ふと本部の廊下を共に歩いていた風鳴翼が、顔をしかめて耳穴を指でクニクニと押しこむように揉んでいるのにマリア・カデンツァヴナ・イヴは気が付いた。
いかにも耳が痒いですと主張する動作はだんだんと激しくなっていった。
クニクニからグイグイになり耳たぶごとグシグシと揉む動作を経て、それでも痒みが紛れなかったのかついに指を……。
「ちょっと、翼?
いくら本部の中とはいえ気を抜きすぎじゃない?」
「はっ!?マリア、これは……いや、確かに迂闊だったな」
ばつが悪そうに耳を弄り回していた手を降ろす。
「そんなに耳が痒いの?」
「ああ、やはり分かるか。
先程から急に痒くてな、綿棒の類が欲しいとなると医務室だろうか?」
やはり耳が痒いのが気になるようで眉根を寄せながら翼はマリアの言葉に答える。
「医務室に行けば確実にあるでしょうけど、綿棒なら共有スペースの雑貨にあるのをこの前見たわ。
ここからだと医務室より共有スペースのほうが近いわよ」
「助かる。正直一秒でも早くこの痒みをなんとかしたい」
気持ち足早に共有スペースを目指す二人。
「すごく痒そうにしてるけど、耳掃除とかしてなかったの?」
「痒いときは痒みを抑える程度に自分でして、耳鼻科かイヤーエステに行っていたんだ……」
丁度そろそろ行こうというタイミングで遠隔地の任務や待機要請が立て込んでしまった、と翼は言う。
「耳垢は自然に外に出るから耳掃除は下手にやるくらいなら、プロに任せてしまった方が良いとも聞くけどね」
そこまで任せきってしまうのもどうかと。
「まぁ、とにかく今はこの耳が痒いのを何とかしたい。共有スペースには着いたが、雑貨というとここら辺りか?それともこっちか?」
「ええ、確かこの棚の……引き出し……あった!」
備品の雑貨類や細々とした私物などが置いてある棚を探しだす翼とマリア。
翼は探しているというより散らかしている方が行動の表現として近そうな有様だ。
はたしてマリアは記憶通りの場所に綿棒は見つかった。
透明な円筒状のケースのふたを開けて、翼に差し出す。
「はい、おまたせ翼」
「おお、ありがとうマリア」
翼はさっそく一本をつまみだし、痒かった耳に綿棒を差し入れる。
眉を寄せながら、いかにも痒くて仕方なかったというふうに耳内を掻いていく。
ずず…ごりごり……ざざ…ごり…ざりざりざり……
「んっ……くぅむぅ……うぅ……はぁ……」
一通り耳内を掻き荒らし満足したのか、ため息とともに綿棒を引き抜く。
「ふぅ…あらためて礼を言うマリア。
有事となれば多少の痛痒など気に留めぬが、日常となるとやはり気になってな。
少々、その、格好悪いところを見せてしまったな」
痒みがおさまり振り返ると気恥ずかしかったのか、少し顔を赤くして翼が頬をかいた。
「今更気にしないわよ、そんなこと。
それより、いつもあんな風に乱暴に耳かきしてるの?完全に耳垢をとる動作じゃなくて、搔きむしる動きだったじゃない」
翼の髪をかき上げながら、耳穴を覗き込む。
「マリア!?な、何をッ!?」
「あ、動かないで。……耳の奥に押し込まれてるようね」
翼の耳たぶをグイッと引っ張り奥を確認する。
やはり、あまりにも雑な耳掃除に耳垢が奥に押し込まれて固まっているのがすぐに見える。
とかく翼は掃除とつくものに適性がないようだ。
「ほらこっち来て、翼」
近くのソファーに翼を引き寄せる。
ソファーの端に座ってぽんぽんと太ももを叩けば意図はすぐに伝わるという物だろう。
「さっき綿棒と一緒に見つけたの。
誰の私物か分からないけど、共有スペースに置いてあったんだものありがたく使わせてもらいましょう」
ほら、と手に持った耳かき棒を見せる。
「その……いいのか?
耳掃除をしてもらえるのは正直有難いと思うのだが」
「こっちから提案してるんだから、遠慮なんかしなくていいわよ。
それに、ほっといたらすぐにまた痒くなるわよ?大きな耳垢だけでも今とっちゃいましょう」
早くなさいといわんばかりに、再びぽんぽんと太ももを叩く。
観念したようにおずおずと膝枕に頭を横たえる翼。
「よろしく頼むマリア。
……痛くしないでくれると、私はうれしい」
「しないわよ。もし痛かったりしたら我慢せずにすぐ言ってちょうだい」
会話しながらひざ枕の上に乗る翼の頭の位置や角度を調整する。
ソファーに深くに腰かけて、翼の頭を少し膝側に遠退けつつ耳穴がよく見える角度に整える。
実はあまりお腹側に頭を寄せすぎると胸の死角に入って見えなくなってしまうのだ。
口にすると確実に翼がへそを曲げるので黙って調整してしまおう。
「じゃあ、始めるわよ。
大物だけのつもりだけど、取れそうなものはついでに取っちゃうからね」
「ああ、頼んだ」
まずは、外耳のマッサージを兼ねてウェットティッシュで優しく揉みながら拭き掃除をする。
耳たぶを揉みほぐし、外耳の内の凹凸を指でなぞる様に拭いていく。
くにくに……ずっずっ……
ざざざ……ぐりぐり……
「耳の周りはちゃんとキレイなのね」
「その程度ならな。耳かきを中に入れなければ拭く位はするとも」
ぐいぐい……ぎゅぎゅ……
ぐりぐり……もにもに……
耳のマッサージで耳の血行が良くなり汗腺が刺激され耳垢が取れやすくなる。
マッサージのリラックス効果も耳掃除前の緊張をほぐすのに丁度良いだろう。
「そろそろいいかしら、中の耳かきをやっていくわよ」
あらためて耳の内部を覗き込むと、塊になってしまった耳垢が奥の方にたまっている。
耳の穴を塞ぐほどではないし、大きめではあるけれど取れないほどでは無さそうだ。
かりかり……こり…
ざざざ……がり…がり……
「大きめのがあるけど、ひどく固着していてる感じもないし丁寧にやればちゃんと取れると思うわ」
「そうか、よかった……むぅ…あ、マリアいまのとこ……かゆ……」
大きい耳垢以外にも細かいものが散らばる様にくっついている。ここら辺のものが耳かきで動いて刺激になってしまうのだろうか。
大物とりを一旦中断して周りの耳穴壁を強めに掻いてあげる。
ごりごり……ぐりぐり……ぞりぞり……
「ここらへん?……痛くないかしら?」
「ああ……そこ、そこだ……くぅ…ふう……」
では改めて大物に取り掛かるとしよう。
完全に穴を塞いではいないから、耳かきを耳垢のさらに奥まで入れて一息に掻き出せないか試してみよう。
これで上手くいくなら一番早い。
ずずず……ぐい……
かりかり……ぐぐぐ……
「いけそうかしら。ここの一気に取りたいんだけど、痛くない?」
「ん……大丈夫だ。むしろ一思いに頼む。大きいのをつつかれるだけで、すごく痒い」
かりかり…ぐぐぐ……がり…
ぺり…ぐりぐい……ずざっべりっ……
耳垢の奥側に耳かきがうまく引っかかる場所を感覚頼りに探し、一気に引き剝がす。
べりべりべり……ずざざっ……
ざっざっ……ざりざり……
「……ふぅ、とれたわ。なかなか大物ね。痒かったでしょ?」
「うっ……うんっ…くぅ、ふぁぁ……」
耳垢をティッシュにとり、翼に見えるように差し出す。
翼は自分の耳内に張り付いていた痒みの原因をしげしげと眺めている。
「むぅ、これが自分の耳から出たとは信じ難いな」
「大きいのはそれくらいだったから、あとは簡単にやっちゃうわよ」
もう残りは大きなものも無いので、こぼれて奥に行ってしまいそうな耳垢だけささっと耳かきで撫ぜる様に手早くとっていく。
さりさり……ざり………
ざっざっ……ずずず……
「こんなものかしら。はい、こちら側はおわりよ」
最後に梵天で仕上げ。
ふわふわ…すっ……しゅるん
「ふぅ…ありがとう、マリア。それにしても手慣れてないか?」
「切歌がね、耳掃除苦手なのよ。なにかと理由をつけて逃げ回って毎回大変なんだから」
次は反対側ね、と逆側に膝枕しなおしながら答える。
ちなみに調も耳掃除自体は上手だが、切歌が嫌がると甘やかしてしまうためマリアが切歌の耳掃除をすることになる。
「間が空くせいで大きくて固い耳垢だらけになってしまうの」
「なるほど。……気持ちは分からなくもないな」
ウェットティッシュを使いながら外耳を揉みほぐし、外耳の内の凹凸を指でなぞる様に拭いていく。
くにくに……ずっずっ……ざざざ……ぐりぐり……
ぐいぐい……ぎゅぎゅ……ぐりぐり……もにもに……
耳たぶをマッサージしながら会話を続けていく。
「なんとなく思ってはいたけど、翼も耳掃除苦手なのね?」
「ん……ああ、幼少の頃自分でやろうとして、勢い余って痛い目を見てな」
なるほど小さいころの嫌な体験というのは案外しつこく残るものだ。
それでも完全に放置せずに耳鼻科などでケアはしているのだから翼の生真面目な部分が出ているのだろう。
「そう、じゃ今回で少しくらい苦手意識も減ったかしら?」
「そうだなぁ……ぜんぜん痛くもないし……んぅ……気持ち良くしてもらえると……」
こりこり……かりかり……
くっくっ……ぺりかり……
こちら側の耳はそこまで大きく固まった耳垢はなさそうだ。
まばらにある耳壁に張り付く耳垢を剥しながらとっていく。
「気持ち良いなら良かったわ。こことか痛くない?」
「ふぅ……くぅ……ああ大丈夫だ……痛くない」
かりこそ……ごり……
ぺりり……ざざざ……
強く張り付いているものもなかったし、これで目立つ耳垢はとれただろう。
「これでおおよそ終わりだと思うけど、どうかしら?痒かったりごそごそしたりしない?」
「ああ違和感もないし、とてもすっきりした。それにまったく痛くなかった。
改めて礼を言う、ありがとうマリア」
どういたしまして、と返しながら最後に仕上げの梵天。
ふわふわ…すっ……しゅるん
確認に耳を覗く、うん十分にキレイになっている。
これですぐにまた痒くなる事はないだろう。
「……その、マリア。もし痒みが取れないようなときはこれからも頼っていいだろうか?」
「ええ、もちろん。いつでも頼って欲しいわ。
でも、次はもう少し早めに言ってちょうだい」
膝の上で顔を赤らめて、目線をそらすのが見えなくとも分かる。
「……善処することは約束しよう」