつける程だ。
屠自古は動けない。寧ろ動かないで居てくれた事がありがたい。今の自分達ではとても敵わぬ相手なのだから。
いや、幻想が幻想であったあの時代でさえ、一介の尸解仙と亡霊では、きっと太刀打ちできぬ存在であろう。彼女には、彼我の力量差が、それこそ焼印の様に刻まれた。
「……なあに、一つだけでいいんだ。それだけ聞いてくれたら、私はお前に完全服従してやるよ。な、それでいいだろ?等価交換って奴だよ、うん。ギブアンドテイク」
「信用しろと、ぐ、ぅあ……そう、言うか?」
「勿論さ、約束は守るよ。私は律儀なんだ、お前達と同じにしないで欲しいね」
「なら手を離せ!腕がちぎれるわ馬鹿者が!」
おっと、とおどけた様子で、サーヴァントは布都の腕を解放した。血の流れが戻り、手に温かみが戻る。死人の冷たさは、懐かしむものでは断じて無い。サーヴァントの手の届かぬ範囲まで後退する―――この部屋の何処にいても、一足で詰められると悟る。
「……望みを言え、この化け物め」
「化け物かぁ、人は化け物を倒す為に努力するもんだがね。騙し打ちは勘弁。……まあ良いや、お前は私と契約するんだろう。触媒がそいつなんだ、そういう事だ。だけど私は私だ、私のままでお前には従えない。そして私は生憎と、力が足りちゃいないんだよ」
「力が、足りない?」
このサーヴァントの言葉として、それはあまりに似つかわしくない響きだった。暴虐を具現化した様な力、自負と高圧を煮溶かして固めた様な言葉。自分を絶対者と信じて、全てを弱者と見下す、〝それ〟はそういう存在に思えたのだから。
「ならば何とする、いにしえの鬼よ」
「知れた事さ、補うのよ。つまりだな―――」
つらつら並べられる言葉を聞いている内に、布都の頭も冷えてくる。
このサーヴァントはどうやら、意図的な威圧を仮面として被れる者らしい。相手を怯え竦ませたら仮面を外して、割と友好的な砕けた本性を見せる。つまりは、暴力に物を言わせて社会に生きる種類の者なのだ。
言い方はおかしいが、小狡い奴。策略という程の事は出来ないだろうが、生き方をほんの少し楽にするコツを心得ているのだ
「……正気か、鬼よ」
「正気だからやんなっちゃうのよ、もう」
掌を上に向け、首を傾げる軽薄な動作。友好的な一面を押し出していると見える。
「良いからやりなさい。じゃないとさっきみたいに掴んで、今度は令呪を引きちぎるわよ」
「良かろう、その言を承諾する。然し我等は、その為の文言を……」
「そんなのは私がどーにかするわよ! ほら、私に続いて詠唱しなさい! あ、そっちで魔力送ってたタンク係、お前も準備するんだよ」
僅かな間も耐えられぬのか、両手を振りかざしてウガーとばかりに吼えるサーヴァント。慌てて魔力の供給を再開した屠自古を視界の端に於いて、布都は幾許かの安堵を感じていた。
「誓いを此処に! 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者!」
悪鬼の笑みを浮かべ、サーヴァントは高らかに、己を召喚する為の文言を謳い上げる
「されど我はこの眼を混沌に曇らせ侍らん!」
「されど汝はその眼を混沌に曇らせ侍るべし!」
「我、狂乱の檻を望む者! 汝はその鎖を手繰る者!」
「汝、狂乱の檻に囚われし者! 我はその鎖を手繰る者!」
感情に生きながら、理性を道具として用いる獣。理性を鎖と断じて、自らを狂気に投げだした真正の魔。
この怪物は主の命ずるが侭、全ての敵対者を、敵対せぬ者をすら、果ては己が狂気すらも蹂躙して支配下に置くだろう。
理知的な笑みが狂気に飲まれて消えるその刹那、英霊は親指を立て、召喚者への称賛の意を示した。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
膨大と言うも不足な魔力の奔流が、暗い霊廟を遍く照らす。
――この戦い、我等の勝利だ。物部布都は、確と信じ、断言した。