──さて、大見栄を切ったはいいがどうする?
リーグレットは思考する。
初手は向こうから。
ならば、次はこちらから。
それが礼儀だろう。
見せ札もある。 切り札も、ある。
が、札を切る前にもう少し足掻いてみよう、と決断する。
それを待つように、フェイリアは腕組みをしたまま仁王立ちしていた。
腕試し、と言ったからだろう。
こちらの攻め手を、敢えて受けてやろうと。 そういう気構えを感じられた。
──本当に律儀だな、君は。
その堂々とした立ち姿に、ほんのりと笑みを浮かべ、構える。
借りを返すと宣言したのに、いつの間にか胸を借りる立場になってしまっている。
立ち位置が、逆転していた。
速さは捨てる。
全速で動いたところで、どうせ届かない。
なら、打撃に乗せる程度の速さがあれば十分。
戦鎚も遅い。 長年連れ添った相棒だが、仕方ないと地に置く。
フェイリアの脚は硬い。 だが、脚だけだ。 そう判断して距離を詰める。
ゆっくりと、歩くように。 まるで道端で偶然出会った友人に握手を求めるように。
そうしてゆるりと近付いて、拳を振りかぶる。
殴打。 人体が持つ、原初の攻撃方法。
「シッ」
ごきん、と鈍い音。 当然、防がれる。 それでいい。
フェイリアの脚は速い。 だが、立ち技である以上は、使えるのは片足だけだ。 上下左右から、ひたすらに打ち込む。 一撃の重さよりも手数。
しかし、その両手の連撃が、片足に捌かれる。 奇妙な笑いがこみ上げてくる。
──だからなんだその速さは!
それでも、じわり、じわりと近付く。
すぅ、と空気を取り込む。 さらなる連打。
仮に大木の幹に打ち込んだら、達人の扱う大鋸よりも速く、えぐり倒してしまうだろう。
それを捌くフェイリアからは反撃がこない。
これは、試されているのだろう。
さきほど硬さは見た。 では鋭さはどうか、と。
硬いだけのなまくらか、鋭さを兼ねた名剣か。
更に、さらに攻防の密度を上げる。 最初は鍛冶場で鉄を叩くような音だったものが、鐘楼の鐘を鳴らすような音になり、やがて野砲さながらの轟音が辺りに響き渡る。
フェイリアの防御が、切り替わる。 脚から、腕へ。
途端、空気がはじけるような乾いた音。
鎧越しに繰り出す拳突きが、白磁のようなやわらかな肉肌を捉える。
目論見通り、硬くはない。 確かに人体と同じだ。
しかし、いかなる技術を用いているのか、受け流される。
致命打にならない。
鋼鉄の籠手による連撃が、素手の防御を突破できない。
さらに、ぐん、と近付く。 腕の間合いよりも内に。
密着状態とも言える位置。 互いの額が触れ合うほどの近さ。
「ぬん!」
鋼板の胸当てを活かした、体当たり。 フェイリアの唇がわずかに歪む。
わずかに開いた隙間。 そこに左の拳撃を打ち込む。
ばしん、と破裂音。 フェイリアが拳を掴み取った。
「破廉恥な奴め」
フッとわずかな呼気。 それだけで、篭手に包まれた拳がみしりと軋む。
見た目の変化はない。 やわらかな、まさしく乙女のような指だ。 それが、篭手に食い込む。
さらに空いた左手で殴りこんでくる。 金属鎧の上から、躊躇なく。
それをこちらの番だと、つかむ。 互いが、互いの手を取り合う。 まるで舞踏会のように。
ぎちり、みしり、と互いの拳が鳴る。
「いやはや、なにもかも予想の上を行くな、君は」
「それで?諦めるか?」
「……それは、少し勿体ないな」
「ならどうする?」
問答。 やはり試されている。
「……そうだな。 出し惜しみはやめよう」
──『私は7年前に目覚めたその時からこの身体だ。 ならばこれは私の物で、私以外の誰の物でもない』
腕試しをしたい、というのは確かに本音だった。
騎士を倒すために生まれたという彼女に、どこまで自分の力が通じるのか。
そのために、調査の傍らで
──『それと先んじて言うがな、憐れんでくれるなよ』
だが、やはりそれ以上に。
──『そういうのは聞き飽きた。 謝罪もだ』
憐みでも、同情でもない。
生まれに囚われないその在り方が、あまりにも眩いものであったから。
人間から生まれたわけでも、人間として生まれたわけでもない身体。
それでいて、あまりにもまっとうなその心根が脳に焼き付いて。
ほんの少しだけ、手助けをしたくなってしまったのだ。
強引だとは思う。 迷惑だとも思う。
でも、こうでもしなければ彼女は受け取ってくれないだろうから。
全力で、挑むことにしたのだ。
リーグレットが組み合ったままの腕に全霊で力を込める。 めり、めりと筋肉が膨張する。
鎧を内側から突き破るほどの勢いで、ぶくりと膨らむ。
「ぉ──」
リーグレットの身体が赤く染まる。 全身の筋肉が炎症を起こす。
触れれば痛みを感じるほどの熱を伴う。
地を砕く音がする。 それが踏み込みにより起きた音だと、周囲が気付く前に。
フェイリアの脚が、ふわりと浮く。
「おお──」
浮かせたまま、踏み込んだ脚を軸に、ひねりを加える。 半回転。 一回転。
ぐるん、ぎゅるん、と回る。
人間が、人間を掴んだままに、回る。
遠心力という横方向の力を、無理矢理に踏み込んだ脚でこらえ、溜める。
「おぉぉおお!!!」
リーグレットの上体が反り返る。 それに伴いフェイリアの身体が上向く。
喉を裂くような咆哮。 まるで石の投擲のように、人の体が空を飛んだ。
「ハッ、馬鹿力め!!」
フェイリアが笑う。 その顔にはやればできるじゃないか、という笑みが浮かんでいた。
城壁どころか、側防塔の上にすら届くのではないか。 そんな高さに舞い上がる。
それを見据えたリーグレットが腰だめに構える。
その腕先に、微かな光が灯っていた。
「……魔法か!」
──”騎士”はエルフから魔法を授けられている。
それまでは、群衆を気にして使えなかったのだろう。 上空目掛けてなら、遠慮なく放てる。
リーグレットの持つ属性魔法は”風”。 本来ならば掴めないはずの風が、濃密に圧縮され物理的な強度を持つ不可視の砲弾となる。
「『空砲』」
腕を突き出す形で、放つ。
タメと動作の大きさゆえに多用はできない。 しかし、その威力は射石砲を優に凌ぐものであった。
フェイリアが空中で態勢を整える。 迫る砲弾は見えない。 見えないが、そこに存在はする。
もしも当たれば、只人などはぐちゃぐちゃになってしまうだろう一撃。 人間を、人間のような、人間だった物に変える一撃。
何もないはずの空間で、爆発音だけが響いた。
「まだ甘い!」
ぐちゃぐちゃになっていただろう。 相手が、人間であったなら。
空中で振り抜いたその脚が、不可視の砲弾を破裂させていた。
「だろうさ!!」
自慢の一撃である。 しかし、単発ならたやすく防ぐだろうことは予測していた。
それゆえに結果を見ることなく魔力を溜めていた。
さらなる砲撃。 威力を落とすことのない三連射。
人間どころか、巨獣でも、たとえ城壁相手でも打ち崩す砲撃。
「いいぞ」
フェイリアがまた笑う。
一発、右足で払われる。 二発、左足で落とされる。 三発、腕で弾かれた。
──弾いた!?素手で!?
今度は流石にリーグレットが驚愕する。
並みのオーガ程度ならその隊列もろともに吹き飛ばす自信のある技だ。
それを脚ならまだ理解できるが、なんと素手で弾かれた。
──違う!無効化したのか!!
不可視とはいえ、自身の放った魔力だ。 ならば、それがどう霧散したかも感知できる。
脚と腕では、消え方が違った。
「これも言ったな!寄せ集めだとな!!」
「……そういう意味か!!」
「やはり察しだけはいいな!褒めてやろう!」
確かに彼女は言っていた。
『──魔法が使える者を片っ端から収集し、腑分け、練り混ぜ、繋ぎ合わせる』
なにがしかの魔法が使えるだろうとは思っていた。
しかし今まで使うことも、その素振りすらもなかった。 ならその魔力で肉体か、義肢の強化でもしているのかと思っていた。
金属鎧の連撃を素手で防ぐ道理も、それならば納得できていたからだ。
だが違った。 いや、半分は合っていたのだろう。
魔力による肉体の出力・強度の強化。 それは製造の過程で生まれた副産物。
”騎士団”を相手にするために当然備えてしかるべきとされた仕様。
本命は、別。
彼女の裡でバラバラに発生し、混ざりあった魔力は互いに反発と融合を永劫と繰り返す。
二つが混ざり一つなる。 一つが分かれ、四つとなる。 四つが混ざり、二つとなる。 その連鎖。
魔力は元より、肉体すら別人同士だったのだ。 そう簡単に馴染むわけがない。
『──随分と慌てていたようだぞ?結局調整が上手くいかずに間に合わなかったそうだ』
調整が上手くいかず、時間がかかるわけだ。
つまり、終結から更に一年の時を待ってようやく完成したのだ。
魔王軍が、対騎士団の本命として作り上げた彼女に求めた、その本質的な性能。
義肢と対をなす、絶対的な盾。
その腕は、あらゆる災厄を払う明王の腕。
全ての魔力を内包するがゆえに全ての魔法を打ち消す。 対魔法絶対防御。
「とっておきがこうも簡単に!さすがに堪える!」
さすがに心が折れそうになる。 有効打とはならなくとも、かすり傷の一つは与えられると思っていたのだ。
「ならどうする!」
「まだ手はあるさ!」
空元気である。 そう叫びながら腰後ろから引き抜いたのは短刀2本。 二刀流。
それに対して、未だ空中にあるフェイリアが脚を振るった。
無色の魔力を込めた、一振り。
ばぐん、と大地が割れる。 地割れが、リーグレットへと突き進む。
──そういう仕組みか!
剣圧で刀身以上のモンスターの巨体を切り裂く騎士を見たことはある。 間合いの外の敵兵を切り裂く妙技を持つ剣士を見たこともある。
だが、ただの蹴り一つで大地を割る存在などは、おとぎ話にすら出てこなかった。
説明され、体験し、理解した今なら分かる。
あれは無色ゆえに感知できない、莫大な魔力を蹴りに乗せた大切断だったのだ。
「ぉ、おおおお!!」
風の魔力を纏わせた短刀を交差させ、受ける。
交差は一瞬。 主人を守るのと引き換えに、たちまちに砕け散った。
「次は!?」
地に着いたフェイリアが駆ける。 嬉々とした表情。
まだ何かあるだろう?という期待。
「期待に添えないかもしれないが……これで最後だ」
静かに呟く。 その手には、いつの間にか拾っていた戦鎚。
それに短刀同様に魔力を纏わせる。
ただ纏わせるだけではない。
ありったけの全魔力を込める。 一滴も残さずに込める。
朧げであった光が、明確な閃光を伴い形作る。
全身全霊。
まさしく長大な槍の如き姿。
『サリッサ』
リーグレットの持つ、最大最強の奥の手であった。
「勝負!!」
音を超えた二人の姿が交差した、瞬間。 大気が割れた。
割れた大気は振動を生み、振動は音を生み、音は波を起こす。
その波は、空を断ち切った。
その非現実的な光景は、周囲で見守っていた群衆全ての脳裏に焼き付いた。
その光景の発生源。 二人の姿。
倒れ伏す一人と、見下ろす一人。
倒れ伏すのは、リーグレット。
「いや、参った……と言いたいところだがな」
ごぷり、と血の塊を吐き出す。
板金鎧はめちゃくちゃにひしゃげ、右腕はあらぬ方向へと曲がり、両脚はがくがくと痙攣していた。
対して見下ろすのはフェイリア。
最後の激突の瞬間、サリッサがかすめた左腕はドレスが吹き飛び、そのツギハギでまだらな素肌を晒していた。
ただし、それだけ。
新しくこしらえた傷はひとつもない、なんとも美しい勝利者の姿であった。
「……口を動かせるなら、手を動かさんとな」
そうして、リーグレットの四肢の、唯一無事な左腕から振られる戦鎚。
最初の、一分の速度もないそれ。
それをフェイリアは我が子を慈しむような、赤子をあやす乳母のようなたおやかな表情で眺めながら、
「とっとと寝ろ阿呆」
ドゴン、とその頭頂部に踵をめり込ませたのだった。
──決着。
I・フィールドバリア。