東方聖酒杯 〜The Lost Dreams of Her Ideals. 作:ハシブトガラス
「随分低地に引っ越したもんねぇ。今の人間は山登りを楽しまないのかしら」
午前5時、日が昇り切らない薄闇の中。
地上1000m、低地に出現した雲の海に隠れて、黒衣のサーヴァントは地上を窺っていた。
彼女の生前には、『山』といえば『妖怪の山』の事で、山の神社はやたら高所に有った。幾ら不便な場所に有ろうが、通う者は通う。飛べるなら飛び、歩くなら日が暮れる事も厭わず、だ。
それが今では、平地から歩いて10分で辿りつける様な低地に越して来ている。人に近くなれば、それだけ信仰は得やすくなるのかも知れないが、
「所詮は外の世界の神社、土地への愛着は薄かった……と、お?」
神社が土地を軽々しく移すとはなどと嘆こうとして、彼女は、地上に意外な顔を見つけた。目を細めるまでもなく、米粒より小さなその姿を、サーヴァントは追っていく。
『千里眼:C』を所有する彼女の目なら、この程度の距離は苦にもならない。
元々、1秒未満で数百mを移動する超高速戦闘を主体とする彼女なのだ。視力も動体視力も、桁はずれに高くなくては、真っ直ぐ飛ぶ事すら危険に過ぎる。その目に映ったのは、自分が昨夜殺害した筈の、1人の少女の姿だった。
「……ありゃ、しぶとい。しっかり死ねるくらいの力は出した筈だったのに」
全力を出した、とは言わない。死体が原型を保っていたのはその証拠だ。あまり酷く散らかせば、掃除をする人間に辛い思いをさせるだろうなど、些細な親切心が有ったのだが。
「……ま、いいわ。今度こそ、確実に……」
ここで殺してしまっても、どうせ近くに住んでいるのは風祝だけだ。微塵の挽肉が社の外に転がっていようとも、参拝者が訪れる前に片付けてしまうだろう。未遂の仕事を完遂させよう、彼女はそう決めた。
空に体を留めた侭、頭と足の位置を反転させ、虚空に倒立する。周囲の雲を噴き散らさない程度に、魔力を風に変え、スターターブロックの様に足の後ろに配置した。
猛禽類にも勝る双眼は、獲物の表情から肌の血の気、爪の先の状態までを把握する。
地上へと我が身を打ち出し、獲物を叩き潰すまで4秒。この場所へ戻るまで、6秒。合計10秒あれば、完全に仕事は終わる。
目撃者狩りさえ終われば、いよいよ次からはマスター狩りも許可される。自分の能力を最大に活かせる分野だ、3日もあれば聖杯戦争を終わらせてみせよう。久しく離れていた闘争の予感は、彼女を大いに高ぶらせていた。
「残りもの処理と行きますか……『
英霊の英霊たる印、宝具、その真名の解放。渦巻く風の魔力を爆発させ、自分自身の体を風にのせ、黒衣のサーヴァント――
速度ゼロから動き始める以上、最高速へ至るまでにはどうしてもタイムラグが生まれる。最高速度に長ける重量級の列車など、走り始めは人間の脚に劣る速度でしかない。
その点、体重も軽く、また体重と釣り合わない程の加速力を持つ彼女ならば、そのタイムラグはほぼゼロに近い。ゼロコンマの下にゼロを2つ並べる短時間で、ライダーは最高速へと達した。
1秒、2秒、行程の半分を過ぎる。此処からは僅かに減速と方向転換、攻撃の瞬間には地上と並行に飛ぶ。二次関数のグラフの如き放物線を描いて、ライダーは地上の獲物との距離を詰め、
「――……!?」
残り、200m以下。時間にして1秒未満で埋まる距離。獲物の髪が風圧で乱れる程に接近して、ようやくライダーは自らの認識不足に気付いた。
加速に用いた以上の魔力を前方へ配置し、暴風を自分に当ててブレーキを掛ける。体の上下を入れ替え、降りてきた場所へ再び舞いあがらんと、放物線を強引に曲げる。
人の比ではない反射速度と思考速度が生んだ、地上との100mの距離。
「悪いな、私のマスターはやらせない」
その猶予のアドバンテージを無に帰す一条の光が、ライダーを中心とした円筒状の空間、半径10mを薙ぎ払った。
「いよーしっ、不意打ち成功!な、言っただろ?絶対ばれないって!」
空に光芒を柱と為して、私のサーヴァントは、大手柄を立てた子供の様に飛び跳ね、拳を突き上げた。
いいや、実際子供のようなものだ。背丈は私より20cm程も低いのではないか。腕も脚も、骨格がまだ未完成である事を窺える細さで、手の爪の薄い事と言ったら。髪も肌の質感も、彼女がまだ成人と呼べる年齢に遠く達していない事を窺わせた。
だが、彼女もまたサーヴァントである以上、外見相応の存在ではない。召喚され、名乗りを交わし、現状を幾つか説明すると、彼女はすぐさま一計を案じ、実行に移したのだった。
曰く、「お前が囮になって飛びだしてきた相手を、私が撃つ」。何とも乱暴な作戦に聞こえるだろうか、当然私も聞いた瞬間に却下した。
だが、彼女は自身を持ってこう断言した。
「そいつは凄い速さで飛ぶんだろ?速いって事は、直ぐに止まれないって事だ。大丈夫だ、今、そいつは私達の頭の上にいるよ。そうだな……1029mってとこか?」
サーヴァントは、例え霊体化していようと、互いに互いの気配を感じ取る事が出来るという。索敵可能範囲には英霊毎の、また、クラス毎の差も有る。彼女の索敵可能範囲は、どうやらキロ単位にまで及ぶらしい。
「どれだけ速くても、この距離なら私が先手を打てる。向こうの感知範囲は知らないが、仮に500m有るとしても、道中の半分だ。 そこでブレーキを掛けようと、離脱前に一撃打ち込んでやるよ。なあに、ばれないばれない。見てろって、な?」
自信に満ちた物言いで霊体化し、同時に魔術の詠唱を開始したサーヴァント。詠唱がほぼ全て終わり、後はキーを引いて射出するだけの段階で、彼女は私の背を押した。
「……大丈夫なんでしょうね。向こうが思ったより速かった、なんて無しよ?」
出会って数分の彼女を、全面的に信用出来た訳ではない。言葉に疑念がありありと浮かんでしまう。
それを、彼女は露程も気にしていないと言う様に、底抜けに明るく笑って、
「私はアーチャーだ。撃ち抜く事に関して、サーヴァントで私以上の奴はいないよ」
私の背を、小さな手でぽんと叩いた。
地上から放たれた光芒に飲まれる寸前、ライダーは、退避用の魔力を防御に用いた。自らを吹き飛ばす筈の風を下方に撃ちだし、破壊的な光と相殺させたのだ。仮にブレーキが間に合わず更に近距離で受けていれば、相殺は間に合わず、より光源に近い位置での直撃を受けていただろう。
ライダーの感知範囲は、他のサーヴァントに比べて、決して広くはない。通常時で半径100m程度、攻撃に意識を裂けば30m前後にまで距離は縮まってしまう。高速で飛翔する彼女には、そもそも広い感知範囲などは必要無い。その場所に自分から近づけば良いのだから、そんな技能を身に付ける事も無かったのだ。
「……チィッ……よくも引っ掛けてくれたわねえ!」
体を覆っていた黒い布は半分ほど焼けおちて、四肢が露わになる。姿を隠す為の布は、サーヴァントや宝具程の強度を持たなかったらしい。
余分な肉の一片たりとなく引きしまった手足は、ライダーの超越的な速度の源と、頷くに足るだけの強さをも併せ持っていた。それらは光に飲まれた為だろう、火に焼かれたかのように、肌に黒い炭の様な痕を残している。
あれは熱閃だったらしい。上空では雲の一部が、再び水蒸気へと姿を変えていた。
クラス特性として、ライダーは『対魔力』スキルを持つ。彼女の対魔力のランクはB、三節以下の詠唱による魔術ならば無効化する。ならば今の魔術は、何節かの詠唱を重ねて打ち出した大魔術なのだろう。
「っこの、不意打ちなんて卑怯よ!」
「お前に言われたくはないな、お前には」
光によって眩んだ視力が、完全に戻るまでのほんの僅かな時間。
風の流れがライダーに、敵の接近を伝える。急降下攻撃を妨害したサーヴァントは、地上を離れ、ライダーの頭上へと舞いあがっていた。
「『I guide you Star tours.』!」
一小節の詠唱、サーヴァント―――アーチャーの手から、『弾幕』が放たれる。旧き良き時代の娯楽、ライダーも身を投じた事のある遊びの、懐かしき華。だが、これは戦争だ。命中しても害が無い術など、真正面から突っ切って、
「ぐ、あっ!?」
突っ切っていけない。明らかにランクの低い筈の魔術が、ライダーの身を打ち据える。星の形状をした弾幕は、ライダーの肩にナイフの様に突き刺さり、更にはその身を地へ向けて打ち下ろした。
空中で体勢を立て直し、襲撃者の姿を見る。そして、今の不条理の理由を探す。自分の対魔力スキルなら、今の魔術で傷を負う筈などは――
「――そうですか、貴女が呼ばれましたか……お久しぶりですねぇ」
「久しぶりなのか? 顔を見せてくれないと分からないぜ。いいさ、お前が名乗らないなら、私だけ勝手に名乗る」
――アーチャーの姿を、ライダーが見紛う筈も無い。
周囲の同年代の者と比べても、一回りほど小さかった身の丈。伸ばせば伸ばす程にくせが付く、少し困った質の金髪。1色では色の併せが悪いからなのか、エプロンを重ねた黒いドレス。箒に跨り空を掛け、右手には緋々色金の火炉。
「アーチャー、霧雨魔理沙。普通の魔法使いだぜ――『ミニ八卦炉』」
彼女の手にある小型の火炉が、詠唱により生まれた魔力を増幅し、単純な術をすら大魔術に昇華する。
高所の優位を得ようと上昇を狙うライダーへ再び光と熱の柱が放たれ、質量をすら持った魔力の束に、彼女は地上へと叩きつけた。
「ちょっ、何でいきなり名乗ってんのよこの馬鹿ー!?」
サーヴァントを召喚する用意は、昨夜から開始していた。その間に早苗から、聖杯戦争における幾つかの心構えも聞かされている。
曰く、自分のサーヴァントの真名は秘匿せよ。語り継がれる幻想であるのなら、サーヴァントの弱点もまた、伝承の中に存在するかもしれない。そうでなくとも、名を知られたら手の内を読まれる事にもなりかねない。有利になる要素は全く存在しない。
だから、相手の名を探る必要は有っても、自分から名乗る意味など無いと言うのに……!
「そう言うなってアリス、どうせ何時かは分かっちゃう事なんだからさあ」
「最後まで隠し通すって考えはないの!?」
「あ、そりゃ無理。私の魔法を見られたら、遅かれ速かれどうしてもバレる。魔法を使わず勝つなんて無理だろ? 宴会騒ぎの小異変の時とは違うんだから」
「宴会がどうとか知らないけど、それでも―――」
「いーからいーから!ほら、実際にあいつはこうして……あ、まだ駄目か」
幾ら反論しても、こいつは少しも悪びれた様子を見せない。それどころか、自分が圧勝した印を見せようと、落下したサーヴァントを指差した。
冗談じゃない、まだまだ相手は動けそうじゃないか。この戦闘で勝ちを決めるなら兎も角、逃げられて、仕切り直しとなってしまったら?
「……はは、は……魔理沙さん、とはねぇ。そうと分かってたら、また違う手を……」
「ほらー! もう対策打たれ始めてるじゃないの! アーチャー、とどめ! もう襲ってこれない様に、確実に―――」
確実に倒してと言いかけた所で、ごうと風が荒れ、声は足元の砂ごと吹き散らされた。うつ伏せにそこに伏していた筈の敵サーヴァントは、私の視界から忽然と消えていて、
「おー、やっぱり速いな。追いつくのは無理かー……」
アーチャーの視線の先は、やはり上空。敵サーヴァントは風を巻き、己のフィールドの空へ舞い戻ったらしい。そちらへ目を向ければ、既に敵サーヴァントは霊体化し、戦闘から離脱していく所だった。
仕留めきれなかった事が悔やまれる。奇襲で混乱していた今こそ、最大のチャンスだっただろうに。
「無理かー、って……あのねえ、私はあいつに殺されかけたのよ! また狙われるかもしれないの!」
「結構しっかり傷めつけてやったろ? そうだな、数日ばかりは回復しきらないんじゃないか。
多分だけど、私の予想が当たってるなら、あいつはさっきのでかなり痛手を負った筈だから」
「はぁ……頼むからちゃんと説明しなさいよ、自分に分かる事を飛ばさないで」
「悪い悪い。ええとな、多分あいつ、今は思う様に飛べない。そういう事だ。……それよりアリス、冬の朝は寒いぜ。社に戻って炬燵を借りよう、炬燵。蜜柑と熱燗も欲しいなー、今はどんな酒が有るんだ?」
早苗も大概会話のし辛い奴だったが、こいつはそもそも私の話を聞いていないのではないだろうか。
そう思う程、この小さなサーヴァントはマイペースで、自分の勢いだけでぐいぐいと進んでいく。
今も、敵サーヴァントが撤退したのを確認したからと、早くも社の中へ戻ろうとしていた。
「ん? どうしたんだよアリスー、朝食を御馳走になるだけだ。遠慮するなよ」
「貴女が用意する訳じゃないんでしょ?」
「そりゃそうだ。人が作ったご飯を食べるのが良いんだからな」
中立である事を理由に、不可侵とされている守矢神社。そこに朝食をたかるサーヴァントなんて、監督役だという早苗も呆れるのではないか。
「まったくもう、ついさっきまで命がけの戦いをしてたっていうのに……」
「あれくらいなら日常茶飯事だろ? 弾幕ごっこの本気版だよ、それだけだぜ。さー、この時代の食事はどんなのかなー。レトルト食品っていうの食べてみたい」
厚かましくも無欲な欲求を持つアーチャーは、ずかずかと社に上がり込んでいく。その後ろを、昨日からの物事の展開速度についていけない私は、借り物の草鞋を履いて追うのだった。
【ステータス情報が更新されました】
【クラス】アーチャー
【真名】霧雨魔理沙
【マスター】アリス・マーガトロイド
【属性】中立・善
【身長】141cm
【体重】33kg
【パラメータ】
筋力E 耐久E 敏捷B+
魔力B+ 幸運A 宝具??
【クラス別能力】
対魔力:C
第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。
アーチャーは術を無効化するのではなく、相殺する事により、防御をしつつ攻撃へと転ずる。
そのため、彼女自信は卓越した魔法使いでありながら、対魔力は決して高くない。
単独行動:B
マスターからの魔力供給が無くなったとしても現界していられる能力。ランクBは二日程度活動可能。
【保有スキル】
魔術:A
大魔術、儀礼呪法の行使を可能とする。
アーチャーは、人の寿命で身に付けられる限界に、限り無く近い技量を誇っている。
高速詠唱:A
魔術の詠唱を高速化する。
通常の高速詠唱であれば、実際の2倍程度の速度となるのが普通だが、
アーチャーは術式自体の簡略化を計り、更に声を魔術でもう一つ作りだす事で、実質3倍以上の速度を得る事も可能。
騎乗:E
生き物以外なら直感でそこそこ乗りこなす。
彼女の場合は趣味の領域、短期間の修練で一般的な乗り物なら操縦できる。
【所有アイテム】
魔法の箒:魔術が掛けられ、飛行の補助をする。壊れたら新しい箒に魔術を掛け直せばいい。
【宝具】
『ミニ八卦炉』:ランクC
緋々色金を材質とした特殊なマジックアイテム。
霧雨魔理沙が異変解決の伴として、晩年に至るまで所有し続けた。
ミニ八卦炉自体が強力な魔術であり、未熟な術者をして1つの山を焼き払う程の火力を生む。
これに魔力を通して術を起動すれば、〝その術のランクを一段階上昇させる〟事が出来る。
一行程の術を一小節相応の威力へ上げる事も、一小節の術を数節相応の威力へ上げる事も可能。
上昇の比率は、宝具の持ち主が注ぎ込んだ魔力の量に応じて変化する。
速い話が、魔力を注げば注ぐほど、短時間で強力な魔術を発動できる宝具である。
尚、冷暖房に除湿、マイナスイオン発生機能完備。
『???』:ランク不明