更に幾日かの旅程を経て、辺境領まで残り3日の位置まで来たところ。 二人は魔物と遭遇することもぱったりとなくなり、この日も戦闘らしい戦闘が発生することもなく野営地で夕食を摂っていた。 内容は野兎の串焼きと、煮沸した水で香草を煮出したもの。
「魔物と動物の違いってなんでしょうね」
串焼き肉を頬張りながら呟いたのはラティ。 質問というよりは、独り言のような。
魔物も、獣も。 どちらも同じように生き、同じように暮らす。 そこに明確な違いがあるようには思えなかったことからの発言だ。
「肉が不味い」
食べ終えた鉄串を焚火の火で炙り、こびり付いた滓をこそぎ落としながらざっくりと返すフェイリア。 実にどうでもいい。 まさにそう言いたげな態度である。
「……あの」
「冗談だ。 笑え」
「えぇ…うぇへへ……」
「気色悪い笑い方をするな」
「ひどっ! ひどくない!?」
無茶振りに応えたらこれである。
「魔物と獣の違いはいくつかあるが」
「無視!?」
「代表的なことは貴様も経験しただろう」
「えっ、えーーー、人間を襲う?」
「違う。 魔物ではない野生動物に襲われるなど珍しくもない」
それこそ農村部や、あるいは山岳地帯なので腹を空かせた動物が人里を襲った、などという話はどこにでもありうる話である。 畑の防柵など、生死を賭けた獣に対してはあってなきが如し物。 あるいは功名心に駆られた者が、獣狩りと称して返り討ちにあうなど。
「……魔力を持っている?」
「違う。 量の多寡こそあれ魔力は全ての生物が有している」
一般的に魔物と呼ばれる者たちは総じて魔力の保有量が多い。 しかしそれは比較的であり、保有量が多いから魔物と呼ばれているわけでもない。 それならばエルフなど、魔法を使える者はそれだけで魔族と呼ばれてしまうことになる。 あるいは、遥か太古の時代ならばそう扱われることもあったのかもしれないが。
「…………毒がある!!」
「……今後貴様の食事は生肉だけだ」
「やだーーーーーー!!」
毒は関係ない。
「……あのバカはこんなことすら教えていないのか」
フェイリアが少女の戦い方を見る限り、それぞれの魔物の特徴や弱点は把握しているように思えた。 しかし、それ以上でも以下でもない。 確かにラーム周辺で過ごすならば十分かもしれないが、齢50を超えるエルフに対していささか過保護に思えた。 あるいは、それを学ぶだけの器量がないのか。 フェイリアは、せめて前者だと思いたかった。
「貴様が角兎と喧嘩しているとき、大鷲から不意打ちを受けただろう。 あれは偶然ではない」
「てことは……?」
ラティは角兎との戦闘中、突撃を警戒していた瞬間に上空から奇襲を受けていた。 影が落ちたことにより気付いたが、あと少し反応が遅れれば、あるいは大怪我を負っていたかもしれない。
「獣同士であれば互いに一つの獲物を捕ろうとした場合、通常は奪い合いとなる。 それは当然だ。 自己の生存が懸かっている」
獣に限らず、ほぼ全ての生物がそうである。 例え同族であっても、一つの食料を巡って殺し合いにまで発展するのが生物である。 例外的に人間が狩猟のパートナーとして犬や猛禽を使役することはあるが、それは長年の教育を経て獣側にも利益があると教え込ませた結果である。
「しかし、魔物は逆だ。 異種間での連携。 標的を殺す為なら即座に連動して動いてくる。 それが獣と魔物の最大の違いだ」
獣でも、虫でも、鳥でもなく。 『魔物』と呼ばれる者たち。 それはひとたび獲物と定めた対象を殺す為ならば、例え初対面であろうと連携を組み、襲い掛かる。 その類まれなる殺意の高さこそが魔物と呼ばれる最大の所以であった。
「一つの魔物と対峙しているとき、思わぬところで急襲を受けることもある。 相手が一種だと思い込み油断するな」
その忠告は、今までにフェイリアがラティに対して語ったどんなことよりも真剣さに満ちていた。
◇◆◇◆◇
「なんなの……この匂い……」
あくる日。 移動を再開させた二人ではあるが、前方より漂ってきた強烈な腐敗臭によりその歩みを止めることとなる。
「これは、死臭だ」
「えっ」
「それも一つや二つではない。 集落がやられたな」
集落。 つまり、死臭の発生源とは、人間。
「やられたって……」
「行けばわかる」
臭いをまるで気にすることなく移動を再開するフェイリア。 そんな彼女に対して、ラティは行きたくないけれど、行かないわけにもいかないと、後ろめたい気持ちを抱えながらついていく。
どうか、せめてマシな状況でありますように、と願いながら。
しかし。
「魔物に襲われたな。 ひと月は経っている」
「ひどい……」
二人が見つけたかつて集落だったその場所は、凄惨の一言では言い表せない有様であった。
民家という民家は焼け落ち、畜舎は破壊され、いかなる高熱に晒されたのか、鉄製の門扉などは溶け崩れ原型を失っていた。
そして原型を失っているのは何も民家ばかりでなく、人間も。
地面に横たわる、おそらく壮年の男性であろう、その人物は。
腹部があった場所に刺された、胴よりも太い杭によって身体が二つにと別れていた。
男性だけではない。 もはや年齢も、性別すらもわからなくなった遺体が、同様にして集落のあちこちに地に縫い留められていた。
「数が少ない。 他は食われたか」
集落の規模からして暮らしていたであろう人数に対して、見つかった遺体の数からそう当たりをつけたフェイリアが呟く。 逃げたとは、判断しない。
残された遺体の位置が、逃げ場などなかったことを暗示していたからだ。
「生き残りはいないようだな」
その余りにも普段と変わらない冷徹な姿に、この惨状を見て何か思うところはないのかと、ラティが眉根を寄せる。 フェイリアからすればこんなものは見飽きた、とでも言うのだろうが、いまだに慣れないラティにとっては、胃からの逆流物を我慢するので精一杯であった。
「待ってください……物音……あちらから」
その嫌な感覚から気を紛らせるために、せめて何か好材料はないかと地に耳を当てて聞き探す。 その鋭敏な耳が捉えたのは、微かな物音。 ラティをして、集中しなければ聞き分けられないような微かな音であった。 その音の正体は、話し声。
「ふん? なるほど、教会か」
その指し示す先には、他の建物と比べてまだ原型を留めている、レンガ造りの教会がそびえたっていた。
鉄柵で囲われた教会の敷地内、その入口の分厚い木製扉の向こう側、前室と礼拝堂を隔てる
内扉の前に一人の偉丈夫が座っていた。
「おうおう、天の使えが迎えに来たかと思ったが、どうやら魔の者じゃったか」
日に焼けた褐色の肌。 短く刈り揃えられた、白と黒が六対四で交じり合う頭髪。 後ろ髪だけは伸ばされ、一括りにされている。 頭髪と同色の豊かな顎鬚はいくつもの房に分けられ、それぞれが宝石の付いた飾り紐で結われている。 全身を血の滲む法衣で包むその男は気安い言葉遣いに反して、落ちくぼんだ眼窩から覗く猛獣のような青色い眼がフェイリアのことを鋭くねめつけていた。
「ドワーフか」
人間に換算して60歳は超えるであろう、壮年のドワーフであった。
「如何にも。 そっちはエルフと……人間、か……? お前さん、随分とけったいな空気を纏っておるな」
「いらん世話だ。 生き残りは貴様だけか?」
「うーん、ちと違うな。 わしゃたまさか立ち寄っただけじゃ」
「ふぅん?」
世間話のような、気軽な会話。 しかし警戒は解いていないのだろう。 男は肩に掛けた戦棍からは片時も手を離さない。 下半身からも力を抜かず、いつでも立ち上がれる態勢である。
「表の惨状、見たじゃろう。 あまりに無残でな、見てられんと供養してやったらそれがやっこさん気に食わんかったらしい」
「なるほど、あれは境界標か」
「境界標?」
耳馴染みのない言葉に、ラティが問う。
「縄張りの主張だな。 獲物の死体に杭を打ち込むことでここは自分の領域だと強弁する。 巨人型の魔物に見られる習性だ」
「お前さん詳しいのぅ。 それが正解じゃろうな。 相手は『
「キュクロープス!」
──キュクロープス。 ギガース族とも呼ばれる巨人型の魔物の一種。 頭部中央にに巨大な単眼を有し、巨躯と怪力で人間を襲う。 一説には雷を操るともされる強大な魔物。
「さすがに人間の胴が別れるほどの巨大な杭は見たことがないが。 随分とでかいな。 4mはあるか?」
「ああ、そんくらいじゃな。 民家の屋根ほどはある」
「でも集落の中にはそんな大きいの見なかったけど……」
何かと抜けがちなラティといえど、流石にそんなデカブツを見逃すはずがない。 足音一つでも響けば分かるはずである。
「ああ、それはな、森の中に潜んでおる。 今は寝とるかもしれんが」
「それで? 貴様はこんなところで何をしている? 魔の者とやらと仲良くおしゃべりしていいのか?」
「ええい矢継ぎ早に話すでないわい。 そうさなぁ、まずお前さん、ラームの街で戦ったという奴じゃろう。 噂で聞いたその容姿、間違いあるまい。 ならばいたずらに喧嘩を売るわけにもいくまい」
「……あのバカのやらかしも多少は役に立ったか」
「そして何をしているか、これはな、そのキュクロープスに目を付けられてここから動けん。 どういうわけか教会には手を出してこんのじゃが……」
教会の敷地から身を出した瞬間、どこからともなくキュクロープスが現れ、たちまちに逃げ帰る状況であるという。
「縄張りを荒らした不埒者というわけか。 貴様、キュクロープスから逃げられんほど鈍間か? 不具でもないだろう」
キュクロープスは、決して敏捷性に秀でる魔物ではない。 巨躯ゆえに足取りは重く、歩幅こそ人間を優越するが、それだけ。 全力で走るならば女性であっても逃げ切ることは不可能ではない。
「ノロマじゃないわ! 口悪いなお前さん!! 一体なら撒けるが、五体となるとちと厳しくてな」
「五匹!? キュクロープスの群れなんて、聞いたことない!!」
「たまたま、か。 あるいは統率者でもいるのか」
「統率者って……?」
「知らん。 魔物のことなどどうでもいい」
そう話すフェイリアは、雨が凌げるならここでいいか、と教会を野営地にする算段をつけていた。 どこまでもマイペースな女である。
そんな彼女を、ドワーフの男は胡乱げな眼で見つめながら話を続ける。 どうにも感じる雰囲気ほど悪人ではないが、それはそれとしてよくわからん奴だ、と思いながら。
「それとな、ワシ一人ならまだやりようはあるんじゃが」
戦棍を抱える腕とは反対側の拳で、背にした内扉を数回叩く。 ゴン、ゴン、ゴゴン、と。
拍子の整った音。 合図である。
しばらくして、ゴトン、と閂が外れる音が礼拝堂より響き、木と鉄が軋み合う重厚な音を立てながら内扉が開いた。 わずかに開かれた隙間から覗くのは、小さな顔が四つ。
「出てきていいぞ。 人じゃ」
「だれ……?」
「おとうさん、じゃない」
「しらないひと。 おじさん、この人たちは?」
子供であった。 上は7歳から下は4歳まで、四人。 男児と女児が二人ずつ。
顔つきはバラバラである。 兄妹ではない。
キュクロープスに襲われた住民が、とにかく子供だけでも、と一番頑丈な建物である教会に逃げ込ませたのであろう。
他の住民がどうなったかは、言うまでもない。
「ワシもよう知らん。 じゃが、悪人ではない」
「生き残りの子供か」
「親御が教会に匿ったようでな、見つけてしまったからには、そりゃぁ、見捨てるわけにもいかんじゃろ」
「ふん、身に余る荷物を抱えて死ぬつもりか。 ドワーフはもっと堅実な種族だと思っていたが」
「ワシは旅の僧正をやっておる。 みなしごを放り捨てるのは道義にもとる」
そう言われればなるほど、僧正を名乗るドワーフの旅装は聖職者のそれと似通ったものであった。
「まあ、勝手にすればいい。 ここを一晩借りるぞ」
「そりゃ、ワシのもんでもないから構わんが……」
生き残りの子供を見てもなお平坦な反応のフェイリア。 彼女は前室の壁に背を預けると、そのままなんでもないことのようにラティに体を休めるように告げる。
「明朝には出立する。 寝ておけ」
「明日って……フェイリアさん!? この人たちは!」
その言葉を受けたラティが怒りを露に激高する。 まさか、と。 なんの手立てもなしに明日を迎えるならば、どうするのか、と。
「私には関係ない」
「それは、そうですけど……見捨てるんですか!?」
しかしその怒りも彼女を動かすには足らない。
「あのガキ共の目を見たか? あれはとうに諦めた色だ。 そんな奴らなど知らん」
むしろ、怒りを抱いているのは彼女の方であった。
自ら生きようとしない者を気に掛ける必要などない、と。
しかし子供たちを責めるのも酷であろう。 教会内には、身を清める為の井戸もある。 緊急の避難所としてある程度食料の備蓄もある。 それでも、ひと月も閉じ込められれば幼子といえど外がどうなったかは察して余りある。 ドワーフの男がたまたま立ち寄らなければ、既に子供たちもその命を落としていたであろう。
「そんな……もっといいひとだと思ってました」
「は、いいひとか。 随分とめでたい頭だ。 蹴られ足りなかったか?」
「私は残ります!!」
だが、それでもラティには納得いかない。 フェイリアが立ち去るとしても、自分だけでも残って手助けをするつもりである、と。
「で? 貴様がキュクロープスに勝てるわけがないだろう」
「それでも……なんとかします!!」
「話にならん。 まあ、勝手にしろ。 元より貴様は私の従者でもなんでもない」
「そうさせてもらいます! 今までありがとうございましたァ!!」
そう絶縁宣言をしたラティはずかずかと礼拝堂に入っていく。 しばらくして微かな歓声が聞こえてきたことから察するに、食料を配っているのだろう。
「最後までやかましいヤツだ」
「なんじゃ、仲間割れか?」
「仲間でもなんでもない。 ただの付属品だ。 いらなければ捨てるだけだ」
「お前さん冷たいのぅ」
「あちらから離れてくれて手間が省けたくらいだ。 で、貴様はどうするつもりだ? このまま朽ち果てる気か?」
「そうはなりたくないの。 まあ、あの嬢ちゃんが手伝ってくれるなら、まだいくらか望みはある。 お前さんがいてくれたら更に楽なんじゃが」
「私には関係ない」
「へーへー」
夜が、更ける。