「なんて??」
一党九人全員がそろって呆けた顔をする。 なんだか今聞き捨てならないことを聞いたような、と。 聞き間違いではないか?と
しかしその反応に対してフェイリアが無慈悲に告げる。
「私が魔王をぶちのめした時だ」
二回言いやがったこいつ。
「ぶちのめ……生きているのか!?アレが!?」
驚愕は当事者たるリーグレットのもの。 そんなはずがない。 嘘であってくれ。
何万何千という同胞が犠牲となり、多くの国、民族が滅んだあの戦争からまだ八年。
魔王、再び──。 などという人気の出た芝居に急遽作られた続編ものみたいな事態に対処できるほど、この世界の傷は癒えていない。
「安心しろ。 確かにあれは死んだ。 それは貴様らが誇っていい偉業だ。 生きている、というよりはその残り滓だろうな。 ──これは推測の話になるが」
その剣幕を受けたフェイリアは、落ち着いて話を聞け、と促すように茶器を手に取るとゆったりと腰かけなおす。 危急の事態ではない、ということなのだろう。 それを見てひとまずは安心したリーグレットがベッドに身体を預ける。 ぎしり、という音が鳴り響いた。
「魔王とやらはある日突如として現れた、それは間違いないな?」
場が落ち着いたのを見て取ってから、確認を取るような質問。 全員が頷く。
リーラなどはその当時生まれて間もない頃であったが、耳が取れるかというほどに聞かされてきた話である。
十五年前、空の狭間から突如湧いて出てきた巨大な宮殿。 一国の国土全てに影を落とすような馬鹿げた代物であったが、あんなもの建造されていれば世界から隠し通せるわけもなく、移動中に見つからないわけがない。 よしんば隠蔽に長ける魔法使いがいたとしても、千人が束になって隠せるのはせいぜいが1時間が限度である、というのが戦後研究における各国の研究院や機関の結論であった。
「ならば、どこか別の所から来たわけだ」
そう考えるのが道理である。 荒唐無稽ではあるが、どこぞで隠れ潜んで作ったものを飛ばす、というよりはまだ納得のできる話であった。 わからんもんはわからん、とぶん投げたとも言えるが。
「ああ、そうだと聞いている。 どこからかはさっぱり分からんがな。 少なくともこの世界ではない、というのが統一見解だと」
リーグレットが軽いため息を吐きながら応じる。 その声色は落ち着いているが、同時にやや投げやりな気配も漂わせていた。
「では魔物や残党共はなぜ帰らない?」
「なぜ……なぜなんだろうな。 戦争から八年経ったが、まだ八年とも言える。 分からんことが多すぎる」
唯一分かっていることは、魔物は魔王が出現する前から存在していたことのみ。 それが魔王の尖兵だったのか、利用されたのかはわからない。 ただ魔王に付き従っていた事からその軍と同質の敵性存在である、と見做された。
侵攻から十五年、終結から八年。 全てのことを知るには時間が足りな過ぎた。 犠牲者の把握、国土の復興、国境線の制定、条約の締結。 紛争の勃発。 その他もろもろ。 五十年かけて一割の問題が解決するかどうか、という見通しである。 なにしろこの比較的安定しているアストルムですら新興国という立場の弱さのために、海岸線の土地を欲する周辺国の脅威に晒されている。
取り急ぎ目立った脅威がなく、どこかに隠れ潜んでいる残党を探す戦力的な余力も、時間的猶予も、世界中のどこにもありはしなかった。
「帰る手段がないのか、そもそも帰るつもりがないのか、ですか?」
ラトリアの質問、というよりは思考の整理を兼ねた確認。 彼女はその役割上組合に出入りすることが多いが、組合でも残党の話が出ることはまずない。
そんなことに時間を使うくらいなら割れた石畳の補修が先だ、というのが目下の課題に対処する組合の性質であった。
「概ねその二つだろうな」
紅茶を飲みながらフェイリアがゆっくりと言葉を引き継ぐ。
帰る手段がない。 これはわかりやすく魔王の存在、あるいは宮殿がその移動の役割を担っていた場合。 帰るつもりがないのは、元居た世界が既に存在しないか、この世界に根を下ろすと決めたのか。
「私が目が覚めた時、あそこには瓦礫の山以外は何一つなかった」
失墜した宮殿は、魔王の最後の悪足掻きにより一帯そのものが廃土となった。 あらゆる生物の生存を拒む、ヴェルサス災地と呼ばれるようになったその土地には人間や動物はおろか、魔物すら生息しておらず、ゆえに後回しとされた。
それは八年経った今でも変わっておらず、一帯を観測できる位置にある山脈に設置された観測所からの定期連絡があるのみである。
その定期連絡も、例えば魔物の集団が一帯に入り、途端に姿を消した、などといういかにもなわかりやすい反応があれば話は違うのだが、迷い込んだ魔物が徘徊してそのまま息絶えた、というなんとも「まあでしょうね」となるものであった。
「宮殿やその周辺にいたはずの軍勢や魔物も悉くな。 魔王のカスと一緒に死に絶えたのならそれはそれで構わんが」
「カス」
もはや疑問形ですらない。 そういう人である、と全員が思い知っていた。
「私が同質であるというだけで迷惑を被っているんだ、カス以外の何がある」
魔王の威厳も何もない、フライパンにこびり付いた焦げカスのような扱いである。
「そのカスを有難がって縋りついてくる虫共、それが魔物だ。 それが本能なのか、何かしらの目的があるのかはわからん。 虫の考えなど知らん」
巣穴に運ぼうとするだけ虫のほうがマシだな、と彼女は続ける。
茶菓子をひとつ摘まんて口に、含み。 ゆっくりと咀嚼する。
考えをまとめるゆとりを与えるように、ふた呼吸置いてから話を続ける。
「先ほど推測といったが、魔王は確かに死んだ。 ならその霊魂は?精神は?何かしらがこの世界にまだ残っているんじゃないか?だから帰らないのではと、私はそう考えている」
「貴方の脚は……そうではないのですか?」
「最初はそうも考えた。 だがな、これは魔王が身に着けていた物と同質であって、魔王そのものではない」
──試しに里帰りした際に同じ材質の未加工の素材を見つけてな。 それを放って置いたらものの見事に集まってきた。 あれは滑稽だったぞ。
そうからからと笑いだすフェイリア。 里帰り、という単語について指摘する者はいない。
「霊魂か……確かに。 ありうる話ではある。 だが、雲をつかむような話ではないか」
「そうだ。 そもそもそんなものは存在しないし、魔王は完膚なきまでに消滅しているのかもしれん」
霊魂の存在を信じる者はいるが、証明できた者はいない。 死んだ者は生き返らないし、戻らない。 それは古今東西あらゆる宗教が「こうあるべき」「こうであったらいい」と考えているに過ぎない。
「だが、仮に存在すると仮定した場合。 それを探し出してぶちのめすのが私の旅の目的だ」
魔王という存在を今度こそこの世から消滅させる。 その残り香も含めて。
「そうすればこの煩わしさから解放されるかもしれん」
どこかに存在するものを見つけ出す、ではなく、
存在するか分からないものを、見つけ出す、でもなく。
存在するかも分からないものを見つけたら、解決するかもしれない。
途方もない話である。
「……気の長い話だ」
「旅なんてそんなものだ。 だがな、空飛ぶ宮殿がポンと湧いてくる、よりは信憑性があるだろう?」
そういって明朗に笑ってしまうものだから、一党は果てなき旅路の重さを心配するような声を出すことはできなかった。 同情も、憐れみもいらないとは彼女が何度も言っていたことだから。
「まあ旅は嫌いではない。 巡りたい場所もあるしな。 見つからなければそれはそれでいい。 平和で何よりだ」
誰も、何も言えなかった。
「さて、私は宿に戻る。 また明日の朝に顔を出すが、それでお別れだ」
そう言って、彼女は呑み終えた茶器をテーブルに置くと、ひらひらと手を振りながら、こちらを振り向くことなく出て行った。
ちなみに彼女が出て行った後。
「今更だけどなんであんな魔王を目の敵に……?」
「……彼女の性格がどう生まれたかはわからないが、まあ、文字通り身体を切った貼ったした相手を好ましく思うことはないんじゃないか?」
「あー」
「そりゃそうだ」
「同じことやり返してやりたいわな」
どっとはらい。
◇◆◇◆◇
街はずれの街道沿い。 つい先月、影騎士を踏みつぶした森のほど近くにその集団はいた。
数は十、二十、それ以上か。 全員が全員、清潔さとはかけ離れた、野蛮で、不揃いな格好をしている。
山賊。 二十七名。
それが、一人の村娘と対峙していた。
「嬢ちゃん、こんな夜中に危ねぇぞ。 家に帰ぇんな」
逃がす気、ではない。 叫ばれると面倒だから、安心させたフリをして後ろから射る。 そういうつもりであろう。
銀の祝杯団長が決闘で大怪我をした。 街を襲うなら今だ。 よそに先を取られるな、一番乗りは俺だ。
そんなところだろう。
決闘から二日。 考えの足りない盗賊崩れがやってくる頃合いであった。
「ハズレだったな」
「……ハズレってぇのは外に出歩いたことかい?」
振り返るでもなく、逃げ出すでもなく、叫ぶこともしない村娘に、頭目であろう大柄の男が問い返す。 なかなか肝の座った女だ、こういうのを組み敷くのも悪くない。 そういう下卑た考えを滲ませながら。
その様子を見ながら、山賊のうち、一人が頭目に耳打ちをする。 あの団長をやったのはこの女じゃないか、と。
それを聞いた頭目は、ますます笑みを深くする。
「こいつぁ運がいいな。 流れがきてる。 そんないい女が、無防備でやってくるたぁな」
頭目の目に映る彼女はただの村娘の装い。 どうにも魔法使いらしいが、その杖も、ローブも、魔導書も何も持っていない。 素手である。
ただ両脚に具足を嵌めているだけの小娘。 その程度の認識。
「あの厄介な影騎士を団長さんが倒してくれて。 その団長は大怪我で寝込んだ。 こりゃあ、やるしかねえよなぁ」
お預けの期間も長くなってきた。 配下も、自分も色々と溜まっている。 どこかを襲って、
「魔法が効かないんだって?すげえなあ。 でも矢ならどうなんだ?なぁ」
二十七の野盗のうち、十五が扇状に囲む。 手に握るのは不揃いの弓矢。 最初から命中率を期待していない、一本か二本でも当たればいい。 そうすればそのうち動かなくなる、そんな浅慮な戦術とも言えぬ考え。 どこで手に入れたのか、クロスボウを持つ者もいる。 しかし手に入れただけ。 構え方がまるでなっていない。 見よう見まねで持ってるだけ。
魔物と変わらない。 ただそこに弱った獲物がいるから喰らいつく。 それだけ。
浅い。 浅い。
考えていない。
団長が影騎士討伐で大怪我をした。 その弱みにつけこんで決闘に勝った魔法使いが調子に乗っている。
自分に都合の良い情報だけを拾い上げ、都合が良い方向に結び付ける。
「嬢ちゃんやわらかそうだもんなぁ。 よく刺さりそうだなぁ」
もうすでに、後のことを妄想しているのだろう。 不並びの歯の隙間からは色の悪い舌が見え、口唇からは涎を垂らす。 淀み、落ちくぼんだ目は、正気の様相ではなかった。
考えて、いない。
考えたつもりになっているだけだ。
「虫の群れかと思ったが、ウジの群れか、喋るウジとは珍しい」
「あ……?」
「博物館に寄贈してやろうか?」
そこまで言われて、ようやく自分達が馬鹿にされていることに気付いたのであろう。
頭目の顔が見る見るうちに赤くなる。 その反応すらも鈍い。
「やれぇ!!!」
号令の元、十五本の矢が放たれる。 角度も、速さもバラバラのそれ。 だがその精度の悪さが逆に幸いしてか、どこにどう刺さるかを読めない。 一歩下がって躱したところに、狙いの悪い矢が飛んでくるかもしれない。 しかし、彼女はその矢の群れをつまらなそうに見るだけ。
矢を防ぐことも、払い落すことも造作もない。 だが、この手の連中は多少派手に脅してやったほうがよく効く。
──魔力を汲み上げる。
ほんの少し。
そう、ほんの少しでいい。
朝、起き抜けに大甕から水を一口掬うような気軽さで。
広大な麦畑からひと房を摘み取るように。
裡より湧き出る無尽蔵の魔力という大河から、ひと掬い。
それを、脚に乗せ、振り放つ。
──四方から迫っていた十五本の矢は、ただそれだけで粉微塵となった。
余りに埒外の光景に山賊の動きが止まる。
なにが、おきた。
なにをした!アレは!!
彼らが気付くには遅すぎた。 目の前のアレが、人間とはまるで違う、別のモノであることに。
「阿呆どもが」
彼らが気付く、という思考に脳の働きを費やしたその瞬間に、彼我の距離は零となっていた。
あ、という驚きとも諦めとも、反射ともつかぬ言葉を最期に、先頭にいた頭目の頭がぱん、と弾け飛ぶ。 どちゃり、と倒れこむ巨体。
つい先ほどまで笑みを浮かべていた頭目の変わり果てた姿に、残りの山賊が恐慌に陥る。
統制を失った哀れな集団は、もはや形にもならぬ悲鳴を口々にしながら逃げ惑う。
「逃げれば追わん」
もはや聞こえているかすら定かではない。 ただ逃せば、口々に喧伝するだろう。 あの街には化け物がいると。 それでいい。
山賊は、とにかく邪魔な物はなにもかもを放り捨てて逃げ去っていった。
「まあ、怪我を負わせた責任くらいは取らんとな」