誰ソ彼怪異譚   作:躁鬱

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さよスパロウ

■さよスパロウ

 

 

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 夏の厳しい暑さは夜になって一時的に遠ざかったものの、東京の熱帯夜といったらサウナの中に放り込まれたようで、私は既に日菜の誘いに気まぐれにでも乗ったことを後悔し始めていた。

 夜は自分の時間に充てている私は、用もないのに外をふらふらすることは基本的にしない(もちろんそれは当然ながら私が健全に過ごす女子高生であることが大きな要因ではあるが)。平日はギターの練習や勉強をしなくてはならないし、休日にはRoselia(バンド)の練習やイベントに参加することも多いから、空き時間は必然的に夜になることが多い。夜は普段賑やかな場所に身を置いている私にとって貴重な一人で静かな時間だった。それは夏休みに入っても基本的に変わらない。今日だって私は一人自室で本を読んでいたというのに、日菜に天体観測をするという名目で半ば強引に連れ出された。

 姉妹仲は以前よりは改善されたとはいえ、私と妹との間にあるわだかまりは依然として残ったままだった。剣呑さも嫌悪もないものの、未だ仲直りの仕方を忘れた思春期の喧嘩の様な(というよりそのものではあるのだが)ギクシャクとした空気は今も私たちの間に横たわり続けている。だから今夜日菜が私を連れ出したのも、あの子なりに私と話すきっかけを作りたかったのだろう。私は頭でっかちに考えすぎるから、こう言う時に感情のまま行動できる日菜のことを羨ましく思う。 

 しかしそれはそれとして、この夏の夜の蒸し風呂の様な不快感は昼間の厳しい日差しとは別の辛さがある。既に私は頭の中で帰りにコンビニに寄るためのルートを計算し始めていた。

 

「そもそも何で今日天体観測なのよ。もう少し涼しくなってからでしょう」

「夏は星見の旬だよおねーちゃん。それに旬かどうかは置いておいても、星は年中無休でそこにあるんだからいつ見たっていいんだよ?」

「私はどちらかと言うと冬の星の方が好きだから、見るならそっちを見たかったってだけよ。帰ったらまたシャワー浴びなくちゃならないわ」

「でも私は今おねーちゃんと見たかったんだもん。冬までなんか待てないし、おねーちゃん冬に誘ったら今度は寒さを理由に断るでしょ。……それより前は誘える雰囲気じゃなかったし」

「……まぁ、去年みたいな寒さの中、わざわざ外出はしないでしょうね。あの寒さの中星を見るために外に出るなんて正気の沙汰ではないわ」

「昨今の冬キャンブームに真っ向から逆行するようなことを言うんだね」

「もう巣篭もり需要は終わったわ。あんなのは暇を持て余したマゾヒストがやるものよ。私には考えられないわ」

「おねーちゃんインターネットに変な影響受けてない?ちょっとネトゲから距離置いたら?」

「普段は表に出さないだけよ」

 

 こんなつらつらと意味もない雑談も、以前までの私たちにはなかったものだ。夜の運動公園を歩きながらする会話は、中身はないけれど新鮮なものだった。気を使わなくていい気楽な会話には、改めて感じる確かな重みがあった。

 

「それで、一体どこまで行くのよ。私ここの公園あんまり来たことないのよね」

「もうちょっと行ったところに開けた原っぱがあるんだよ。周りに街灯もないし遮るものもないから見やすいの」

 

 ガチャガチャと収納袋に入った簡易望遠鏡を揺らしながら(学校から持ってきたらしい)、日菜は答えた。家から自転車で少し行ったところにあるこの運動公園は、テニスコートや陸上のトラック、市民プールなどを備えている。そのため敷地がなかなかに広く、自転車を停めてから公園内を少し歩く羽目になった。どうせなら日菜の言うスポットまで自転車で公園内を移動すればよかったのだが(当初、日菜もそう提案した)、『自転車乗り入れ禁止』の看板を見てしまっては、それを破ると言う選択肢は私にはなかった。公園内はそれ自体がウォーキングコースとなっているのか舗装されて歩きやすくはあるが、電灯もまばらで薄暗い中を歩くのは、日菜と一緒とは言えなんだか気味が悪かった。

 

 ──日菜には悪いけど、少し付き合ったら適当に切り上げて帰りましょう。

 

 楽しそうにハミングしながら私より先をずんずん行く日菜の背中を見ながら、内心で帰りにコンビニで何を買って帰ろうかと意識を飛ばしていると、ふと足元から生き物の気配がした。すわ野ネズミかと思い咄嗟に足を跳ね上げ小さく飛び退いたが、街灯で薄く照らされた足元には野ネズミどころか虫の一匹もいなかった。

 

「……?」

 

 周りを見渡してもそれらしき影も音もしないので気のせいかと歩を進めるが、先ほどと同じく足元から小さな生き物の気配がした。ただし今回は何かまとわりつく様な、小さな生き物の群れの中に素足を突っ込んだかの様な不快感が伴った。

 思わず小さく悲鳴をあげてまた足元に目をやるが、やはりそこにはしっかり靴を履いた自分の足があるだけで、舗装されたウォーキングコースの上には私と日菜以外のなにもいなかった。

 

「おねーちゃんどうしたの?何かあった?」

 

 私の悲鳴を聞いたのか、少し先を行った日菜が私の方を振り返って尋ねた。暗くてその表情は見えないが、声色から心配の色が滲んでいるのが分かった。

 

「……大丈夫、ちょっと暗くて躓いただけよ。すぐ行くわ」

 

 もうすっかり足元からは気配もそれに伴う不快感もいなくなっていた。

 私はそれを夜の恐怖からくる気のせいにして、日菜の背中を追った。

 

「────えっ」

 

 ────直後、私は夜の闇の中に一人放り出された。

 

 チチチ、と足元で何かが鳴いた気がした。

 

 

 

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「うーん…………」

 

 CiRCLEに併設されているカフェスペースでアイスカフェラテを啜りながら、アタシは今朝届いたメッセージを眺めていた。内容は体調不良で紗夜が今日の練習を休むと言う連絡だった。

 別に練習を休むこと自体は大した問題ではない。体調不良なら仕方ないし、他のメンバーも家庭の事情や体調を崩して休むことはあるし、友希那も頻繁に練習を休む様なことがなければとやかく言うことはない。

 ただ、紗夜が体調を崩してからこれで五日だ。燐子によると学校も休んでいる様で、紗夜の体調不良はどうも長引いているようだ。それにアタシが気にかかっているのは、紗夜の欠席の連絡がヒナから来ていることだ。

 普段欠席の連絡があるときは、紗夜に限らず皆Roseliaのライングループで行うし、何よりそう言った連絡は本人から直接くる。欠席の連絡をヒナに任せると言うのは、紗夜の性格を知っている身からすると珍しいことだった(ヒナにまだ弱みとか見せたくないだろうし……)。

 ヒナに連絡を任せなければいけないほど体調が悪いのかと、心配になって紗夜に直接メッセージを送ってみたが、未だ既読はつかないままだった。

 

「リサ、そろそろ予約の時間よ」

 

 アタシがスマホと睨めっこしているところに、友希那が私を呼びにきた。アタシが紗夜からの連絡を待っているうちに来たのか、燐子とあこも一緒だった。

 

「あぁ、うん。今行くよ」

「……やっぱり、紗夜さんから連絡きませんでしたね」

「うん、既読もつかないからスマホ見てないんだと思う。……ねぇ、友希那もやっぱちょっと気になるよね?」

「まぁ……気にならないとは言わないわ。こういう時いつもは直接言ってくるし、なんなら私にはラインとは別に電話して伝えてくるときもあるから」

「あ、そうなの?律儀だなぁ紗夜」

「ただ体調が悪ければ直接連絡が難しいこともあるでしょう。復帰してきた時に様子を聞いてみればいいわ」

「あ、じゃあ今日の練習が終わったらお見舞いにいきませんか?紗夜さんの好きなものもって!」

「あ、いいねそれ!」

「でも、今井さん体調悪い中迷惑にならないかな……?」

「そこはヒナに連絡入れとけば大丈夫じゃない?ヒナのことだからこう言う時紗夜につきっきりだろうし、難しそうならそう言ってくるでしょ」

「……あなたたち、おしゃべりはそこまでにしてそろそろ練習の準備をしなさい。……紗夜へのお見舞いのことは、練習が終わった後にしましょう」

 

 話が横道に逸れそうな気配を見越してか、友希那からお叱りを受けてしまった。以前までならこう言った雑談も紗夜へのお見舞いも時間の無駄と切り捨てていただろうし、言葉はキツイがこれでも丸くなったと見るべきだろうか。

 

「はいはーい、わかってますって」

 

 燐子とあこと苦笑いで顔を見合わせ、先に屋内に戻ってしまった友希那を追うためにアタシが席を立った時、CiRCLEの目の前に一台のタクシーが停まった。

 CiRCLEは利用するのが主に学生が中心だからか、ライブハウスとしては利用者の年齢層が低めだ。当然ライブハウスを利用するにはお金がかかるので、お財布事情を鑑みると音楽をするためになるべく無駄な出費はみんな抑えている(音楽をやるには何かとお金がかかるのだ。世知辛い)。だから、学生中心のライブハウスにタクシーがくると言うのは私としては珍しいなと思った。

 

「おねーちゃん待ってよ!一旦落ち着いてってば!」

「ついてこないで日菜!あなたには関係ないでしょう!」

 

 だから、目の前に停まったタクシーからヒナと紗夜が降りてきたことにアタシはひどく驚いた。

 

「えっ、紗夜?」

「あ、リサちーいいところに!ちょっとおねーちゃん一緒に止めて!」

「いやヒナ、止めるって何を……?てか紗夜元気そうじゃん!よかったー、返信もないし既読もつかないからみんな心配したんだよ?」

 

 最悪、今日明日くらいまでは返事がないことを覚悟していたから、なんだかんだ元気そうな紗夜を見て、ホッとした気持ちで声をかけた。

 

「……今井さん?そこにいるんですか?」

「……え?」

 

 紗夜は、焦点の合わないぼんやりとした瞳で、私を見た。

 いや、見たと言うより、ただ私の声がした方向に顔を向けているだけのようだった。

 戸惑う私に、ヒナは目を伏せながら言った。

 

「おねーちゃん、今目が見えてないの」

 

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