東方聖酒杯 〜The Lost Dreams of Her Ideals.   作:ハシブトガラス

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六日目――Restrain.

 私の住居に一人分しかない寝台を、来訪者が占有している。

 色白の、手足の細い、小柄な少女だ。

 不健康な痩躯ではなく、例えるなら深窓の令嬢というところか――スプーンより重い物を持つには似合わない、長く繊細な指が印象的だった。

 リリカ・プリズムリバーというらしい。白玉楼を拠点としていたウォーリア陣営のマスターだ。

 浅い呼吸を繰り返し、苦しげに眉根を寄せている。頬と額が不自然な程に赤く、汗の量も尋常じゃない。

 

「こいつは厄介だな……」

 

 アーチャーは、その胸に手を当て、目を閉じ、魔術回路に意識を巡らせていた。

 魔術回路に流した魔力を、擬似的な神経へと変化させ、呼吸音や体温や、その他心身に起こっている異常を探る――と同時、身体を蝕む毒の種別をも、探ろうとしている。

 

「蟲にでもやられたか?」

 

「……恐らくは。治せますか」

 

「私は医者じゃない、永遠亭に行け――無いのか、もう」

 

 私は、その光景を観察していた。

 作業の邪魔をしたくはないから、口を閉ざしては居たが、聞きたい事が山ほども有った。

 アーチャーは今、記憶の中の膨大な情報から、専門外の医療知識を引き出しているのだろう。そして今、確かに〝蟲〟と言った筈だ。

 単純な〝虫〟の毒ならば、魔術を用いての対応手段は幾つも見つかる。

 単純に自然治癒力を増すものもあれば、患者の神経系のみに魔力を通して、毒性の伝達情報を阻害するという高度な手段もあり、荒っぽいものでは単純に毒性物質を破壊するというやり方も有る。あくまで、文献で見ただけだけれども。

 だからアーチャーは、普通の虫の毒ならば、こうも固い表情を作らない筈だ。

 然し――〝蟲〟だ。

 音は同じだが、その実態には天と地程の差がある。

 昆虫に留まらず、多脚の節足動物や、小型の偉業、人工的に産み出された使い魔の類に至るまで、多くを内包する、禍々しい言葉。

 特に難しいのは、人の手が介在した場合。

 悪意を以て作り出された、自然に存在しない毒性に対し、生来の耐性を持つ生物は極めて少ない。

 そういう類の毒ならば、どうやって治す?

 そもそも、治せるのか?

 私はアーチャーの口元に目を留めて、その唇が動くのをじっと待ち続けた。

 やがてアーチャーは、強張った表情を少し和らげて、リリカの胸元から手を離した。

 

「……どうにかしてやらん事も無い」

 

「やったっ!」

 

 この声は、私のもの。

 これ以上マスターに、引いてはサーヴァントに脱落者が増えてしまっては困るのだ。

 既に、確実に一体、恐らくは二体のサーヴァントが消えた。それだけ聖杯戦争の終わりが近づいてしまったのだ。

 リリカ・プリズムリバーを救う事で、その終わりが引き延ばせるならば、私は迷わず彼女を救う。

 けれども、アーチャーとウォーリア、二騎のサーヴァントは、いずれもが怪訝そうな目で私を見ている。

 

「複雑な毒と、複雑な呪いの混合物だ。解呪は数時間、解毒は暫く掛かるだろうが……こいつなら、死んだりしないだろうさ」

 

「知人みたいな言い方をするのね、アーチャー」

 

「知人だからな」

 

「……もしかして、貴女の時代の生き残り!?」

 

 興奮の熱冷めやらぬ私の声が、更なる昂揚に上ずる。

 

「リリカは騒霊(ポルターガイスト)だ、人間みたいな形を取り繕ってても、内側の機能が違う。……妖夢、お前のお仲間みたいなもんだろ、ちょっとは落ち着け」

 

「……面目無いです」

 

 ウォーリア――魂魄妖夢は、叱られた子供のような顔でしょげ返っている。

 英霊のこんな顔を見られるのも、貴重な機会かも知れないなんて思ったけれど、これは観察に値するものでは無い。

 これから、アーチャーの、戦闘ではなく治癒の術が見られるのだ。

 強者絶対の殺し合いを、スペルカードルールという様式の美へ発展させた時代――必然、アーチャーが持つ魔術も、本来は闘争の為のものより、その他の目的に用いられるものが多い筈。

 彼女の真価の一端を、私が覗き見る事が許される。小躍りしたくもなる幸福だった。

 

 ――あれ、でも。

 

 雑音(ノイズ)

 それは唐突に、私の脳内に飛び込み、忽ちに六月の雨のように、長く続いて他の思考を掻き消した。

 私は、聖杯戦争を続けたい。

 私が満ち足りるまで、飽きるまで、何処までも。

 満足が行かなければ、五十年でも、百年でも。

 その為に、私は今、何をすれば良いのだろうか?

 

「――待って、アーチャー」

 

 これが正答かは分からないけれど、

 

「……どうした、アリス」

 

「治療の前に、患者の同意を貰わないと。三十分、待って頂戴」

 

 正しいか、誤っているか、では無い。

 私は私の欲求を満たす為の、最善の策を求め、意識から外部全ての音を遮断した。

 

 

 

 

 

 思考する。

 私の望みを叶える形とは、何処にあるのか。

 聖杯戦争を飽きるまで――その望みを叶える道は、何処から何処へ伸びているのか。

 

 聖杯戦争の継続条件:サーヴァントとマスターが、最低二組以上、存在している事――(?)

 

 単純明快にして、達成の難しい条件だ。

 サーヴァントにも、各マスターにもそれぞれの思惑があり、自らの願望を達成する為に戦うというなら――私以外のマスターは、必ずや他の陣営の撃滅を求める。現在の同盟者、博麗霊夢でさえがそうだろう。

 対して、私の望みは――

 

 アリス・マーガトロイドの願望:聖杯戦争に携わるありとあらゆる事象の観察

 

 サーヴァントが一騎、減るだけでも惜しい。

 マスターさえも、本心を言うならば残っていて欲しい。

 理想は七騎のサーヴァントが、七人のマスターの元にあり、それぞれが三画の令呪を備えた――つまり、戦争開始直後の状況だ。

 私の心の良心的な部分が、日常生活の友人の無事であったり、無関係な一般市民の巻き添えを防ぐと言った、常識的な事を望みもしているが――どうしようも無く飢えた心は、良心を簡単に食い潰す。

 

 ――つまり私は、この戦争に勝ち抜かなければならない。

 

 この答えは、必然だった。

 私が理想とする形を作る最善手は、〝聖杯によって望みを叶える〟事だ。

 心行くまで聖杯戦争を堪能する為、敢えて一度、私が勝利する形で、聖杯戦争を終結させる。

 勝つ為には、〝負けてはならない〟。

 今の私に与えられている駒は、攻撃に於いては、かなりの力を発揮するだろう。

 アーチャー――長射程と高い機動力を持ち、遠距離狙撃や一撃離脱のような、負けない戦い方に適している。身に着けた数多の魔術も、敵の接近を知る術となり、極めて有用。

 魔術主体の戦闘方法は、『対魔力』スキルと相性が悪いが、私達には同盟者が居る。

 セイバー。

 近接の戦闘に於いて、単純な火力ならば無類の強さを誇り――そして、あの宝具。遠目にも、魔力の余波を感じられる程の、気高く紅く、昏い光。

 あれがどういうものであるかは、まだ分からない。けれど直感的に、あれは、受けてしまえばどうしようもないものだと感じた。

 だから、仮に高い『対魔力』スキルを持つサーヴァントが居たのなら、セイバーと戦うように仕向ければいい。

 セイバーと博麗霊夢のタッグは、きっと破竹の勢いで、立ち塞がる敵を打ち倒すだろう。

 

 ――それを、霊夢も考えている筈。

 

 霊夢は霊夢で、セイバーと相性の悪い敵を、私とアーチャーに任せたいと思っている筈だ。

 例えば近接戦闘の技量でセイバーを上回る敵や、宝具に対する防御手段を持つ敵など。

 何より霊夢の、私に対する認識は――戦いに巻き込まれてなんとなく戦っている同級生と、それくらいのものではないだろうか。

 ならば霊夢は、積極的に私達を倒しに来ない。

 寧ろ、最後に戦う二騎のサーヴァントが、セイバーとアーチャーになるとさえ、予想している筈だ。

 

 ――その時と、その時までと。

 

 霊夢とセイバーのタッグに勝算が立てば、聖杯戦争の制覇は、十分に狙い得る。

 必要なのは、そこまで自分が脱落せずに耐え抜く手段と、セイバーを仕留め得る手段。

 出来る。

 私の脳髄が今、我欲を中心とした答えを導き出した。

 私は、右手の小指の、第一関節を犬歯で挟み、

 

「『Assemble.』」

 

 単言詠唱キーワードと共に、自分の指先を噛み千切った。

 

 

 

 

 

「なっ……!?」

 

 痛みが意識を、雑多な音の世界へ引き戻す。

 声を詰まらせ目を見開いていたのは、ウォーリア――魂魄妖夢だった。

 成程、彼女に魔術の素養は無いらしい。

 ならば、目を閉じて思案に耽っていた誰かが、いきなり自分の指を噛み切ったら、さぞや驚いた事だろう。

 

「アーチャー、貴女の名前を借りるわ」

 

「……アリス、本当に〝それ〟をやる気か?」

 

 流石に大魔法使い、霧雨魔理沙。私の思惑を早くも見抜いて――それを、止めようともしていない。

 なにせ、これから私が行使しようとする魔術は、飽く迄私から発し、私に効果を及ぼすものだ。

 私の身体、精神を、これから永久に縛る一つの盟約――

 死後の魂をさえ縛る、破壊不可の約定――

 部屋の片隅に置かれた羊皮紙に、私は自分の血で書いた。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 束縛術式:対象――アリス・マーガトロイド

 魔術体系の祖の目と、子の術義の一切が命ず:下記条件の成就を前提とし、誓約は戒律となりて例外なく対象を縛るもの也

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

「これは……?」

 

 ウォーリアは困惑と共に、文面を覗き込む。

 赤く綴られて行く文字の羅列は、魔術の徒の他には、重要性を理解出来ないものだろう。

 その当惑を察したアーチャーが、ウォーリアの隣に立ち、

 

自己強制証文(セルフギアス・スクロール)……アリスが出す条件をお前達が呑む場合、アリスがこの証文で誓った内容は、決して破られる事が無い」

 

 私の意図を、魔術を知らぬ者にも分かるように伝える。

 横目で見ていると、ウォーリアの表情の困惑の度合いは、寧ろ増したようにも見えたが。

 

「決して――」

 

「魔術師がな、自分の血で、自分の名を使って、自分に呪いを掛けるんだ。これが成立しちまったら、私だろうがパチュリーだろうが、もうこの証文を無効にする事は出来ない。そうするくらいなら、世界まるごと滅ぼしちまう方が簡単だって話になるな」

 

「ええ、そうよ」

 

 私は、アーチャーの言葉を引き継ぐ形で、ウォーリアに告げる。

 

「私は貴女達と友好関係を築きたいの。それが本気だっていう事を知って欲しくって……だから!」

 

 書き続ける。

 赤文字が連なっていき、文章を為すにつれ、ウォーリアの当惑が怒りに変わって行くのは分かるが――それでも、止められなかった。

 英霊の怒りを非力な身に浴びるのも、それはそれで、心地良いものだったのだから。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 【誓約】

 記述者アリス・マーガトロイドに対し、

 リリカ・プリズムリバーを対象とした殺害・傷害の意図および行為を永久に禁ずる。

 リリカ・プリズムリバーへの治療行為に際して、可能であるあらゆる手段を講じる事を命ずる。

 サーヴァント、同盟者を通じ、間接的にリリカ・プリズムリバーへの殺害・傷害を意図および実行する事を永久に禁ずる。

 

 【条件】

 使役契約にあたり、リリカ・プリズムリバーがアリス・マーガトロイドを対象として、自己強制証文を記す事。

 以下:条件となる文面。

 

 『誓約:記述者リリカ・プリズムリバーに対し、

  聖杯戦争終結までの間、アリス・マーガトロイドを主とした使い魔契約を締結し、その意に従う事を命ずる。

  同期間内に於いて、アリス・マーガトロイドを対象とした殺害・傷害の意図および行為を禁ずる。

  同期間内に於いて、アリス・マーガトロイドが死亡した際、リリカ・プリズムリバーもまた自死を行う事を命ずる。

  

  条件:霧雨魔理沙によって、リリカ・プリズムリバーに対し、解呪の魔術が発動される事。』

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「ふざけるなっ!!」

 

「私は酷く真面目よ、ウォーリア」

 

「これがっ、これではっ……これでは、我がマスターの身売りではありませんかっ!」

 

 ウォーリアは、自らの刀を抜かんばかりに激していた。

 当然の事だ。そして、予測の範疇に有る。

 私が綴った文面は――好意的に解釈するなら、相当の譲歩である、とも言えよう。

 自分自身の手による殺傷ばかりか、他者へ命じる・依頼するという形での殺傷の意図さえを、永久に――聖杯戦争の後までも禁ずる。加えて、治療行為に際してはあらゆる手段を――つまりは、アーチャーに対し令呪を用い、当人の意思に関わらず治療させる事さえが可能となる。

 勿論、その為にリリカが差しだすものの大きさも、私は良く分かっている。

 聖杯戦争の期間内に限るという前提ではあるが、端的に言えば――

 自由意思を奪い、敵対の自由を奪い、私の死をトリガーにしてリリカも――果てはウォーリアまでも消滅するという、雁字搦めの不平等な契約。

 この条件を呑んだ瞬間、リリカ・プリズムリバーとウォーリアは、私が飽きるまでの間、聖杯戦争に勝利する可能性が潰える。

 平時ならば、この条件を呑む陣営は無い筈だ。

 けれども、今の、この二人ならば。

 

「私も、条件は色々と考えたの。けれど……治療が終わった後、私が貴女達に倒されるのでは割に合わないし、私はリリカがどんな子かを知らないわ。ウォーリア、貴女がどれだけ義理堅くても、彼女が令呪で私を殺せと命じたら――」

 

「リリカはそんな事はしないっ!」

 

「――かも知れないけど、確証は無いわ。それに私だって、聖杯に託す望みがあるの――出来たのよ! 万が一にだって、失敗したくない、どうしても叶えたい望みなの!」

 

 我ながら、悪辣だとは思う。

 自分にこの条件が提示されれば、怒りに震えるだろう。自分の知人が、この契約で心身を売り渡すと聞けば、不快には思うだろう。

 けれども私は、躊躇いを感じない。

 寧ろ、この交渉が自分の望む形で纏まる事を、心から望んでいる。

 

「これはね、ウォーリア――妖夢と呼んだ方が良い? これはリリカも貴女も、どちらも命を失う事なく、聖杯戦争を勝ち抜けるかも知れない手段なのよ」

 

「戯言を言うな――」

 

「黙って聞きなさい」

 

 自分の喉から出た声の筈が、聞き慣れない声音だった。

 魂魄妖夢が、口を開いたままで押し黙る。

 その目は、奇異なものを見る目と言うより――見知った敵対者へ向ける、困惑の抜けた、警戒の目だった。

 

「私は、聖杯戦争を続けたい。もし私が聖杯戦争に勝ち抜いたら、その時は、この戦争をまた繰り返したいと願うわ。けれど、何十回か、何百回か、もしかしたら何千回目かも知れないけど――何時か必ず、聖杯戦争の全てを知り尽くして、飽きる時が来る。そうしたらリリカは自由で――その後、私を殺そうとしたって良いのよ。その時、私は、リリカから身を守る事は出来ても、反撃して傷つけたり、まして殺したりする事なんて出来ない――そういう誓約だから」

 

 噛み千切った小指の先を、また羊皮紙に触れさせる――血が滲まない。

 ふと目を向けると、私の右手小指は、しっかり第一関節から先が再生していた。

 その指を口に咥え、軽く歯を喰い込ませて、

 

「それとも、文面を書き換えようかしら。マスターの権限と令呪全てを私に譲渡した上で、リリカの魔力を私に供給するように」

 

「――!?」

 

 この脅迫は、予想以上に響いたようだった。

 妖夢の、刀の柄に置かれたままの手が、力を失ってだらりと垂れ下がる。

 

「この形にしたのは、リリカにマスターとしての権限を残したかったからよ。そうしなければ、『治療の後で改めてリリカを殺害する』なんて事も出来ると疑えるし、譲り受けた貴女が素直に従うとも思えないもの。でも、令呪までを譲り受けて縛るなら、その気になれば貴女の手で、リリカを殺させる事だって出来るわ」

 

「貴様っ……!」

 

「――いいえ、実際には殺さないでしょうね。私一人で、サーヴァント二人分の魔力を捻出するのは難しいもの。マスター権を移動するなら、リリカを何処かへ監禁して、魔力だけ私に供給してもらう。妖夢が私に逆らう事があれば、令呪で貴女を自害させた上で、監禁しているリリカも……殺しはしたくないけど、可哀想な目には遭ってもらうわ」

 

 私は意図して、嗜虐的な笑みを作る。

 自分の顔を操作するのは、案外に簡単な事だと、今日試みて、初めて分かった。

 鏡を見ればきっと、自分が思い描いたのと全く同じ、凶悪な表情の私が居る事だろう。

 その顔のまま、寝台の縁に腰掛け、眠るリリカの頬に触れた。

 熱い。

 騒霊も人のように発熱するのか――この緊迫した場の中で、一瞬、横に逸れた考えが駆け抜けた。

 

「魔力供給のパスの構築、色々な手段があるけれど、簡単なのは性交による同調だって知ってる? 私は女だけど、別に相手が男でも女でも、見た目が美しければどっちだっていいと思ってる。経験は無くても、一通りの知識は揃ってるわ。……それにこの子も結構可愛いとは思うし、楽しいのかって聞かれたら知らないけれど……いえ、案外に興味深いかも知れないわね、騒霊との性行為」

 

 言葉一つ一つを吐く度に、冷静な敵意が体を突き刺す。

 きっと魂魄妖夢は、私の口を如何に閉ざすか、そればかりを考えているんだろう。

 けれども私は、自分の優位性を知っている。

 彼女には、私達以外に、リリカの治療を依頼出来る相手など、恐らくは無い。

 

「熱で弱ってる自分の主人に無理をさせて、自分の主人を犯した女を主に仰ぐよりは、最初に出した条件を呑む方が賢いと思うんだけど、どうかしら?」

 

 道は二つ。その内の一つには、外道が舌なめずりして待っていると思わせて、もう一つの道を選ばせる。その為に私は、彼女を殊更に煽り、嘲笑うような笑みを顔に貼り付けた。

 

「ぐ……ぐうっ……!」

 

 怒りか、屈辱感か――目に見える程、ウォーリアは体を震わせる。

 彼女が感情のままに動けば、私は死ぬだろう。

 アーチャーの守りは、この狭い小屋の中では無意味だ――間に合わない。私の生殺与奪は、間違いなく、彼女に握られている。

 けれども彼女は、どうやっても私を殺せないのだ。

 そうすれば、自分の主を守る術を、投げ捨てる事になるから。

 見て、少し話をすれば分かるような、忠義が服を着て歩いているようなサーヴァントが、そんな事、出来る筈が無い。

 

「よ、む……」

 

「リリカ……!?」

 

 彼女の迷う背を押すのは、やっぱり、主人マスターの言葉だった。

 体を起こそうとする彼女の肩に妖夢が触れ、その動きを押し留める。

 

「まだ寝ていてください、治療は始まっていない……少しの体力も、今は惜しい」

 

「妖夢、その紙、見せて……」

 

「――!? ですが、これは……!」

 

「話、聞いてたから……お願い……」

 

 間髪入れず私は、机からリリカの手の中へと、羊皮紙を渡した。

 条件さえ整えば、その瞬間から私を拘束する自己強制証文の文面に、リリカはさっと目を通し――

 

「……受けよう、これ」

 

 決断は、早かった。

 私もこの早さには意表を突かれて、思わずリリカの顔をまじまじと覗き込んでしまう。

 憔悴した病人の顔ながら――聡明な光が、目の奥にある。

 

「リリカ、どういう事ですか……?」

 

「だって……これなら妖夢は、縛られないもの」

 

 問い質す従者に対しリリカは、自分が主であるなどと微塵も考えていないような答えを返した。

 

「私は、聖杯戦争の間はこの人に従う事になるけど……妖夢は、私に従ってるだけだから……。妖夢がそうしたかったら、私から離れて別な人のサーヴァントになればいい、そうすれば妖夢の行動は制限出来ない……そうでしょう?」

 

「ええ。魂魄妖夢が、私かリリカでないマスターに従うのなら、確かにこの誓約が、妖夢に影響を与える事は無いわ」

 

 私の言葉が真実であると保証するものを、彼女達は何も持たない。だが、真実ではある。

 寧ろ、敢えてその選択肢を――魂魄妖夢がリリカ・プリズムリバーを裏切るという選択肢を残すように、文面を作ったのだ。

 仮にマスターが死亡したとして、サーヴァントが、その瞬間に消滅する訳ではないと聞く。数時間あれば、或いは次の主に鞍替えし、聖杯戦争に参加し続ける事は可能だろう。

 実際に、その道が選ばれないだろうとは思っている。

 

「受ければ、私は生きられる。受けなかったら私は死ぬ……けど、どっちを選んでも、妖夢……あなたは自由だよ。なら、断る理由なんか無い……」

 

「リリカ……!」

 

 だが、こういう形で――リリカ・プリズムリバーが自ら進んで選択するという形で、契約が為るというのは、予想の外だった。

 少し、この少女に興味が沸く。

 思考自体は、さして難しい問題を解いたという訳でも無いが、リリカは思考の瞬発力が際立っているようだ。

 あの短時間――文面は、一度か二度、読み通した程度のものだろう。悩む時間も、殆ど無かった筈だ。けれどもリリカは、迷う様子も見せずに決断した。

 

「率直に言うわ、リリカ。今の私は、少し貴女に好意を抱きかけているかも知れない」

 

 興味を持ったものは、間近に置いて観察したくなる。触れて、様々な角度から眺めてみたくなる。

 思うに私のこの感情は、恋愛感情にも近いものであって、その一端が――今、蟲の毒に苦しんでいる少女にも向けられた訳だ。

 この思考の経緯を、理解した訳では無いのだろうけれど、リリカが私を見る目に、警戒心のようなものは感じられない。まるで、私が彼女に害意を持たないことを、完全に見通しているような、落ち着き払った目だった。

 

「……ありがとう……羊皮紙と、ナイフを頂戴」

 

 望まれるままに私は、リリカにそれらを預け。

 リリカは指先にナイフで傷をつけると、自らの血で以て、羊皮紙に文章を綴った。

 

「リリカ……、っ……すみません、すみません……!」

 

 その様を見届けるのは、自らの無力に歯噛みするウォーリア、魂魄妖夢と、

 

「お前――本当にアリスだよな?」

 

「……? それ以外の何に見えるのよ」

 

 おかしな物言いをする、私の小さなサーヴァント、アーチャー、霧雨魔理沙。

 

 契約は、成った。

 私は――

 遥か古から今まで存在する騒霊を使い魔とし、

 その従者たるサーヴァント一騎に間接的な命令権を得て、

 更には彼女達が本拠地とする白玉楼を、霊体に対する城塞とも呼ぶべき拠点を得た。

 

「嗚呼、最っ高……!」

 

 欲望を見出し、その求めるままに生きる事の、なんと甘美な事か。

 早速私は、手に入れた騒霊の使い魔の、蟲毒の回復に至る過程の観察を始めた。

 私の心の奥で、使われていなかった歯車が噛み合い動き出した日の、早朝の事だった。

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