四方のうち西側を山脈、南側を海に囲まれ、残る北と東は大国家と国境を接する都市国家アストルム。
その西方地域に存在する街ラーム。この街には東西に貫くように大街道があるが、首都へと通じる東街道に比べて山脈側の西街道は道幅もそれほどではなく、設備も整ってはいなかった。それでも半月前の影騎士討伐により物流が回復し、多くの行商人や荷馬車、旅人などが行き交っている。時刻は朝の七時ごろ、天候にも恵まれたためか、目端の利く者などは早々に露店を出して通行人相手に商売を行っていた。
冒険者の一党などは気合いを入れるために鬨の声を上げ、それを聞いた荷馬車の馬が動揺し慌てた御者がたちまちに抑える。隊商から怒鳴られた一党は申し訳なさげに頭を下げ、逃げるように立ち去る。その姿を通行人が笑いの種にする。
そのような晴々とした活気で賑わう中、二人組の女性が道の端ほどを歩いていた。コツコツと石畳を鳴らして歩く、赤髪黒衣の女性。毛先がろうそくのように光を透かす赤髪が腰まで伸びている。前方を見つめるこがね色の瞳は陽光が眩しいのか、あるいは機嫌を損ねることでもあったのか鋭く細められている。両脚には具足を付けているのか、歩く度にカシンカシンと金属の擦れ合う甲高い音が聞こえてくる。
その数歩後ろをとことことついて歩くのは背の中ほどまで伸びた銀髪を三つ編みに結ったエルフの少女。何か話し掛けたいのだがきっかけが掴めずにいるその翡翠色の瞳には不安の色が滲んでいる。
なにかしら訳アリの主従であろう、と事情を知らない人々はあたりを付ける。
知っている者達は「ああ……あの人か」と納得し、そそくさと距離を取る。
「さて、実に面倒くさいことに不承不承ながら貴様を預かることになったわけだが」
発言の主は赤髪の女性。整った長髪の頭をガジガジと掻きながら後ろにいる少女を半目で睨みつける。目を細めていたのは眩しいのではなく機嫌が悪いからであった。
やっぱりな、と察した人々は更に距離を置く。もう扱いが危険物のそれである。
ついさきほど、少女が所属している『銀の祝杯』一党と別れるまでは一応それなりに和やかな空気だったというのに、街から出た途端にこれであった。
「そこまで露骨に嫌がらなくても……」
「誰が子守りなど好き好んでやるか。私は押し付けられただけだ」
「ええ……い、一応、54ですけど……」
流石に子供呼ばわりされるとは思っていなかった少女が抗議の声をあげる。通常の人間より遥かに長寿のエルフといえど、54ともなれば流石に子供は卒業している、と。
もっともその語気の強さは非常にささやかなものであるが。
「心の在り方を言っている。年齢以外に示すものがないなら貴様は子供だ。私の2倍以上の歳でなんだそのザマは」
「……お、お姉ちゃんですよ〜?」
「…………………」
「あっ」と言葉を発したのは果たして誰だったのか。少女か、または見守っていた周囲か。どちらにせよ少女がやらかしてしまったことを自覚した時点で既に手遅れ。あちゃーと言わんばかりに天を見上げる周囲を他所に、凄まじい重圧を放ちながら女性が近寄ってくる。後ずさりして逃げようにも脚が竦んで動けない。謝罪の言葉を口にするよりも前に、無言で近付いた彼女はその頭をむんずと掴み上げる。いかなる膂力をしているのか、片手で人一人が持ち上がる。締め上げられた頭部からはメキメキと何か硬いものが軋むような非常にイヤな音が出ていた。
「おぐああああああああああああ!!!!ふぐぉおおおおお!!!!」
実に残念な発音で響き渡る野太い絶叫。エルフという種族にふわっとした幻想を抱く若者に聞かせたら一発で幻滅するに違いない。
「なんだ生意気なことに痛覚はあるのか。藁でも詰まっているのかと思ったぞ」
しかしそんな目の前で苦しむ少女の叫びを無視して平然と締め上げ続ける女。ここまでくれば彼女を知らない外部からの人もなんだなんだと目をやるが、その様子を見ては関わってはろくなことにならないと判断し、見て見ぬふりをしてそのまま通り過ぎる。実に賢明な判断である。
「うぎぃああぃあああうぇあああああああああ!!ってなんが……光っで……!?」
さらに強くなる拷問。完全に脚が地面を離れた。しかも少女の勘違いでなければぼんやりと手が光っている。かの団長が魔法で空砲を放ったときと同じように。
「こうして魔力を流し込むとどうなると思う?」
どうなるかは、少女にはわからない。もはや考える力もない。でも絶対にろくでもないことになる。それだけは確信があった。
「は、はば、はなじでーーー!!」
「言葉遣いがなってないなぁ?」
「ばなじでくださいもうしあけありませんへしらぁ!!」
その言葉でようやく許してもらえたのか、べしゃり、という落下音と共にべそべそと泣きながらへたり込む少女。もう目やら鼻やら口やらから色んな汁が出ていた。平素であれば美少女に分類される姿が台無しである。ついでにちょっと下からも出かけた。
「二度とたわけたことを抜かすな」
女性──フェイリアの目はマジである。これはもう一回やったら頭が割れるやつだ、と。物理的に。くしゃっと。
「はい……すみませんでした……。あの、なんか昨日より対応が厳しいような……?」
団長が寝込んでいる間のチキチキドンドン愚痴大会でそれなりに仲良くなれたと思っていたのに、なんだか一番最初の出会いより対応が雑になっている気がする少女──ラティ。これ着いていく判断間違えたかな……とすでに絶賛後悔中。団長の口車にうまいこと乗せられてしまった。なお別れてからまだ五分も経っていない。
「甘えるな。私だって外向けで使い分けはする」
「あれで!?あれで!?!?」
ズガァーンッ!!と効果音が走るような、ラティにとって衝撃の事実が発覚。なんとあれだけ好き勝手に振る舞っておきながら本人にとってはそれなりに抑えていたほうらしい。
店での乱痴気騒ぎも、影騎士討伐も、団長との決闘も、それ以外のなんやかんやも、あれで!?と。
なおラティは預かり知らないことではあるが、決闘前日の組合受付嬢に対する態度は本当に今の姿からは信じがたいほど柔らかいものであったため、フェイリアとしては驚かれるのは心外である。
もっともその受付嬢も今のラティと同じ立場になれば同じ扱いをされてしまうわけだが。
ともかく、昨日までは所詮は他人。今日からは小間使いとはいえ仮にも身内。ならば甘やかされるようなことは期待するな、と。
フェイリアの主張はそのようなものであった。
身内だからこそ甘くなるのでは?という抗議は受け付けていない。
窓口営業時間外である。再開は未定。
「まあ、預かったからにはそれなりに鍛えてやる」
「よ、よろしくお願いします」
「使い物にならなければ捨てる」
「よろしくお願いします!!」
後悔の気持ちがないとは言わないが、それはそれとしてラティは必死である。旅に出たその日の昼に帰還などというみっともないことにはなりたくない。そんなことになってしまったら街に居場所がなくなる。例え一党の仲間が受けれいてくれようとも周囲から苦笑いの目で見られるのは避けられない。生まれの故郷も既にないというのに!
余談ではあるが、一党がわざとらしいほどに朗らかに見送ったのはリーグレットの仕込みである。曰く、「ラティなら気付かないし、こうしてやったほうが逃げ帰り難いだろう?」と。コイツ本当に性格悪いな……とフェイリアが軽く引いたほどである。仮にも恩人の遺児に対してやることではない。そこで同情するわけでもなく、なら遠慮なく使い潰してやるか、と考えるフェイリアも大概であるが。
「見て覚えろ、などとは言わん。そんな非効率極まりないことをするのは時間の無駄だ。1つ見る暇があるなら10聞け。わかったな?」
「はい!!」
「聞けば答えてやる。私の知る範囲でだがな。その代わり私が聞けば答えろ。わからんならわからんで構わん。最低限それさえ守ればいい」
「はい!!!!」
「五月蝿い」
「すみません……」
怒られた。ついでに舌打ち。
しかし、突き放すだけではなく指導方針を伝えるのは彼女なりの義理なのだろう。
ただ厳しいだけではない合理性がその言葉には垣間見えていた。
元よりその人生のほとんどを放浪の旅に費やしてきた彼女である。決して他人を教導した経験が豊富にあるわけではない。この二人旅もいつまで続くかもわからない。
であるならば、体当たり的でもいいから気になったことはさっさと教えを乞え、というのが彼女の考えた彼女なりのスタイルであった。
まず何よりも彼女自身が即断即決を規範としているため、後ろでこそこそと様子を伺われるというのを嫌うというのも非常に大きい。もしラティがそんなことをすれば言葉より先に蹴飛ばされてしまうだろう。
「それで、その……これからどちらへ?」
おずおずと目的を尋ねるラティ。聞けと言われたからにはまず何でもいいから質問を、と考え出てきたのが目的地であった。それすら知らずに付いてきたのか自分……と勝手に落ち込んでいたりもする。
そんな駄エルフの様子を無視してフェイリアは淡々と質問に答える。
「西のマルムス山脈を越えて最終的にはストラハ修道院を目指す。山脈を越えた先のエルメンテ辺境領で物資の補給と休息はとるが、それまでは基本野宿だ。何か質問はあるか」
打てば響く、と言うように明朗かつ明解な答えが返ってくる。
「えと……修道院、ですか?」
「まるで私に信心があるのが意外と言いたいようなツラだな貴様」
ストラハ修道院。このアストルムを含む大多数の国家が所属する中央大陸。その西端に位置する修道院である。大陸がまさに焦土そのものと化した十五年前の大戦争、その過程で多くの聖堂や寺院が宗教・宗派に関わらず平等に焼け落ちたが、ストラハだけは最西端という位置が幸いしてか戦火に吞まれずにその威光を保っていた。
以来、その地はあらゆる宗教を拒まず戦争の犠牲になった者たちの慰霊地として全世界から人が集まる大霊地となっている。
そのような実にありがたい土地であるが、フェイリアが宗教に関心があるとは思えなかったゆえの反応であった。
「まあ、はい。もし魔王の魂を探すなら、もっと違うところかなって」
「修道院にカスの魂があったら笑い話以下だがな。実際、私には礼拝などクソほどどうでもいい。修道院に行くのは頼まれごとを果たすために過ぎん」
「頼まれごと、ですか?」
「そうだ」
一体、どんな立場の人物であれば彼女に大遠征を頼むことができるのだろう、と大変失礼なことを考えるラティ。気になるが、それを教えてくれる様子ではなかった。
「分かったらさっさと行くぞ。今日中に山脈に入るが、経験は?」
「採集系の依頼で何度かはあります。単独ではないですけど……」
ラームからストラハ修道院へ直線的に向かうには、間に横たわるマルムス山脈を越えねばならない。マルムス山脈は高低差が激しく、植生の変化に富むのでラティ達『銀の一党』は希少素材の採取依頼で幾度か赴いていた。
途中幾つかの集落は点在するが、宿などは望めない。
魔物も多く生息するため、巡礼を目的とする者はよほどの傾奇者か冒険者でもなければ山脈を南に大きく迂回して行くというのが常道であった。
比較的安全とされるそのルートを辿るには多くの大都市を経由することとなる。それは当然、なんの問題もない者であれば大きな利点となるのだが、ことフェイリアに限ってはそっくり反転する。それゆえの山脈越えとなっていた。
「ふむ……」
ラティの返答を聞きながら、フェイリアは少しばかり思考する。
現在地からエルメンテ辺境領までの行程、出現する魔物、自然環境。
それらを考慮して、ラティに課すハードルの内容を決める。
甘やかすつもりはないが、くたばられても少し困る。
手助けは、まあ、ほどほどに。最低限。ちょっとだけ。
ややあって、よし、と呟くとラティに対して死の宣告を告げた。
「辺境領までの間、魔物と遭遇したら全て貴様が対処しろ」
「……………え、ええ!?」
告げられた言葉が一瞬理解できなかったラティの反応が遅れる。
いま、この人は、なんと言いましたか?と
全身から冷や汗がドバッと吹き出る。
さっき色んな物が出たのにまだ余力があったのかと己の保水量に余計な感心をする。
現実逃避とも言えた。
「なに、あの辺りで出る魔物はそう手強いものでもない。貴様で十分倒せるはずだ」
「そ、それは……そうですけど……!!」
確かに、それはそうである、と少女は考える。
どの魔物が出るか、どのような攻撃をしてくるか、弱点は何か。
それらは団長から聞かされていたし、実際に討伐したこともある。
一体どころか、二体、三体と相手をしたこともある。
だがそれは、一党という信頼できる仲間達が周囲にいたからこそだ。
一人でやれ、と言われて上手く捌ける自信はなかった。
「出来ないなら帰れ」
「やらせていただきます」
無慈悲。即答。
断る余地など最初からなかった。
「なに、死にそうになれば助けてやる。命の心配はするな」
「ええー……」
呆れとも、諦めともつかぬ声。
つまりそれ以外で手助けはしないという意味では?と。
「命の保障があることほどの安心材料が他にあるか?欲張りな奴め」
「それは、まあ、そうですけど」
「納得したなら進め。貴様の団長のせいでいらん足止めを食ったんだ。さっそと行くぞ」
「はい……」
こうして女性と少女、二人だけの山越えが始まった。