その軍勢は、突如として現れた。
遥か彼方の空の狭間より訪れ、見る者の理解を拒む現実離れした空中宮殿。
雲霞の如く空を埋め尽くす怪異。 輓馬の如く地を平らげる軍勢。
どこからが空で、どこまでが大地なのかすら判別できない、黒、黒、黒。
それは亡者の行進であり、悪魔の葬列であり、怪物の戦列であった。
それは『世界』の怨敵そのものだった。
僅か七日をもって世界は蹂躙された。
種族、性別、年齢。 ありとあらゆる区別なく、等しくその贄となった。
堅牢なる城壁は巨獣により破砕され、恵みをもたらす森林は壊死し、豊かな水源は汚泥に染まり、荘厳なる地下空間は、逃げ込んだ人々を薪とする火葬炉となった。
七ヵ月をもって世界は支配された。
崩れた城塞はそのまま牢獄となり、燃え落ちた樹木は大地の墓標となり、酸の泥は全ての生物を拒絶し、地下からは幽鬼、動死体、骸骨兵が無限に沸き起こる。
そうして、全知的生物は結託した。 こなくそと、くたばってやるものかよ、と。 ヤールニースが率いるエルフ族が魔法を伝え、ドルテロイが率いるドワーフが武具を鍛え、当代の王アウラングスが率いる騎士団がこれを身に纏った。
確かな勝ち目があるわけではない。 しかし、戦わぬという選択肢はもはや存在しなかった。
多くの戦士が斃れた。 七年の戦争で九度の会戦。 二度の勝利。
三十万の兵を従え、結成時に総数四千を誇った精強なる騎士団は、最後には百を切る有様であった。
如何に優れた魔法でも、如何に頑強な武具でも、迫りくる全てを防ぐことは能わず。
それでもと、先に斃れた勇士の屍を踏みつけ、一歩進んだその先で剣を振り下ろす。
幾百幾千と紡いだ剣戟の最後の一閃が、ついに魔王の頸を削いだ。
『ハハ、ふっ……くははっ』
魔王は笑う。 岩と鉄、鋼、火で彩られたその空間に、哄笑が木霊する。
『は
は
は
は
は!』
哂う。
『は
は
は
は
は!!』
呵々大笑し、
『……………惜しかったな』
一言そう呟いた。
「…何が」
騎士が問い質すが、しかし魔王は答えない。
その頸からは聖魔問わずあらゆる存在の源が零れ落ち、その三対の眼球は既に何物をも映していなかった。
『くは、ああ、中々に楽しめたな』
そうして魔王の躰は崩れ落ちる。
『……だが、悪足掻きはさせてもらおう。 ははは』
頸から流れる血はとめどなく、そしてその骸と化した身体を染め上げる。
「ッ、全騎、退避!!飛竜を呼べ!!」
最後に魔王を切り伏せた騎士が、脇目も振らず全力で指示を飛ばす。
首を取る手間すら惜しむその様相は、降り掛かった血潮の一滴が、己が鎧に穴を穿つのを目にしたからであった。 まだ効力があるはずの加護など、まるで意に介さぬとばかりに。
駆ける、駆ける。 走れぬ者は無事な者が支え、立てぬ者は言葉を託す。 既に事切れている戦友の遺骸は、放置するしかなかった。 せめてもの証と、その武具のみを引っ掴み、全力で走る。
その背後から迫る、赤き波濤。
いかな魔王の巨体とはいえ、およそ人体に収まる量ではない、泥のような、洪水のような、岩漿のような血潮はやがて広間を寸分なく埋め、満たし、そしてその熱をもって全てを燃やし尽くした。
生き残った騎士達が飛竜に跨り全速力をもって離脱する傍ら、主塔の内から溢れ出た濁流はやがて広間を越え、庭園を呑み、城壁を侵し、眼下へと降り注いだ。
そして血と熱と炎に塗れた巨城は大地へと失墜し、その一帯を永劫に癒えることのない死地へと変貌させた。
「……ッ」
騎士団はその地上に顕現した煉獄が如き光景を、ただ見ることしかできなかった。
如何にエルフから授かりし魔法といえど、水の一滴で大火を鎮めることが出来ないように。
見ることしかできないからこそ、全てを目に納めようと。
異界より現れ、七日で世界を蹂躙し、七ヵ月で世界を支配し、そして七年で反旗を翻された魔王の結末だった。
よくありがちな話だ。 どこそこの帝国が決戦兵器として開発した戦艦だの、新型機だの。 あるいは、封印から解かれた古代兵器だの。
そしてそれらが碌な成果を挙げられず、結局期待外れに終わるのも。
誰だって一つくらいは心当たりがあるだろう。 ああ、あれか、と。
枕詞に最大最強だとか付くような。
劣勢に立たされている側の計画など、えてしてそういうものだ。
そもそも計画通りに事を進めることができるなら、そんな事態には陥っていないのだから。
それも開戦当初は圧倒的優勢を誇っていたなら、なおのこと。
だからそう、彼女はどうしようもなく間に合わなかったのだ。
「…………」
例え全ての災厄を祓う明王の如きその腕も、全てを貫く宝槍の如く磨かれたその脚も、それらを十全に扱える才覚を備えていようと。
発揮する場所がなければ、結局は宝の持ち腐れ。
「…………………」
全てが燃え、全てが焼かれ、そして全てが瓦礫と灰燼と化したその土地で。
どうしようもなく間に合わなくなった、全てが終わったその廃宮殿の中で。
彼女は今更ながらに目覚めてしまったのだ。
「クソがぁ!!!!」
邪魔な瓦礫を蹴っ飛ばしながら。
…まあ、元気そうではある。
◇◆◇◆◇
『大殲』と呼ばれた戦争の終結から八年後。
一致団結した世界は大敵の消滅をもって平和が訪れるかといえばそんなことはなく、再び四散五裂し、それぞれの主張をぶつけ合う中々にろくでもない様相を呈していた。
大殲の影響で地形が大変動したのをいいことに、ここは我らの土地だと主張するエルフの氏族。
この雄大なる裂溝こそが聖域だと言って憚らないドワーフの部族。
両者の間を取り持ちつつ、海岸線の拡張に余念がない人間の国家。
それらを行き来しつつ、蓄財に余念がない小人族の隊商。
暗躍する魔王軍残党と、それを崇める胡散臭い新興国。
本当にろくでもない、どこにでもありふれた光景であった。
また騎士団の生き残りの多くはそれぞれの故国で要職に就いていたが、国に縛られるのを嫌って気儘に過ごす者もまた一定数いた。
曰く、文字通り命を削って世界に尽くしたのだから、好きにさせろと。 そこを主張されては例え王族といえど強くは出られず──血縁の犠牲を嫌ったばかりに騎士団の多くが王家筋に所縁がないことも仇となった──結果、出奔するのをただ見届けるしかなかった。
そんなどうしようもなく、それでも少しはマシになった世界で、都市国家アストルムの西方域、ラームと呼ばれる地域の一角で騎士団の生き残りリーグレットは自らが率いる一党の拠点を兼ねて、食事処を営んでいた。 国許を去るほど薄情ではないが、かといってこれ以上身を粉にするつもりもない、という塩梅での判断であった。
採集系の依頼を主にこなす彼女の一党はその達成率と練度には定評があり、ラームに属する数多の一党の中では評価が高い。 そして依頼の過程で入手した希少な素材を店で提供することで、多方面からの信頼と信用を取り付けていた。
日は夕刻を過ぎ、影が伸びていく。 表通りからは近所に住まう子供たちの喧噪が聞こえ、それと共鳴するかのような家畜の遠吠え。 煙突からは炊事の煙が立ち上り始める。 実に平和な光景であった。
食材の残りも心もとなく、いい頃合いだろうと彼女が炊事場の片付けをしていると、入口の開き戸から、きぃ、と蝶番が擦れ合う独特の、少し甲高い音がした。 油を刺さなければいけなかったな、と思いながら来客か、と耳を傾ける。 もうじき店仕舞いをし、翌日の仕込みのために早めの夕食と休憩といきたかったのだが、アテが外れた。 立て看板を出すのが遅かったか。
面倒な手合いでなければいいのだが、と彼女が入口に目をやると、そこにソレはいた。
「邪魔をする」
年齢は10代後半から20代半ばであろうか。 不思議と判別のつかない、どこか気難しい気配を纏う女性であった。
静かな店内に、かちゃり、かちゃりと響く音。 堅牢な、それでいて軽い、金属製の具足が床板と即席の合唱を奏でる。 はて、と彼女は首を傾げる。 具足―――にしては、妙に細い。 かつての戦場で、今の仕事先で、それこそ千は下らぬ数を見てきたが、あのような精緻で、精巧で、まるで人の肉が入っていない、まさに金属そのもののような。
まさか義肢であろうか?と思うが更にあり得ないとかぶりを振る。 一般的な義肢というものは、それこそ適当な木材に金属を組み合わせた簡素なものであったし、良くても木材をそれらしく削り込んだものが精々である。 あれほど精緻な物となると王侯貴族でもよほどの爵位持ちでなければ手に入らぬだろう。
そして何より、現れた女性のソレは、両脚であった。
支えなく自在に動く義肢など、それこそ聞いたことすらない。 が、声に出さぬとはいえあまりにも詮索をし過ぎだと自らの無遠慮を恥じる。
気を取り直して、一党の一員であり平時では店員の役目もこなすエルフの少女に御用伺いに向かわせる。
来客は女性ただ一人。 さして時間はかからないだろう、と、その後の予定が大きく崩れないことに安堵しつつ、実に優美な仕草で椅子に座る姿を横目に見る。 やはりどこぞの貴族の令嬢であったろうかと思案する。
このような土地に高位の貴族が来るような理由も目的もとんと見当がつかないが―――と、そこで気付く。 気付いてしまう。 気付いてしまった。
それが、彼女の脚のそれが、かつて対峙した悪鬼羅刹のごとき魔王の纏っていたそれと、同質のものであることに。
あらゆる生命を屠り、嬲り、嘲っていた魔王のそれと、同じ気配を滲ませていたことに。
────瞬間。
陶製の鍋の横腹を三度、調理具で小突く。 秘匿された合図。 上階に住まう一党の面子へのみ伝わる、緊急のシグナル。 即ち、敵襲。
思い思いに寛いでいた一党は、すぐさま即応できるように、音も立てずに、気配を絶ち、臨戦態勢をとる。
貴族でなく魔族であるなら、あの魔王に類する者なら、人里に現れた理由など、そこで何を起こすかなど、一欠片たりとも考慮に値するものではなかった。
検問をどう抜けてきたのか、いや、他の一党もだ。 只ならぬ気配、気付く者もいたはずだ。 まさか既に──!
一挙手一投足に目を配り、耳をそばだて、次にどうくるかを予測する。
最低限あればよい、と厨房に隠していた直剣を手に。
気付かれぬようにエルフの少女と後ろ手で合図を送りあいながら、警戒する。
魔法か、斬撃か、徒手格闘か、あるいは思いもよらぬ方法か。
そうして──
──差し出されたのは、注文票であった。
「えっ?」
警戒していた少女が素っ頓狂な声を上げる。
「は?」
応答するのは、これまた困惑した女性客のもの。
「────貴女、ここに何をしに?」
様子を伺っていた店主も、思わず身を乗り出す。
何かがずれている。 致命的に。
「いや、それこそなんだ貴様ら」
なんだこれは余所者に対する嫌がらせか?と、あんまりといえば、あんまりな対応に、思わず怒気を滲ませた女性を責められる者などいるだろうか。
しかし三者三様に困惑する当人らを他所に、さらに事態は混迷する。 合図を聞きつけ上階から降りてきた者が完全装備で身構え、加えて間が悪いことに、依頼を終えた一党の面子が帰ってきたのだ。
己らが拠点に帰ってみれば、頭目たる店主を含めた全員が一人の女性を遠巻きに囲っている。 その内三人は完全装備で、だ。 事態は掴めずとも、危急であることに違いはない。 そう判断した彼等彼女等はめいめいに散らばり、見慣れぬ女性客を取り囲む。
ここまでの事をされて困惑はすれど、納得がいく者はいないだろう。
「……おい、人の話を」
それでも我慢強くそう切り出した女性客を、一党が無言で牽制する。 会話も、弁明もさせるものかと。 元より相手が魔に類する者であれば、紡ぐ言葉一つすら命取りになるのだから。
「…………………………」
深い、深い、何かを諦めたような、見切りをつけたような溜息を吐き、おもむろに脚を組み替える。
そこに至るまでの様子でようやく、あれ?何かおかしい、と。 人に仇成す魔族がこのような回りくどいことをするだろうか。 というかむしろ、この状況は逆にこっちが悪人である。 店主がそうと思い至った瞬間、手にした短槍を突き付けていた人族の青年が、
「そのまま大人しくしてもらおぶぇッ」
吹き飛んだ。
水平に。
古びた門扉を突き抜け、その先の垣根も突き抜け、柵を破壊し、二転三転、ごろごろと。
土塗れ草塗れになりながら、木の幹にぶつかり止まる。
尋常な光景ではなかった。
青年の腹部にそれは見事な蹴りを入れた下手人は、流石に我慢ならなかった女性客。
「…………いい加減にしろクソ共がぁ!!!!」
有り体に言えば、
「なんだこいつ!?くそっエギーがやられた!!」
「捕えろ!衛兵に突き出してぎゃあああ!?」
「指が!指がぁ!!」
「良いザマだな這いつくばれ蛆虫が!そのまま擦り潰す!!」
「あばあああ!?」
「ーーーーーーッ!」
「ーーーー!?」
「ーー、ー!」
……
…
。
喧噪のさなか、所在なく宙を彷徨う注文票。
そこに記されていたのは、日替わりの軽食と、冷たい飲み物。 果実をいくつか。
実に真っ当である。
まあつまり。 ありがちで、出遅れで、秘密兵器だった彼女は本当にたまたま、町で評判を聞いたから食事をしに来ただけだったのだ。
ク〇ン・マンサとか